「東池袋」という住所が表示されている辺りを歩き廻り、池袋駅に近付いた…
↓池袋駅の大きな建物に入るような辺りで振り返った…
↑「!?」と思った…
↓何となく横断歩道を渡った…
↑「豊島区」の英訳に「Toshima City」という表現が用いられていることに気付いて、何となく感心した…東京の特別区は“市”のようなものだ…
↓温かいとは言い悪い感ではあったかもしれないが、冬の陽射しが心地好いような気がした一時だった…
↓再度、横断歩道を渡って辺りを伺ってみた…随分以前に「池袋へ…」というように出てみた場面で動いていたような場所だと思ったが…記憶の中に在る雰囲気と、視えている様子とが結び付き悪い感だった…
交通は利便性が向上して「近く」なったと言える東京なのだが、気持ちの中では日々「遠く」なっているような気がしながら東京を少し歩いていた…
伊能忠敬銅像…:富岡八幡宮(2020.12.26)
東京メトロ東西線の門前仲町駅の近くに富岡八幡宮が在る。
↓その富岡八幡宮の境内にこういう銅像が立っている…
↑御本人や関係者が日本全国を歩き廻って測量を実施して立派な地図を作ったという19世紀の故事が在る訳だが…これはその最初の仕事となった、江戸から北上して蝦夷地を目指す旅へ踏み出した伊能忠敬をイメージした像だという…
「歩いて立派な地図」という事績に興味を覚え、伊能忠敬が長く暮らした佐原を訪ねてみた経過も在った。佐原では「郷土の偉人」と顕彰されている様子も見掛けた。
伊能忠敬は佐原では有力な商家の主人であり、現代風に言うなら“町長”のような役目も担って活躍していた。50歳代に差し掛かろうというような頃に一線を退き、学問に勤しんで測量の活動を展開するようになり、その活動が「歩いて立派な地図」という事績に繋がって行く…
この測量の活動に携わるようになった頃、伊能忠敬は江戸に在り、富岡八幡宮の近くに居を構えていたという。1800(寛政12)年閏4月(現在の暦で6月に相当するという…)に蝦夷地を目指す初めての旅に出る朝、伊能忠敬は富岡八幡宮に参拝し、それから出発したのだと伝えられているという…
富岡八幡宮は、19世紀頃には江戸の人達の信心を集める立派な社として大きな存在感を既に有していて、近隣に住んでいた伊能忠敬にとっても「馴染みの深い場所」であったに違いない…「蝦夷地の測量」を名目に出発するとした当初、「では船を仕立てて蝦夷地へ…」ということになったものを、「蝦夷地への道程を測量することも必要である!」として陸路で北を目指す旅ということにしたのだという。伊能忠敬は長い、何が待っているのか判らない道程に想いを巡らせながら、馴染んだ境内の光景が見える住まいの辺りにきっと戻って来ようと考えながら参拝をし、旅の無事や仕事の成功を祈ったのだと想像する…
↓さり気ない像だが、大きな事績に向けて、文字どおりにこの辺りから歩を踏み出したという人物のことを伝えてくれる像だ…
↓何か酷く好いと想いながら、この像に見入っていた…
年末に出会った「歩を踏み出した男」の像を、年頭に当たって改めて想い起したい…そんな気分である…
↓その富岡八幡宮の境内にこういう銅像が立っている…
↑御本人や関係者が日本全国を歩き廻って測量を実施して立派な地図を作ったという19世紀の故事が在る訳だが…これはその最初の仕事となった、江戸から北上して蝦夷地を目指す旅へ踏み出した伊能忠敬をイメージした像だという…
「歩いて立派な地図」という事績に興味を覚え、伊能忠敬が長く暮らした佐原を訪ねてみた経過も在った。佐原では「郷土の偉人」と顕彰されている様子も見掛けた。
伊能忠敬は佐原では有力な商家の主人であり、現代風に言うなら“町長”のような役目も担って活躍していた。50歳代に差し掛かろうというような頃に一線を退き、学問に勤しんで測量の活動を展開するようになり、その活動が「歩いて立派な地図」という事績に繋がって行く…
この測量の活動に携わるようになった頃、伊能忠敬は江戸に在り、富岡八幡宮の近くに居を構えていたという。1800(寛政12)年閏4月(現在の暦で6月に相当するという…)に蝦夷地を目指す初めての旅に出る朝、伊能忠敬は富岡八幡宮に参拝し、それから出発したのだと伝えられているという…
富岡八幡宮は、19世紀頃には江戸の人達の信心を集める立派な社として大きな存在感を既に有していて、近隣に住んでいた伊能忠敬にとっても「馴染みの深い場所」であったに違いない…「蝦夷地の測量」を名目に出発するとした当初、「では船を仕立てて蝦夷地へ…」ということになったものを、「蝦夷地への道程を測量することも必要である!」として陸路で北を目指す旅ということにしたのだという。伊能忠敬は長い、何が待っているのか判らない道程に想いを巡らせながら、馴染んだ境内の光景が見える住まいの辺りにきっと戻って来ようと考えながら参拝をし、旅の無事や仕事の成功を祈ったのだと想像する…
↓さり気ない像だが、大きな事績に向けて、文字どおりにこの辺りから歩を踏み出したという人物のことを伝えてくれる像だ…
↓何か酷く好いと想いながら、この像に見入っていた…
年末に出会った「歩を踏み出した男」の像を、年頭に当たって改めて想い起したい…そんな気分である…
<総長大隈老侯像>…(2020.12.26)
東京に1泊で、少しばかり時間を設けて随意に歩き廻ったのというのは、何となく久し振りなことだ。随分と以前に住んでいた辺り…今般は一寸立ち寄ってみた…
↓周辺の建物の様子は何時の間にか随分と変わったように思ったが、佇む銅像は「相変わらず…」という感だ。
↓この銅像…眺めるのも随分と久し振りだと思う。
↓銅像の脇の建物が「こんなに背が高かっただろうか?」と一寸考えてしまった…
↑銅像の顔を見ると、「随分以前のテレビ時代劇で『水戸黄門』に出ていた御老公役の俳優に似ている…」と思うことが在る。晩年の大隈重信は、所謂“元老”ということにこそならなかったが、首相を含む要職を経験した大物ということで、“水戸黄門”か何かのような「御意見番」的な存在感が在ったようだ…
↓これはこの大隈重信の像が据えられた場所のイメージとしてよく知られているような様子であろうか…大隈重信は、自らが創立に携わった大学を随分と愛していたと伝えられる…
↑こういう様子は「何時までもこういう感じで…」と一寸思ってしまう…
時にはこういうような辺りにふらりと寄るのも悪くないかもしれない…
↓周辺の建物の様子は何時の間にか随分と変わったように思ったが、佇む銅像は「相変わらず…」という感だ。
