帰着…=運行日誌(2022.08.08)

稚内に到着した時、稚内駅の温度が表示される場所には「24℃」と在った。そして空気は雨交りで湿っている。

駅に近い拙宅へ歩いて引揚げた。稚内の居室は湿った空気が籠っていた。窓を開けて換気し、その間に御近所で昼食を摂ってみた。そこから戻ると按配は少し好くなっていた。

「寝坊無用」と少しだけ気が張っていたかもしれない。思惑どおりに早めに起き出し、身支度だ。京都で求めて在った新しいTシャツを引っ張り出して着用する。

旭川駅に近い宿から早朝に出て、早朝の列車に乗り込んで北上するというのは、自身にとっては「多少、馴染んだ移動…」である。今般もそれを実践だ。

実際、少し驚いたのは「座席が粗方埋まって…」という感じであのキハ54が走り続けたことと、稚内の間近に至って抜海駅から乗車した乗客3名が見受けられたことだった。何やら賑わっていた。稚内駅到着後、素早く改札口に歩を進める人は少数派だった。(自身はその少数派だった。)多くの人達が「到着記念…」で写真を撮る等していた。

京都で、「祇園囃子」のCDを入手していた。祇園祭の華やかな催事が視られた訳でも―やや遅れた形で京都に着いている…―ないが、とりあえず「時季らしい音」ということになるであろうか?そんなモノを再生し、何となく寛いで居る。

“休業”?=運行日誌(2022.08.07)

何か「崩落…」とでも形容したい様相で、深夜帯に眠気に堪え難くなり、そのまま寝入って明るい朝を迎えたという感だった。早朝に「北上の途に就く」という意図を放棄し、「如何でも構わない“休業日”」を旭川で過ごすという具合に、急に決めたことが「大正解?!」であったかもしれない。そんな気がしている…

宿を出た後、カフェに入り、ノートパソコンも広げて何やらゆったりと過ごした。そこから、嵩張る荷物を旭川駅のコインロッカーに預けた。ストレートに向かえば、旭川駅から歩いて10分程度か?日帰り入浴施設を訪ねて寛いだ。やがて少し遅めな昼食を愉しみ、その後に覗いた本屋で一冊の本を求めてしまった。

やがて本日の宿の宿泊者受入の時間帯になった。それを見計らって入ったが…居室で居眠りに陥った。陽が傾いたような頃に起き出した。そして窓から夕暮れを眺めて、何となくのんびりとした。

そして午後8時頃から戸外に出て、チェーン店なのだとは思うが、居心地が悪くない居酒屋に出くわし、相対的に安価に焼酎を頂いて料理を摘まんだ…

振り返ると、「旅の途上」というよりも、「住んで居る街で何となく過ごす休業日」というような行動様式だと思っている。

そう言えば、日中に寄った入浴施設のサウナで、休日昼の何やらのトーク番組が流れていた。格段に興味も無い話しという場合が多いのだが、今般は「夏の美味いモノ」ということで、何やら“ひつまぶし”に話題が及んでいた。「一寸、贅沢をしてしまった…」と思ったが、「名古屋の忘れ物を東京で回収…」というように頂いたばかりで、実に美味だった。アレが酷く評価が高いメニューだということを実感してしまった。

相変わらずだが…今般も7月28日に南下を開始して以来、再北上の現在に至る迄、宿の居室ではテレビを視聴せず終いだ…思い出すのはそのサウナで視た例という位だ…

何やらゆっくりしたが、明日は早起きだ…

長い道程を北上…=運行日誌(2022.08.06-07)

個人的な傾向なのだが、「身体が解れて、直ぐに休みたいような感」と「血行が好くなって、頭が冴えているような感」とが混在するというのが、サウナを利用した後に時々見受けられることであると思う。実は今、その「サウナ後」の様子である。そして、サウナを利用したのは午後11時台で、何やら寛いでいた間に日付も改まった。

現在、「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川の、館内のサウナを備えた大浴場が好い、何度も利用している宿の居室で寛いで居る…長い道程を経てここに至った。

桜木町の宿を出てから、川崎大師、高野山東京別院、泉岳寺と道草をして午後の羽田空港に至り、夕刻のフライトで新千歳空港に飛んだ。新千歳空港から札幌駅に列車で出て、札幌駅から高速バスで旭川駅前へ至ったのである。

旭川では「翌早朝に更に北上…」という思いが在ったのだが…気が変わった…北上は明後日にする…そういうことで、別途宿は決めた…

何か「大いにエネルギーを費消した」という感と「新たなエネルギーを多く得た」という感とが混在しているような気がしている。

「事案」の故に所用が些か生じてはいたが、それはそれとして、「気儘に方々を巡ってみる」というような、自身としては「最も“生きている”を実感?」という営為に身を投じた。多分、「事案」の有無と無関係にこういう機会は思い付いて設けていたと思う。が、「事案」の故に「余り無かった“充実感”」とでも呼ぶべきモノが加わったとも思っている。

20℃程度だった地域から、40℃を伺うかのような状況下に入り込み、やがて30℃前後の中になり、そこから21℃程度の場所に戻った。何か変に「時季らしい…」を経験したかもしれない。これは「善し」としたい。

「危険な暑さ」という言辞が飛び交っていた時には、「普通にその辺を動き回る」というだけで「ふやける程に汗をかいた?!」という状態になった。旭川の地では?「サウナでふやける程度に汗…」ということで、何やら変にスッキリしている。

実は飛行機や高速バスの中で、何やら「深めな居眠り」をしていた。それ故に、変にスッキリしているのかもしれない。そのうち?如何しても眠くなった時点で深く眠れば好い…

緩慢な時間?=運行日誌(2022.08.05)

前日、名古屋→(豊橋)→(浜松)→静岡→三島→(熱海)→(横浜)→桜木町という経路で動き、夕刻に暗くなり始めたような頃には強めな雨であった。

多少の雨で傘は持たないのだが、昨夜は「多少…」では「済まない!!」という程度だった。コンビニで700円位のビニール傘を求めた。直径70㎝を謳う大き目なモノで使い易かった。この傘を使うと、傘に雨が当たる音が何やら凄かった。

そんな状況を踏まえて「模様視」を決め込んだ早朝であった。実は…「道草しながら関東に到達し、8月6日に北上のフライト」という段取りを、「名古屋から横浜に至って連泊」というようにしてしまった。“道草”を想った経路上で、何やら宿泊施設が混み合っている様子だったので「それなら…」と思い付いてみると、アッサリと宿を押さえることが叶ったのだ。

前夜の様子から雨に警戒したが…結果的に雨は降っていない。雲が多い、陽が射すが変化し、総じて曇りが多かったような気はする。気温は30℃を少しだけ下回るような具合だったようだ。自身のように「寒冷地仕様…」を嘯く者にはやや暑い、または蒸すような気がするのだが、京都で経験した「危険な…」というのとは明らかに違う。「普通な一寸暑い夏季の様子」という範囲に収まっているような気がした。

そういう天候を受け、何となく「懐かしき鎌倉」と思い付いた。少年期の旅行で訪ね、都内に在った学生時代に何度も訪ね、その後も何年かに一回は寄った気がするが、結局酷く御無沙汰してしまっていた。そういうことで訪ねたのだった。

鎌倉の後は東京駅に出て少し辺りを散策し、桜木町に引揚げ、夕食を愉しんで辺りを散策したというような次第だ。何か、現在の宿の辺りで普通に暮らしたような場合、まぁまぁな天候の休日に思い付いて取りそうな行動をしたという感がする。仔細は追って別に綴ろうと思う。

今般、暑さの中で些かの所用を交えて京都で過ごし、以降は何やら緩慢に過ごしている。「緩慢」と言えば、最近は「何時でも…」という感も否定し得ないのかもしれない。が、それはそれとして「何となく心地好い…」という過ごし方をしているように思う。

明日は北上だ…

「18きっぷ」を手にした状況らしい感…=運行日誌(2022.08.04)

以前に滞在したのは?忘れてしまう位に以前だったと思う。横浜に在る。桜木町に在る宿の居室で寛いで居る。

多少「御無沙汰している感の場所…」ということになると、戯れに「〇〇の街は“出入り禁止”に…」と嘯く場合が無くもない。横浜はそれに近いモノも在るかもしれない。羽田空港から北上の途に就く前に滞在しようと思い付いた。更に、横浜辺りに至る以前に寄道も意図したが、何やら「各地の宿泊施設が何となく賑わい…」という様相が見受けられる中、横浜でゆっくり滞在するということにしてみた訳だ…

名古屋の宿で朝を迎えた。夜間、途中で眼を開けるようなことも交じったが、結果的に少し長く深く眠ったような気もした。起き出した時点でハッキリと天は明るく、蒼天に些かの雲が流れるという様相だった。そして雲が多い場面も発生するというような感だった…

<青春18きっぷ>を手に「東海道線を東へ…」ということを試みた。色々な土地を結ぶ、古くからの街道を意識したような軌道で、列車本数も多い東海道線は、「<青春18きっぷ>を手に…」という気儘な旅が愉しみ易いと思う。そういうように思いながら、、「<青春18きっぷ>を手に東海道線を往く…」ということも少々御無沙汰したかもしれない。

名古屋から豊橋、豊橋から浜松、浜松から静岡という具合に朝から動いた。

静岡では駿府城公園を散策し、駿府城公園内の御店で「静岡おでん」を摘まんだ。静岡というのも、何か「クルマが優先」な感じもしてしまうような感じの街だと思わないでもなかったのだが、駿府城公園界隈を歩いたのは少し愉しかった。

静岡から三島に出た。三嶋大社を訪ねてみた。歩いて訪ねる分には、「三島駅⇔三嶋大社」がやや判り悪かった…復路の「三嶋大社→三島駅」については、案内看板が比較的判り易かった。

