↓記念写真の背景にでもするのか?こういうような「地名の看板」というような感じのモノが方々に見受けられるようになったと思う。
↓地下鉄市役所駅の直ぐ傍、名古屋城の近くにこの「@NAGOYA」は在る。
今般、名古屋城を見学するにはやや遅い、または時間が足りないような按配で名古屋に到着したが、市庁舎を眺めるというようなことをしようと辺りに足を運んだのだった。
名古屋に関しては、立ち寄る都度に「機会が在れば、もう少しゆっくり…」というようなことを散々繰り返している感もする…
地下鉄伏見駅の入口…(2022.08.03)
地下鉄名古屋駅…(2022.08.03)
「ロシア流?」という感…:<MATRYOSHKA>(マトリョーシカ):名古屋・錦(2022.08.03)
↓こんな感じ…小さなショットグラスにウォッカを満たし、「皆様の御健勝に!」というような御発声で「ギュッ!!」と一息にウォッカを干す…
↓ウォッカを空ける場面の他は、ピクルスでも摘まんで談笑…
↓往年の著名な料理人に因む命名と聞くが、「オリヴィエ」と呼ばれる「非常にポピュラーなサラダ」を摘まみながらウォッカというのも秀逸だ…
何か「ロシアの流儀」を名古屋の繁華街で満喫してしまった…「煙草は?」とでも言い出せば「そこの階段の外気に当たるバルコニーで…」という辺りまでもが「ロシアの流儀」だった…
↓本当に「よく在る…」という感じの“夜の街”のビルに、笑ってしまう程に「ロシアの流儀」な場所が在った…
↓名古屋の友人に御案内頂いたが、一寸記憶に留めたい場所だ…
↓ウォッカを空ける場面の他は、ピクルスでも摘まんで談笑…
↓往年の著名な料理人に因む命名と聞くが、「オリヴィエ」と呼ばれる「非常にポピュラーなサラダ」を摘まみながらウォッカというのも秀逸だ…
何か「ロシアの流儀」を名古屋の繁華街で満喫してしまった…「煙草は?」とでも言い出せば「そこの階段の外気に当たるバルコニーで…」という辺りまでもが「ロシアの流儀」だった…
↓本当に「よく在る…」という感じの“夜の街”のビルに、笑ってしまう程に「ロシアの流儀」な場所が在った…
↓名古屋の友人に御案内頂いたが、一寸記憶に留めたい場所だ…
<中部電力 MIRAI TOWER>=名古屋テレビ塔…(2022.08.03)
名古屋にも繁華な地区が幾つも在るが、栄もその一つで、地下鉄網が行き交う上に久屋大通公園という緑地も設えられている。
↓そういう辺りで一際目立つような感かもしれないのがテレビ塔だ。
このテレビ塔は1954(昭和29)年に開業した「集約電波塔」と呼ばれるモノとしては、日本国内最初の事例であるそうだ。
↓塔の高さは180mであるそうだ。
↓久屋大通公園に設えられた水辺に塔が映り込む。何やら「暑さ対策のミスト」のような、「演出用スモーク」のようなモノが噴出していた…
↓色々と好さそうなカフェやレストランも辺りに多く見受けられ、何か「もう少し親しみたい辺り…」という風情だった。
この名古屋テレビ塔だが、「ネーミングライツ」の売買が在って、2021年から<中部電力 MIRAI TOWER>(ちゅうぶでんりょくみらいたわー)という公式呼称になったそうだ。それでも「テレビ塔」で通ると思うが…
↓そういう辺りで一際目立つような感かもしれないのがテレビ塔だ。
このテレビ塔は1954(昭和29)年に開業した「集約電波塔」と呼ばれるモノとしては、日本国内最初の事例であるそうだ。
↓塔の高さは180mであるそうだ。
↓久屋大通公園に設えられた水辺に塔が映り込む。何やら「暑さ対策のミスト」のような、「演出用スモーク」のようなモノが噴出していた…
↓色々と好さそうなカフェやレストランも辺りに多く見受けられ、何か「もう少し親しみたい辺り…」という風情だった。
この名古屋テレビ塔だが、「ネーミングライツ」の売買が在って、2021年から<中部電力 MIRAI TOWER>(ちゅうぶでんりょくみらいたわー)という公式呼称になったそうだ。それでも「テレビ塔」で通ると思うが…
名古屋市庁舎&愛知県庁舎…(2022.08.03)
名古屋に立寄り、友人に会う予定となったが、友人と落ち合う前に「少しだけ眺めたい…」と思う光景が在って、少し動いた。
↓これが観たかった…
↓名古屋市庁舎である。1933(昭和8)年竣工だ…
↓独特なデザインが面白い。
↓隣が愛知県庁舎である。1938(昭和13)年竣工だ…
↑全く初めて、事前に何らの知識も無くこの建物を観た時には「何??」と思った。「名古屋城の屋根?」というようなモノが、コンクリートのビルに載っているのだ…
コンクリート等の建築に、瓦屋根のような和風の意匠を合わせる建築は1930年代に一部で流行った。「帝冠様式」と呼ばれるモノだ。
名古屋は1945(昭和20)年頃の戦禍が大きかった地域と聞く。そういう意味で、1930年代の立派な建築が並んで残っている様子は貴重なのかもしれない。
↓これが観たかった…
↓名古屋市庁舎である。1933(昭和8)年竣工だ…
↓独特なデザインが面白い。
↓隣が愛知県庁舎である。1938(昭和13)年竣工だ…
↑全く初めて、事前に何らの知識も無くこの建物を観た時には「何??」と思った。「名古屋城の屋根?」というようなモノが、コンクリートのビルに載っているのだ…
コンクリート等の建築に、瓦屋根のような和風の意匠を合わせる建築は1930年代に一部で流行った。「帝冠様式」と呼ばれるモノだ。
名古屋は1945(昭和20)年頃の戦禍が大きかった地域と聞く。そういう意味で、1930年代の立派な建築が並んで残っている様子は貴重なのかもしれない。
名古屋駅周辺にて…(2022.07.29)
朝、宿から名古屋駅を目指して歩いた。
多分、到着した名古屋駅から宿を探して歩いた時と、道が何本かズレていたと思うのだが…
↓巨大なビルが見える方向へゆっくり進めば名古屋駅にはとりあえず至る…
↑背が高い巨大なビルは2本なのだが…辺りの硝子張りなビルに映り込みが在って、何やら「3本?」と錯覚した…
↓何回か通っている名古屋駅の傍なのだが、何か巨大な建物が高めな密度で集まり、雑多な要素が入組んだ感じで「不思議な世界…」というような気がする場所だ。
↓そして名古屋駅の入口に至った…
名古屋駅の場合、中に入ってから「御手洗は何処?」、「切符を売っている場所?」、「何処からホームに入る?」と迷う。単純に少し広い所に様々なモノが詰まっているからなのだと思うが…もうほんの少しばかり馴染みたいというような気もするのだが、夜遅くに“中継点”として到着し、朝の間に離れることとなった…
多分、到着した名古屋駅から宿を探して歩いた時と、道が何本かズレていたと思うのだが…
↓巨大なビルが見える方向へゆっくり進めば名古屋駅にはとりあえず至る…
↑背が高い巨大なビルは2本なのだが…辺りの硝子張りなビルに映り込みが在って、何やら「3本?」と錯覚した…
↓何回か通っている名古屋駅の傍なのだが、何か巨大な建物が高めな密度で集まり、雑多な要素が入組んだ感じで「不思議な世界…」というような気がする場所だ。
↓そして名古屋駅の入口に至った…
名古屋駅の場合、中に入ってから「御手洗は何処?」、「切符を売っている場所?」、「何処からホームに入る?」と迷う。単純に少し広い所に様々なモノが詰まっているからなのだと思うが…もうほんの少しばかり馴染みたいというような気もするのだが、夜遅くに“中継点”として到着し、朝の間に離れることとなった…
<ミュースカイ>…(2022.07.28)
稚内駅から、名寄駅、旭川駅、滝川駅、岩見沢駅、白石駅、新札幌駅を経て新千歳空港駅に到る道程を普通列車で移動した。その後、夜のフライトで中部国際空港に到着した。
↓空港の出口に至る道筋に在る表示を追い掛けると、名鉄の中部国際空港駅に直ぐに着く。
ICOCAを使って駅に入った時、直ぐに発車しそうな名鉄名古屋駅を通る列車に飛び乗った。
↓飛び乗った列車はこういう様子だった…
