「相変わらず」という感…=運行日誌(2023.04.04)

夜、宿の近所の酷く延長が長い商店街を冷かし、宿へ引揚げる少し前に「マヨネーズポン酢」というソースの“たこ焼き”を求めた。宿の居室でそれを摘まみながら寛いでいる。存外に美味い!!そうしている間に、夜も少し遅めになって来た感だ。

日付が変わった頃に休んだが、酷く深く眠った。相変わらず少し早めな起床だが、何かスッキリしていた。そういう中で、多少、ゆっくりとスタートする1日ということにした。「ゆっくり」と言って、始発電車で動くようなことを避け、支度をして宿の朝食を頂いてみるという程度のことだが。

結局、阪急電車で京都を往復することになった。今般の滞在で何となく恒例化している。「大阪の宿に陣取って、阪急電車で滞在期間中に京都を往来」ということをするのは、やや遠めな地域から関西入りをした旅行者としては、やや少数派になるのかもしれない。自身は、何時でも、何処でも、何でも“少数派”な感じであるので、こういうことでもそれを実践してしまっている訳だ。

朝は東寺を訪ねて御朱印を頂いた。かの弘法大師が、身を高野山に置きながらも、“気持ち”は東寺に在るというようなことを言っていたらしい。そんな虎児も伝わるが、雰囲気が好い場所で、何度も寄っている。近年は何回か御朱印も頂いた。

その東寺から移動して知人に会い、その後に昼食を摂って、午後からは友人に会った。

友人をかの三十三間堂へ御案内した。あそこは本当に凄い様子で驚かされる。「千手観音が千体」と、他の像等も並び、中央に大きな千手観音の座像が据えられている堂内は少し驚かされ、圧倒もされる。友人も強い印象を得たようだった。そこから、強引にタクシー移動をしてしまったが、桜苑が知られる平野神社を訪ねた。友人が入場券を頂いたそうで、折角なのでそれを使おうとした訳だった。桜は「散りかけ…」という木が多かったかもしれないが、それなりに好かった。

何日間かの「華々しく早朝から夜の(個人的な感じ方では)少し遅めまで動き廻る」でややエネルギーを使ってしまっている感だ。のんびりと寛ぎ、少しばかり充電を図りたい…

簡単に振り返るが…「桜の日」という感…=運行日誌(2023.04.03)

遅めな時間帯の食事は、「健康上の課題」にも鑑みて好ましくないというようなことを頭の隅で考えてはいた。が、酷く一生懸命に動き回る結果となった一日を終えようとする中、宿の近所でカレーライスを一寸頂いた。そして宿の居室に入って寛いで居る。

前夜は一旦は寝入ったが、日付が変わって眼を開け、何やら眠り悪いと写真の整理というようなことに手を着けるようなことをしてしまっていた。そういうことで、深夜帯から既に一日が始まってしまっているような按配だ。「所用」と言えなくもない内容は在るが、所詮は「休暇」なのである。漫然とゆっくり過ごせば好い筈だが、何か「平日」よりも精力的な感で呆れる。

朝5時過ぎの「始発」を利用し、天神橋筋六丁目駅から淡路駅へ出て京都河原町駅を目指した。朝6時過ぎには京都河原町駅の界隈に在った。友人と「9時に会おう」という約束だったのだが、それに先駆けて京都市内で最盛期を若干過ぎた感の桜を眺める等していたのだ。

「一寸出掛けよう…」という話しで、色々と話しが出たが、結局は「琵琶湖の季節運航の<花見船>に乗る」ということになり、滋賀県の北寄りに在る長浜を目指した。

長浜では船の待ち時間が少し長くなってしまった。湖岸の桜の好い場所が「盛り」なので混み合い、着いてから然程待たずに乗れそうだった船は満席だった。そこでやや待つことになったが、それが好かった。というのは、長浜城の辺りの<豊公園>の桜が素晴らしかったのだ。

追って、色々と纏めようとは思うが、「桜の日」という感じで精力的に過ごした。京都に引揚げ、「友達の友達は皆友達」という方式で、以前から面識は在ったが、友人の友人を訪ねて少し過ごすということをした。京都の地下鉄の五条駅から四条駅に北上し、阪急の烏丸駅から淡路駅、乗換て天神橋筋六丁目駅ということにした。

本当に、物凄く精力的に過ごしている…

例によって長い道程…=運行日誌(2023.04.02)

天神橋筋六丁目駅に近い宿の居室で寛いで居る。大阪の街の北側だ。稚内から文字どおりの“一日仕事”で一気に移動した。

昂り過ぎたのでもないが、午前4時を待たずに起床で、何らの差支えも無く、<青春18きっぷ>を手に早朝5時21分に稚内駅を出る列車に乗り込んだ。存外に車内が賑わった感だったが、多くの出入りが在って、稚内駅から名寄駅まで通して乗車していたのは自身を含めて3名で、途中から乗車した1名が名寄駅まで乗車していた。

「“3時間”を3千円で買う」という厭らしい言い方をしてしまう場合が在るが、<青春18きっぷ>で朝の名寄駅に到って、旭川駅までの乗車券と特急券を求め、素早く旭川駅に出てしまう場合が多く在る。今般もその手を使った。名寄での待ち時間が短くなり、旭川駅での接続も好くなる。概ね3時間程度の待ち時間が酷く短くなる訳だ。

旭川駅からは、滝川駅、岩見沢駅で乗換えながら札幌駅に到った。札幌駅近くで昼食(兼朝食…)をマグロの丼だ。

札幌駅から新千歳空港駅へ移動し、空港に入った。飛行機は窓側席が当たった。そして神戸へのフライトであるが、非常に順調だったと思う。

神戸空港からはポートライナーで三宮に出た。三ノ宮駅(JRは「ノ」が入る…)に歩を進め、「関西のJRと言えば…」という感の<新快速>がホームに停まっていたので飛び乗り、大阪駅へ移動した。ここでも<青春18きっぷ>を使った。

様々な路線が入り乱れる大阪駅だが、地下鉄谷町線に乗換えた。なかなかに歩く…谷町線は東梅田駅という看板になっている。少し探した。その地下鉄谷町線で天神橋筋六丁目駅に到った。天神橋筋六丁目駅には阪急にも乗入れている堺筋線も在り、構内はかなり広く、出口を求めて随分歩いた。やがて天神橋筋に出て、キョロキョロとして宿を見付けた訳だ。

朝5時台から動き始め、午後8時台の半ばに宿に入ったのだ。自身「いい歳…」になってしまっていると思うが、「よくやる…」と自身にほんの少し呆れないでもない。酷く空腹を覚えたので、辺りに出て、何やら定食屋に入って牛肉を焼いたモノをメインにした定食をゆったり頂いた。後は居室で休むばかりだ。

稚内を出た時は2℃を切っていた。大阪は20℃を伺うような感じだ。明朝からは軽やかに動き廻ることも叶うであろう。宿の居室で「後は何時でも御休み頂いて結構…」ということにする。この天神橋筋六丁目駅に近い宿だが、近年の利用機会が多いチェーンで、何処の街でも似たような部屋で勝手も判り、何か酷く居心地も好い。ここが今般の“別宅”となる訳だ。

出先での滞在を愉しむというようなことだが、結局「滞在地」に出る道程が酷く長い。それでもその道程を何となく愉しむ訳だが。

前夜に…(2023.04.01)

4月1日だ。年度の初めである。

「暦年とは別に、事務などの便宜のために区分した1年の期間」を「年度」と言う。

この「年度」ということでは「会計年度」が大きな位置を占めている。「国および地方公共団体の歳入・歳出の区切りとされる期間」が「会計年度」で、「4月1日から翌年3月31日」となっている。

明治時代に色々な経過が在って、1886(明治19)年に「会計年度」を「4月1日から翌年3月31日」ということにして、現在に至っているのだという。

この年度初めの4月1日だが、今年は土曜日である。何か「新たに始まる…」というような雰囲気が薄まってしまうような気がしないでもない。何年かに一度は、この4月1日が土曜日や日曜日になる場合も在る訳で、特別でもないかもしれないが。

「年度初めの4月1日」ということで、少しばかり前向きに力が入ったのは、大学に御厄介になるに際しての入学式が催されて参加した時、所謂「社会人1年生」で職場に入った時だった。「社会人1年生」の初日、「“出勤簿”に押印するものなのですよね?」と尋ねれば、“出勤簿”が未だ出来ていない状態で、大昔のコントのように「ずっこけ」という気分になったものだったが。

昨年、一昨年はこの4月1日を挟むような時季に、別段に生産的という程でもない雑用が発生し、随意に時間を設けて動き廻るというようなことをするには至らなかった。新たな年度ということで発生する場合も在るような雑用であったのだが、今季はそういうモノが無い。「別段に生産的という程でもない」と感じる程度の雑用から免れられること自体は歓迎というものだ。

特段に何かが在るのでもないということで、無理に時間を設けて動き廻る必然性も低い。そういう程度に思っている半面で、少し遠方に住む友人に一寸会ってみるようなこともしながら、時間を設けて動き廻る場合でもなければ立寄り悪いような辺りを徘徊してみるということもしてみたいという想いが募った。

「何処かへ出て徘徊」ということに関しては、<青春18きっぷ>を利用可能な時季であるという要素も在って、そうしたい想いが募る。<青春18きっぷ>は発売期間中にとりあえず求めておくと、有効期間満了迄に利用可能だ。<青春18きっぷ>について、利用者の年齢や属性に制限が在るのでもない。「学割」や、何かの条件を満たして会員になっているというようなことが在るのでもない。<青春18きっぷ>の「18」とは「単なる商品名、愛称」であって、「18歳」というような年齢は無関係だ。「18歳」に対して「ダブルスコア」でも「トリプルスコア」でも、随意に利用すれば好いモノだ。

拙宅から近い稚内駅で普通列車に乗って旭川駅迄出て、そこから復路の列車に乗ってみるだけでも<青春18きっぷ>の料金の殆どは回収出来るような感じだ。稚内・旭川間を往復する普通の乗車券は1万円程度だったと思うが、<青春18きっぷ>は1万2千円程度なのだ。<青春18きっぷ>を手に旭川辺りに至るような場合、旭川以遠の北海道内で少し動き廻る、船や飛行機で他地域に出て動き廻るということも出来る訳で、実際にそうするので<青春18きっぷ>はかなり有効に利用出来ると思う。「耐久レース」か何かでもないので、朝早くから夜遅くまで、ずうっと列車に乗って動き続けるというようなことをするまでもない。そこまでせずとも、「普通に乗車券を求めると3千円から5千円」という区間に乗車する場面が、5回使う中で2回から3回在れば損はしないような感じだと思う。5日間連続で使うということでもないので、辿り着いた何処かで少し滞在し、復路でまた使うという程度でも悪くはないかもしれない。

昨年は夏季と冬季の<青春18きっぷ>を利用可能な時季に、<青春18きっぷ>を手に出掛けた。今般は春季の<青春18きっぷ>を利用可能な時季に、<青春18きっぷ>を手に出掛ける事を思い立ち、既に入手している。実は春季の発売期間は終了した。有効期間は4月10日迄である。時間を設けて、明日から使うということにしたのだ。それが待ち遠しい「出発前夜」という感じだ。

