羽田空港の駅で、列車に乗ろうと階段を下りていると「間もなく発車」ということになっていて、半ば駆け込むように乗車した。
↓そして品川駅に到り、列車の最後尾側から下車した。
↑羽田空港から京急の区間を走り、品川から先は都営地下鉄、京成、北総と幾つもの会社の路線を走る。この列車は北総の印旛日本医大へ向かうそうだ。
↓車掌が安全確認をして扉を閉めようとしていた。ここからは地下鉄の区間に入る。
↑車輛は2018年から2021年に27編成製造されたという都営交通の「5500形」である。この路線は色々な車輛に出くわす場所でもある。
何か「やや御無沙汰の“首都圏の電車”…」と少し列車を眺めてしまった。ここから、通路を進んでJRの列車に乗ったのだった。
B767…:羽田空港(2023.12.24)
旭川空港を発ったフライトは、強めな向かい風に抗いながら進み、定刻より少し遅れて羽田空港に到着した。
下りた後、「直ぐに乗り継ぐ」というような急ぐ用事が在るでもないので、ゆったりと通路を進んだ。
↓「ここまで運んでくれてありがとう!」という気分で、乗って来たB767を眺めた。最近は、やや見掛ける頻度が減ったような気がしないでもない型の飛行機だと思った…午後4時45分前後で、何となく照明が目立つのが時季らしい。
↑機内のど真ん中で、窓から外の景色を愉しむことは全く叶わなかったが、周囲に他の乗客が居ない、ゆったりした様子での移動だった。
↓反対側にも別なB767が駐機していた。
空港でこういう景色を愉しみ、途中で御手洗を拝借するような場面も交えて、広い空港ビルを歩き、外へ出る訳だ。
下りた後、「直ぐに乗り継ぐ」というような急ぐ用事が在るでもないので、ゆったりと通路を進んだ。
↓「ここまで運んでくれてありがとう!」という気分で、乗って来たB767を眺めた。最近は、やや見掛ける頻度が減ったような気がしないでもない型の飛行機だと思った…午後4時45分前後で、何となく照明が目立つのが時季らしい。
↑機内のど真ん中で、窓から外の景色を愉しむことは全く叶わなかったが、周囲に他の乗客が居ない、ゆったりした様子での移動だった。
↓反対側にも別なB767が駐機していた。
空港でこういう景色を愉しみ、途中で御手洗を拝借するような場面も交えて、広い空港ビルを歩き、外へ出る訳だ。
「メーカー希望小売価格 ¥28,900,000」:Mercedes-AMG SL 63:羽田空港(2023.12.24)
搭乗待合室にて…:羽田空港(2022.08.06)
空港の搭乗待合室の様子は、各空港毎に各々違う様子であると思うのだが、「自身の目線」では2種類に大別している。
飛行機等が視えている窓が在って、そこに「近付き悪い」か「近付き易い」かということである。後者であれば、少し近付いて飛行機の写真でも撮ってみるようなことをするのが存外に愉しい。
↓羽田空港の今般利用した辺りはその「少し窓に近付いて飛行機の写真…」というようなこともし易いような様子だった。
↓利用したSkymarkのフライトは、JALのフライトでも使用しているエリアで搭乗するようになっているので、JALの飛行機も多く見えていた。
↓駐機場では、出発へ向けて様々な作業が行われている。そんな様子を眺めるのも好い…
↓何か凄く「空港らしい」という風情で、こんな様子を眺めるのも愉しい。
飛行機等が視えている窓が在って、そこに「近付き悪い」か「近付き易い」かということである。後者であれば、少し近付いて飛行機の写真でも撮ってみるようなことをするのが存外に愉しい。
↓羽田空港の今般利用した辺りはその「少し窓に近付いて飛行機の写真…」というようなこともし易いような様子だった。
↓利用したSkymarkのフライトは、JALのフライトでも使用しているエリアで搭乗するようになっているので、JALの飛行機も多く見えていた。
↓駐機場では、出発へ向けて様々な作業が行われている。そんな様子を眺めるのも好い…
↓何か凄く「空港らしい」という風情で、こんな様子を眺めるのも愉しい。
羽田空港ターミナルビル内…(2022.08.06)
羽田空港に着いて、利用する予定のフライトの搭乗手続きを済ませ、以降は保安検査を潜って搭乗待合室へ向かえば善いということになった。が、少し時間が在った。「何処かで座って寛ぐ?」という程度のことも考えながら、何となくターミナルビル内を歩き廻った。
↓「何処か、程好い感じな場所…」と歩き廻っていれば、少し高い辺りに至った。何か「空港のビル」とでも聞けば思い浮かぶような、広く長い通路と何やらのカウンター等が在るような感じの様子を少し見入ってしまった。
こういう様子を視て、ふと思った。少なくとも、このブログを始めたような2016年頃以降では、「羽田空港に到着」という経過は何回か在ったと記憶―最も近い時期としては2022年5月の例が在った…―するのだが、「羽田空港から出発」という事例は無かったかもしれない。
↓時にはこういう様子を眺めて、この空港を利用するというのも悪くはないかもしれない…
↓「何処か、程好い感じな場所…」と歩き廻っていれば、少し高い辺りに至った。何か「空港のビル」とでも聞けば思い浮かぶような、広く長い通路と何やらのカウンター等が在るような感じの様子を少し見入ってしまった。
こういう様子を視て、ふと思った。少なくとも、このブログを始めたような2016年頃以降では、「羽田空港に到着」という経過は何回か在ったと記憶―最も近い時期としては2022年5月の例が在った…―するのだが、「羽田空港から出発」という事例は無かったかもしれない。
↓時にはこういう様子を眺めて、この空港を利用するというのも悪くはないかもしれない…
泉岳寺…(2022.08.06)
↓都営地下鉄と京急とが乗入れる泉岳寺駅の“A2”という出入口の傍に泉岳寺は在る。
泉岳寺は曹洞宗の寺だ。1612(慶長17)年に起こっているが、1641(寛永18)年に火災で焼失してしまった。火災後、徳川家光が5つの大名家に命じ、所謂「御手伝い普請」の形で現在地に再建されたのだという。
「赤穂義士」の物語で知られる播州赤穂の浅野家だが、この「御手伝い普請」の件を契機に、泉岳寺を菩提寺ということにしたのだそうだ。
↓本堂に「獅子吼」という額が掲げられるが、これは「釈迦の説法」ということを意味するのだという。
泉岳寺は「江戸三箇寺」と呼ばれ、江戸に在って曹洞宗の寺を束ねるような立場に在り、学寮が設けられて多くの僧侶が研鑽を重ねる場であったという。現在でも、大学で仏教を学びながら寺で研鑽をする若い僧侶が見受けられるのだそうだ。
↓「赤穂義士」の墓所が設けられている。これに御参りをした。
↑線香を一束求め、それを持って墓を巡る。適当に線香を何本かずつ墓碑に備えるのである。
↓こういう具合に誰が何処の墓碑になるのか、解るような看板が在る。
↓例えばこれが堀部安兵衛の墓だ…
堀部安兵衛(武庸 たけつね)(1670-1703)は、浪人の身の上ながら剣術道場で頭角を現し、同門の朋友の助太刀を買って出て「高田馬場の決闘」と呼ばれた闘いに臨み「十八人斬り」と勇名を馳せ、それが契機となって播州赤穂浅野家中の堀部家に入ることとなったという人物だ。「赤穂義士」の一件にも関与している。
この人物に関しては「高田馬場の決闘」ということで、学生時代に「堀部安兵衛が決闘の前に酒を飲んだ店の後裔がここの酒屋らしい」というような場所が御近所に在って、何か記憶に残っている。そういうことで、ここで墓碑を見出そうとした訳だ。