↓料金券(指定席券)が必要な列車であったようで、車内で車掌さんに360円支払って精算した。
<ミュースカイ>という列車で、中部国際空港駅を出ると神宮前駅まで停車が無く、金山駅を経て名鉄名古屋駅に着くが、所要時間は35分程度だった。
↓名鉄名古屋駅に到着の<ミュースカイ>を何となく眺めていた。
長く乗物を乗り継ぎ続けた長い1日となったが、後は少しばかり歩くだけとなった…「この日の最後の列車移動」で、乗車機会が少ない車輛に乗った訳だ。
↓空港の出口に至る道筋に在る表示を追い掛けると、名鉄の中部国際空港駅に直ぐに着く。
ICOCAを使って駅に入った時、直ぐに発車しそうな名鉄名古屋駅を通る列車に飛び乗った。
↓飛び乗った列車はこういう様子だった…
↓料金券(指定席券)が必要な列車であったようで、車内で車掌さんに360円支払って精算した。
<ミュースカイ>という列車で、中部国際空港駅を出ると神宮前駅まで停車が無く、金山駅を経て名鉄名古屋駅に着くが、所要時間は35分程度だった。
↓名鉄名古屋駅に到着の<ミュースカイ>を何となく眺めていた。
長く乗物を乗り継ぎ続けた長い1日となったが、後は少しばかり歩くだけとなった…「この日の最後の列車移動」で、乗車機会が少ない車輛に乗った訳だ。
<和志かぶと屋>(わごころかぶとや)…<鉄板焼きたら福>…(2022.07.28)
<のぞみ>…:名古屋駅(2020.12.26)
↓「名古屋駅」に関しては、乗車予定の列車がやって来る辺りに至って、こういうような案内が掲出される様子を視ると酷く強く安堵する…
↑東海道・山陽新幹線の各駅では、発車案内は大概はこういうような感じになっていて、日本語と英語が切り替わりながら表示されている…
「名古屋駅」は酷く広壮な感じがする。JR東海の新幹線と在来線の各列車、近鉄、名鉄、地下鉄の複数の路線と色々在って、それらを結んで様々なテナントが入居した施設と言うのか、地下街と言うのか、色々なモノが「過ぎる…」と思う程に多く在り、「大雑把な位置関係」が「何度か寄っている」という程度では把握出来ない…故に「名古屋から列車に乗る」という場合には、何時も「少しばかりゆとりを持って名古屋駅へ…」ということでもなければ「迷子…」を危惧してしまう。幸い、本当に「迷子…」というような状態に陥って困るというのからは免れているが…
丸の内駅から乗った地下鉄の列車が名古屋駅に着き、新幹線の列車の切符を求める、乗車するための改札口というのは特段に迷わず、「どうなっている??」という程に長く歩くのでもなく、直ぐに着くことが出来た。
「クレジットカードも利用可能な券売機」が在って、そこで確りと東京へ向かう<のぞみ>の乗車券、新幹線特急券、指定席券を求めた…
↓指定席券に在る“号車番号”を確認して、“乗車口案内”を確かめて列車を待つ…<のぞみ>は「16輌」というような、端から端が「300m以上??」という長大な列車なので、“乗車口案内”を確かめることは欠かせないように思う…
↓やがて列車がやって来る…
↓列車はゆっくりと減速し、所定の位置に確り停車する…
↓乗車した「7号車」に見受けられる掲示…
↓「7号車」にはこんな場所が設けられている…
↓中の感じだ…
そういう訳で、富士山も視えた車窓も愉しみながら東京駅へ移動した。
縁が深いでもない東海道新幹線だが、時にはこの<のぞみ>のような列車に乗るのも愉しいと思う…或いは「時には愉しい?」を求めて、時に「随意に過ごす時間」を設けようとしてしまう訳でもあるが…
↑東海道・山陽新幹線の各駅では、発車案内は大概はこういうような感じになっていて、日本語と英語が切り替わりながら表示されている…
「名古屋駅」は酷く広壮な感じがする。JR東海の新幹線と在来線の各列車、近鉄、名鉄、地下鉄の複数の路線と色々在って、それらを結んで様々なテナントが入居した施設と言うのか、地下街と言うのか、色々なモノが「過ぎる…」と思う程に多く在り、「大雑把な位置関係」が「何度か寄っている」という程度では把握出来ない…故に「名古屋から列車に乗る」という場合には、何時も「少しばかりゆとりを持って名古屋駅へ…」ということでもなければ「迷子…」を危惧してしまう。幸い、本当に「迷子…」というような状態に陥って困るというのからは免れているが…
丸の内駅から乗った地下鉄の列車が名古屋駅に着き、新幹線の列車の切符を求める、乗車するための改札口というのは特段に迷わず、「どうなっている??」という程に長く歩くのでもなく、直ぐに着くことが出来た。
「クレジットカードも利用可能な券売機」が在って、そこで確りと東京へ向かう<のぞみ>の乗車券、新幹線特急券、指定席券を求めた…
↓指定席券に在る“号車番号”を確認して、“乗車口案内”を確かめて列車を待つ…<のぞみ>は「16輌」というような、端から端が「300m以上??」という長大な列車なので、“乗車口案内”を確かめることは欠かせないように思う…
↓やがて列車がやって来る…
↓列車はゆっくりと減速し、所定の位置に確り停車する…
↓乗車した「7号車」に見受けられる掲示…
↓「7号車」にはこんな場所が設けられている…
↓中の感じだ…
そういう訳で、富士山も視えた車窓も愉しみながら東京駅へ移動した。
縁が深いでもない東海道新幹線だが、時にはこの<のぞみ>のような列車に乗るのも愉しいと思う…或いは「時には愉しい?」を求めて、時に「随意に過ごす時間」を設けようとしてしまう訳でもあるが…
3050形電車…:大須観音駅:名古屋の地下鉄(2020.12.25)
「24時間券」を手に、地下鉄利用で名古屋を動き回ってみた…
↓大須観音駅で下車し、乗って着いた車輌を何となく眺めた…
↑行先表示が「豊田市」となっている。名鉄の路線に乗入れているようだ…地下鉄は「名古屋市交通局」が運行しているが、名古屋近在の街を結ぶ私鉄との乗入運行が色々と在るようだ…
↓出発した車輌は1993(平成5)年から1994(平成6)年に製造されたという3050形電車だ…金属色の車体に、路線のイメージカラーのようなモノが少し入った感じ…「1990年代の車輌…」という雰囲気が色濃いと思った…
↑この大須観音駅では「ホーム扉」は見受けられなかった…
駅の中で案内図等を視て、大須観音を訪ねたのだった。何処かを訪ねると、訪ねた際に乗った乗物に関しても、可能であれば一寸写真に収めておきたくなる…
↓大須観音駅で下車し、乗って着いた車輌を何となく眺めた…
↑行先表示が「豊田市」となっている。名鉄の路線に乗入れているようだ…地下鉄は「名古屋市交通局」が運行しているが、名古屋近在の街を結ぶ私鉄との乗入運行が色々と在るようだ…
↓出発した車輌は1993(平成5)年から1994(平成6)年に製造されたという3050形電車だ…金属色の車体に、路線のイメージカラーのようなモノが少し入った感じ…「1990年代の車輌…」という雰囲気が色濃いと思った…
↑この大須観音駅では「ホーム扉」は見受けられなかった…
駅の中で案内図等を視て、大須観音を訪ねたのだった。何処かを訪ねると、訪ねた際に乗った乗物に関しても、可能であれば一寸写真に収めておきたくなる…
丸の内駅…:名古屋の地下鉄(2020.12.26)
前日午後に求めて在った「24時間券」を手に、夜を明かした宿を出て早朝の丸の内駅に入り込んだ…
↓駅のホームにはこういうような案内が掲出されている。
↑やって来る列車が進む方向が「→」を象った路線のイメージの形で判り、停車駅と概ねの所要時間が示されている。向かう先の駅で乗換が可能な場合には、その旨が駅名の脇に書かれている。これは名古屋の地下鉄各路線で共通の形で作られているように見受けられた。
↓早朝の、列車本数が控え目かもしれない時間帯ではあったが、然程待つまでもなく列車が現れた…
↓名古屋の地下鉄駅でも順次「ホーム扉」が整備されていて、この丸の内駅では既に整っていた…
何度か利用している名古屋の地下鉄だが、なかなかに利用し易い感だ…もう少しこの名古屋の地下鉄に親しむ機会も設けてみたい感だ…