三嶋から熱海に出て、熱海から乗換えた列車で横浜に至り、横浜駅から桜木町駅で宿に至ったという次第だ。

横浜の宿で一息入れて、戸外に出てみれば…強めな雨だ…普段は傘を使わないのだが、流石にコンビニでビニール傘を求めた。辺りを少しだけ歩き、宿の傍に在った御店で夕食を愉しんだ。

下り坂になってしまった天候であるが…明日は明日で、その場で如何するのか考えよう。別段に用が在るというのでもない「休暇中らしい…」という様相なのだから…

一息…=運行日誌(2022.08.03)

若干、細切れのようになった深めな睡眠が折り重なって、何時の間にか朝を迎え、宿で朝食が供される時間帯に近付いていた。そういう具合に朝を迎えた。早速に、窓辺の朝の光は眩しい…

今般は名古屋を経て京都に至り、入った宿に逗留を続けた。或いはこれまでに余りやっていない方式であったかもしれない。交通至便な四条烏丸に在る宿の居心地は、酷く好いものだった。気分は「ウィークリーマンションに滞在」に近かったかもしれない。

そういうことなので、京都をゆっくり離れることに関して、或る種の感慨のようなモノも湧く。“事案”は在る訳で、多分また足を運ぶようになることであろう。

そして出発だ。<青春18きっぷ>を使う。とりあえず京都駅に出てJRの列車に乗り込み、「道草しながら名古屋に至る」ということで、余り細かいことは考えていない。「道草」とは言っても、酷く暑いのでそれ程歩き廻ることが出来るのでもないというようにも思ったが。

草津で江戸時代の宿場の経過に関する遺構や展示を見学した。そこから米原を経て大垣に至った。大垣では大垣城等を見学し、大垣駅へ引揚げる時に道を間違えて随分と歩いた。そして名古屋へ向かい、往路でも利用した宿に入った。とりあえず汗を流して一息という訳だ。

夕刻、名古屋地区で活動中である友人と会うことにしていた…

この友人とは知り合ってから存外に年月を経ている。2020年2月、友人は活動の関係で稚内へ足を運んでいて、その際に御会いしていたのだが、それ以来ということになった。色々と語らう愉しい夕べということになった。

今般、何となく名古屋でも一息入れている…明日からは東へ進む…

溢れ出るかのような想い…=運行日誌(2022.08.02-03)

少し遅めな時間帯に至る迄、色々と動き回り、あっという間に日付が改まってしまっていた。

「所用」ということで、それらを足してしまい、序に時間的なゆとりも大きかったというのが「今般の京都」ではあった。が、「危険な暑さ」という最中であり、「時間的なゆとり」を活かして何かをしたという程でもなかったかもしれない。

「何かをしたという程でもなかった」かもしれないが、同行者と落ち合った中、如何しても必要と見受けられた用事は足し、可能な範囲で文化的に過ごしたような気はする。

8月2日は早起きをして、そのまま散策に親しんだが、酷く汗をかいてしまい、何やら休んだ。昼前には食事に出て、何やら噂の喫茶店を訪ねてみようとして「所在地の御案内」を参照した筈だった。しかし「何やら行き過ぎて、迷いながら戻る…」という余計な動きをして汗をかいた…

そんなことの後、一つ所用を足し、宿に一旦引揚げた後、同行者と落ち合った。ライヴハウスに音楽を聴きに行ったのだった。同行者はそれを、本当に「物凄く!!」喜んでくれたのだが、自身としては各メンバーが実に愉しそうに、そして熱も籠っている感じで演奏するのを聴く機会が少ない、最近では「殆ど無い…」という様子なので、酷く愉しかった。

自身は地下鉄で宿に引揚げる心づもりであったが、同行者はバスで引揚げようとした。停留所を見出してみると、4分少し待った辺りでバスは現れ、同行者はそれを利用した。自身は、同行者バスに乗った様子を見届けた後、地下鉄で引揚げた。

別れ際に「明日、京都を離れる?何時?京都駅から?見送りに行く。一緒にお茶でも…」と同行者は言い出した。「気持ちは嬉しいが、出発間近に会って、お茶でもしていると自身は出発することが嫌になってしまうかもしれない…去り際が寧ろ苦しくなってしまう…」と申し出た。そういうことで、同行者とはバス停で別れた。再会を期して…

徒手空拳という様子だった友人を同行者として京都に入り、新たな道を拓くことが叶うようにと背中を押した。多くの人々の御協力や御配意も頂き、活き活きと活動も出来るようになったことを、自身も喜んでいた。こうなって来ると、同行者が強い関心を抱いている音楽シーンにような事柄に触れる機会を設けてみるのも悪くはないと思った。自身でも、同行者を御案内することを口実に一寸愉しみたかったということも在ったが…

そういうことで、何やら「“想い”が溢れ出る」という気分ではある。が、他方に「実際的な都合」というモノもある。「夜中に…」とブツブツは言わず、酷い汗で汚れ、時間を経ても何となく湿っている衣類を、宿の館内に設けられたコインランドリーで洗濯をせねばならない…

色々と細々した話しは、追って綴るようにしたいと思う…

そして…夜が明けると移動という算段ではある…

「危険な暑さ」という表現が登場した日に…=運行日誌(2022.08.01)

この時季、京都では午前5時頃が日出で、午後7時頃が日没であるようだ。“休業日”的な過ごし方で普通に休み、スッキリ目覚めてみれば、日出の頃の少し前だった。

日出の頃を過ぎて陽が高くなって行く中、午前7時頃で既に「強い陽射し…」という感じになっている。「夏らしい!」のだが、朝の時点で気温は30℃前後で、日中は更に気温が上昇する。宿の朝食を頂く際、会場に据えられたテレビでニュースが流れている。その中で「危険な暑さ」という表現が在った。通常は「大変な場所も在るのだな…」という程度に聞き流すが、現在はその「当該地域」に在る訳である。何か不思議な気がしている…

そういう中での一日である。

午前中は「所用」というようなことで同行者と共に在った。四条烏丸周辺、烏丸御池周辺で少し動き、<スマート珈琲店>で一息入れて、昼食は<キエフ>のランチとした。「想い出の店」という感の<スマート珈琲店>は珈琲とホットケーキを頂いた。<キエフ>のランチは、過日のディナーと変わらない感じで好かったが、店は存外に賑わっていた。

同行者とはそこで別れた。昼頃は殊更に暑い…無理に戸外を歩き廻るべきでもない…自身も宿に引揚げて一息入れた。

やがて午後4時半頃になり、何かを頂きたくなって戸外に出た。陽射しが弱まって、些かは凌ぎ易くなっていた。それでも歩けば酷い汗は免れない…

<シェイクシャック>というハンバーガーの店が宿から遠くない辺りに在った。一寸寄ってみて、やや早めな夕食ということにした。そこまでは好かったが…フラフラと歩いて烏丸御池に至り、地図が入った周辺案内図で、二条城が地下鉄で一駅の辺りで「徒歩圏内」と気付いた。そして…歩いてしまった。

二条城に至ってみれば、「夏まつり」と称してライトアップを実施すると判った。入場は有料で、近所のセブンイレブンでも入場券を売っていた。それを求めてしまい、ライトアップを眺めた。唐門の感じが秀逸だった…

二条城からは宿まで地下鉄で引揚げた。東西線で一駅、乗換えて烏丸線で一駅と遠くもない。往路は歩いてしまった区間だ…

そんな訳で存外にエネルギーは使った…早めに休みたい感だ。

“休暇中”の日々の中に「休業日」??=運行日誌(2022.07.31)

前日に引き続き、同行者を伴って何らかの文物に親しむような時間を設ける意図も在った日曜日である。が、前日の日中から夕方に精力的に動き回ったことから、同行者から「休養日としよう…」との御提案を頂いた。それを容れたということから始まった朝である。

「日曜日だけ朝から営業」という銭湯が宿から徒歩圏内に在ることに気付いていたが、日曜日であったことを思い出し、訪ねてみた。何気なくバッグにタオルを容れ、それを持って行った。間違いなく「銭湯」という感じなのだが、サウナや露天風呂が備わっていて、なかなかに立派な内容だった。好い場所を覚えた…

宿の朝食は軽く頂いたが、それはそれとして「カフェに足を運んで、好い感じの飲物を啜りながら、好さそうなモノが在れば摘まんでみる」という程度のことを考えた。以前に通販で珈琲豆を御願いした経過の在る店の本店が、宿からそう遠くない辺り、上述の銭湯よりも近い場所に在ることに気付いた。

訪ねた時は未だ「モーニング」の時間だった。そこで<スペシャルモーニング>なるモノを所望した。そうすると、何やら大盛のキャベツが添えられ、卵焼きにベーコン、そしてトーストという「想像以上に大きい…」という一皿と珈琲が登場した。

多少驚きながら頂いてみたが、何やら「随分と確り頂いた…」というような具合になった。

以降、暑い中で無理をしない程度と思いながら、所謂“銀閣寺”を訪ねてみた。夏の強い光と、力いっぱいに繁っている木々という感じを眺めるのが面白かった。

やがて宿に引揚げ、館内のコインランドリーで洗濯に勤しんだ。汗をかいて、この数日間の着衣が汚れていた訳である。無事に片付いた…

更に京都在住の友人と連絡が付き、友人が時々寄っているという回転寿司の店を訪ねた。

銭湯…散策…洗濯…回転寿司…何か「正しい休日」という様相だと思った。そういう場合も在るというものであろう…

更に精力的に?=運行日誌(2022.07.30-31)

「眼を開けると日付が改まっていた…」という形で「昨日」を迎えていた訳だが、今朝も同様に「眼を開けると日付が改まっていた…」という形で迎えている。

何処かで所用を足すには、些か不都合も在る土曜日であった。「遠足」に出てみるようなことをした。自身の普段の行動の中では「やや珍しい?」ということになるかもしれないが「同行者在り」である。