「赤穂義士」の墓所を御参りする等して、随分ゆったりと過ごした。実は…拙宅にこの泉岳寺の周辺で入手したと見受けられる四十七士の湯飲茶碗が在ったような気がする…(常用しているのでもないモノだ。)そういうことで「完全に初めて」ではないのだが、実質的には初めてのようなものだった。好い時間を過ごしたように思う。
泉岳寺は曹洞宗の寺だ。1612(慶長17)年に起こっているが、1641(寛永18)年に火災で焼失してしまった。火災後、徳川家光が5つの大名家に命じ、所謂「御手伝い普請」の形で現在地に再建されたのだという。
「赤穂義士」の物語で知られる播州赤穂の浅野家だが、この「御手伝い普請」の件を契機に、泉岳寺を菩提寺ということにしたのだそうだ。
↓本堂に「獅子吼」という額が掲げられるが、これは「釈迦の説法」ということを意味するのだという。
泉岳寺は「江戸三箇寺」と呼ばれ、江戸に在って曹洞宗の寺を束ねるような立場に在り、学寮が設けられて多くの僧侶が研鑽を重ねる場であったという。現在でも、大学で仏教を学びながら寺で研鑽をする若い僧侶が見受けられるのだそうだ。
↓「赤穂義士」の墓所が設けられている。これに御参りをした。
↑線香を一束求め、それを持って墓を巡る。適当に線香を何本かずつ墓碑に備えるのである。
↓こういう具合に誰が何処の墓碑になるのか、解るような看板が在る。
↓例えばこれが堀部安兵衛の墓だ…
堀部安兵衛(武庸 たけつね)(1670-1703)は、浪人の身の上ながら剣術道場で頭角を現し、同門の朋友の助太刀を買って出て「高田馬場の決闘」と呼ばれた闘いに臨み「十八人斬り」と勇名を馳せ、それが契機となって播州赤穂浅野家中の堀部家に入ることとなったという人物だ。「赤穂義士」の一件にも関与している。
この人物に関しては「高田馬場の決闘」ということで、学生時代に「堀部安兵衛が決闘の前に酒を飲んだ店の後裔がここの酒屋らしい」というような場所が御近所に在って、何か記憶に残っている。そういうことで、ここで墓碑を見出そうとした訳だ。
「赤穂義士」の墓所を御参りする等して、随分ゆったりと過ごした。実は…拙宅にこの泉岳寺の周辺で入手したと見受けられる四十七士の湯飲茶碗が在ったような気がする…(常用しているのでもないモノだ。)そういうことで「完全に初めて」ではないのだが、実質的には初めてのようなものだった。好い時間を過ごしたように思う。
東京都交通局5500形電車…:羽田空港駅にて(2022.08.06)
羽田空港駅に列車が着けば…殆どの場合は少し待機して折り返し運転ということになる。
↓泉岳寺駅から乗って来た列車も折り返し運転となるようで、待機していた。それを眺めた…
↑「都営交通の新しい車輌…」と思ったが、「5500形」というそうだ。2018年から2021年に27編成製造されたそうだ。写真の「5509」というのは2019年製造らしい。流石に「新しい!!」という感じがした…
5500形は、軌間1435㎜で8輌編成の電車である。少し大柄で、なかなか見映えが好い…正面の窓の周りを黒く塗装し、路線イメージの色であるローズピンクでアクセントを付けるような感じの車輌外観も好いと思った。
京急、都営浅草線、京成は相互乗入で、何やら様々な種類の色々な行先の列車が行き交っている。如何いう列車が運行されていようと、何処かで乗り換える等すれば沿線の任意の駅には着く訳だが…何時か、少しゆっくりと親しんでみたいというような気分にもなった。
出先で、新旧様々な車輌による列車に乗車してみるというのも、なかなかに愉しい。
↓泉岳寺駅から乗って来た列車も折り返し運転となるようで、待機していた。それを眺めた…
↑「都営交通の新しい車輌…」と思ったが、「5500形」というそうだ。2018年から2021年に27編成製造されたそうだ。写真の「5509」というのは2019年製造らしい。流石に「新しい!!」という感じがした…
5500形は、軌間1435㎜で8輌編成の電車である。少し大柄で、なかなか見映えが好い…正面の窓の周りを黒く塗装し、路線イメージの色であるローズピンクでアクセントを付けるような感じの車輌外観も好いと思った。
京急、都営浅草線、京成は相互乗入で、何やら様々な種類の色々な行先の列車が行き交っている。如何いう列車が運行されていようと、何処かで乗り換える等すれば沿線の任意の駅には着く訳だが…何時か、少しゆっくりと親しんでみたいというような気分にもなった。
出先で、新旧様々な車輌による列車に乗車してみるというのも、なかなかに愉しい。
泉岳寺駅にて…(2022.08.06)
横浜の桜木町駅から川崎大師駅に向かい、その後は都内の泉岳寺駅に出て来た。羽田空港駅へ移動し、空路で北上という段取りとなった。
↓泉岳寺駅は地下の駅だ…
↑東京都交通局と京急の共同使用駅ということであるという。1968(昭和43)年に都営浅草線が大門駅から泉岳寺駅に延伸となり、同時の京急の列車も品川から入り込み、両社の列車の相互乗入が実施されている。
↓「やや古くから在る地下鉄の…」という雰囲気の出入口だった。
↓交代の乗務員が登場し、駅に列車が姿を見せる。都営交通の新しい車輌と見受けられる…
↓実に都合が好かった…羽田空港駅へ向かう列車だった。
↑様々な行先の列車が行き交っているので、「行きたい!」が列車の行先であって、直通というのは少々嬉しい…
羽田空港駅へ向かおうとしていたので列車に乗込んで着席した。黙って乗っていれば着くので、安堵して軽く居眠りに及んだ。気付けば「空港線」で、直ぐに羽田空港駅に着いてしまったのだった…
↓泉岳寺駅は地下の駅だ…
↑東京都交通局と京急の共同使用駅ということであるという。1968(昭和43)年に都営浅草線が大門駅から泉岳寺駅に延伸となり、同時の京急の列車も品川から入り込み、両社の列車の相互乗入が実施されている。
↓「やや古くから在る地下鉄の…」という雰囲気の出入口だった。
↓交代の乗務員が登場し、駅に列車が姿を見せる。都営交通の新しい車輌と見受けられる…
↓実に都合が好かった…羽田空港駅へ向かう列車だった。
↑様々な行先の列車が行き交っているので、「行きたい!」が列車の行先であって、直通というのは少々嬉しい…
羽田空港駅へ向かおうとしていたので列車に乗込んで着席した。黙って乗っていれば着くので、安堵して軽く居眠りに及んだ。気付けば「空港線」で、直ぐに羽田空港駅に着いてしまったのだった…
珈琲とホットドッグと…:羽田空港 搭乗待合室(2022.08.06)
↓こんなホットドックが何となく懐かしい…
↑パンにソーセージ、刻んだタマネギとピクルスを載せるという具合で、マスタードやケチャップという若干の調味料…
↓モノはこういう具合に供される。珈琲と合わせて求めたのだった…
空港の搭乗待合室で、利用する便の搭乗案内を待っていた間に思った。目的地の新千歳空港到着後、札幌を経て旭川へ移動するという夜になる。食事を摂り悪い状況なので、何か頂きたかった。そして、少し悠然と珈琲でも頂きたい気分になった訳だ。
↓待合室内でこういう看板に引き寄せられたという次第だ。
三本珈琲店というのは、横浜を本社に、各地の空港も含めて方々にカフェを出店しているようだ。
ホットドッグが凄く美味しかった。そして珈琲も好かった。ゆったりと頂いて、搭乗口を覗くと「御案内」が始まった辺りだった。好いタイミングだった…
