興福寺の金剛力士像の御朱印帳…(2023.12.25)

↓奈良の興福寺の<国宝館>に金剛力士像が在る。その像の画が入った御朱印帳が在る。
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↓裏の表紙にも画が入っている。
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↓興福寺で御朱印帳を求め、早速使い始めたのだった。
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↓直接に寺を訪ねた時のこと、そしてその前後の様々な事も合わせて、御朱印を眺めると思い出すことが出来ると思う。
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↓奈良や京都の後、川崎大師こと平間寺を訪ねたということが在った。
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↓川崎大師では計3箇所の御朱印を頂いた。
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↓東京の高野山別院、暫く感覚が開いて京都の蘆山寺を訪ねて参拝している。
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↓蘆山寺は、最近のテレビドラマで取上げられている紫式部に所縁の場所とされていて、最近は注目されているらしい。
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↓2023年4月に立寄っている長浜や京都の想い出が蘇る御朱印だ。
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↓旭川でも寺を訪ねてみた。
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↓幾つか御朱印を集めることになった。
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↓年に何度も立寄っている旭川で寺に親しむというのも好いかもしれない。
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↓そして川越である。
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↓末尾に弘法大師の画が入ったモノということになった。
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御朱印は寺を訪ねた証、記録であり、見れば訪ねた想い出が蘇るというモノである。大切にしたい感だ。

大山祇神社の御朱印帳…(2024.01.01)

↓御朱印帳が在る。
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愛媛県の大山祇神社を訪ねた際に入手した御朱印帳だ。以来、神社の御朱印をこの御朱印に御願いし続けた。

大山祇神社で御朱印を頂いた後、これをバッグの隅に入れて方々を歩き、神社で御朱印を頂くということを続けた。
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↓直接御朱印帳に押印、貴重という他、用意の用紙を貼るという方式も在る。
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↓名古屋で御朱印を頂いた後、間隔が開いて奈良県に立寄ったという様子だ。
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↓見開きで用紙を貼るというようになっていたのが大神神社だった。
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↓岡山県や広島県でも御朱印を御願いした。
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↓かの織田信長を祀る建勲神社は見開きの御朱印ということだった。
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↓日付が在る頃の旅を懐かしく思い出す一助になるのも、御朱印帳の好さかもしれない。
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↓1月の旭川から8月の京都と間隔が開いている。
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↓関東方面に立寄った経過が在った年だ。
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↓2022(令和4)年末に関西に出た時の御朱印だ。
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↓右の頁は2022(令和4)年末だが、左の頁は2023(令和5)年になっている。
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↓実は御朱印帳はこの裏から開いても使用可能なのである。
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↓その裏から開く形でも使い続けた。
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↓礼文や美瑛と北海道内でも御朱印を頂いていた。
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↓旭川に小樽だ。
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↓旭川の上川神社の後、大宮の氷川神社で、御朱印を書いて頂いた神職の方が北海道所縁で言葉を交わしたという想い出も在った。御縁を感じた。
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↓川越でも何箇所か神社を訪ねて御参りした。
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↓富山の岩瀬に敦賀と年末の北陸を巡るということも在った。
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↓やがて北陸から京都に入って何箇所かの神社に御参りした。
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↓護王神社は再訪した。
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↓清明神社は後から用紙を貼った。
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↓大阪天満宮と難波神社で御朱印帳の頁が全て埋まった。
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自身、寺院用と神社用で2冊の御朱印帳を使い分けている。今般、神社用が表面のみではなく裏面も全て埋まった。社寺の御朱印を頂くというのも、「生かされている。何かに感謝の意を表しなければ…」という感を抱いた頃、2018年頃に始めたことである。この「大山祇神社の御朱印帳」は2020年の暑い時季に四国を訪ねた際に入手の御朱印帳で、2023年末まで4年間使い続けたということになる。御朱印帳は大切に保管する。が、御朱印を頂きながら各地を訪ねた想い出は、モノでもないかもしれないが、自身の中で大切に保ち続けたい感だ。12月31日迄に全ての頁を使い、1月1日に改めて見直して、振り返りながら各ページを写真に収めたということになる。

宿の居室…:各地の<東横イン>(2023.12.24-2024.01.03)

↓列車の運休で回り道を強いられながらも。旭川から東京へ飛んで、そこから久々の「首都圏の電車」で到った大宮で滞在した宿だ。<大宮駅東口>である。
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↓見慣れた感じのデスクだ。
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↓<富山駅新幹線口2>という場所だが、本当に“既視感”が強い。
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↓凄く見慣れた感じだ。
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↓移動を続け、辿り着いた敦賀である。
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↓<敦賀駅前>での居室だ。
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↓京都へ移動して、辿り着いた部屋だ。
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↓こういうような「何時もの如く」というのは悪くないと思う。
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↓<大阪天神橋筋六丁目>である。
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↓そして<あべの天王寺>だ。
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↓デスクの辺りも見慣れた感じだ。
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↑細かいことを言えば、ここのベッドとデスクの間の照明の感じが他所と少しだけ違った…

↓<札幌駅北口>である。
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↓デスクの辺りも「例のとおり」である。
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↓この<旭川駅東口>
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↓ここでもデスク辺りの感じは他所と変わらない。
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こういう「何処の街でも殆ど同じ」に強く意を配ったようなチェーンのホテルであるが、何処か他地域を訪ねようとすれば、凄く便利だ。結果的に、12月末から1月冒頭迄、このチェーンの宿を渡り歩いたかのようでもある。これはこれで好いのだが…北海道内、首都圏。北陸、関西圏と「何処でも同じ」の有難さに心動かされ、こういうような記事も起こしてしまう…「だから?」という話しだとも思うが…

そして帰着…=運行日誌(2024.01.04)

稚内の拙宅の居室に在る。とりあえず暖房を点けたが、温まるまでに些かの時間も要することであろう。

朝、旭川では早目に眼を覚まし、何となく起きて居た。そして予定どおりに、通り道のコンビニで車中向けの飲物等を持てめてから旭川駅へ向かい、待機していた列車に乗った。6時3分に旭川駅を出て北上する普通列車だ。<青春18きっぷ>が利用可能である。名寄迄は2輛なので、旭川駅ではその状態だ。そして名寄以遠は1輛での運行となる。

車中では眠ってしまっていた時間が長かった。何やら気付くと名寄の手前だった。名寄では2輛目を切り離した。それから1輛になった列車は更に進んだ。気付いたのは天塩中川駅の手前の駅に続くような辺りだった。そこで…エゾシカと接触である。ぶつかってしまったエゾシカを避けるという作業を乗務員(運転士)と、他に乗っていた鉄道関係者で懸命にやっていた。

多分15分近く遅れて幌延駅に着いたと思うが、幌延駅での長い停車時間が短くなり、幌延を定刻に発車すると、稚内にも定刻の12時7分頃に到着した。途中、天候が好かったので車窓は美しかった。

拙宅へ戻れば、玄関前に驚く程の雪が積もっていたのでもなかった。幸いだった。少しばかりという雪を除けた。そこから、直ぐ傍の店でラーメンを頂き、以降は居室で寛ぐという具合である。

今般、随意に過ごす時間を設けられたことは好かった。見聞に関しては追って綴って行く。こうした過ごし方が出来たことに感謝したい。

「休業期間」の中で“休業”という感…=運行日誌(2024.01.03)

馴染んでいる旭川の宿の居室に在って、「何時でも御休み頂いて結構」という態勢に入って寛いで居る。「帰国」で「北上」という展開の最中である。

前夜の札幌の宿では、起きて居たいだけ起きて居て、眠くなれば眠れば好いというような意識で過ごした。結果的に些か夜更かしになった。そして深く眠ったと思う。一度、眼を開けて御手洗を使用したが、その後も直ぐに眠った。最近の様子を顧みる中では「少しゆっくり…」という朝だった。

そういう程度に感じたが、それでも朝7時半前には、居室に出しているモノを片付けて、何時でも出発出来るというような様子になった。とは言え、ゆっくりと旭川に向かうという予定の日で、文字どおりに「のんびり」で全く構わない。宿の朝食を摂った後は、居室でゆったりと、拙宅の居室で時間が在る時のように寛いで過ごすこととした。

気になって羽田空港のフライト情報の出発便を見れば、多分、機材繰り等で不都合が在ったと見受けられる欠航が散見するが、朝早くからの多くの便が普通に「搭乗手続き中」、「搭乗中」、「出発済み」となっている。昨夕のような混乱は収束し始めていると見受けられる。勿論、昨夕の事故現場の始末等は未だ続くであろう。朝食会場のテレビで流れたニュースでも、事故に纏わる解説等が在った。

加えて北陸での地震の件も気になる。1月1日に大被害が生じているが、殊に被害状況が大きかった石川県では余震が今朝も見受けられた様子だ。それも朝食会場のテレビで流れたニュースで取上げられていた。

気懸りな話題が続いている最中、自身の手近な辺りの事柄も気になる。JR北海道の列車運行情報では、何らの問題も伝えられていない。各列車は普通に運行されているようである。また気象情報も、何となく曇天というのが今日、明日の各地の予報である。平穏であることに深く感謝したい感だ。

結果的に午前10時台の列車で札幌から岩見沢へ向かい、岩見沢で午前11時台の列車に乗り、午後1時前には旭川に着いた。凄く順調だった。12月24日には岩見沢の周辺で大雪による踏切の不具合が生じていたが、そういう様子は全く無い。岩見沢で乗換の列車迄に間が在り、駅前に一寸だけ出てみたが「雪の少なさ」に少し驚いた程だった。

旭川に到り、昼食を摂り、書店を覗いて、ファストフード店で一息入れ、やがて宿でチェックインを受け付ける時間帯に入ったので直ぐに宿に入って一息入れた。夕刻は、思い付いて出た。馴染んだ御店で夕食を愉しんだ。そして宿へ引揚げている。

結局、休業期間は精力的に行動している。そういうことだったので、「期間中の“休業”」というようなことにしていたかもしれない。「起きて居たいだけ起きて居て、眠くなれば眠れば好い」ということであるとは思うが、明朝は早起きで動く予定にしている。

「北上」へ…=運行日誌(2024.01.02)

札幌の宿の居室に在る。札幌に何軒か在る馴染んだ宿の一つで、札幌駅に近い施設だ。夕刻6時台に発って、夜8時台に着くフライトを利用したので、列車で夜9時台に札幌駅に着き、そこから直ぐにチェックイン出来るという場所だ。「予定どおり」に動いている。何か、少し暫く振りに積雪している歩道―富山県、石川県、福井県と言った北陸地方に立寄っているが、彼の地で「雪の歩道」を歩いた場面は無かった。多少の雪は視たが…―を歩く場面も交えて宿に至った。後は「御随意に御休み頂いて構いません」という態勢になって、「安着」と称して缶のハイボールを傾けて寛いで居る。

北上の途に就く朝は、深めに眠った後にスッキリと迎えたと思う。

前日夜、箱に詰めて細々したモノを自宅に宛てて送った。前日、宿に入る前に梅田のヨドバシカメラのビルに入っているユニクロで見付けたリュックサックを求めていた。さり気なくそれにモノを詰め替え、バッグも箱に詰めて送った。モノを送り出して、容量に余裕が生じて軽くなったバッグとリュックサックという、身軽な様子で動き回る。最初から身軽でもあるのだが。

