“アムールトラ”のグラフィティー(2018.05.05)

↓整備された広場の辺り…煉瓦の壁に描かれたアムールトラ…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (35)
↑よく視ると、人の手が虎に掛かっていて、「人々がアムールトラを保護する」というイメージになっている…

非常に大きなグラフィティーだが…折角の作品の周辺に、些かの落書きが見受けられたのが残念ではあった…

<Халк Хоган>(ハルク・ホーガン)(2018.05.05)

「“ハルク・ホーガン”?!」と思った…凄い命名のセンスだが…

↓こういうハンバーガーが出て来た…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (87)
↑「うゎっ!」というボリューム感だ…

↓4月に気に入って、今般の5月にもランチに立寄った店である…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (83)

こういうような、他所の土地で「一寸気に入った場所…」が出来るのは嬉しいことだ…

沿海地方の会社によるガス入りミネラルウォーター(2018.05.05)

↓宿の近くの店で買い込んだ…何となく気に入っているデザインのラベルだ…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (7)
↑左が<ラストチカ>…右が<シュマコフスカヤ>…右の<シュマコフスカヤ>には、「5月9日」の小さなシールが貼り付けられている…

↓こういう感じのボトルに入ったガス入りミネラルウォーターである…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (6)
↑近くの店では冷蔵ケースに入れて在って、冷えた状態で売られていたが、とりあえず宿の部屋の冷蔵庫に収める…

この種のミネラルウォーター…特段に冷蔵ケースに入れられず、普通な常温の棚に並んで売られている場合も多いと思う…

左の<ラストチカ>、右の<シュマコフスカヤ>共に沿海地方の会社の製品…本社はウラジオストク市内だったような気がする…

これらのモノはユジノサハリンスクのスーパーでも売られている…流通経費が乗るからなのか、ユジノサハリンスクの店では、ウラジオストクの宿近辺の店よりも数ルーブル高かったと思う…

<ラストチカ>も<シュマコフスカヤ>も、なかなかに永い歴史を誇る製品、銘柄らしい…

ルガボエ広場:ウラジオストクの路面電車(2018.05.05)

↓「ミンヌィエ街」から路面電車に乗車した…
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↑古びたように見える軌道の上を、旧い車輛が往く…車中は存外に揺れる…大柄な車輛で、大きな段差も在って、乗降は意外に大変かもしれない感じだった…

↓途中の、市内の色々な運行系統のバスが乗り入れているらしい「ルガボエ広場」という停留所で下車してみた…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (65)
↑乗って着いた電車を眺める…何度、どういうように視ても、酷く年季が入っている車輛だ…

↓眼を転ずると、こういう様子が視られた…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (66)
↑軌道の直ぐ手前に在る建物の硝子張りな壁面に、走り去る路面電車が映り込んでいた…

ウラジオストクの路面電車…何やら名状し悪い風情が在り、強く記憶に残る…

ウラジオストク港客船ターミナル周辺(2018.05.05)

↓好天の朝、鉄道駅の直ぐ裏に在る客船ターミナル周辺を散策した…
Vladivostok in morning on 05-05-2018 (6)
↑ターミナルの硝子張りの壁面に、船や橋梁、更に空や雲が映り込む…<ВЛАДИВОСТОК>(ウラジオストク)の看板は、出入りする船の上からよく視えることであろう…

↓停泊中の船…何やらクレーンが時々動き、朝早くから荷役をしているようでもあった…
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↓太平洋艦隊の軍艦も視える…背後は輝く東寄りの空と巨大な橋梁だ…
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↓朝早くから素晴らしい天候!
Vladivostok in morning on 05-05-2018 (30)

こんなに素晴らしい天候の日に、ウラジオストクに滞在出来たことが非常に好かった!!