↓この銅像…眺めるのも随分と久し振りだと思う。
↓銅像の脇の建物が「こんなに背が高かっただろうか?」と一寸考えてしまった…
↑銅像の顔を見ると、「随分以前のテレビ時代劇で『水戸黄門』に出ていた御老公役の俳優に似ている…」と思うことが在る。晩年の大隈重信は、所謂“元老”ということにこそならなかったが、首相を含む要職を経験した大物ということで、“水戸黄門”か何かのような「御意見番」的な存在感が在ったようだ…
↓これはこの大隈重信の像が据えられた場所のイメージとしてよく知られているような様子であろうか…大隈重信は、自らが創立に携わった大学を随分と愛していたと伝えられる…
↑こういう様子は「何時までもこういう感じで…」と一寸思ってしまう…
時にはこういうような辺りにふらりと寄るのも悪くないかもしれない…
夜が明ける前から…:東京駅(2020.12.27)
12月下旬の“歳末”というような時季、「6時台の列車に乗る」となれば、「夜の残滓」が色濃いような中で動き回ることになる…
振り返ると、2017年11月にも、早朝の新幹線の列車で北上し、北海道内の特急列車に乗換えて札幌に到るということをやっていた。あの時は、東京で時間を過ごす意図は無かったものの、ユジノサハリンスクでの“アクシデント”を抱えたままに、ウラジオストクを経て成田空港に至り、浅草橋駅近くに求めた宿で夜を明かした。そこで午前5時台には既に列車で東京駅を目掛けて移動していた…
今般は「東京駅へ徒歩圏内」という場所、古めかしい表現かもしれないが“駅前旅館”というような存在感の宿で過ごしたので、気持ちには些かゆとりが在った…
↓新幹線の列車が発着している八重洲口とは逆側、丸の内口側へ一寸歩いた…
↓戸外へ出てみれば「終夜点いている…」ということになっているらしい箇所だけが明るい感じだ…
↓こういう様子を眺め、「何処かの国の王宮か何かのような…」と思っていた…
↓何度も視ている東京駅だが、なかなかに貫禄が在る感だ…
↓列車に乗る関係上、何時までも駅舎を眺めている訳にも行かないので、一寸だけで駅に入って改札口を目指した…
時には、こういう様子をもっとゆったりと眺められるような、そういうような予定を組むのも歩くないかもしれないと思いながら、足早に改札口を目指したのだった…
振り返ると、2017年11月にも、早朝の新幹線の列車で北上し、北海道内の特急列車に乗換えて札幌に到るということをやっていた。あの時は、東京で時間を過ごす意図は無かったものの、ユジノサハリンスクでの“アクシデント”を抱えたままに、ウラジオストクを経て成田空港に至り、浅草橋駅近くに求めた宿で夜を明かした。そこで午前5時台には既に列車で東京駅を目掛けて移動していた…
今般は「東京駅へ徒歩圏内」という場所、古めかしい表現かもしれないが“駅前旅館”というような存在感の宿で過ごしたので、気持ちには些かゆとりが在った…
↓新幹線の列車が発着している八重洲口とは逆側、丸の内口側へ一寸歩いた…
↓戸外へ出てみれば「終夜点いている…」ということになっているらしい箇所だけが明るい感じだ…
↓こういう様子を眺め、「何処かの国の王宮か何かのような…」と思っていた…
↓何度も視ている東京駅だが、なかなかに貫禄が在る感だ…
↓列車に乗る関係上、何時までも駅舎を眺めている訳にも行かないので、一寸だけで駅に入って改札口を目指した…
時には、こういう様子をもっとゆったりと眺められるような、そういうような予定を組むのも歩くないかもしれないと思いながら、足早に改札口を目指したのだった…
フィッシュ&チップス…:<HRC Tokyo>(2020.12.26)
「東京…」とでも聞けば、個人的に想い起す色々なモノが在るのだが…
↓これはそういう「東京とでも聞けば想い起す」の一つのような気がする…
今般、「札幌を経て稚内へ引揚げる」という以外には事前に決まっていることも無いというようなことをしてしまっていたが、「東京を通り掛かることが在れば?」と何箇所か「立寄ると好い場所」というのは念頭に、或いは頭の奥に在った…
↓この「ギターの大看板」もその一つで何となく視たかった…
<HRC Tokyo>…開店したのは1983(昭和58)年のことであるという。存外に老舗である…
↓早朝に名古屋・東京間を移動し、都内で昼食も摂ったが、些か日も傾いた中で「多少何かを…」と思い付いて立寄り、とりあえず<ジム・ビーム>のソーダ割を…
↑店内の様子を眺め、記憶を辿り、「改装の経過も在るようだな…」等と思っていたが、ウイスキーのソーダ割は好い感じだ…
↓「シーザーサラダ」のスモールサイズを一寸摘み…
↓「フィッシュ&チップス」を頂いた…
↑「スタンダードな感じ」というのが好い。タルタルソースを点けて頂くのである…
↓何やら満足して出て来ると、更に日が傾いていた…
↓小さな別棟で<HRC>のグッズが売られているが、ここに立寄るのも愉しい…
日本国内の<HRC>…一時は店舗が増えたが、それがまた減っている様子である。自身としては「気に入っている場所」なので続いて欲しい…
↓これはそういう「東京とでも聞けば想い起す」の一つのような気がする…
今般、「札幌を経て稚内へ引揚げる」という以外には事前に決まっていることも無いというようなことをしてしまっていたが、「東京を通り掛かることが在れば?」と何箇所か「立寄ると好い場所」というのは念頭に、或いは頭の奥に在った…
↓この「ギターの大看板」もその一つで何となく視たかった…
<HRC Tokyo>…開店したのは1983(昭和58)年のことであるという。存外に老舗である…
↓早朝に名古屋・東京間を移動し、都内で昼食も摂ったが、些か日も傾いた中で「多少何かを…」と思い付いて立寄り、とりあえず<ジム・ビーム>のソーダ割を…
↑店内の様子を眺め、記憶を辿り、「改装の経過も在るようだな…」等と思っていたが、ウイスキーのソーダ割は好い感じだ…
↓「シーザーサラダ」のスモールサイズを一寸摘み…
↓「フィッシュ&チップス」を頂いた…
↑「スタンダードな感じ」というのが好い。タルタルソースを点けて頂くのである…
↓何やら満足して出て来ると、更に日が傾いていた…
↓小さな別棟で<HRC>のグッズが売られているが、ここに立寄るのも愉しい…
日本国内の<HRC>…一時は店舗が増えたが、それがまた減っている様子である。自身としては「気に入っている場所」なので続いて欲しい…
佃島と中央大橋とを望む…(2020.12.26)
永代橋を眺めた際に、橋の背後にタワーマンション群が視えたことに興味を覚え、もう少しそれらが「視易い?」と思えた側へ歩を進めてみた…