↑パンにソーセージ、刻んだタマネギとピクルスを載せるという具合で、マスタードやケチャップという若干の調味料…
↓モノはこういう具合に供される。珈琲と合わせて求めたのだった…
空港の搭乗待合室で、利用する便の搭乗案内を待っていた間に思った。目的地の新千歳空港到着後、札幌を経て旭川へ移動するという夜になる。食事を摂り悪い状況なので、何か頂きたかった。そして、少し悠然と珈琲でも頂きたい気分になった訳だ。
↓待合室内でこういう看板に引き寄せられたという次第だ。
三本珈琲店というのは、横浜を本社に、各地の空港も含めて方々にカフェを出店しているようだ。
ホットドッグが凄く美味しかった。そして珈琲も好かった。ゆったりと頂いて、搭乗口を覗くと「御案内」が始まった辺りだった。好いタイミングだった…
高野山東京別院…(2022.08.06)
慶長年間(1596-1615)というのは、江戸を本拠地とした徳川家がその基盤を強め、幕府を開いてその体制を固めて行こうとしていた時期に相当する。色々なモノが江戸に入り込んで、場合によってはその後の時代まで受継がれたという例も多く在ったと考えられる。
真言宗の高野山には、高野三方(こうやさんかた)というモノが在った。「学侶方」(がくりょかた)は密教の研究を専らとし、祈祷を行う等した。「行人方」(ぎょうにんがた)は寺院管理、法会という実務に携わり、所謂“僧兵”を輩出した。「聖方」(ひじりかた)は全国を行脚し、高野山信仰を説き、勧進を行い、高野山への納骨や納髪を進めており、全国の“空海伝説”の切っ掛けを作ったという。
その高野山の学侶方が「江戸在番所」を慶長年間に設けたのだという。やがて高野寺となって、火災による焼失や復興というような経過で幕末期まで続く。
明治期には高野三方というようなモノも無くなり、在番所も廃止されてしまった。しかし高野寺の流れは残った。そして1927(昭和2)年には「高野山東京別院」を号し、現在に至っているのだという。
↓再訪する機会に備えて、道順を覚えておきたいという意図で、唐突に妙な写真を出した…
↑都営地下鉄、または京急の泉岳寺駅で、駅名の由来になっている泉岳寺に近い「A2」という出口から出る。直ぐに泉岳寺の敷地に入る辺りに至る。そこを左に進むと、都市緑地が在る。近隣の児童が遊ぶような場所だが、そこに公衆トイレが据えられていて、これが目印になる。
↓公衆トイレの周辺から住宅等が視えている側へ踏み込み、少し進めば急な坂道だ。坂の上から振り返った。
↓坂を上がって平坦な道路になった辺りに高野山東京別院は在る。
↓境内に在った駐車場等の案内図だが、図の右上の側の路に坂を上って至り、引揚げた時はそこから坂を下ったのだった。
↓荘厳な本堂である。1988(昭和63)年に建立されたそうだ。
↓本堂は「遍照殿」と名付けられている。空海の別名が遍照金剛であることに因む訳で、弘法大師を祀っている。
↓足を踏み入れれば、厳かな空間である。
↓蝋燭も備え、真摯に祈った…
↓退出する際、何となく見上げてしまったが、広壮な空間に多くの人達が集まることも可能なような設えの場所だった。
江戸の街が栄えて行った経過と共に受継がれた、この地域での弘法大師の興した真言宗への信仰の拠点である。何か酷く興味深かった。
真言宗の高野山には、高野三方(こうやさんかた)というモノが在った。「学侶方」(がくりょかた)は密教の研究を専らとし、祈祷を行う等した。「行人方」(ぎょうにんがた)は寺院管理、法会という実務に携わり、所謂“僧兵”を輩出した。「聖方」(ひじりかた)は全国を行脚し、高野山信仰を説き、勧進を行い、高野山への納骨や納髪を進めており、全国の“空海伝説”の切っ掛けを作ったという。
その高野山の学侶方が「江戸在番所」を慶長年間に設けたのだという。やがて高野寺となって、火災による焼失や復興というような経過で幕末期まで続く。
明治期には高野三方というようなモノも無くなり、在番所も廃止されてしまった。しかし高野寺の流れは残った。そして1927(昭和2)年には「高野山東京別院」を号し、現在に至っているのだという。
↓再訪する機会に備えて、道順を覚えておきたいという意図で、唐突に妙な写真を出した…
↑都営地下鉄、または京急の泉岳寺駅で、駅名の由来になっている泉岳寺に近い「A2」という出口から出る。直ぐに泉岳寺の敷地に入る辺りに至る。そこを左に進むと、都市緑地が在る。近隣の児童が遊ぶような場所だが、そこに公衆トイレが据えられていて、これが目印になる。
↓公衆トイレの周辺から住宅等が視えている側へ踏み込み、少し進めば急な坂道だ。坂の上から振り返った。
↓坂を上がって平坦な道路になった辺りに高野山東京別院は在る。
↓境内に在った駐車場等の案内図だが、図の右上の側の路に坂を上って至り、引揚げた時はそこから坂を下ったのだった。
↓荘厳な本堂である。1988(昭和63)年に建立されたそうだ。
↓本堂は「遍照殿」と名付けられている。空海の別名が遍照金剛であることに因む訳で、弘法大師を祀っている。
↓足を踏み入れれば、厳かな空間である。
↓蝋燭も備え、真摯に祈った…
↓退出する際、何となく見上げてしまったが、広壮な空間に多くの人達が集まることも可能なような設えの場所だった。
江戸の街が栄えて行った経過と共に受継がれた、この地域での弘法大師の興した真言宗への信仰の拠点である。何か酷く興味深かった。
東京駅を望む…:<KITTE>(2022.08.05)
各地で郵便局関係の建物を再開発するような場合に、登場した施設に<KITTE>というような愛称を冠しているようだ。多分「(郵便)切手」から来た愛称なのであろう。更に何やら在るのかもしれないが、敢えて調べてみたのでもない…
「あの壮麗な東京駅を眺める機会を…」と思い付いた時、頭の中に在ったのは、東京駅の脇で嘗ては東京中央郵便局であったという建物を改築したという<KITTE>の“屋上庭園”なる場所から、あの壮麗な建物を眺めるということだった。
過去に眺望を愉しんだ経過も在り、「今般も是非!」という思いが募っていた。ところが、辿り着いてみた東京駅の地下で、「如何いう具合にして、何処から地上へ?」とチョロチョロしてしまい、速やかに<KITTE>には至らなかった。
他方で、偶々<丸ビル>の館内に出てテラスの眺望を愉しみ、更に「細やかな贅沢…」という感の昼食を愉しんだ。
そして愈々、過去に眺望を愉しんだ経過も在る<KITTE>の屋上庭園に上った。
↓こういう感じ!
↓気に入っている様子なので、少しゆっくりと眺めた。
頻繁に訪ねるような場所ではない。が、それでも「あれが好かった」と気に入る場合は在る。そして、思い出したように、その気に入った様子に触れるというのが愉しい訳だ…
「あの壮麗な東京駅を眺める機会を…」と思い付いた時、頭の中に在ったのは、東京駅の脇で嘗ては東京中央郵便局であったという建物を改築したという<KITTE>の“屋上庭園”なる場所から、あの壮麗な建物を眺めるということだった。
過去に眺望を愉しんだ経過も在り、「今般も是非!」という思いが募っていた。ところが、辿り着いてみた東京駅の地下で、「如何いう具合にして、何処から地上へ?」とチョロチョロしてしまい、速やかに<KITTE>には至らなかった。
他方で、偶々<丸ビル>の館内に出てテラスの眺望を愉しみ、更に「細やかな贅沢…」という感の昼食を愉しんだ。
そして愈々、過去に眺望を愉しんだ経過も在る<KITTE>の屋上庭園に上った。
↓こういう感じ!
