けやき大通り:和歌山(2021.12.27)

↓JR和歌山駅前の路は酷く幅が広く、両側の歩道もゆったりとしている。道なりに歩いて進んで行くと、こういうような看板が視える。
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方角としては東西に延びる路らしいが、JR和歌山駅と和歌山城周辺とを結ぶ道路は<けやき大通り>と呼ばれるそうだ。

↓こういうような道標は、街を歩く場合にはなかなかに有難い…
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この路を歩んで和歌山城を訪ねることが出来た。

JR和歌山駅と和歌山城周辺とは1.5㎞程度であるそうだ。古くから路面電車が通るなど、繁華な通であったという。幅員22mで築かれた道路であったが、所謂「戦後復興」で50mに拡幅されたという。その後、けやきを植えたことに因んで<けやき大通り>と呼ばれるようになり、歩道も拡幅整備されて現在に至っているようだ。

和歌山城からJR和歌山駅を目指す場合にはこういう道標に出くわす…
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↓酷く広いと感じる<けやき大通り>だが、交差している通りも幅が広く、何か交差点が不思議な風景にも視える…
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↓川や橋を余り意識せずに歩くような箇所だが、幾つか橋も在るようだ…
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↑多少繁華な感じで営業中の店等も見受けられるが、営業をやめて久しいような空気感が漂う「嘗ての店」というような場所も存外に多く散見した…

↓この「500m」というような辺りに到ると「あの辺が駅?」と多少感じられるようになる…
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酷く広い通りだが、然程多くの歩行者とすれ違うのでもなかった。県庁を擁する街なのだが、その限りでもないような街の雰囲気も色濃く感じた…

思い付きで立ち寄った街を思い付きに任せて歩く…そういう感じが凄く好きだ。

虎伏(とらふす):和歌山城(2021.12.27)

↓虎の像に出くわし、一寸見入った…
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和歌山城の天守閣が在る辺りに通じる道に据えられているモノだ…

↓天守閣が在る辺りを虎伏(とらふす)山と呼ぶのだそうだ。「虎が伏せた姿のような山」ということであるらしい…
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↑この像は1959(昭和34)年に出来たモノだが「2代目」なのだという。初代の像は「金属の供出」という戦時中の出来事で姿を消したという…戦禍で損なわれた天守閣を鉄筋コンクリートで再現した工事が竣工した少し後にこの虎も再建されたということなのだろう…

これを眺め、「そう言えば寅年を迎える…」などと思っていた…

和歌山城天守閣へ…(2021.12.27)

「関西空港から新千歳空港へ飛ぶ」という確定的な予定は在ったものの、空港に至るまでの詳しい予定を決めないままで京都の宿に在った朝である。「今般は…」と足跡を思い出していた。京都の他に大阪府奈良県岡山県広島県滋賀県兵庫県に足跡を記したということになる。各々の場所で、当然ながら滞在した時間の差異は大きいが、様々な文物に触れていた。そしてふと思った。今般は城を視ていないということについてである…

思えば大阪府奈良県岡山県広島県滋賀県兵庫県の何れも、更に京都にしても視て興味深い城は在る訳で、別段に忌避した訳でもなく、そんな理由も全く無いのだが、偶々城に立寄る機会は設けなかった。

そこで京都から関西空港へ向かう際、関西空港を通り越した和歌山へ道草し、和歌山城を一寸視てみようと思い付いたのだ…

↓和歌山駅から片道15分かそれ以上だったと思う。冬の好天という雰囲気ではあったが、些か風が強く、その風も少々冷たい中で和歌山城に至った。
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↓立派な石垣が組み合わさった城の域内に入り込んだ…
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↑江戸時代には「御三家」と呼ばれて高い格式を誇った、現在の和歌山県から三重県の広大な知行地を治めた紀州徳川家の本拠地であった城である。なかなかに重厚な感じだ…

↓「小さなハイキング」という気分で、小高くなった城の小山を上がってみる…
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↓天守閣を仰ぎ見るような位置に到達した…
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↓「城らしい感じ」で「画になる!」と、和歌山城天守閣は存外に人気が高いらしい…
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↓この天守閣…江戸時代のモノが長く伝えられていたが、1945年に戦禍で損なわれてしまい、1958年に鉄筋コンクリートで再建されて現在に至っているモノだ。
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↑結局、城下町の流れを汲む現在の和歌山市としては、街中の小高い丘に佇む天守閣は「街のシンボル」なので、戦禍からの立ち直りが進む中で「是非、再建を!」という盛り上がりが在ったのであろう。

↓天守閣の脇に少し小高い場所が在って、そこから眺める天守閣が好い感じだ。
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天守閣は、城が攻撃を受けて将兵が立て籠もる場合の拠所の一つとはなった筈だが、日頃は限られた番人が在る程度の倉庫か何かのような場所だった訳だ。城主の居館、家中の主だった人達が出入りする政庁、家中の催事を行う場所、城主達が関わる文化活動の場というような様々な機能を担ったのは城内の御殿だ。和歌山城の場合は天守閣の横の小高い場所が本丸御殿跡となっている。

↓冬の蒼天と光と天守閣と…なかなかに好い感じだ。
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実は10年かそれ以上も以前になると思うが、和歌山駅に辿り着いて、歩いて和歌山城を往復して、和歌山城の天守閣に入って見学したということが在ったのを思い出していた。が、その時は脇の本丸御殿跡から眺めるというようなことはしなかったと思う。

ふらりと何処かの街を訪ねて、こういうような場所を歩いてみるというような営為…好きなことの一つだ…

<高野山>…(2021.11.23)