↓何か「“未来都市”?」というようなことを連想してしまう光景だった…
↑緩やかに流れる隅田川の穏やかな水面に、巨大な建築群が揺れている。そして大きな橋が視える。橋は中央大橋だ…
中央大橋は1994(平成6)年に登場したそうだ。恐らく佃島にタワーマンションが登場して行ったような時期であろう…
↓水門が設けられていて、遊歩道が途切れる辺りまで歩いた…
↑東京ではこの種の案内板が設置されている箇所が意外に多く在り、なかなかに好い。(そういうモノが「無いか?」とキョロキョロすれば「見当たらない…」という場合も在るが…)
↓期せずして、なかなかに面白い景色を眺められたと思う…
↓何か「“未来都市”?」というようなことを連想してしまう光景だった…
↑緩やかに流れる隅田川の穏やかな水面に、巨大な建築群が揺れている。そして大きな橋が視える。橋は中央大橋だ…
中央大橋は1994(平成6)年に登場したそうだ。恐らく佃島にタワーマンションが登場して行ったような時期であろう…
↓水門が設けられていて、遊歩道が途切れる辺りまで歩いた…
↑東京ではこの種の案内板が設置されている箇所が意外に多く在り、なかなかに好い。(そういうモノが「無いか?」とキョロキョロすれば「見当たらない…」という場合も在るが…)
↓期せずして、なかなかに面白い景色を眺められたと思う…
永代橋(えいたいばし)…(2020.12.26)
思い立って門前仲町駅辺りへ…時々見掛ける、掲出されている周辺案内地図を眺めながら、辺りを歩いた…天候に恵まれ、歩き廻るには好適な日であった…
↓隅田川に架かる永代橋の辺りに至った…
↑これは「江東区佐賀」という住所の側、東岸である。隅田川に沿って設けられた遊歩道に下りて眺めてみた…
永代橋は橋長が184.7mで幅は25mであるという。
1698(元禄11)年、徳川綱吉が将軍であった時代に初めて架橋されたが、20年程を経て幕府が財政難を理由に維持補修を止めてしまった。しかし住民の嘆願で橋はそのまま在った。その橋は1807(文化4)年に祭に集まった人達が大勢殺到したことが契機になって“落橋事故”ということになってしまい、転落、死傷者、行方不明者が1400人以上にもなったと伝えられているという。そしてその後、橋は再建された。
明治時代には鉄橋化された。1897(明治30)年のことである。頑丈であったことから、1904(明治37)年には路面電車も橋を通った。そういう頑丈な鉄橋であった他方、橋底の基部や橋板に木材を使用していたことから、1923(大正12)年の<関東大震災>で拡がった大火災の中で橋が炎上してしまった。
そういう経過を辿った永代橋は、<関東大震災>の後の復興という流れの中、1926(大正15)年に現在の姿で登場している。
↓少し離れて視ると、背後に佃島のタワーマンション群が視えている…
↓非常に好い感じだ!
↓遊歩道を歩いて、橋の下を通り抜けた…
思い付いての散策で、こういう歴史在る橋梁を眺めるというのは愉しい。
↓隅田川に架かる永代橋の辺りに至った…
↑これは「江東区佐賀」という住所の側、東岸である。隅田川に沿って設けられた遊歩道に下りて眺めてみた…
永代橋は橋長が184.7mで幅は25mであるという。
1698(元禄11)年、徳川綱吉が将軍であった時代に初めて架橋されたが、20年程を経て幕府が財政難を理由に維持補修を止めてしまった。しかし住民の嘆願で橋はそのまま在った。その橋は1807(文化4)年に祭に集まった人達が大勢殺到したことが契機になって“落橋事故”ということになってしまい、転落、死傷者、行方不明者が1400人以上にもなったと伝えられているという。そしてその後、橋は再建された。
明治時代には鉄橋化された。1897(明治30)年のことである。頑丈であったことから、1904(明治37)年には路面電車も橋を通った。そういう頑丈な鉄橋であった他方、橋底の基部や橋板に木材を使用していたことから、1923(大正12)年の<関東大震災>で拡がった大火災の中で橋が炎上してしまった。
そういう経過を辿った永代橋は、<関東大震災>の後の復興という流れの中、1926(大正15)年に現在の姿で登場している。
↓少し離れて視ると、背後に佃島のタワーマンション群が視えている…
↓非常に好い感じだ!
↓遊歩道を歩いて、橋の下を通り抜けた…
思い付いての散策で、こういう歴史在る橋梁を眺めるというのは愉しい。
雪交じり…:東京駅(2020.03.29)
東京駅に在って「車輌に雪が付着した」という状態の列車が到着することは、然程頻繁に見受けられることでもないであろう…
千葉駅で乗車した列車を東京駅の地下ホームで下りた後、「とりあえず…」と外に出てみた…
↓こういう様子が見受けられた…
↑東京駅の壮麗な駅舎の前は冷たく濡れていて、雪が舞っているのが画でも判る…やや大粒で湿った感じの淡い雪だった…
「とりあえず西…」と進んでいたが、「雪のため…」という「列車運行の乱れ」が生じてしまうのも不都合と考え、思い切って新幹線の列車に乗車してしまったのだった…
少し珍しい状況に出くわしたのは興味深いが…「次」が在るなら、もう少しだけはゆっくりしたい感だ…
千葉駅で乗車した列車を東京駅の地下ホームで下りた後、「とりあえず…」と外に出てみた…
↓こういう様子が見受けられた…
↑東京駅の壮麗な駅舎の前は冷たく濡れていて、雪が舞っているのが画でも判る…やや大粒で湿った感じの淡い雪だった…
「とりあえず西…」と進んでいたが、「雪のため…」という「列車運行の乱れ」が生じてしまうのも不都合と考え、思い切って新幹線の列車に乗車してしまったのだった…
少し珍しい状況に出くわしたのは興味深いが…「次」が在るなら、もう少しだけはゆっくりしたい感だ…
<KITTE>…(2020.03.29)
東京駅に至り着き、とりあえず屋外に出てみた。
あの煉瓦造の駅舎の直ぐ脇、<KITTE>からの眺望が好いと承知していたので「一寸だけ眺望を…」と思ったのだった…
そうは思ったが…眺望を愉しむことは叶わなかった…
↓施設1階は「通路」として通り抜けることは出来たが…「臨時休業」となっていて、上階に上がることは出来なかった…
制服姿の警備員が佇む様子が散見し、通行人も殆ど居ない状況だった…こういう様子…記録しておこうと思った…
あの煉瓦造の駅舎の直ぐ脇、<KITTE>からの眺望が好いと承知していたので「一寸だけ眺望を…」と思ったのだった…
そうは思ったが…眺望を愉しむことは叶わなかった…