↓気に入っている様子なので、少しゆっくりと眺めた。
頻繁に訪ねるような場所ではない。が、それでも「あれが好かった」と気に入る場合は在る。そして、思い出したように、その気に入った様子に触れるというのが愉しい訳だ…
<KITTE>…(2022.08.05)
東京駅の脇、嘗ての東京中央郵便局は、複合的な施設になっている。郵便局や<ゆうちょ銀行>も入居しているが、それは極々一部ということで、様々な店舗等が入っていて、館内を眺めながら歩くのも愉しい。
↓こういうように、少し高い辺りから「吹き抜け」のようになっている館内を眺めるのが面白い。
↓ポスターのイラストも、こういうような実際の館内の看た感じを少し意識しているのかもしれない。
↓こちらのポスターは「窓から東京駅が覗く…」という様子さえ図案化している。
↓ポスターのアイディアは、こういうような眺めから起こったのであろうというように強く思った。
↓今般は、少しゆっくりと子の館内を歩き廻ったと思う。
東京駅の辺りにはあまりにも色々なモノが在る。「そのうちにゆったりと…」と想いが募るばかりで、存外に訪ねる機会が設け悪いような気がしないでもない…
それはそれとして、今般は東京駅辺りに何気なく出られて善かったと思う。
↓こういうように、少し高い辺りから「吹き抜け」のようになっている館内を眺めるのが面白い。
↓ポスターのイラストも、こういうような実際の館内の看た感じを少し意識しているのかもしれない。
↓こちらのポスターは「窓から東京駅が覗く…」という様子さえ図案化している。
↓ポスターのアイディアは、こういうような眺めから起こったのであろうというように強く思った。
↓今般は、少しゆっくりと子の館内を歩き廻ったと思う。
東京駅の辺りにはあまりにも色々なモノが在る。「そのうちにゆったりと…」と想いが募るばかりで、存外に訪ねる機会が設け悪いような気がしないでもない…
それはそれとして、今般は東京駅辺りに何気なく出られて善かったと思う。
東京駅を望む…:<丸ビル>(2022.08.05)
鎌倉駅から列車に乗り、東京駅へ向かおうとしたのは、乗り込んだ列車に黙って乗っていれば着くからという事に加えた、あの壮麗な東京駅を眺める機会を設けてみたかったからであった。
地下のホームに列車が辿り着き、地下の改札口から出たが、何処から如何いうように地上に出るのかが今一つ判らずに何やら苛立った。そうしていれば<丸ビル>への通路が在って、何とか地上に出られた。「地上」と言っても、とりあえず<丸ビル>の館内であるが…
↓その<丸ビル>の館内に「テラス」という場所が在った。
↓「概ね正面」から、東京駅の様子が視える…
何か酷く感心し、暫し佇んで東京駅を眺めた。それから館内を歩き廻り、「名古屋の“忘れ物”を東京で回収」というような、細やかな贅沢を愉しんだのだった。
なかなかに満足度は高かったのだが、後から気付いた。<丸ビル>の外観をゆっくり眺めることをしていなかった…これは「次の機会が在った場合の課題」ということにでもしておこう…
地下のホームに列車が辿り着き、地下の改札口から出たが、何処から如何いうように地上に出るのかが今一つ判らずに何やら苛立った。そうしていれば<丸ビル>への通路が在って、何とか地上に出られた。「地上」と言っても、とりあえず<丸ビル>の館内であるが…
↓その<丸ビル>の館内に「テラス」という場所が在った。
↓「概ね正面」から、東京駅の様子が視える…
何か酷く感心し、暫し佇んで東京駅を眺めた。それから館内を歩き廻り、「名古屋の“忘れ物”を東京で回収」というような、細やかな贅沢を愉しんだのだった。
なかなかに満足度は高かったのだが、後から気付いた。<丸ビル>の外観をゆっくり眺めることをしていなかった…これは「次の機会が在った場合の課題」ということにでもしておこう…
旧郵便局長室…:KITTE(2022.08.05)
↓何か「おっ!?」と軽く驚きの声が漏れるような、なかなかに重厚な感じの部屋だ…
東京駅の直ぐ脇に、嘗ては「東京中央郵便局」ということで、郵便業務の重要拠点で、郵政関係の重要なオフィスであった場所が在り、その建物の外観等を一部に残しながら商業施設やオフィス等になっている<KITTE>と称する建物が在る。これはその建物の中に設えられた部屋だ。嘗ての「郵便局長の執務室」のイメージになっている。多分、場所としても「概ね、往時の場所」ということなのだと思う。
↓「昭和30年代」(1950年代後半から1960年代前半)というような時代のモノと見受けられる電話機が、何か酷く好い感じだった。
↓来館者の休憩所という意図で、執務室に在ったと伝わる細々とした調度品を敢えて再現してはいないそうだが、この旧い電話機が載った机と、窓からの風景だけで十分に趣が在る…
それでも考えてみると、昭和30年代頃には背後の東京駅の外観が少し違ったであろうとは思う。東京駅が、創建時の様子を意識した外観になったのは、考えてみると比較的近年なのだった…が、そういうことを論うのも野暮というものだ。この雰囲気が酷く好い!
東京駅の直ぐ脇に、嘗ては「東京中央郵便局」ということで、郵便業務の重要拠点で、郵政関係の重要なオフィスであった場所が在り、その建物の外観等を一部に残しながら商業施設やオフィス等になっている<KITTE>と称する建物が在る。これはその建物の中に設えられた部屋だ。嘗ての「郵便局長の執務室」のイメージになっている。多分、場所としても「概ね、往時の場所」ということなのだと思う。
↓「昭和30年代」(1950年代後半から1960年代前半)というような時代のモノと見受けられる電話機が、何か酷く好い感じだった。
↓来館者の休憩所という意図で、執務室に在ったと伝わる細々とした調度品を敢えて再現してはいないそうだが、この旧い電話機が載った机と、窓からの風景だけで十分に趣が在る…
それでも考えてみると、昭和30年代頃には背後の東京駅の外観が少し違ったであろうとは思う。東京駅が、創建時の様子を意識した外観になったのは、考えてみると比較的近年なのだった…が、そういうことを論うのも野暮というものだ。この雰囲気が酷く好い!
ひつまぶし…:<ひつまぶし 名古屋 備長>丸ビル店(2022.08.05)
鎌倉駅から列車に乗り、東京駅に到った。
東京駅の壮麗な駅舎を眺めるべく丸の内側に出たかったが、地下のホームに列車が辿り着き、地下の改札口から出たが、何処から如何いうように地上に出るのかが今一つ判らずに何やら苛立った。そうしていれば「丸ビル」への通路が在って、何とか地上に出られた。
その丸ビルの館内を少し歩き廻ってみた。色々なモノを販売している店も散見するが、飲食店が多い場所であるように思った。
↓こういう看板を眼に留めた。
↓名古屋の流儀による“うなぎ”だ…
往路、復路で名古屋を通っていて、泊ってさえいたが、この「名古屋の流儀による“うなぎ”」は顧みなかった。尤も、他に色々と愉しんだ訳だが…
↓折好く「昼食の時間帯…」であったので、「名古屋の流儀による“うなぎ”」である「ひつまぶし」を頂いてみることとした。
↓蓋が付いた容器を開けて「頂きます!!」である。
↓「名古屋の流儀」は「東京の流儀」とは異なり、蒸すような工程が無く、炭火でサクッと焼き上げるようだ…「地焼き」と称するそうだ。そういう焼き方で味を点ける…
↓先ず、ストレートにうなぎと米飯を茶碗に容れて頂いてみる…
↓続いてネギやワサビというような薬味を加えたモノを愉しむ…
↓やがて添えられた出汁を注ぎ、刻み海苔も添えて「うなぎの茶漬け」ということにする…
↓こういう「作法」が在るのが「名古屋の流儀」という訳か…3杯を愉しんだ後は、随意の方式で愉しもうということのようだ。
「名古屋の流儀」に限らず、「各地の流儀」の「佳いモノ」が集まるということ、それが供せられているということが、「非常に“東京らしい”」ということなのかもしれない。結果的に「立寄った名古屋での“忘れ物”を回収」ということになった。更に「細やかな贅沢?」という挙に及んでしまった…時には悪くないが…
>>御参考までに<ひつまぶし 備長>の公式サイト…
東京駅の壮麗な駅舎を眺めるべく丸の内側に出たかったが、地下のホームに列車が辿り着き、地下の改札口から出たが、何処から如何いうように地上に出るのかが今一つ判らずに何やら苛立った。そうしていれば「丸ビル」への通路が在って、何とか地上に出られた。