ケーブルカーの高野山駅に在った店で眼に留めたTシャツを求めて在った…

↓こういう代物だ…
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↑“三鈷杵”(さんこしょ)という密教法具の画を使って<高野山>というロゴをデザインし、各種の仏像をイメージしたシルエットが在る。なかなかに好い感じだ…

806(大同元)年と伝えられているそうだが、唐に在った空海が帰国の途に就こうとしていた時だった。東の空に向かって、学んだ密教の研鑽の場、布教の場として相応しい場所へ導くようにと、法具の三鈷杵を放り投げたのだそうだ。三鈷杵は流星のように何処かへ飛び去ったという。

それから10年後の816(弘仁7)年、高野山の「三鈷の松」にこの時の三鈷杵が在ったというのだ。それを視た空海は高野山を密教の道場とすることになる。その三鈷杵とされるモノは現在でも伝わっているという。確か<霊宝館>に在る…

現在在る大阪にこのTシャツを持って来た。今日からこれをアンダーウェアに着る…既に面倒な顛末を乗り越えているが、三鈷杵が自身を好い方向へ導いてくれることであると思いたい…

※写真は札幌で撮っていて、この記事は大阪で綴っているが、ケーブルカーの高野山駅に在った店で求めたTシャツなので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類したい。

<中門>:金剛峯寺 壇上伽藍(2021.11.20)

↓広目天…
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↓増長天…
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↓持国天…
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↓多聞天…
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↓四天王に護られた美しい門が<中門>である…
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灯りでも入れば、更に美しいであろうと想像し、夕刻に再度立寄った場所である…

実は以前に立寄った際には、この美しい門をあまり観ていなかったことに思い至った。そういう「小さな後悔」が寄せ集まって「何としても再訪!」というようなことになった高野山である…

そういうことで、訪ねて善かったと重ね重ね思い出している…

夕べに…:<中門>:金剛峯寺 壇上伽藍(2021.11.20)

高野山を訪ね、1晩泊めて頂くということにしたのは、「日が落ちるような頃、落ちたような頃」の様子を眺めてみたいというように思ったからだ。宿坊に元々身軽だった荷物を置いて、更に軽快になって辺りを歩き、壇上伽藍の視える辺りに歩を進めた。

↓壇上伽藍では午後5時になると、照明が据えられている箇所の灯りが点いた…
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↑中門(ちゅうもん)が美しいと思った…未だ暗くなり切っていない感だが、そういう中で灯りが点くと建物の美しさが際立つと思う。

中門は1843(天保14)年の火災で焼失してしまい、長く再建が叶わなかったという経過が在る。高野山開創1200年を記念して170年振りに再建が叶ったという楼門である…

この中門には4つの像が据えられている…

上記写真で視えている側には…

↓持国天(じこくてん)…
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↓多聞天(たもんてん)…
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裏側には…

↓広目天(こうもくてん)…
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↓増長天(ぞうちょうてん)…
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4体の像は「四天王」だ。所謂「四天王」というのは、持国天=東、増長天=南、広目天=西、多聞天=北というように4方位を掌って護る「護世四王」と呼ばれている仏法の、更に仏法に帰依する人々や国の守護者である。4人の中、「多聞天」に関しては単独で「毘沙門天」と呼ばれている場合も多く在る。

中門の4体の中、持国天と多聞天とは、天保年間に火災で焼失した門にも在ったと伝えられているようで、修理復元したモノであるという。1819(文政2)年の作だという…残る広目天と増長天は現代の仏師、松本明慶師が新たに制作したのだという。2015(平成27)年に完成したそうだ。

実際に視た時には「旧く傷みが目立った像を、腕利きの職人が丁寧に修理復元して見事に仕上げた?」というようなことだと思っていた…時代を超えて、仏師が協働したような感で、ここの四天王は完成したということになる。

所謂“文化財”は、何かで損なわれたなら再興を試み、そういう過程の中で結果的に「異なる時代の人達の協働」ということまで起こって、そうやって現在まで大切に伝えられている訳だ。高野山ではそういうことにも想いが巡った。

高野山を訪ねて過ごした時のことは、本当に後から後から沸き起こるように色々と想い出す。限られた時間で撮った点数としては、何やら夥しい数の写真も在る…少しずつ、何度も高野山のことを思い出し、何時の間にか、訪ねて戻ってから然程の時日も経ていないながら「何時か再訪…」というようなことを想い描いてしまっている…

山王院と御社と…:高野山金剛峰寺(2021.11.20)

高野山金剛峰寺の壇上伽藍には色々な建物等が見受けられ、歩き廻ってみて一寸愉しい…

↓こういうモノが見受けられた…
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↑鳥居の向こうに建物…手前に対を成している狛犬…「神社そのもの?」という感だ…

↓上に掲載の写真に在る建物の奥に相当する場所だ…これは神道の流儀で神を祀っているモノに相違ない…
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↑これを「御社」と号している。上の画の場所は拝殿に相当し、「山王院」と号している。

高野山金剛峰寺が創建されようという頃、壇上伽藍になる場所の西端部に社が設けられた。丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神を各々祀った3つの社が連ねられている。これは空海が山麓の本社から勧請したという地元の神々であり、永く大切にされて来た御社ということになる。

高野山という場所は「永く大切に受継がれて…」というモノに溢れている場所だ…そんな中に入って過ごす一時というのは好いかもしれない…振り返る都度にそう思う…

丸型ポスト…:高野郵便局(こうやゆうびんきょく)前(2021.11.21)

宿坊を発って、ケーブルカーの高野山駅へ向かおうとした時だった。

↓駅へ向かうバスの停留所辺りにポストが佇んでいた…
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↑周辺を見回すと郵便局の前だった…