↓施設1階は「通路」として通り抜けることは出来たが…「臨時休業」となっていて、上階に上がることは出来なかった…
制服姿の警備員が佇む様子が散見し、通行人も殆ど居ない状況だった…こういう様子…記録しておこうと思った…
E217系電車:東京駅(2020.03.29)
「総武・横須賀 快速」という列車は、かなり古い話しながら、自身が東京に在った学生時代に親しんだ「少し懐かしい…」感じのする存在だ。と言って、かなり御無沙汰なので、乗車した記憶が無い車輌での運行であったのだが…
千葉駅で乗車し、東京駅を目指した。見覚えが在るような、余り無いような中を進んだが…朝早い時点で降り続いていた雨が“雪”に切り替わり、車窓から見える街の一部が白く染まり始めていた…
↓そして列車は東京駅の地下に設えられた、「総武・横須賀 快速」が発着する場所に…若干のカーブを描く地下のホームに列車が並ぶ様は、少し見栄えが好いように思う…
↑それにしても…雪が付着した状態の車輌…「東京駅」では視る機会が少ないように思う…加えて「3月末頃」という時季でもある…
こういう「やや珍しい?」という状態を視て、改札口を目指して地上へ上がった…
千葉駅で乗車し、東京駅を目指した。見覚えが在るような、余り無いような中を進んだが…朝早い時点で降り続いていた雨が“雪”に切り替わり、車窓から見える街の一部が白く染まり始めていた…
↓そして列車は東京駅の地下に設えられた、「総武・横須賀 快速」が発着する場所に…若干のカーブを描く地下のホームに列車が並ぶ様は、少し見栄えが好いように思う…
↑それにしても…雪が付着した状態の車輌…「東京駅」では視る機会が少ないように思う…加えて「3月末頃」という時季でもある…
こういう「やや珍しい?」という状態を視て、改札口を目指して地上へ上がった…
<のぞみ>…:東京駅(2020.03.29)
東京を通過しながら、少し西へ進むという意図が在ったのだが…身体が濡れて弱った感じであったことに加えて、雪で列車運行に乱れが生じる可能性を排し悪いと見受けられる状況であったことから、若干早めに西へ移動することとした…「雪から逃げる」というような気もしたが…
↓些かの運休も生じているという新幹線の列車だが、それでも「随分な運航頻度だ…」と感心する程度に列車は発着していた…
↑京都まで乗車することにした<のぞみ>である…
↓このホームの辺りの普段の状況も承知しているので、この日の様子は「酷く空いている…」という感ではあった…
列車内は「多少空いている?」というような状態ではあったが、運行は「何時もの如く…」で、京都までは非常に快適な移動であった…
↓些かの運休も生じているという新幹線の列車だが、それでも「随分な運航頻度だ…」と感心する程度に列車は発着していた…
↑京都まで乗車することにした<のぞみ>である…
↓このホームの辺りの普段の状況も承知しているので、この日の様子は「酷く空いている…」という感ではあった…
列車内は「多少空いている?」というような状態ではあったが、運行は「何時もの如く…」で、京都までは非常に快適な移動であった…
東京の眺望…:羽田空港周辺(2019.06.01)
このところ…時間を設けて日本国内の諸地域(=北海道以外)を訪ねようというような場合、何となく関西方面を目指す場合が多いと思う。
対して…首都圏方面は「敢えて」という程度に意識しているのでもないが、何となく「素通り」が多い。あの方面を目指して出掛けるという人が多い筈だから、私一人位が「素通り」してみようとするのも「在り…」のような気がする。そういうことで、何となく「東京辺りは少々御無沙汰?」というような按配だが、戯れに「東京?私は“出入禁止”かもしれない…」と嘯いてみる場合も在る…
少し久し振りな感じだが、羽田空港に着陸する飛行機を利用する機会が在った…
↓羽田空港周辺で、高度を下げている飛行機の窓から眺めた光景だ…
↑右側に<スカイツリー>の姿が見えて、遠くに東京の街並みが視え、手前は何やら船が動き回っている…
時には…こういう様子を何となく眺めるのも悪くないかもしれない…
対して…首都圏方面は「敢えて」という程度に意識しているのでもないが、何となく「素通り」が多い。あの方面を目指して出掛けるという人が多い筈だから、私一人位が「素通り」してみようとするのも「在り…」のような気がする。そういうことで、何となく「東京辺りは少々御無沙汰?」というような按配だが、戯れに「東京?私は“出入禁止”かもしれない…」と嘯いてみる場合も在る…
少し久し振りな感じだが、羽田空港に着陸する飛行機を利用する機会が在った…
↓羽田空港周辺で、高度を下げている飛行機の窓から眺めた光景だ…
↑右側に<スカイツリー>の姿が見えて、遠くに東京の街並みが視え、手前は何やら船が動き回っている…
時には…こういう様子を何となく眺めるのも悪くないかもしれない…
羽田空港ターミナルビル内(2019.06.01)
羽田空港に着いてから先…然程詳しい予定は立てず…「成行き…」で動こうと思っていたが…何となく横浜辺りへ出ようと思った…西へ向かうつもりで、とりあえず横浜駅で切符を入手しようと思っていたのだった…
羽田空港から横浜?京急の列車で移動するのが好い…地下の駅に入れば好い訳だが…何やらターミナルビルに入るまでに酷く時間を要した感だった…
↓京急の駅へ出ようと階下に降り、何となく一息入れて見上げた…
↑何となくSF系の作品に出て来る「未来の都市」というようなモノを想起してしまう雰囲気だ…
↓少し角度を変えて眺めたが…エレベーターが動くパイプ状の箇所が…仰々しい感じに見える…
「久し振りの羽田空港…」という小さな感慨は在ったが…何となく、素早く過ぎ去った感じである…何時か、ここでゆっくり写真でも撮るのも悪くないのかもしれない…
羽田空港から横浜?京急の列車で移動するのが好い…地下の駅に入れば好い訳だが…何やらターミナルビルに入るまでに酷く時間を要した感だった…
↓京急の駅へ出ようと階下に降り、何となく一息入れて見上げた…
↑何となくSF系の作品に出て来る「未来の都市」というようなモノを想起してしまう雰囲気だ…
↓少し角度を変えて眺めたが…エレベーターが動くパイプ状の箇所が…仰々しい感じに見える…
「久し振りの羽田空港…」という小さな感慨は在ったが…何となく、素早く過ぎ去った感じである…何時か、ここでゆっくり写真でも撮るのも悪くないのかもしれない…
羽田空港…(2019.06.01)