<大阪・京都・奈良 三都めぐりきっぷ 1日フリー>という近鉄の1日乗車券を、同行者の分も合わせて前夜に用意しておいた。それを使った。

近鉄の列車で奈良へ出た。

興福寺辺りを抜け、奈良公園を散策し、東大寺を訪ねた。大仏殿とミュージアムを見学した。同行者が初めてであるので、少しばかり御案内めいた話しもした。そして辺りの店で昼食を愉しんだ。更に、奈良から引揚げる前に興福寺国宝館も見学した。

近鉄奈良駅から京都駅に真直ぐ向かい列車に乗車したが…大和西大寺駅から桃山御陵前駅の手前辺りの記憶が無い…座っていて居眠りに陥ってしまった。

京都駅の手前、東寺駅で下車した。そして東寺を訪ねた。何度訪ねても東寺は好い感じだと思う。

そこから京都駅に着けば近鉄の1日乗車券は「任務完了」だ。そしてまた移動しようとJRの列車に乗車した。

京都駅から東福寺駅に出たかったのだが、列車の行先表示を視て同行者が笑った。「奈良へ行く列車に乗る?奈良から京都に戻った直後なのに?」という訳だ。

東福寺駅に出た後は、京阪の列車に乗って出町柳駅へ出た。「下賀茂神社で催事」と聞いたからである。

少し賑わう下賀茂神社を訪ねると、「御手洗祭」ということだった。裸足になって御神水とされる境内の水路に入り、蠟燭を献じて灯し、御神水を飲むという祭事だ。全く初めて参加したが、少し不思議な感じだった。

同行者は所用も在ったということで、辺りで見付けた停留所からバスで引揚げた。自身はもう少々辺りを歩き廻った。所謂「鴨川デルタ」の辺りにまで出てみたが、そのうちに暗くなった。

京阪の出町柳駅から祇園四条駅まで移動し、少し歩いて宿に至った。居室で汗をかいた服を脱いで、宿の部屋着に替えて程無く、何やら強い眠気で時間帯が不明な感じで眠ってしまった。そして気付けば早朝だったのである。

寺社を訪ねた際、神仏に向けて「平穏に感謝」というように参拝するが、日中に34℃というような程度であった中、元気に愉しく過ごしているというようなことになる。善いことだ…

精力的に過ぎたか?=運行日誌(2022.07.29-30)

何となく寛いで居た間に「28」から「29」へ日付が改まり、そのうちに眠気が強まって休み、深夜に眼を開けてしまう場面も交えて朝に至った。

名古屋から京都へ移動という場面になって、新幹線の列車を利用しようと名古屋駅へ悠然と向かった。そして新幹線の列車の自由席券を求めて乗車したが…「<のぞみ>はこんなに速かったか?」と変な戸惑い方をしてしまった。過去に新幹線の列車で名古屋・京都間を含む区間を通ってはいるのだが、もう少々時間を要したような気がしていた。

予定より早めに京都入りし、所用に臨んだ。所用そのものは思ったよりも順調に進んだのだが…暑かった…35℃になっていたようだ。好天で、悪くはない夏らしい雰囲気が溢れてはいたが、着ていた長袖Tシャツの“チェルニャーシカ”は「絞って水気が…?」という程度の汗でベトベトになってしまった。

無事に用事も済ませた夕刻、<キエフ>というレストランへ足を運んだ。「同行者在り」という状況だ。同行者は酷く歓んでくれた。そして御店の方、店主氏とも懇談し、愉しい夕べを過ごした。

宿へ引揚げ…何時の間にやら寝入ってしまい、そして日付が変わっていた。「29」から「30」へ日付が改まった。

こうして7月30日の深夜帯に、京都で逗留する宿の居室に在ってぼんやりしているのだが…「日中35℃」は、「寒冷地仕様」な自身にとっては「滅多に経験しない情況」ではある。

文字どおりの「移動日」…=運行日誌(2022.07.28)

巨大な名古屋駅で、御願いした宿へ至る出口を何とか見出し、随分と様々な建物が入組んだ中で無事に到着し、とりあえず居室で寛ぐに至った…

稚内で迎えた早朝。「寝坊は罷りならない」と気が張ったのか、深夜に一旦起き出し、更に短く休んだという中で早朝に至ったのだった。

空気が湿って雲がやや多い状況であった。サハリン仕入れでボーダー柄の長袖Tシャツである<チェルニャーシカ>を着て、コットンのワークパンツというような服装で玄関前に佇んで様子を伺うと、程好いように思った。南下する場合、これでは暑いかもしれないが、陽射しがキツい場合には長袖Tシャツも悪くはないかもしれない等と考えた。Tシャツ類も荷物に色々と入れた。

大阪錫器のタンブラーに<天孫降臨>という名の焼酎を注ぎ、稚内駅へ向かう迄の間、旅の安寧を願いながら寛いでいた。

やがて「青春18きっぷ」を手に早朝の稚内駅から移動開始だ。名寄に至って1時間程の待ち時間は散策に費やし、旭川に至って2時間程の待ち時間は昼食と散策に費やした。以降、滝川、岩見沢、白石、新札幌と各々乗換で新千歳空港に至れば午後5時を少し過ぎていた。運賃は8千円を少し出るらしいが…「青春18きっぷ」の「1回分」で乗り通した。

新千歳空港では夕食を愉しんでからじっと待っていて、名古屋へ出るフライトを利用した。中部国際空港に到り、名鉄の特急に乗って名古屋駅に出たという訳だ。

結局「早朝5時台から午後10時台の半ば辺り迄」を移動に費やした。明日に備え、とりあえず寛ぐこととする…

前夜に…(2022.07.27)

「随意に過ごす時間を設けて、何処かへ出て…」という程度のことは何時でも考えている。年中そういう様子でも構わないとさえ思う程だ…

同時に、最近は「5月に出た経過」の「続き…」というようなことも少し気になってはいる。

「5月に出た経過」を振り返れば、「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということの一辺倒でもなく、「事案」が在ったので、それに合わせて「時間を設けるように」ということをしたのだった。それを「特定行動」等と号したのだったが。

「5月に出た経過」では、5月7日に南下し、5月8日に「行動」を起こすという感で移動も始め、5月9日に京都に至ったのだった。

「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いて京都に至った。「入洛し周旋致す…」という程でもないのだが、幾分動き、友人が色々と活動を始めることが叶うような状況に至った様子を見届け、5月13日の夕刻に会って「健闘を期す」という話しで別れたという経過だった。

こういうことがあれば「で?その後?」ということにはなると思う。「様子を視に…」と少し経って―1ヶ月余りを経た6月後半頃から思っていた…―から考えるようになり、その機会を設けることを窺っていた。そして今般、そういう機会を設けることになったのだ。5月、6月、7月と概ね3ヶ月間弱が経った訳だ。

稚内辺りからは、何処へ如何向かうにしても「些か長い道程」となることは免れ悪い。が、その道程を経て京都へ移動する。暫し滞在し、多少の道草をしながら引揚げる訳だ。

そういうことなので「京都に逗留」というような感にもなる。京都の宿は、出発を確定した直後に予約済である。出先で「明日はここまで…宿はここに求めようか…」というようなことをする場面は少な目になることであろう。その以前に、少し明確に「京都へ出る」というようなイメージとなるのは、自身の行動様式としては少し珍しいかもしれない。

普段は「過ぎる程に静かな街…」というような場所に在る。「京都に逗留というような様子であれば、「少しばかり賑やかな街の別邸へ…」というような感になるかもしれない。更に「興味深い文物に出くわすべく精力的に動き回る」というより、「何かの用を足す合間に面白そうなモノとの出会いを試みる」、「漫然と辺りを歩いて、適当に休む」という様子になるのかもしれない。

思い起こすと「暑い時季に如何にも暑そうな地域を訪ねる」というようなことを余りしていないと思う。

2020年7月末から8月初めに出掛けた経過の中で、香川県徳島県高知県愛媛県と四国に足跡を記し、更に関西方面に立寄って引揚げたという経過が在った。「暑い時季に如何にも暑そうな地域を訪ねる」のはそれ以来になると思う。

それ以上に遡っても、「暑い時季」に該当する7月や8月というような頃には、北海道内に在ったか、何やらでサハリンに在ったかというような年ばかりだったと思う。在った場所で「多少暑い…」は勿論在ったが…2020年7月末から8月初めに出掛けた経過は、そういう意味合いで少し画期的であったかもしれない。

2020年7月末から8月初めに出掛けた経過の中では、「余り無理はしないで、早目に宿に入ってゆったりと…」という程度に考え、「水分は多目に摂ろう…」としていた。今般もそういうような感じで善いと思う。

日程の大半が京都で、往復の長い道程が待っている。酷く愉しみだ!!!