この高野山の周辺、高野町の暮らしの息吹が感じられる。写真は撮らなかったが、直ぐ目の前には消防署も在って、署員の皆さんが何やら活動をしている様子も視えた。

高野山…再訪する機会を設けたいと、早くも思っている…

御朱印帳巾着袋…:高野山金剛峰寺 寺紋入り…(2021.11.21)

↓こういう巾着袋を入手した…
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高野山の奥之院で光と空気感に魅せられながら随分と歩いた後、街の側へ向かうバスが発着する停留所を目指したが、途中に売店を見付けて覗いた。そして「これ!!欲しい!!」ということになったのだった。

高野山金剛峰寺では、現在は「金剛峯寺」と呼び習わされる本坊の機能を果たす場所が、豊臣秀吉発願の青厳寺であって、豊臣家に所縁の「五三の桐」を拝領している関係でそれを使用している。それに、更に古くから「高野山の鎮守」ということになっている丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の紋である「三頭右巴」も在る。高野山金剛峰寺では、この両者を同時に使っているというのだ…

↓巾着袋はこういう具合に使う…
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↑御朱印帳を入れるのだ…

壇上伽藍の美しいイラストが入った御朱印帳を以前から準備していた。それを高野山で使用し始めることとなったが、その御朱印帳をこの高野山金剛峰寺の2つの寺紋が入った巾着に入れて持ち歩くこととした。
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全く「だから?」と言われてしまいそうなことなのだが、こういうような美しいイラストの表紙の御朱印帳を、関連の深い紋が入った袋に入れて持ち歩くというような事が、何やら酷く心弾ませてくれるものなのである。何故?その辺はよく判らないが…

※ 写真は高野山を下りた後、京都の宿で撮っている。記事題名に入れる日付は撮影日とするが、モノは高野山での想い出に関係が深いので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類する。

<6005>:橋本駅(2021.11.21)

ケーブルカーで高野山駅から極楽橋駅に下り、極楽橋駅で乗換て、橋本駅に到った…

極楽橋駅・橋本駅間は複雑なカーブで構成される山岳区間であるが、橋本駅・南海なんば駅間は他の路線と差が在るでもない区間である。そして、沿線の住宅開発等も年を追って進み、南海も順次輸送力を強化して来た経過が在り、橋本駅・極楽橋駅で運用する都合とは無関係な感じの車輛も現れる。

極楽橋駅からの列車が橋本駅に着き、「なんば行…」という案内が在って暫し待ち、現れた車輛に少し目を瞠ってしまった…
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↑凄く…渋い!

↓米国のメーカーのライセンスを受けて「ステンレス車輛」が初めて日本の鉄道に登場したような、1960年代から走っている6000系という車輛が現れたのだ!
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↑基本設計が同じ、少し後の時期に登場した車輛は多くが廃車になってしまっているらしいが、ステンレスはタフで、未だ頑張っているのだという…

↓列車の先頭であった<6005>に乗込み、他の乗客が視えなかった間に車内の様子も写真に収めた…
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半世紀を超えるような期間に亘って、沿線の多くの人達の暮らしや想い出と共に在り続けたであろうというような、こういう車輛…何やら酷く愛おしい…

<2303>:極楽橋駅(2021.11.21)

ケーブルカーで高野山駅から極楽橋駅に下る…

↓極楽橋駅ではこういう列車が待機していた…何か「妙に画になる…」と感じ入りながら停車中の車輛を眺めた…
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↑「2300系」というシリーズは、極楽橋・橋本間を2輛編成でワンマン運行出来るようになっている車輛で2005年から動いているそうだ…当初は橋本から先の区間に乗入れることも在ったようだが、現在は専ら「山岳」の区間を行き交っている。

何か凄く「高野線の車輛」というイメージが強い車輛だ、沿線の九度山に所縁の真田幸村を意識して、「大坂の陣」で真田勢が赤い甲冑を身に着けて勇戦したという故事、「赤備」に肖った赤系の塗色も施された車輛だ。赤系は、高野山の根本大塔のような建築物を意識したという側面も在るのかもしれないが。

この車輛…また何度でも乗車したい!

朝の<奥之院>を巡る…:高野山(2021.11.20)

午前8時台に高野山の<奥之院>に到り、そこを歩き廻った。

杉の木立に射し込む朝の光が、自身にとっては鮮烈だった。「1200年以上も受継がれた信心」の「名状し悪い底辺」というようなモノ、「御入定」とされる弘法大師空海の魂が在るとされる「聖域」で、「偉大な弘法大師空海を慕う無数の人達の魂が渦巻く」というようなことを感じた。

その感じたことは、既に旅の途次に綴っておいた。そしてそれを視ながら、「あの空間」、「あそこに在った時に考えたこと」を何度も振り返ってしまう。

↓「松前家墓所」というモノに出くわした。
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松前家という大名家は、「知行地での米の生産量」を基礎とする「〇〇万石」ということで徴税などを行う権利を継承したということでもない。蝦夷地―現在の北海道と、周辺のサハリンや千島を漠然と含む場合も在った概念であるらしい…―での交易を行う権利を継承するという、少し変わった大名家であった。蝦夷地が幕府直轄ということになって、「〇万石相当」という代替の知行地を与えられた次期も在ったらしい。その少し変わった活動を生業とした松前家も、高野山の威光のようなモノに惹かれていたのかと思った。

↓「武田信玄 勝頼墓所」というモノに出くわした。
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↓貫禄が在る石碑が眼に留まった…
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武田信玄は仏門に帰依して“信玄”と号した。伝統的な仏教を高く評価したのだと思う。その魂がここに祀られている訳だ。