飛行機が着陸した辺りで…<X-Pro2>に広角ズームを装着し「空港の外に出てから出くわす様々な光景を撮り易いように…」ということにしていた…
降機する段取りで待っていれば…「ターミナルビルへバスに乗って」という案内が流れた…
広い空港の「何処?!」というような感じの場所にある建物に入って、そこでバスに乗車した…
↓バスの窓から空港内の様子を眺めていた…
こういう空港内の様子を視ながらバスで走るのは好いが…バスの進路と、駐機場の飛行機が動く場所とが交差する箇所を通過せねばならなかった様子で、妙に長くバスが停車していた…バスを下車する地点に至るまでに随分と時間を要し…地下の鉄道駅まで30分弱も要してしまったのだった…
こういうのも…「旅の思い出」というものであろう…
降機する段取りで待っていれば…「ターミナルビルへバスに乗って」という案内が流れた…
広い空港の「何処?!」というような感じの場所にある建物に入って、そこでバスに乗車した…
↓バスの窓から空港内の様子を眺めていた…
こういう空港内の様子を視ながらバスで走るのは好いが…バスの進路と、駐機場の飛行機が動く場所とが交差する箇所を通過せねばならなかった様子で、妙に長くバスが停車していた…バスを下車する地点に至るまでに随分と時間を要し…地下の鉄道駅まで30分弱も要してしまったのだった…
こういうのも…「旅の思い出」というものであろう…
羽田空港のターミナルビル内(2019.06.01)
<成田エクスプレス>:品川駅(2019.02.23)
成田空港の地下に設けられた駅で乗客を乗せる時は12輛編成の<成田エクスプレス>は、東京駅で6輛編成の列車2本に切り離し、2本は各々の行先を目指す…
↓切り離された“前方”の6輛は東京駅を出て、直ぐに品川駅に至る…
↑列車から下りて、ホームに停車中の車輛を眺めた…
↓そして出発する列車を見送った…
↑こうやって…少し落ち着いて眺めると、なかなか美しいデザインの車輛だと思った…“イマドキ風”なようだが、何処となく「旧き善き特急型電車」の雰囲気が多少在るような…そういう気がするデザインだと思った…
この後…東京のJRでは頻繁に出くわす「跨線橋を渡って〇〇線に乗換え」と然程変わらない要領で新幹線の列車に…「成田空港上陸」の場合に「御馴染み…」な感じになった…
↓切り離された“前方”の6輛は東京駅を出て、直ぐに品川駅に至る…
↑列車から下りて、ホームに停車中の車輛を眺めた…
↓そして出発する列車を見送った…
↑こうやって…少し落ち着いて眺めると、なかなか美しいデザインの車輛だと思った…“イマドキ風”なようだが、何処となく「旧き善き特急型電車」の雰囲気が多少在るような…そういう気がするデザインだと思った…
この後…東京のJRでは頻繁に出くわす「跨線橋を渡って〇〇線に乗換え」と然程変わらない要領で新幹線の列車に…「成田空港上陸」の場合に「御馴染み…」な感じになった…
品川駅:東海道新幹線(2018.05.19)
成田空港に到着後「直ちに移動…」ということにして、ターミナル地下の駅へ入った。
JRの窓口で申し出れば、何処へなりと行くために必要な切符を求めることが叶う。「東京駅に出て、新幹線に乗って大阪へ…」と申し出たところ…「御乗換は品川駅が便利で楽です。新幹線ホームの隣りに<成田エクスプレス>が着くので、階段を上がると直ぐに新幹線改札口です。特に急がなくても余裕を持って御利用頂ける筈です」と丁寧に駅員さんが教えてくれた。
その駅員さんの提言を容れて品川駅から新幹線に乗車することにしたが…なるほど、学生時代に東京で「山手線で動いて、京浜東北線に乗換」ということをした時と大差が無く、「何処をどういうように?どの位上がる?」という雰囲気にもなる「東京駅で<成田エクスプレス>から新幹線」というよりも好かった。“次回”が在れば、また利用しよう等と思っていた…
↓そんなことを思っていれば、乗車予定の<のぞみ>…「博多行」の姿が見え始めた…
↓特徴的な形状の車輛を先頭に、長大な編成の列車が減速しながら入って来る…
↑そういう様子は「如何にも“新幹線”」なのだが…駅自体の雰囲気は、東京駅で感じられるような「遙か遠くの街へ出発する場所」という風情でもない…何となく「近隣の主要な都市間を結ぶ私鉄か何かの駅」という風情だと思った…
↓編成が長いので、列車の先頭が大き目に視える位まで近付くまでにやや時間を要する…これが「新幹線らしい」感じだ…最近は、各地の列車の編成は寧ろ短めになっているような気がして、益々そういうように感じるのであろう…
↑尤も、利用した<のぞみ>は新幹線の各列車で最長の16輛編成だ…東北新幹線に17輛編成も在るが、あれは途中で切り離す2本の列車を連結して動かしているモノで、「10輛+7輛」であり、端から端まで中を動くことが出来るでもない仕掛けだ。(それでも出発の東京駅で「17輛」を視ると壮観ではある…)<のぞみ>の場合は、実際には車内販売担当者でもなければやらないことであろう―実際には分担が決まっていて、そういう状況は無いのかもしれない?―が、1号車から16号車まで中を動くことも可能ではある…
新幹線の列車…個人的には度々に利用するでもないのだが…何か「何処かへ行きたい…」という感が強く湧き起こるモノである…
JRの窓口で申し出れば、何処へなりと行くために必要な切符を求めることが叶う。「東京駅に出て、新幹線に乗って大阪へ…」と申し出たところ…「御乗換は品川駅が便利で楽です。新幹線ホームの隣りに<成田エクスプレス>が着くので、階段を上がると直ぐに新幹線改札口です。特に急がなくても余裕を持って御利用頂ける筈です」と丁寧に駅員さんが教えてくれた。
その駅員さんの提言を容れて品川駅から新幹線に乗車することにしたが…なるほど、学生時代に東京で「山手線で動いて、京浜東北線に乗換」ということをした時と大差が無く、「何処をどういうように?どの位上がる?」という雰囲気にもなる「東京駅で<成田エクスプレス>から新幹線」というよりも好かった。“次回”が在れば、また利用しよう等と思っていた…
↓そんなことを思っていれば、乗車予定の<のぞみ>…「博多行」の姿が見え始めた…
↓特徴的な形状の車輛を先頭に、長大な編成の列車が減速しながら入って来る…
↑そういう様子は「如何にも“新幹線”」なのだが…駅自体の雰囲気は、東京駅で感じられるような「遙か遠くの街へ出発する場所」という風情でもない…何となく「近隣の主要な都市間を結ぶ私鉄か何かの駅」という風情だと思った…
