鉄道会社による「5月9日」の飾り(2018.05.06)

↓ウラジオストク駅の傍、<РЖД>という鉄道会社のロゴも視えた建物に掲出されていた幕だ…
Vladivostok on 06-05-2018 (2)
↑5月に入ると、対独戦の終戦である「5月9日」に関連する飾りが方々に出る。これもそうした例の一つだ…

ロシアの鉄道関係者の中には「鉄道を担った先達は、“勝利”を運ぼうと奮闘を続けた」という想いが強いようだ。ウラジオストク駅にも往時の機関車が展示されているのだが、戦時に鉄道は人員や物資の輸送手段として大いに活躍したのだ…

この飾りの幕も、そういう鉄道関係者の想いが反映されているようで、ウラジオストク駅にも在るような型の機関車が描かれている…

機関車の上を、平和の象徴たる鳩が舞っているが…鉄道は平和な時代に人々の夢や物語を運ぶような存在である方が、当然ながら望ましいものではあると思える…が、平和をもたらそうと、戦時に必要な輸送活動を必死に担ったという歴史は忘れる訳にも行かない…

色々と考えながら、思わず足を停めて眺めたのだった…

キュリロス(キリル)とメトディオス(メフォディ)の像(2018.05.04)

↓ウラジオストクの金角湾を一望する高台に据えられている像である…
Vladivostok on 04-05-2018 (33)
↑2人は9世紀後半にスラブ語圏に正教を伝えたとされる宣教師だった兄弟である。

更に、彼らは正教の教えを伝えるという目的のために、スラブ語を綴るための文字を初めて考案したとされる。

当初の文字は「グラゴル文字」と呼ばれるやや煩雑な形状のモノだったが、ギリシア文字の影響も受けながらより使い易い文字が工夫されて行った。それが「キュリロスの文字」と呼び習わされ、10世紀頃には使われていたらしい。そして文字は「キリル文字」と呼ばれて行くことになる…

その後正教はロシアに伝播し、938年にキエフ大公ウラジーミル1世が正教を受容れたことが契機となって、キリル文字がロシアで広く使用されて行くこととなる…

ロシアではその後、18世紀のピョートル大帝の時代に活字が整備され、それが現在に至る文字の直接的な前身で、1917年の革命後に現在も使われるロシア語のアルファベットが定まった…

そういうロシアで主流を占めるようになった正教の伝播に関わった2人の聖人達が、ウラジオストクを見守り続けているということになる…

コルチャーク提督のプレート:ウラジオストク(2018.05.06)

↓ウラジオストクの客船ターミナルの建物の隅、外壁にプレートが在ったのを眼に留めた…
Vladivostok on 06-05-2018 (23)
↑未だ新しい感じがしたプレートだった…眺めてみて…「おぉ!」と驚いた…かのアレクサンドル・ワシーリエヴィチ・コルチャーク提督のプレートであった…

ロシアの街で、こういうようなプレートそのものは珍しいということもない…

よく在るのは、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等のビルに、その場所で活躍した先達の功労を伝え、敬意を表する意味で掲げられているプレートである。さもなければ、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるプレートという場合も在る…こうしたモノはユジノサハリンスクに在っても視掛けるが、ウラジオストクでも色々と視掛けた…

前者の、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等で先達の功労を伝え、敬意を表するというモノに関しては…些か申し訳ないのだが「来訪者の目線」では判り悪い場合の方が多い…対して、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるようなモノに関しては、時々気付いて「おぉ!」と驚く場合が在る。

コルチャーク提督のプレート…「日本国内の知名度」ということでは、“前者”に限りなく近いかもしれない…が、私自身は“後者”の一例と受け止め、足を停めて眺めた…

コルチャーク提督は、1917年の<十月革命>の後に生じた内戦で、革命側の「赤軍」に対して「白衛軍」と呼ばれた反革命勢力の代表を務めた人物である。1920年にイルクーツクで処刑されて最期を遂げているのだが、なかなかに興味深い人物である。