春季の<青春18きっぷ>を利用可能な時季、北海道は「早春」を感じないでもないながら「冬の残滓」がしつこい。今季は「雪が消えるのが早い?!」という様子ではあるのだが。対して本州方面では「桜が好い感じ」という場所が多いと思う。或いは「桜をぼんやりと眺める機会でも設けられると…」という程度の期待を抱く。

今季に関しては「桜が早い?!」という話しになっている。各地で気象台が“標本木”というモノを設定し、それを観て「開花」、「満開」というようなことを発表している。1950年代から続けているらしいが、そういう経過に鑑みて「観測史上最速」とか「観測史上〇番目」というような話しが多く聞こえる。とすると?これから桜が咲いているような地域に足を踏み入れても、盛りを過ぎてしまっている可能性が在る。それでも、「開花」や「満開」は「標本木を観て」という話しで、そして「今日は満開…明日は散ってしまう」というような極端なモノである訳でもないであろう。動き廻る先々で「おっ!」と桜に出くわす場面も多分在るであろう。

昨年、一昨年はこの時季に桜が咲いているような地域に足を踏み入れていない。出先や地元で観たモノを写真に収めた場合、ブログ記事も綴る。桜を眼にしたなら、間違いなく写真を撮ってブログ記事を綴ると思う。が、昨年や一昨年は地元や北海道内で5月にエゾヤマザクラを眼にした旨の記録が在るばかりだ。この時季の桜を眼にした「自身の最新例」は「2020年」にまで遡ってしまう。

如何いうような様子か?実見するまで何とも言いようが無いとは思う。かなり心は弾む。或いは、心弾み過ぎで夜は眠れなくなってしまうかもしれない。が、それはそれだ。明朝は<青春18きっぷ>を手に、早朝の列車で発つ計画だ。

早朝の列車で発つ「計画」とは綴った。が、往復の航空券と期間中に利用する宿泊施設を予約した他、細々した「計画」という程のモノは練っていない。こういうのも自身の流儀の一つだ。

高野山金剛峰寺の大伽藍のイラストが入った御朱印帳…(2023.02.19)

高野山の大伽藍のイラストが入った御朱印帳を入手して、随分と気に入って愛用していた経過が在る。

↓こういう御朱印帳だ。
19-02-2023 X100F (15)

↓御朱印帳を抱えて高野山を訪ね、御朱印を頂きながら各所を巡ってみた。
19-02-2023 X100F (16)

↓御朱印を眺めて、訪ねてみた高野山の様子を思い出す。御朱印を頂きながら歩き廻るのも好い感じかもしれない。
19-02-2023 X100F (17)

↓こういう御朱印も好いモノだと、改めて思う。
19-02-2023 X100F (18)

↓右側は泊めて頂いた宿坊の、酷く迫力が在った愛染明王の御朱印だ。左側は高野山を下りた後に入った京都の東寺で頂いた御朱印だ。
19-02-2023 X100F (19)

↓京都の神泉苑で御朱印を頂いた。
19-02-2023 X100F (20)

↓京都で智積院に立寄った。少し経った後、天野山金剛寺を訪ねている。
19-02-2023 X100F (21)

↓奈良県内の當麻寺もなかなかに見所が多かった。
19-02-2023 X100F (22)
↑何となく立寄ったのだったが、當麻寺も強く記憶に残る場所だ。


↓訪ねてみて、事前に思った以上に観るべき場所が多く、少し驚いたのがこの當麻寺であった。
19-02-2023 X100F (23)

↓やがて画の左側だが、飛鳥寺にも立寄った。
19-02-2023 X100F (24)

↓岡山県に出て西大寺にも立寄った。
19-02-2023 X100F (25)

↓関西に戻って、石山寺や神護寺も訪ねた。
19-02-2023 X100F (26)

↓更に仁和寺に立寄っている。
19-02-2023 X100F (27)

方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。

※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、和歌山県、奈良県、滋賀県、京都府と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…

金剛力士の御朱印帳…(2023.02.19)

↓金剛力士の画が入った表紙の御朱印帳が在る。
19-02-2023 X100F (1)
↑金剛力士の阿形が表になっている。

↓吽形が裏側の表紙で、これを抱えて各地を巡って御朱印を頂いた経過が在る。
19-02-2023 X100F (2)

↓金剛力士は東大寺の南大門に在る大きなモノを思わせるが、この御朱印帳を持って最初に訪ねたのは東大寺だった。
19-02-2023 X100F (3)

↓東大寺の境内の、御朱印を頂くことが叶う幾つもの御堂を巡り、長く受け継がれている仏像を詣でた…
19-02-2023 X100F (4)

↓東大寺は大仏の他にも、詣でるべき場所が多々在るのだ…
19-02-2023 X100F (5)

↓東大寺の広大な境内を巡った様子が思い出される…
19-02-2023 X100F (6)

↓東大寺の後は興福寺に立寄った。
19-02-2023 X100F (7)

↓興福寺の後は唐招提寺を訪ねた。
19-02-2023 X100F (8)

↓唐招提寺も、苦難の末に来日した鑑真の経過等、何か「強く訴えるモノ」を感じる場所だった。
19-02-2023 X100F (9)

↓唐招提寺の後は薬師寺を訪ねたのだった。
19-02-2023 X100F (10)

↓薬師寺に伝わる宗派の中で重要な仕事をしている玄奘三蔵を祀る場所の御朱印も頂いた。
19-02-2023 X100F (11)

↓大津の三井寺を訪ねた折りには、種々の御朱印を頂いた。
19-02-2023 X100F (12)

↓様々な堂宇を巡って御朱印を頂いた様子を時々思い出す。
19-02-2023 X100F (13)

↓三井寺の後は、札幌で成田山別院を詣でて御朱印を頂いた。
19-02-2023 X100F (14)

確かに方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。

※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、奈良県、滋賀県、加えて札幌と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…

帰着…=運行日誌(2022.12.31)

予定したとおり、旭川駅を午前6時3分に出る列車に乗車した。そして概ね順調に北上した。列車は少し賑わっていたと思う。年末に、一寸旅を愉しむという方が存外に多いようだ。到着時、稚内の天候は穏やかで、気温はプラス2℃程度であった。

前日の日中は、新札幌駅へ出て、札幌駅、岩見沢駅、更に旭川駅と<18きっぷ>で移動した。前月辺りの思惑としては、今頃は札幌での「居候」という筈だったが、それをせずに北上の途に就いている。「せず」としたが「出来ない」とする方が精確かもしれない。様子が大きく変わった訳だ。

12月は色々と在った。当初から「序盤に所用…終盤に一部の所用も含めた気儘な時間…」というように計画していたが、中盤に「緊急事案」である。何か“日常”の側が“非日常”になってしまうような様相でもあった。人生も半世紀を超えている中、そんな年も在るであろう。

12月22日、荒天による交通の乱れを擦り抜けるように南下し、新千歳空港から神戸に飛んだ。そして京都へ移動して滞在した。やがて神戸へ移動し、札幌で一息入れて、所用を足して北上だ。色々な意味で想い出深い時間を過ごしたようにも思っている。何れゆっくりと、その辺りも綴りたい。

毎年思う。「或る一年」が単純に過ぎ去ったという感の場合も在れば、後から様々な意味合いを帯びて来る場合も在る。2022年は或いは後者のような気がしないでもない。

ハッキリ言って「最早、単純に迷惑で不愉快」という話しの“感染症”の騒動に覆われ続けている最中、「戦」という事態も生じて、何やら訳が解らないような気分にも覆われたのが2022年であったかもしれない。そんな中、個人的には「出逢い」または「再会」と「別れ」とが在った。

そんな2022年の最後の1日である。「12月31日に稚内に在る」というのは、何時以来か?例年、他地域に何らかの形で出ていて、年が改まって引揚げている。時にはこういう形も悪くはないであろう。早朝から飲物は幾分頂いているが、何も食べていない。空腹を満たそうとコンビニで多少買物をして来たところだ。

道中…=運行日誌(2022.12.29-30)

「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川で、何軒かの馴染んだ宿の1つで、“日帰り入浴施設”と遜色の無い大浴場を備えた、旭川駅に近い宿に在る。

前日は用事を足そうと“実家”を訪ね、用事を足しながらもゆっくりしていた。その流れで、何か早めに休んでしまったような具合だった。そして酷く長く眠る形になったと思う。

と言って、午後7時頃には眠ってしまっていた感で、起き出せば午前5時前だったのだった。そこから朝の時間帯に寛ぎ、午前8時50分頃に出て新札幌駅に向かった。

新札幌駅からは、札幌駅へ出て、岩見沢駅へ向かった。岩見沢駅では改札を出て少し辺りを歩くなどし、旭川駅へ向かう列車を待って乗車したのだ。何やら「何時の間にか…」という様子で旭川駅に着いた。旭川駅近くでランチにパスタを頂き、辺りを少し歩いて宿に入ったのだった。時折、雪が些か交っている感じの旭川だ。或いは酷く「こんな時季の旭川らしい」というようにも思う。

札幌での用事に関しては、それ程に時間を要するのでもない感じで直ぐに済み、以降に何やら書類等を如何こうする必然性が生じる場合も在ろうが、何も貼り付いて待機するような筋合いでもない感じであることが明白になった。であれば、よくやるような「旭川経由での引揚げ」で差支えは無い。そう思って、或いは「典型的」な形で、<18きっぷ>で札幌市内から旭川へ移動し、泊って翌朝早くに動くと計画したのだ。

旭川では、少し馴染んだ御店が「今年最後の営業」ということになっているのを知り、12月前半に続いて立寄って少々愉しく過ごすことが叶った。そこから宿の自慢の大浴場で寛いだ。サウナも在って素晴らしいのだ…以降、居室で「何時でも御休み頂いて結構です」という様子だ…

余りに色々と在った12月だった。終盤に出掛けた件は、予て計画は在ったが、然程何か在るというのでも無かった。しかしながら、少しばかりゆっくり話を聴くべき事柄も在って、そういうことに力は注いだ。そういうのはそういうのとして、何か「同行在り」で少し独特な愉しみ方をした。そういう場面で「ガイドのおっちゃん」で同行者にあれこれと語るというような真似も、自身の一寸した愉しみでもある。先方も、想定の範囲であるような、それを食み出すような、色々なことを話題にしたがるのだ。それを聴くのも愉しい。加えて、同行の有無と無関係に「自由行動」でも色々と歩き廻っている。結局、些か寒いことは否定し悪いものの、雪や氷を気にせずに歩き廻ることが叶うのは有難かった…

色々と在る事柄は追ってブログに綴ろうとは思っている。とりあえずは早めに休み、明朝も早くから活動しようと思う…

それにしても…「旭川で夜を明かし、翌朝に稚内へ北上」というのも、「今月3回目」となっている。「2回」は過去に在ったと思う。「3回」は記憶が無い…それはそれとして面白いかもしれないが…

「1009」の「センキュー」を「Thank you!」とでも解したい…=運行日誌(2022.12.28)