↓編成が長いので、列車の先頭が大き目に視える位まで近付くまでにやや時間を要する…これが「新幹線らしい」感じだ…最近は、各地の列車の編成は寧ろ短めになっているような気がして、益々そういうように感じるのであろう…
↑尤も、利用した<のぞみ>は新幹線の各列車で最長の16輛編成だ…東北新幹線に17輛編成も在るが、あれは途中で切り離す2本の列車を連結して動かしているモノで、「10輛+7輛」であり、端から端まで中を動くことが出来るでもない仕掛けだ。(それでも出発の東京駅で「17輛」を視ると壮観ではある…)<のぞみ>の場合は、実際には車内販売担当者でもなければやらないことであろう―実際には分担が決まっていて、そういう状況は無いのかもしれない?―が、1号車から16号車まで中を動くことも可能ではある…
新幹線の列車…個人的には度々に利用するでもないのだが…何か「何処かへ行きたい…」という感が強く湧き起こるモノである…
<やまびこ>の出発:東京駅(2018.02.22)
<のぞみ>の入線:東京駅(2018.02.22)
<成田エキスプレス>は、空港地下の駅を出ると、東京駅まで停車しない「直通」な列車だった…が、地下深くのホームに到着するので、東京駅で乗車する新幹線の列車に関しては「概ね到着の45分後」ということにして、ゆっくりと新幹線ホームを目指した…
地下深くから何本もエスカレーターを使って上がり、地上に至って新幹線乗場に至った…11月に利用した<はやぶさ>に乗るためのホームに入る改札とは違う改札から、<のぞみ>が発着するホームに入らなければならない。<はやぶさ>はJR東日本で、<のぞみ>はJR東海だ。“東京駅”は形式として「“JR東日本”、“JR東海”両社の駅」という訳だ…
↓実際に乗車したのは、長い編成の半ばからやや前方に寄った7号車だったが、敢えて列車の最後尾側に立って入線する様子を見守った…
↑弧を描くホーム…右側は“JR東日本”のエリアで、長野方面へ向かう列車が待機している…その脇を<のぞみ>のN700系が悠然と進んでいる…この列車を担当する乗務員が、立って列車の入線を待っている様子も見受けられる…
↓かなり近づいた…
↑特徴的なN700系の編成先頭の形状が判り易い…
↓停車直前にかなり減速している…
↓完全に停車した…
この後、乗車可能になって扉が開く…発車まで15分程度待機している…ゆっくりと、自身が乗車する7号車を目指した…
地下深くから何本もエスカレーターを使って上がり、地上に至って新幹線乗場に至った…11月に利用した<はやぶさ>に乗るためのホームに入る改札とは違う改札から、<のぞみ>が発着するホームに入らなければならない。<はやぶさ>はJR東日本で、<のぞみ>はJR東海だ。“東京駅”は形式として「“JR東日本”、“JR東海”両社の駅」という訳だ…
↓実際に乗車したのは、長い編成の半ばからやや前方に寄った7号車だったが、敢えて列車の最後尾側に立って入線する様子を見守った…
↑弧を描くホーム…右側は“JR東日本”のエリアで、長野方面へ向かう列車が待機している…その脇を<のぞみ>のN700系が悠然と進んでいる…この列車を担当する乗務員が、立って列車の入線を待っている様子も見受けられる…
↓かなり近づいた…
↑特徴的なN700系の編成先頭の形状が判り易い…
↓停車直前にかなり減速している…
↓完全に停車した…
この後、乗車可能になって扉が開く…発車まで15分程度待機している…ゆっくりと、自身が乗車する7号車を目指した…
老舗の“サンドウヰッチ”:<はやぶさ>の車内販売(2017.11.19)
「6時半の列車で出発…」と「5時過ぎに宿の辺りから動き始める」というようなことをして東京駅を目指したが…東京都内では、何となく広く見受けられるような気がする、「24時間営業の飲食店」に出くわすでもないままに東京駅に至ってしまった…
東京駅では、夜明け前の建物の風情を愛で、各地へ向かう列車の色々な型の車輛を眺め、「これだ!」と待っていた<はやぶさ>の登場する様を視て、「さて…」とゆっくり乗車した。
全席指定の列車で、券を求めた際には「進行方向の右の窓側が楽―左は「アクシデント」の影響が在る…右であれば、座席背もたれや窓際に身体を預けるようにし易い…―だと思うので、もし空きが在れば…」と窓口の係員にお願いしてみた。出て来た指定席は「6号車6番A」というモノ…“6”が好きな数字なので、何か妙に嬉しい…そして、要望のとおりの「右の窓側」だった。
特段に朝食も摂らずに<はやぶさ>に乗車し、「敢えて少し時間を設けた新函館北斗駅で、軽く早めなランチを…」程度に考え、上野駅の地下に潜ってから東京の北東部を抜けて大宮駅へ向かって「速く流れる」車窓をぼんやりと視ていた…
そうしていれば…何やら声がするので、そちらに目線を向けると…車内販売が現れた!車内販売が在る列車…久し振りに乗車した感じだった…
↓「珈琲と…サンドイッチ…」と申し出て求めたのがこれである…
↑<大船軒>という老舗が出しているというサンドイッチ…<鎌倉ハム>という、これもまた老舗の具材を使っているらしい…そして箱には“サンドウヰッチ”とやや古風な綴り方のロゴが入っている…
↓開けてみればこういう具合だ…
↑「古き善き…」という雰囲気のサンドイッチだ!ハムを挟んだモノと、チーズを挟んだモノが在った。パンは白く柔らかい部分を使っている…昔…「サンドイッチ用」と称して「食パンを薄くカットして耳を落とす」というのが在ったと記憶するが、正しくそのスタイルだ…
<大船軒>は鎌倉市の大船駅が開業したような頃に登場し、弁当の製造販売を手掛けて現在に至っているそうだ。創業者が政府要人であった黒田清隆と話す機会が在り、黒田清隆が「サンドイッチというモノが在って、なかなか好い」と薦めたらしく、「恐らく日本で初めて」という「広く市販されるサンドイッチ」が登場したのだという…それが、この<はやぶさ>の車内販売で売られていた“サンドウヰッチ”だ。“サンドウヰッチ”の初登場は1899(明治32)年のことであったという…
“サンドウヰッチ”の箱を開けて、「古き善き…」という雰囲気を感じたのも、登場経過を知れば納得である。或いは、この“サンドウヰッチ”が「サンドイッチとはこういうようなモノ」という「モデル」になって、方々に普及したとも見受けられる…
現在…「アクシデント」の故に「片手で摘まむ…」というサンドイッチは有難い…が、そもそもサンドイッチは「カードゲームに興じながら、片手で摘まむ軽食」として考案されたと、かなり以前に何かで読んだ記憶も在る…
こういう「古き善き…」という雰囲気のモノ…好い!