海軍軍人を輩出していた貴族の家の出で、当時のエリート士官のコースに乗って幼年学校(カデット)を経て海軍に入隊している。若き日には北極探検に参加した経過が在り、士官として水雷を用いる作戦の指揮で功績を挙げるというような場面も在ったという。日露戦争にも参加している…第1次大戦期には将官になっていて、黒海艦隊の司令官になっていたが、<2月革命>の後に解任されてしまった経過が在る。

このコルチャーク提督は、海軍軍人としてのキャリアの中でウラジオストクとも縁が深い人物である。最初の任地がウラジオストクであったというのだ…そして革命後、一旦アメリカに出た経過が在って、その後は横浜を経てウラジオストクからロシアに帰国し、内戦の<白衛軍>の指導者となって行くのだ…

このコルチャーク提督に関して…2008年にユジノサハリンスクに在った時、偶々映画館で上映中だった『アドミラル』という映画を観た。“アドミラル”は“提督”(=海軍の将官)のことであるが…この映画がコルチャーク提督の物語で、後に『提督の戦艦』という邦題で日本国内でDVDが出たそうだ…或いは、こういう作品を観るというのが、この人物を知る手っ取り早い方法かもしれない…

1990年代に入ろうとした頃の、ロシアでの「歴史との向き合い方」というようなモノが「揺れていた」という状態に関心を持っていたのだが…ソ連時代に「全面的な敵役」のように扱われていたであろう人物に関して、「所縁の街」の片隅にプレートが貼り付けられるようにまでなっている…序でに言えば、コルチャーク提督に関しては、イルクーツクで2004年に銅像も建てられたというが…

このコルチャーク提督のプレートを視て…「“時代”が通り過ぎ、交錯した港町」という印象を強くした…こんなモノに出くわしたことで、ウラジオストクに関しては「また何度でも訪ねたい…」という気分になる…

<GAZ-67B>(ГАЗ-67Б):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」には軍用車も在る…

↓「ジープ?」と視えるのだが…有名な<ジープ>とは少し違う…ソ連の自動車である…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (17)
↑これは確か、米国から供与を受けた<ジープ>が使い易い車輛であったことから、「ああいうのを国産で…」ということになって登場したモノが在って…この<GAZ-67B>はそれの改良型だった筈だ…

この車輛は1943年に登場し、1953年まで製造されたそうだ…

DHC-8-Q400:テイクオフ!:ウラジオストク空港(2018.05.06)

ウラジオストク空港で飛行機に搭乗…ユジノサハリンスク空港を目指すこととなる…

窓側の席が当たっていて、通路側に他の乗客は無い…酷く居心地は好いのだが…

↓窓から、着陸脚と滑走路の路面しか視えなかった…
'S7 4613' on 06-05-2018 (4)
↑飛行機は胴体の上に翼が在って、そこに機関部を提げている型で。機関部の下の着陸脚が出入りする仕掛けだ…天候が好転して光が強く、路面に機体の影がハッキリと視える…

こういう状況では…景色を愉しみ悪い…と些か不満を感じながら、ぼんやりと窓を眺めていた…

↓ゆったりと滑走路に入った機体は、離陸のために速度を上げ始めた…
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↓機体が浮いた…
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↓着陸脚が機体に収められて行く…
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こうして…私が乗った、S7航空とアエロフロート航空のコードシェアであり、アエロフロート航空とオーロラ航空のコードシェアでもあって、オーロラ航空の機材と乗員によって運航されているという、「些かややこしい?!」体裁の便はユジノサハリンスク空港を目指し始めた訳だ…

19世紀後半から20世紀初頭と見受けられる煉瓦:<ウラジオストク要塞博物館>(2018.05.05)

現在のウラジオストクの地域に、「要塞」の遺構が方々に在るということなのだが、その一つで比較的街中から訪ね易い辺りに博物館が整備されている。

<ウラジオストク要塞博物館>ということで、色々な時代の兵器が置かれていて、それが何となく目立つ感の場所ではあるのだが…寧ろ「街の発展の経過」の一部を、少し判り易く伝えてくれているような性質も在ると思えた…

↓こういうモノが展示されていた…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (15)
↑後から彫り込む?製造時に型枠になっている?その辺はよく判らないが…色々な文字や記号の刻印が在る古い煉瓦だ…