札幌駅北西側の宿を出てから、ススキノの宿に移った。当初、今日は宿を取る予定でもなかったので、後から改めて「少し違う場所を…」ということにしてみたのだった。近年、利用機会が多いチェーンのウェブサイトから、同じチェーンの別な宿を申し込んだ訳だ。

ここで不思議なことが起こった。前日「1009」という部屋番号だったのだが、少し別なエリアの全く別な建物の宿に入って、同じ「1009」という部屋番号になった。流石に珍しいかもしれない。その「1009」という番号の居室で寛いで居る。

本当に深く眠ったと思う。頭の中や身体が軽くなったと感じる程度に眠ったように思っている。馴染んでいる札幌駅北西の宿で早朝を迎え、宿で供される朝食を頂いた。所謂「バイキング方式」で、頂くモノを適宜択んでプレートに盛るようなことになっている。サラダに若干のおかず、そしてスープというような感じだ。前日までの京都の宿と同じチェーンの宿で、供される朝食の感じも似ている。自身の選択傾向も殆ど変わらない。

頭の中や身体が軽くなったと感じてはいるが、何やら「休暇中の“休日”」という気分でぼんやりもしている。前日はフライト前に散策し、生田神社で「卯年」のウサギが描かれた絵馬を視たが、何か「来る年への期待」という感の歳末に入っている感だ。とりあえず「長閑に過ごす」ということにする。

実際…本当に「長閑に過ごす」ということに終始した。喫茶店等を梯子し、昼食は滝川発祥のジンギスカンで、夕食は牛タン定食、衣類等を衝動買いし、夜は<ニッカバー>で「ウイスキーの利き酒」という感じだった。時には?こういうのも好いかもしれないと、やや強く思った。

色々と在った12月の末尾に、それなりに愉しく過ごすことをして、無事に在るということで、何かに感謝しなければなるまい。「なるまい」ということでもなく「感謝したい」という感だ。2日続けて滞在し部屋番号であるた「1009」の「センキュー」を、「Thank you!」とでも解したい…

思ったより寒くないような気がした札幌だが、また寒気が近付いているというような話しも聞いた。それはそれとして、今晩は「何時でも御休み頂いて結構ですから…」という態勢にしたい。

北上…=運行日誌(2022.12.27)

札幌は雪の嵩が少し減ったのであろうか?何やら湿っていて、濡れたアスファルトが覗く箇所も多かった。そういう中を歩いて、札幌駅の北西側に在る馴染んだ宿に入り、居室で少し寛いで居る。

本当に「耐え難い眠気」になった時にゆったりと休むことにした夜で、日付が変わってから1時間余り、起きていて何時の間にか眠ったという前夜だった。そして存外に早めに起き出した感でもあった。

「北上のフライト」という日である。こういう日は「非常に大雑把」な感じに終始するという場合が多い。

少し馴染んでいる宿を退出し、京都駅へ向かった。午前9時台であったのだが、土産物等を扱う構内や、直結している商業ビルの店は未だ開いていないというような時間帯であった。結果的に何かを求められたのでもなかった。

そういう状況から、JRの新快速で大阪駅を通り越して三ノ宮駅まで移動した。ここで<18きっぷ>を使ったが、フライトの後の新千歳空港・札幌間でも利用可能だ。1日の中で“西日本”と“北海道”を利用する。運賃は存外な金額になるように思う。そういうセコい話しも在るが、往路で通り過ぎるに終始した神戸に関して、少しゆっくりと歩き廻りたかったということなのだ。

三ノ宮駅に到り、神戸の街で少し歩き廻っていた。「細やかな贅沢…」と“神戸牛”をランチに頂き、少し経ってから喫茶店で少しパンやサンドウィッチも摘まんだ。

神戸空港から北上するフライトは順調だった。加えて、搭乗待合室辺りで些かの眠気も覚えていたが、機内ではかなり確り寝入ってしまっていた。「気付けば着陸へ?」という調子で新千歳空港に至った。定刻よりやや早い程度の到着で、素早く列車移動で、順当に札幌駅へ至った訳だ。

とりあえず…休む…明日は「札幌の休日」という按配で、明後日は細かい所用だ…

京都を拠点に大阪?=運行日誌(2022.12.26)

想定した以上に精力的に一日を過ごした感だった。そして宿の居室にやや遅い感じで戻り、そこから少し写真の整理等を手掛け、何時の間にかさらに遅い感じの時間帯に入っていた。そこから、引揚の旅路でバッグに容れて持ち歩く際の利便を考え、些かの衣類の洗濯をしようと思い立ち、館内に据えられたコインランドリーを利用中という状態になった。そこから更に、居室で寛いで居る。

こういうようになったのであれば、本当に「耐え難い眠気」になった時にゆったりと休むことにして、可能な限り起きていれば善いのだと思う。基本的には「気儘に時間を設けて動いている」という最中である。そういうことも許されるであろう。尤も、許されるも許されないも関係無く、何時でも存外に気儘に過ごしてしまっている一面も否定はしないが。

午前10時にJR山科駅で友人と落合い、「大阪城の見学へ?時間が許せば大阪に少々親しんで…」というように過ごす相談をしていた。そういうことをしたのなら…その待ち合わせの午前10時の以前、午前8時台から張り切って散策に出てしまった。

朝の散策も好かった。訪ねてみたのは知恩院だった。地下鉄の東西線の東山駅は平安神宮等の最寄駅として知られるのだが、実はそれらよりも近い辺りに名所が在る。青蓮院が近く、その少し先に知恩院が在るのだ。青蓮院は拝観受付開始の9時からゆっくりしているのが少し落ち着かない状態だった。そこで知恩院を訪ねた。来訪者、参拝者が殆ど居ない午前8時半過ぎに境内に入ることも出来る。巨大な山門や御影堂を観て、知恩院に所縁の法然上人の導きか、色々と在っても無事に自身の12月が過ぎようとしていることや、何か冴えないような感じの中で携わった今年の事案が何となく順当に進んでいる事等に関して、御影堂で感謝の意を表した。そして、そうやって真面目に訪ねた証に、折好く午前9時丁度に活動を開始した御朱印所に立寄って、美しい御朱印を頂くことが叶った。妙な表現化もしれないが、こういう営為に少しだけ心が浮き立った。

「我儘な奴め!」という御批判は在るかもしれない。が、何時の間にか「今日、自身が無事に在ることに感謝し、少しでも時間が進む都度に工場を図ることも不可能でもないという事に関して、具体的な〇〇と挙げることが叶うのでも無いながら、感謝の意を表したい」という程度のことを思うようになっていた。運が好いのか、運が好くないのかは判らないが、少なくとも「悪くない」と思っている。そういう辺りが「我儘」と言われそうだ。しかしながら、自身の生命がこの世に在るというだけでも「相当に好運?」というようなことは否定し悪いと思う。そう思っているだけに留めず、何処か適当な場所を巡って「感謝申し上げる」と心穏やかな一瞬を過ごすということを“趣味化”してしまったような感である。

そういう訳で少し浮き立った気分で山科駅に到り。友人と落合った。JRの“新快速”と“大阪環状線”とを乗り継ぎ、京橋駅に到り、そこから歩き廻った。

「大阪城天守閣を見学すべく辺りを歩いた」というようなことで、京橋駅から至る途中でカフェに寄って休んだにしても、午前11時40分頃から午後3時過ぎまで要するというのは少し凄いかもしれない。同行した友人は、「砲兵工廠跡」というような石碑に関連する話題から始まり、凄くゆったりと景色を愛で、天守閣内では「豊臣秀吉の生涯」というような幾つものビデオで紹介しているコンテンツを全て細かく観て、自身が内容を悉く説明し、城の前の本願寺の経過、豊臣秀吉による創建、「大坂の陣」の後の徳川幕府による再建、江戸時代の火災で焼失した天守閣を街のシンボルとして昭和の初めに建てた経過、その他の有名武将の武具や色々な展示を悉く観て、それらに関して語らった。友人は歴史を詳しく知っているのでもないのだが、知らないからこそ知りたいという旺盛な好奇心を示した訳だ。

実はもう一つ、近くに在る歴史博物館にも寄ろうという案が在ったのだが、「大阪城を巡る経過、創建や再建が在った経過、関連とされる様々な事柄」で、友人は「頭が一杯!!」で時間も足りないので、街へ出て何かを頂くという相談になった。食事も摂らずに?呆れる程に熱心に大阪城天守閣の中に在る展示等を観ていたことになる。城の敷地内で豊国神社に寄道し、心斎橋へ地下鉄で移動したのだった。

心斎橋から道頓堀の辺りへ向かい、賑やかな街を歩き廻り、出くわした回転寿司の店で「遅い昼食兼早い夕食」という運びになった。友人は、回転寿司の店に在る「粉末を湯飲み茶碗に入れ、御湯を注ぐと出来る茶」というのが酷く気に入り、「住まいで使うのに何処かで買いたい…」と言い出した。「こういう業務用なモノ?その辺で売っているのを視た記憶も無い…」と思ったが、回転寿司の店のレジ脇に並べて、店で使っているモノと似たような品物を売っていた。これを一袋求め、友人に贈った。大喜びで、贈った方も酷く嬉しくなった。多分、友人は住まいで嬉々としてこの「回転寿司の店の流儀の緑茶」を愉しむのであろう。

京都駅や山科駅に引揚げるということであれば、往路と同様のJRの列車が便利だ。大阪駅へ、要は梅田に出ることにした。その梅田には、大阪駅周辺で変に目立つ「ビルの上の大きな観覧車」というモノが在る。実は…自身はこれに興味津々だったのだが、1人でふらりと乗るのも気が引けて、未だ乗っていなかった。そこで友人を誘った。2人であれば乗り易い…

この巨大な観覧車は、商業施設ビルの6階から乗り込む。最高到達点が106mもの高さになるという。既に暗くなった時間帯で、遠景は観られないが、大阪の街や辺りの鉄道が眼下に見えた。こういう「ビルの高目な階に据えられて、最高到達点も高い」という観覧車は面白い。

今般、この友人と会うというようなことを主軸に考え、何となく京都に至った。そして、何やら「京都に住み始めた?」というような顔で、「何となく休業日」という過ごし方をしたと思う。次は?“次”とやらが在るのか否かも判然とはしないが、「こんな在り方も悪くはない?」という程度に思いながら、とりあえず居室で寛いで居る。結局、「友人の御案内役」を買って出たことで、自身として馴染んでいるつもりな辺りで、何となく「少し違う角度の新しい何かを見出す」ということも経験出来たかもしれない。こういう事柄に関しても、感謝の意を表するべきであろう。

追って色々と綴ろうとは思う。「京都に“住む”?」かのような感じで過ごしていたが、明日は北上を始めることになる。

安寧…=運行日誌(2022.12.25)

夜を迎え、宿の居室で寛いでいる。通算3回目で、何れの滞在時にも連泊となっている。居室は各々変わっているが、何れの部屋でも同じような感じであることも手伝い、既に宿を「京都の別宅」とでも呼びたいような気分になって来た。