動き回っている身軽な様子に関しては、旅行中というよりも、その辺に用事を足しに出ているというような雰囲気だと思う。方々で旅行用トランク、ホイールが付いたキャリーケースを使っている人達に多く出くわした。中には「あの中?何が入っているのだろう??」という程度に大きなモノを持つ方も在った。自身はそういうような様子ではない。立寄る、滞在する各地域に、例えば住んで居たとして、休日等に思い付きでその辺を動き回っているという風情だと思う。そういうような調子で、稚内から札幌へ夜行バスで移動し、到着直後に列車で旭川へ移動し、旭川空港から羽田空港へ飛び、大宮に滞在して川越を訪ねてから大宮に戻って、新幹線の列車で富山を訪ねて滞在し、以降は金沢、福井を経て敦賀に至って滞在、更に京都、大阪である。

今般は、そういうようにして通り過ぎた地域の一つである石川県等で地震災害が発生したということが伝わっている。御見舞い申し上げるという他無い。本当に「何日か前に通った…」という場所での出来事というのは、災害の方に触れた際の驚きがより大きく、気持ちも曇るものだ。

列車で移動しているので、災害に関連する運行の様子も気に懸る。北陸方面は地震の頃から運転見合わせで、北陸方面との往来が盛んな一部の地域でも広く運行の変更や遅延が生じているらしい。大阪の街から山陽路へ向かうような辺りは、朝早くの時点で特段に影響は生じていない様子が伺えた。それを利用で、神戸空港へ入る迄の時間を過ごすということにした。

実際、身軽を好いことに、コインロッカーも無いような赤穂線の坂越駅まで朝から移動し、坂越で一寸した遠足である。好天に恵まれ、景色が好かった。そして興味深い歴史を感じた。列車本数も少な目なので、午後1時台の列車で神戸に移動した。少しばかり馴染んでいるとも言い得る神戸を散策した。こういう兵庫県に御邪魔しての見聞は、何れゆっくり綴りたい。

午後6時頃、神戸空港の搭乗待合室に入っていた。既に保安検査を終えていて、搭乗の案内を待つばかりだった。そこに妙な話しである。「羽田空港で火災」というようなことである。神戸空港に在っても、大幅な遅延や、羽田空港から向かってくる筈の機材が到着出来ずに結構という状況が生じ得るという“第一報”がアナウンスされていた。

地震のフライトは無事に神戸空港から新千歳空港へ飛んだ。定刻での運航と呼べる範囲だった。が、飛行機を下りる際に「羽田空港閉鎖のため、飛行機に積まれた荷物を急遽下ろす都合が生じ、到着の手荷物受取が混み合っていますから、留まらずに速やかに退出して頂くよう御協力願います」という案内が在った。

なるほど空港も駅も列車も混み合っていた。羽田空港との間を往来する各航空会社の便の他、機材繰りが困難になって他の地域とを往来する便も動かなくなったようだった。夕刻の話しで、とりあえず札幌市内や近郊に滞在する宿を求める人が在ったようだ。羽田空港の様子が判らない中、明日以降も如何いうような様子になるか、とりあえず不明だ。しかも、1月3日というのは人が動いて飛行機等は混み合っている時季だ。

多少「異様?」な様子に触れ、宿に入ってノートパソコンを取出してネットのニュースを視た。午後5時55分頃、新千歳空港から到着して空港内を動いていた旅客機と、出発しようとしていた海上保安庁の飛行機とが衝突してしまったというのだ。飛行機が火を噴いて大炎上で、旅客機側の乗客や乗員は全員が脱出できたが、海上保安庁機の乗員に死者が生じてしまったようだ。前日の地震を受けた救援活動の関係で、羽田空港に在る飛行機で新潟へ向かい、必要な物資を空輸しようとしていたようだ。亡くなってしまった方達に哀悼の意を表したい。ところで、直接の事故現場以外の羽田空港の滑走路は既に運用が再開されたそうだ。今夕の混乱が早く収束することを願うばかりだ。他方、羽田空港に色々な事が集中し過ぎて、事故でも在れば混乱が直ぐに拡がり、深まってしまうというような事柄にも、個人的には想いが及んだ。

2024年に改まって早々に、大きな災害に少し驚く事故と「波乱含み」かもしれない。そんな中、自身はとりあえず「予定どおり」に動いているような感だが、「生かされている」、「平穏にここに在る」という様子であることを深く感謝したい感だ。明日も「北上」が続く。

考えようによっては贅沢に過ぎる時間を過ごしている…=運行日誌(2024.01.01)

未だ大阪に在る。<あべのハルカス>と<通天閣>との間の地域で、寧ろ<通天閣>に寄っている辺りの宿に滞在している。居室で寛ぎ、「何時でも御休み頂いて結構」という態勢に入っている。

2023年12月31日は「早朝コース」でサウナを利用という辺りから動いて、相対的に静かであるような、一部に賑わっているような、そんな大阪の街で何となく過ごした。存外に体力を使ったのかもしれない。或いは、精力的に動く期間、通常の何倍も歩き廻ってしまうような暮らしを続けている形になっているので、多少長く眠る必要が在ったかもしれない。

夕方、宿に近い辺りで食事を摂ろうと、回転寿司の御店を訪ねて食事を愉しんだ。そこから引揚げ、何時の間にか深く眠った。気付いた時、腕時計のカレンダーは「MON1」になっていた。2024年1月1日だ。日付が改まると同時に、年が改まった。

振り返ると、もっと若かった頃には年末に時間を設けて他所に出て、年が改まった辺り迄を出先で過ごし、そこから引揚げるというようなことを繰り返したような気がする。そういうことからやや遠ざかり、何時の間にか年末に出先に在っても、年が改まる辺りに札幌の「居候所」と呼んでいた“親父殿”の家を訪れ、そこでゆっくりとする、札幌の街を歩くというような過ごし方をするようになっていた。昨年の12月以降、「居候所」に気兼ねなく立寄るような様子でもなくなって、今季は「出先で一寸過ごす?」と考えたのだ。

何かが特別なのでもなく、「普通に休業中」という様子で、加えて「他地域に滞在中」という様子で過ごしているが、年末は連泊で宿を取り悪かったので、天神橋筋六丁目駅傍の宿から動物園前駅傍の宿に移った。以前に利用している<通天閣>が見上げられそうな場所の宿ではない。あそこは取れなかった。少し近い辺りに同じチェーンの宿が在ったのである。

天神橋筋六丁目駅から動物園前駅へ移動し、モノをロッカーに預け―数が少ないので直ぐに塞がる。最後の1つが開いていて、それを利用した…―て、少し動いた。地下鉄の1日券は、休日には620円となる。これは使える!天王寺界隈を散策し、梅田に出て食事を愉しむ等し、動物園前駅にやって来て午後3時台に宿に入った。

午後4時10分頃だった。宿の居室で寛いで居れば「あれ?」と首を傾げた。不自然に揺らいだのだ。最初は「気の所為?」というのか、少し草臥れて強めな眠気が沸き起こって頭がフラりとしているというような気がしないでもなかった。が、どうやらそういうことでもない。地震が在ったらしいとネットのニュースで見た。やがて「自身が発生しました。エレベータの仕様は御控え下さい」と館内放送だ。と言って、避難誘導というのでもない。5分程で「自身が収まりました。エレベータは御利用頂けます」と館内放送だ。

「揺れ」と言えば、近年では、2018年に出先の札幌で経験している。実家に居候の形で停めて頂き、翌朝に用事で動くという話しだったのだが、未だ眠っていた早朝に「身体を揺す振られている??」というように感じた。寝過ごしていて、見かねた“親父殿”が「おい!遅れる!?」と起しに現れたのかという程度のことを思わないでもなかった。が、実際にやや大きく揺れていたのだった。あの時は、地震そのものよりも、事後の北海道内の殆ど全域というような超広域停電という様相で、それの方が大変だったと思う。

今般、そういうのは全くなく、大阪は至って平穏だ。元日なので、休業という場所が寧ろ目立つ。が、一部に「正月休みに人が出る」という場所が見受けられ、そういう場所だけが妙に賑やかという様子である。今般、<通天閣>や<あべのハルカス>が在る光景を眺めたかった。そういうのを確り眺めた。見聞等は何れブログに綴りたい。

明日は北上の途に就く。関東、北陸、関西と動き回った。関西に入ってからは、新たな場所を訪ねてみるというようなことは殆どしていない。詳しく知らなかった大阪天満宮を訪ねるということは在ったが…明日は空港へ向かう経路で早目に動き、更に進む等して、新しい場所に出会うようなこともして、そしてフライトに間に合うようにしたいものだ。

「打ち止め」という感…=運行日誌(2023.12.31)

天神橋筋6丁目の宿の居室に在る。日頃から気儘に暮しているとは思っているが、更なる気儘を求めて、随意に過ごす時間というようなモノを設けて、方々を巡っている。回り道を強いられるような様子ながら、当初の思惑どおりに旭川から東京へ飛び、以降は大宮や川越、富山、敦賀というように、これまで縁が薄かった街で過ごし、そこから京都に入り、大阪に至ったのである。

眠ければ眠り、起きて居たいのであれば起きて居れば善い。特段に遠慮や配意が要るのでもない。それが「休日」というモノである。正しくそういう要領で天神橋筋6丁目の宿の居室に在って夜を明かした。深く長く眠ったような、短く深く眠ったような、何やら判らない感じで暗い早朝に至ったのだった。出先では「よく在る」ということかもしれない。

朝5時台に戸外に出た。歩いて片道15分弱だと思う。大阪駅に近い地区に<大東洋>というよく知られたサウナが在る。ここへ足を運んだ。サウナは好い。ゆっくりしたと思う。朝7時台にゆっくりと宿へ引揚げ、そのまま宿で供される朝食を摂った。

思い付きで街を散策した。地下鉄の1日券は、土日祝日ということで620円と殊更に安価であった。これを主に使い、地下鉄以外は普通にICOCAを利用することにした訳だ。

地下鉄とモノレールとを乗り継いで万博記念公園迄足を運び、かの<太陽の塔>を眺めたかったが、公園が休園で近付けず、少し遠くから見るだけで終始してしまった。

やがて大正に出て<タグボート大正>を訪ねたが、以前に立寄った御店等が、訪ねた時には開いていなかった。何か食事を摂るのは諦めて辺りを歩いていて、難波へのバスを見付けて乗車してみた。

難波の辺りでお好み焼き、ソバが入ったモダン焼きを頂いた。そこから御堂筋を歩いた。三津寺という場所で参拝し、やがて難波神社に至って、そこでも参拝した。難波神社の辺り迄歩いてしまうと、地下鉄は本町駅が近い。そして本町駅に到ったが、思い付いたのは、東寄りの堺筋本町駅に行って堺筋線の列車を利用すると、乗換え無しで天神橋筋六丁目駅に着くということだった。そして東西に拡がる「船場センタービル」を眺めながら東へ進み、堺筋本町駅に到った。