ウラジオストクで様々な施設が建設されて行く過程の中、利用されていた煉瓦ということなのであろう…

こういうモノ…他所では視た記憶が無い…

1869年のウラジオストクの地図:<ウラジオストク要塞博物館>(2018.05.05)

「要塞」というのは?「戦略上重要な地点を外敵から守る為に築かれた堅固な構築物」という程度の意味であろう…ウラジオストクというのは、その「要塞」という貌も持つ地域だ…

1860年に港と街とが拓かれて行くこととなるのだが、そうしたモノを護るべく「要塞」と呼ばれる防衛施設が整備されて行く…現在のウラジオストクの地域に、そういう「要塞」の遺構が方々に在るということなのだが、その一つで比較的街中から訪ね易い辺りに博物館が整備されている。

↓その博物館で視掛けた…旧い書体で「ウラジオストクのの図」と題が在る…その下辺りに「1869年」と小さく書き込まれている…今年、日本では「明治150年」等と言っているが、明治元年が1868年なので、1869年は明治2年ということだ…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (17)
↑この「1869年の地図」…やや地味な展示だったが、大変に興味深く眺めた!!

金角湾を囲むような陸地が描かれている。こういう図は上が北寄りというのが普通だ…図の左は西寄りに相当する筈であるが、「図に記される程度」の道路が整備され、「市街らしきモノが在った」と思われるのは「金角湾の北西側」だけである…

現在ではウラジオストク駅が在る辺り、<中央広場>になっている辺りは、この時期で市街化していたようだ。視ながら思い出したのは、1861年頃からウラジオストクに定住して「民間人として最初のウラジオストクの住民」と言われている企業家のヤコヴ・セミョーノフに関して、「1860年代から70年代に家が在ったと伝えられる場所」という小さな石碑を視たのも、<中央広場>の少し東に相当する辺りだったということだ…

こういう状態のウラジオストクが大きく発展して行ったのは、1890年代に鉄道建設が始まる後のようである…が、「街の歴史の黎明期」のようなこんな時期にも、既に「古くからの市街」とされる辺りは、現在も基礎が変わっていないと見受けられるような具合に街路が築かれていた訳だ…

<ウラジオストク要塞博物館>ということで、色々な時代の兵器が置かれていて、それが何となく目立つ感の場所ではあるのだが…寧ろ「街の発展の経過」の一部を、少し判り易く伝えてくれているような性質も在ると思えた…

こういう場所は貴重である…

アレウツカヤ通の風情(2018.05.06)

↓ウラジオストクを去る前、駅の辺りへ向かってアレウツカヤ通を歩いていて、何気なく足を停めた…朝からの曇天が俄かに好転し、何となく眩しい感じにもなっていたのだったが…
Vladivostok on 06-05-2018 (22)
↑上りや下りが複雑に入り乱れている坂道で構成されている街の、古くからの都心部の一隅を占めているアレウツカヤ通…やや凝った形の街灯が坂道に沿って並ぶ感じが好ましいと思った…右手に視える、少し年季が入った集合住宅らしい建物も味わいが在る…

偶々、4月も5月も駅の周辺から一寸上がった辺りの宿を利用した関係で、アレウツカヤ通は「到着直後から立ち去る直前まで」と随分多く歩く機会が在った…

確か…<アレウト>という船の乗員等が道路の整備に関わったという故事に因んで、<アレウト>が形容詞化して「アレウツカヤ通」と名付けられた…と聞いた…ソ連時代は、違う名前になっていたかもしれないが…最初に通を整備した人達は、この通が「車輛が溢れて渋滞する場面も見受けられる」ようになるとは想像もしなかったことであろう…

搭乗待合所のカフェ:ウラジオストク空港(2018.05.06)

↓カウンターでカプチーノを頼んで…各自席へ持って行く方式なので持って行ったが…その時に何気なく眼に留めたチーズケーキを後から追加…
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↑多少、ゆとりを持って空港入りし、手続や保安検査も然程混み合わなかった中、搭乗待合所もゆったりとしていた…