昨夜は「バタン!」と休んだような気もする。朝は早めに起きた。そこで…夏にも利用したが、日曜日の朝は7時から営業する銭湯に朝から出掛けた。

日中は友人の希望も在り、「嵐山トロッコ列車」に乗車すべく出掛けた。

トロッコ嵯峨駅とトロッコ亀岡駅との間を往復した。着いた駅で外に出ずに引揚げるのも面白くないと、切符を売る窓口で「特段に観光地でも無いのですが、1時間程度過ごされるのですか?」と言われたが、「そうします!」と応じた。まずまずな天候だったので、多少寒いのは否定しないが、意外に好かったように思う。

復路はトロッコ嵯峨駅の手前のトロッコ嵐山駅で下車し、「竹林の小径」の辺りで散策を愉しんだ。友人は管楽器を扱う。管楽器のリードという部品は竹で造るのだそうだ。そういうことで「竹が沢山在る様子を観たい」としていたのだが、漸く実現した。背の高い竹が少しだけ強い風に揺れると、何やら不思議な音がする。友人が「竹の“歌”?」と言って興味深そうにしていた。あの音を「竹の“歌”」と呼ぶのは秀逸だ。

酷く混む嵐山に驚いた。路面電車の流れの嵐電―自身と友人とが乗り込んだ電車は、如何したものか酷く混み合った。―で、地下鉄の東西線の太秦天神川駅周辺に移動した。そこで眼に留めたカフェでやや遅い昼食を摂り、やがて地下鉄で途中まで一緒に移動した。友人は住まいへ引揚げ、自身は宿へ引揚げた。

宿で寛ぎ、夕刻になると飲食店も豊富な地域なので、ふらりと辺りに出て食事を凄く愉しんだ。

より詳しくは追って色々と綴ってみたい。何れにしても、何やら「この街に住んで居て、特段に面倒な予定が無い日を何となく過ごす」という状況に近いような気がする。地元を遠く離れた地域に在りながら、何か「安寧」というようなモノも感じているかもしれない。敢えて言えば、様々なことが思う儘になるでもない情況、傾向が強めだと感じる場合も在る中、「何も考えずに穏やかに…」という様子に近い感じで、京都の街中に在るのかもしれない。

「時間を設けて気儘に」ということだが、今般は「友人ととりあえず会っておこう」という契機こそ在るが、何か「京都の休日」という風情になっているかもしれない…

"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) …=運行日誌(2022.12.24-25)

宿の居室で深く眠ってしまい、日付も改まって暫く経って起き出した。

"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) と友人との間で言う場合が在る。

稚内でゲストを御迎えして、滞在期間中の予定を簡単に整理して御説明というような場面で、「この日のこの時間帯は御随意に御過ごし頂くということで…」という内容に関して"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) =「予定は自由」というように呼び習わしていた。京都に在る友人との間でも、5月に何となく使って以来、定着した言い方になった。

12月24日に関しては、友人の都合が在るので、夜に会う機会は設けるものの、自身としてはこの"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) となる。自身の中で、京都は「ほんの少しばかり馴染み始めた」という街になっている。そこで過ごす「休日」も悪くはない。

稚内から新千歳空港へ列車を乗り継いで移動し、神戸へ飛び、夜を明かしてからは阪急電車を乗り継いで神戸三宮・大阪梅田・烏丸と移動した。到った京都で友人に会い、比較的早めに宿で寛ぎ、「そう言えば…飲物は方々で適当に飲んだが、神戸の宿で朝食に小さな握り飯とサラダを頂いた後は、サンドウィッチ―これが凄く美味かった…―とチーズケーキを2回頂いたのみだったか?」と夕食に出ることを思い立ち、“ボロネーゼ専門”を謳う近所の御店でパスタを愉しんだのだった。

そこから「早寝早起き」な傾向というもので、何時の間にか休み、現在の時季には「早朝」と言うのが些か心苦しい場合が在るような時間帯にとりあえず眼が開き、居室で少し寛いでいた訳だ。

早朝は散策に出た。プラス一桁の「数字が小さ目な側」という気温で、空気がやや冷たかった。と言って、前日は「冷たくやや強い風が時折…」という状態であったので、それよりは寒さが和らいだかもしれない。と言って、少し歩いていれば手が冷たくなり、手袋が必要な感じだった。

散策は、「八坂の塔」が見えるような辺り迄、主に四条通と東大路通とを歩いた。復路は、四条河原町の阪急の駅で電車に乗り、烏丸迄の一駅を移動した。

宿に戻り、宿の朝食を頂き、少し寛ぎ、やがて街へ出た。

<平安京創生館>という、「建都1200年」を契機に制作されたという「平安京」の巨大な模型が展示されている京都市関係の施設を訪ねた。これがなかなかに興味深かった。

そこから移動し、地下鉄の丸太町駅辺りに至った。和気清麻呂に所縁で、猪の像を狛犬のように使っていて、足腰に御利益という護王神社を訪ねた。そして京都御苑を横切って、かの紫式部の邸宅が在った場所と伝わる場所に在る廬山寺(ろざんじ)を訪ねた。何れも、身近に体調が十全ではない人が在る、加えて「最近、少し厄介なコトが続いているから、御祓いというのか、護り札を入手するというのか、そういうことも善いかも…」と話題にしていたことが在ったというのを受け、参拝してみたかったのだ。

参拝後に四条河原町へ移動し、京都の流儀の美味い味噌汁で知られる店で昼食を愉しんだ。そして木屋町通をゆったりと北上して歩き、京都市本庁舎周辺に至った。コンビニの奥の“イートイン”の場所辺りに入っているバーで、ハイボールを頂き、御店の方と話し―午後2時台から、何やら夜中にやるような行動だったかもしれない…―ていて、直ぐ傍に本能寺が在ることに思い至った。そして立寄った。宝物殿で素晴らしい刀を拝見した。

そこから地下鉄の烏丸御池駅辺りへ歩き、近くの<新風館>で、去年から愛用している日々の予定を書き込める手帳の「2023年用」のモノを入手した。実は昨年12月に同じ店で入手している手帳なのだ。

既に「2部構成」でなかなかに歩いている。そして宿の居室で寛いでいた。この後、未だ「3部」が在る。

夜、祇園のミュージックバーで、音楽家である友人の演奏という機会が在り、そこに足を運んだのだ。「クリスマスイヴに…」という感じで、クリスマス関係のポップス等も選曲し、素敵な演奏を御披露頂いたのだった。京都に入る迄、思いも掛けずに居たが、そういう機会が在って幸いだった。

そしてまた、12月25日の展開が在る。それまでゆったりと過ごす…

ほんの少し勝手知った…=運行日誌(2022.12.23)

題して『北の海辺から…:稚内港の風景』ということで、拙作写真が<京都写真美術館>のウェブサイト「WEB写真展」に掲載して頂けることとなった。12月23日から1月13日である。極近年の「やや冴えない?」という状況の中、「小さな快挙?」というように感じている。

神戸三宮の宿の居室で日付が変わり、この「小さな快挙?」に触れる辺りから12月23日は始まっている。気持ちが昂って眠り悪いのか、短い時間で深めに眠ったのか、何となく「変な夜更かし傾向」という感で、遅めの就寝ながらも、眠ったり起きたりを繰り返して早朝には居室内でゴチャゴチャとしていた。

前日、穏やかな天候の中で新千歳空港まで南下し、空路も平常どおりの運航でとりあえず神戸に着いた。道中、夕方から夜、更に翌日に関して「天候が下り坂」という注意喚起は一寸聞いた。実際、12月23日時点で何やら荒天に関連する交通の乱れが早々と生じている様子だ。それを擦り抜けて動いているというようなことになる。

↓今日はこういう様子に…

本日(12月23日)、一部の公共交通機関で運休等が発生しております。詳細は以下のとおりです(12月23日6時00分現在)

【JR】
[特急列車]
・稚内 06時36分 発 旭川 行き 特急サロベツ2号 : 全区間運休
・札幌 07時30分 発 稚内 行き 特急宗谷 : 旭川〜稚内 間 部分運休
・稚内 13時01分 発 旭川 行き 特急サロベツ4号 : 全区間運休
[普通列車(宗谷線)]
・稚内 5時21分 発 名寄 行き 普通列車 : 全区間運休
・音威子府 5時35分 発 稚内 行き 普通列車 : 全区間運休
・稚内 10時28分 発 名寄 行き 普通列車 : 全区間運休
・幌延 10時56分 発 稚内 行き 普通列車 : 全区間運休
・稚内 18時03分 発 名寄 行き 普通列車 : 稚内〜音威子府 間 部分運休

↑昨日の出発で好かった…今日であれば動けなかった…

こういうようなことに想いが巡ったが、神戸三宮の宿を出て行動開始ということにした。

阪急の神戸三宮駅で「通勤特急」なる列車に乗って大阪梅田駅を目指した。本来の乗換駅の十三駅は、到着直前に居眠りに陥り、序に車内が混み合って動き悪かったので「まぁ…いいか…」と大阪梅田駅まで出てしまった。そして大阪梅田駅から、京都河原町駅へ向かう「準特急」なる列車に乗った。京都の烏丸駅に出たのだ。

神戸・京都の移動となれば、三ノ宮駅・京都駅間をJRの新快速で動くというやり方が、自身を含む「他地域から出て来た者」にはポピュラーかもしれない。が、敢えて阪急の列車というのが、何となく愉しい…

そして京都に入り、何やら細かい買物をし、蛸薬師を参拝―身近に身体の調子が十全とも言い悪い人が在るので、「病気平癒」の祈願に御利益が在ると聞いて訪ねたかった…―し、計画していたとおりに友人に会うことが叶った。

友人は、「頂いた券が在る」ということで、アート展を訪ねてみようと言う。作品展示も在るのだが、それ以上に前衛的な画を描くアーティストが、2枚合わせると長さが10mになるという用紙に、1時間程度の時間を使って、来訪者が観ている眼前で画を描くというパフォーマンスがメインだった。そういうモノ…全く初めてだったが、一寸興味深く拝見した。

そういうような経過を経て、多少は勝手を知った京都の宿に入った訳だ…今日は…眠くなった時点で早目に休みたい感じだ…

長い道程…“打ち止め”…=運行日誌(2022.12.22)

神戸…と言って、三宮の鉄道駅を出て、少しばかり歩き、やや判り悪い感じな宿に無事に着いただけのことだ。宿は、表通のより大きな建物の陰になってしまって、やや見え悪かった。と言って、12階建ての建物なのだが。その12階の居室に入った。

前夜は早めに、「寝坊厳禁」と思いながら休み、想定した以上に早く起き出した。

「拙宅居室では“年内最後”…」と<マンデリン>を淹れた。“年内最後”という程度に思うと、何か殊更に最近は毎日の朝に頂いていた何時もの珈琲が美味いような気がした。

気に入っている美味い珈琲を啜り、落ち着いた気分をもたらしながら、寝起きのぼんやりを少し遠ざけるようにする。そして“支度”である。

“支度”と言って、改まった席に臨むような何かが在るのでもない。細かい忘れ物をしたくないので、落ち着いて、必要最低限のモノだけを、日頃から愛用のバッグ類に容れるというだけのことだ。