天神橋筋六丁目駅に着いて、宿の居室に入ったが、居眠りに陥った。気付くと夕刻5時近かった。何となく戸外へ出た。少し静かな感じで、休んでいる御店が目立つ様子だった。回転寿司店が営業中であるのを見付けて、そこで夕食を摂った。そして宿へ引揚げている。

このまま宿の居室で寛ぐということにする。「何となく過ぎてしまった」という1年だったというような気がしている。前年は12月に色々と在って、12月31日には出先から引揚げてえ稚内の拙宅に在った。今年は出先に未だ残っているという訳だ。そういう差異は在るが、この時季に「大過なく過ごした日々」に感謝し、「生かされている」とでもいうようなことに感謝し、日々少しなりとも心豊かに暮らしてみたいという想いを新たにするという辺りに差異は無い。

自身の場合、拙宅の居室も、出先の宿の居室も「何ら変わりは無い」ということになるかもしれない。何れにしても1人で悠然と過ごすのだから。逆に言えば、他に選択の余地も無いのだが。

とりあえず2023年は「打ち止め」という感じになった…

少しだけ馴染んだ“天六”…=運行日誌(2023.12.30)

「何時でも御休み頂いて結構」という態勢に入っている。宿で使える部屋着に着替えて居室に在る。こうなると、出るには着替えなければならない。故に、居室で「何時でも御休み頂いて結構」ということになる訳だ。

今年の4月、大阪の天神橋筋6丁目の宿を利用した経過が在った。今般、神戸空港から「帰国」の前に大阪や京都で滞在するということを考えた。空いていた宿の中、この天神橋筋6丁目の宿を択んだ。4月に利用した際に、色々な意味で以後ことが好かった。あの時は、滞在期間中に京都を往復するというようなことをして、“北”へ引揚げる途に就く日に姫路を訪れていた。

自身として「やや異例?」なのだが、前夜は宿の居室でテレビを点けた。『必殺!仕事人』の新作2時間ドラマを愉しんだという訳だ。あの種の時代モノは愉しい。「必殺!」の場合は、「時代劇ドラマ風なファンタジー」、「“時代劇”世界を借りた、制作時期、放映時の社会の風刺」という独特な要素も色濃い。所謂“考証”というようなことを如何こう言うのは野暮という感じだ。何本も作られているこのシリーズだが、前作で主要な劇中人物が斃れてしまっているので、新たな劇中人物が登場している。非常に好かったが、未だ新しいコンテンツなので、内容には踏み込まない。

そういうことをして普通に休み、やがて普通に迎えた朝だ。「予定」としては、「大阪の宿へ」ということが在るだけだ。色々と考えたが、京都の宿に関しては、少しゆっくりと過ごしてチェックアウトをすることにした。京都でまた動き回るでもなく、発つ迄はゆったりする。そういうことに決めた。

宿の朝食を頂いた後、少し外に出た。コンビニで、居室用の飲物を求めようとした。戸外は、多分3℃程度の少しだけ冷えた感じだ。この程度なら、少し長く戸外を歩く場合には多少温かくする方が賢明かもしれない。が、「四条通で横断歩道の信号待ちをしている間に動けてしまう」という程度で訪ねられるコンビニと宿との往復なら、半袖Tシャツの上にやや記事が厚い長袖シャツ
というような、屋内風な服装で出歩いても、個人的には抵抗感が薄い。

そして居室で寛ぐこと暫しで、9時半前に宿を出た。気に入っている阪急電車に乗り、淡路駅へ移動した。そして乗換で天神橋筋六丁目駅だ。京都・大阪間の往来で、少し気に入っている経路だ。それを利用して移動したというのは、何か「小さな満足」というようなモノが沸き起こる。

今般、天神橋筋六丁目駅のロッカーに荷物を預け、大阪天満宮を訪ねてみた。と言うよりも、少し迷いながら天神橋筋の辺りを徘徊し、串カツを摘んで寛ぐ場面も設けたという感じだった。「天神橋筋」、「天満」、「天満橋」という具合に、大阪天満宮に縁が在りそうな地名が幾つも在って何やら入り混じるかのように所在しているように、自身に眼には見えた。結局…天神橋筋六丁目駅から商店街の「6丁目」に入って、そのまま「5丁目…4丁目…3丁目…2丁目…」と進んで行けば、「1丁目」の辺りで大阪天満宮の正面へ続く道と交差している場所が在るのだ。途中にあるJR天満駅の界隈でグルグルとして妙な方向に出た。変な回り道で相当に歩いたが、他方で天満駅界隈で頂いた串カツが好かった。

そんなことをして、宿に入る時間には少し間が在ったが天神橋筋六丁目駅のロッカーから荷物を引き取り、駅前のビルに入っているネットカフェで1時間余り休んだ。そこから宿に入る訳である。

宿で一息入れた後、梅田まで日没頃の街を歩いた。梅田では御堂筋辺りや大阪駅辺りを訳も判らずに歩いて景色を少し愉しんだ。そして地下鉄の東梅田駅へ、あの“ダンジョン”(大迷路)と言われる地下通路を歩き廻って、地下鉄で天神橋筋六丁目駅へ動き、宿に引揚げた訳だ。大阪に関しては、複数回利用した宿が在る場所が何箇所か在って、そういう辺りに至ると、何やら安堵感が沸き起こる。最近、天神橋筋六丁目駅辺りもそういう場所になっている感だ。

明日??朝から夜まで“自由時間”で、何を如何するのか、全く考えていない。そのうちに何か思い付くのだろう。全く、宿の居室で缶のハイボールやペットボトルのアイスコーヒー(無糖)を啜りながら、ぼんやりとしている。

極々簡単に…=運行日誌(2023.12.29)

敦賀を歩き廻って、湖西線を経由する列車で京都に移動し、宿に入った後に一息入れ、夜は「想い出の御店」を訪ねることもした。そこから宿へ引揚げたのだが、深く長く眠ることが叶った。それでも「普通に早起き」かもしれない。そして、早起きで6時やその少し前に起き出すと、未だ窓の外が暗いので「深夜に御手洗を使う」という場面のような、変な気分になってしまう。

今日は青蓮院門跡、粟田神社、清明神社、護王神社、菅原院天満宮、六孫王神社と社寺を巡り、京都鉄道博物館を訪ねた。朝から「京都の休日」という感じだ。何やら充実したが、様々な見聞は後日ゆっくりと綴りたい。

ところで…特筆すべき事態が生じた。宿の居室でテレビを点けた。『必殺!仕事人』の新作2時間ドラマを愉しんでいる…

神戸空港から新千歳空港へ飛ぶ計画の「帰国」迄、ゆっくりと過ごすばかりだ。今日立寄った社寺の中、青蓮院門跡は「行こうとして機会を設けられなかった」ということで、敢えて機会を設けた。が、他は「流れ…」でフラフラと動いた。鉄道博物館に関しては、「今年最後の開館」と聞いての思い付きだ。

こんな過ごし方というのも、時には好いかもしれない…

前略 四条通から…=運行日誌(2023.12.28)

夕刻から、直ぐに休んでしまえそうな気がして、宿の居室に寛いでいた。が、何やら気分が昂揚して直ぐには寝入らなかった。が、眠ってしまうと、やや長く深く眠ったと思う。スッキリとした感じで眼を開け、起き出した。

宿の居室で寛ぎ、朝食も摂った。そのうちに窓から陽射しである。好い感じの朝だった。宿を出て、敦賀を少し散策することにした。これが存外に好かった。

敦賀では<ムぜウム>と称する展示施設が在って、ここでは孤児や難民がウラジオストクからの船で敦賀に上陸した際に、色々な人達が彼らの受け入れに協力したというような、敦賀で展開した物語を紹介していた。ロシア革命後の内戦で、保護者を喪った子ども達が在った件、第2次大戦が始まった頃の所謂「命のビザ」の件は承知していた。が、そういった支援が必要な事態に当時の日本の人達が関わり、殊に来日した彼らを最初に港で迎えることになった敦賀の人達の活動というようなことは、詳しくは知らなかった。大変に佳かった。

この<ムぜウム>を含めた何箇所かを見学する等しながら、かなり歩いた。やがて午後、敦賀駅で列車に乗った。あの駅では、名古屋へ行く特急列車、京都・大阪へ行く特急列車、京都へ至って大坂や神戸やその先の姫路迄という新快速の列車が毎時各々1本ずつ出るというような感じと見受けられた。

敦賀を出る新快速の列車は湖西線を経由する。滋賀県の主だった街は琵琶湖の東側に並んでいる。そちらを行き交う列車は本数も多い。他方、湖西線は琵琶湖の西側の路線で静かな地域だ。それでも京都やそこから先へ向かうのであれば、東側に比べて距離がより短い。言葉を換えると「速く先へ行ける」ということになる。故に一部の特急列車は、この湖西線を経由して京都へ向かうということも在ったようだ。

湖西線について、南側の一部は利用した経過を記憶しているが、北寄りな側は通り過ぎたことが少なくとも1回在ったというのに留まっている。そういう訳なので、湖西線を移動するというのは少し面白かった。

京都に着けば、京都駅のロッカーに荷物を預けて早速に動いた。

以前に稚内で出くわした京都の方―先方は旅行中でコインランドリーを利用しようとしていた。自身がそこに居合わせて言葉を交わしたという経過だった。―が今年の春に食事を摂る御店を開いたということが伝わっていた。「遅過ぎな昼食」ということでそこを訪ねた。そして再会を祝した。

そこから京都駅に動けば、直ぐに暗くなった。荷物を引き取って宿に移動だ。四条烏丸の何度も利用した経過が在る場所だ。チェックインして居室に入った。一息入れていたが、居室で飲むモノでも仕入れようと思い立った。同時に、昨年の12月に立寄ったミュージックバーを思い出し、訪ねてみた。御店の方達と再会を祝していた。

こうした経過も含め、様々な見聞は何れゆっくりと綴りたい。

実は「帰国」は、神戸空港から新千歳空港へのフライトを利用することを決めている。その前に大阪に滞在することは予定済みだった。京都は宿が取り悪い感じであったのだが、今日と明日とを押さえることが叶ったのだ。京都で何を如何するのか、実は何も決まっていない。明日の朝にでも考えよう。正しく「この街に在る蔵氏の中で何となく休日」という状況のようなものである。こういうのが好い…

越中→加賀→越前…または富山県→石川県→福井県…=運行日誌(2023.12.27)

「バタン!」と直ぐに休んでしまえそうな気はしたが、そういうことにもならず、敦賀の宿の居室で寛いで居る。半分を移動、半分を歩き廻るという感じで費やした1日だった。

前夜は「早目に休んで差支えない態勢」としていたが、本当に早く休んだ。深く眠っていて、眼が開くと日付が既に改まって、少し経ったという辺りであった。こういう様子になると、少し頭が冴え、直ぐにはサイド寝入ることは叶い悪い。そういう場合、結局は少し起きていて、そのうちに再度休むという以外に、何かを如何出来るのでもない。