ミンヌィエ街:ウラジオストクの路面電車(2018.05.05)

「サハリンスカヤ通」という停留所を出た路面電車は、十数分の運行で逆側の起点になる「ミンヌィエ街」という停留所に着く…

↓とりあえず終点まで乗車して、下りて電車の様子を視た…
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↑画の右側が車輛の先頭…「105」という数字が読めるが、「路面電車105年」と書かれている…

この停留所では、下車時に乗客が16ルーブルの運賃を運転士―女声の比率が高く、少々驚く…―に払って前から下りる…下車する乗客が少なくなると真中の扉が開き、待っていた乗客が乗車するようになる…

↓電車は「ミンヌィエ街」へ向かって来た時と同じ方向にとりあえず進む…
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↓軌道は「U」の文字の型になっていて、電車は車輛番号の「297」が視える後尾を見せるようになって進み続ける…
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↓やがて反対側の起点になる「」サハリンスカヤ通」へ延びる逆方向への軌道に電車は入る…
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↑こちらの側には人が車内に出入りするための扉が無い…「完全に一方通行」で走る仕組みなので、そういうモノは無用な訳だ…

↓電車が遠ざかって行く…
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「サハリンスカヤ通」と「ミンヌィエ街」とは少し雰囲気は違うが、何れも「U」の文字の形の軌道を利用して「一方通行」で電車は走り続けている…途中に“車輛基地”が在って、基地との間に枝の軌道が敷設され、出入にはそれを利用しているようだったが…

↓どんな具合に走るか観察した後、現れた次の電車に乗車して引揚げた…
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↑先程の「297」と同型か然程変わらない製造年次の車輛と想像出来る「295」…酷く年季が入っている…

「ウラジオストクの路面電車」…前回のウラジオストク訪問で“積み残し”のように思っていた代物だが…好天の土曜日に視られて、また乗車出来て好かった!

サハリンスカヤ通:ウラジオストクの路面電車(2018.05.05)

ウラジオストクに「サハリンスカヤ通」という住所が在る…ユジノサハリンスクにも在る通の名称である…

↓その近くでこんなモノが見受けられる…
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↑路面電車だ!!

↓多分、ロシアの鉄道の「1520㎜軌間」なのだと思うが…車輛も大きい…そして年季が入っていた…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (48)
↑この区間…道路と並行するように、「電車専用軌道」のような感じの設えになっている。「踏切」のような道路と交差する箇所―遮断機が在るでも無かったが…―は在るが、本当の「路面の軌道」は無かった…

ウラジオストクでは幾つかの路面電車の運行系統が在ったというが、この<運行系統番号6>以外のモノは廃止されたという…「路面」を動くなら、車輛が溢れるウラジオストクの道路では一寸困るのであろう…

↓ここが「サハリンスカヤ通」という停留所だ…
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↑電車は右側通行…上の画に出ている電車が左に停車中で、「サハリンスカヤ通」から出る。右の電車は「サハリンスカヤ通」に到着したところだ…

右側の電車は車輛の後尾が手前に視えているが、運転台らしきモノが無い…これは、この停留所の先に軌道が少し延びていて“U”の文字のようなコースを辿って逆方向に延びる軌道の上に載る仕組みになっているからだ…各車輛、一方向にしか運転台は無い…こういう方式を、私自身はこのウラジオストクで初めて見た…

↓「サハリンスカヤ通」から電車に乗車してみた…
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↑最初の区間はガラガラに空いていて、何となく座席の様子を写真に収めておいた…本当に「昔の公園等に在った木製ベンチ」のような雰囲気の造作だ…

「電車専用軌道」のような感の設えだったが故に、路面電車が残ったが、様子を視ていると存外に利用されている感だ…運賃は一律で16ルーブルだった…

早朝のポシェツカヤ通:ウラジオストク(2018.05.05)

同じ場所でも時間帯によって様子が大きく異なるというようなことは何ら珍しくないことなのだが…

↓前日の夕刻に、少し離れて視える坂の上までビッシリと車輛が渋滞していたので、こんなに広々と通が空いているのが不思議に思える…
Vladivostok in morning on 05-05-2018 (1)