↓駅のホームにはこういうような案内が掲出されている。
↑やって来る列車が進む方向が「→」を象った路線のイメージの形で判り、停車駅と概ねの所要時間が示されている。向かう先の駅で乗換が可能な場合には、その旨が駅名の脇に書かれている。これは名古屋の地下鉄各路線で共通の形で作られているように見受けられた。
↓早朝の、列車本数が控え目かもしれない時間帯ではあったが、然程待つまでもなく列車が現れた…
↓名古屋の地下鉄駅でも順次「ホーム扉」が整備されていて、この丸の内駅では既に整っていた…
何度か利用している名古屋の地下鉄だが、なかなかに利用し易い感だ…もう少しこの名古屋の地下鉄に親しむ機会も設けてみたい感だ…
<1401>…:往年の名古屋の路面電車(2020.12.25)
他所の地方へふらりと立寄り、「こういうモノがこういう場所に在る」ということを事前に知らずに、本当に偶々で興味が在るモノに出くわすと酷く嬉しく、記憶に残るというものだ…
↓本当に「期せずして…」という形で、名古屋でこういうモノを見掛けた…
↑現在の名古屋では路面電車の運行は見受けられないが、嘗ては大活躍していたと聞く…そんな往年の路面電車がさり気なく展示されていた…
大須観音を訪ね、「名古屋総鎮守」の若宮八幡社へ歩き、「辺りを適当に歩き廻れば地下鉄駅に行き当たるであろうか?」と動き続けてみた…名古屋駅のロッカーに預けた荷物を引き取って、宿に向かってみるというのが程好いかもしれない時間帯だと思っていたのだった。
そうやって動いていれば、“科学館”なる施設が建っている公園のような場所に行き当たり、「あそこの施設の入口辺りで、一寸様子を視れば、最寄りの地下鉄駅が判る…であろう…」という程度に思って辺りを眺めながら進んだ…
↓そしてその“科学館”なる施設の手前に「停車」の路面電車だ…
↑停留所の設えをしているので「停車」と表現したくなったが、“静態保存”の展示という体裁である…
<1401>というのは「1400型電車」と呼ばれた、名古屋で長く活躍した型の1輛である。1936(昭和11)年に初めて登場し、ワンマン運行対応の改修も入ったと見受けられるが、1974(昭和49)年に名古屋の路面電車が廃止となってしまうまで動いていたのだという。「1400型電車」は全部で75輛も製造されたそうだ。更に、後続する各型の基礎にもなった、名古屋の路面電車の屋台骨を支え続けたような車輛である…
↓1936(昭和11)年当時に流行った「流線形」も取り入れたデザインであるというのだが、何か美しい形だと思った…
勿論、動き回っている路面電車を眺めて乗車するというのが愉しいのだが、こういうような嘗て活躍した車輛の展示を眺めるのも悪くはない。それにしても、本当に期せずして<1401>に出遭ったのは嬉しい出来事だった…
この後…最寄りの地下鉄駅が伏見駅であると聞いて、そこへ向かったのだが、大須観音を振り出しに辺りをグルグルと廻ったような形になった…
↓本当に「期せずして…」という形で、名古屋でこういうモノを見掛けた…
↑現在の名古屋では路面電車の運行は見受けられないが、嘗ては大活躍していたと聞く…そんな往年の路面電車がさり気なく展示されていた…
大須観音を訪ね、「名古屋総鎮守」の若宮八幡社へ歩き、「辺りを適当に歩き廻れば地下鉄駅に行き当たるであろうか?」と動き続けてみた…名古屋駅のロッカーに預けた荷物を引き取って、宿に向かってみるというのが程好いかもしれない時間帯だと思っていたのだった。
そうやって動いていれば、“科学館”なる施設が建っている公園のような場所に行き当たり、「あそこの施設の入口辺りで、一寸様子を視れば、最寄りの地下鉄駅が判る…であろう…」という程度に思って辺りを眺めながら進んだ…
↓そしてその“科学館”なる施設の手前に「停車」の路面電車だ…
↑停留所の設えをしているので「停車」と表現したくなったが、“静態保存”の展示という体裁である…
<1401>というのは「1400型電車」と呼ばれた、名古屋で長く活躍した型の1輛である。1936(昭和11)年に初めて登場し、ワンマン運行対応の改修も入ったと見受けられるが、1974(昭和49)年に名古屋の路面電車が廃止となってしまうまで動いていたのだという。「1400型電車」は全部で75輛も製造されたそうだ。更に、後続する各型の基礎にもなった、名古屋の路面電車の屋台骨を支え続けたような車輛である…
↓1936(昭和11)年当時に流行った「流線形」も取り入れたデザインであるというのだが、何か美しい形だと思った…
勿論、動き回っている路面電車を眺めて乗車するというのが愉しいのだが、こういうような嘗て活躍した車輛の展示を眺めるのも悪くはない。それにしても、本当に期せずして<1401>に出遭ったのは嬉しい出来事だった…
この後…最寄りの地下鉄駅が伏見駅であると聞いて、そこへ向かったのだが、大須観音を振り出しに辺りをグルグルと廻ったような形になった…
「24時間券」…:名古屋の地下鉄(2020.12.25)
出掛けた先で、「地下鉄の1日券」というようなモノを求めて利用することが存外に好きだ…或る程度運行頻度も高い地下鉄で、街の主要な地区を往来する地下鉄の列車を、特段に細かい料金を気にせずに何度か利用すると、自ずと“1日券”の料金の前後の利用に届くという場合が殆どだと思う。そういう訳で、出先で「一寸地下鉄に…」と思い付くと、最初に乗車しようとする駅で「1日券」を入手してみようとする。
「未だ朝」と言い得る時間帯に名古屋に入り、思い付いて名鉄の列車を利用して津島を訪ねた後、名古屋駅の巨大な地下街でランチを愉しみ、そこから地下鉄で動き回ろうとした。何れにしても「名古屋駅から地下鉄で丸の内駅」という経路で滞在する宿を目指す手筈では在ったのだ…
地下鉄の名古屋駅に至り、各種の券を販売する自販機を見付けて、何となく眺めた。最近、「地下鉄の1日券」というようなモノは自販機で売られている。窓口らしきものを探す方が手間が要るというのが普通だ…そういう訳で、名古屋駅で直ぐに見付かった自販機を何となく視た。
地下鉄駅で乗車券等を売る自販機にも「時代の変遷」というのが間違いなく在る。名古屋駅で眼に留めた自販機は、「中学生か高校生の頃のに札幌の地下鉄駅で頻繁に見掛けた」という印象の、「専ら現在居る駅から各駅への単純な乗車券を売っている」というタイプの年季が入って視えるモノだった…「“1日券”は何処で如何に求めるのか?!」と思っていれば、脇に駅員さんが現れた…自身のように他地方から偶々入り込んだ者のような不慣れな人に対応する係が居るらしく、大変丁寧に御案内頂いて、酷く懐かしい感じがした自販機の脇の、少し新しい自販機で「1日券」は容易に求められるということだった…
↓「1日券」を求めたのは好かったが、何か得心出来なかった。自身としては「今直ぐ!」に使用したい。が、「翌日の日付」というのは「如何いう了見??」と思った…
親切に「そちらの券売機で…」と御案内頂いた駅員さんに「判らない?」と御尋ねした。そして判った。「1日券」は「24時間有効」である。従って、求めた「1日券」で改札口を潜ると“時刻”が刻印され、「翌日の刻印された時刻まで有効」となるのだという。従って…「12月25日13時13分」に使い始めた「1日券」は、「12月26日13時13分まで」の「24時間有効」なのだという。故に、「今使う!」という意図で求めた券に、翌日の日付なのだ。「まで有効」という表示の方法だ…
こういうのは、街に入って、泊まって、翌日に立ち去るというような場合、非常に有益ではないだろうか?実際、この12月25日に地下鉄で動き回り、宿に入り、翌朝に新幹線の列車に乗る名古屋駅へ移動したが、この「1日券」で須らく用事は足りてしまったのだ。同日の終電までではなく、「24時間」としてくれるだけで、「泊まった翌朝の移動」に遠慮なく利用可能となるのだ…実に好い!!