武田勝頼だが、武田信玄が制圧した信濃の旗頭に擁立されるべき立場から、実質的な後継者ということになった。長篠の戦で敗れ、やがて滅ぼされてしまったという経過を辿るが、なかなかに卓越した武将であったかもしれない。が、北条家や上杉家との関係で、打った手に色々とブレも在ったかもしれない。彼もまたここで祀られている。

これを視た時に直ぐ思った。恐らく、武田父子の遺骨や遺髪がここに埋められているということではないのであろうというようなことだ。神社に見受けられるように「魂を祀る」ということなのではないかと思った。

↓こちらは紀州徳川家の墓所だ…
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高野山は寺院や教団を運営する財源として知行地のようなモノが与えられてはいた筈だが、それはそれとして辺りは紀伊国を知行地とした紀州徳川家の影響下だ。その歴代当主の魂もここに祀られている。

↓江戸時代には錦帯橋の在る岩国を本拠地にした吉川家の墓所だ。
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↓こちらは薩摩の島津家だ。
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↓大名家として長く続かなかった堀尾家だが、堀尾吉晴は松江城を築いて城下町を拓いた人物だ。
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↓これは石田三成だ…
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↓これは明智光秀だ…
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この石田三成や明智光秀というような人物達に関しては、本当に「何方かが魂を祀った」としか思えない。

↓近代の人達の墓碑も多い。高野山を訪ねた際に利用した南海を創業したという方の墓碑だ。
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↓幕末の物語に登場する二本松の丹羽家の墓碑だ。
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↓安芸の浅野家の墓碑だ。
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↓豊後の中川家の墓碑ということだが、一寸傷んでいる。こういうような感じのモノも多い。
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↓こちらは島津家が奉納した、朝鮮の役での死者を弔うための墓碑ということのようだ。
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↓近代の戦いの死者を弔う墓碑も在る。これはビルマ方面での戦いに関連するモノであるという。
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↓ビルマ方面での戦いに関連するモノの傍には毛利家の墓碑だ。特段に関連性は無関係に、様々なモノが数え切れない程に在るのだ…
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↓法然の墓碑も在った…
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↓徳川家康の次男であった結城秀康は石廟に祀られていた。
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↓この場所の環境を護ろうと努力を重ねている人達も大勢在るということも示唆されていた。
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マダマダ様々なモノは在るであろう。ここは何か「離れ難い」というようなモノも感じたが、「何時か再訪!」とも強く思っている。

<精進定食>…:高野山にて…(2021.11.20)

「深夜?」という雰囲気の早朝に動き始め、早朝の列車で発ち、列車を乗り継いで高野山に到り、奥之院を歩き廻り、金剛峯寺壇上伽藍大門と精力的に動き、コンビニで求めた珈琲を啜りながら想った。

「腹…空いた…」とである。動き始めた早朝は宿の朝食提供時間帯の以前だった。珈琲や水は飲んだが、別段に何も食さない状態で、振り返ると「日頃の歩行距離を勘案すると、既にそれを凌駕するなかなかの距離?」を午前中の時間帯だけで歩いている…

折良く、幾つか見受けられる飲食店でランチ営業が始まるような時間帯に差し掛かっていた…

↓眼に留めて席が在った店でこういうモノを御願いしてみた…
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↑<精進定食>というモノだ…

「精進料理」というモノが在る。原則として動物性のモノや香りの強い植物を避けるというようなことになっている、仏教寺院での料理が基礎になっているという代物である。が、この精進料理の調理法として色々な技法が登場していて、何やら「日本の料理の源流の一つ?」という観方が可能な面も在るらしい。

高野山は「限られた面積に多数の寺が立地する小さな街」という趣なので、精進料理の流れという料理を供する場所も一定程度見受けられる。その一つに出遭ったことになる。

↓芋やがんもどきや凍み豆腐等を美しく盛り合わせている。「和食!日本料理!」という風で見た目にも愉しい…
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↓「刺身コンニャク」というような感になるであろうか?鮮やかな見映えのモノだった…
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↓これは胡麻豆腐だ。胡麻と葛で造るモノであるという、高野山の精進料理では欠かせない代物であるらしい…「豆腐」とは呼び習わさられるが、大豆を使う豆腐とは異なるという。山葵を一寸点けるという感じが好い…何か「クリームケーキ??」という不思議な食感だった…
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「原則として動物性のモノや香りの強い植物を避ける」と聞けば「粗食?」と思ってしまうが、それは多分正しくない。なかなかに手間が要りそうな料理ばかりが並ぶ定食になっているではないか!?或いは精進料理は「寺で賓客をもてなす」という辺りから発展したのかもしれない。そんなことを思った。

ゆったりとこの<精進定食>を頂いていれば、昼食のピーク時間帯に差し掛かったようで、少し店が混み合って来た。美味しく頂いて満足と素早く退散したが、これはなかなかに好かった!