この通は、4月のウラジオストク訪問と今般の5月の訪問で利用した宿へ駅前辺りから向かう場合の通り道になる。そういう訳で「ウラジオストクで最初に馴染んだエリア」ということになる場所だ…

夕刻のポシェツカヤ通:ウラジオストク(2018.05.04)

車輛が混み合い、道路に渋滞が見受けられるような時間帯にウラジオストクの街に入った…

上り下りが入り乱れ、何やら「地図で見る感じ」と「歩き回る感じ」とに「隔たり」が感じられるのがウラジオストクの特徴の一つだと思うのだが…

↓坂の下から、坂の上まで、渋滞が続いている…思わず見入ってしまった…
Vladivostok on 04-05-2018 (4)

このポシェツカヤ通は、ウラジオストク駅前を通るアレウツカヤ通と並行して「一段高い辺り」に延びている通である…アレウツカヤ通も混み合っていたが…このポシェツカヤ通は、アレウツカヤ通より狭いので、余計に混み合って視える…

ポシェツカヤ通の渋滞は坂の上まで続いているが、上った坂はやがてまた下る…「ウラジオストクらしい」感じの通だ…

レーニン像…駅…<黄金橋>…:早朝(2018.05.05)

気象情報のサイトを視ると、ウラジオストクの日出は6時1分、日没は20時17分ということだった…

「沿海地方の時間」よりも「プラス1時間」の「サハリン州の時間」に慣れていると…「6時台に起床」のつもりで居ると「未だ5時台…」という話しになってしまう…「サハリン時間-2時間」の日本国内よりは「やや好い?」が、ウラジオストクでは「多少早起き…」な感じになり易い…

昨日の「雨上がりの夕空」という感の後、朝から晴天という感である…こういう状況で早起きすれば…散策である…

↓宿から近い、大変に気に入っている景色だ…
Vladivostok in morning on 05-05-2018 (48)
↑レーニン像の背中…鉄道駅の建物…そして奥に朝陽の光を受けた巨大な柱が輝く感の、金角湾を横断する<黄金橋>が視える…

朝早くからこういう光景に出くわすと、酷く気分が昂揚する!

ウラジオストク空港(2018.05.04)

定刻よりも早い感じでウラジオストク空港に着き、飛行機を下りてバスに乗る…バスでターミナルビルの入口へ…そのバスに乗るタイミングで雨が降った…やや勢いも在った…

そういうことも在って、ターミナル内に入ると何となく安堵したが…

↓通路から視えたこういう様子に、少しだけ見入った…
Vladivostok on 04-05-2018 (1)
↑シルバー系の塗装が施された<アエロフロート>の機体…多少濡れている駐機場に大きな翼の裏が映り込んでいる…そして背後の複雑な雲が流れる感じ…

↓少しだけ角度を変えて…
Vladivostok on 04-05-2018 (2)

空港でこういう様子を何となく眺める…悪くない…自身が利用した、或いは利用する飛行機ではないのだが…

搭乗待合に在るカフェで求めた珈琲:ウラジオストク空港(2018.04.16)

↓「店内で…」ということも出来たが…敢えて「持ち帰り…」ということにした珈琲を、自身の便の搭乗口周辺のテーブルに持ち出して頂いた…今般はカプチーノにした…
VVO in early morning on 16-04-2018 (8)
↑窓越しに、利用予定の飛行機がボケて視えている…

↓<Coffee City>という店…空港内では何箇所かで視掛けたが…ウラジオストクの街では視なかったような気がする…
VVO in early morning on 16-04-2018 (7)
↑どうでもいいことを考えながら、「必ず、またウラジオストクに来てみよう…」等と思って過ごしていた…

昔のタイプライター:<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>(2018.04.15)