その丸ビルの館内を少し歩き廻ってみた。色々なモノを販売している店も散見するが、飲食店が多い場所であるように思った。
↓こういう看板を眼に留めた。
↓名古屋の流儀による“うなぎ”だ…
往路、復路で名古屋を通っていて、泊ってさえいたが、この「名古屋の流儀による“うなぎ”」は顧みなかった。尤も、他に色々と愉しんだ訳だが…
↓折好く「昼食の時間帯…」であったので、「名古屋の流儀による“うなぎ”」である「ひつまぶし」を頂いてみることとした。
↓蓋が付いた容器を開けて「頂きます!!」である。
↓「名古屋の流儀」は「東京の流儀」とは異なり、蒸すような工程が無く、炭火でサクッと焼き上げるようだ…「地焼き」と称するそうだ。そういう焼き方で味を点ける…
↓先ず、ストレートにうなぎと米飯を茶碗に容れて頂いてみる…
↓続いてネギやワサビというような薬味を加えたモノを愉しむ…
↓やがて添えられた出汁を注ぎ、刻み海苔も添えて「うなぎの茶漬け」ということにする…
↓こういう「作法」が在るのが「名古屋の流儀」という訳か…3杯を愉しんだ後は、随意の方式で愉しもうということのようだ。
「名古屋の流儀」に限らず、「各地の流儀」の「佳いモノ」が集まるということ、それが供せられているということが、「非常に“東京らしい”」ということなのかもしれない。結果的に「立寄った名古屋での“忘れ物”を回収」ということになった。更に「細やかな贅沢?」という挙に及んでしまった…時には悪くないが…
>>御参考までに<ひつまぶし 備長>の公式サイト…
西寄りから東側へ…:JR新宿駅周辺…(2022.05.08)
「新宿駅周辺のやや広めな範囲を歩き廻る」というようなことは、随分と古い話しながら、自身が“新宿区民”であったような頃には「特筆に値しない事柄」であった筈だ。が、最近は戯れに「“出入禁止”なのか?」と嘯いてしまう程度に、東京を訪ねて街を歩くような機会が少ないので、「新宿駅周辺を一寸歩き廻った」というのが、「少し特異な経験」というような感も抱いてしまう。
↓西寄りな辺りを歩き廻り、この鉄道の高架が視えるような辺りで、鉄道の高架下を潜ると東側に入り込む…
↑行き交うタクシーが「最近の流行り」というように視えた…
↓鉄道の高架を潜り抜けた…
↑何やら「新宿」とでも耳にした時に思い浮かべる幾つかのイメージの一つという感の光景だ…
↓真ん中のビル…ファストフード店…随分と以前からこの場所に在った店という気もする…
↓少しばかり歩を進めれば「歌舞伎町」だった…
時には、こういうような辺りを歩くのも悪くないかもしれない…そんなことを思いながら写真を眺めていた…
↓西寄りな辺りを歩き廻り、この鉄道の高架が視えるような辺りで、鉄道の高架下を潜ると東側に入り込む…
↑行き交うタクシーが「最近の流行り」というように視えた…
↓鉄道の高架を潜り抜けた…
↑何やら「新宿」とでも耳にした時に思い浮かべる幾つかのイメージの一つという感の光景だ…
↓真ん中のビル…ファストフード店…随分と以前からこの場所に在った店という気もする…
↓少しばかり歩を進めれば「歌舞伎町」だった…
時には、こういうような辺りを歩くのも悪くないかもしれない…そんなことを思いながら写真を眺めていた…
B767…:羽田空港(2022.05.07)
日暮里→新宿…:山手線(2022.05.08)
本州以南へ南下する際、東京に関しては「上空を通過」または「敢えて素通り」ということをするが、今般は成田空港で同行者と落ち合い、高速バスで西へ向かうという都合が在って都内を少しばかり移動した。
「もしかすると初めて??」という<スカイライナー>で日暮里駅に着いた後、とりあえずバスターミナルが在る新宿まで、山手線で移動することにした。
↓酷く大きいのでもないが、階段を上り下りするにはやや不便な程度の荷物が在った同行者と、駅に据えられたエレベータを利用しながら移動していれば、池袋や新宿へ向かう列車の先頭になる側の乗場へ辿り着いた…
↓日暮里から、山手線の北側を巡って、池袋を経て新宿へ至る列車が現れた…(新宿の先も、列車は環状線を走り続ける訳だが…)
自身は列車の出入口の扉付近で、同行者が抱えて来たやや嵩張った荷物を視ていた。同行者は、とりあえず1人分の座席を見付けて着席した。日暮里から列車が出て程無く、自身の側へ指を指して合図している。「そこから進行方向の外の様子が多分視えている…面白いのでは?」と合図してくれている。
↓「どれどれ…」と視ると、こういう“正面展望”が視られた…
↑同行者に「確かに、一寸面白い!」と親指を立てる「好いぞ!」のサインを送った。同行者は「好かったね…」という笑顔を見せた…
↓そういうことで、「山手線の北側」の正面展望を些か楽しむこととなった…
↓「過ぎる程に静か…」という街から山手線沿線に出れば、「何もかもが驚き…」という様子になる…
↓首都圏で列車に乗ると、「色々な軌道が並行」という様子に、とりあえず驚く…
↓賑やかなエリアに入ると、高層建築に軌道が埋まっているかのような、不思議な光景も見受けられるようになる。
↓夢中で様子を見ていた間に、夥しい数の乗客がホームに佇む新宿駅に至った…
学生時代、新宿区内に在ったような頃には山手線は「普段の移動手段の一つ」であったが、最近は「少し特殊な乗物」というように感じないでもない…時には、山手線の列車に乗るのも悪くないかもしれない…
「もしかすると初めて??」という<スカイライナー>で日暮里駅に着いた後、とりあえずバスターミナルが在る新宿まで、山手線で移動することにした。
↓酷く大きいのでもないが、階段を上り下りするにはやや不便な程度の荷物が在った同行者と、駅に据えられたエレベータを利用しながら移動していれば、池袋や新宿へ向かう列車の先頭になる側の乗場へ辿り着いた…
↓日暮里から、山手線の北側を巡って、池袋を経て新宿へ至る列車が現れた…(新宿の先も、列車は環状線を走り続ける訳だが…)
自身は列車の出入口の扉付近で、同行者が抱えて来たやや嵩張った荷物を視ていた。同行者は、とりあえず1人分の座席を見付けて着席した。日暮里から列車が出て程無く、自身の側へ指を指して合図している。「そこから進行方向の外の様子が多分視えている…面白いのでは?」と合図してくれている。
↓「どれどれ…」と視ると、こういう“正面展望”が視られた…
↑同行者に「確かに、一寸面白い!」と親指を立てる「好いぞ!」のサインを送った。同行者は「好かったね…」という笑顔を見せた…
↓そういうことで、「山手線の北側」の正面展望を些か楽しむこととなった…
↓「過ぎる程に静か…」という街から山手線沿線に出れば、「何もかもが驚き…」という様子になる…
↓首都圏で列車に乗ると、「色々な軌道が並行」という様子に、とりあえず驚く…
↓賑やかなエリアに入ると、高層建築に軌道が埋まっているかのような、不思議な光景も見受けられるようになる。
↓夢中で様子を見ていた間に、夥しい数の乗客がホームに佇む新宿駅に至った…
学生時代、新宿区内に在ったような頃には山手線は「普段の移動手段の一つ」であったが、最近は「少し特殊な乗物」というように感じないでもない…時には、山手線の列車に乗るのも悪くないかもしれない…
<スカイライナー>…:日暮里駅(2022.05.08)
「成田空港と都内との往来」というのは何度も経験が在る。
大概はJRの列車、京成の列車で、追加料金が発生したモノを択ぶ。近年、成田空港に到着して、直ぐに他地域へ移動すべく新幹線の列車に乗り継ごうとJRの特急で東京駅や品川駅に移動したという事例も在った。
そういう他方で、京成の「(多分)看板列車」ということになると見受けられる<スカイライナー>に関しては乗車してみた記憶が無い…
今般、同行者を伴って、成田空港から都内へ出て、新宿のバスターミナルから夜行の高速バスに乗るということになった中、「<スカイライナー>で都内に入る」と思い付いた…
↓そういう訳で、成田空港第2ターミナル地下の駅で切符を求め、日暮里駅まで乗車してみた。
↑全席指定で、座席に落ち着いて1時間弱で直ぐに日暮里駅についてしまう感で驚いた…