搭乗を待つまでの間…こうした「あづましい」感じ…何か非常に好いのだが…天候が好転していたウラジオストクを去るのが「少々惜しい…」と思いながら、極短い滞在を振り返っていた…

ペリメニの店:ウラジオストク スヴェトランスカヤ通(2018.05.06)

夕刻のウラジオストクに着いた日に、高台で景色を楽しんでからペリメニの店に入った。

なかなかに感じも好く、肝心のペリメニが美味かったので、「滞在中にもう一度…」と思った。お店の方に訊ねれば、特段に店休日は無く、毎日のように昼食時間帯の前から夜まで営業しているということだった。「日曜日の昼?」と訊ねれば、「勿論営業。但し、日曜日は平日に提供中の“ランチ”は無い」という話しだった。それはそれで結構である…

↓そして日曜日の昼、ウラジオストクを発つ前に再訪してみた…
Vladivostok on 06-05-2018 (3)
↑小麦粉を使って作るペリメニを提供する店…ということで、「小麦を育てて粉を作り…粉を使ってペリメニの生地を作る…」というイメージのディスプレイが店内に在る…

夜に寄った時にも気付いたが、他の来店客が多目だったので写真は遠慮していたが、今般は着席時点で多少空いていたので、ディスプレイの写真を撮っておいた。何となく「昔から在るような小麦粉の袋」が面白い…

↓黒ビールを頂きながら待っていれば、頼んだペリメニが運ばれて来た…
Vladivostok on 06-05-2018 (12)

↓「おばあさんのレシピ」と称し、ガーリックが具材に交じっているモノが、なかなかに気に入った…
Vladivostok on 06-05-2018 (10)
↑ペリメニは、「モチモチとした感じの生地」を使って、丁寧に具材を包み込んで作る。熱湯で加熱する「水餃子」風な作り方が主流のようだ…

↓「シベリア風」というスタンダードな代物は、「スープ入りに…」というようにオーダーしてみた。50ルーブル加算で出来るようになっている…
Vladivostok on 06-05-2018 (9)

↓この<コンデューム>というモノは、19世紀の料理で廃れてしまっていたというが、歴史家が再現したレシピを参照し、この店で出すようになったという代物…
Vladivostok on 06-05-2018 (11)
↑これも食べ易くで好かった…

ペリメニには何れも「スメタナ」(サワークリーム)が添えられる。他の調味料も、40ルーブル出すと添えられる。最初に寄った時には、全てのペリメニに「スメタナ」が添えられていることを知らなかったので、何となくマヨネーズを頼んだ…マヨネーズも好かったが…「スメタナ」を点けるのが妙に好い…

↓ペリメニの後、「ピラジョク」(ピロシキ)を「デザートの気分」で頼んでみた。
Vladivostok on 06-05-2018 (14)
↑右がキャベツ入りで、左がジャガイモ入り…何れも美味かった!

このペリメニの店…何となく「ウラジオストクの想い出の店」という感である…

>>Пельменная "Ложки-плошки", пельменная Владивосток(ウェブサイト-露語)

<パベーダ>(ГАЗ-М20):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」のコレクションは何れも興味深い…

↓<パベーダ>とは「勝利」を意味する語だが、この車輛に付けられた名でもある…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (33)
↑1946年から1958年まで製造されたという車輛…第2次大戦後、「勝利」という意味の名が付けられた、言わば「戦後の国威発揚」というような存在感が在る代物である…

これは「外国のノウハウを入れる」ということでもなく、「完全なソ連の国産」で製造された車輛であり、「初の本格的なソ連の国産車」ということになる代物で、製造総数は23万台を数えるのだという…

この<パベーダ>…フォードのノウハウが入って製造された<GAZ-M1>に比べ、飛躍的な技術的進歩が見受けられ、同時代の他国の車輛と比べても遜色が無いという代物であったようだ…

こういうような…「何を造ってきたか?」を伝えること…意外に大切であるように思う…そして、こうして伝えられたモノを視るのは面白い…

<GAZ-M1>(ГАЗ-М1):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」は「第2次大戦期辺りの車輛」も色々と在る…