<蟠龍庭>:金剛峯寺(2021.11.20)

「蟠龍庭」は「ばんりゅうてい」と読む。「蟠龍」とは「地上に蹲っていて、未だ昇天しない龍」を示すという。

↓これがその<蟠龍庭>と呼ばれる金剛峯寺の庭だ。
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「高野山金剛峰寺」と言う場合、古くは「高野山の地そのもの」を漠然と示すような感だったが、明治期に本坊として機能していた場所の寺名としていて現在に至っている。現在の金剛峯寺は豊臣秀吉の発願で建てられたモノなので「五三桐」の紋を拝領している。そこでその「五三桐」と、もっと古くからの「三つ巴」の紋を並べて使っているのだという。

<蟠龍庭>はその金剛峯寺の建物の奥側―方角としては西寄りになるのだと思われる…―で建物を大きく囲むように作庭されている。

↓少し角度を変えた辺りから眺めることが出来た。
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↓「横たわる2頭の龍が建物を囲むように…」という感じに石が配置されているのだという。
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「弘法大師御入定1150年御遠忌」ということで1984年に手掛けられたのが<蟠龍庭>であるという。庭の石は弘法大師空海に所縁の四国各地から運び込まれたのだそうだ。

↓2340平米の広さで、この種の石庭としては最大級のモノであるという。
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↑「青海波大雲海」というイメージで白砂を敷き詰めているということだ…

何か雄大で力強い感じもする石庭だった。そして好天に恵まれたこの日は、白砂の状態が好い感じなのだと思った。(風雨が強い中や雪の場合、手入れもし悪いかもしれない…)

この日は好天の中で高野山を訪ねられたことが酷く善かったと振り返っている…

橋本駅→極楽橋駅…(2021.11.20)

南海なんば駅を出た急行列車は、「大阪近郊の街」という趣の辺りを通り抜け、「河内の山地」というようなイメージの地域に入り、何時の間にか大阪府・和歌山県の境界を越える。

↓そして列車は橋本駅に着く。
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↓直ぐ隣り、同じホームの進行方向に寄った側に乗換えの列車が待機している。
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↑上の画は橋本駅に着いた列車の先頭だが、この画は極楽橋駅へ向かう列車の後尾である。「ほんの数歩」である…

↓極楽橋駅へ向かう列車の先頭側に廻った。着いた急行列車と、乗り込む列車との位置関係も判る。
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↑極楽橋駅へ向かう列車の行先表示には「高野山極楽橋」と在って、「高野山」の文字が大きく目立つ。「高野山へ上がる」ということが前面に押し出されている感だ。

↓橋本・極楽橋の往復を専らとする運用が行われている車輛と見受けられるが、走る区間を説明する掲示が在った。
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↑正しく「山登り」な路線で、橋本から極楽橋まで段々に高い場所になり、極楽橋からはケーブルカーで高野山に上ることになる。

↓途中の下古沢で列車行き違いのために少し長く停車していた…
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この区間は複雑にカーブし、トンネル区間も見受けられる単線の山岳路線だ。列車行き違いのために駅が利用出来るようになっている。そして多くの駅のホームが「弧を描いている」という様相だ。

↓山を上って極楽橋に着くと、車輛を振り返って「御疲れ様でした」とでも声を掛けたい気分になる。
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橋本から極楽橋の途中にも色々と面白そうな場所が在る。何時かそういう辺りも訪ねてみたいと思いながら、車窓を一寸愉しみながら極楽橋に到ったのだった…

宿坊の居室…:高野山 金剛三昧院(2021.11.21)

初めて訪ねた折りに「何となく駆け抜けてしまった…」というように思うようになり、「ゆっくりと高野山を再訪」と思うに至ったのだが、そういう中で「宿坊に停めて頂くようにしてゆっくりしよう」と考えた。

「宿坊に泊まる」と言って、自身としては別段に特別なことも無い。知らない土地で宿を求めて予約するのと同じ要領で、宿泊予約の出来るウェブサイトを利用するというだけのことだ。

金剛三昧院に泊めて頂くことになった。金剛三昧院は「世界遺産」というモノの構成要素にも加えられている、多くの文化財を有する寺であるが、そういう文化財の間近に寝泊まりさせて頂くというのも一興だ。

↓「頼もう!!」という具合に金剛三昧院を訪ね、通された部屋がここである…
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↑極々普通な和室で、何ら特別なことも無い。何か「寺の離れの一室に居候させて頂く」という雰囲気で、自身の感覚では「なかなかに好い居心地」という感だった。

多くの文化財を有する寺の「離れ…」というような場所だが、持っていたノートパソコンの電源を入れてみれば通信速度も遅くないWi-Fiが自由に使える感じで、大きな街の宿と何らの変わりも無い感だった。

↓そう思ってキョロキョロとしていれば、こんなモノが眼に留まった…そして些かの笑いも込み上げた。「未だ…普通に使っている?この種の電話機を…」と驚いた。
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↑内線電話?外線通話も可能なのか?酷く古めかしい電話機が据えられていた…こういうようなモノ?余り使わなくなって久しいのではないだろうか?この種の電話機を一般家庭で使うとすれば、敢えて「アナログ接続」という具合にNTTに申出て、何やらの切替を有料で御願いしなければ通話出来ない筈だ…

こういうダイヤル式の電話機?一定の年代以下の方は「如何やって使う!?!?」ということになるように思う…

電話機は一寸笑ったが、それはそれである。「寺の離れの一室に居候させて頂く」という雰囲気は、何となく心地好い感じだった。引揚げて然程の時日も経たない中ながら、早くも「懐かしい…」という気分になっている。

早朝…:高野山 金剛三昧院(2021.11.21)

高野山を訪ねて宿坊に一泊…そんなことを思った。と言っても、特殊という程のことでもない。宿泊予約が出来るウェブサイトで見付けることが叶うのだ…

そんな訳でその宿坊の一つに御世話になることにした。<金剛三昧院>という場所だ。

宿坊というモノには色々と仕来りも在るのかもしれないが、金剛三昧院には「素泊まり」というプランが在って、何か「寺の離れに居候させて頂く」という感覚で滞在出来た。個人的には酷く好みに合った。そして朝6時半からの勤行に参加出来る。これはなかなかに興味深い経験で、一頻りの勤行を終えた後の講話も興味深いものだった。