ジーンズ穿きで、長袖アンダーウェアの上に長袖Tシャツ、更にデニムジャケットというような出で立ちだ。戸外用に1枚引っ掛けて、キャップを被って出るという感じで出発することにした。

<マンデリン>のマグカップを空け、モノを持って戸外へ踏み出した。

稚内駅から出る始発の普通列車に無事に乗車出来た。列車は然程混み合うのでもない。暗く冷えた北の大地を円滑に南下し、「冷えていて雪が多い」という「イメージの“まま”」という名寄に辿り着いた。<青春18きっぷ>を利用していた。

名寄でコンビニに立寄り、「手がオカしくなる…」という程度、多分氷点下10度以下に冷えていた中で手袋を求める等し、名寄・旭川間の乗車券と特急券を求めて旭川へ素早く南下した。結局、嫌らしい言い方ながら「“3時間”を“3千円”で買う」というイメージだと思う。数少ない普通列車で、何やら妙に待ち時間が生じる。そこを乗車券と特急券とを求めることで“カット”する訳だ。

士別駅で、北上する列車の遅れで変に待って、旭川到着が些か遅れた。が、旭川以南は旭川・滝川、滝川・岩見沢、岩見沢・札幌と列車を乗り継いで移動した。

札幌駅辺りでは、少し気に入っている「鹿児島の流儀」を謳う駅ビルのレストランに久々に立寄り、焼酎の御湯割りを愉しみながら、ロースカツ定食を愉しみ、近所のネットカフェで少し休んだ。そして新千歳空港へ移動し、ややゆとりも在る中で神戸へのフライトを待った。

何やら空のダイヤも一部乱れていた様子だが、利用した神戸空港を目指すフライトは極めて順調に飛んだ。機内では適宜「居眠り…」も交じり、何やらあっと言う間に神戸空港に着いた感じだった。そしてポートライナーで三宮に出た。

様子を伺う限り、午後10時半近くながら、マダマダ色々な列車で各方面へ動けそうな様子ではあった。が…朝の5時前に稚内を発ち、名寄、旭川、滝川、岩見沢、札幌、新千歳空港と長く動き回り、フライトを経てようやく神戸だ。とりあえず“打ち止め”としたい。

何処の街でも勝手が殆ど変わらないチェーンの宿は悪くない。神戸のこの宿は初めてなのだが、何か“既視感”も在って、とりあえず居心地は好い。明朝は?日頃の活動開始のような時間帯に動き出せば十分な筈だ。ゆったりとしたい感だ…

前夜に…(2022.12.21)

「普段のとおり」という夕刻を過ごし、拙宅の居室へ引揚げて寛いでいる。

年末年始辺りに「時間を設けて気儘に過ごす」ということを、何時の頃からか好んでするようになっていた。自身の場合、春から秋に何やら取り込んで、夏季休暇なるモノを取得する時季を逸してしまい、寒くなる頃に「何処かへ行きたい症候群」とでも呼ぶべきモノが疼く場合が多かった。「何処かへ行きたい症候群」とでも呼ぶべきモノに関しては、「それでは…」と何処かへ実際に出掛けてみるというような“対症療法”を施す以外に打つべき手は無いという訳だ。尤も、極近年に関して言えば、年間を通じて、思い立った時に随意に時間を設けるような挙に出て、何等の差支えも無いというような感なのかもしれないが。

そうした意味合いでは、何やら「少し荒んでいる?」というように、客観的には視えてしまうのかもしれない。極々個人的には、少々以前からそう言えなくも無いのかもしれないと振り返る。が、それもまた「だから?」という程度のことかもしれない。

実は極最近、所謂「別れ」というようなことを経験する羽目になった。和やかに過ごし、穏やかに再会を期した相手に対し、「色々と世話になったが、また…」という程度の連絡を取ることが叶わずに些かの不審を抱いた時、“訃報”とやらが飛び込んだ。急遽、関連の動きでドタバタとした経過が在った。序ながら、不注意と言う程のことでもないと自身では評するが、道路上で少々派手に転倒して些か負傷という余計な事まで在って、何やら草臥れた気分となってしまったことは否定し悪い。

“年末”というような表現が似合う時季に至って、「個人的に本年最大の出来事」というような事柄が惹起してしまったのは事実である。が、他方でやや大きな「出会い」も在った本年である。「出会い」に関して、少し精確を期すなら「再会」という程度に呼ぶべきかもしれない。

敢えて一言で言えば「些か冴えなかったかもしれない人生」ということになるのかもしれないが、それでも「冴えていた」と言い得る時期も無いではない。そういう時期に「出会い」は在った。以降、所謂「時候の御挨拶」という程度の交流は、出会った相手との間で無いでも無かった。「今年の一字」が「戦」になったというのは、かのウクライナでの事象等の故だったが、出会った相手というのがウクライナに所縁が在った。その方は、砲弾が飛び交い、先々の個人の人生が大きく損なわれる場合も在るような重傷をもたらしてしまう禍々しいモノが使用されているという地域を地元としていた関係で、「あの人は?」と自身は凄く気になっていた。

気になっていた中で連絡は着いたが、結局その方は居合わせた他地域を発ち、“第三国”たる日本に渡って、何とか御自身の新たな人生を拓いて行くことを志した。徒手空拳というような感で動き始めた中、色々な意味で暮らし易そうな何処かの街で、スタートラインに立たせてやらなければならないと思った。“御案内役”を買って出たということになるのだと思うが、5月に「特定行動」等と称して動いた事案だった。

やがて少し時日を経て、新たな人生を拓いて行くべく落ち着こうという中だった7月末から8月冒頭、再び時間を設けて「特定行動」の「続き」というようなことにも携わったのだった。

色々と考え、年末年始辺りに「時間を設けて気儘に過ごす」ということが念頭に浮かんだ或る時、「必然性」は低いモノの「特定行動」の「続き」というようなことで、少し慌ただしい日程にはなってしまうと見受けられるものの、動こうと計画を練っていた。そういうことに意が向いていた時、何やらゴチャゴチャとしたという一面は在る。

全く「不意」に、和やかに過ごし、穏やかに再会を期した相手との所謂「別れ」というようなことを経験する羽目になった中ではあるものの、同じ年に生じた「出会い」または「再会」の流れでの行動を「停めるべきでもない」とか、「そうする筋合いでもない」と考えた。事と次第によっては、「別れ」を経験する羽目になった人に引き合わせるというような展開も、全く在り得ないでもないかもしれない相手に一寸会う時間も設ける動きを図る訳だ。

不運であるとか、嬉しくもないということが在れば、他方で好運であるとか、嬉しいということが在る。“人生”というのは所詮はそういうモノだ。が、自身の場合、こういうことに加えて“二番籤”のような状態でも「実は酷く好かったじゃないか!?」という程度に考える場合も在る。加えて「不運であることに間違いはないが、もっと悪い状態にもなり得る中でのこの様子は、寧ろ好運であろう」というような考え方まですることが在る。或いは「過ぎる程に楽観的」ということかもしれない。

「過ぎる程に楽観的」という感かもしれないが、自身は殊にこの数年、「こうしてここに無事に在ることに関して、何事か、何者かはよく解らないモノに、とりあえず感謝したい…」という程度のことを強く思うようになった。「〇〇に帰依する」という意図は無いが、こういう感覚を巷間では“宗教”とでも呼ぶのかもしれない。

“年末”だからという程でもない。「時々漠然と思う」というような事柄を「言葉で表現」というように試みて、“形”を与えてみた。「出会い」または「再会」と「別れ」とが同一年に生じた年の末に、とりあえず「気儘に過ごす時間」を設けるに至った。上手く形に出来ない複雑な想いが渦巻いているのかもしれない。が、それに囚われて如何こうなるのでもない。

明朝は、こういう場合の恒例に従い、“始発駅”から計画したとおりに出発したい。

顛末…(2022.12.14)

整理整頓は不得手である。が、「訳が判らん…」というような気持に関しては、感じたことを書き綴るようなことをして、散らかしっ放しにしてしまわない方が好いかもしれない。そう思って手を動かし始めた。「訳が判らん…」が発生し、少しばかり時日も経て、落ち着いてモノを考えられるようになったような気もしている。

12月5日に泊ったのと同じ宿に、12月13日にまた泊り―流石に部屋は違う。5日は9階で、13日は11階だった…―過ぎる程に静かな早朝を迎えている。「多少勝手知った(つもりになっている)他所」と自身の中で位置付けている旭川に在る。

所用で札幌を往来する、或いは札幌経由等で他地域へ出向くというような場合、地元の稚内との往来に際して、旭川は「前線陣営」というような感で、往路や復路で宿を求めて泊るというのも、やや独特かもしれないが「自身の流儀」として或る程度定着してはいる。そして旭川駅から程近い、現在在る宿も気に入っているので、多少の間隔で再利用を繰り返すということでも、特段に不自然でもない。それでも「旭川から稚内へ北上し、急な事案により、翌日に直ちに旭川へ南下し、札幌へ出向いて急な所用に臨む」というのはやや特殊だと感じる。その所用が段落し、現在は復路の途上だ。この後、少々馴染んだ「朝の特急」に乗り込んで稚内へ北上する。

12月2日の朝に足元の凍った箇所を踏み込んで「派手な転倒…」という失態を演じた。多少、按配が悪くはなったものの、整形外科クリニックで「明確な形で骨等の損傷は認められない」という医師の診立てを聴き、数日間は少し痛みがキツい場合も在るかもしれないものの、何とかなるという判断をした。そして12月3日からは、以前から決まっていた札幌での所用のために出掛けた。

12月4日には、戯れに“居候所”と呼ぶ実家に顔を出していた。実家は所用の場所に近いことから御邪魔した次第だった。これも近年の概ね3ヶ月毎の所用の際には恒例となっている。ハッキリ言えば「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という山頭火の句を想い起すような、明確な当てが在るでもなく彷徨うような人生かもしれない自身にも「両親」というモノは在る。所用で札幌に出ることを口実に、「御挨拶」に立寄っても罰は当たらない筈だ。そういうことでこれも恒例化していた。

そういうことの後、無事に稚内へ引揚げた旨を伝え、御邪魔した礼を言い、次の所用の予定等を告げるべく電話を架けることが恒例化していた。12月4日に和やかに過ごし、12月5日の朝に言葉を交わして出発し、無事に所用を済ませ、旭川へ移動した。旭川で適当に寛いで、12月6日に稚内へ戻った。

稚内に戻ってから、恒例に従って電話を架けたが応答が無かった。大概は“親父殿”が応答する。直ぐに電話に手が伸びずに出るのに時間を要する場合、何かの用で一寸外出している場合、入浴中や御手洗の使用中で応答し損ねる場合も在った。そういう場合は架電の旨が記録され、何やら表示される電話機なので、先方から架電も在る。何時だったか、老朽化した電話機を新たなモノに替えて「一寸試しているんだ」と何やら嬉しそうに架電して来た“親父殿”の話し口調も思い出す。“親父殿”は新しい道具を入手して、それを試用するようなことを面白がるような一面が在ったと思う。