帰着…=運行日誌(2022.05.15)

静かな休日の午後という様相で、拙宅の居室に在る。とりあえず戻った…

前夜の宿では「翌朝は寝過ごす訳にも行かない…」と気が張っていたのかもしれない。思ったより短めな睡眠に終始したような気がする。

そういうことも在って、予定どおりに「早朝に旭川を発って、昼に稚内に着く」という普通列車に乗込むことが叶った。

列車は特段に何かが在るのでもなく、或る程度馴染んだとおりに旭川から北上した。途中、雄信内でイベント列車と行違った。他に変わったことと言えば…幌延駅は、土日は駅員を事務室、窓口に配しないことになったらしい。

それでも淡々と列車は動いた…

今般、暫し時間を設けて「特定行動」と号し、東京を経て京都に出て、京都で所用に勤しんで、そこから引揚げて来た。その間、色々な見聞もしている。

見聞したこと等に関して、写真でも撮っていれば、それは出先の宿からでもドンドンとブログの記事にする。順序が整っている必然性を求めずに、ドンドンと思い付いたように記事化しているのがこのブログだ。

そういうやり方で既に色々と出しているが、これから更に記事は増えるであろう。

「特定行動」と号し、東京を経て京都に出ての活動は、事前に何となく想定した様子よりも巧く運んだ感で安堵している。そして関係各位に感謝申し上げたい。今般のように、急に少し纏まった時間を取るようなことは、然程頻繁に繰り返すのでもないかもしれないが、事案との接点は持ち続けることとなるであろう。

実は、明日の一日が休業日だが…何となく、ゆったりとするというのか、或いは「動けない…」と力が抜けてしまっているかもしれない…そういう場合も在るであろう。

「四条」から「4条」へ独り…=運行日誌(2022.05.14)

漢字2文字で「四条」と綴り、「しじょう」と読む場所から移動して到った辺りでは、「4条」と数字を使う場合も目立ち、「よじょう」と読む。

「四条」(しじょう)は京都で、「4条」(よじょう)は旭川だ…独り、長い道程を北上し、「多少は勝手を知った(つもりになっている)他所」という認識の旭川に到り、些か馴染んだ旭川駅東口の宿で寛いで居る。

京都辺りでは15℃を超えて20℃を伺うような様相だったが、旭川では10℃を挟む気温のようだ。京都でも「半袖Tシャツにデニムのジャケット」という装い、時に「Tシャツのみ」ではあった。旭川では「Tシャツのみ」は「やや寒い…」かもしれない。

北海道内から京都を訪ねる場合、「関西空港・新千歳空港」のフライトを利用するのはポピュラーかもしれないが、「京都・関西空港」の経路等に関しては色々と好みが判れると思う、「京都」に関しては「名古屋に上陸して新幹線を利用」という選択肢も意外に好いという話しも在る。

今般、京都から関西空港へ移動した。

阪急の列車で烏丸駅から桂駅を経て淡路駅へ向かった。淡路駅から地下鉄直通の普通列車で天下茶屋駅に着く。天下茶屋駅から南海の列車に乗り込む。堺駅で関西空港駅に向かう急行に乗り換えられたので、それに乗り込んだ。概ね2時間15分程度を要した気がするが、1700円で釣銭が生じるというような価格で辿り着く。意外に気に入ってしまった…

今般は、航空券そのものの価格の安さを優先して選んだので関西空港を使う形になった。「価格の安さ」を優先するにしても、一度余り愉しくなかった便が在ったので、その航空会社は度外視し、幾つか見出した選択肢から択んだ次第だが。

新千歳空港からは列車で札幌駅へ出て、札幌駅で直ぐに都市間バスに乗車して旭川駅周辺へ動いた。故に札幌駅辺りには「10分少々」しか居なかった…

何やら「只管に移動」で終始した一日だった…今般は色々と在って、込み上げる想いも強い…が、それはそれとして、現在は「明早朝に備えて寛ぐ…」ということに尽きる感だ…

段落…=運行日誌(2022.05.13)

四条烏丸の宿の居室に在って、何やら日付が変わった中で前日や「ここまで」を振り返るような感だ。

前日も結局は「バタン…」と早めに休み、日付が変わる少し前に眼が開き、再度眠ろうとして果たせず「そのうちに…」とまた起き出してみている訳だ。

前日は何時の間にか雨交りになり、雨交りが日中を通じて継続し、夕刻には少し雨が強めになっていた。着衣が濡れてしまっていたので、とりあえず居室で脱いで、宿の部屋着に替え、そのまま休んでいるような状態であるので「その後の雨」に関しては承知していないが。

一つ所用は在ったが、気忙しく走り回る必要が在るという程でもない。雨交りは動き悪いが、それはそれとして街を少し動き回ってみた。

偶々、滞在中に案内表示を視掛けて金戒光明寺を訪ねてみたくなり、訪ねてみた。

金戒光明寺は比叡山を下りた法然上人が最初に庵を結んだとされる場に在るという、古い由緒を誇る浄土宗の寺だ。「黒谷」または「くろ谷」という通称も知られているようだ。

この金戒光明寺は街の北東寄りに在って、地形の感じが“城”という様相も呈し、境内地も狭くはなく、多くの人達が滞在することも叶う条件だ。そうしたことから、幕末期に<京都守護職>として約1千人の将士を引き連れて京都に乗り込んだ会津松平家の松平容保の本陣が置かれた。

<京都守護職>というのは、「特別治安警察」というような役目だ。

江戸時代を通じ、警察的な役目を担う機構は在ったが、それ程大掛かりな陣容で在ったのでもない。町の自治的な機能が存外に充実していて、そうした機構と当局とが或る程度連携して、人々の安寧が維持されるような感であった。時代が下って、古い時代には想定し悪かった状況が生じ、色々な役職が設けられるようなことになった一面も在るのだが、幕末期の京都で見受けられたような、現在の用語で言う「テロ事案」のようなことや、何らかの思想を掲げての攻撃的行動が目立つようになれば「対応困難…」に陥ってしまう。

そういうことで<京都守護職>が設けられた。「幕府を扶ける」が「存在し、存続する理由」というような考え方を護り続けた誇り高き会津松平家は、この<京都守護職>を懸命に務めた。その関係者達が在った金戒光明寺だ。

松平容保は孝明天皇にも「懸命な努力で都を護ってくれている」として、当時の京都に出入りしたどの大名よりも信認されていたようだ。混乱を拡げるような恐るべき計画を挫くとか、大被害は免れなかったものの、内乱になってしまいかねない戦いで勇戦したのだから。が…少し後の戊辰戦争では「賊軍の首魁」呼ばわれである…

幕末の会津松平家の物語というような事を思い出すと、時代や場所を問わず、何か「正義」というようなモノが「簡単に表裏入れ替わる…」というようなことに思い至ってしまう。

その後は<京都伝統産業ミュージアム>、<京都写真美術館>と入場無料の施設を興味深く拝見した。

<京都伝統産業ミュージアム>は、所謂「職人仕事」を紹介する場所で、なかなかに興味深かった。

<京都写真美術館>は、嘗ては料理店であった場所を利用した写真等の展示スペースだ。開催中であったのは徳島県の写真家による、文楽や彼の地に受継がれる人形劇で使うモノに関する写真展だった。興味深く拝見し、写真家や居合わせた方と懇談した。

やがて所用に向かった。場所が近かったので、南禅寺水路閣を少し眺めた。そして所用である。

大変に有難いことに、取組んでいる事案は事前に想像していた以上に順当に進んでいる。「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。

既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。

それでも「少し話そう…」ということで、今出川駅に近い<モスバーガー>に小一時間の寄道をした。友人は偶々<モスバーガー>が初めてだったということだが、「モス野菜バーガー」とカフェラッテが凄く美味しいと喜んでいた。評価の高いチェーン店なので、覚えておくと好いかもしれないということを話題にした。

友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。

「特定行動」と号した今般の動きは無事に段落した。とりあえず「北上」を始めることになる…

進捗…=運行日誌(2022.05.12)

強めな眠気に抗えずに深く眠り、変な時間帯に起き出し、更に眠ってみようとして寝付き悪い状況に陥る。そういう個人的には「よく在る?」という状況の典型の中に在る。「特定行動」と号して時間を設けて随意に過ごしている期間なので、全く問題は無い。更に言えば、平素の活動に支障が生じない範囲であれば、「よく在る?」という状況で暮らしても問題が生じるのでもないと思っている。

雨交りな状況が続いていた前日を振り返る…

大変に有難いことに、取組んでいる事案は事前に想像していた以上に順当に進んでいると言って差し支えないと思う。「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。そういう様子を見守り、その前後に、余計と言えば余計ながら、「雨ニモ負ケズ…」と辺りを散策して体力を多少は使った。

余計と言えば余計ながらも体力を使ったことと、事案の進展に安堵したということが相俟って、何やら早めな時間帯に抗い悪い強めな眠気に包まれ、酷く深く眠った。そして変な時間帯に起き出して、更に眠ろうとして眠り悪い状況に陥っている。

四条烏丸から、東本願寺に道草しながら、また所謂“100円ショップ”で捨てても惜しくないライターオイルを入手し、京都駅の南側に至った。同行者の道案内を務めて今出川駅に向かった。

今出川駅近くの場所に同行者を送り届け、生き生きと活動を開始したことに安堵しながら、自身は「待ち時間」を過ごした。「雨ニモ負ケズ…」とフラフラと歩き始めた。

訪ねた場所で「霊魂が渦巻くとされる一条通」というようなことに話題が及んだ。夜、少し遅くなってオフィスで静かに残業をしていると、「蠢く霊魂の所業?」というような「不自然?」という物音を聞くこともないではないということだった。そんな話しから「一条戻橋」のことを思い出し、その辺りに在る清明神社に寄ってみた。

清明神社から歩を進め…北野天満宮にまで至ってしまい、大将軍八神社にも寄道し、少し迷いながら「待ち時間」を段落したが、弱めでも続く雨に触れて随分と濡れたのだった。

そんな状態で京都駅まで同行者を送り、そこから引揚げた。引揚げた後は「バタン…」に近い様子だった…

そういう前日を振り返る朝も何やら薄暗く、また雨が交るかもしれない。前日は「チェルニャーシカ」と呼び習わされるボーダー柄の長袖Tシャツで過ごしたが、濡れる場合の耐性を慮り、半袖Tシャツの上にデニムジャケットを引っ掛ける程度が好いのかもしれない。

展開…=運行日誌(2022.05.11)

曇天の朝を迎えている。

前日は少し通り雨のようなモノが交った後、天候が好転して少し暑いような気さえした。そして事案の続きに勤しんだ。

「強い眠気の中を起きて居る」のは「辛い」のでもなく「出来ない…」と思う。中途半端な時間帯に眼が開いてしまった時、再度眠るのは「出来ない…」という場合も在るが「辛い」という程でもない。そのうちに「再度の眠気」に包まれて眠ることも在るというものだ、

そういうような過程を経て、この曇天の早朝を迎えた。

「一歩毎が人生の一瞬であり、何時でも前進を続ける。陽光と自身の幸福との出逢いへ向けて」
Каждый шаг мгновение жизни и путь вперёд идёт всегда.На встречу солнцу и счастью своему.