↓京成の日暮里駅は「ホーム扉」も確り備わっていて、如何にも「東京都内の乗降客が多い駅」という空気感に溢れていた。他方で、少し大き目な荷物を抱えた乗客がゆっくりと乗降していて、「空港とを結ぶ東京都内側の“玄関”」という風情も感じた。
↓成田空港と都内とを往来する場面が然程多いのでもないが、今般乗車を試みた<スカイライナー>がなかなかに快適であったことは記憶に留めたいと思った…
大概はJRの列車、京成の列車で、追加料金が発生したモノを択ぶ。近年、成田空港に到着して、直ぐに他地域へ移動すべく新幹線の列車に乗り継ごうとJRの特急で東京駅や品川駅に移動したという事例も在った。
そういう他方で、京成の「(多分)看板列車」ということになると見受けられる<スカイライナー>に関しては乗車してみた記憶が無い…
今般、同行者を伴って、成田空港から都内へ出て、新宿のバスターミナルから夜行の高速バスに乗るということになった中、「<スカイライナー>で都内に入る」と思い付いた…
↓そういう訳で、成田空港第2ターミナル地下の駅で切符を求め、日暮里駅まで乗車してみた。
↑全席指定で、座席に落ち着いて1時間弱で直ぐに日暮里駅についてしまう感で驚いた…
↓京成の日暮里駅は「ホーム扉」も確り備わっていて、如何にも「東京都内の乗降客が多い駅」という空気感に溢れていた。他方で、少し大き目な荷物を抱えた乗客がゆっくりと乗降していて、「空港とを結ぶ東京都内側の“玄関”」という風情も感じた。
↓成田空港と都内とを往来する場面が然程多いのでもないが、今般乗車を試みた<スカイライナー>がなかなかに快適であったことは記憶に留めたいと思った…
荒川2丁目停留所:都電(2022.05.08)
幾つもの作品に親しんだ経過が在る作家の吉村昭の記念館が在ると聞いた。時季毎に様々な作品等の話題に注目した展示もしているというが、大変に興味深く愉しく読んだ『大黒屋光太夫』に纏わる展示を開催中とも聞いた。
こういうことで興味を抱いたタイミングで、東京方面に所用で出ることになり、些かの時間を割くことも可能となったので、作家の吉村昭の記念館を一寸訪ねようとしたのだった。
件の記念館は、都電の停留所に近い、荒川区の施設の中に設けられているという。
↓この荒川2丁目停留所の傍だ…
↑浅草、上野、三ノ輪と地下鉄を乗継、三ノ輪橋停留所から都電に乗車してここに至った。「運んでくれて有難う…」と振り返って車輛を眺めた。
↓逆方向の軌道でも電車が発着中である様子が視えた…
記念館を興味深く見学し、また停留所へ。町屋駅前停留所を目指そうとしたが、荒川2丁目停留所に着いた時の乗場で電車を待てば好い筈だと佇んだ。
↓逆方向の軌道に電車が現れた…
↓こんな踏切は風情が在る。
「荒川線」という唯一残った都電だが、この場所のような専用軌道という様相の場所が多い。路面を行く併用軌道は少し限定される。そういう様子の故、また沿線の代替交通を設定し悪いというようなことで、現在に至るまで残っているのかもしれない。
聞けば、都電は都内で網の目のように軌道が設けられて行き交っていたというが、次第に退場してしまって、現在は嘗ての都電の路線の跡は地下鉄路線やバス路線になっているようだ…
↓乗車する電車も姿が視えた…
↓これに乗車して、町屋駅前へ移動することとした…
↓都電は運転士さんの居る前側から乗車し、現金やIC乗車券で運賃を払うか“1日券”を示す等し、後側から下車する。「均一運賃」なので、そういう方式が合理的なのだと思う。(「均一運賃」でも、後側から乗って、下車時に前側の運転士さんの居る場所で運賃を支払うというようになっている例も他地域では在るが…)
今般、都電に何回か乗車したが、何時も座席は概ね埋まっていて何人かが立っている様子だった。沿線の皆さんの「一寸用事で…」という場合に、気軽に多用される存在と感じられた。吉村昭の記念館を訪ねたいという切っ掛けの故に都電に乗車したのだったが、この都電の沿線をゆっくりと廻ってみるのも悪くないかもしれない。何時もそういう「何時か…」を思い付き、時間を経て思い出して悦に入るような面も在る…
こういうことで興味を抱いたタイミングで、東京方面に所用で出ることになり、些かの時間を割くことも可能となったので、作家の吉村昭の記念館を一寸訪ねようとしたのだった。
件の記念館は、都電の停留所に近い、荒川区の施設の中に設けられているという。
↓この荒川2丁目停留所の傍だ…
↑浅草、上野、三ノ輪と地下鉄を乗継、三ノ輪橋停留所から都電に乗車してここに至った。「運んでくれて有難う…」と振り返って車輛を眺めた。
↓逆方向の軌道でも電車が発着中である様子が視えた…
記念館を興味深く見学し、また停留所へ。町屋駅前停留所を目指そうとしたが、荒川2丁目停留所に着いた時の乗場で電車を待てば好い筈だと佇んだ。
↓逆方向の軌道に電車が現れた…
↓こんな踏切は風情が在る。
「荒川線」という唯一残った都電だが、この場所のような専用軌道という様相の場所が多い。路面を行く併用軌道は少し限定される。そういう様子の故、また沿線の代替交通を設定し悪いというようなことで、現在に至るまで残っているのかもしれない。
聞けば、都電は都内で網の目のように軌道が設けられて行き交っていたというが、次第に退場してしまって、現在は嘗ての都電の路線の跡は地下鉄路線やバス路線になっているようだ…
↓乗車する電車も姿が視えた…
↓これに乗車して、町屋駅前へ移動することとした…
↓都電は運転士さんの居る前側から乗車し、現金やIC乗車券で運賃を払うか“1日券”を示す等し、後側から下車する。「均一運賃」なので、そういう方式が合理的なのだと思う。(「均一運賃」でも、後側から乗って、下車時に前側の運転士さんの居る場所で運賃を支払うというようになっている例も他地域では在るが…)
今般、都電に何回か乗車したが、何時も座席は概ね埋まっていて何人かが立っている様子だった。沿線の皆さんの「一寸用事で…」という場合に、気軽に多用される存在と感じられた。吉村昭の記念館を訪ねたいという切っ掛けの故に都電に乗車したのだったが、この都電の沿線をゆっくりと廻ってみるのも悪くないかもしれない。何時もそういう「何時か…」を思い付き、時間を経て思い出して悦に入るような面も在る…
公衆電話ボックス…:西新宿(2022.05.07)
地下鉄 上野駅…(2022.05.08)
一杯の珈琲…(2022.05.08)
<バスタ新宿>のロッカーに嵩張るモノを預け、同行者と共に新宿を散策した。
JR新宿駅南口辺りを起点に、西寄りな側から東寄りな側へ廻り、やがて南口寄りに戻った。辺りが多分初めてである同行者は「あれ?見覚えが在る場所に戻っている?!かなり離れた場所に来てしまったかと…」と単純に驚く。「一寸した“環状線”のようなものかな…」という話しにして笑い合い、一息入れるということになった。
↓カフェで求めた飲物を、店の前の戸外に並ぶ椅子とテーブルの辺りに持ち出し、心地好い夜の外気に触れながら頂いた…
何ら特別でもない。何度でも、何処ででも頂いている珈琲と大差等無い。そんあ当たり前の珈琲が、酷く美味いと感じた一時だった…
JR新宿駅南口辺りを起点に、西寄りな側から東寄りな側へ廻り、やがて南口寄りに戻った。辺りが多分初めてである同行者は「あれ?見覚えが在る場所に戻っている?!かなり離れた場所に来てしまったかと…」と単純に驚く。「一寸した“環状線”のようなものかな…」という話しにして笑い合い、一息入れるということになった。
↓カフェで求めた飲物を、店の前の戸外に並ぶ椅子とテーブルの辺りに持ち出し、心地好い夜の外気に触れながら頂いた…
何ら特別でもない。何度でも、何処ででも頂いている珈琲と大差等無い。そんあ当たり前の珈琲が、酷く美味いと感じた一時だった…
築地市場駅―大江戸線(2022.05.08)
↓こういうような「歩行者向け情報提供」というのは大歓迎だ。
↑居合わせた地点は、日比谷線の築地駅と大江戸線の築地市場駅との間のような辺りであることが解り、加えて地図で辺りのモノを探すことも叶う訳だ。
↓大江戸線の築地市場駅の出入口に到った…
築地市場については移転をした経過が在った。移転を巡って色々と在ったようではあるのだが、現在は広い市場の跡が広大な用地となっていて、「工事中」の壁のようなモノが張り巡らされている感だ。様子は余り面白くもない…