そういうことなのだが、昼、夕方と何回か架電で全く応答が無いのはやや珍しく、また夕方迄にこちらへの架電も無い。「何となく…変な感じだ…」と思った。そうすると拙宅の電話が鳴る。応えると架電の主は“賢弟”であった。「落ち着いて聴いてやって欲しい。亡くなった…」と言い出した。“親父殿”が急に逝去したのだ。結婚式や出産のような慶事は、何ヶ月も以前から楽しみにするようなものだが、弔事は「急に逝去…」で驚かされる場合も存外に多いものであろう。

言われても「実感」に乏しい。“親父殿”と離れて暮らすようになってかなり長い。会う頻度も或る程度限られる。最近は元気と言えば元気ながら、些か身体の動きが悪くなっていて、それは少し気にはなった。12月4日から12月5日朝に会った際、「些かの“不調”の度合いが進んでしまった?」と気にならないでもなかった。それでも前日の朝に「それでは…」と所用のために出て、そのままゆっくりと稚内へ引揚げるとして、再会を期して別れたばかりなのだ。「色々と有難う」と言えば、「何も出来るのでもなく」と“親父殿”は言い、年末にまた寄る旨を伝えて出発したのだ。

例えば「入院加療中のところ逝去」というような形であれば、医師による「死亡診断書」というモノが出て来る。“親父殿”は少し違った。「死体検断書」というモノが登場した。自宅内で遺体になってしまった状態で発見され、運び出されたという事例だ。警察経由で法医学者に依頼が為され、「死体検断書」というモノが作成される訳だ。誰かが他界した場合の諸手続では「“死亡診断書”の写しを添え」というような話しが在る訳だが、“親父殿”に関しては「死体検断書」であった訳だ。

札幌に辿り着いたのは12月8日の朝早くだった。札幌では里塚に巨大な火葬場が在るのだが、その火葬場の都合等にも鑑み、少し傷んだ“親父殿”の遺体に関して素早く火葬することとなった。やや体調の優れない“母上”と、「遺体」となってしまった“親父殿”を運び出す場面で奔走した“賢弟”、和やかに過ごして遺体を観る迄「何やら訳が判らん…」という感であった自身の3人で「御別れ」で出棺した訳だ。火葬場には“賢弟”と自身との2人で向かい、火葬場の職員の方の介助も得ながら、“親父殿”の骨を拾った。

「優しい人だった…」とは、「御別れ」に臨んだ“母上”が些か涙ぐみながら吐いた言だ。“親父殿”は、身近な人に関しても、他所の縁が深いでもない人に関しても、「些かの、入り込み過ぎない程度の距離を取りながらも、温かく見守るようにしたい」ということを貫いた人だと思う。そして「馬鹿息子」たる自身や“賢弟”に関しては、「勝ち目の低い戦に突入しようとする愚か者」という様相であっても、「俺は御前達の“親父”だ…飽くまでも応援する!」ということを貫いてくれていたと思う。

何時、何処で如何撮ったのか知らないが、実家の片隅に設けた、火葬した骨を入れた容器を置いている“祭壇”の前に「遺影」が在る。幾分在る選択肢から、自身が額縁の色等を指定した遺影だ。それを見詰め、もう会って和やかに過ごすことも無いと実感していた。

身近な人物との間に、物理的に声を掛け合うということとは少し異なる「呼び合う」というようなことでも在るのだろうか?そんなことも思っている。

以前に“親父殿”から架電で、話しを聴かされたことが在った。“親父殿”の兄、自身の“伯父上”ということになる。御無沙汰してしまっていると、“親父殿”は“伯父上”に架電して言葉を交わした。「何か…元気が無い…」と感じ、“伯父上”の息子、自身の“従兄”に架電でその旨を伝えた。そうしたところ、少し前に体調を崩した経過が在ったと知ることになった。“伯父上”の御近所に住んで居た“従兄”は連絡を受けた翌日、様子を観に訪ねてみた。そして…「叔父さん…驚かそうという訳ではない…父が…」と“伯父上”の逝去を伝えられたのだという。

この“伯父上”の件を“親父殿”から聴かされた時、「兄弟の絆」というのか、互いに「呼び合う」という何かが在ったのかもしれないと思っていた。そして今、自身と“親父殿”との間にその「呼び合う」が生じたのかもしれないのだ。「落ち着いて聴いてやって欲しい」と言われたが、別段に取り乱しているのでもないが、何やら「訳が判らん」という感じだ。何か考えようにも、考えが千々に乱れるような様子だった。

実家の玄関で、「色々と有難う」と言えば、「何も出来るのでもなく」と“親父殿”は言い、年末にまた寄る旨を伝えて出発という場面が「最後」だった。“母上”が泊りで施設に出ていたことを踏まえ、夕刻に自宅でのんびりと過ごしていた最中での逝去だった。“賢弟”とも話題にしたが、何やらの病気療養で何ヶ月間とか何年間に亘って苦しい思いをするというのでもなく、多少の御騒がせであったにせよ、「眠るように力尽きた」というのは、それはそれで善とすべきかもしれない。

こういう顛末…少し記憶に留めなければなるまい…

帰着…=運行日誌(2022.08.08)

稚内に到着した時、稚内駅の温度が表示される場所には「24℃」と在った。そして空気は雨交りで湿っている。

駅に近い拙宅へ歩いて引揚げた。稚内の居室は湿った空気が籠っていた。窓を開けて換気し、その間に御近所で昼食を摂ってみた。そこから戻ると按配は少し好くなっていた。

「寝坊無用」と少しだけ気が張っていたかもしれない。思惑どおりに早めに起き出し、身支度だ。京都で求めて在った新しいTシャツを引っ張り出して着用する。

旭川駅に近い宿から早朝に出て、早朝の列車に乗り込んで北上するというのは、自身にとっては「多少、馴染んだ移動…」である。今般もそれを実践だ。

実際、少し驚いたのは「座席が粗方埋まって…」という感じであのキハ54が走り続けたことと、稚内の間近に至って抜海駅から乗車した乗客3名が見受けられたことだった。何やら賑わっていた。稚内駅到着後、素早く改札口に歩を進める人は少数派だった。(自身はその少数派だった。)多くの人達が「到着記念…」で写真を撮る等していた。

京都で、「祇園囃子」のCDを入手していた。祇園祭の華やかな催事が視られた訳でも―やや遅れた形で京都に着いている…―ないが、とりあえず「時季らしい音」ということになるであろうか?そんなモノを再生し、何となく寛いで居る。

“休業”?=運行日誌(2022.08.07)

何か「崩落…」とでも形容したい様相で、深夜帯に眠気に堪え難くなり、そのまま寝入って明るい朝を迎えたという感だった。早朝に「北上の途に就く」という意図を放棄し、「如何でも構わない“休業日”」を旭川で過ごすという具合に、急に決めたことが「大正解?!」であったかもしれない。そんな気がしている…

宿を出た後、カフェに入り、ノートパソコンも広げて何やらゆったりと過ごした。そこから、嵩張る荷物を旭川駅のコインロッカーに預けた。ストレートに向かえば、旭川駅から歩いて10分程度か?日帰り入浴施設を訪ねて寛いだ。やがて少し遅めな昼食を愉しみ、その後に覗いた本屋で一冊の本を求めてしまった。

やがて本日の宿の宿泊者受入の時間帯になった。それを見計らって入ったが…居室で居眠りに陥った。陽が傾いたような頃に起き出した。そして窓から夕暮れを眺めて、何となくのんびりとした。

そして午後8時頃から戸外に出て、チェーン店なのだとは思うが、居心地が悪くない居酒屋に出くわし、相対的に安価に焼酎を頂いて料理を摘まんだ…

振り返ると、「旅の途上」というよりも、「住んで居る街で何となく過ごす休業日」というような行動様式だと思っている。

そう言えば、日中に寄った入浴施設のサウナで、休日昼の何やらのトーク番組が流れていた。格段に興味も無い話しという場合が多いのだが、今般は「夏の美味いモノ」ということで、何やら“ひつまぶし”に話題が及んでいた。「一寸、贅沢をしてしまった…」と思ったが、「名古屋の忘れ物を東京で回収…」というように頂いたばかりで、実に美味だった。アレが酷く評価が高いメニューだということを実感してしまった。

相変わらずだが…今般も7月28日に南下を開始して以来、再北上の現在に至る迄、宿の居室ではテレビを視聴せず終いだ…思い出すのはそのサウナで視た例という位だ…

何やらゆっくりしたが、明日は早起きだ…

長い道程を北上…=運行日誌(2022.08.06-07)

個人的な傾向なのだが、「身体が解れて、直ぐに休みたいような感」と「血行が好くなって、頭が冴えているような感」とが混在するというのが、サウナを利用した後に時々見受けられることであると思う。実は今、その「サウナ後」の様子である。そして、サウナを利用したのは午後11時台で、何やら寛いでいた間に日付も改まった。

現在、「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川の、館内のサウナを備えた大浴場が好い、何度も利用している宿の居室で寛いで居る…長い道程を経てここに至った。

桜木町の宿を出てから、川崎大師、高野山東京別院、泉岳寺と道草をして午後の羽田空港に至り、夕刻のフライトで新千歳空港に飛んだ。新千歳空港から札幌駅に列車で出て、札幌駅から高速バスで旭川駅前へ至ったのである。

旭川では「翌早朝に更に北上…」という思いが在ったのだが…気が変わった…北上は明後日にする…そういうことで、別途宿は決めた…

何か「大いにエネルギーを費消した」という感と「新たなエネルギーを多く得た」という感とが混在しているような気がしている。

「事案」の故に所用が些か生じてはいたが、それはそれとして、「気儘に方々を巡ってみる」というような、自身としては「最も“生きている”を実感?」という営為に身を投じた。多分、「事案」の有無と無関係にこういう機会は思い付いて設けていたと思う。が、「事案」の故に「余り無かった“充実感”」とでも呼ぶべきモノが加わったとも思っている。

20℃程度だった地域から、40℃を伺うかのような状況下に入り込み、やがて30℃前後の中になり、そこから21℃程度の場所に戻った。何か変に「時季らしい…」を経験したかもしれない。これは「善し」としたい。

「危険な暑さ」という言辞が飛び交っていた時には、「普通にその辺を動き回る」というだけで「ふやける程に汗をかいた?!」という状態になった。旭川の地では?「サウナでふやける程度に汗…」ということで、何やら変にスッキリしている。

実は飛行機や高速バスの中で、何やら「深めな居眠り」をしていた。それ故に、変にスッキリしているのかもしれない。そのうち?如何しても眠くなった時点で深く眠れば好い…

緩慢な時間?=運行日誌(2022.08.05)

前日、名古屋→(豊橋)→(浜松)→静岡→三島→(熱海)→(横浜)→桜木町という経路で動き、夕刻に暗くなり始めたような頃には強めな雨であった。

多少の雨で傘は持たないのだが、昨夜は「多少…」では「済まない!!」という程度だった。コンビニで700円位のビニール傘を求めた。直径70㎝を謳う大き目なモノで使い易かった。この傘を使うと、傘に雨が当たる音が何やら凄かった。