↓酷くモノクロ画が似合う…博物館で視掛けた昔のタイプライターだ…
Vladivostok on 15-04-2018 (65)
↑パソコンでロシア語を入力する場合に使う「現在のタイプライターのキー配列」と少し感じが違うように視える…

↓少し離れて視たが…簡単に動かせない程に大きい…
Vladivostok on 15-04-2018 (66)
↑恐らく、何処かに「据え付け…」のように置かれて、文書を作成する人が常用していたというような代物であろう…

この種の文物を何気なく視る…好きな営みだ…

G.I.ネヴェリスコイ胸像:<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>(2018.04.15)

↓こういうような風貌の、少し年配な男性…「何処かで出くわしそう…」な雰囲気が在るような気がする…
Vladivostok on 15-04-2018 (61)
↑何か「強い意志」を秘めたような、力強さが滲み出る、活き活きした感じの彫刻だと思った…

↓サハリンでは「地域の事を広く知らしめる功績が在った」と殊更に有名であるような感のネヴェリスコイ提督の胸像であった…
Vladivostok on 15-04-2018 (60)
↑何時頃の作品かはよく判らなかったが、とりあえず彼の氏名が「旧式表記」で入っていた…

ネヴェリスコイは、ムラヴィヨフ総督の指示の下、サハリンやアムール川流域での調査活動の指揮を執っている。沿海地方に在っても、「地域の事を広く知らしめる功績が在った」ということになる人物なのだ…

ネヴェリスコイがサハリンや沿海地方で功績を挙げたとされるのは1850年代…日本の幕末期に相当する訳で、“写真”は既に在るのだが、人物の風貌に関しては「写真で伝えられる」という場合も在る他方に「肖像画が伝わる」という場合も在る…そういう事情の故か、ネヴェリスコイ提督については、方々で視掛ける像に関して、像の風貌のイメージが「やや一定しない」感じもする…

それにしても、サハリンで馴染みのネヴェリスコイ提督の胸像にウラジオストクで出くわすと…「あら!?こんな所で…元気ですか?」とでも声を掛けてみたいような、少し不思議な気分が沸き起こった…

「レーニン生誕100年」を記念するスパークリングワイン:<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>(2018.04.15)

↓レーニンの“特製ラベル”が貼られたスパークリングワイン!?
Vladivostok on 15-04-2018 (55)
↑1870年生まれのレーニン…1970年に生誕100年を記念して用意されたモノらしい…

何やらレーニンに関する“企画展”のようなモノが催行中で、その展示の一つにこれを見付けた…

<大阪近鉄バファローズ>のキャップと愛用のロシア製ジャケット(2018.04.14)

↓ウラジオストクの宿…室内のクローゼット…キャップとジャケットをハンガーに掛けて収めた…
Vladivostok 14-04-2018 (4)

神戸で求めたキャップ…稚内を経由して、札幌を経由してサハリンに持ち込んだモノだったが…ウラジオストクに被って出掛けた…

この時は雨が交じる時間帯も在ったが、キャップはなかなか役に立った…

<DAB : Drink and Burgers>:ウラジオストク(2018.04.14)

↓アレウツカヤ通で眼に留めたウィンドウ…
Vladivostok 14-04-2018 (13)
↑熊がストローでグラスのドリンクを飲んでいる様子が何となく好い…

この店は、ハンバーガーを中心としたフードと、各種の酒類やソフトドリンクを頂くという店で、何となく地元の人達や来訪者で賑わっている店だった…ウラジオストクに到着した日に立寄り…次の日にもまた立寄った…

何か、こういうような場所が酷く懐かしく感じられる…

“アムールヒョウ”のグラフィティー:ウラジオストク(2018.04.15)

↓巨大な橋梁や街が一望出来る辺りの建物の壁を視て、一寸驚いた…
Vladivostok on 15-04-2018 (39)
↑大きなアムールヒョウのグラフィティーに目を奪われた…