そうしている間に早朝の時間帯に入った。富山の宿で支度をして出発した。

富山駅で列車に乗り込んだ。金沢駅へ向かう列車だ。新幹線が開業して、所謂「並行在来線」と呼ばれるようになった区間だ。富山県側、石川県側で各々の会社が携わるということになっている。金沢駅へ向かって行く中、車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。何やら苦笑が漏れた。「“並行”ではなく“立体交差”じゃないか!?」というのも言掛りじみた話しになるであろうが、在来線と新幹線とは役割が異なる異質なモノだと思う。

そういうようなことを考えていたが、何となく金沢駅に着いた。実は金沢で少し過ごすことを思わないでもなかったが、直ぐに金沢駅を発った。福井駅へ出て乗換え、敦賀駅に到ったのだ。敦賀に泊まることとして、非常に静かな街を散策した。各種資料館は今日が休館で、明日は開くらしい。明朝に寄ってみたい。

今般は「(“実質的”という例も含めて)初めて」というような場所を巡ることが続いている。稚内から「札幌へ夜行バスで出て、着いてから直ちに移動」で旭川に向かい、東京へ飛んだ。以降は大宮に滞在して川越を訪ね、大宮から富山に入った。富山から、金沢、福井で列車を乗換えて敦賀に至っている訳である。

この間の見聞は、既に一部に着手はしているが、順次綴ってみたいと思う。実は昼食が大ボリュームになっていたので、夕食は摂らないようにしてしまおうとしている。早目に「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢にして、宿の居室で寛いで居る。明日?少々、敦賀を歩く。以降は、また移動する。

早目に休んで差支えない態勢に……=運行日誌(2023.12.26)

「些か早い?」とは感じながら、早目に夕食も愉しみ、宿の居室で飲むモノも仕入れているので、「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢に入って、宿の居室で寛いで居る。前日や前々日よりも些か早めな時間帯にそういうことをしてしまっているというだけのことだ。

眠ければ眠り、眼が開けば起きていて、また眠れば好い訳で、面倒なことが在るのでもない。夜行バスに乗り込んだ後、連日のようにその「眠ければ眠り、眼が開けば起きていて、また眠くなれば眠る」という程度に過ごし続けている。その延長線上というものだ。

前夜は富山の宿の居室に在って、何となく「眼が冴える」という感じで「夜更かし傾向?」となってしまった。日中に精力的に動いたので、眠りたいという希望は強いのだが、「何時でも御休み頂いて構いません」という様子で、変に寛いでしまっていた。やがて休み、深く眠って眼を開け、また眠ってというようなことを繰り返していて、何やら早朝の時間帯に入っていた。或いは「身体の消耗」を「愉しい故の昂り」が凌駕し、昂った気分で眼が冴えているのかもしれない。気が張っているということではないのだから。

余り早くから動いても、色々な場所が開いているのでもない。少し「ゆっくり」という始動を意図して、朝は居室で寛いだ。居室は18階建ての建物の11階に在る。窓からの眺望も好い感じで、少し寛ぐには好適だと思う。

宿の朝食を頂いた後に一息入れて、午前8時台に始動ということにした。前日も似たようなものだが、今般はチェックアウトをして嵩張る荷物を預けるというようなことが無用だ。何処か「この街に在る中で休日を過ごす」という気分になる状況だ。「随意に過ごす時間を設ける」という中では、こういうように「出先」を強く意識しない程度に過ごすのが心地好いかもしれない。

富山では「市電」と呼んでいる路面電車が活躍している。、これは専用軌道の電車と区別して、街の併用軌道を行き交っている電車を「市内電車」と称し、それを略した言い方のようだ。この「市内電車」に650円で1日何回でも随意に乗降可能な“1日券”が在る。宿の直ぐ傍に在る富山地方鉄道の窓口で求められる。それを入手し、何となく市内を巡り、昼食後に宿で一息入れ、また出て、また引揚げて夕食まで更に一息である。

今般は岩瀬を訪ね、所謂「北前船」での繁栄の経過に触れることが叶った。これは非常に興味深かった。この他、「路面電車が在る街」、「立山連峰を望む街」という風情を少しのんびり愉しんだと思う。見聞等は何れゆっくりと綴りたい。富山はもう少しゆっくりと過ごすことも好いかもしれないと思った。今般、岩瀬で旧い「北前船」で活躍した人達の家を見学したが、他には資料館的な場所は訪ねていない。敢えてそうせずに、何となく動き回っていたという感じになる。

夕食は、前日にいきなり出会った<とやま鮨>を再度訪ねた。非常に気に入った!「氷見寒ブリ」のブリ大根、ブリのモツ、のどぐろの吸い物というような料理、気に入ったホタルイカの沖付けや黒作り、そして若干の寿司だ。何か「寿司が美味かった富山」というように記憶してしまいそうでもある。

12月23日の夜遅くに発ち、12月24日は動き続け、12月25日も精力的であった。ここで「少しだけゆっくり」というようになっていたかもしれない。それはそれで好いであろう。明日は富山を離れる。

「初めて」な街…=運行日誌(2023.12.25)

確り食事も済ました。何か精力的に動き、長距離の移動も在った。現在、富山駅周辺の宿の居室で寛いで居る。些か雨は交っているが、酷く降っているという程でもない。

稚内を発った夜は氷点下6℃程度だった。羽田空港に下りた時の案内ではプラス8℃だった。案内の中で敢えて「プラス」とは言わなかった。東京辺りでは「氷点下」は稀だからであろう。大宮辺りもこのプラス8℃程度で変わりなかったと思う。動きっ放しで眠気を禁じ難くなり、少し深く短く眠り、また眼が冴えて起きていた。そうしている間に日付が変わった。出先では往々にして在る形だ。

早朝に至り、大宮の宿の居室で考えた。大宮の近在で少しゆっくりし、夕刻に移動し、移動した先で連泊でゆっくりしようということにした。そして朝早く、宿の朝食の前に大宮駅に足を運んで列車の券を入手し、宿に引揚げて朝食を摂った後、宿をネット予約ということにしたのだった。こういうような「早朝に考えて、直ぐに動く」というのが、「時間を設けて随意に」という場合の過ごし方というものだ。富山を目指してみることにしたのだった。

富山に関しては、日本海岸を列車で移動した際に通貨はしている。が、富山駅で下車して辺りを歩いたというようなことは全くしていない。凄く興味が在った。そこで、今般は富山に入って、少しいゆっくりすることとした。

その富山の前に大宮である。大宮では「武蔵一宮」こと氷川神社を訪ねた。朝の8時台から動き始めた。動く前に、列車で富山を目指すまでの間、嵩張る荷物を大宮駅のロッカーに預けた。

嘗ての帝国海軍で、軍艦に神棚を設けた時に艦の名に所縁の神社の神職を呼んで儀式を催したそうだ。<大和>は奈良県の大和神社の神職を呼んだと聞いている。<武蔵>に関しては氷川神社の神職が呼ばれたそうだ。「武蔵一宮」に因んでのことであろう。もう少しで2500年と伝えられる永い歴史を誇る氷川神社である。なかなかに立派だ。参拝して御朱印を御願いすれば、対応して頂いた神職は北海道に所縁と判った。開いた御朱印帳の頁の隣に旭川の上川神社で頂いた御朱印が見えた。その方は「懐かしい!」と口にされた。北海度王で活動した経過も在るそうだ。何か「大きな御縁」を感じた。

氷川神社で気を好くして、そのまま川越を訪ねてみた。川越駅で、その辺の地図でも頂こうと、観光案内窓口が開いていることに気付いて、係の方に訪ねた。判り易く元気に、熱心に色々と足得て頂き、そして話しながら見ていた地図を頂き、それを手掛かりに川越を歩いた。見所が多い。実に沢山歩いた。

<川越まつり>を紹介する展示施設が秀逸だった。関係者の皆さんが来館者に色々と説明して下さるのだが、それが非常に好い。結局、「地域の色々なことを語ることが出来る地元関係者」というのが最も貴重な訳だ。<川越まつり>は、江戸で盛んになっていた祭の色々な事柄を採り入れた。江戸の祭は明治期以降に少し姿を変えるのだが、川越の祭は、結果的に江戸時代の様子がかなり残ることになった。それが受継がれているというのだ。

大宮や川越で、殊に川越では沢山の写真を撮った。後日、その見聞を色々と綴ろうと思っている。

大宮駅で荷物を引き取り、新幹線乗場への長い通路を動き回って、新幹線の列車に乗った。東京・長野の新幹線が開通し、年月を経て、長野から更に富山や金沢への新幹線が開通しているが、ここまでその「北陸新幹線」に乗車してみた経過は無かった。もっと明るい時間帯に、外の様子をゆっくりと観るようにすれば好かったのかもしれない。列車は意外に混んでいた。全席指定で、ゴチャゴチャはしていないのだが、何となく窮屈だった。やや少数派の、大宮・富山間の乗車という形だった。

新幹線の駅を備えて大改装したと見受けられる富山駅、そして再開発されたのかもしれない富山駅の周辺は、何やら壮大な感じだった。そして宿に入り、一息入れた後、近くで「北陸の寿司」という手頃な御店を見付けたので立寄ってみた訳だ。

明日?如何しようか、余り決めていない。路面電車が動いている様子を既に見たが、「1日券」というモノも在るようだ。それを入手して、富山を少し歩き廻ろうとは思っている。

最初は少し慌てたが、始動してみれば今般の行動は「順調」と言えると思う。社寺を訪ねる都度、「感謝の意を表する」という感じだ。

「緊急発進」からの展開…=運行日誌(2023.12.23-24)

出先の宿の居室で「後は何時でも御休みして頂いて構いません」という様子で寛ぐ夕べは好い。現在、その出先の宿に無事に至った。と言っても、些かの回り道のようなことをした場面も在ったのだが。

現在在るのは大宮だ。埼玉県さいたま市の大宮である。近年、好んで利用するチェーンのホテルに部屋を取った。少し馴染んだような居心地の居室が心地好い。

東京に在った学生時代、埼玉県内には何度も足を踏み入れている。その後?稚内に住むようになって、首都圏へ南下した際に、友人と出掛けたという記憶は在る。が、それも一度だけのことで、随分古い感じになっている。それ以来、多分、埼玉県内に足を踏み入れていない。そして埼玉県内に宿を求めたのは全く初めてだと思う。

大宮は江戸時代には中山道の宿場町だった。「武蔵一宮」こと「氷川神社」を要する地区で、それに因んで「大宮宿」と呼ばれるようになって行ったのだという。明治時代には、大宮に鉄道駅が誘致され、様々な路線の駅ということになり、やがて鉄道の拠点として大きな位置を占めるようになって行ったのだという。

そういう経過の大宮にとりあえず至って、後は「現場で何となく考えてみる」というように思い、この「クリスマスイブの日曜日」に大宮の宿に至ろうとしたのである。

何か「“今年”が程無く“フェイドアウト”…」という程度に感じられる時季だ。とりあえず無事に1年を過ごしたと言えると思う。残念なことも、嬉しかったことも在ったように思うが、「今日、ここに無事に在る」というようなことに感謝したいという感が少し募る。

こういうようになって来ると、少し時間を設けて随意に過ごしたいという気持ちが募る。そうなれば、別段に遠慮する必要は無い。時間を設けるというだけのことだ。そして、とりあえず大宮に至るべく動こうとした訳だ。