↓この車輛!1936年から1943年に製造されたモノだという…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (15)
↑こういうような年代の車輛となると…“クラシックカー”という趣が濃くなる…

<GAZ>という自動車メーカーは、現在では旧名に復して二―ジニーノブゴロドと呼ばれている街、ソ連時代のゴーリキーに立地している。「ゴーリキー・アフト・ザヴォ―ド」(ゴーリキー自動車工場)の頭文字で<GAZ>だ。米国のフォード社から様々な機器を入れて、それを利用しながらソ連流のアレンジを加えて自動車製造を始めた経過が在るようだ…この<M1>もそういう流れの車輛であるようだ…

こういう時代の、このような型の自動車…民間でも使用されていたと同時に、軍関係でも使用されていて、兵卒か下士官が運転手を務めて、一定以上の地位の士官が連絡車として半ば専用のように使っていた…そんなイメージだ…

壁の中に金角湾…:ウラジオストク港(2018.05.06)

↓硝子張りな壁面に、船や橋梁が在る金角湾の風景が…更に壁面の手前に鳩が居てベンチが在る様子まで映り込んでいる…客船ターミナルの辺りだ…
Vladivostok on 06-05-2018 (39)
↑「もう少しで空港を目指して…」という中で天候が好転し、風景が映えるようになった…こうやって天候が好転すると…「もう少しここに居たい…」という気分になるが…それはまた同時に「きっとまた来い!」という意味合いなのだろうと、勝手に思うことにした…

ウラジオストク…“フォトジェニック”に溢れているような街だと思う…スッカリと気に入ってしまった…

<ZIM>(ГАЗ-12 ЗИМ):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」はなかなかに愉しい…

↓「うゎっ!」と、思わず声が漏れる…「かなり古めな高級車」という感じだ…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (38)
↑1950年から1959年に製造されたモノだという…

「米国辺りの1950年代の車輛デザイン」というのと、多少趣が異なるのだが、何か流線形を組み合わせた独特な形が面白い…

<ヴォルガ>(ГАЗ-21М):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている場所がウラジオストクに在る…場所が「サハリンスカヤ通」と、サハリンに多少の縁が在る自身にとって、大変に親しみが沸く住所なのだが…

↓1962年から1970年に製造されたモノだという…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (32)
↑時速130㎞まで出るという…スポーティーな乗用車という感だ…

こういうような、「1960年代位の車輛のデザイン」というモノ…何となく好きだ…

地下通路:スヴェトランスカヤ通とオケアンスキー通との交差点(2018.05.06)

4月に初めてウラジオストクを訪ね、何箇所か「横断歩道は…何処?」と思った場所が在った。

そういう場所に関しては、地下通路が設けられていて、歩行者はそこを歩く…

今般のウラジオストク訪問でも、そんな場所は何箇所も何回も歩いたのだったが…

↓早朝に辺りを散策した時に、地下通路の写真を撮ってみた…
Vladivostok in morning on 06-05-2018 (22)
↑正しく、通常であれば横断歩道が設置される場所の真下に、確りした造りの地下通路が設えられている…

こんな地下通路…歩道橋を設えるより大掛かりな工事をしなければならないようにも思えるのだが…歩道橋は大型車輛の通行を慮って「十分な高さ」を取る関係上、階段が酷く長くなる場合も在るので、「短い階段の上り下りで済む」という地下通路は「より合理的」かもしれない…何度か歩いてみて、そんなことを考えた…

こういうモノは、色々な国や地域で見受けられるモノで、然程珍しくもないかもしれないが…ユジノサハリンスクや稚内では思い当たらない関係で、何となく注目してしまった…

早朝で非常に静かなのだが…通路の空いているスペースを利用して、小さな店が幾つも連なるような様相になっているのが面白い…通路そのものは年季が入っているが、店を入れるようになったのは、然程古いことでもないように見受けられる…

↓そして通路そのものよりも…こういうモノに注目した…意外に美しい…
Vladivostok in morning on 06-05-2018 (21)
↑「港町ウラジオストク」というイメージで、錨、羅針盤等、「船を想起するモノ」の装飾が施されている…