↑今般の同行者が、盛んに歩き廻りながら、というよりも「事案の合間に何やら歩いてしまう…」という状況に関して漏らした感想だ。これが酷く気に入った。

「陽光」には様々な含意が在ると思う。好天の日に陽射しを受けて、心地好い路を往くという感が在るかもしれない。照らし出されるように好運に出くわすということを「光」とするかもしれない。後段の「自身の幸福」と関連して、「自身が光り輝くような何か」ということを「光」とするかもしれない。

こういうような、誰かが思い付いたフレーズの「解釈論」のような話しは「野暮…」なことかもしれない。それでも、「面影を追って長い途を往く」という気分で動き始め、「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いて、その関係先に友人を送り届けて事案に取り組んでいる中、フレーズに在った「陽光」という言葉に意識が向いたのだ。

歩き廻る中、歩を進める毎に「善き出逢い」を求め、そこから導かれる僥倖に感謝の意を持ち、自身が輝いて幸福を見出せるように「前進」を続けてみたい、またそうすべく動き回っているのだと考えたいという、フレーズを口にした本人の「強い意志」のようなモノが感じられたのだ。そして「強い意志」は「運」を「引き寄せる?」というような面も在るのかもしれない。

実はその「強い意志」は「運」を「引き寄せる?」ということも少し感じられる程度に、事案は順当に動いていると思う。「個別具体的な事情」により「物言い」めいた話しが全く無いのでもないかもしれない。が、それはそれだ。一つずつ、慌てずに「時間が解決」を待ち、他方で「出来ること」は「可能な範囲」でドンドンと進めれば好いのだ。

前日は今出川駅に近い場所を訪ねて少し時間が係る用事を済ませた。後から、また翌日の状況に繋がる動きが在り、事案の一部は非常に好い方向に進んでいる。結果的に、少し思い切って時間を設けて、事案に取り組んだことが善かったように思う。

今出川駅周辺から何となく南下を始めた。そして三条に至って<新風館>内のホテルに設えられたカフェに立寄り、六角堂を眺めて散策を続けて、四条河原町辺りまで歩いてしまった。「往きは地下鉄にも乗った。還りは歩いた。還りの方が速くない?」とは同行者の感想だ。が、復路の方が何倍も時間は要している。好転した天候の下、何か心地好く街を歩くことが出来、「あれ?見覚えが在る辺り?」と、宿から地下鉄駅へ進んだ時の通に至ってしまったという訳だ。

同行者は当面滞在することとなる場所へ無事に送り届けた。自身も「帰国」で空港に向かうまでに滞在する新たな宿に移った。

多くの方に御支援、御協力、御厚情を賜りながら事案が展開している訳だ。本当に「在る」状況に常に感謝すべきなのであろう。

事案に取り組みながらも、「時代毎に新しかったモノ」を永きに渡って折重ねて現在に至っている、様々な面白いモノが溢れる街に親しむ日々である。未だそれが続く。

前進…=運行日誌(2022.05.10)

迎えた早朝に前日を振り返ろうとしている。

「この数日間で最も長いかもしれない?」と思わないでもない程度に眠った気がする早朝だ。前夜は本当に「如何しても眠たい…」と思い、直ぐに横になった。深夜に一旦眼を開けたが、また眠った。

この数日間は、深夜に眼を開けると再度眠ることをし悪かったかもしれない。そして「車中泊」の微妙な眠り按配が入っていて、少し長く眠ることが必要な状態になっていたのかもしれない。

今般は「同行在り」で、単独で動いているのでもないが、同行者は歩くことを苦にせず、持っているスマートホンに“万歩計”のようなモノを入れている。8日の夕方に近い時間帯から前日までで、最大に歩いた日は「25612歩」を歩いたそうだ。距離換算で「16.67㎞」となるらしい。

こういう様子に関して、同行者の感想のようなモノが伝わって来た。

Каждый шаг мгновение жизни и путь вперёд идёт всегда.На встречу солнцу и счастью своему.

「一歩毎が人生の一瞬であり、何時でも前進を続ける。陽光と自身の幸福との出逢いへ向けて」

こういうような程度に動いていれば、多少エネルギーを損耗して長く眠りたくもなるであろう。が、他方で同行者に纏わる事案が「或る程度巧く動き始めたか?」ということで、少し安堵感が沸き起こっているということも在って、何か「好い意味で力が抜けた」ということも在るかもしれない。

前日は「何時の間にか休んで、深く眠って、深夜に起き出してしまう」ということをすると、「再度眠る」ということをやり悪くなってしまう。そういう状況の「典型的な状態」ということになってしまった中で一日が始まったというような感だった。

事案を巡って、何箇所かを訪ね、訪ねた場所で偶然に知り合いに会って、先方も同行者とも意気投合して、平安神宮周辺を一緒に散策した場面も在った。前々日は些か肌寒い感がしないでもなかったのに対し、前日は温かだった。

今日はその「続き」である。

「溢れ出る」というような感…=運行日誌(2022.05.09)

「何処で何をしているのか?」と、一瞬判らなくなるような感覚を味わった。宿の居室で酷く長く寝入ってしまった。何時の間にか寝入って、深夜に入って眼が醒めたのだ。

自身としては久々の「夜行バスによる移動」が生じ、移動後に早朝から午後まで動き、昼頃には日帰り入浴施設で身体を解す場面も在った。そして宿に入り、何時の間にか休んでいたのだった。

新宿のバスターミナルから発ち、順調に夜の高速道路等を進んで、早朝には京都に到った。

京都駅のロッカーにモノを預け、一寸だけ列車に乗り、清水寺、三年坂、八坂神社と歩き廻り、更に列車で伏見稲荷大社を訪ねた。なかなかに歩いた。

伏見稲荷大社は「街中の生徒が集まっている?」というように思う程に、中学生位の修学旅行か何かが溢れていて驚いた…

やがて京都駅辺りに戻り、日帰り入浴施設へ歩いて向かい、西本願寺に寄りながら京都駅まで歩いて戻った。そこから地下鉄と阪急電車を乗り継いで宿に入った訳である。

「同行在り」で歩き廻った。何かそれは凄く好かった。相手は歩くことを全く苦にしないのだ。

今般の「特定行動」の目的は、半ば達した感である。安堵感も含め、様々な想いが溢れている。故に「バタン…」と休んだのであろう。

「同行在り」…=運行日誌(2022.05.08)

新宿のバスターミナルに在る。待合室の片隅の椅子に陣取っている。ターミナル内は存外に賑わっている。

早寝をしたのでもない他方、早起きになってしまった朝だった…

地下鉄大江戸線の蔵前駅へ、始発の列車が動くような頃に足を運び、勝どき駅へ向かった。勝鬨橋や築地本願寺を眺めた。

そんな散策の後、築地市場駅から蔵前駅へ引揚げた。宿の朝食提供が始まった少し後だった。バイキング式で容器に適当にモノを容れ、居室で頂く方式だった。

「長い一日」が明らかに予想される中、余り慌てて動き始めても疲れてしまう。悠然と宿の居室で寛いだ。

やがて「チェックアウト」だが、滞在した宿は浅草寺が「徒歩圏内」ということに気付いた。そこで歩いてみた。好天に恵まれていた中で浅草寺を訪ね、参拝してから辺りを少し散策もしてみた。

そこからは地下鉄を乗り継ぎ、やや判り悪い道程を歩いて「都電」に乗った。辿り着いたのは荒川2丁目停留所で、直ぐ傍に「吉村昭文学記念館」が在る。

吉村昭の作品は色々と読んでいる。その各作品に関連する取材旅行のことや、生い立ちに関することなどの展示、書斎を再現した展示、加えて時期毎に替えて色々な話題を提供する展示が在った。時期毎の展示では『大黒屋光太夫』に関連する話題が取り上げられていた。大変に興味深く読んだ作品だったので非常に好かった。

吉村昭は現在の荒川区の地域で生まれ育っている。著名作家となった中で「区内に記念館…」という話しが出た。御本人にその旨を伝えると「私のような者に関して公的資金を投じて施設を設けるのも?」と御本人は固辞したという。それでも「是非!」と話しが続く中、御本人は応諾したが、条件として「図書館か何かの施設の中に展示等をする場所を設けるような感」ということだった。そこで<ゆいの森>と名付けた区の図書館が登場した際、館内に正しく「展示コーナー」というように設えられた「吉村昭文学記念館」である。「館内の展示コーナー」とは言え、それを知らないで様子の画でも視ると、「小規模な独立した記念館」というようにも視える立派な感じに仕上がっている。

そして都電と京成の列車を乗り継いで成田に移動した。「特定行動」と略しているが、「国外から到着した友人と落ち合い、目指すようにすべく縁を繋いだ場所へ御案内」という行動のためだ。

成田空港駅に向かう前に成田駅で下車し、食事を摂った。偶々眼に留まった店が「沖縄料理」で、「らふてぃ」という肉の角煮を摘まみ、量が半分という「ソーキそば」を頂いた。参道側を少し歩いたが、「長命泉」という地酒を1杯頂くという場面が在ったが、やや時間的にキツいと感じたので新勝寺を訪ねることはしなかった。

成田空港では「捜査活動」でもないが、友人を含むグループが到着する場所を突き止め、そこで待ち受けた。サハリンに在った時に多用していた「チェルニャーシカ」と呼び習わされるボーダーシャツを着て、何となくカメラも提げていたのだが、到着した友人は移動のバスから一瞥した瞬間に「来てくれた!」と直ぐ解ったそうだ。そこも「狙い」で、敢えてそんなシャツを持参したのだったが。