「12月24日の早朝に稚内駅から列車で出発」というように予定した。が…去る12月21日以来、何やら雪が多い。多少気になっていたが、12月23日夕方にJR北海道の運行情報を観た。翌朝の列車…12月24日の朝の列車は既に運休が決まってしまった。

こういうようになると?「夜行のバス」というモノを利用し、翌朝早くに札幌に在るという状態を目指すのが好いのかもしれないと思った。夜、稚内駅のビルに在るバスの窓口は21時30分に開くようになっているのだそうだ。とりあえずそこを目指すようにする。

日頃と変わらない様子で、御近所の御店に立寄って食事を愉しみ、その足で稚内駅のビルに在るバスの窓口へ向かった。開いた直後に係の方に訪ねた。そして片道1名で札幌迄の夜行バスの切符を求めることが叶った。それを手に拙宅へ引揚げた。

やがて支度をして、稚内駅のビルの前を目指した。雪が交る中である。「緊急発進」という気分だった。

稚内・札幌間の都市間バス、深夜便に乗車するのは久し振りだ。満席状態で少し混み合った車内だった。浅い眠りで、1回だけ御手洗を利用したが、場所まで進むのが窮屈で、少しだけ難儀した。順調に走り続けたようで、運行案内のとおり、概ね午前6時に札幌駅前に着いた。稚内へ向かうバスに乗車出来るのは「バスセンター」だけなのだが、札幌へ向かうバスは苗穂駅前、バスセンター、札幌駅前で下車出来るのだ。

未だ暗い札幌駅の辺りで、6時29分に旭川へ向かう特急列車が出ていることを知った。乗車券と特急券とを求めて乗車した。

岩見沢駅へ着く少し前、大雪によるポイントの切替の不具合が生じ、調整をしているという案内が在った。岩見沢駅にやや遅れて入線した。やがて少し先までのポイントの調整に時間を要するので暫く停車という案内が在った。結果的に33分程度の遅れとなった。そのまま、美唄、砂川、滝川、深川の各駅に33分程度遅れて着き、旭川到着も33分程遅れていた。列車の窓から外を伺う限り、札幌市内は然程の雪でもないが、岩見沢以北は少し雪が多目になっていた。朝から天候は悪くないが、昨夜遅くに存外な雪が降ったということなのであろう。

列車が遅れたとは言え、午前9時になる前に旭川駅に在って、駅の傍に在る「東川町で起こったカフェ」に立寄り、ゆったりと寛いで居た。これ自体、なかなかに好いと思う。

実を言えば、早朝から旭川を目指し、昼から旭川空港に至り、そこから飛ぶということを考えていた。いきなり阻まれた形になったが、夜行バス、雪の影響で少々遅れた列車で、過ぎる程のゆとりを持って旭川に到ることが叶ったのだ。これはこれで善い。気が向くように動けるということに感謝したいものだ。

旭川では予定していたフライトを利用出来た。空港へ移動し、飛行機に乗ったが、飛行機は「強めな向かい風」で定刻よりやや遅れて羽田空港に着いた。

羽田空港から先は、京急で品川駅に出て、品川駅でJRの<上野東京ライン>と呼ばれている列車、「宇都宮行」というのに乗り込んだ。首都圏は、列車本数が多く、乗客も多い。駅で何となく動いていれば、待つ間も無く目指す先へ向かう列車が直ぐに現れる。そして大宮に至ったのだ。羽田空港の地下に在る駅から列車に乗り、1時間10分程度で大宮駅に到ってしまった。速いと思う。徒歩での旅行が当然だった時代には、江戸の中心から「1日で動ける最も遠めな辺り」ということで「大宮宿」は或る程度栄えたのだという。現在の列車は、速度が上がる箇所は時速100㎞を超えている訳だから、「品川宿」のもっと向こうから「大宮宿」へ1時間10分程度ということなのであろう。

前夜から「動きっ放し」に近い。本格的に長い距離を歩き廻るようなことはしていないかもしれない。が…稚内・札幌の夜行バス、札幌・旭川の列車、旭川・東京の空路、羽田空港・品川・大宮の列車と相当な距離を動いている。宿の近くで確りと夕食も摂った。本当に「何時でも休んで…」という状態だ。明日のこと?正しく、明朝に考えることにする。

帰着…=運行日誌(2023.11.06)

雨交りな稚内に列車で着き、無事に帰宅した…

少し長く、また深く眠った中で朝を迎えた。存外にスッキリと醒めた。何やら「動けない…」というようにも思えた前夜の様子、「電池切れ?」というような様子が、少し普通に戻ったというようにも感じられた。この数日、眠っていた時間がやや短めであったかもしれない。その分をやや長く眠って取り戻したのかもしれない。睡眠で、人は身体の調子を整えているということなのであろう。そういうように思うが、年齢を重ねる中で、調子を整える機能の“力”が弱くなっている、または身体を使った後の“損耗”を感じる迄の時間を要してしまうというようになったのかもしれない。そんなことを想うことが増えたような気もする。

列車での移動を前に、宿の朝食を摂る前の時間帯に散策にでも出てみることを思い付かないでもなかった。が、移動後に細かい用事を足すというような事柄も思い出し、宿の居室で出発迄寛ぐということにした。そして「ウォーミングアップ」とでも言うのか、居室で飲むモノを仕入れに近くのコンビニへ歩いた。前日、宿に引揚げようというような頃には、些か足取りが重くなっていた。2日間連続で随分と歩いたが、前日にはその距離がなかなかのものになってしまっていたのだから、そういうことも在るであろう。コンビニへの足取りは軽かった。概ね平常のような様子で善かった。

宿の朝食は、「会場が混み合うので…」と弁当ケースのようなモノで居室へ持ち帰るのが専らという様子が多かったが、この朝は会場が混んでいなかったので、久し振りに会場でゆったりと頂くことも叶った。何か幸先が好い感じだ。他方、明るくなり始めた後は朝から曇天で、少しばかり薄暗い気がしないでもない。

やがて宿の朝食を摂り、寛いでから遅れないように駅へ向かい、やって来た列車に乗った。以降?車中では随分と長目に居眠りに陥っていた。意外に早いと感じながら稚内駅に着いた次第だ。

今般の見聞等は追って整理する。とりあえず無事に帰着し、これから細かい用事でも足すようにしたい。

とりあえず歩いた…=運行日誌(2023.11.05)

連泊中の宿の居室で寛いで居るのだが…午後4時前に戻って、そこから出ていない。居眠りに陥り、気付けば暗くなっていた。昼食はやや遅かった。そして前日に求めた<びえいのラスク>が何となく在った。そのうちに試食する意図は在ったので、何やら「夕刻のおやつ」ということにしてしまった。そして「何時でも休んで頂いて結構です」という態勢だ。

深夜帯に起き出し、そのうちに少し休みという感じ、そしてまた起き出すを何回か繰り返した。午前6時前に窓辺を観て起き出した。朝陽が上がって行く様を眺めた。好く晴れた朝となっていた。宿の朝食を摂り、何やらのんびりと過ごした。8時20分頃から動き始めた。自身の基準では少しだけスロースタートだ。

やがて<外国樹種見本林>と同時に<三浦綾子記念文学館>が在る辺りへ歩き、想像以上に興味深いので、想定以上に長く過ごした。そこから神楽岡辺りの日帰り入浴施設を訪れてサウナを利用する等した。上川神社に立寄って参拝し、旧い鉄道関連建築を使っているという<市民活動交流センター>の辺りを通り、高砂酒造辺りを歩き廻り、やがて都心部へ出てラーメンを頂き、書店に立寄り、宿に戻る前にコンビニで飲物を少々仕入れた。

ネット上のマップで「ルート検索」を試みたが、上記に挙げたような場所を最短距離で結んで歩いただけで8㎞弱で、「周辺を歩き廻った」が加わると、何キロ歩いたのかよく判らない。前日も美瑛で相当歩いた。前々日は動物園と少々であったが。何やら「歩き続けた数日」である。正直、脚の動きが悪くなって来た…

文字どおりに「何時でも休んで頂いて結構です」という態勢で明朝をゆったりと迎えたい。

美瑛へ…=運行日誌(2023.11.04)

勝手な言い草ながら「旭川の別宅」という気分の場所となっている宿の居室で寛いで居る。「夥しい数」ということになってしまうのかもしれない。1日に撮影した(モノクロ)写真を何とか整理していた。「動いた…」という感の日だった。

少し早めに眠気が射し、抗えずに休み、何やら「深夜…」に起き出した。再度眠るということもし悪く、暫く起きていて、やがて再度休むことにした。それでも早目に起き出してしまった。

こういう時は早朝から動くに限る。5時15分かそれ位迄に身支度を整えて出た。

早朝の列車で美瑛に出た。そして路線バスで「青い池」を目指した。そこで愉しんだ後は白金温泉まで歩き、やがてバスで美瑛駅周辺へ引揚げた。

実は「ライトアップ」ということで、「青い池」を夕刻に訪ねるという、観光協会のバスが在って、それに乗車してみようとしていた。その時間まで美瑛町内に在った。

何となく収穫であったのは、郷土資料館の企画展で、美瑛の街並みの変遷に触れる機会が在ったことだ。旧い地図と写真とで見せる展示が凄く面白かった。昭和28年頃、昭和45年頃、昭和60年頃と並べていた。昭和27年に完成したという美瑛駅の建物は、その時代から現在まで変わっていない。壁に「美瑛軟石」という石材を使用している。明治44年頃から昭和40年頃迄、美瑛町内で石材を切り出していたらしい。そういう変わっていない美瑛駅の周りは変わり続けていた。現在では「御伽噺?」という麗しい街並みが整っている辺りになるが、昭和20年代から昭和50年代の様々な建物が在った様子の写真も興味深かった。

結局、「青い池」や「白髭の滝」は朝と夜に観たというような感じで興味深かった。

旭川へは午後7時頃に引揚げ、ふらりと辺りを歩いて「鮭ぶしらーめん」というモノを夕食として頂いた。これが酷く美味かった。北海道の鮭を、(鰹節の豊かなノウハウを有する)鹿児島県枕崎市の業者に依頼して「鮭節」に加工し、それを利用した出汁を使った塩ラーメンだ。一寸好いモノを知った。

美瑛の見聞は追って纏めることとしたい。「青い池」と「白髭の滝」との間の3km余りを始め、相当に歩いた。明朝はゆっくり過ごして差支えないのだ。今夜は、眠気に抗い悪くなった時点で眠るというだけのことだ。

やや湿った夕べに…=運行日誌(2023.11.03)

「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川に在る。利用者アンケートで「10回以上利用」というように回答はするが、実際に何度利用しているのか判らない程度に利用している宿に入った。最早、勝手な言い草ながら「旭川の別宅」という気分の場所だ。

少し眠りが浅い感も否めなかった夜の次の夜で、何か深く眠り、そして早目に眼が開いた。ゆったりと準備も可能な様子の早朝だった。

出掛ける際の定番は、朝6時36分に稚内駅を発つ特急列車に乗車するということになる。ゆとりを持って駅へ向かい、ゆったりと乗車した。車中での居眠りというような様子も在ったように思うが、曇天の中で順調に列車は南下し、予定どおりに旭川に着いた。