ウラジオストクを中心とする沿海地方には、希少な存在となっている豹や虎が居るのだというが…グラフィティーは、そうした動物の保護に関する活動に携わる団体が掲出しているモノであるように見受けられた…

希少な動物が居るという地域の特徴を想い起すのだが…こういうグラフィティーというのが、何か都会的で面白いような感じもする…

“オリヴィエ・サラダ”(Салат Оливье)=「ロシア風サラダ」とも言われる定番… (2018.04.15)

サラダ等の前菜、スープ、メイン料理という具合に「順次、皿を出す…」という「コース料理」というような流儀は、ロシアの貴族の邸宅で始まった流儀という説が在るようだが…ロシアの料理店で食事を摂る場合、“コース”的に順次料理が運ばれて来るという感じが「普通」かもしれない…

ウラジオストクで、建物の地下に入っているロシア料理の老舗レストランで食事を愉しんだ際にも、サラダ、スープ、メイン料理という組み合わせにビールを1本加えるということにしたのだった…

↓直ぐに出て来たビールの後に登場したのは、こんなサラダである…
Vladivostok on 15-04-2018 (90)
↑“オリヴィエ・サラダ”(Салат Оливье)と呼ばれる定番なモノだが、「蟹の身」が加えられている…

「蟹」と言えば、日本国内では「北海道?」かもしれない…或いは「北陸?」とか「山陰?」というイメージもあるだろうか…ロシアでは「蟹」と言えば「極東?」であるらしい…「極東の代表的都市」でもあるウラジオストクの老舗レストラン…「蟹が加わる」というのも「土地らしさ」の演出なのであろう…

“オリヴィエ・サラダ”は、ロシア国外で「ロシア風サラダ」と言われる場合も在るらしい。ロシアでは大変にポピュラーだ。極々身近なことを言えば、ユジノサハリンスクのスーパーに在る惣菜コーナーで、「サラダの類」が売られていれば、大概はこの“オリヴィエ”が在る…

“オリヴィエ”というのは人名である。これは19世紀後半にモスクワで大繁盛した高級フランス料理店の料理長だったベルギー人、リュシアン・オリヴィエの名に因むのだという。オリヴィエが創り出したサラダは大変な人気であったそうだ…

オリヴィエが創り出したサラダは大変な人気であったというが、彼が精確なレシピを特段に伝えていなかったため、何時の間にかこの料理は流行らなくなったようだが…ソ連時代にオリヴィエが居た店での勤務経験が在ると称する料理人が「“オリヴィエ・サラダ”はこういうモノだった」として“首都風サラダ”なるモノを売り出した。そういう契機が在って、“オリヴィエ・サラダ”は「ポピュラーなサラダ」になって現在に至っている…「19世紀後半の…」という起こりが語られることは在るが、実質的には「ソ連時代から一般化しているメニュー」という感でもある…

新旧様々なモノ、由来も色々なモノが入り交じった感のウラジオストクで、その発祥や普及に色々と謂れが在る他方で“定番化”している料理に、些かの「土地らしさ」の演出が加わったメニューを頂く…何か「特別なことをしている」感がして面白いものだ…

新旧の海軍艦艇が視える海岸:ウラジオストク(2018.04.15)

ウラジオストクを訪ねたなら、海岸の緑地に展示された「ホンモノの第2次大戦期に稼働した潜水艦」というモノが視たかった。そんな願いを果たし、辺りをまた歩き始めた…

↓こういう光景に出くわす…
Vladivostok on 15-04-2018 (22)
↑手前は“記念艦”…相当古い代物だ…そして画の右側に“現役”のロシア海軍艦艇が一塊になっている…

↓角度を変えると、<黄金橋>が背景になっている“記念艦”は…<クラースヌィー・ヴィンペル>(Красный Вымпел)という名で、1910年に進水した船で、「草創期の赤軍=ソ連軍」で運用されたような船だ…
Vladivostok on 15-04-2018 (18)
↑残念ながら、中の見学はオープンしていなかった…