他所でもこういう「24時間券」というのは一部に見受けられるようだが、なかなかに好いように思った。そして、旅から戻って然程時間は経たないが、「何時かこの“24時間券”を手に、また名古屋をフラフラと…」という想いを抱いてしまっていることに思い至る…
「未だ朝」と言い得る時間帯に名古屋に入り、思い付いて名鉄の列車を利用して津島を訪ねた後、名古屋駅の巨大な地下街でランチを愉しみ、そこから地下鉄で動き回ろうとした。何れにしても「名古屋駅から地下鉄で丸の内駅」という経路で滞在する宿を目指す手筈では在ったのだ…
地下鉄の名古屋駅に至り、各種の券を販売する自販機を見付けて、何となく眺めた。最近、「地下鉄の1日券」というようなモノは自販機で売られている。窓口らしきものを探す方が手間が要るというのが普通だ…そういう訳で、名古屋駅で直ぐに見付かった自販機を何となく視た。
地下鉄駅で乗車券等を売る自販機にも「時代の変遷」というのが間違いなく在る。名古屋駅で眼に留めた自販機は、「中学生か高校生の頃のに札幌の地下鉄駅で頻繁に見掛けた」という印象の、「専ら現在居る駅から各駅への単純な乗車券を売っている」というタイプの年季が入って視えるモノだった…「“1日券”は何処で如何に求めるのか?!」と思っていれば、脇に駅員さんが現れた…自身のように他地方から偶々入り込んだ者のような不慣れな人に対応する係が居るらしく、大変丁寧に御案内頂いて、酷く懐かしい感じがした自販機の脇の、少し新しい自販機で「1日券」は容易に求められるということだった…
↓「1日券」を求めたのは好かったが、何か得心出来なかった。自身としては「今直ぐ!」に使用したい。が、「翌日の日付」というのは「如何いう了見??」と思った…
親切に「そちらの券売機で…」と御案内頂いた駅員さんに「判らない?」と御尋ねした。そして判った。「1日券」は「24時間有効」である。従って、求めた「1日券」で改札口を潜ると“時刻”が刻印され、「翌日の刻印された時刻まで有効」となるのだという。従って…「12月25日13時13分」に使い始めた「1日券」は、「12月26日13時13分まで」の「24時間有効」なのだという。故に、「今使う!」という意図で求めた券に、翌日の日付なのだ。「まで有効」という表示の方法だ…
こういうのは、街に入って、泊まって、翌日に立ち去るというような場合、非常に有益ではないだろうか?実際、この12月25日に地下鉄で動き回り、宿に入り、翌朝に新幹線の列車に乗る名古屋駅へ移動したが、この「1日券」で須らく用事は足りてしまったのだ。同日の終電までではなく、「24時間」としてくれるだけで、「泊まった翌朝の移動」に遠慮なく利用可能となるのだ…実に好い!!
他所でもこういう「24時間券」というのは一部に見受けられるようだが、なかなかに好いように思った。そして、旅から戻って然程時間は経たないが、「何時かこの“24時間券”を手に、また名古屋をフラフラと…」という想いを抱いてしまっていることに思い至る…
<若宮八幡社>…(2020.12.25)
↓「名古屋総鎮守」という大きな看板が掲げられていた…
<大須観音>を訪ねてみて、辺りを少し歩き、辺りに落葉が多かった状況に多少驚き、そのうちにこの「名古屋総鎮守」という大きな看板に至った…
↓ここは<若宮八幡社>という、名古屋の街中に在る神社だ…
<若宮八幡社>は8世紀冒頭の大宝年間に起こった社を起源としているとのことだ。境内は現在の名古屋城の辺りであったということだが、1610(慶長15)年に現在地に遷り、「名古屋総鎮守」ということになった。やがて名古屋城を本拠地とした尾張徳川家が社殿の造営を行うというような経過も在り、歴代の尾張侯が篤く崇敬した社ということで経過した。明治期以降も県社という位置付けになって継続したが、戦禍(名古屋大空襲)で社殿等が損なわれてしまった…再建が成ったのは1957(昭和32)年であったということだ。
↓何か厳かな雰囲気が漂う…好い感じだと思った。
↓何となく様子を伺っていた…年末の金曜日の午後という時間帯で、混み合ってはいない静かな感じではありながら、参拝する人が長く途切れてしまうという感じではなかった。何か、篤い信心を寄せる人達が多く、通り掛かると参拝というような様子が伺えた…
↓名古屋に無事に至ったということに関して、「名古屋総鎮守」に感謝の意を表して辞去し、落葉が多い街をもう少々歩いた…
後から振り返れば、この日はクリスマスだった。が、午前中の早目な時間帯に名古屋に着き、津島に移動して観音寺や「悪疫退散」の特別御朱印の津島神社を訪ね、名古屋市内に戻って大須観音、そしてこの<若宮八幡社>であり、「クリスマスに社寺ばかりを巡った」という、些か奇矯な振る舞いに及んでしまっていたかもしれない。クリスマスを無視したという意図は無いのだが、今般は朝から元気よく動き回って方々で社寺を訪れるなどし、「クリスマスの灯りの演出」というようなモノが見受けられるような夕刻や夜には宿で寛ぐというような過ごし方が多く、然程クリスマスを意識しなかった…
何れにしても、「名古屋の一日」は何か愉しい感じだったことが記憶に残る…
<大須観音>を訪ねてみて、辺りを少し歩き、辺りに落葉が多かった状況に多少驚き、そのうちにこの「名古屋総鎮守」という大きな看板に至った…
↓ここは<若宮八幡社>という、名古屋の街中に在る神社だ…
<若宮八幡社>は8世紀冒頭の大宝年間に起こった社を起源としているとのことだ。境内は現在の名古屋城の辺りであったということだが、1610(慶長15)年に現在地に遷り、「名古屋総鎮守」ということになった。やがて名古屋城を本拠地とした尾張徳川家が社殿の造営を行うというような経過も在り、歴代の尾張侯が篤く崇敬した社ということで経過した。明治期以降も県社という位置付けになって継続したが、戦禍(名古屋大空襲)で社殿等が損なわれてしまった…再建が成ったのは1957(昭和32)年であったということだ。
↓何か厳かな雰囲気が漂う…好い感じだと思った。
↓何となく様子を伺っていた…年末の金曜日の午後という時間帯で、混み合ってはいない静かな感じではありながら、参拝する人が長く途切れてしまうという感じではなかった。何か、篤い信心を寄せる人達が多く、通り掛かると参拝というような様子が伺えた…
↓名古屋に無事に至ったということに関して、「名古屋総鎮守」に感謝の意を表して辞去し、落葉が多い街をもう少々歩いた…
後から振り返れば、この日はクリスマスだった。が、午前中の早目な時間帯に名古屋に着き、津島に移動して観音寺や「悪疫退散」の特別御朱印の津島神社を訪ね、名古屋市内に戻って大須観音、そしてこの<若宮八幡社>であり、「クリスマスに社寺ばかりを巡った」という、些か奇矯な振る舞いに及んでしまっていたかもしれない。クリスマスを無視したという意図は無いのだが、今般は朝から元気よく動き回って方々で社寺を訪れるなどし、「クリスマスの灯りの演出」というようなモノが見受けられるような夕刻や夜には宿で寛ぐというような過ごし方が多く、然程クリスマスを意識しなかった…
何れにしても、「名古屋の一日」は何か愉しい感じだったことが記憶に残る…
<大須観音>…(2020.12.25)
名古屋の<大須観音>というのは通称で、正しくは「北野山真福寺寶生院」(きたのさん しんぷくじ ほうしょういん)という号の、真言宗智山派の寺であるという。真言宗智山派の中で、この寺は「別格本山」という高い位置付けが与えられているという。
<大須観音>は非常に長い経過を有している寺で、本尊の聖観音が篤い信仰を集めて来た寺だ。1892(明治25)年に火災で伽藍の建物が損なわれて本堂と仁王門が再建されたが、その建物も1945(昭和20)年の戦禍(名古屋大空襲)で損なわれてしまった。1949(昭和24)年に仮の本堂と仁王門が築かれ、1970(昭和45)年に至って漸く現在の本堂や仁王門が完成したのだという。
↓その<大須観音>の本殿は、少し高くなった場所に設えられている。なかなかに立派で、暫し足を停めて見上げてしまった…
↑一部の軒先に「不思議な装飾?」と思ったが、辺りの鳩達が軒先で翼を休めているのだった…
↓本殿に少し近付いた…
↓「観世音」と観音様を示す文字が書き込まれた大きな提灯も在った…
↓新しい年を迎える準備の飾りも見受けられた…
↓「殿悲大」=「大悲殿」という額が本殿に見受けられる。
↑「大悲」とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表す語であるという。そういう“大悲”こと観音様を祀る建物を「大悲殿」というように呼ぶ場合が在る。それが掲げられている訳だ…