最近読んだ小説『氷点』に、作中人物が<ちろる>という喫茶店で珈琲を飲む場面が在る。この<ちろる>という喫茶店は1939年に起こったという老舗で、『氷点』が登場した昭和30年代末にも実際に営業していて、作者も街へ出た際に立寄っていたというような話しだ。その<ちろる>が現在も旭川の街に在る。古くからの建物と店名を受継ぎ、2011年頃に内装を改めて営業しているということだ。この御店のことを知り、一寸寄ってみたくなった。「モーニングセット」ということで、ブルーベリージャムを塗るトーストと、浅煎りの個性的な味わいながらも老舗らしい感じがした珈琲を頂いた。

そこから然程遠くない辺りに在る、真言宗の寺である真久寺を訪ね、無事に旭川入りして休日を過ごす運びとなったことに感謝の意を表する御参りで、御朱印を頂いた。

旭川駅の辺りに向かい、少し考えたが、結局は旭山動物園を訪ねた。明日から少し休園して冬季開園の準備に入るらしい。現在のシーズンの最後ということになっていた日だ。片道500円、所用時間は30分から40分程度のバスに乗車して訪ねた。混み過ぎでもなく、何となく愉しんだ。

宿に入って一息入れ、食事を摂るべく街に出た。7月に寄って焼売を頂いた店に足を運んだ。何時の間にか餃子も出るようになっていて、色々と頂いた。考えてみると、朝から夕方まで、<ちろる>のトーストを頂いた程度であったので、酷く空腹であった。そういう中で焼売や餃子を頂いた訳だ。

少しだけ空気は温いと思った。冷え込みに警戒したが、然程でも無かった。他方で些か、雨が交じる場面も在ったが、それ程酷い雨でも無かったと個人的には思う。夕刻も少し雨が交じって湿っていた。

居室で寛ぎ、眠気が射せばそれに抗わずに休もうと思う。何か、凄く「好きな時間の過ごし方」をしている気がする。こういうのが好いのだ。

前夜に…(2023.11.02)

人の語彙というようなモノは、豊かなようでいて、実は存外に貧しいのかもしれない。

「名状し難い」という言い方が在るのだが、その時の想いを判り易く表現し悪いという場合が意外に多いということに思い至る。

「気持ちに何処となく浪が立ってしまっているような状態」というような、諄い言い方以外に「名状し難い」という気分が強まっているかもしれない。憤りというのとも、歓喜というのとも、その他の何れでもないような、「浪が立ってしまっている」とでも形容する他に無い様子だ。

こういう場合には、その「浪が立ってしまっている」というような様子、経過、その他の思い付きを綴ってみるという程度にするのが善いのかもしれない。

実は翌日の朝から出掛けるということにしている。「気持ちに何処となく浪が立ってしまっているような状態」とは言え、予定は変えない。

時折、「所用の序で」と「半ば強弁?」というように称して、所用の際に少しばかり時間を設けて他地域で過ごしてみる場合が在る。そういうことを仕出かすのが気に入っている。

2023年に入って、3月、5月、7月、9月末から10月冒頭とその「所用の序で」と「半ば強弁?」というように称する方式で、他地域で時間を過ごすことをしている。加えて4月には、「“序で”と強弁」というようなことではなく、正面から「他地域で過ごす時間を設ける運びとした」というようにしていた。「正面から」とは言っても、一部に「所用」と呼び得る内容も無かった訳でもない。

先月の或る日、11月の暦に眼を通した。自身は日曜日と月曜日を休業日としている。11月5・6日が普通の休業日である。が、その前の11月3日が祝日で休業日となる。とすれば?11月4日も休業日という「ことにする」のなら、「11月3日から11月6日の4日間」という時間を設けることが叶うのである。

そういうことに気付いてしまうと、その「11月3日から11月6日の4日間」という時間を設けるということを想い留まることなど全く出来ない状態になった。そして11月4日も休業日という「ことにする」ということを実行することとした。

結局、時間を設けて他地域を何となく訪ね、カメラを提げてふらりと歩き廻るというようなことが止められなくなってしまっていて、或る程度の間隔でそれを実行しなければ気が済まないというようになってしまっているのかもしれない。2023年の場合、1月から2月にはそういう経過が見当たらないが、3月以降は毎月か隔月で何かをしている感じで「度が過ぎる?」というように見えないでもないかもしれないのだが。

今般は「所用の序で」と「半ば強弁?」というように称する方式でもない。「正面から」他地域で過ごす時間を設けるとしておきながら、一部に「所用」と呼び得る内容が混入しているのでもない。かなり純粋に、「時間を設けて他地域を何となく訪ね、カメラを提げてふらりと歩き廻る」ということになったのだ。

そういうことに「期待」が大いに膨らんでいる。他方、俄かに「気持ちに何処となく浪が立ってしまっているような状態」というような情況も生じようとしていることに気付いた。または気付かされた。

例えば、少しだけ手を伸ばせば届く、触れられる、掴めるという程度に思っていたモノが在ったとする。そういうようなモノが、実は「そう思い込んでいた」に過ぎなかったことに気付く、そういう様子であるという事実が突き付けられるということが在るのかもしれない。手を伸ばしても届くというのでもなく、触れられず、掴めない。或いは掴んだと思っていて、指の間から零れてしまう。そのうちにモノは何処かに遠ざかって、簡単に見つけられなくなってしまう。

言い方を少し換えてみる。何事かを始めてみて、それが動き始めたとする。色々と巧く動き始め、順調な経過と見受けられるようになる。そう思って、そのまま当分はその順調な経過が続くものと考えるようになって行く。が、不意に細かい齟齬が方々に積み重なってしまったかもしれないということに気付かされる。やがて始めたみた事案が何だったのか、解ったような、解っていないような感になってしまう。

強いて説けば、上述例のようなな状態という事柄は、時には、または存外に多く在るような気がする。大雑把に捉え過ぎているのかもしれないと同時に、細かく考え過ぎているのかもしれず、何とも「名状し難い」というように感じる。

自身の場合、これまでの歩みの中、巧く説明出来ず、敢えて言えば上述のような感じということを何度も繰り返し、現在に至っているような気がする。或いは、またそういう様子になろうとしている現状なのかもしれない。そういうように感じると同時に、未だ結論めいたことを如何こう言えるのでもない段と観るべきではないのかと考えているということにも思い至ってしまう。本当に「定まらない」という様子で、「気持ちに何処となく浪が立ってしまっているような状態」とでもする他に無い。

そんな中であるからこそ、暦の産み落とした偶然を強引に拾い集めるような真似をして設けた時間を大事にしてみたい。否、何処となく「浪立つ」というような気分だからこそ、少し変わった動きを通じて、それを静穏化してみなければなるまいという気もするのである。或いは「浪立つ」という気分をもたらした事柄は、場合によっては「そのうちに清算」というようになっていくかもしれない。「清算」の入口というような心境に至った頃、折から「気分転換」という予定を入れていたというのは、実は非常に好運であったのかもしれない。

気分が「浪立つ」、他に「名状し難い」というような様子、経過、その他の思い付きを綴ってみるという程度にするのが善いと思い、色々と綴った。何処となく「静穏化」の兆しに行き当たったというような気がしないでもなくなった。これは本当に善かった。

今般は「所用の序でと半ば強弁?」という様子と、「正面から」他地域で過ごす時間を設けるとしておき、場合によってその一部に「所用」と呼び得る内容が混入という様子との「中間?」という感じなのかもしれない。やや遠い地域に飛び出す、全く知らない地域に踏み込むというようなことはしない。寧ろ「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という程度の地域に踏み出し、当該地域内で「偶々未だ寄っていない?」という場所へ、または「この時季には寄っていない?」、「こんな時間帯の様子は知らない?」というような既知の場所へ足を運ぶような感じになると思う。

「所用の序でと半ば強弁?」という様子の場合、何となく「運行日誌」という程度に名付ける記事は敢えて綴らない。そういモノは「正面から」他地域で過ごす時間を設けるとして、少し遠い地域へ飛び出す場合に綴るということが専らだ。今般は両者の中間だが、偶々前夜に「一寸綴りたい…」という気分が生じたことを契機に、「運行日誌」というようなモノを綴るようにしようかと考えている。

宿の居室…:各地の<東横イン>(2023.04.02-07)

以前に話題にした経過も在ったが、4月の旅では、近年になって利用する機会がやや多い、有名なチェーンの<東横イン>に連日のように滞在した。

関西方面を目指した中で<大阪天神橋筋六丁目>に連泊し、稚内へ引揚げる途中で<札幌駅北口>と<旭川駅東口>を各々利用している。

「必ず」というようにしているのではないが、宿の居室に辿り着いた時、カメラを提げていると「何となく居室を撮る」という場合が在る。今般、大阪、札幌、旭川で各々居室の写真を撮っていた。

↓<大阪天神橋筋六丁目>のベッドだ…(2023.04.02)
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↓<大阪天神橋筋六丁目>のデスクだ…(2023.04.02)
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この<大阪天神橋筋六丁目>に4連泊、関西に在った時に“別宅”のように使っていた。

そこから北海道へ飛んだ。とりあえず札幌に着いて宿を利用した。

↓<札幌駅北口>のベッドだ…(2023.04.06)
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↓<札幌駅北口>のデスクだ…(2023.04.06)
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旭川へ移動し、稚内へ引揚げる前夜を宿で過ごした。

↓<旭川駅東口>のベッドだ…(2023.04.07)
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↓<旭川駅東口>のデスクだ…(2023.04.07)
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以前にも話題にしていたが、このチェーンは各地に在る何れの宿を利用しても「概ね同じような感じ」である。上記の大阪、札幌、旭川だが、何の注釈も無しに示すと、区別が殆ど不可能かもしれない。こういう「何処でも同じような感じ」という方式が、自身としては安心出来るので気に入っている。

最近、方々を動き廻って宿泊施設を利用する人達が増えているようである。最近は昨年辺りに比べて、混み合って予約し悪いという場面が増えたような気がする。そういうのもまた「時代の移ろい」ということか?