こういう「街のディーテール」とでもいうような「細かい事」に何となく気付くと、酷く愉しい気分になる…

「15番、17番、19番」である筈だが…「17番」は何処か!?(2018.05.05)

ロシアでの「住所表示」は「○○通XX番」というようなスタイルで、ユジノサハリンスクもウラジオストクも、或いは他の何処でも変わりはない…

何処かの建物を目指す場合、建物の住所である「○○通」をとりあえず探し、後は「XX番」に行き当たれば好いことになる。

「○○通」が非常に長い場合に、目指す「XX番」になかなか着かないというような場合も在るかもしれないが…そういうことを避ける意味で「○○通が△△通と交差する辺り」というような言い方も多用されているように見受けられる…

で、目指す「XX番」に関して、これは場所によって色々な番号の振り方の方式が在るように見受けられるが…「よく在る方式」と思えるのは、例えば通の右側に「1番、3番、5番…」と奇数、左側に「2番、4番、6番…」と偶数というような感じだ。建物の大きさが異なる等、色々と在って、例えば「5番の直ぐ向かい側が6番」ということでもなく、番号がやや判り悪い場合も在る…

ウラジオストクを歩いたが、何か「或る場所へ行かなければならない切実な事情」という程のモノが在る筈も無い、「休日を過ごそうと、衝動的に…」ということであったのだったが…それでも「そう言えば、往路の“機内誌”で視たレストランがこの辺りで…確か“17番”だったような…」と、アレウツカヤ通を歩いていて思い出した。

アレウツカヤ通は何度も歩いて、何となく馴染んだ…スヴェトランスカヤ通と交差する辺りで、駅の方向へ向かう右側車線の歩道を行けば、建物の番号は奇数である。「15番、17番、19番」である筈だ…

直ぐに「15番」に行き当たり、「次が?」と思っていれば…次に現れたのは「19番」だった…不思議だ…「17番」は何処か!?

↓歩道から一段高い場所になるやや奥へ、階段またはスロープで上がった辺りに扉が視える建物…それが「17番」らしい…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (56)

丘陵状の複雑に入り組んだ地形の上に築かれたウラジオストク…こういう「不思議」が方々に見受けられるようだ…

因みに…この「アレウツカヤ通17番」のレストランは、なかなかに好かった!

「カップの表面」に「ウラジオストク」…(2018.05.06)

早朝に散策し、宿へ引揚げる際に「24時間営業」の飲食店が通り道に在った。ピザ等の料理や飲物を売る店と見受けられた…

早朝であったが、扉は開いていて入ることが出来た。非常に空いてはいたが、奥のテーブルに来店客も見受けられた。寄ってみたのは、「或いは持ち帰りの珈琲?」と思ったからだったので店員さんに訪ねてみれば「在る」ことが判った。

↓そして求めたカプチーノを宿に持ち帰り、窓辺に何気なく置いた…
Vladivostok in morning on 06-05-2018 (25)
↑複雑な線がカップの表面に在ると思っていたが…こうやって置いて眺めると、単純に線というのではなく「線画」になっていた…

視えた線画…下の方…手前に灯台が在って、大きな橋梁らしきモノが見える…「或いは?!」と思った…

↓向きを少し変えてみると…下の方に「潜水艦」だ!
Vladivostok in morning on 06-05-2018 (24)
↑これは間違いなく、「ウラジオストクの景観」を図案化した線画だ!!

立寄った店が独自に用意したのか、地域の飲食店等に向けて或る程度広く販売されているモノなのかは判らない…が、こういう「地域への愛着の様なモノ」がさりげないモノに示されているというのは好いように思う…

<カチューシャ>を搭載した<ZiS 151>:アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ウラジオストクに「サハリンスカヤ通」という場所が在る。ウラジオストクの鉄道駅辺りから、運行系統31番のバスに乗車して二十数分という場所である…

この「サハリンスカヤ通」…何となく親しみが沸く通の名ではあるものの、特別な場所という程のことも無いようだ…しかし!!ウラジオストクで唯一残っている路面電車の起点・終点になっているということが在る…それに加えて…古い車輛の展示館が在る…