東京駅では、夜明け前の建物の風情を愛で、各地へ向かう列車の色々な型の車輛を眺め、「これだ!」と待っていた<はやぶさ>の登場する様を視て、「さて…」とゆっくり乗車した。
全席指定の列車で、券を求めた際には「進行方向の右の窓側が楽―左は「アクシデント」の影響が在る…右であれば、座席背もたれや窓際に身体を預けるようにし易い…―だと思うので、もし空きが在れば…」と窓口の係員にお願いしてみた。出て来た指定席は「6号車6番A」というモノ…“6”が好きな数字なので、何か妙に嬉しい…そして、要望のとおりの「右の窓側」だった。
特段に朝食も摂らずに<はやぶさ>に乗車し、「敢えて少し時間を設けた新函館北斗駅で、軽く早めなランチを…」程度に考え、上野駅の地下に潜ってから東京の北東部を抜けて大宮駅へ向かって「速く流れる」車窓をぼんやりと視ていた…
そうしていれば…何やら声がするので、そちらに目線を向けると…車内販売が現れた!車内販売が在る列車…久し振りに乗車した感じだった…
↓「珈琲と…サンドイッチ…」と申し出て求めたのがこれである…
↑<大船軒>という老舗が出しているというサンドイッチ…<鎌倉ハム>という、これもまた老舗の具材を使っているらしい…そして箱には“サンドウヰッチ”とやや古風な綴り方のロゴが入っている…
↓開けてみればこういう具合だ…
↑「古き善き…」という雰囲気のサンドイッチだ!ハムを挟んだモノと、チーズを挟んだモノが在った。パンは白く柔らかい部分を使っている…昔…「サンドイッチ用」と称して「食パンを薄くカットして耳を落とす」というのが在ったと記憶するが、正しくそのスタイルだ…
<大船軒>は鎌倉市の大船駅が開業したような頃に登場し、弁当の製造販売を手掛けて現在に至っているそうだ。創業者が政府要人であった黒田清隆と話す機会が在り、黒田清隆が「サンドイッチというモノが在って、なかなか好い」と薦めたらしく、「恐らく日本で初めて」という「広く市販されるサンドイッチ」が登場したのだという…それが、この<はやぶさ>の車内販売で売られていた“サンドウヰッチ”だ。“サンドウヰッチ”の初登場は1899(明治32)年のことであったという…
“サンドウヰッチ”の箱を開けて、「古き善き…」という雰囲気を感じたのも、登場経過を知れば納得である。或いは、この“サンドウヰッチ”が「サンドイッチとはこういうようなモノ」という「モデル」になって、方々に普及したとも見受けられる…
現在…「アクシデント」の故に「片手で摘まむ…」というサンドイッチは有難い…が、そもそもサンドイッチは「カードゲームに興じながら、片手で摘まむ軽食」として考案されたと、かなり以前に何かで読んだ記憶も在る…
こういう「古き善き…」という雰囲気のモノ…好い!
<かがやき>:東京駅(2017.11.19)
乗車予定の<はやぶさ>が発車する筈のホームでは、15分位前に別な列車が出ることが判った。
その列車をのんびりと眺め、「行ってらっしゃい!!」と見送れば、待ち望んだ<はやぶさ>が登場する手筈だ…
↓そう思った辺りで、列車の入線に関して注意喚起の構内放送が流れ、列車が登場した…
↑金沢へ向かう列車だ!未だ真新しい感じもする車輛である…
「土曜日の早朝」ということで、この列車の乗客には“出張”という雰囲気の人達は余り目立たず、国内外の色々な旅行者が見受けられた…
↓ホームの反対側まで歩き、先頭車輛により近い位置で眺めてみた…
この列車が向かう金沢…首都圏からのアクセスが格段に好くなったと、大変に賑わっているらしい…自身、あの辺りに関しては「日本海岸縦断ルート」を移動した際に通過しただけで、未踏の地のようなものである…何時かこの<かがやき>に乗車してみたいと思った…
その列車をのんびりと眺め、「行ってらっしゃい!!」と見送れば、待ち望んだ<はやぶさ>が登場する手筈だ…
↓そう思った辺りで、列車の入線に関して注意喚起の構内放送が流れ、列車が登場した…
↑金沢へ向かう列車だ!未だ真新しい感じもする車輛である…
「土曜日の早朝」ということで、この列車の乗客には“出張”という雰囲気の人達は余り目立たず、国内外の色々な旅行者が見受けられた…
↓ホームの反対側まで歩き、先頭車輛により近い位置で眺めてみた…
この列車が向かう金沢…首都圏からのアクセスが格段に好くなったと、大変に賑わっているらしい…自身、あの辺りに関しては「日本海岸縦断ルート」を移動した際に通過しただけで、未踏の地のようなものである…何時かこの<かがやき>に乗車してみたいと思った…
<つばさ>:東京駅(2017.11.19)
有り勝ちな「小さな失敗」の原因として、「慌ててしまった結果…」という割合は高いように思う…
そういう訳で…“始発”の<はやぶさ>に乗車すべく東京駅へ出るのに「十二分な余裕」を見て、夜を明かした宿を出た…
4時間を少々超える乗車時間だ。車内での「居眠り…」というのも結構な訳で、やや浅かったかもしれない、また短めだったかもしれない睡眠であったが「夜明前…」な東京都内を移動した…
着いてみた東京駅の新幹線ホーム…JR東日本によって運転されている列車が発着するエリアにかなり早く入った…奥まった場所で座っているよりも、ホームに出て、出入りする色々な車輛を眺めて過ごす位が愉しいというものだ…
↓山形県方面へ向かう列車…短い編成であり、長大なホームの半ば位までに収まっている…
↑以前、この山形県方面の列車は「銀色に緑のアクセント」という塗装だった記憶も在るのだが…何やらイメージが随分と変わった感じだ…
未だ早朝で、方々から乗客を乗せて到着する方の列車は見受けられないのだが、随分と多くの列車が“回送”の型で東京駅ホームに現れ、待ち受けた乗客達を載せて続々と出発していた…
そういう訳で…“始発”の<はやぶさ>に乗車すべく東京駅へ出るのに「十二分な余裕」を見て、夜を明かした宿を出た…
4時間を少々超える乗車時間だ。車内での「居眠り…」というのも結構な訳で、やや浅かったかもしれない、また短めだったかもしれない睡眠であったが「夜明前…」な東京都内を移動した…
着いてみた東京駅の新幹線ホーム…JR東日本によって運転されている列車が発着するエリアにかなり早く入った…奥まった場所で座っているよりも、ホームに出て、出入りする色々な車輛を眺めて過ごす位が愉しいというものだ…
↓山形県方面へ向かう列車…短い編成であり、長大なホームの半ば位までに収まっている…
↑以前、この山形県方面の列車は「銀色に緑のアクセント」という塗装だった記憶も在るのだが…何やらイメージが随分と変わった感じだ…
未だ早朝で、方々から乗客を乗せて到着する方の列車は見受けられないのだが、随分と多くの列車が“回送”の型で東京駅ホームに現れ、待ち受けた乗客達を載せて続々と出発していた…
<はやぶさ>の入線:東京駅(2017.11.19)