そんな状況を踏まえて「模様視」を決め込んだ早朝であった。実は…「道草しながら関東に到達し、8月6日に北上のフライト」という段取りを、「名古屋から横浜に至って連泊」というようにしてしまった。“道草”を想った経路上で、何やら宿泊施設が混み合っている様子だったので「それなら…」と思い付いてみると、アッサリと宿を押さえることが叶ったのだ。

前夜の様子から雨に警戒したが…結果的に雨は降っていない。雲が多い、陽が射すが変化し、総じて曇りが多かったような気はする。気温は30℃を少しだけ下回るような具合だったようだ。自身のように「寒冷地仕様…」を嘯く者にはやや暑い、または蒸すような気がするのだが、京都で経験した「危険な…」というのとは明らかに違う。「普通な一寸暑い夏季の様子」という範囲に収まっているような気がした。

そういう天候を受け、何となく「懐かしき鎌倉」と思い付いた。少年期の旅行で訪ね、都内に在った学生時代に何度も訪ね、その後も何年かに一回は寄った気がするが、結局酷く御無沙汰してしまっていた。そういうことで訪ねたのだった。

鎌倉の後は東京駅に出て少し辺りを散策し、桜木町に引揚げ、夕食を愉しんで辺りを散策したというような次第だ。何か、現在の宿の辺りで普通に暮らしたような場合、まぁまぁな天候の休日に思い付いて取りそうな行動をしたという感がする。仔細は追って別に綴ろうと思う。

今般、暑さの中で些かの所用を交えて京都で過ごし、以降は何やら緩慢に過ごしている。「緩慢」と言えば、最近は「何時でも…」という感も否定し得ないのかもしれない。が、それはそれとして「何となく心地好い…」という過ごし方をしているように思う。

明日は北上だ…

「18きっぷ」を手にした状況らしい感…=運行日誌(2022.08.04)

以前に滞在したのは?忘れてしまう位に以前だったと思う。横浜に在る。桜木町に在る宿の居室で寛いで居る。

多少「御無沙汰している感の場所…」ということになると、戯れに「〇〇の街は“出入り禁止”に…」と嘯く場合が無くもない。横浜はそれに近いモノも在るかもしれない。羽田空港から北上の途に就く前に滞在しようと思い付いた。更に、横浜辺りに至る以前に寄道も意図したが、何やら「各地の宿泊施設が何となく賑わい…」という様相が見受けられる中、横浜でゆっくり滞在するということにしてみた訳だ…

名古屋の宿で朝を迎えた。夜間、途中で眼を開けるようなことも交じったが、結果的に少し長く深く眠ったような気もした。起き出した時点でハッキリと天は明るく、蒼天に些かの雲が流れるという様相だった。そして雲が多い場面も発生するというような感だった…

<青春18きっぷ>を手に「東海道線を東へ…」ということを試みた。色々な土地を結ぶ、古くからの街道を意識したような軌道で、列車本数も多い東海道線は、「<青春18きっぷ>を手に…」という気儘な旅が愉しみ易いと思う。そういうように思いながら、、「<青春18きっぷ>を手に東海道線を往く…」ということも少々御無沙汰したかもしれない。

名古屋から豊橋、豊橋から浜松、浜松から静岡という具合に朝から動いた。

静岡では駿府城公園を散策し、駿府城公園内の御店で「静岡おでん」を摘まんだ。静岡というのも、何か「クルマが優先」な感じもしてしまうような感じの街だと思わないでもなかったのだが、駿府城公園界隈を歩いたのは少し愉しかった。

静岡から三島に出た。三嶋大社を訪ねてみた。歩いて訪ねる分には、「三島駅⇔三嶋大社」がやや判り悪かった…復路の「三嶋大社→三島駅」については、案内看板が比較的判り易かった。

三嶋から熱海に出て、熱海から乗換えた列車で横浜に至り、横浜駅から桜木町駅で宿に至ったという次第だ。

横浜の宿で一息入れて、戸外に出てみれば…強めな雨だ…普段は傘を使わないのだが、流石にコンビニでビニール傘を求めた。辺りを少しだけ歩き、宿の傍に在った御店で夕食を愉しんだ。

下り坂になってしまった天候であるが…明日は明日で、その場で如何するのか考えよう。別段に用が在るというのでもない「休暇中らしい…」という様相なのだから…

一息…=運行日誌(2022.08.03)

若干、細切れのようになった深めな睡眠が折り重なって、何時の間にか朝を迎え、宿で朝食が供される時間帯に近付いていた。そういう具合に朝を迎えた。早速に、窓辺の朝の光は眩しい…

今般は名古屋を経て京都に至り、入った宿に逗留を続けた。或いはこれまでに余りやっていない方式であったかもしれない。交通至便な四条烏丸に在る宿の居心地は、酷く好いものだった。気分は「ウィークリーマンションに滞在」に近かったかもしれない。

そういうことなので、京都をゆっくり離れることに関して、或る種の感慨のようなモノも湧く。“事案”は在る訳で、多分また足を運ぶようになることであろう。

そして出発だ。<青春18きっぷ>を使う。とりあえず京都駅に出てJRの列車に乗り込み、「道草しながら名古屋に至る」ということで、余り細かいことは考えていない。「道草」とは言っても、酷く暑いのでそれ程歩き廻ることが出来るのでもないというようにも思ったが。

草津で江戸時代の宿場の経過に関する遺構や展示を見学した。そこから米原を経て大垣に至った。大垣では大垣城等を見学し、大垣駅へ引揚げる時に道を間違えて随分と歩いた。そして名古屋へ向かい、往路でも利用した宿に入った。とりあえず汗を流して一息という訳だ。

夕刻、名古屋地区で活動中である友人と会うことにしていた…

この友人とは知り合ってから存外に年月を経ている。2020年2月、友人は活動の関係で稚内へ足を運んでいて、その際に御会いしていたのだが、それ以来ということになった。色々と語らう愉しい夕べということになった。

今般、何となく名古屋でも一息入れている…明日からは東へ進む…

溢れ出るかのような想い…=運行日誌(2022.08.02-03)

少し遅めな時間帯に至る迄、色々と動き回り、あっという間に日付が改まってしまっていた。

「所用」ということで、それらを足してしまい、序に時間的なゆとりも大きかったというのが「今般の京都」ではあった。が、「危険な暑さ」という最中であり、「時間的なゆとり」を活かして何かをしたという程でもなかったかもしれない。

「何かをしたという程でもなかった」かもしれないが、同行者と落ち合った中、如何しても必要と見受けられた用事は足し、可能な範囲で文化的に過ごしたような気はする。

8月2日は早起きをして、そのまま散策に親しんだが、酷く汗をかいてしまい、何やら休んだ。昼前には食事に出て、何やら噂の喫茶店を訪ねてみようとして「所在地の御案内」を参照した筈だった。しかし「何やら行き過ぎて、迷いながら戻る…」という余計な動きをして汗をかいた…

そんなことの後、一つ所用を足し、宿に一旦引揚げた後、同行者と落ち合った。ライヴハウスに音楽を聴きに行ったのだった。同行者はそれを、本当に「物凄く!!」喜んでくれたのだが、自身としては各メンバーが実に愉しそうに、そして熱も籠っている感じで演奏するのを聴く機会が少ない、最近では「殆ど無い…」という様子なので、酷く愉しかった。

自身は地下鉄で宿に引揚げる心づもりであったが、同行者はバスで引揚げようとした。停留所を見出してみると、4分少し待った辺りでバスは現れ、同行者はそれを利用した。自身は、同行者バスに乗った様子を見届けた後、地下鉄で引揚げた。

別れ際に「明日、京都を離れる?何時?京都駅から?見送りに行く。一緒にお茶でも…」と同行者は言い出した。「気持ちは嬉しいが、出発間近に会って、お茶でもしていると自身は出発することが嫌になってしまうかもしれない…去り際が寧ろ苦しくなってしまう…」と申し出た。そういうことで、同行者とはバス停で別れた。再会を期して…

徒手空拳という様子だった友人を同行者として京都に入り、新たな道を拓くことが叶うようにと背中を押した。多くの人々の御協力や御配意も頂き、活き活きと活動も出来るようになったことを、自身も喜んでいた。こうなって来ると、同行者が強い関心を抱いている音楽シーンにような事柄に触れる機会を設けてみるのも悪くはないと思った。自身でも、同行者を御案内することを口実に一寸愉しみたかったということも在ったが…

そういうことで、何やら「“想い”が溢れ出る」という気分ではある。が、他方に「実際的な都合」というモノもある。「夜中に…」とブツブツは言わず、酷い汗で汚れ、時間を経ても何となく湿っている衣類を、宿の館内に設けられたコインランドリーで洗濯をせねばならない…

色々と細々した話しは、追って綴るようにしたいと思う…

そして…夜が明けると移動という算段ではある…

「危険な暑さ」という表現が登場した日に…=運行日誌(2022.08.01)

この時季、京都では午前5時頃が日出で、午後7時頃が日没であるようだ。“休業日”的な過ごし方で普通に休み、スッキリ目覚めてみれば、日出の頃の少し前だった。

日出の頃を過ぎて陽が高くなって行く中、午前7時頃で既に「強い陽射し…」という感じになっている。「夏らしい!」のだが、朝の時点で気温は30℃前後で、日中は更に気温が上昇する。宿の朝食を頂く際、会場に据えられたテレビでニュースが流れている。その中で「危険な暑さ」という表現が在った。通常は「大変な場所も在るのだな…」という程度に聞き流すが、現在はその「当該地域」に在る訳である。何か不思議な気がしている…

そういう中での一日である。

午前中は「所用」というようなことで同行者と共に在った。四条烏丸周辺、烏丸御池周辺で少し動き、<スマート珈琲店>で一息入れて、昼食は<キエフ>のランチとした。「想い出の店」という感の<スマート珈琲店>は珈琲とホットケーキを頂いた。<キエフ>のランチは、過日のディナーと変わらない感じで好かったが、店は存外に賑わっていた。

同行者とはそこで別れた。昼頃は殊更に暑い…無理に戸外を歩き廻るべきでもない…自身も宿に引揚げて一息入れた。

やがて午後4時半頃になり、何かを頂きたくなって戸外に出た。陽射しが弱まって、些かは凌ぎ易くなっていた。それでも歩けば酷い汗は免れない…

<シェイクシャック>というハンバーガーの店が宿から遠くない辺りに在った。一寸寄ってみて、やや早めな夕食ということにした。そこまでは好かったが…フラフラと歩いて烏丸御池に至り、地図が入った周辺案内図で、二条城が地下鉄で一駅の辺りで「徒歩圏内」と気付いた。そして…歩いてしまった。

二条城に至ってみれば、「夏まつり」と称してライトアップを実施すると判った。入場は有料で、近所のセブンイレブンでも入場券を売っていた。それを求めてしまい、ライトアップを眺めた。唐門の感じが秀逸だった…

二条城からは宿まで地下鉄で引揚げた。東西線で一駅、乗換えて烏丸線で一駅と遠くもない。往路は歩いてしまった区間だ…

そんな訳で存外にエネルギーは使った…早めに休みたい感だ。

“休暇中”の日々の中に「休業日」??=運行日誌(2022.07.31)