で…考えてみると…“記念艦”の背後の巨大な橋は、船とは「100歳余りの差」ということになる…

↓今度は“現役”の一群に眼を向けた…
Vladivostok on 15-04-2018 (20)
↑“356”という番号の船の奥に、小型の船が脇に停泊している大きな艦が視える…「艦対艦ミサイル発射筒」が多数積載されて、何やら物々しい…

この物々しい艦…“011”という番号が視えたが…<ヴァリャーグ>(Варяг)という「ミサイル巡洋艦」であると見受けられる…全長が192mで、全幅が20mという大型の艦である…

<ヴァリャーグ>(Варяг)は1983年に進水し、1989年に竣工している。ソ連時代、この艦は<チルヴォーナ・ウクライーナ>(Червона Украина)という名だった。「赤いウクライナ」という意味ということだ…1990年代の情勢変化を踏まえ、1995年に現行の<ヴァリャーグ>(Варяг)に改名されている。因みに、日露戦争の時代にも同名の艦が在って、勇戦した経過が在る…

この<ヴァリャーグ>(Варяг)…ロシア海軍の太平洋艦隊の旗艦なのだそうだ…そんな訳で「司令本部に近い場所」に停泊している場合が多く、海岸を歩いていると視えることも在るという訳だ…

こういう具合に、「本当に新旧」な海軍艦艇が視えるウラジオストク…「海軍の街」という貌が覗く…

<PIRATE COFFEE>(パイレーツコーヒー)(2018.04.14)

↓アメリカンコミックのような、昔のアニメのような、「女性の海賊船長」という風なキャラクターがカップに刷り込まれている…
Vladivostok 14-04-2018 (75)
↑こういう具合にカップで珈琲を供する店は多々在ったが、<PIRATE COFFEE>(パイレーツコーヒー)は他所よりやや安価だった…

チェーン展開していて、幾つか店が在るらしいが、視掛けて立寄ったのは、アレウツカヤ通に在った非常に小さな店―テーブルが3つ、狭いスペースに在って、奥の小さなカウンターで珈琲を淹れていた…半ば“スタンド”のような感じ…―だった…

A.S.プーシキン像:ウラジオストク(2018.04.14)

↓思索に耽って静かに佇む…そういう風情の像だと思った…
Vladivostok 14-04-2018 (51)
↑ウラジオストクのプーシキン通、<プーシキン劇場>というホールが在り、その辺りに佇む像だ…

雨が交じる中、時々「霙?」という感にもなったが…このプーシキン像の前辺りでは、「霙?」という状況になった…或いは、こういう霙のような感じも交じる降雨は、「晩秋まで…」ということになるのだろうか?

<軍事功労都市>のモニュメントから(2018.04.14)

↓日露戦争の20世紀初め頃と見受けられる軍艦と提督のレリーフ…何か目を奪われた…
Vladivostok 14-04-2018 (61)

特段に説明などが掲出されているのでもないが、辺りに「海軍の歴史」のようなテーマの、こういうレリーフが飾られている一画に行き当たった…

↓<軍事功労都市>ということに関しては、「2010年11月4日付 大統領令」によるということで、その文書の内容を刻んだプレートが在った…
Vladivostok 14-04-2018 (65)

「海軍と共に歩んでいる街」というのも、ウラジオストクの貌の一つだ…街では、何となく「黒い制服」を時々視掛けた。海軍、或いは海軍系の教育機関の制服である…

早朝の海岸近辺:ウラジオストク(2018.04.15)

↓海岸に近い辺りの建物だ…
Vladivostok on 15-04-2018 (13)
↑高層建築と、中低層建築とが適当に交じり合って並んでいる…

何処となく…「オランダのロッテルダム?」というようなことを思った…“欧州”という感じがする流儀のデザインだ…

早朝に外に出た当初、降雨は無かったが…次第に雨が交じって来た中、半ば迷いながら、やや大回りして宿へ引揚げた時に視た光景である…

アレウツカヤ通:雨交じりな午後(2018.04.14)