本当に「何やら夢のようでもある…」と友人との再会を互いに喜んだ。そして東京方面へ移動し、新宿で過ごしたという次第だ。

これから?発車までにやや間が在るのだが、バスに乗ることになった…

南下…=運行日誌(2022.05.07)

何やら長い一日だった。早朝5時台から午後8時過ぎまで動き回っていたということになる。

戯れに「出入禁止?」と言う場合が在る、「何となく御無沙汰し勝ちなメジャーな街」の一隅に在る。「特定行動」という程度に勝手に呼ぶ事案に備えて、対応し易い辺りに「前日待機の場所」を求め、そこに無事に辿り着いたという次第だ。

求めて在った稚内・旭川間の普通の乗車券を手に、5時21分に稚内駅を発つ普通列車に乗車した。キハ54が稚内駅のホームに入る際、線路上をエゾシカが徘徊していて、警笛が酷く鳴らされたという妙な様子も視たが、列車は順調に名寄駅まで進んだ。

名寄駅では自由席特急券を求め、少し待って特急列車に乗って旭川駅に到った。往復の割引が使い悪い―有効期間の6日間を過ぎる可能性が高い場合―は、この方式で旭川に到ると「食事1回か2回分」の金額が浮く。セコい話しだが…

旭川駅では旭川空港へ向かうバスに乗車した。色々な運行系統が在って、停留所に掲出の時刻表がやや判り悪いような気もした。関わっている様々なバス運行事業者の各々の時刻表を何となく貼り付けていたような様子だった…自身は、何となく「旭川空港を経由して富良野へ向かう」というバスに乗車した。

実を言えば、これまでに旭川空港を利用した経験が無かった。今般初めて利用してみた。「札幌駅・新千歳空港駅」の列車と「旭川駅・旭川空港」のバスとは所要時間が大きく変わるのでもない。旭川空港は目下、羽田空港との間を往来する便の発着が専らと見受けられるが「連休最終盤」で何やら酷く賑わっていた。

飛行機の搭乗案内の際、「係員による御手伝いが必要な御客様、小さな御子様を御連れの御客様から」と最初に案内する。その「小さな御子様を御連れの御客様」が「際限無い??」という程に多めに見受けられた。やや幅が広い「連休」の範囲で、旭川周辺が地元なのか、東京辺りや更に行く別な地域が地元なのかは判らないが「小さな子どもも含めて一族が集まる」とか、「子ども達に面白い経験をさせるべく旅行に」という人達が多かったのであろう。

旭川空港から羽田空港への飛行機は、使用する機材の到着が些か遅れたことから出発が少し遅れた。そして定刻をやや出て羽田空港に着いたのだが、然程大きな問題でもない。

羽田空港から「何時以来??」という感のモノレールに乗車して浜松町駅に出た。やや判り悪い感じの中で存外に歩いて地下鉄の大門駅に出て<大江戸線>に乗車した。そして蔵前駅に到り、「駒形2丁目」という住所の宿に入った訳だ。

宿で一息入れた頃、既に午後5時台に入っていた。「12時間を移動に費やした」という形になる。

やがて…明日の段取りのために新宿を目指した。<大江戸線>で森下駅に出て、<新宿線>で<京王新線>の新宿駅に到った。そこから<バスタ新宿>へ向かい、「明日の段取り」という次第だ。

段取りが済んだ後は都庁周辺を歩き廻る等して、やがて都庁前駅で<大江戸線>の列車に乗り込み、蔵前駅へ引揚げた。駅から出て厩橋を眺めて愉しんだ。

明日?また長い一日になる。が、「必殺!案内人」という「特定行動」に踏み出したのだ。「面影を追って長い途を往く」という気分で、何やら「疲れ知らず!!」に動き回っている感だ。

途中の見聞等は追って取上げようと思う…とりあえず今夜はゆったりとする…

前夜に…(2022.05.06)

記事題名のとおり、「行動」を開始する「前夜」なのだが、夕食に出た御近所の御店で店主氏達と話しが弾み、少し愉快な一時で思ったより遅めに引揚げたのだった…

「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということ、そして換言すると「休暇を取得する」ということを時々してみたくなる。

昨年末に巧くそういう機会を設けることが叶った。出先で御厚情を頂くような場面まで在り、酷く充実した時間を過ごした。何度もそういう「随意に過ごす時間」を設けてはいるが、それが段落すると「また是非!」と直ぐに思ってしまう。

3月末から4月冒頭辺り、方々で桜が美しいような頃、その「随意に過ごす時間」を設けてみたいという意図は、年明けの早い時期から頭の中に在った。が、手間が少々掛かる他方で、然程生産的とも思えないような所用が生じてしまい、何か意図を阻まれてしまったという感である。思い出すと前年もそういうような事情が在った。正直、些か面白くない感でもある。

が、そこに「事案」が発生した。

3月の後半に入った頃、或る友人から依頼を受けた。先方が事務手続に用いる書類の作成というものである。「容易いこと…」と引受けた。

やがてその書類を行使し、友人が進めようとしていた事務手続は何らの支障も無く進んだということを聞き、安堵していた。

が、今度はその事務手続を踏まえた行動を起こそうとする際、友人は「徒手空拳」という状態だったようだ。「こういうことが叶うか、関係先に尋ねてみてくれないだろうか?」というようなことを伝えて来たのだ。

これは?「導く」というようなことで手を差し伸べなければなるまいと思った。

「事案」に可能な範囲で向き合うということにした。友人の行動の予定について、一部が判って伝わった。その段階で自身は、友人の行動に合わせた日程で動くことが叶うように“休暇”を取得した。

「自身の“休暇”」は飽くまでも自身が主演、監督、脚本で「好き勝手!!」が許容される筈、または「許容されなければならない」と思っている。だから、こういうように「事案」に向き合うようなこともまた、「自身の流儀」を勝手に貫くことの一環なのだと思う。

「徒手空拳」という状態で行動に踏み出そうとした友人は、国外から、昨今の“情勢”の故に酷い遠回りを強いられると判っていたが、この国を目指した。そして伝えられていた到着の日、友人は空港に無事に降り立つことが叶った。

こういう場合?空港に駆け付け、到着して入国手続を済ませて出て来たところで「よく来た!ようこそ!」と歓迎したい。そういう様子を思い描いたが…「直ぐに隔離される…3日間という話し…その時に会いましょう」という話しになってしまった。昨今の“事情”の故だ。そこは「待つ」という以外に選択の余地は無い。

そして友人は到着した。無事に入国した友人は空港の傍の大きな宿泊施設で「缶詰」だ。その宿泊施設を出られる明後日の夕刻に会いに行く。

「会いに行く」のは非常に好いのだが…当地からは少しばかり遠い場所だ…そこで明早朝に出発する。

「徒手空拳」という状態であったが、支援を受けられるように「縁」を結ぶように動いたのだが、その関係先に友人を送り届けなければならない。

そういうような「事案」に向き合うことになる今般である。言わば「必殺!案内人」という次第だ。(時代劇の『必殺!』シリーズのような、妙なことは何も無いのだが…)或いは「事案に向き合う」ということ全般を「特定行動」とでも呼びたいような感でもある。

この記事は「随意に過ごす時間」に際して、自身の記憶を確かにするために、「運行日誌」等と称して綴っているモノの一環である。込み入ったことには踏み込まないのだが。何とかうまく運びたい…

今回会う友人と直接に在うのは、2019年3月下旬以来ということになる。その風貌から声音や話し口調や「こんな話しをしていたか…」ということまで、そして幾つかの出来事や、その他に色々なことを思い出す。

何か…「面影を追って長い途を往く」という気分だ。

宿の居室…:各地の<東横イン>…

各地を訪ねると宿を利用する。その居室に辿り着いた時、カメラを提げていると「何となく居室を撮る」という場合が在る。

「必ず」というようにしているのではない。別段に決め事のようにする筋合いでもないのだ。本当に「何となく…」でやっている、またはやってしまっていることだ。或いは、後から沢山の写真を纏めて、それらが何となく時系列に並んだ場合、「〇〇に行った画…X月X日…ここでとりあえず宿に入っていて…その後は△△に寄って…この次の日に□□へ移動しようと…」というようなことを思い出すため、何か「長い小説のような本を読み進める場合の栞」というように、「宿の居室に辿り着いた」という画を撮ってしまっているのかもしれない。

自身で利用する宿の居室…「安心して休める場所…持ち歩くノートパソコンで、何となくその日に撮った写真を整理…ニュース等を少々視て寛ぐ…」というイメージなので、「然程、高価でもない所謂“ビジネスホテル”系な場所のシングルルーム」というような場所を択ぶ場合が多いと思う。変な性分かもしれないが、広過ぎない、寧ろ狭い部屋という程度の方が居心地が好いと感じるのかもしれない…

比較的近年、何となく有名なチェーンの<東横イン>を利用する機会がやや多くなった。宿の室料は、時季や曜日や、立地している地域での催事等の事情で混雑具合に差異が在るので、何時も変動しているのが普通だ。が、<東横イン>はその変動の幅が然程でもない。故に「空きが在る?無い?」という単純な基準で利用を決めることが出来るのだ。

更に「あの宿が空いている?では利用しよう!1人で使うシングル…あぁいう感じ…」というのが、チェーンが全国各地で営んでいる何れの宿でも然程変わらないのだ。(ベッドが1つに対して、2つという部屋も在る訳で、その後者を利用することにでもなれば感じは変わると思う…)

実は比較的近年の、その何となく撮ってしまった<東横イン>の居室に着いたという時に撮っている画が多々在ることに気付いた。敢えてこれらの画を使ったブログ記事は綴っていない。色々と撮った画が集まっている中での“栞”や“付箋”という具合になっていた画である。

