名鉄の津島駅を出て、「一つめの信号を暫く進むと左手に見える喫茶店<トキオ>さんを左折」とメモをして訪ねようとした場所であるが…
↓この「<トキオ>さん」を最初に見逃してしまい、辺りを何度もグルグルと廻り歩く羽目に陥ってしまった…今後のため、この場所「<トキオ>さん」の画を掲出することから話しを起こしたい…

「尾張津島」という場所に、何となく興味を覚えた…
かの織田信長の家は、尾張の中での抗争に勝ち残って広く覇を唱えて行くことになるのだが、父の織田信秀の代から、拠点とした地域の経済力を背景に力を蓄えてと言われる。その拠点として挙げられている地域が「尾張津島」である。
現在は愛知県津島市であるが、ここは辺りの幾つかの町が合わさって津島市ということになったようである。名古屋から名鉄の列車で二十数分という感じの地域だ。名古屋との間で移動に要する時間としては、以前に立寄った隣県である三重県桑名市と然程の差は無いような気もした。
津島は<牛頭天王社>(=現在の津島神社)の門前町として賑わってあり、木曽川の舟運の拠点ともなっていた。その経済力が、戦国時代にも非常に重要であったということだ…
そんなことで漠然と関心を覚えた津島に関して、「名古屋に寄る機会でも在れば、一寸足を延ばそう」と思い付いたのは、ある小さな寺での活動に関して耳にしたからである。
現在の津島神社が<牛頭天王社>とされていた頃には、「神仏習合」というようなことで<神宮寺>というモノが在り、その傘下に多くの僧房が設けられていた。そうした僧房の流れを汲む寺が現在でも幾つも在って活動しているという。
↓その<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺の一つに「津島 断ち切り不動尊」―「悩み、苦しみ、病気などを智恵の利剣で断ち切り、強い意志を持って進む力を与えて下さる」という…―として親しまれる<牛玉山 観音寺>(ごおうざん かんのんじ)が在る。

↓正直、やや読み悪い位置になっていたが、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺である旨が紹介されていた。

この観音寺が一部に注目されている。画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評であるというのだ。それを頂いてみたいと思ったのだ…
↓大日如来の姿をイメージした劇画風なイラストを入れたモノが在った…

こういう素敵な「作品」という様相のモノは、画や文字を刷っておいて、そこに押印して日付を書き込むようになっている。御朱印帳の見開きになる頁に貼り付ける訳だ…
↓愛染明王が在った…

↓更に阿修羅も在った…

画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評という中で、津島に在って独自な活動を展開しようとしている様子で、なかなかに面白いと思った。何やら津島は、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺に限らず、「寺院密集地域」と言われる程度に寺が目に付く地域で、各寺の関係者等で地域を盛り立てようとしている様子が伺える。そういうようなことを、可能な範囲で出来るように手掛けようとしてみる様子は少し好ましいと思う。
自身の御朱印帳に、通常型の御本尊である不動尊の号と寺名を書き込んだというモノも頂いたが、写真を掲載したユニークな副住職による作品も頂いた。持ち帰る中で傷めてしまっては申し訳ないので、その場で折り畳んで御朱印帳に確り収めるようにしていると、副住職が糊を貸して下さったので確りその場で貼り付けた…
何か干支によって“守護”の仏様が在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来なのだという。そういうことで、大日如来のイラストというのは、何となく嬉しいと思った。
或いは今般津島に立寄ったのは「偵察?」というような感で、また訪ねてみたいと、離れた直後から思っている…