何れにしても、またこのチェーンの宿も利用しながら、何処かに出たいものだ。

帰着…=運行日誌(2023.04.08)

拙宅の居室に在る。稚内は曇天で湿っている。風は然程強くはない。

「寝坊厳禁!」と少しだけ気持ち張ったかもしれない。が、寧ろサウナで身体も解れていて、適度に身体も動かす期間が続いていて、寛ぎながら食事も愉しむ時間が設けられ、気が向くままに呑んでいるような具合で、何やら酷く深く眠ったということなのかもしれない。時刻は確認していなかったが、日付が変わる前には寝入っていて、4時頃には起床するに至った。

雨が些か交るような早朝となっていた旭川である。ゆったりと支度をして、旭川駅へ向かった。途中のコンビニで飲物を幾分仕入れた。

車中では、確か比布駅に着いたのは記憶しているが、以降は名寄駅の手前まで記憶が無い。眠ってしまった。名寄駅では「2輛目」を切り離す作業が在って、少し長く停まるので、ホームで外の空気に触れた。やがて名寄から動き始めたが、余り停車駅の記憶が無い。気付くと南幌延駅だった。そして幌延駅に到って、少し長く停車をする。

こういう訳で「御休み中に移動」という様相だった。無事に着いた。

今般のように、時間を設けて随意に動くというのも好い。前年5月以来の流れも在って、関西方面に入ることを繰り返しているが、また少し先に計画しようと思っている。

ところで、宿の朝食のずうっと前に出ているので、朝食は摂っていない。出てから旭川駅周辺のコンビニで飲物は仕入れた。そして車内で飲んだ。が、何も食べていない。とりあえず昼食を愉しみに出たい…

パターン…=運行日誌(2023.04.07)

もう何回目の利用なのか判らないが、旭川の馴染んだ宿の居室で寛いで居る。明早朝の動きに備えているということになる。

前夜に札幌に着いて宿に入ったのだった。宿の朝食を頂くという段まで、入った居室から廊下にさえ出ず、適当に寛いでから休んでしまっていた。休むための居室なので、何ら不都合は無いのだが。途中の深夜に少し起きて、暫く過ごしてというようなことも無く、少し長目に深く眠ったと思う。

宿の朝食後、何やら居室が明るくならない。窓が隣の建物の壁に近いという要因だけに留まらないらしい。玄関に下りて戸外の様子を伺う。雨交りだ。暗い筈である。雨交りでは戸外を積極的に動き回るという感じにもなり悪い。

そんな中で思い浮かんだのは、もう少しで閉めるということでサウナを利用しなかった前日の出来事だった。前日は、サウナを利用するよりも、滅多に逝かない姫路を訪ね、空港へ行く途中に神戸の南京町で食事ということが非常に愉しかったので善かったのだが。それでも「サウナ…」という想いが遺る。そこで「札幌でサウナ」と思い付いた。嵩張るモノ―と言って、何日間か旅行をする場面の持物というより、同じ街の中のような生活圏で所用という場面のような持物だが…―はロッカーに預けて身軽になり、サウナ利用も含めて、雨に濡れ過ぎない程度に過ごすということを考えたのである。

「地下歩行空間」を利用する等して札幌都心を歩いた。そしてサウナを無事に利用した。何か「大阪の仇を札幌で」というような妙な話しかもしれないが…

サウナの後はジンギスカンを昼食に摘まみ、札幌駅へ移動した。また「地下歩行空間」を歩いた。地下鉄の「さっぽろ駅⇔大通駅⇔すすきの駅」の間が地下の通路で結ばれている。実に便利だ…序に「大通駅⇔バスセンター前駅」も通路で結ばれている。“地下”と言えば大阪や名古屋も盛大に地下街が在る。そういう辺りに比べると、札幌はシンプルで、なかなかに使い勝手が好い他方で、存外に広い範囲に拡がっていて面白い。

札幌駅では<青春18きっぷ>を手に列車に乗った。岩見沢駅に出て、既に待機中であった旭川行に乗車し、何か凄く円滑に旭川駅に到った訳だ。

旭川では宿に入り、少し寛いだ後に少し馴染んだ御店を訪ね、夕食を愉しんで寛いだ。

最近、遠い他地域との間を往来する場合、札幌と稚内とを移動する際、何となく旭川に道草するというような傾向が出ている。実際、旭川で夜を明かして翌朝に動くという感じが程好いのだ。「後は何時でも御休み頂いて結構」という態勢で、寛ぎたい。

北への途上に…=運行日誌(2023.04.06)

札幌駅に程近い宿の居室に在る。居室内で飲むモノ等も、札幌駅から宿への途中で求めて、チェックインをして居室に持ち込んでいる。いきなり「何時でも御休み頂いて結構」な状態になっている。

精力的に動いていたからであると思うのだが、短めながら、かなり深く眠った感だった。深夜帯に眼が開いた。そして少し起きていた。やがて“第2次睡眠”となって、6時頃に起き出した。「普通な朝」という感じだった。

早朝から積極的に動き回るようなことを想わないでもなかったのだが、ゆったりと宿の朝食を摂り、ゆっくりと退出して移動を開始することとした。日曜日は早朝の未だ少し暗いような頃に動き始めて夜に天神橋筋六丁目駅傍の宿に着き、月曜日は始発電車で京都へ、火曜日も水曜日も宿の朝食の後に7時台前半から動いていた。ここまで、過ぎる程に張り切っていたのか?もっとゆっくりするのも悪くないと思ったのだ。

天神橋筋六丁目駅傍の宿から、中崎町駅辺りを経て、大阪駅まで歩いた。途中、何かで聞いたことが在るようなサウナが在って、凄く惹かれた。午前9時過ぎだったが、毎日の営業が昼12時から始まって夜を跨いで朝10時迄なのだという。居られる時間が余りに短いので利用は見合わせた。何時かは訪ねたい気がする。

<青春18きっぷ>を手に大阪駅の改札を通った。姫路行の新快速に乗車し、そのまま姫路に到った。

姫路は「世界遺産 姫路城」の「城下町」という雰囲気に溢れていると思った。城の辺りの桜も、花の最盛期は過ぎたかもしれないが、なかなかに素敵な様子だった。その辺りを散策した。更に「播磨国総社 射楯兵主神社」(はりまこくそうじゃ いたてひょうずじんじゃ)を参拝した。愉しく散策した。更に、姫路の喫茶店関係では「アーモンドトースト」というモノが知られているという。姫路駅近くの、古くから在るという風情の御店に御邪魔して、そのアーモンドトーストを摘んだ。

空港を利用する神戸に移動した。南京町を歩くというようなこともした。四川麻婆豆腐というモノを「遅めな昼食兼早過ぎる夕食」という気分で頂いた。

そして空港に入り、無事にフライトである。機内では、離陸する少し前の時点で寝入ってしまったようだ。気付けば、乗った飛行機は上空を航行中だった。そして居眠りと覚醒とを繰り返していた間に、新千歳空港に着いてしまった。

新千歳空港から先は、馴染んだ経路で札幌駅ということである。これから先は、これもまた馴染んだ経路での北上となる。

少し長かった感の日…=運行日誌(2023.04.05)

宿のコインランドリーで衣類を洗い、終わったのでそれらを細かいモノと合わせて箱詰めし、拙宅へ送る手配を済ませた。ここまでで存外に時間を要したが、後は居室で「何時でも御休み頂いて結構」という態勢だ。

前夜は日付が変わる前に抗い悪い眠気に包まれ、深く眠った。そして例によって早朝、未だ暗い時間帯に起床だ。

「半袖Tシャツの上にデニムジャケットでキャップ着用」という程度の服装が、現在の時季の関西では好いかもしれない。前日は「半袖Tシャツの上に長袖シャツでデニムジャケット。加えてキャップ着用」で多少暑くなり、ジャケットは抱えていた。そこでこういう感じにすることとした。そして宿で朝食を摂り、その足で街へ出た。

宿を出て、辺りを漫然と歩き廻った。都島方面へフラフラと進み、地下鉄で中崎町に向かい、そこから阪急の大阪梅田駅へ歩いてみた。そして阪急の列車で京都に出た。

友人と会った。何となく奈良へ足を運び、以前に一緒に奈良を訪ねた際には寄っていない薬師寺を訪ねてみた。友人は薬師寺が酷く気に入ったようだ。後の予定に鑑みて京都へ引揚げるべき時間帯に至る迄、結局薬師寺で過ごした感だった。

引揚げた京都では、祇園の歌舞練場で、日本文化紹介のステージを観た。概ね満席な感じで、外国人の観客が目立った。自身も傍目には外国人のような感じか?

今日は「少し長い」というように感じた。朝から動いて、昼迄に移動で、更に奈良を往復して、京都で一寸だけ夜を過ごした訳だ。結局「天神橋筋6丁目から京都に通う」という感じで月曜日から水曜日を過ごした。明日からは「北上」の道程だ。

「相変わらず」という感…=運行日誌(2023.04.04)

夜、宿の近所の酷く延長が長い商店街を冷かし、宿へ引揚げる少し前に「マヨネーズポン酢」というソースの“たこ焼き”を求めた。宿の居室でそれを摘まみながら寛いでいる。存外に美味い!!そうしている間に、夜も少し遅めになって来た感だ。

日付が変わった頃に休んだが、酷く深く眠った。相変わらず少し早めな起床だが、何かスッキリしていた。そういう中で、多少、ゆっくりとスタートする1日ということにした。「ゆっくり」と言って、始発電車で動くようなことを避け、支度をして宿の朝食を頂いてみるという程度のことだが。

結局、阪急電車で京都を往復することになった。今般の滞在で何となく恒例化している。「大阪の宿に陣取って、阪急電車で滞在期間中に京都を往来」ということをするのは、やや遠めな地域から関西入りをした旅行者としては、やや少数派になるのかもしれない。自身は、何時でも、何処でも、何でも“少数派”な感じであるので、こういうことでもそれを実践してしまっている訳だ。

朝は東寺を訪ねて御朱印を頂いた。かの弘法大師が、身を高野山に置きながらも、“気持ち”は東寺に在るというようなことを言っていたらしい。そんな虎児も伝わるが、雰囲気が好い場所で、何度も寄っている。近年は何回か御朱印も頂いた。

その東寺から移動して知人に会い、その後に昼食を摂って、午後からは友人に会った。

友人をかの三十三間堂へ御案内した。あそこは本当に凄い様子で驚かされる。「千手観音が千体」と、他の像等も並び、中央に大きな千手観音の座像が据えられている堂内は少し驚かされ、圧倒もされる。友人も強い印象を得たようだった。そこから、強引にタクシー移動をしてしまったが、桜苑が知られる平野神社を訪ねた。友人が入場券を頂いたそうで、折角なのでそれを使おうとした訳だった。桜は「散りかけ…」という木が多かったかもしれないが、それなりに好かった。

何日間かの「華々しく早朝から夜の(個人的な感じ方では)少し遅めまで動き廻る」でややエネルギーを使ってしまっている感だ。のんびりと寛ぎ、少しばかり充電を図りたい…

簡単に振り返るが…「桜の日」という感…=運行日誌(2023.04.03)

遅めな時間帯の食事は、「健康上の課題」にも鑑みて好ましくないというようなことを頭の隅で考えてはいた。が、酷く一生懸命に動き回る結果となった一日を終えようとする中、宿の近所でカレーライスを一寸頂いた。そして宿の居室に入って寛いで居る。

前夜は一旦は寝入ったが、日付が変わって眼を開け、何やら眠り悪いと写真の整理というようなことに手を着けるようなことをしてしまっていた。そういうことで、深夜帯から既に一日が始まってしまっているような按配だ。「所用」と言えなくもない内容は在るが、所詮は「休暇」なのである。漫然とゆっくり過ごせば好い筈だが、何か「平日」よりも精力的な感で呆れる。

朝5時過ぎの「始発」を利用し、天神橋筋六丁目駅から淡路駅へ出て京都河原町駅を目指した。朝6時過ぎには京都河原町駅の界隈に在った。友人と「9時に会おう」という約束だったのだが、それに先駆けて京都市内で最盛期を若干過ぎた感の桜を眺める等していたのだ。