↓その朝の勤行の少し前だった。泊まるようになっている場所の前から門を望んだ…
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↑この時季、「6時半」の少し前という時間帯は「微妙な明るさ」という具合で、何か独特な趣が在ると思う。

「1200年もの歴史を誇る高野山では相対的に新しい」とは、朝の勤行の後に講話ということで御話し頂いた名誉住職の言だが、“新しい”と言っても「八百数十年」の歴史を有するのが金剛三昧院である…

鎌倉時代の初め、夫である源頼朝や息子である源実朝を喪った北条政子が、その菩提を弔うべく開いた寺が金剛三昧院の起こりであるのだという。13世紀冒頭の出来事になる訳だ。

↓門を潜って直ぐの辺りだ。少し特徴的な塔が在る。
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↓優美な多宝塔である…
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↑これが源頼朝と源実朝の菩提を弔おうと北条政子が施主になって建立させたとされる建物で、現存するこの種の多宝塔としては、大津の石山寺に在るという多宝塔に次いで古い、「日本で二番目に古い」と謂われるモノであるそうだ。

金剛三昧院は、「表通」という感じの場所から少しだけ奥まった感じの場所に在る。それは「相対的に新しい」と言うべき事情で、奥側の空いている場所を利用したという起りの頃の事情がが在ったのかもしれない。が、「少し奥」であるが故に「火災のような事件に際しては「巻き込まれ悪かった」(火災による類焼が無かった)という面も在る。それ故に、現在では貴重であるこの多宝塔のようなモノが受継がれることとなった訳だ…

実際的には「少し奥」と言っても、「表通」的な感じの場所から歩いて5分か、それに満たない程度に脇の小路を進むというだけのことで、全然不便ではない。

↓そしてこれが庫裡である。寺の様々な活動に使われている建物で、夕刻から早朝は、人が近付くと感知して灯りが点く装置が据えられているようだった。装置は、泊まる場所の出入口にも在ったが…
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↓大木に注連縄を掛けて大切にしているという例が各地で見受けられるが、この金剛三昧院の境内にもその種の大きな杉が見受けられた…個人的にはこういうような巨木を眺めるのが凄く好きだ…
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↑「高野杉」と謂うようだが、高野山は古くからの杉木立が多く伝えられている地域でもある…

↓朝の勤行に際しては、こういう“護摩”に願いと氏名を書いて祈願料を添えて提出する…
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↓そうすると“御守”が授与される…
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「文化財」という建物、それも「世界遺産」というようなことになっているモノまで含む建物等を擁するという場所で「寺として」の「普通」な活動を継続するということには、一般の人が一寸想像し悪いような苦労も在るようだ。そして「豊かな山林の一隅」という立地であるが故に、鹿やムササビというような野生動物が「思いも掛けない被害…」のタネになってしまうような場合も在るという。そういう中でも、数百年に及ぶ法灯を受継ごうと関係者の努力が続いているのだ。

こういう場所で漠然と過ごす時間…何か凄く好い感じだ!!ここを離れて、地元へ引揚げて然程の時間は経たないのだが、早くも「また何時か御邪魔するのも好いかもしれない…」と懐かしくなっている…

<高野山 豊天商店>…(2021.11.23)

↓こういうモノを入手した…
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↑<根本大塔>を背中に負う感じだ…

↓正面はこういう感じだ…
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金剛峰寺を訪ねた折り、設けられている売店を眺めて眼に留まったのだ。見本が吊るされていて、希望のサイズ等を申し出ると奥から出してくれるという仕組みになっていた。自身で着用するサイズが確りと在ったので、早速に求めた。

このTシャツ…凄く気に入ったので早速に着用している。

※ 画そのものは札幌の宿で撮ったが、高野山の想い出に纏わるモノの画なので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類する。

<西塔>:金剛峯寺 壇上伽藍(2021.11.20)

↓壇上伽藍にはこういう塔も在る…
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<根本大塔>と「対になるモノ」として構想されたらしいが、<西塔>である。何処となく根来寺の大塔にも似ているように思った。

↓木陰のような辺りに射し込む光で、この<西塔>が浮かび上がるかのようで、暫し見入っていた。
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この種の建物に関しては、完成したモノが損なわれ、再建されるということが繰り返されて現在に受継がれているという側面も在る訳だが、西塔は5回の再建が伝えられ、現在のモノは1834(天保5)年に完成しているそうだ。自身の目線では「十分に古い…」というようにも思うが、色褪せた木造の感じが、何やら好いと思った。

実は…初めて高野山を訪ねた時、この<西塔>を視なかった…そういうのが色々と在って「是非!」という想いが強くなったという経過であった。

輝くような…:<根本大塔>:金剛峯寺 壇上伽藍(2021.11.20)

奥之院を歩いて廻った後、金剛峯寺側にバスで移動した。高野山を訪ねた日はなかなかの好天だった。

↓正しく「輝くように佇む大塔」という様子で見入っていた…
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↓この<根本大塔>が在る風景は、何か「高野山を象徴」という面も在るかも知れない。
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勿論、「弘法大師の魂の在処」という感でも在る奥之院は重要なのであろうが、「こういう建物がある場所…」ということで、この<根本大塔>が「象徴的…」と目されているというように思う。

↓最初に構想されてから長い歳月を経て完成した<根本大塔>は、損なわれる都度に再建されて現在に受継がれているということになる。辺りの他の建物と並ぶ様も美しいと思う。
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↓「午前中の光線」が壇上伽藍に降り注いでいたような感じ…これが凄く好かった!
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こんな様子や夕刻の様子は、本当に「忘れ難い光景」になっている。未だ「戻ったばかり」なのだが、早くも「また何時か…」というようにさえ思ってしまっている。