<大須観音>の名は地下鉄の駅名にもなっていて、この場所は或る種「辺りのシンボル」というような感じなのだと思った。古くからの門前町の流れを汲むと見受けられるような商店街も直ぐ傍に在って、一定程度賑わっているように視えた。<大須観音>の辺りということについては、「名古屋で繁華な辺り?」ということで、何となく名も耳にした記憶が在るので寄ってみたが…同時に<大須観音>へ参拝し、「無事に名古屋に立寄ることも出来たことを感謝」という感であった…
<大須観音>は非常に長い経過を有している寺で、本尊の聖観音が篤い信仰を集めて来た寺だ。1892(明治25)年に火災で伽藍の建物が損なわれて本堂と仁王門が再建されたが、その建物も1945(昭和20)年の戦禍(名古屋大空襲)で損なわれてしまった。1949(昭和24)年に仮の本堂と仁王門が築かれ、1970(昭和45)年に至って漸く現在の本堂や仁王門が完成したのだという。
↓その<大須観音>の本殿は、少し高くなった場所に設えられている。なかなかに立派で、暫し足を停めて見上げてしまった…
↑一部の軒先に「不思議な装飾?」と思ったが、辺りの鳩達が軒先で翼を休めているのだった…
↓本殿に少し近付いた…
↓「観世音」と観音様を示す文字が書き込まれた大きな提灯も在った…
↓新しい年を迎える準備の飾りも見受けられた…
↓「殿悲大」=「大悲殿」という額が本殿に見受けられる。
↑「大悲」とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表す語であるという。そういう“大悲”こと観音様を祀る建物を「大悲殿」というように呼ぶ場合が在る。それが掲げられている訳だ…
<大須観音>の名は地下鉄の駅名にもなっていて、この場所は或る種「辺りのシンボル」というような感じなのだと思った。古くからの門前町の流れを汲むと見受けられるような商店街も直ぐ傍に在って、一定程度賑わっているように視えた。<大須観音>の辺りということについては、「名古屋で繁華な辺り?」ということで、何となく名も耳にした記憶が在るので寄ってみたが…同時に<大須観音>へ参拝し、「無事に名古屋に立寄ることも出来たことを感謝」という感であった…
早朝…:地下鉄丸の内駅…:名古屋(2020.12.26)
<鉄板ナポリタン>…(2020.12.25)
近鉄の特急<ひのとり>で名古屋に着き、そのまま名鉄の列車を利用して津島を訪れ、観音寺や津島神社に立寄り、また名古屋駅に引揚げた。そうすると「ランチタイム…」というような感じだった…
何やら「あそこだけで一つの都市…」というような趣の名古屋駅には、色々な場所に色々なテナントが入って営業していて、何処が何であるか、不慣れであれば非常に判り悪いのだが、とりあえず「一寸したランチ」が愉しめそうなカフェを発見して立寄ってみた…
↓こういうランチを頂いた…
↑「名古屋発祥」というモノらしい…<鉄板ナポリタン>という…
肉類と、玉ねぎやピーマン等の野菜をトマトケチャップ味に炒めたスパゲッティ…所謂「ナポリタン」は、スパゲッティの母国たるイタリアには無いという「メイドインジャパン」な料理である。これの起こりには諸説在るようなのだが、この「ナポリタン」を洋食店でステーキやハンバーグなどが冷めないように用いる鉄製の皿に盛って出すようにしたのは、名古屋の喫茶店で、1960年代頃だったそうだ…熱々に熱したステーキ皿に「ナポリタン」を盛って、溶き卵を掛けて更に保温性を高めるというようになっているそうだ…
↓これがその<鉄板ナポリタン>だと、暫し見入ってしまい…「熱っ!!」という感じなので、少しフーっと吹きながらゆっくりと頂いた…
他地方でも在るような気もするが…これが名古屋では文字どおりに「鉄板!!」な定番でもあるらしい…少し興味深かった。こういう「さり気ないモノ」に出くわすのが出先で過ごす愉しさでもある…
後から聞けば…「ナポリタン」に関して、名古屋以西では「イタリアン」という言い方もポピュラーであるといい、「鉄板イタリアン」と言う場合も多いらしい。が、自身で頂いた店では<鉄板ナポリタン>と呼ばれていた…
何やら「あそこだけで一つの都市…」というような趣の名古屋駅には、色々な場所に色々なテナントが入って営業していて、何処が何であるか、不慣れであれば非常に判り悪いのだが、とりあえず「一寸したランチ」が愉しめそうなカフェを発見して立寄ってみた…
↓こういうランチを頂いた…
↑「名古屋発祥」というモノらしい…<鉄板ナポリタン>という…
肉類と、玉ねぎやピーマン等の野菜をトマトケチャップ味に炒めたスパゲッティ…所謂「ナポリタン」は、スパゲッティの母国たるイタリアには無いという「メイドインジャパン」な料理である。これの起こりには諸説在るようなのだが、この「ナポリタン」を洋食店でステーキやハンバーグなどが冷めないように用いる鉄製の皿に盛って出すようにしたのは、名古屋の喫茶店で、1960年代頃だったそうだ…熱々に熱したステーキ皿に「ナポリタン」を盛って、溶き卵を掛けて更に保温性を高めるというようになっているそうだ…
↓これがその<鉄板ナポリタン>だと、暫し見入ってしまい…「熱っ!!」という感じなので、少しフーっと吹きながらゆっくりと頂いた…
他地方でも在るような気もするが…これが名古屋では文字どおりに「鉄板!!」な定番でもあるらしい…少し興味深かった。こういう「さり気ないモノ」に出くわすのが出先で過ごす愉しさでもある…
後から聞けば…「ナポリタン」に関して、名古屋以西では「イタリアン」という言い方もポピュラーであるといい、「鉄板イタリアン」と言う場合も多いらしい。が、自身で頂いた店では<鉄板ナポリタン>と呼ばれていた…
津島神社…(2020.12.25)
「全国天王総本社」という、些か物々しいようにも見える冠が着いた津島神社…愛知県の西方、名古屋から名鉄の列車で二十数分というような辺りに鎮座している。
津島駅を出ると、直ぐに津島神社に通じる道は判る…そこを真直ぐ進む…実際には、観音寺に立寄った後、駅の正面側に戻って、そこから歩を進めたのだが…
↓社の手前には大きな木が在る…
↓大きな楼門に行き当たる…
↓門の傍にも大きな木が在る…葉が色付く季節には、恐らく見事な様子なのであろう…
↓この時の明るい天に楼門が映えていた…
古く「津島社」と呼ばれた津島神社である。仏教の伝来の後に「神仏習合」という考え方が生まれて拡がり、、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替るようになって行った。そして「津島社」は寧ろ「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり、江戸時代まではそういうように呼ばれていた。「津島牛頭天王社」の神職は、古くから疫病の流行という事態になれば方々を、西は琵琶湖の辺りまで、東は鎌倉の辺りまで広く駆け回って疫病退散の祈祷を行い、「牛頭天王」への信仰を各地へ拡げ、「全国天王総本社」というようになって行ったのだ。
年末に立寄ったので、新しい年を迎えて行く準備に勤しんでいるような様子も見受けられたが、大勢が溢れているというのでもないにせよ、余り切れ間なく参拝者が見受けられるような状態であった…
↓伝統の格式ある社らしい、凛とした雰囲気が好ましかった…
この社で「自身がこうしてここに在る」ということについて、初めて津島の地を訪れることが叶ったことについて感謝の意を表し、そして「悪疫退散」の特別御朱印を頂いた…
↓そしてこちら、南門から外に出たのだった…
一寸思うのは、「全国天王総本社」ということで、関係の信心を有している人達の間で津島の知名度は高いと思う。が、名鉄のネットワークを外れているような地域では、津島の知名度は然程高くないような気がする。それでも、こうして訪ねてみて、何か「好いな…」という空気感が在った。そういうものに何となく出くわすことが出来るというのが、然程細かい予定を練るのでもなく出掛けてみるということなのだと思う…
もし「次の機会」が在れば、もう少し津島の色々な場所に立寄ってみたい感だ…
津島駅を出ると、直ぐに津島神社に通じる道は判る…そこを真直ぐ進む…実際には、観音寺に立寄った後、駅の正面側に戻って、そこから歩を進めたのだが…
↓社の手前には大きな木が在る…
↓大きな楼門に行き当たる…
↓門の傍にも大きな木が在る…葉が色付く季節には、恐らく見事な様子なのであろう…
↓この時の明るい天に楼門が映えていた…