↓ウラジオストク都心部の交通量が多い通である…
Vladivostok 14-04-2018 (82)
↑直進すると駅前、左折するとセミョーノフスカヤ通に入る旨、画の右寄りに看板が出ている…「↑」が入った、何やら複雑な信号機も動いている…

この辺りで足を停めたのは、雨交じりで薄暗い感じもする中、スクリーンを使った広告看板が酷く眩しい感じがしたからだった…

ウラジオストクは主な通に車輛が溢れるばかりに行き交い、華々しい広告が眩しい…とりあえずそういうように感じられた場所だった…

ウラジオストク:GUM百貨店(ГУМ)の建物(2018.04.14)

雨も交じっていたような感じの中で街を歩いていた…

↓酷く巨大でもないのだが、重厚な感じがする古くからの建物だ…
Vladivostok 14-04-2018 (58)
↑これがGUM百貨店である。「GUM百貨店」と日本語では呼び習わすが、ロシア語の「ГУМ」(GUM)という表現自体が「国営百貨店」の略称である…

↓スヴェトランスカヤ通の反対側からこの建物を眺めていた…
Vladivostok 14-04-2018 (59)

ソ連時代に「ГУМ」(GUM)という名になって、現在はファッション系の小売業がテナントに入っている感じであるようで、他所の入ってみたい店で買物はしたが、ここにはとりあえず入らなかった…在るか否かも判らないが、機会が在れば是非寄ってはみたいが…

ソ連時代に「ГУМ」(GUM)という名になる以前、ここは「クンスト&アルバース」という店だったという。ドイツからやって来た交易商が起こした会社が在って、各種の小売り、卸売りの事業を展開していたということで、その会社が20世紀初頭に建てたのがこの建物であるようだ。「クンスト&アルバース」と言えば、かのエレオノラ・プレイが、会社を営んでいた後に領事館に勤めた夫が逝去した後に勤務した経過が在るようだ。そして1930年にこの店がこれまでどおりに運営出来なくなって閉鎖となり、それを契機にエレオノラ・プレイは永く住んだウラジオストクを去っている…

こういう、旧く豪華な建物が「無造作…」とばかりに、辺りで見受けられる街というのは面白い…

朝の<中央広場>:ウラジオストク (2018.04.15)

↓早朝の…殆ど人が居ない状態…この種の広場は、こんな時間帯に写真を撮るというのが、個人的には好きだ…
Vladivostok on 15-04-2018 (4)
↑日中のウラジオストクに着いて歩き回り、正面に視える「社会主義政権下の藝術」という雰囲気が色濃く滲む銅像の一群を視て、「明日の早朝に…」と思い付いて本当に足を運んでしまったのだった…

中央の、かなり高い台座に載せられている、旗を手にした赤軍兵士の像が在る背後の坂道がオケアンスキー通なのだが…坂道の半ば辺りから上、視えている高層建築が霧に霞んでいる…前日の深い霧が「継続中」な感であった…

こういう様子に、「今日も遠景が視え悪い状態?」と思ったのだが、ここの後に辺りを半ば迷いながら歩き回って、宿で一息入れてから戸外に出ると霧は晴れ、時々陽射しが覗く場面も在る「散策には悪くない状況」となったのだった…

エレオノラ・プレイの像(2018.04.14)

ウラジオストクのスヴェトランスカヤ通を歩き、伝統を誇る<GUM>(百貨店)の華麗な建物等が在る辺り…少し不思議な銅像が佇んでいる…

↓こんな具合に、階段の辺りで何かをしようとしているようなポーズで佇んでいる女性…
Vladivostok 14-04-2018 (18)
↑等身大よりはかなり大きい感じで、存外に目立つので足を停めて眺めた…