↓通路を下りて駅へ入る。
↓有名な新聞社の本社がこの辺りだった。日比谷線の築地駅よりも、この築地市場駅の方が少し近いかもしれない等と考えた…
↓自身の個人的な感覚に照らして「地下鉄駅“らしい”ような…」と思った風情だ…
↓沿線の駅名が並んでいて、随分と色々と書き込まれているポスターのようなモノに気付いた。これは「各駅で、どの号車が乗換や出口に近いのか?」を示す図であるようだ…
↑東京のように、様々な地下鉄路線が交錯している場合、こういう「目指す側は何号車に乗って行くのが便利?」は大事かもしれない。が、個人的には「ギリギリな時間で動かず、ゆとりを持って動き、到着した駅で構内案内をゆっくり見て動く。目的地に早く着いたら、辺りでゆったりしていれば好い」と考える。そういう性分なので、このポスターのようなモノには少し圧倒されてしまった…
↓やがて列車が現れた…蔵前駅へ引揚げた…
地下鉄と徒歩とを組み合わせた早朝の散策を愉しんだのだが、こういうのも時には酷く好いものだ…
↑居合わせた地点は、日比谷線の築地駅と大江戸線の築地市場駅との間のような辺りであることが解り、加えて地図で辺りのモノを探すことも叶う訳だ。
↓大江戸線の築地市場駅の出入口に到った…
築地市場については移転をした経過が在った。移転を巡って色々と在ったようではあるのだが、現在は広い市場の跡が広大な用地となっていて、「工事中」の壁のようなモノが張り巡らされている感だ。様子は余り面白くもない…
↓通路を下りて駅へ入る。
↓有名な新聞社の本社がこの辺りだった。日比谷線の築地駅よりも、この築地市場駅の方が少し近いかもしれない等と考えた…
↓自身の個人的な感覚に照らして「地下鉄駅“らしい”ような…」と思った風情だ…
↓沿線の駅名が並んでいて、随分と色々と書き込まれているポスターのようなモノに気付いた。これは「各駅で、どの号車が乗換や出口に近いのか?」を示す図であるようだ…
↑東京のように、様々な地下鉄路線が交錯している場合、こういう「目指す側は何号車に乗って行くのが便利?」は大事かもしれない。が、個人的には「ギリギリな時間で動かず、ゆとりを持って動き、到着した駅で構内案内をゆっくり見て動く。目的地に早く着いたら、辺りでゆったりしていれば好い」と考える。そういう性分なので、このポスターのようなモノには少し圧倒されてしまった…
↓やがて列車が現れた…蔵前駅へ引揚げた…
地下鉄と徒歩とを組み合わせた早朝の散策を愉しんだのだが、こういうのも時には酷く好いものだ…
<バスタ新宿>こと「新宿南口交通ターミナル」または「Shinjuku Expressway Bus Terminal」へ…(2022.05.07)
「翌日に利用するバスの券を求めにターミナルへ足を運んでみる」というのは「如何ということのない営為」であるとは思う。が、訪ねた「ターミナル」の様子に些か驚くという経験をした。
↓「都営新宿線の新宿駅」と敢えて強調する…思惑どおり「JR新宿駅の南口を伺うような辺り」に出ることが叶った。
↑「全然知らない」という場所でもないが、覚えているのは「かなり旧い…」という様子だ。と言って、建物が並ぶ位置や道路が変わっているのでもない。建物に掲げられた看板や、中の店舗や事務所は大きく変わっていることだろう。そういうことを思いながら、横断歩道の信号待ちをしている人の群れに紛れる。そして「雰囲気」は「記憶の中のまま」ということに何となく安堵する…
↓歩を進めれば、程無く<バスタ新宿>だ…何となく思っていた以上に大きい感じで、些か驚きながら近付いた…
↑ここの窓口で尋ねて「翌日に利用するバスの券を求める」と考えていた訳だ。
<バスタ新宿>こと「新宿南口交通ターミナル」は2016年開業だという。
15の発着場所を備え、118もの会社による39都府県300都市へ向かうバスが発着し、1日の発着便数は最大1625便にも及ぶという、日本最大規模の高速バスターミナルだ。
高速バスに関して、2013年以降のルールでは「旧路線バス系」と「旧ツアーバス系」という流れが一緒になっているということなのだが、その現行ルールの下で双方の流れを汲む会社のバスが一堂に会しているということになるのだという。
名称は「新宿」であるが、所在地住所は「渋谷区」であるそうだ。付近の国道20号に沿って区境が引かれ、国道20号より南側は渋谷区に属するためだという。それでも「JR新宿駅南口の辺り」として、一般に「新宿」と認識されていると思われる。
↓歩いて来た道路から出入り出来る辺りが「2階」で、下りれば「1階」だ。バスターミナルは上の「3階」や「4階」に在るそうだ。
↑中に入るべく、このエスカレーターを上ってみる。
↓上がるエスカレーターで脇を視れば、JR新宿駅の南口がよく見えた…「過ぎる程に静かな街」からここに到った者の目線では「うわっ!“東京”…!?」というような光景だ。
↑JR新宿駅南口に到れば、この<バスタ新宿>は横断歩道を一つ渡るだけである。凄く便利な場所だ!
「バスタ」という愛称は、「バスとタクシーのための場所」というようなこと等、色々と込められた意味は在るようだが、語呂も好く憶え易いと決まったようではある。(自身では「バスターミナル」を縮めて「バスタ」とでもして、在りそうで無かったからこれで行くことにしたのだと勝手に思った…)が、「バスタ」は外国で商標になっていたり、好ましくない語句と思われてしまうというようなことも少々在るらしく、外国語での情報発信の場合には「Shinjuku Expressway Bus Terminal」という「新宿高速バスターミナル」の英訳を使っているそうだ。実際、この英訳の呼称が表示されている箇所も見掛けた。
↓中に入ればこういうような矢印の案内が色々と在って、目指す発券窓口には迷わず辿り着いた。
ここで、翌日夜に京都へ発つバスの券を、同行者の分も含めて求めた。が、このターミナルの壮大さに少なからず驚いた…更に、翌日にここを利用してみて更に驚いたということも在る。
結果的に「新しい巨大施設」と初対面した。そして「東京と方々とを結ぶ交通手段」に関して知ることにもなった。
↓「都営新宿線の新宿駅」と敢えて強調する…思惑どおり「JR新宿駅の南口を伺うような辺り」に出ることが叶った。
↑「全然知らない」という場所でもないが、覚えているのは「かなり旧い…」という様子だ。と言って、建物が並ぶ位置や道路が変わっているのでもない。建物に掲げられた看板や、中の店舗や事務所は大きく変わっていることだろう。そういうことを思いながら、横断歩道の信号待ちをしている人の群れに紛れる。そして「雰囲気」は「記憶の中のまま」ということに何となく安堵する…
↓歩を進めれば、程無く<バスタ新宿>だ…何となく思っていた以上に大きい感じで、些か驚きながら近付いた…
↑ここの窓口で尋ねて「翌日に利用するバスの券を求める」と考えていた訳だ。
<バスタ新宿>こと「新宿南口交通ターミナル」は2016年開業だという。
15の発着場所を備え、118もの会社による39都府県300都市へ向かうバスが発着し、1日の発着便数は最大1625便にも及ぶという、日本最大規模の高速バスターミナルだ。
高速バスに関して、2013年以降のルールでは「旧路線バス系」と「旧ツアーバス系」という流れが一緒になっているということなのだが、その現行ルールの下で双方の流れを汲む会社のバスが一堂に会しているということになるのだという。
名称は「新宿」であるが、所在地住所は「渋谷区」であるそうだ。付近の国道20号に沿って区境が引かれ、国道20号より南側は渋谷区に属するためだという。それでも「JR新宿駅南口の辺り」として、一般に「新宿」と認識されていると思われる。
↓歩いて来た道路から出入り出来る辺りが「2階」で、下りれば「1階」だ。バスターミナルは上の「3階」や「4階」に在るそうだ。
↑中に入るべく、このエスカレーターを上ってみる。
↓上がるエスカレーターで脇を視れば、JR新宿駅の南口がよく見えた…「過ぎる程に静かな街」からここに到った者の目線では「うわっ!“東京”…!?」というような光景だ。
↑JR新宿駅南口に到れば、この<バスタ新宿>は横断歩道を一つ渡るだけである。凄く便利な場所だ!