古く「津島社」と呼ばれた津島神社である。仏教の伝来の後に「神仏習合」という考え方が生まれて拡がり、、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替るようになって行った。そして「津島社」は寧ろ「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり、江戸時代まではそういうように呼ばれていた。「津島牛頭天王社」の神職は、古くから疫病の流行という事態になれば方々を、西は琵琶湖の辺りまで、東は鎌倉の辺りまで広く駆け回って疫病退散の祈祷を行い、「牛頭天王」への信仰を各地へ拡げ、「全国天王総本社」というようになって行ったのだ。
年末に立寄ったので、新しい年を迎えて行く準備に勤しんでいるような様子も見受けられたが、大勢が溢れているというのでもないにせよ、余り切れ間なく参拝者が見受けられるような状態であった…
↓伝統の格式ある社らしい、凛とした雰囲気が好ましかった…
この社で「自身がこうしてここに在る」ということについて、初めて津島の地を訪れることが叶ったことについて感謝の意を表し、そして「悪疫退散」の特別御朱印を頂いた…
↓そしてこちら、南門から外に出たのだった…
一寸思うのは、「全国天王総本社」ということで、関係の信心を有している人達の間で津島の知名度は高いと思う。が、名鉄のネットワークを外れているような地域では、津島の知名度は然程高くないような気がする。それでも、こうして訪ねてみて、何か「好いな…」という空気感が在った。そういうものに何となく出くわすことが出来るというのが、然程細かい予定を練るのでもなく出掛けてみるということなのだと思う…
もし「次の機会」が在れば、もう少し津島の色々な場所に立寄ってみたい感だ…
ユニークな御朱印…:津島 断ち切り不動尊 ― 牛玉山 観音寺(2020.12.25)
名鉄の津島駅を出て、「一つめの信号を暫く進むと左手に見える喫茶店<トキオ>さんを左折」とメモをして訪ねようとした場所であるが…
↓この「<トキオ>さん」を最初に見逃してしまい、辺りを何度もグルグルと廻り歩く羽目に陥ってしまった…今後のため、この場所「<トキオ>さん」の画を掲出することから話しを起こしたい…
「尾張津島」という場所に、何となく興味を覚えた…
かの織田信長の家は、尾張の中での抗争に勝ち残って広く覇を唱えて行くことになるのだが、父の織田信秀の代から、拠点とした地域の経済力を背景に力を蓄えてと言われる。その拠点として挙げられている地域が「尾張津島」である。
現在は愛知県津島市であるが、ここは辺りの幾つかの町が合わさって津島市ということになったようである。名古屋から名鉄の列車で二十数分という感じの地域だ。名古屋との間で移動に要する時間としては、以前に立寄った隣県である三重県桑名市と然程の差は無いような気もした。
津島は<牛頭天王社>(=現在の津島神社)の門前町として賑わってあり、木曽川の舟運の拠点ともなっていた。その経済力が、戦国時代にも非常に重要であったということだ…
そんなことで漠然と関心を覚えた津島に関して、「名古屋に寄る機会でも在れば、一寸足を延ばそう」と思い付いたのは、ある小さな寺での活動に関して耳にしたからである。
現在の津島神社が<牛頭天王社>とされていた頃には、「神仏習合」というようなことで<神宮寺>というモノが在り、その傘下に多くの僧房が設けられていた。そうした僧房の流れを汲む寺が現在でも幾つも在って活動しているという。
↓その<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺の一つに「津島 断ち切り不動尊」―「悩み、苦しみ、病気などを智恵の利剣で断ち切り、強い意志を持って進む力を与えて下さる」という…―として親しまれる<牛玉山 観音寺>(ごおうざん かんのんじ)が在る。
↓正直、やや読み悪い位置になっていたが、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺である旨が紹介されていた。
この観音寺が一部に注目されている。画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評であるというのだ。それを頂いてみたいと思ったのだ…
↓大日如来の姿をイメージした劇画風なイラストを入れたモノが在った…
こういう素敵な「作品」という様相のモノは、画や文字を刷っておいて、そこに押印して日付を書き込むようになっている。御朱印帳の見開きになる頁に貼り付ける訳だ…
↓愛染明王が在った…
↓更に阿修羅も在った…
画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評という中で、津島に在って独自な活動を展開しようとしている様子で、なかなかに面白いと思った。何やら津島は、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺に限らず、「寺院密集地域」と言われる程度に寺が目に付く地域で、各寺の関係者等で地域を盛り立てようとしている様子が伺える。そういうようなことを、可能な範囲で出来るように手掛けようとしてみる様子は少し好ましいと思う。
自身の御朱印帳に、通常型の御本尊である不動尊の号と寺名を書き込んだというモノも頂いたが、写真を掲載したユニークな副住職による作品も頂いた。持ち帰る中で傷めてしまっては申し訳ないので、その場で折り畳んで御朱印帳に確り収めるようにしていると、副住職が糊を貸して下さったので確りその場で貼り付けた…
何か干支によって“守護”の仏様が在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来なのだという。そういうことで、大日如来のイラストというのは、何となく嬉しいと思った。
或いは今般津島に立寄ったのは「偵察?」というような感で、また訪ねてみたいと、離れた直後から思っている…
↓この「<トキオ>さん」を最初に見逃してしまい、辺りを何度もグルグルと廻り歩く羽目に陥ってしまった…今後のため、この場所「<トキオ>さん」の画を掲出することから話しを起こしたい…
「尾張津島」という場所に、何となく興味を覚えた…
かの織田信長の家は、尾張の中での抗争に勝ち残って広く覇を唱えて行くことになるのだが、父の織田信秀の代から、拠点とした地域の経済力を背景に力を蓄えてと言われる。その拠点として挙げられている地域が「尾張津島」である。
現在は愛知県津島市であるが、ここは辺りの幾つかの町が合わさって津島市ということになったようである。名古屋から名鉄の列車で二十数分という感じの地域だ。名古屋との間で移動に要する時間としては、以前に立寄った隣県である三重県桑名市と然程の差は無いような気もした。
津島は<牛頭天王社>(=現在の津島神社)の門前町として賑わってあり、木曽川の舟運の拠点ともなっていた。その経済力が、戦国時代にも非常に重要であったということだ…
そんなことで漠然と関心を覚えた津島に関して、「名古屋に寄る機会でも在れば、一寸足を延ばそう」と思い付いたのは、ある小さな寺での活動に関して耳にしたからである。
現在の津島神社が<牛頭天王社>とされていた頃には、「神仏習合」というようなことで<神宮寺>というモノが在り、その傘下に多くの僧房が設けられていた。そうした僧房の流れを汲む寺が現在でも幾つも在って活動しているという。
↓その<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺の一つに「津島 断ち切り不動尊」―「悩み、苦しみ、病気などを智恵の利剣で断ち切り、強い意志を持って進む力を与えて下さる」という…―として親しまれる<牛玉山 観音寺>(ごおうざん かんのんじ)が在る。
↓正直、やや読み悪い位置になっていたが、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺である旨が紹介されていた。
この観音寺が一部に注目されている。画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評であるというのだ。それを頂いてみたいと思ったのだ…
↓大日如来の姿をイメージした劇画風なイラストを入れたモノが在った…
こういう素敵な「作品」という様相のモノは、画や文字を刷っておいて、そこに押印して日付を書き込むようになっている。御朱印帳の見開きになる頁に貼り付ける訳だ…
↓愛染明王が在った…
↓更に阿修羅も在った…