何となく思い浮かべたのは…幼少の頃から小学生位までに親しんだ、外国の児童文学に原案を求めたアニメ作品の“世界名作劇場”のようなモノに出て来る劇中人物…要は、それらの作品の原案の小説の背景になっている「19世紀後半から20世紀初め」というような時代の衣装を身に着けた、「良家の奥様」風な女性の像だということである…

↓「この女性は何者?」と思えば、確りと「Eleanor Lord Pray」とフルネームが記されている…
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このエレオノラ・プレイは、1894年から1930年までウラジオストクに住み続けていて、その間に実家、親類、友人と方々に盛んに手紙を出していた女性で、その手紙が現在に伝えられているのだという。そのエレオノラ・プレイの像が、長く住んでいたウラジオストクに登場したということだが…その像を視ると、益々「この人物?」と気になる…

エレオノラ・プレイに関しては、「英語による情報」は存外に多く、色々なことが判った…

エレオノラ・ロード・プレイ(Eleanor Lord Pray)(1868-1954)…米国メイン州で産れている…

1894年、フレデリック・プレイと結婚した。シベリアで交易を手掛けた一族の出で、ウラジオストクで<アメリカンストア>という会社を営んでいたチャールズ・スミスという人物が在る。エレオノラの夫であるフレデリックは、このチャールズ・スミスの妻であるサラの弟だ。義兄の会社を手伝うことになり、ウラジオストクへ渡る際に妻のエレオノラを伴った。この時、彼らは太平洋を越えて横浜に至り、横浜からウラジオストクを目指したようだ…

義兄のチャールズ・スミスが1898年に逝去し、<アメリカンストア>という会社の権利は義姉のサラ・スミスが引き継ぐ…

1906年には娘のドロシーが産れている。1916年に、このドロシーを上海のアメリカンスクールで学ばせることにしたが、義姉のサラも上海に移っていた。

1918年には<アメリカンストア>は閉鎖を余儀なくされるが、夫のフレデリックは在ウラジオストク米国領事館の職員となり、ウラジオストクで勤務を続けた。エレオノラもウラジオストクに留まり続けた。

1923年、夫のフレデリックが逝去する。その後、エレオノラは<クンスト&アルバース>というデパートで働いていた…が、1930年にその<クンスト&アルバース>が閉鎖を余儀なくされると、エレオノラ・プレイはウラジオストクを離れた。そして上海で娘や義姉を合流した。

やがて帰国し、1954年にワシントンDCで他界したそうだ…

大雑把に纏めると上記のような感じだが…1894年から1930年の35年間程…彼女自身の「人生の“ド真ん中”」で「人生の半分」をウラジオストクで過ごしている訳だが、「時代が畝っていた」という時期でもある…

1894年と言えば、皇帝ニコライ2世が即位した年だ。ニコライ2世は皇太子時代にウラジオストクへ立ち寄って、駅の起工式も在ったのだが、1890年代はウラジオストクが「新興都市」として大いに発展していたような時期でもある…そして日露戦争が在って、第1次大戦が在って、革命や内戦や外国の派兵というような出来事も在った…

こういう中、新たな土地での新しい暮らしに心弾ませる場面や、一定程度の熟し方が見受けられた社交生活も在って、他方に血腥い戦乱のニュースに気持ちを曇らせる場面や、第1次大戦期には「ドイツ系の姓」というだけで追い払われるようにウラジオストクを去る羽目になった知人達の行く末を案じるような場面も在った訳だ…

そういう揺れた時代の様々なことが活き活きと活写された彼女の手紙は、「大変に貴重な史料」であり、彼女の後裔にあたる人達も含めて多くの人達が参照しているようだ…

↓何気ない銅像なのだが…その背後になかなかに「凄い物語」が在るということになる…
Vladivostok 14-04-2018 (21)