「バスタ」という愛称は、「バスとタクシーのための場所」というようなこと等、色々と込められた意味は在るようだが、語呂も好く憶え易いと決まったようではある。(自身では「バスターミナル」を縮めて「バスタ」とでもして、在りそうで無かったからこれで行くことにしたのだと勝手に思った…)が、「バスタ」は外国で商標になっていたり、好ましくない語句と思われてしまうというようなことも少々在るらしく、外国語での情報発信の場合には「Shinjuku Expressway Bus Terminal」という「新宿高速バスターミナル」の英訳を使っているそうだ。実際、この英訳の呼称が表示されている箇所も見掛けた。
↓中に入ればこういうような矢印の案内が色々と在って、目指す発券窓口には迷わず辿り着いた。
ここで、翌日夜に京都へ発つバスの券を、同行者の分も含めて求めた。が、このターミナルの壮大さに少なからず驚いた…更に、翌日にここを利用してみて更に驚いたということも在る。
結果的に「新しい巨大施設」と初対面した。そして「東京と方々とを結ぶ交通手段」に関して知ることにもなった。
森下駅―新宿線…(2022.05.07)
東京に在って「新宿に出る」とでも言えば、実は「存外にややこしい…」ということに思い至る。
JR新宿駅には様々な路線が乗入れているが、「新宿駅」を名乗る私鉄や地下鉄の駅は色々と在り、「新宿〇〇」とか「〇〇新宿」というのまで多々在る。そして“新宿”と呼び習わされる地区もなかなかに広い。
そういうことなので「漠然と新宿」というのでもなく、「新宿の〇〇」という程度に「的を少し絞る」ということが必要なのかもしれない。
今般、「新宿に出る」と思い立った。翌日以降の段取りのため、JR新宿駅の南口辺りに立ち寄りたかったのだ。
↓そこで利用したのが都営地下鉄の新宿線だ…ここでも大江戸線と同様の、列車が進んで行く側にやや濃い色の、判り易い案内が在った。
↑大江戸線の蔵前駅から森下駅までは直ぐで、そこで新宿線に乗換えることが出来る。
1978年に開業し、1989年に全通したという都営新宿線である。京王新線との相互乗入運転が行われていて、新宿ではJR新宿駅南口を伺うような辺りに出入口が在る。
実は都営新宿線は少し面白い。軌間が1372㎜なのだ…多く見受けられるのは1067㎜か1435㎜で、これは非常に少数派だ。
現在の都電の前身となる東京市電の起源である馬車鉄道が1882(明治15)年に、理由等は不詳ながら、この軌間1372㎜を採用したそうだ。
京王帝都電鉄は、この東京市電との乗入運転を意図し、自社路線の軌間を1372㎜として現在に至っている。都営新宿線が同社と相互乗入ということになった際、京王の1435㎜への改軌も打診されたが、少し困難ということで1372㎜が採用された経過であったという。
「軌間1372㎜」は京王とこの都営新宿線、東急世田谷線、他に函館市電というのが現存する。過去に採用されていた例では、各々に改軌が済んでいるそうだ。
↓新宿へ向かう列車がやって来た…
↓正面の窓の下に「KEIO」…京王の車輌であった…
森下駅・新宿駅間は、何となく「東西に東京を横断」というような経路だと思った。「実は少し独特な規格」の車輌での移動…こういうことを思い出すのも少し愉しい。
JR新宿駅には様々な路線が乗入れているが、「新宿駅」を名乗る私鉄や地下鉄の駅は色々と在り、「新宿〇〇」とか「〇〇新宿」というのまで多々在る。そして“新宿”と呼び習わされる地区もなかなかに広い。
そういうことなので「漠然と新宿」というのでもなく、「新宿の〇〇」という程度に「的を少し絞る」ということが必要なのかもしれない。
今般、「新宿に出る」と思い立った。翌日以降の段取りのため、JR新宿駅の南口辺りに立ち寄りたかったのだ。
↓そこで利用したのが都営地下鉄の新宿線だ…ここでも大江戸線と同様の、列車が進んで行く側にやや濃い色の、判り易い案内が在った。
↑大江戸線の蔵前駅から森下駅までは直ぐで、そこで新宿線に乗換えることが出来る。
1978年に開業し、1989年に全通したという都営新宿線である。京王新線との相互乗入運転が行われていて、新宿ではJR新宿駅南口を伺うような辺りに出入口が在る。
実は都営新宿線は少し面白い。軌間が1372㎜なのだ…多く見受けられるのは1067㎜か1435㎜で、これは非常に少数派だ。
現在の都電の前身となる東京市電の起源である馬車鉄道が1882(明治15)年に、理由等は不詳ながら、この軌間1372㎜を採用したそうだ。
京王帝都電鉄は、この東京市電との乗入運転を意図し、自社路線の軌間を1372㎜として現在に至っている。都営新宿線が同社と相互乗入ということになった際、京王の1435㎜への改軌も打診されたが、少し困難ということで1372㎜が採用された経過であったという。
「軌間1372㎜」は京王とこの都営新宿線、東急世田谷線、他に函館市電というのが現存する。過去に採用されていた例では、各々に改軌が済んでいるそうだ。
↓新宿へ向かう列車がやって来た…
↓正面の窓の下に「KEIO」…京王の車輌であった…
森下駅・新宿駅間は、何となく「東西に東京を横断」というような経路だと思った。「実は少し独特な規格」の車輌での移動…こういうことを思い出すのも少し愉しい。
少し傾いた光と街並みと…:蔵前駅 周辺:都営地下鉄大江戸線(2022.05.07)
大門駅―大江戸線(2022.05.07)
↓東京のような大きな街では、動いている場所でとりあえずこの種の看板を見付けることだ。
↑浜松町に着き、都営地下鉄を利用しようと駅の出入口を探していたが、この種の看板に導かれて難なく辿り着いた。「A」が浅草線で「E」が大江戸線と、2路線の駅が在るのだ…
蔵前駅を目指そうとしていた。大門駅に乗入れる浅草線、大江戸線の何れを利用しても行けるのだが、大江戸線を利用してみることにした。
↓柱にこういうような案内が在るのが、都営地下鉄では定番のようだ。濃い色の側がやって来る列車の進んで行く方面ということになる。(今般の東京滞在時には、都営地下鉄を何度か利用し、その都度にこの案内を活用した…)
↑こうして路線図を見ると、大江戸線は「0」の形の“環状線”というより、「6」という字の形の不思議な形状だと判り易い…
↓列車がやって来た…
↓減速して、ホーム扉前の定位置に静かに停車する…
因みに、蔵前駅に着いた後には宿に入りたかったのだが、大江戸線の駅の方が、浅草線の駅よりも御願いしていた宿に近く、非常に好かった。
実は、大きな街に出て、地下鉄を利用して方々を動き、気楽に街を歩き廻るようなことをするのが凄く好きであったりする。今般は、東京で何となく大江戸線に親しむ機会を設けられたが、好かったと思っている。
↑浜松町に着き、都営地下鉄を利用しようと駅の出入口を探していたが、この種の看板に導かれて難なく辿り着いた。「A」が浅草線で「E」が大江戸線と、2路線の駅が在るのだ…
蔵前駅を目指そうとしていた。大門駅に乗入れる浅草線、大江戸線の何れを利用しても行けるのだが、大江戸線を利用してみることにした。
↓柱にこういうような案内が在るのが、都営地下鉄では定番のようだ。濃い色の側がやって来る列車の進んで行く方面ということになる。(今般の東京滞在時には、都営地下鉄を何度か利用し、その都度にこの案内を活用した…)
↑こうして路線図を見ると、大江戸線は「0」の形の“環状線”というより、「6」という字の形の不思議な形状だと判り易い…
↓列車がやって来た…
↓減速して、ホーム扉前の定位置に静かに停車する…
因みに、蔵前駅に着いた後には宿に入りたかったのだが、大江戸線の駅の方が、浅草線の駅よりも御願いしていた宿に近く、非常に好かった。
実は、大きな街に出て、地下鉄を利用して方々を動き、気楽に街を歩き廻るようなことをするのが凄く好きであったりする。今般は、東京で何となく大江戸線に親しむ機会を設けられたが、好かったと思っている。
東京タワーが覗く…:大門駅 周辺:都営地下鉄大江戸線(2022.05.07)
モノレール浜松町駅…(2022.05.07)
↓羽田空港駅から乗り込んだモノレールがモノレール浜松町駅に到着した…
↑「やれやれ着いた…」と車輌を眺めて一息入れた。右側奥の改札口の方へ、下車した多くの乗客が一気に進んでいる。率直に…混み合い過ぎると草臥れるので模様視を決め込んだ。画の左側の方に乗車する乗客が待機していて、下車が済む辺りで乗車が始まった。大きな街の駅では時々見受けられる形だ…
↓改札を出て、辺りをキョロキョロとしてこういう表示を見付けた。
↑モノレールが上層部に在り、その下に高架上に設えられているJRの浜松町駅が在り、地下には都営地下鉄の2路線の大門駅が在る。何か立体的に色々な路線が交錯している辺りだ。
久し振りに東京のモノレールに乗車したが、少し面白かった…
↑「やれやれ着いた…」と車輌を眺めて一息入れた。右側奥の改札口の方へ、下車した多くの乗客が一気に進んでいる。率直に…混み合い過ぎると草臥れるので模様視を決め込んだ。画の左側の方に乗車する乗客が待機していて、下車が済む辺りで乗車が始まった。大きな街の駅では時々見受けられる形だ…
↓改札を出て、辺りをキョロキョロとしてこういう表示を見付けた。
↑モノレールが上層部に在り、その下に高架上に設えられているJRの浜松町駅が在り、地下には都営地下鉄の2路線の大門駅が在る。何か立体的に色々な路線が交錯している辺りだ。
久し振りに東京のモノレールに乗車したが、少し面白かった…