↓その展示館の入口で、いきなりこういうモノに出くわす…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (7)
↑第2次大戦期のソ連軍が用いた<カチューシャ>と呼び習わされた、ロケット弾発射器を搭載したトラックである…

第2次大戦期にソ連軍が用いたロケット弾発射器は大きく2種類在って、ここで展示されているのは<BM-13>という、より大きなロケットを載せて打ち出すモノである。トラックにこの発射器を載せ、ロケット弾を装填して“目標”に撃ち込む…“目標”と言っても、精確に狙いを定めるのでもない代物だ…敵軍の将兵等が集結している場所等の「辺り」に大量に撃ち込むというのが専らだったという…

第2次大戦の何年か後まで、第2次大戦期に用いた<カチューシャ>はソ連軍の装備だったようだ…トラックは1951年の車輛らしい…

展示館は<アフトモトスタリーナ>と称している。館名の英訳等も参照して、とりあえず「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」とでも呼ぶこととしたい…色々と、興味深い車輛が展示されている場所である…

灯りに輝く…:<黄金橋>(Золотой мост)(ザラトイ モスト)(2018.05.04)

巨大な橋梁が視える高台から、海岸部に拡がる古くからの市街ということになるスヴェトランスカヤ通辺りを目指して下り始めた…

↓下り坂を歩む中、次第に「暗さ」が増し、「灯りの輝き」が目立つようになって来た…
Vladivostok on 04-05-2018 (58)
↑橋そのものも灯りに輝く感だが、港や街は灯りの中にやや沈み込んだ感じである…

こうやって一日が暮れ…また夜が明ける…

灯り…:<黄金橋>(Золотой мост)(ザラトイ モスト)(2018.05.04)

高台の空気が若干冷涼であった中…次第に手が冷たくなって来た…

↓「そろそろ引揚げようか…」と思い始めた頃、巨大な橋梁を行き交う車輛の灯り、そして港や市街の方々の灯りが目立つようになり始めた…
Vladivostok on 04-05-2018 (51)

こういう様子を視ると、時々思う…「灯りの数だけ“物語”が在るのかもしれない…」というようなことだ…

夕陽の光に輝く…:<黄金橋>(Золотой мост)(ザラトイ モスト)(2018.05.04)

高台の空気は若干冷涼であった…しかし、やや雲が多目ではあるものの、傾いて沈もうとしている夕陽の光が、何か面白い感じで、辺りの空や街の感じは刻々と変わっていた…

↓少し粘って、刻々と変わる様子を眺めていれば…短めな時間だったが、夕陽の光が橋梁を支える巨大な柱を照らし出した…
Vladivostok on 04-05-2018 (34)

雨上がりの夕空に…:<黄金橋>(Золотой мост)(ザラトイ モスト)(2018.05.04)

4月に初めてウラジオストクに上陸した際、第1日は深い霧でその姿が視えず、第2日に漸く巨大な橋梁を眺めた後…「今回の様子とは違う天候、異なる時間帯等、色々な条件でまた視てみたい」というように強く思った…

「衝動…」でウラジオストクを再訪し、早くも「違う天候、異なる時間帯等、色々な条件」という状況下に入ったが…空港到着時に雨が交じった…「或いは…この夕刻は無理か?」とも思った、橋梁を眺めるという行動だったが…

↓街へ着けば雨は程無く上がった…勇んで向かった高台で、巨大な橋梁を無事に視られた!
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夕べ:ウラジオストク港客船ターミナル周辺(2018.05.05)

「ほんの少しだけの回り道、または道草…」と、夕刻に街から宿へ引揚げる前に、ウラジオストク港客船ターミナル周辺を少しだけ歩いた…

↓ターミナルの硝子張り部分に、海と船と橋梁が映り込んでいる…
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↑橋梁上の街灯が点き始めた様子だ…

↓やがて方々の灯りが目立つようになる…
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↓約一名…カメラを手に写真を撮っている人物?
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「たった2回」の極短い訪問、または立寄りということになるウラジオストクなのだが…この客船ターミナル周辺を含めて、既に幾つか「気に入った場所」というモノが出来てしまった…こういうのは、或いは非常に嬉しいことだ!!