<霊寶館>…(2021.11.20)

↓実にさり気ない佇まいだ…
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本当に「路の脇」に上記の画のような感じで視える…

↓高野山に多く見受けられる寺院の一つのように見えるが、実はそうではない。
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<霊寶館>と看板に在るが、寧ろ「霊宝館」と書く場合が多い。有名寺院に「宝物館」とか「宝物殿」というようなモノが見受けられるが、この<霊寶館>は高野山金剛峰寺のその種のモノに相当する。

↓1921年に高野山金剛峰寺に受継がれた素晴らしいモノを護り、受継ぐ目的で開かれた博物館ということになる。
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2021年は「<霊寶館>100年」ということになる。4期に分けて数々の名品を展示する催しが行われていた…拝見し、何やら感銘を受けた…所謂“仏教美術”の精髄という感で、ふらりと立寄って展示に触れて心揺さぶられた…多数の収蔵品を順次展示、或いは常設的に展示と幾つかの展示場所が設けられている様子だった。

↓確りと図録も入手してしまった…
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過ぎる程に精力的に歩いたような他方で、現在にまで受継がれている優れたモノにゆったりと触れることが叶った今般の旅は非常に善かった…「北海道の奥」と言わず、関西に在ってさえも高野山は些か訪ね悪いのかもしれないが、この<霊寶館>は本当に「訪ねて見学する価値が高い」と思う。多くの皆さんに御薦めしたい場所だ…

※図録の画は札幌で撮っているが、高野山での<霊寶館>との出会いに関する記事なので、記事は「和歌山県」のカテゴリに入れる…

<和歌山県警察橋本警察署高野幹部交番>…(2021.11.20)

高野山駅と各所との間を結ぶバスの停留所の一つに「高野警察前」というモノが在る。

この「高野警察前」と初めて聞いた時に「“高野警察”とは?」と思った。随分と昔に『西部警察』というテレビドラマが在って、“西部署”という警察署の刑事達が「そこまでやる??」というアクションで活躍するドラマだったが…“高野警察”というのも、何かその種のテレビドラマの題名のような命名だと思った。

↓件のバス停の前にこういう建物が見受けられる…
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↑酷く趣深い建物だが、よく見ると「警察」の紋章が建物に掲げられている。

↓入口が視える辺りに近付いた…
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↑<和歌山県警察橋本警察署高野幹部交番>という正式名称が伺える呼称が掲げられていた。

日本の警察?都道府県毎に「〇〇県警察」を名乗る。東京都は「警視庁」を名乗る。その各県警の中で方々に警察署が配置される。そして各警察署の下に交番が設けられる。この原則は47都道府県の何処でも同じだ。

高野山を擁する高野町は、和歌山県警察橋本警察署の管轄地域である。橋本?山上に拡がる街から視れば麓の街ということになる。橋本・高野間は往来に時間も要することから出先の交番が設けられている。そして警察署に準じるような形で様々な業務を行うことから、階級の高い“幹部”の警察官を配置している。だから「幹部交番」と称しているのだ。敢えて「幹部交番」と号していなくても、階級の高い“幹部”の警察官を配置している交番は方々に、殊に大都市の繁華街等には見受けられるようだ。

高野山は静かであるようだが、それでも「警察が関わる仕事」は多岐に亘る筈で、この趣が在る建物も歴代関係者の間で受継がれて大切に使われているのであろう。そういう「社会を支える仕事に携わる皆さん」に対しては、気持ちの隅で何時も感謝の念を持っていたい…というようなことをこの「通称“高野警察”」の建物を視て思っていた。

ケーブルカー…:高野山駅にて…(2021.11.21)

↓公共輸送の乗物に乗って「天井」に思わず目を奪われるというような場面?一寸、類例が思い当たらない…
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↓高野山に伝わる「切り絵」のような感じに、干支や縁起物を模ったモノを配置している。なかなかに好いアート作品である…
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↓高野山駅に停車中であったケーブルカーに乗車した際、車内の天井に注目してしまったのだった…
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↓街とケーブルカーの駅との間は、こういうバスで往来する…
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↓バスで高野山駅に着く…
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↓<こうやくん>が乗客を出迎えてくれる…
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↓寺院建築を意識したような、趣在る駅舎だ…
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↓駅舎は「文化財」に指定されているようだ…
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↓橋本から山を上がる路線が敷設されている。極楽橋に至ると、高野山との間はケーブルカーで往来する…
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こうした乗物を使って、高野山を往来すること自体も一寸面白い…

<ファミリーマート 高野山店>…(2021.11.20)

↓壇上伽藍に入る中門の前の路を大門の側へ向かうと、こういうモノが在る。
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↑「7時から23時」という営業のコンビニだ。営業時間を視て「稚内の<セイコーマート>のようだ…」とも思ったが、それでも「朝早くから夜遅く…」というものである。「23時から7時」という次元の深夜早朝は「本気で人が歩いていない…」というのも高野山だと見受けられる。

実は高野山滞在後に京都に移動し、滞在の宿の傍に同じチェーンの店が在ったので寄ってみたが、画の「高野山店」も京都市内の店と売られているモノ等は何ら変わらない。「高野山店」には「土産のグッズ」が些か見受けられたというのが在った程度だ…ATM設置店でもあった…

壇上伽藍の周辺は何度も廻って歩いたが、この店も何度も利用し、珈琲やその他の飲物を頂き、加えて「高野町様へ納税」(=煙草を求めた…)という場面も在った。

視れば、時間帯を問わずに来店客が絶えない。自身を含む高野山への来訪者も、町内と見受けられる人達も区別無く利用していた。比較的新しい店と見受けられるが、既に「街のインフラ」のようになっている…