少なくとも画が在る札幌、大阪、広島、旭川、奈良、函館、松江と、北海道内や関西や中国地方という広範囲で比べて、殆ど差異が無いのは何か感心してしまった。画が一寸出て来なかったが、比較的近年では東京や九州で利用した経過も在ったと思うが、それでもイメージは大きく変わらない。目的が何であれ、各地を移動する場合、「あのチェーンの宿が出先に在る?空いている?であるならとりあえず安心…」というのは「こういうこと」かもしれない。

画が出て来た各地の居室の様子を下記に掲出しておきたい…

↓<札幌駅西口北大前>…(2021.12.27)
27-12-2021 X-Pro2 (93)

↓<大阪通天閣前>…(2021.12.24)
24-12-2021 X-Pro2 vol01 (73)

↓<大阪通天閣前>…(別な位置、角度…)(2021.12.24)
24-12-2021 X-Pro2 vol01 (74)

↓<広島駅南口右>…(2021.12.22)
22-12-2021 X-Pro2 (37)

↓<京都五条大宮>…(2021.11.21)
21-11-2021 X-Pro2 (42)

↓<旭川駅東口>…(2021.08.23)
23-08-2021 X100F (80)

↓<近鉄奈良駅前>…(2020.12.23)
23-12-2020 (4th)(at Nara or Check in.. (13)

↓<函館駅前朝市>…(2019.12.23)
23-12-2019 Hakodate (5)

↓<松江駅前>…(2019.06.02)
02-06-2019 Matsue, Shimane pref (45)

各々の画を撮った時に、各々に使ったレンズの画角と、その時々にカメラを向けた角度、光の加減で上記に掲げた画は各々の雰囲気を醸し出しているかもしれない。が、「居室の様子」ということでは「何処の街の施設も大差が無い」ということに気付かされる。

本当に「思い付き」で、方々で各々の時期に撮った「宿の居室に辿り着いた」という画を持ち出した。並べた画そのものは「似たようなモノばかり…」かもしれない。が、それでも撮った本人としては、画の宿が在る街で、またはその街を拠点に辺りを動き回った経過、場合によっては長い移動の途次に滞在しているので、そういう例に関連してはその移動の様子等、実に色々なことが頭を過る…

散々撮った写真に関して、こういうような具合に整理を試みるというのも悪くはないかもしれない…

<風神雷神>の屏風絵に因む建仁寺の御朱印帳に集めた御朱印…(2022.01.09)

↓こういうようなカバー…美しいと思う…
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京都の建仁寺で入手した御朱印帳だ…
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↓伝えられている屏風絵に因む表紙になっている…
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↓何か酷く迫力が在る画だ…
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建仁寺で御朱印帳を入手し、これを携えて各地の寺を訪ねて参拝した…

↓最初に建仁寺で御朱印を頂いたが、次に奈良に出て興福寺の御朱印を頂いた…
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↓そして千手観音という概念を初めて立体化したということかもしれない古い仏像を擁する葛井寺を訪ね、愛知県の津島で観音寺を訪ねた…
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津島の観音寺では、画が得意な副住職の作品という感の御朱印が色々と在って、それらがなかなかに好い…
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↓名古屋で大須観音に立寄り、間隔が少々開いて京都の六波羅蜜寺に立寄った…
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↓そして六道珍皇寺で何種類もの御朱印を頂いた…
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↓京都の三十三間堂=蓮華王院と大阪の四天王寺でも参拝して御朱印を頂いた…
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↓加えて石山寺の“書置き”の大黒天
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神護寺の書置きの弘法大師…
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出先で入手した想い出の御朱印帳に、様々な場所の御朱印をとりあえず集めてしまったという感だ…何となく記憶を整理したが、この想い出の御朱印帳は大切に保管せねばなるまい…

※京都府、奈良県、大阪府、愛知県、滋賀県と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…

とりあえず帰着…=運行日誌(2021.12.27)

札幌の宿に在る。札幌駅に近い辺りだ。午後11時前後に着いた。これ以上は動きようも無い。休むが、休む前に顛末を少しだけ振り返る…

非常に深く眠った感で深夜に眼を覚まし、そのまま暫く起きていた。暫し思案もしていた。

「帰国」のフライトまで少し間は在る。何かするというようなことも思ったが、特段に何かをしなければならないという程でもない。「朝早く御発ちでした…」ということを繰り返していた。「殆ど深夜?」という雰囲気の中で出た場合さえ在った。「朝、予定どおりの御発ちでした…」という程度のことにしたいという気もした。

そして朝は時間的ゆとりに任せて、辺りを散策する等して、適当な頃合いで「朝、予定どおりの御発ちでした…」という程度にしようと思った。全く「だから?」というような程度のことを思案していた訳だ。

こういう程度のことを「思案」と称してみる程度に長閑な時間を過ごしている。実に好い。連日のように、敢えて数えている訳でもなく、判りもしないが、相当な距離を歩き廻り、夜は寛いでいて眠ければ眠り、起きて居たければ起きて居るという気儘な感じで、食べたい時に食べ、飲みたい時に飲んでいるが、「食べ過ぎない…」という点でけは一応留意という具合の様子だ。或いは「なかなかに健康的?」という側面も在るのかもしれない。そして何よりも「興趣の赴くままに動く」という感じは、他の何にも替え難いようにも思う。

結局、嵩張るモノを早朝に宿で御願いして送ってしまうようにした後、少し散策に出てみた。何となく到ったのは清水寺界隈だった。存外に散策、或いはカメラを手に写真趣味に興じるというような人達が目立った。が、北海道の流儀で言う「あづましい」(居心地が好い)という程度な感で、自身でも辺りの様子を眺めて写真を撮る等していた。

今朝の京都は0℃を挟むような気温帯だったようだ。湿った路面の一部が凍っていた。或いは、早朝に張り切って動き回るのは控えた方が少しだけ賢明なのかもしれないという気もした。が、如何ということもないと歩き廻った。今朝は半袖Tシャツの上にパーカー、そして上着を引っ掛けるという感じで、地元の稚内で朝に「極々短い散策」と称してその辺に出るような場面と大差は無い。が、今朝の京都は0℃を挟む気温でも風がそれ程強くも無く、「些か手が冷たい中、多少凍っている場合の在る足元に注意」という程度のことだった。鮮やかな朝焼けという程のこともないが、なかなかによく晴れてもいた。

そうやって「朝から散策」というのは出先での行動として心地好いものである。そこから宿へ引揚げて、「朝、予定どおりの御発ちでした…」という頃合いまでは居室に在って寛ぐこととした。

やがて<青春18きっぷ>を手に京都駅へ…大阪乗換で和歌山を訪ねてみた。JR和歌山駅と和歌山城との間を歩いて往復したということに過ぎないが…和歌山駅から列車に乗って、日根野駅で乗換えて関西空港駅へ向かった。

関西空港を発着している各便に一定程度の旅客は乗っているようではある。が空港は、何となく空いていた…

「機材到着遅れのため」というようなことでフライトは遅れた。が、特段に問題という程のこともなく新千歳空港に着く訳だが、機内ではかなり眠ってしまっていて、訳が分からない間に新千歳空港に到ったような気分でもある。

そこから列車で札幌駅へ移動した。札幌の街…雪が多く振ったらしいが、酷く冬らしい様相だ。「この感じ…」の中に戻った。

今般は出先で色々と御世話になった方も在るのだが、そういう皆様には「無事に…」の御報告と共に御礼申し上げたい。とりあえず「戻り」だ…綴りたいこと、綴るべきことは今般も多い。それらは追ってゆったりと綴るようにしたい。

居眠りに陥ってしまう前に綴っておこう…=運行日誌(2021.12.26)

何時の間にか寝入ってしまう可能性が高いような気がする状態である。京都の宿の居室で寛いではいるのだが…

前日は…訪ねた先で思った以上に時間を要しながら歩き廻り、移動中も色々と興趣が沸いて辺りを視て愉しみ、結果的に精力的に動いてエネルギーを使った一日の後は、「電池が切れた?」とでもいうような具合で、よく判らない間に居眠りに陥っていた。「あれ?寝てた…」と起き出して、暫く起きていて再度眠り、そして朝を迎えた。深夜に起きていた間には、夥しい数になった写真の整理に着手した。

何かそういうことばかりしている。それもまた好いが…

風がやや強めかもしれない状態、気温がやや下がりそうな状態と聞き、やや温かいアンダーウェアを持ち出し、それを着て出ることとした。京都に関して、「廻り込んで辿り着き、辿り着くまでにエネルギーを使った関係で、直ぐに休んだ…」という感を12月18日と12月25日に繰り返した。そういうことなので「少し京都に落ち着いて過ごそう」というような気になっていて、京都の地下鉄とバスに1日中自在に乗降可能な「1日券」を昨夕の間に用意している。

「コンビニしか開いていない…」という時間帯からバタバタと動き出しても、「早朝の暗さ」が長目なことと相俟って草臥れるので、少し間合いを見計らって出てみることとした。その間は居室で寛ぐ。が7時台から動いた。

四条烏丸のバス停まで、祇園の八坂神社を望むような辺りからゆっくりと歩いた。静かな日曜日の早朝に小雪が交る状態だった。そして少し長目に待つ羽目には陥ったが、高雄山までバスで移動した。途中、山に上がるような感じの箇所で雪が少々強まった。と言って、道路面に雪が積もるという程でもない。木々の枝や建物の屋根等に雪が付着して辺りの様子が変わった。高雄山まで、バスの乗車時間は45分を切ったと思う。道路が空いていたからであろう。

そんな高雄山で神護寺を訪ねた。道路が築かれていてバスで上がる場所と、神護寺が在る場所との間には谷が在り、「下って上って」で往復歩く。片道20分前後だが、湿って滑り易い感じで、慎重な足取りを強いられた。雪に染まった様子も目立つ中、最澄や空海という平安時代初期の高僧達にも所縁が在る、少し独特な空気感が興味深かった。