画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評という中で、津島に在って独自な活動を展開しようとしている様子で、なかなかに面白いと思った。何やら津島は、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺に限らず、「寺院密集地域」と言われる程度に寺が目に付く地域で、各寺の関係者等で地域を盛り立てようとしている様子が伺える。そういうようなことを、可能な範囲で出来るように手掛けようとしてみる様子は少し好ましいと思う。
自身の御朱印帳に、通常型の御本尊である不動尊の号と寺名を書き込んだというモノも頂いたが、写真を掲載したユニークな副住職による作品も頂いた。持ち帰る中で傷めてしまっては申し訳ないので、その場で折り畳んで御朱印帳に確り収めるようにしていると、副住職が糊を貸して下さったので確りその場で貼り付けた…
何か干支によって“守護”の仏様が在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来なのだという。そういうことで、大日如来のイラストというのは、何となく嬉しいと思った。
或いは今般津島に立寄ったのは「偵察?」というような感で、また訪ねてみたいと、離れた直後から思っている…
「悪疫退散」の特別御朱印…:津島神社(2020.12.25)
「自身がこうしてここに在る」ということについて「何かに感謝の意を表しなければなるまい…」というようなことを想うようになり、近年は方々で神社を訪ねて御朱印を頂いてみるというようなことをするようになった。
今般も方々でそういうことをやっているが…奈良から大阪を経て名古屋に着き、直ぐに愛知県西方の津島へ向かったのだった。津島には「疫病除け」で知られる津島神社という伝統の社が鎮座するというのだ…
↓津島神社の御朱印である…
↑右が通常の御朱印で、左が“特別御朱印”である…
“特別御朱印”は御朱印帳に書き込むのではなく、小さな用紙のモノを頂き、糊で貼る訳だ。(津島のコンビニで、糊を求めて確り貼った…糊を求める時、背中側に文房具が在ることに気付かず、店内を2回も廻って店員さんに訊ねてしまったという笑い話まで生じたが…)
“特別御朱印”には、津島神社の祭神である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が描かれ、「悪疫退散」の文字が在る。少し調べると、4月頃に愛知県や東海地方の地域ニュースとして紹介されている例が在ったので、多分今春辺りから登場しているのだと思う。
最近の“事情”ということが在る…“特別御朱印”に描かれている猛々しい、或いは凛々しい建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の力で、妙なモノを討ち滅ぼして頂きたいというようにも思う…同時に、昨今の“事情”の中でさえも「自身がこうしてここに在る」ということについて感謝したい…
単純に描かれている建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の姿が美しいと思うのだが…読者諸賢の御健勝を祈りながら、この“特別御朱印”を御紹介申し上げたい…
今般も方々でそういうことをやっているが…奈良から大阪を経て名古屋に着き、直ぐに愛知県西方の津島へ向かったのだった。津島には「疫病除け」で知られる津島神社という伝統の社が鎮座するというのだ…
↓津島神社の御朱印である…
↑右が通常の御朱印で、左が“特別御朱印”である…
“特別御朱印”は御朱印帳に書き込むのではなく、小さな用紙のモノを頂き、糊で貼る訳だ。(津島のコンビニで、糊を求めて確り貼った…糊を求める時、背中側に文房具が在ることに気付かず、店内を2回も廻って店員さんに訊ねてしまったという笑い話まで生じたが…)
“特別御朱印”には、津島神社の祭神である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が描かれ、「悪疫退散」の文字が在る。少し調べると、4月頃に愛知県や東海地方の地域ニュースとして紹介されている例が在ったので、多分今春辺りから登場しているのだと思う。
最近の“事情”ということが在る…“特別御朱印”に描かれている猛々しい、或いは凛々しい建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の力で、妙なモノを討ち滅ぼして頂きたいというようにも思う…同時に、昨今の“事情”の中でさえも「自身がこうしてここに在る」ということについて感謝したい…
単純に描かれている建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の姿が美しいと思うのだが…読者諸賢の御健勝を祈りながら、この“特別御朱印”を御紹介申し上げたい…
路上の落葉…:名古屋(2020.12.25)
歩道橋の上にて…:名古屋(2020.12.25)
この時季…「多少の斜光?」という程度、夕暮れの予兆のようなモノを感じる時間帯がやや早いと思うのだが、ぼんやりしていれば直ぐに暗くなってしまう…
「大浴場が好評」と謳う宿で、サウナを備えて“天然温泉”であるという浴場で寛ぎ、火照った身体を多少冷まして、汗が退くことを期して一息いれていた間に暗くなってしまった…
宿の入口辺りで広告を兼ねた地図を配布しているので、それを手に居室で飲むモノでも求めるべく「極々短く…」と戸外に出た…
↓歩道橋に上った…
↑正面に視えているのは名古屋駅の方向だ…
地下鉄丸の内駅に程近い辺りは、様々なオフィスが入るビルや宿泊施設等あ目立つ場所だ。辺りにはコンビニが存外に多く、見知ったチェーンの夜は光っている看板が随分と眼に留まった。働く人達や滞在する人達の需要が多いのであろう…
↓反対側を視てみた…
↑名古屋駅周辺に見受けられる程度に巨大なモノは無いが、背が高い建物が連なっている…
「眼で視たモノ」を理解する時、頭の中では「相対的」に考えてしまっているのかもしれない。
滞在した宿は「14階建」だ。利用した大浴場も14階のフロアに在った。(眺望が愉しめるのでもなかったが…)「14階建」と言えば?稚内では「目立って背が高い建物」は「12階建」や「10階建」なので、それよりも背が高い筈だ。が?「意外に小さい建物?」と思った。辺りの建物に、その程度の高さ、それ以上の高さが多いからだ…
↓また名古屋駅の方向を視た…
「温かい」とは言い難い…寧ろ「寒い」かもしれない。と言って「ややキツい…」のは強めな風が抜ける短い時間に過ぎない。或いは、自身のように「街を歩こう…」というようなことをする分には、こういう少し寒い時季の方が好いかもしれない…これも「相対的」に考えてしまっているということか?
巨大な建物の群れから漏れている灯りの数かそれ以上の数の人生が、この大きな街で渦巻いている…そんなことが頭に浮かんだ。そして空いてしまった腹にカレーライスを収めて、居室で飲むアイスコーヒーのペットボトルを買い込んで宿に引揚げた…
「大浴場が好評」と謳う宿で、サウナを備えて“天然温泉”であるという浴場で寛ぎ、火照った身体を多少冷まして、汗が退くことを期して一息いれていた間に暗くなってしまった…
宿の入口辺りで広告を兼ねた地図を配布しているので、それを手に居室で飲むモノでも求めるべく「極々短く…」と戸外に出た…
↓歩道橋に上った…
↑正面に視えているのは名古屋駅の方向だ…
地下鉄丸の内駅に程近い辺りは、様々なオフィスが入るビルや宿泊施設等あ目立つ場所だ。辺りにはコンビニが存外に多く、見知ったチェーンの夜は光っている看板が随分と眼に留まった。働く人達や滞在する人達の需要が多いのであろう…
↓反対側を視てみた…
↑名古屋駅周辺に見受けられる程度に巨大なモノは無いが、背が高い建物が連なっている…
「眼で視たモノ」を理解する時、頭の中では「相対的」に考えてしまっているのかもしれない。
滞在した宿は「14階建」だ。利用した大浴場も14階のフロアに在った。(眺望が愉しめるのでもなかったが…)「14階建」と言えば?稚内では「目立って背が高い建物」は「12階建」や「10階建」なので、それよりも背が高い筈だ。が?「意外に小さい建物?」と思った。辺りの建物に、その程度の高さ、それ以上の高さが多いからだ…
↓また名古屋駅の方向を視た…
「温かい」とは言い難い…寧ろ「寒い」かもしれない。と言って「ややキツい…」のは強めな風が抜ける短い時間に過ぎない。或いは、自身のように「街を歩こう…」というようなことをする分には、こういう少し寒い時季の方が好いかもしれない…これも「相対的」に考えてしまっているということか?