「一寸出掛けよう…」という話しで、色々と話しが出たが、結局は「琵琶湖の季節運航の<花見船>に乗る」ということになり、滋賀県の北寄りに在る長浜を目指した。

長浜では船の待ち時間が少し長くなってしまった。湖岸の桜の好い場所が「盛り」なので混み合い、着いてから然程待たずに乗れそうだった船は満席だった。そこでやや待つことになったが、それが好かった。というのは、長浜城の辺りの<豊公園>の桜が素晴らしかったのだ。

追って、色々と纏めようとは思うが、「桜の日」という感じで精力的に過ごした。京都に引揚げ、「友達の友達は皆友達」という方式で、以前から面識は在ったが、友人の友人を訪ねて少し過ごすということをした。京都の地下鉄の五条駅から四条駅に北上し、阪急の烏丸駅から淡路駅、乗換て天神橋筋六丁目駅ということにした。

本当に、物凄く精力的に過ごしている…

例によって長い道程…=運行日誌(2023.04.02)

天神橋筋六丁目駅に近い宿の居室で寛いで居る。大阪の街の北側だ。稚内から文字どおりの“一日仕事”で一気に移動した。

昂り過ぎたのでもないが、午前4時を待たずに起床で、何らの差支えも無く、<青春18きっぷ>を手に早朝5時21分に稚内駅を出る列車に乗り込んだ。存外に車内が賑わった感だったが、多くの出入りが在って、稚内駅から名寄駅まで通して乗車していたのは自身を含めて3名で、途中から乗車した1名が名寄駅まで乗車していた。

「“3時間”を3千円で買う」という厭らしい言い方をしてしまう場合が在るが、<青春18きっぷ>で朝の名寄駅に到って、旭川駅までの乗車券と特急券を求め、素早く旭川駅に出てしまう場合が多く在る。今般もその手を使った。名寄での待ち時間が短くなり、旭川駅での接続も好くなる。概ね3時間程度の待ち時間が酷く短くなる訳だ。

旭川駅からは、滝川駅、岩見沢駅で乗換えながら札幌駅に到った。札幌駅近くで昼食(兼朝食…)をマグロの丼だ。

札幌駅から新千歳空港駅へ移動し、空港に入った。飛行機は窓側席が当たった。そして神戸へのフライトであるが、非常に順調だったと思う。

神戸空港からはポートライナーで三宮に出た。三ノ宮駅(JRは「ノ」が入る…)に歩を進め、「関西のJRと言えば…」という感の<新快速>がホームに停まっていたので飛び乗り、大阪駅へ移動した。ここでも<青春18きっぷ>を使った。

様々な路線が入り乱れる大阪駅だが、地下鉄谷町線に乗換えた。なかなかに歩く…谷町線は東梅田駅という看板になっている。少し探した。その地下鉄谷町線で天神橋筋六丁目駅に到った。天神橋筋六丁目駅には阪急にも乗入れている堺筋線も在り、構内はかなり広く、出口を求めて随分歩いた。やがて天神橋筋に出て、キョロキョロとして宿を見付けた訳だ。

朝5時台から動き始め、午後8時台の半ばに宿に入ったのだ。自身「いい歳…」になってしまっていると思うが、「よくやる…」と自身にほんの少し呆れないでもない。酷く空腹を覚えたので、辺りに出て、何やら定食屋に入って牛肉を焼いたモノをメインにした定食をゆったり頂いた。後は居室で休むばかりだ。

稚内を出た時は2℃を切っていた。大阪は20℃を伺うような感じだ。明朝からは軽やかに動き廻ることも叶うであろう。宿の居室で「後は何時でも御休み頂いて結構…」ということにする。この天神橋筋六丁目駅に近い宿だが、近年の利用機会が多いチェーンで、何処の街でも似たような部屋で勝手も判り、何か酷く居心地も好い。ここが今般の“別宅”となる訳だ。

出先での滞在を愉しむというようなことだが、結局「滞在地」に出る道程が酷く長い。それでもその道程を何となく愉しむ訳だが。

前夜に…(2023.04.01)

4月1日だ。年度の初めである。

「暦年とは別に、事務などの便宜のために区分した1年の期間」を「年度」と言う。

この「年度」ということでは「会計年度」が大きな位置を占めている。「国および地方公共団体の歳入・歳出の区切りとされる期間」が「会計年度」で、「4月1日から翌年3月31日」となっている。

明治時代に色々な経過が在って、1886(明治19)年に「会計年度」を「4月1日から翌年3月31日」ということにして、現在に至っているのだという。

この年度初めの4月1日だが、今年は土曜日である。何か「新たに始まる…」というような雰囲気が薄まってしまうような気がしないでもない。何年かに一度は、この4月1日が土曜日や日曜日になる場合も在る訳で、特別でもないかもしれないが。

「年度初めの4月1日」ということで、少しばかり前向きに力が入ったのは、大学に御厄介になるに際しての入学式が催されて参加した時、所謂「社会人1年生」で職場に入った時だった。「社会人1年生」の初日、「“出勤簿”に押印するものなのですよね?」と尋ねれば、“出勤簿”が未だ出来ていない状態で、大昔のコントのように「ずっこけ」という気分になったものだったが。

昨年、一昨年はこの4月1日を挟むような時季に、別段に生産的という程でもない雑用が発生し、随意に時間を設けて動き廻るというようなことをするには至らなかった。新たな年度ということで発生する場合も在るような雑用であったのだが、今季はそういうモノが無い。「別段に生産的という程でもない」と感じる程度の雑用から免れられること自体は歓迎というものだ。

特段に何かが在るのでもないということで、無理に時間を設けて動き廻る必然性も低い。そういう程度に思っている半面で、少し遠方に住む友人に一寸会ってみるようなこともしながら、時間を設けて動き廻る場合でもなければ立寄り悪いような辺りを徘徊してみるということもしてみたいという想いが募った。

「何処かへ出て徘徊」ということに関しては、<青春18きっぷ>を利用可能な時季であるという要素も在って、そうしたい想いが募る。<青春18きっぷ>は発売期間中にとりあえず求めておくと、有効期間満了迄に利用可能だ。<青春18きっぷ>について、利用者の年齢や属性に制限が在るのでもない。「学割」や、何かの条件を満たして会員になっているというようなことが在るのでもない。<青春18きっぷ>の「18」とは「単なる商品名、愛称」であって、「18歳」というような年齢は無関係だ。「18歳」に対して「ダブルスコア」でも「トリプルスコア」でも、随意に利用すれば好いモノだ。

拙宅から近い稚内駅で普通列車に乗って旭川駅迄出て、そこから復路の列車に乗ってみるだけでも<青春18きっぷ>の料金の殆どは回収出来るような感じだ。稚内・旭川間を往復する普通の乗車券は1万円程度だったと思うが、<青春18きっぷ>は1万2千円程度なのだ。<青春18きっぷ>を手に旭川辺りに至るような場合、旭川以遠の北海道内で少し動き廻る、船や飛行機で他地域に出て動き廻るということも出来る訳で、実際にそうするので<青春18きっぷ>はかなり有効に利用出来ると思う。「耐久レース」か何かでもないので、朝早くから夜遅くまで、ずうっと列車に乗って動き続けるというようなことをするまでもない。そこまでせずとも、「普通に乗車券を求めると3千円から5千円」という区間に乗車する場面が、5回使う中で2回から3回在れば損はしないような感じだと思う。5日間連続で使うということでもないので、辿り着いた何処かで少し滞在し、復路でまた使うという程度でも悪くはないかもしれない。

昨年は夏季と冬季の<青春18きっぷ>を利用可能な時季に、<青春18きっぷ>を手に出掛けた。今般は春季の<青春18きっぷ>を利用可能な時季に、<青春18きっぷ>を手に出掛ける事を思い立ち、既に入手している。実は春季の発売期間は終了した。有効期間は4月10日迄である。時間を設けて、明日から使うということにしたのだ。それが待ち遠しい「出発前夜」という感じだ。

春季の<青春18きっぷ>を利用可能な時季、北海道は「早春」を感じないでもないながら「冬の残滓」がしつこい。今季は「雪が消えるのが早い?!」という様子ではあるのだが。対して本州方面では「桜が好い感じ」という場所が多いと思う。或いは「桜をぼんやりと眺める機会でも設けられると…」という程度の期待を抱く。

今季に関しては「桜が早い?!」という話しになっている。各地で気象台が“標本木”というモノを設定し、それを観て「開花」、「満開」というようなことを発表している。1950年代から続けているらしいが、そういう経過に鑑みて「観測史上最速」とか「観測史上〇番目」というような話しが多く聞こえる。とすると?これから桜が咲いているような地域に足を踏み入れても、盛りを過ぎてしまっている可能性が在る。それでも、「開花」や「満開」は「標本木を観て」という話しで、そして「今日は満開…明日は散ってしまう」というような極端なモノである訳でもないであろう。動き廻る先々で「おっ!」と桜に出くわす場面も多分在るであろう。

昨年、一昨年はこの時季に桜が咲いているような地域に足を踏み入れていない。出先や地元で観たモノを写真に収めた場合、ブログ記事も綴る。桜を眼にしたなら、間違いなく写真を撮ってブログ記事を綴ると思う。が、昨年や一昨年は地元や北海道内で5月にエゾヤマザクラを眼にした旨の記録が在るばかりだ。この時季の桜を眼にした「自身の最新例」は「2020年」にまで遡ってしまう。

如何いうような様子か?実見するまで何とも言いようが無いとは思う。かなり心は弾む。或いは、心弾み過ぎで夜は眠れなくなってしまうかもしれない。が、それはそれだ。明朝は<青春18きっぷ>を手に、早朝の列車で発つ計画だ。

早朝の列車で発つ「計画」とは綴った。が、往復の航空券と期間中に利用する宿泊施設を予約した他、細々した「計画」という程のモノは練っていない。こういうのも自身の流儀の一つだ。

高野山金剛峰寺の大伽藍のイラストが入った御朱印帳…(2023.02.19)

高野山の大伽藍のイラストが入った御朱印帳を入手して、随分と気に入って愛用していた経過が在る。

↓こういう御朱印帳だ。
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↓御朱印帳を抱えて高野山を訪ね、御朱印を頂きながら各所を巡ってみた。
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↓御朱印を眺めて、訪ねてみた高野山の様子を思い出す。御朱印を頂きながら歩き廻るのも好い感じかもしれない。
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↓こういう御朱印も好いモノだと、改めて思う。
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↓右側は泊めて頂いた宿坊の、酷く迫力が在った愛染明王の御朱印だ。左側は高野山を下りた後に入った京都の東寺で頂いた御朱印だ。
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↓京都の神泉苑で御朱印を頂いた。
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↓京都で智積院に立寄った。少し経った後、天野山金剛寺を訪ねている。
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↓奈良県内の當麻寺もなかなかに見所が多かった。
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↑何となく立寄ったのだったが、當麻寺も強く記憶に残る場所だ。


↓訪ねてみて、事前に思った以上に観るべき場所が多く、少し驚いたのがこの當麻寺であった。
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↓やがて画の左側だが、飛鳥寺にも立寄った。
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↓岡山県に出て西大寺にも立寄った。
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↓関西に戻って、石山寺や神護寺も訪ねた。
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↓更に仁和寺に立寄っている。
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方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。

※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、和歌山県、奈良県、滋賀県、京都府と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…