神護寺から市街側へのバスだが、仁和寺を通ったので下車した。仁和寺では、一度立寄った時に「流してしまった?」という感じの場所をゆっくりと観た。

仁和寺からはバスで鹿苑寺金閣、通称「金閣寺」を訪ねた。金閣寺辺りでは風が冷たく、小雪が交っていた。独特な空気感を醸し出していた。そして意外に来訪者も多い感じだった。

その金閣に近い辺りで昼食を愉しんだ後は、バスで建勲神社を訪ねた。建勲神社は、かの織田信長を祀った神社である。なかなかに人気が高いようで、存外に来訪者は多かった。

そこからは、<全国高校駅伝>の交通規制でバスが何やら長目に停車するというような場面も在ったが、二条城に到った。既に午後3時近くになっていたので、見学に時間を要しそうな二条城は見学せず、地下鉄で烏丸御池に移動し、六角堂を訪ねた。以降は、珈琲を頂いて休むというようなことをしながら、何となく買物もして、宿に歩いて引揚げた。宿に着いた頃は午後6時に近かった。

何やら「京都に住んで何かをやっていたとして、或る時に“オフ”の時間が出来れば、多分こういうような過ごし方?」というような挙に及んだような気がしている。多数の写真を撮った。それの整理に着手しているが、追ってこの「京都の1人の休日」の様は詳しく綴ってみたい感だ。

明日は?「帰国」ということになっている…

想像以上にエネルギーを使った感…=運行日誌(2021.12.25)

京都の祇園に在る宿の居室で寛いで居る。過去に利用した経過も在る場所だ。今般、関西空港からの「帰国」に備えて宿を求めることにしたのだが、幾つか思い浮かんだ中、この場所に空室が在って利用可能であると判り、御願いすることとした訳だ。

<スパワールド>でサウナも利用して身体が解れたことに加え、連日のように早朝から動き回って随分と歩いたからであろう。何やら早めに抗えない眠気が射して眠り、一旦は起き出したが再度の眠気でまた眠った。少し長目に深く眠って、頭がスッキリしたような感じで迎えた早朝である。今般のような自身の状況下では「往々にして…」というものかもしれないのだが、御願いしてある宿に入るまでの間に関しては、余り深くも考えていない。そんな状況だ…

「遠方を目指して発つ」という感でもないので、宿で提供の朝食―所謂バイキングだが、サラダを多めに、若干のおかずという形にした。同じチェーンの宿であった、前日の広島と同様…―を頂いて、些か寛ぎながら支度をして発った。

発ったのは午前7時半頃だったが、御願いしてある宿に入ったのは午後5時半過ぎで、既に戸外は薄暗く「土曜日夕刻の賑わい」も見受けられる感だった。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまっている。釈明というのでもない―そうする必然性も無いと思うのだが…―が、この顛末を少々綴っておきたい。そのための「運行日誌」である。

結論から申し上げると、思い付いて発った後に訪ねてみた場所で何となく思う以上に時間を要し、気付くと酷く時間が経ってしまっていて、「そろそろ宿へ…」という時点で「夕刻に差し掛かってしまって…」という状態であったに過ぎない。「たかが休暇…されど休暇…」と何処かで聞いたようなフレーズも思い浮かぶのだが、「思い立って」を重ねるようなことをしていると、何やら夢中になって時間も早く経過してしまうという訳だ。それ以上でも以下でもない。

動物園前駅で地下鉄堺筋線の列車に乗った。阪急の路線に直結している列車で淡路駅に出て阪急京都線の列車に乗り継ぐ。茨木市駅まで準急に、以降は快速急行に乗車で京都河原町駅に至った。午前9時前後になっていた。御願いしてある宿に入るまでの間に動き回るには好適かもしれないと思える時間帯だった。京都河原町駅構内のロッカーに嵩張るモノを預けて、少し動き回ってみることにしたのだ。

阪急の京都河原町駅から京阪の祇園四条駅まで歩いた。三条駅へ列車で北上し、地下鉄の三条京阪駅からびわ湖浜大津駅を目指した。そして概ね湖に沿う軌道を行き交う路線の列車を利用し、三井寺や石山寺を訪ね、あの独特なびわ湖浜大津駅を行き交う列車を少し眺めた。三井寺や石山寺は存外に見学(=参拝)に時間を要した…そして凄く興味を持っていたびわ湖浜大津駅を行き交う列車についても、時間を割いてゆっくりと眺めた。そんなことをしていて、殆ど午後2時半になってしまっていた。

びわ湖浜大津駅からは三条京阪駅に移動だ。そして京阪の三条駅から東福寺駅に南下した。東福寺駅近くの店に入って昼食を摂ったが、その時点で午後3時台の後半になってしまっていた。

東福寺駅からJRの列車に一駅間乗れば京都駅だ。京都駅では翌日に京都を動き回ってみる場面で使いそうな「1日乗車券」を入手し。京都タワーに立寄って、そこから宿を目指した。宿を目指す場面では、地下鉄で京都駅・四条駅間を移動し、阪急の烏丸駅へ向かって、阪急の列車で京都河原町駅だ。そして京都河原町駅でロッカーに預けた荷物を引っ張り出して宿に入った訳である。

こんなことをしていれば。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまう訳だ…

こういう具合の顛末をとりあえず綴っていて…居眠りに陥ってしまった…そこから眼を覚ました。未だ日付は改まっていない…様々なことは追って綴るが、色々とやっていてエネルギーを使った…

少しばかり東へ…=運行日誌(2021.12.24)

大阪の宿に在る…一週間前になっているが、12月17日に辿り着いて夜を明かした宿と同じ場所だ。更に―多分…―「1週間前に滞在した居室の隣室」と見受けられる場所だ…

深く眠って一度起き出し、もう一度深く眠って起き出すという具合で迎えた朝だった。

振り返ると?出発した17日…19日…20日…21日…22日…23日…と殆どの日程で「朝早めな暗い時間に始動」という様相である。冬至の当日を挟むような、1年の中で最も日が短い時季なるが故に「暗い朝」は自然なのだが、連日となっているので「時にはゆっくりとスタートしてみよう」と思い付いた。宿で朝食―サラダと、些かのおかずと、小さなパンを1つ…―の提供を受け、居室で暫し寛ぐ。

「帰国」と呼んでいるが、引揚げるのが関西空港を出るフライトなので、広島からであれば東進しなければならない。色々と道草しながら進むことを思い描いてはいた。が「今度こそ!」と「緩急の“緩”」という1日にしたいような気分になって来ていた。加えて、街の中を動き回ると「広島への断ち切り難い未練」に囚われてしまうというような気もして、結局「迷わずに広島駅へ!前進!!」ということにしたのだった。

実は荷物が増えた…稚内から着て来た上着とワークシャツでは汗ばむので、それを脱ぎ、半袖Tシャツの上に呉で求めたパーカーという服装に切り替えた。そうすると快適だが、上着とワークシャツは「荷物」だ…加えて呉で求めたモノも些か…そこで「モノが増えてしまった時のために…」と用意してあったエンジ色のトートバッグを使うことにした。それで歩き易くはなるが、それでも身軽に方々を見て回るのは余りい具合は好くない。

そして広島駅で切符を求め、乗車したのは<みずほ>という名の列車であった。新幹線の列車で新大阪に至ってしまった。新大阪では地下鉄の「1日乗車券」を入手し、以降はそれを使って少しだけ動き回った…

宿に入る前、近くの<スパワールド>という施設でサウナや大浴場を利用し、宿に入った後は淀屋橋を訪ねた。照明に浮かぶ<中央公会堂>を一寸眺めたかったのだが、何やら催事で周辺が混み合っていた。加えて、少し経って雨も混じり始めた…早々に引揚げ、「大阪の流儀の“お好み焼き”」を夕食として頂いた…

色々なことは追って順次綴るようにしたい。とりあえず、無事に少し東へ進んだのだった。

大変に精力的に…=運行日誌(2021.12.23)

本当に「何時でも御休み頂いて構いません」という状態で広島の宿に在る。或いは「非常に好い一日」であったと思う。滞在中の広島の天候も好かった…

愉しい夕べの後に心地よく深く眠り、スッキリと早朝を迎えていた。早朝…思わず勤しんだのは、宿の館内にあるコインランドリーを利用しての洗濯だった。汗ばんだ長袖ワークシャツ等を洗った。そんな細かいことまで含めて、実に精力的に動いたということになる。

広島県入りをした後、「何やら温かい…」と思った。日中は13℃程度だ…汗ばむ場合も在るので、呉で求めたパーカーを半袖Tシャツの上に着て、そのまま戸外に出ても差し支えない感じだ。今朝もその出で立ちに、愛用の真っ黒な大阪近鉄バファローズのマークが入ったキャップを着用で出てみることとした。そしてそれで差支えなかった。朝は戸外を歩き廻っていて些か手が冷たい感じもしたが、程無く気にならなくなり、特段の不具合も無く過ごした。

午前中は友人と過ごすことが叶った。路面電車の広島港停留所で落ち合い、朝の混み合う時間帯に登場する例が多い「古めな車輛」を眺める等したのだが、その後は嘗ての「宇品線」の後を辿り、所謂「被爆建造物」である<旧陸軍広島被覆支廠>を眺めた。そして被爆の歴史でも知られる御幸橋へ通じる辺りで、再会を期して別れた。

今般の西日本入りの切っ掛けの一部が、稚内を訪ねてくれた友人を「返礼訪問」ということでもあったのだが、所用も在った中で非常に興味深い案内をしてくれて、「こういうのが面白いかもしれない」と色々と助言も頂いた。そういうことも在って、非常に精力的に広島を動き回り、何か広島も一気に「想い出多き街」になった。本当に「終いに動き悪くなってしまって…」という程度に精力的に動いた。

広島の想い出に関することは順次綴りたい。本当に多くの場所を巡って、精力的に昂揚した気分の中で過ごした。

明日は?「明日の風」に任せて、今宵は休む…