「5月9日」の予行演習:ウラジオストク(2018.05.04)

ウラジオストクに到着後、直ぐに高台に上がって眺望を愉しみ、暗くなる中でゆっくりと下りてスヴェトランスカヤ通に至った…

スヴェトランスカヤ通の交通量が不自然に少なく、何やら若干の警察車輛と警察官、そして海軍の若い兵士―「海軍」というのが、<太平洋艦隊>の本拠地で、海軍関係者が多く居るウラジオストクらしい…―が沿道に概ね等間隔で並んでいる…歩道は普通に人々が行き交っているが…

そういう様子を視て「何かの催しが、中途半端な夜の時間帯に?!」と思いながら、アレウツカヤ通との交差点辺りに至った…

↓パトカーに先導されて、軍用車輛の一群が現れて待機である…
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↓何やら「非常事態?!」と思えなくもないが…至って平和で、軍用車輛を背景にスマートフォンで写真を撮るような人達も大勢居た…そういう人達に紛れて撮った画だ…
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「5月9日」に行うパレードの予行演習だったのだ…色々なモノを動かすタイミングを測り、必要が在れば修正を行うようなことのために「本番と全く同じ場所」での予行演習を行うようになっているのであろう…ユジノサハリンスクでも昨年視た事例だ…

“229”:ルガボエ広場:ウラジオストクの路面電車(2018.05.05)

「路面電車の様子を眺めるのに好適で、方々へ向かうバスも発着しているから、何となく馴染んだスヴェトランスカヤ通辺りに引揚げるにも都合が好さそうだ…」とルガボエ広場で少し過ごした…

↓こんな電車が姿を現した…
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↑暫し停車していた…

これを視て「おっ?!」と思った…もう四半世紀も前になってしまったが…数回だけ視た記憶が在る「モスクワの路面電車」が、こういうような形だったと微かに覚えていたのだ…随分と旧い記憶だが、「年季が入った車輛…」と何となく思ったものだ…「眼の前のモノ」は、「更に年季が?」ということにもなるかもしれない…恐らく…ソ連全土の様々な都市で運用されていた、或いは現在も運用されている路面電車は、製造年次が違うと外観や一部の装備に違いが在っても「同じ基本構造で製造され続けていた」のであろう…故に、方々で永く運用出来ることになるのだ…

↓何となく眺めていると、路面電車が走り始め、辺りの建物の硝子張り部分に姿を映しながら去って行った…
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↑画の左寄り、路面電車の後尾側に運転台が設えられていないのが判る…「飽くまで一方通行で“折り返し”はしない」という方式であることが判る…

ウラジオストクの路面電車…何となく「ソ連時代の感じ?」を想像させる独特なムードも在る代物だ…

<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>の建物:午後の陽射しの下(2018.05.05)

↓画のやや右の奥から光線が射し込んでいる…少し西寄りな側になる…午後の若干日が傾いた頃である…
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↑「休日故に交通量がやや少ない?」ということかもしれないが、十分に行き交う車輛は多い…

何時視ても、画になる建物である…

スヴェトランスカヤ通がアレウツカヤ通と交差する辺り(2018.05.05)

↓賑やかなスヴェトランスカヤ通が、交通量が多目なアレウツカヤ通と交差する辺りである…
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↑幅広い通に沿って<中央広場>が在って、その向こうに巨大な橋梁の一部が覗く様…街の「代表的景観」となっているかもしれない…

何度となく動き廻った辺りだが…記憶に止めたい…

セミョーノフスカヤ通とオケアンスキー通との交差する辺り(2018.05.05)

↓セミョーノフスカヤ通を西寄りから東寄りへ進んでいて、交差点で右手を視た…
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↑<中央広場>の大きな赤軍兵士が遠くに視えた…

↓そして道路を横断して反対車線に…
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↓何となくカフェを眼に留めた…結果的に、ここに立寄って一息入れたが…
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好天の午後…歩き回るのが心地好かったが、早朝から精力的に活動していたが故に、少しパワーダウンして来た頃だった…