杉の木立に射し込む朝の光:<一の橋>を起点に廻った<奥之院>:高野山(2021.11.20)

早朝5時台から動き始め、8時少し前にはケーブルカーの高野山駅に至り、バスで目指したのが<奥之院>の「入口」に相当するという<一の橋>だった。

↓これが<一の橋>だ…
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↓橋の脇にこういう標柱と石灯篭が据えられている…
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「御入定」とされる弘法大師空海の魂が在るとされる「聖域」で、約2㎞という御廟までの道程には夥しい数の簿府が据えられている。何か「偉大な弘法大師空海を慕う無数の人達の魂が渦巻く」というような感も受けるのだが、好天に恵まれた清々しい朝にここを歩き廻ってみた。

↓杉木立の中に形成された路が年月を重ねる中で整備されて歩き易くなっているが、石灯籠や様々な墓碑や記念碑や、何やらそれらが傷んだモノ等が散在して独特な空気感が漂っている。
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↓こういう様子に思わず足を停める…
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↓この「聖域」で、杉木立の造る陰に強い光が射し込むことで、過去と現在、光と闇、様々な時代に色々な状態の魂が渾然と交じり合って、弘法大師空海の法力で浄化しているかのような…そんな状態を想わないでもなかった…
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↓こういう様子に心奪われ、単純に2㎞程度を歩む場合よりも余計に時間を要した…
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↓何か「1200年以上も受継がれた信心」の「名状し悪い底辺」を抉り出す場所か何かのようでもあるような気がした。
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↓こんな場所で歩を進める充足感…これは少し強引に稚内から訪ねてみて善かった!
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山に上がって滞在し、下りて来たばかりで、未だ地元に引揚げる少し前ではあるのだが、それでも「再訪!」を思い描いてしまう…

高野山 大門(2021.11.20)

↓大きさに圧倒される…
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↑高さが25m程度、幅が21m程度という大きさらしい。類例が直ぐに思い浮かばない程度に、とにかく大きい…

↓門には大きな仁王像が据えられている…
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↓この仁王像も高さが5m弱にもなるらしい…
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↓この巨大な門は「高野山金剛峰寺の本格的な寺域の出入口」というようなモノで、図の右端に在って、その先に色々なモノが在るというようになっている訳だ。
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↓大門の辺りではこういう様子も視られる…
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↑山に囲まれている場所で「高さ」を感じ悪い高野山なのだが、こういう場所に出ると「間違いなく高い山の上に拓かれた場所」と判る…

↓門を潜った内側から見上げた感じだ…
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恐らく、この巨大な大門―多分、「7階建てや8階建て」のビルという程度の大きさだと思う…―の威容を度々思い出すようになるような気がする。

夕べに…:<根本大塔>:金剛峯寺 壇上伽藍(2021.11.20)

この時季、日没は午後4時50分頃のようだが、その近くになると高野山の街はやや薄暗い。

壇上伽藍の辺りに陣取って、佇んでいた…

↓午後5時になると、<根本大塔>が灯りに照らし出されるようになる。
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↓日中以上に存在感が大きい感になる<根本大塔>だ。
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↓辺りを何となく歩き廻った…
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↓少し離れた辺りから眺めた後には近付いた…
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↓塔そのものは再建の新しいモノではあるが、高野山の開創当初から構想され、長い年月を掛けて最初に塔が建ったというような頃からの「受け継がれている」何か、未来に向けて「受け継がれて行くべき」何かが収斂して輝いているかのようにも視えた…
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↓東塔の側へ向かって場を離れた。
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天候が穏やかな中、こういう様子に出会えたということに感謝…

閉門後の金剛峯寺…(2021.11.20)

↓何かの写真で視た記憶は在るが、実際にこういう様子を眺める機会が在った…
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↓日中は訪れる人達が多く、賑わっていたと思うが、陽が落ちて閉門されると凄く静かだ…
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↓或いは、こういう雰囲気にも触れようと、高野山に泊ろうということにしたのだと思う。
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公衆電話ボックス…:高野町高野山(2021.11.20)

「高野町高野山」…寺の山号「高野山」が、そのまま「高野町」の中で「住所」になってしまっている訳だ…概ねそのエリアを朝から随分と精力的に動き回っていた。

↓夕刻の5時台…今の時季は暗くなってしまっている時間帯だ…
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↑街で最も賑やかと見受けられるような辺りなのだが、静かで公衆電話ボックスばかりが酷く目立つ…

最初から暗くなってしまっている時間帯ではあるが…高野山の場合は夜遅くまで営業という店が最初から少な目であるようだ。故に、随分と暗い感じがする。

丸型ポスト…:高野山(2020.12.20)

金剛峰寺の本坊の辺りを歩き廻っていた…

ケーブルカーに乗車して、「多少の雪が在る場所」に入り込んでいるので、「少し高い山上」に在ることは自覚出来る。他方、辺りが山に囲まれた盆地の地形であるため「山上から麓を望む…」というようなことにもならず、「少し高い山上」という状況が「判り悪い?」という感も否定出来ない…

↓そんなことを思いながら眼に留めたモノだ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (27)
↑「長く使い込んだ」という程にも見えないが、「真新しい…」のでもない、何か微妙な感じの丸型ポストだ…

金剛峰寺の本坊の辺りに静かに佇んでいたポストだが、古風な外観の寺院建築も多い場所で、こういう少し古風な郵便ポストが酷く似合うと思った…

各地で見掛ける丸型ポストだが、気付くと思わず写真に収めてしまう…