前日に引き続き、同行者を伴って何らかの文物に親しむような時間を設ける意図も在った日曜日である。が、前日の日中から夕方に精力的に動き回ったことから、同行者から「休養日としよう…」との御提案を頂いた。それを容れたということから始まった朝である。

「日曜日だけ朝から営業」という銭湯が宿から徒歩圏内に在ることに気付いていたが、日曜日であったことを思い出し、訪ねてみた。何気なくバッグにタオルを容れ、それを持って行った。間違いなく「銭湯」という感じなのだが、サウナや露天風呂が備わっていて、なかなかに立派な内容だった。好い場所を覚えた…

宿の朝食は軽く頂いたが、それはそれとして「カフェに足を運んで、好い感じの飲物を啜りながら、好さそうなモノが在れば摘まんでみる」という程度のことを考えた。以前に通販で珈琲豆を御願いした経過の在る店の本店が、宿からそう遠くない辺り、上述の銭湯よりも近い場所に在ることに気付いた。

訪ねた時は未だ「モーニング」の時間だった。そこで<スペシャルモーニング>なるモノを所望した。そうすると、何やら大盛のキャベツが添えられ、卵焼きにベーコン、そしてトーストという「想像以上に大きい…」という一皿と珈琲が登場した。

多少驚きながら頂いてみたが、何やら「随分と確り頂いた…」というような具合になった。

以降、暑い中で無理をしない程度と思いながら、所謂“銀閣寺”を訪ねてみた。夏の強い光と、力いっぱいに繁っている木々という感じを眺めるのが面白かった。

やがて宿に引揚げ、館内のコインランドリーで洗濯に勤しんだ。汗をかいて、この数日間の着衣が汚れていた訳である。無事に片付いた…

更に京都在住の友人と連絡が付き、友人が時々寄っているという回転寿司の店を訪ねた。

銭湯…散策…洗濯…回転寿司…何か「正しい休日」という様相だと思った。そういう場合も在るというものであろう…

更に精力的に?=運行日誌(2022.07.30-31)

「眼を開けると日付が改まっていた…」という形で「昨日」を迎えていた訳だが、今朝も同様に「眼を開けると日付が改まっていた…」という形で迎えている。

何処かで所用を足すには、些か不都合も在る土曜日であった。「遠足」に出てみるようなことをした。自身の普段の行動の中では「やや珍しい?」ということになるかもしれないが「同行者在り」である。

<大阪・京都・奈良 三都めぐりきっぷ 1日フリー>という近鉄の1日乗車券を、同行者の分も合わせて前夜に用意しておいた。それを使った。

近鉄の列車で奈良へ出た。

興福寺辺りを抜け、奈良公園を散策し、東大寺を訪ねた。大仏殿とミュージアムを見学した。同行者が初めてであるので、少しばかり御案内めいた話しもした。そして辺りの店で昼食を愉しんだ。更に、奈良から引揚げる前に興福寺国宝館も見学した。

近鉄奈良駅から京都駅に真直ぐ向かい列車に乗車したが…大和西大寺駅から桃山御陵前駅の手前辺りの記憶が無い…座っていて居眠りに陥ってしまった。

京都駅の手前、東寺駅で下車した。そして東寺を訪ねた。何度訪ねても東寺は好い感じだと思う。

そこから京都駅に着けば近鉄の1日乗車券は「任務完了」だ。そしてまた移動しようとJRの列車に乗車した。

京都駅から東福寺駅に出たかったのだが、列車の行先表示を視て同行者が笑った。「奈良へ行く列車に乗る?奈良から京都に戻った直後なのに?」という訳だ。

東福寺駅に出た後は、京阪の列車に乗って出町柳駅へ出た。「下賀茂神社で催事」と聞いたからである。

少し賑わう下賀茂神社を訪ねると、「御手洗祭」ということだった。裸足になって御神水とされる境内の水路に入り、蠟燭を献じて灯し、御神水を飲むという祭事だ。全く初めて参加したが、少し不思議な感じだった。

同行者は所用も在ったということで、辺りで見付けた停留所からバスで引揚げた。自身はもう少々辺りを歩き廻った。所謂「鴨川デルタ」の辺りにまで出てみたが、そのうちに暗くなった。

京阪の出町柳駅から祇園四条駅まで移動し、少し歩いて宿に至った。居室で汗をかいた服を脱いで、宿の部屋着に替えて程無く、何やら強い眠気で時間帯が不明な感じで眠ってしまった。そして気付けば早朝だったのである。

寺社を訪ねた際、神仏に向けて「平穏に感謝」というように参拝するが、日中に34℃というような程度であった中、元気に愉しく過ごしているというようなことになる。善いことだ…

精力的に過ぎたか?=運行日誌(2022.07.29-30)

何となく寛いで居た間に「28」から「29」へ日付が改まり、そのうちに眠気が強まって休み、深夜に眼を開けてしまう場面も交えて朝に至った。

名古屋から京都へ移動という場面になって、新幹線の列車を利用しようと名古屋駅へ悠然と向かった。そして新幹線の列車の自由席券を求めて乗車したが…「<のぞみ>はこんなに速かったか?」と変な戸惑い方をしてしまった。過去に新幹線の列車で名古屋・京都間を含む区間を通ってはいるのだが、もう少々時間を要したような気がしていた。

予定より早めに京都入りし、所用に臨んだ。所用そのものは思ったよりも順調に進んだのだが…暑かった…35℃になっていたようだ。好天で、悪くはない夏らしい雰囲気が溢れてはいたが、着ていた長袖Tシャツの“チェルニャーシカ”は「絞って水気が…?」という程度の汗でベトベトになってしまった。

無事に用事も済ませた夕刻、<キエフ>というレストランへ足を運んだ。「同行者在り」という状況だ。同行者は酷く歓んでくれた。そして御店の方、店主氏とも懇談し、愉しい夕べを過ごした。

宿へ引揚げ…何時の間にやら寝入ってしまい、そして日付が変わっていた。「29」から「30」へ日付が改まった。

こうして7月30日の深夜帯に、京都で逗留する宿の居室に在ってぼんやりしているのだが…「日中35℃」は、「寒冷地仕様」な自身にとっては「滅多に経験しない情況」ではある。

文字どおりの「移動日」…=運行日誌(2022.07.28)

巨大な名古屋駅で、御願いした宿へ至る出口を何とか見出し、随分と様々な建物が入組んだ中で無事に到着し、とりあえず居室で寛ぐに至った…

稚内で迎えた早朝。「寝坊は罷りならない」と気が張ったのか、深夜に一旦起き出し、更に短く休んだという中で早朝に至ったのだった。

空気が湿って雲がやや多い状況であった。サハリン仕入れでボーダー柄の長袖Tシャツである<チェルニャーシカ>を着て、コットンのワークパンツというような服装で玄関前に佇んで様子を伺うと、程好いように思った。南下する場合、これでは暑いかもしれないが、陽射しがキツい場合には長袖Tシャツも悪くはないかもしれない等と考えた。Tシャツ類も荷物に色々と入れた。

大阪錫器のタンブラーに<天孫降臨>という名の焼酎を注ぎ、稚内駅へ向かう迄の間、旅の安寧を願いながら寛いでいた。

やがて「青春18きっぷ」を手に早朝の稚内駅から移動開始だ。名寄に至って1時間程の待ち時間は散策に費やし、旭川に至って2時間程の待ち時間は昼食と散策に費やした。以降、滝川、岩見沢、白石、新札幌と各々乗換で新千歳空港に至れば午後5時を少し過ぎていた。運賃は8千円を少し出るらしいが…「青春18きっぷ」の「1回分」で乗り通した。

新千歳空港では夕食を愉しんでからじっと待っていて、名古屋へ出るフライトを利用した。中部国際空港に到り、名鉄の特急に乗って名古屋駅に出たという訳だ。

結局「早朝5時台から午後10時台の半ば辺り迄」を移動に費やした。明日に備え、とりあえず寛ぐこととする…

前夜に…(2022.07.27)

「随意に過ごす時間を設けて、何処かへ出て…」という程度のことは何時でも考えている。年中そういう様子でも構わないとさえ思う程だ…

同時に、最近は「5月に出た経過」の「続き…」というようなことも少し気になってはいる。

「5月に出た経過」を振り返れば、「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということの一辺倒でもなく、「事案」が在ったので、それに合わせて「時間を設けるように」ということをしたのだった。それを「特定行動」等と号したのだったが。

「5月に出た経過」では、5月7日に南下し、5月8日に「行動」を起こすという感で移動も始め、5月9日に京都に至ったのだった。

「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いて京都に至った。「入洛し周旋致す…」という程でもないのだが、幾分動き、友人が色々と活動を始めることが叶うような状況に至った様子を見届け、5月13日の夕刻に会って「健闘を期す」という話しで別れたという経過だった。

こういうことがあれば「で?その後?」ということにはなると思う。「様子を視に…」と少し経って―1ヶ月余りを経た6月後半頃から思っていた…―から考えるようになり、その機会を設けることを窺っていた。そして今般、そういう機会を設けることになったのだ。5月、6月、7月と概ね3ヶ月間弱が経った訳だ。

稚内辺りからは、何処へ如何向かうにしても「些か長い道程」となることは免れ悪い。が、その道程を経て京都へ移動する。暫し滞在し、多少の道草をしながら引揚げる訳だ。

そういうことなので「京都に逗留」というような感にもなる。京都の宿は、出発を確定した直後に予約済である。出先で「明日はここまで…宿はここに求めようか…」というようなことをする場面は少な目になることであろう。その以前に、少し明確に「京都へ出る」というようなイメージとなるのは、自身の行動様式としては少し珍しいかもしれない。

普段は「過ぎる程に静かな街…」というような場所に在る。「京都に逗留というような様子であれば、「少しばかり賑やかな街の別邸へ…」というような感になるかもしれない。更に「興味深い文物に出くわすべく精力的に動き回る」というより、「何かの用を足す合間に面白そうなモノとの出会いを試みる」、「漫然と辺りを歩いて、適当に休む」という様子になるのかもしれない。

思い起こすと「暑い時季に如何にも暑そうな地域を訪ねる」というようなことを余りしていないと思う。

2020年7月末から8月初めに出掛けた経過の中で、香川県徳島県高知県愛媛県と四国に足跡を記し、更に関西方面に立寄って引揚げたという経過が在った。「暑い時季に如何にも暑そうな地域を訪ねる」のはそれ以来になると思う。

それ以上に遡っても、「暑い時季」に該当する7月や8月というような頃には、北海道内に在ったか、何やらでサハリンに在ったかというような年ばかりだったと思う。在った場所で「多少暑い…」は勿論在ったが…2020年7月末から8月初めに出掛けた経過は、そういう意味合いで少し画期的であったかもしれない。

2020年7月末から8月初めに出掛けた経過の中では、「余り無理はしないで、早目に宿に入ってゆったりと…」という程度に考え、「水分は多目に摂ろう…」としていた。今般もそういうような感じで善いと思う。

日程の大半が京都で、往復の長い道程が待っている。酷く愉しみだ!!!