巨大な建物の群れから漏れている灯りの数かそれ以上の数の人生が、この大きな街で渦巻いている…そんなことが頭に浮かんだ。そして空いてしまった腹にカレーライスを収めて、居室で飲むアイスコーヒーのペットボトルを買い込んで宿に引揚げた…
歴代の新幹線車輛…:<リニア・鉄道館>(2019.06.08)
↓右から…0系…100系…300系…700系…東海道新幹線の歴代の車輛だ…
↓低い位置からも眺めてみた…
0系は随分以前に乗車し、700系も乗車した記憶が在る。東海道新幹線は、寧ろここには無いN700系に乗車している回数が多いと思う。100系と300系は乗車した記憶が無い…
それにしても…300系は「列車の速達性の向上!」と最高速度を時速275㎞として、1992(平成4)年に登場した。そして<のぞみ>として運用され、やがて後継車輛にそれを譲って、他の列車として運用された後、2012(平成24)年に退いてしまった。「最新!最高!」の車輛として平成の時代に登場したモノが、平成の終焉を待たずに「博物館の展示品」である…何か…「感じるモノ」が在る…
不意に…「あの写真!?」と思い出して、これを取上げてみた…
↓低い位置からも眺めてみた…
0系は随分以前に乗車し、700系も乗車した記憶が在る。東海道新幹線は、寧ろここには無いN700系に乗車している回数が多いと思う。100系と300系は乗車した記憶が無い…
それにしても…300系は「列車の速達性の向上!」と最高速度を時速275㎞として、1992(平成4)年に登場した。そして<のぞみ>として運用され、やがて後継車輛にそれを譲って、他の列車として運用された後、2012(平成24)年に退いてしまった。「最新!最高!」の車輛として平成の時代に登場したモノが、平成の終焉を待たずに「博物館の展示品」である…何か…「感じるモノ」が在る…
不意に…「あの写真!?」と思い出して、これを取上げてみた…
中部国際空港駅(2019.06.08)
「名鉄の列車が空港の脇に発着」と記憶していて、最初からそれを利用するつもりであった…
↓名古屋駅から乗車した列車が順調な運行で到着した。
↑左側が名古屋駅で乗車した空港連絡特急だ…
この名鉄の列車…名古屋駅から40分を切る程度で空港駅に着くのだが、何となく札幌駅・新千歳空港駅間の移動を思い起こす…
<中部国際空港駅>は、英語では<Central Japan International Airport Station>と言っていた…で、<中部国際空港>だが、英語では<Chubu Centrair International Airport>と称し、駅名と異なる…空港の略称は<セントレア>(Centrair)だという…些か煩雑だ…
↓空港を利用した際に左側の車輌による列車に乗った機会は何度も在ったが…右側の一般的な名鉄の列車に乗った機会は然程多くはない…
名古屋の周辺…もう少し親しんでみたいものだと、時々思い出しながら写真を眺める…
↓名古屋駅から乗車した列車が順調な運行で到着した。
↑左側が名古屋駅で乗車した空港連絡特急だ…
この名鉄の列車…名古屋駅から40分を切る程度で空港駅に着くのだが、何となく札幌駅・新千歳空港駅間の移動を思い起こす…
<中部国際空港駅>は、英語では<Central Japan International Airport Station>と言っていた…で、<中部国際空港>だが、英語では<Chubu Centrair International Airport>と称し、駅名と異なる…空港の略称は<セントレア>(Centrair)だという…些か煩雑だ…
↓空港を利用した際に左側の車輌による列車に乗った機会は何度も在ったが…右側の一般的な名鉄の列車に乗った機会は然程多くはない…
名古屋の周辺…もう少し親しんでみたいものだと、時々思い出しながら写真を眺める…
Jetstar機…:中部国際空港(2019.06.08)
<キハ82系ディーゼルカー>:<リニア・鉄道館>(2019.06.08)
<アーバンライナー>:近鉄名古屋駅(2019.06.08)
「大阪に滞在した後、名古屋から札幌へ飛ぶ」という段取りにした…大阪から名古屋へ移動するという段取りが必要となるが…近鉄の特急列車を利用することにした…
大阪難波駅で切符を求めて列車に乗車…近鉄の特急列車は全席指定で、車内は何となくゆったりとした感じだった…大阪府、奈良県、三重県と進んで名古屋に至った…2時間余りの一寸した旅である…
↓近鉄名古屋駅に列車が到着した直ぐ後の感じだ…
↑近鉄名古屋駅は、地下に「行き止まり式」のホームが何本も並び、何か「地下の秘密基地?」というような感で、視ていて一寸面白い…
車輌は<21000系電車>、通称<アーバンライナー>で1988年に初めて登場した型であるという。
「昭和63年」に初登場していることになるが…何となく「“平成”という時代に登場」というイメージだ。近鉄の特急列車に関しては、昭和時代の車輌による列車に何度か乗車していた。そういう訳で、この<アーバンライナー>に関しては「“平成”のデザイン?」と思えたのだった…
↓列車最後尾側に乗車していて、下車してから改札口が在る列車先頭の側へ移動した…
↑名古屋に近い近鉄の沿線に在る店の広告看板…「名古屋に着いた!」と強く実感する…
多少不慣れな列車に乗車するというのは「乗車して移動すること自体」が存外に愉しい…が、何度かそういうことを繰り返すと、その沿線の文物にもう少し親しんでみたいという気分も膨らむ…この近鉄名古屋駅を発着する列車が走り回っている地域…そういうように思う地域の一つになっているかもしれない…
大阪難波駅で切符を求めて列車に乗車…近鉄の特急列車は全席指定で、車内は何となくゆったりとした感じだった…大阪府、奈良県、三重県と進んで名古屋に至った…2時間余りの一寸した旅である…
↓近鉄名古屋駅に列車が到着した直ぐ後の感じだ…
↑近鉄名古屋駅は、地下に「行き止まり式」のホームが何本も並び、何か「地下の秘密基地?」というような感で、視ていて一寸面白い…
車輌は<21000系電車>、通称<アーバンライナー>で1988年に初めて登場した型であるという。
「昭和63年」に初登場していることになるが…何となく「“平成”という時代に登場」というイメージだ。近鉄の特急列車に関しては、昭和時代の車輌による列車に何度か乗車していた。そういう訳で、この<アーバンライナー>に関しては「“平成”のデザイン?」と思えたのだった…
↓列車最後尾側に乗車していて、下車してから改札口が在る列車先頭の側へ移動した…
↑名古屋に近い近鉄の沿線に在る店の広告看板…「名古屋に着いた!」と強く実感する…
多少不慣れな列車に乗車するというのは「乗車して移動すること自体」が存外に愉しい…が、何度かそういうことを繰り返すと、その沿線の文物にもう少し親しんでみたいという気分も膨らむ…この近鉄名古屋駅を発着する列車が走り回っている地域…そういうように思う地域の一つになっているかもしれない…
<名古屋コーチン 親子丼>(2019.06.08)
中部国際空港へ出て、新千歳空港へ飛ぶフライトを利用しようとしていたが…名古屋駅に在った…
名鉄の列車で空港へ出る前にランチタイムということにした…
名古屋駅…あの巨大な建物の中には、ランチを頂くことが出来るような店は、数え切れないかもしれない程度に在りそうで…少しフラフラしてみた…ランチの「ピーク」というような時間帯は過ぎていたように思ったが、多少「店の前に並んでいる」というのも散見した…で、「直ぐに1人入って、食事を御願い出来そうな感じ…」の店が在って、そこに入った…
↓こういうモノを頂いた…
↑鶏肉と卵の親子丼であるが…“名古屋コーチン”の肉だという…
“名古屋コーチン”?これは明治時代から登場している鶏の品種で、卵も肉も利用される種類であるという。色々と盛衰は在ったようだが、現在では主に愛知県と近隣で飼育されているのだそうだ…
↓これは、「歯応えの在る“鶏肉らしい!!”という感」だった肉と、トロトロの卵の組み合わせで、実に好かった!!
名古屋に寄って、“名古屋”の名を関する少し知られた食材を使ったポピュラーなメニューを…こういうのも悪くない…
名鉄の列車で空港へ出る前にランチタイムということにした…
名古屋駅…あの巨大な建物の中には、ランチを頂くことが出来るような店は、数え切れないかもしれない程度に在りそうで…少しフラフラしてみた…ランチの「ピーク」というような時間帯は過ぎていたように思ったが、多少「店の前に並んでいる」というのも散見した…で、「直ぐに1人入って、食事を御願い出来そうな感じ…」の店が在って、そこに入った…
↓こういうモノを頂いた…
↑鶏肉と卵の親子丼であるが…“名古屋コーチン”の肉だという…
“名古屋コーチン”?これは明治時代から登場している鶏の品種で、卵も肉も利用される種類であるという。色々と盛衰は在ったようだが、現在では主に愛知県と近隣で飼育されているのだそうだ…
↓これは、「歯応えの在る“鶏肉らしい!!”という感」だった肉と、トロトロの卵の組み合わせで、実に好かった!!
名古屋に寄って、“名古屋”の名を関する少し知られた食材を使ったポピュラーなメニューを…こういうのも悪くない…
「名古屋デザイン」:<CocaCola>(2019.06.08)
↓中部国際空港で出くわしてしまった…
↑「名古屋デザイン」というモノだ…「名古屋」と言えば?「金鯱」ということか…
↓少し潔く、「金鯱」が少し大き目に入っているデザイン…悪くないと思いながら眺めていた…
↓最近、こういう「限定デザイン」の容器に幾分出くわしていて、それらも写真に収めている…
>>「奈良デザイン」:<CocaCola>(2019.02.24)
>><CocaCola "2019SAKURA">(2019.05.03)
方々に、この種のモノが出回っているとは思うのだが…色々と出くわしてみたいものである…中身のコーラの味は同じではあるが…
↑「名古屋デザイン」というモノだ…「名古屋」と言えば?「金鯱」ということか…
↓少し潔く、「金鯱」が少し大き目に入っているデザイン…悪くないと思いながら眺めていた…
↓最近、こういう「限定デザイン」の容器に幾分出くわしていて、それらも写真に収めている…
>>「奈良デザイン」:<CocaCola>(2019.02.24)
>><CocaCola "2019SAKURA">(2019.05.03)
方々に、この種のモノが出回っているとは思うのだが…色々と出くわしてみたいものである…中身のコーラの味は同じではあるが…