早朝の東京駅新幹線ホーム…JR東日本による運行の各列車が発着する場所と、JR東海による運行の各列車が発着する場所に分かれている…両者の間に“チェックゲート”が設けられているということも、以前に一度だけ京都・新青森間を新幹線列車の乗継で動いた経験が在るので承知している…
今般…JR東日本の乗場に入った…
早朝なので、何処かの街から東京へ向かって来て到着した列車は見当たらないが…方々へ向かう「一日の始発?または2本目?」という列車が“回送”の型で順次現れ、「御乗車頂けます」という態勢になれば、色々な乗客が順次乗車して行く…列車は各地へ向けて、淡々と出発する…
利用する<はやぶさ>は、盛岡駅で切り離す秋田行の<こまち>を連結し、「17輛編成」という状態で現れると知った…<はやぶさ>の先頭車が現れる側を案内モニターで確認し、海底トンネルを越えて北を目指す列車が現れるのを待った…
↓カーブも在る長大なホーム…「列車が到着しています」という構内放送が聞こえても、なかなか姿が視えない…更に、猛禽の名を列車愛称にした車輛が「翼を広げる」ように高速走行出来るような状態でもない…ゆったりとその姿が視野に入るまで、存外に時間を要した…
↓列車に乗り込む乗務員が待機している辺りに車輛が近付く…
↓高速走行の実現に向けてデザインされ、丹念に造り込まれた車輛の先端部…凄まじく長い…
↑<X100F>のレンズの画角を食み出す長さだ…
この<はやぶさ>…「鳥が滑空?」というように、快適に走る列車だった…
今般…JR東日本の乗場に入った…
早朝なので、何処かの街から東京へ向かって来て到着した列車は見当たらないが…方々へ向かう「一日の始発?または2本目?」という列車が“回送”の型で順次現れ、「御乗車頂けます」という態勢になれば、色々な乗客が順次乗車して行く…列車は各地へ向けて、淡々と出発する…
利用する<はやぶさ>は、盛岡駅で切り離す秋田行の<こまち>を連結し、「17輛編成」という状態で現れると知った…<はやぶさ>の先頭車が現れる側を案内モニターで確認し、海底トンネルを越えて北を目指す列車が現れるのを待った…
↓カーブも在る長大なホーム…「列車が到着しています」という構内放送が聞こえても、なかなか姿が視えない…更に、猛禽の名を列車愛称にした車輛が「翼を広げる」ように高速走行出来るような状態でもない…ゆったりとその姿が視野に入るまで、存外に時間を要した…
↓列車に乗り込む乗務員が待機している辺りに車輛が近付く…
↓高速走行の実現に向けてデザインされ、丹念に造り込まれた車輛の先端部…凄まじく長い…
↑<X100F>のレンズの画角を食み出す長さだ…
この<はやぶさ>…「鳥が滑空?」というように、快適に走る列車だった…
夜明前の東京駅(2017.11.19)
<ニコライ堂>こと<東京復活大聖堂>(2017.11.18)
JR東日本の浅草橋駅から東京駅へ向かう場合、乗換は要るものの、御茶ノ水駅が「途中」であることに思い至った…
御茶ノ水駅と言えば…
↓こういうモノが在ったことを思い出し、何か妙に懐かしくなって、寄り道して眺めてしまった…
↑日本最大の正教会の聖堂で、「全日本の府主教」が管轄する「首座主教座教会」という格式を持つ…<東京復活大聖堂>という正式名称で、ロシア語では<Воскресенский собор (Токио)>とか<Собор Воскресения Христова>と呼ぶようだが…創建者に因んだ<ニコライ堂>の通称で知られる…
日本でのロシア正教の布教に尽力したニコライ・カサートキンが中心となり、1884年に起工して1891年に竣工して成聖式が催されている…
1923年の関東大震災で聖堂は被災してしまったが、1924年には改修・再建を決した。1927年から1929年に工事が行われ、当初とは少し外観が変わっている。それが現在に至っているこの建物だ…
↓聖堂はやや高くなった場所に建っている…
↓現在では「ビルの谷間の旧い建築」という趣だが、創建されたような時代には相当に目立ったことであろう…
↓硝子扉を据えた入口の感じが美しかった…
↑土曜の夕べの祈りが行われる時間帯なので、中の見学は遠慮した…
ニコライがロシア正教を布教した経過の中では、かの坂本龍馬の従兄弟ということにもなる、最初期の日本人信者で司祭になった沢辺琢磨との箱館での出会い等、面白い挿話も多い。日本語や日本の色々な事を研究するニコライを「“密偵”の活動を行う不逞な外国人」と考えた沢辺琢磨は、江戸の桃井道場で磨いた県の腕前を駆使して「斬るべし…」と考えていた。帯刀してニコライに会いに行けば、正々堂々、理路整然と自身の活動を語るニコライに魅せられ、ニコライが奉じる正教を学んでみるべきということになって行ったのだという…
素晴らしい建築と、それが登場した背後に在る日ロ交流史の中の物語…一寸、「寄道したい…」雰囲気の場所だが、かなり久々に寄ってみたのだった…
御茶ノ水駅と言えば…
↓こういうモノが在ったことを思い出し、何か妙に懐かしくなって、寄り道して眺めてしまった…
↑日本最大の正教会の聖堂で、「全日本の府主教」が管轄する「首座主教座教会」という格式を持つ…<東京復活大聖堂>という正式名称で、ロシア語では<Воскресенский собор (Токио)>とか<Собор Воскресения Христова>と呼ぶようだが…創建者に因んだ<ニコライ堂>の通称で知られる…
日本でのロシア正教の布教に尽力したニコライ・カサートキンが中心となり、1884年に起工して1891年に竣工して成聖式が催されている…
1923年の関東大震災で聖堂は被災してしまったが、1924年には改修・再建を決した。1927年から1929年に工事が行われ、当初とは少し外観が変わっている。それが現在に至っているこの建物だ…
↓聖堂はやや高くなった場所に建っている…
↓現在では「ビルの谷間の旧い建築」という趣だが、創建されたような時代には相当に目立ったことであろう…
↓硝子扉を据えた入口の感じが美しかった…
↑土曜の夕べの祈りが行われる時間帯なので、中の見学は遠慮した…
ニコライがロシア正教を布教した経過の中では、かの坂本龍馬の従兄弟ということにもなる、最初期の日本人信者で司祭になった沢辺琢磨との箱館での出会い等、面白い挿話も多い。日本語や日本の色々な事を研究するニコライを「“密偵”の活動を行う不逞な外国人」と考えた沢辺琢磨は、江戸の桃井道場で磨いた県の腕前を駆使して「斬るべし…」と考えていた。帯刀してニコライに会いに行けば、正々堂々、理路整然と自身の活動を語るニコライに魅せられ、ニコライが奉じる正教を学んでみるべきということになって行ったのだという…
素晴らしい建築と、それが登場した背後に在る日ロ交流史の中の物語…一寸、「寄道したい…」雰囲気の場所だが、かなり久々に寄ってみたのだった…