更に北上…=運行日誌(2021.11.23)

稚内に在る…短い旅だったが、戻った…

札幌の宿で迎えた朝は、自身にとっては「普通」な範疇、5時台に眼を開けて起き出した。

格別に素早いスタートが求められるのでもない。旭川駅から昼に出る列車に乗って稚内駅へと引揚げる段取りだ。間に合うように、本数が豊富な札幌・旭川間の列車に乗れば善いという話しだ。少し寛いで居られる。

前夕、大阪空港(伊丹)からのフライトで「強風の影響で新千歳空港に着陸出来ない場合…」と繰り返しアナウンスされていたが、昨夕から低気圧の影響が生じているらしい。JR北海道のウェブサイトを視れば、朝早くの時点で札幌・釧路間等で特急列車の運休が生じたようだ。他、荒天を見越した列車運転見合わせ区間も見受けられる。旭川以北に関してその種の情報は無い。

それでも昨夕はフライトが普通に運航されて無事に新千歳空港に下り、「新千歳空港駅に何となく着けば、大気の列車に乗って直ぐに出発」で想定どおりに札幌駅に至ることが叶った。更に満席のフライトながらも、事前に指定予約もしなかったのに、翼の少し後ろの窓側の席に乗ることまで出来た。色々な何かに感謝申上げたい情況だ。多分、そういうのは続くであろう。

そう思いながら、宿の朝食を摘まんだ。サラダと若干のおかずだが…少し前には「弁当方式」が専らだった宿の朝食だが、以前からの所謂「朝食バイキング」な感じも還って来ている。当然、後者を択んだ。実は意外に「宿の朝食の“朝食バイキング”」は好きだ。他方で、朝食提供前から動く場合や、食事が付かない素泊まり利用で宿泊というのも多い。今般、大阪は朝食提供前から動き始め、高野山は素泊まり、京都と札幌とは朝食を摂った。

朝9時半に札幌を出る列車に乗り、11時頃には旭川に着いた。何処からか?車中で居眠りに陥り、気付くと旭川だったのだ…

旭川で何となく本を求める等して昼食を確りと摂り、予定どおりの列車に乗車した。少しばかり身体が正直に反応しているのか、或いは「後は黙って乗っていれば稚内へ連れて行ってくれる」という安堵か、車中で直ぐに居眠りに陥ったようだ。「ようだ…」としたのは、列車が動き始めたという後、不意に気付くと幌延の辺りで、エゾシカと衝突してしまったようだと、停車して点検をしているという場面だったのだ。

そんなことで、列車が11分程度遅れたらしいが、稚内に無事に着いた。風は冷たく、気温が前日までより一段階低い感だが、積雪は見受けられない。概して天候に恵まれた感じな中での移動だったような気がする。

時にはこういうような時間の設け方、使い方も好い…

北上…=運行日誌(2021.11.22)

札幌駅の傍、何度も利用している宿で寛いでいる。やや遅めな到着で、札幌駅に着いて戸外へ出てから、近くのセイコーマートに立寄って飲物等を求め、その足で宿に入って寛いでいる。何やら「長い一日」という感だ。

五条大宮の宿で朝を迎え、宿の朝食を少々頂いた。「朝食前から…」という程の動きをするまでもない日である。天候の塩梅も観ながら、散策を愉しみ、フライトに遅れないように大阪空港(伊丹)へ向けて、大阪モノレールへの乗換駅に至れば好い訳だ。

「五条大宮」とは、東西に延びる五条通と南北に延びる大宮通とが交差する辺りである。五条通を東へ進んでみることとした。東の烏丸通に至れば地下鉄の五条駅が在る。そこから更に東進して川の畔に辺りに至れば京阪の清水五条駅だ。五条駅や清水五条駅というのは、近年の京都訪問の中でほんの少々は親しんでいる。「とりあえずの目印」には好適というものだ。

何度も立寄っている京都だが、様々な時代の文物が折り重なっている街だけに、興味深いモノは尽きない。再訪も初訪問も混ぜて、些かの面白そうな場所を見学し、大阪空港(伊丹)への道中でも道草をするという程度の想いで宿を発ったのは朝の7時45分頃だった。戸外へ出れば小雨…愛用のキャップは確り被り、上着も着込んで何となく歩き始めた。

五条通を東進し、鴨川に至って、更に進んで六波羅蜜寺に立ち寄った。空也上人―念仏を唱えると、唱えた字毎に阿弥陀仏になるという、伝説を立体化したモノ―や平清盛―教科書等にも採用されている非常に有名なモノ―や弘法大師や仏師の運慶等、素晴らしい彫像が集まった宝物館を見学した。人物の実寸またはやや小さい程度の大きさなのだが、何やら「生きている?」というような見事なモノばかりだった。

そして六道珍皇寺…あの世とこの世とを往来したという伝承が在る小野篁に所縁の寺で、見事な薬師如来、閻魔大王、小野篁の像が在る。

雨はなかなか止まない。本当に「御近所の御常連が寛ぐ場所」という「昭和の風情…」な喫茶店を見付けて、些かの休憩とした。

更に雨の中、弘法大師が善女龍王を勧請して雨乞いを成功させたという伝承が在り、嘗ては平安京の天皇の庭でもあったと伝わる神泉苑を訪ねた。地味かもしれないが、その弘法大師の伝承に興味が在ったので立ち寄り、眼前の二条城には敢えて寄らなかった。

二条城も結構だが、その後に足を運んだ三十三間堂は「何故、これまで訪ねていなかったのか?!余りに愚かだった…」と思った。実に素晴らしい!!堂内に入れば「本当に千体!!」の千手観音が並ぶ空間、千体もの仏像が醸し出すモノに圧倒された。そしてそれらを守護するような30体の像だが、これも伝承されている神霊を擬人化したという様々なモノが、「こういう顔付の人…居そうだ…こんな感じの表情も在りそうだ…」と見事なモノだった。そして「通し矢」の廊下も、硝子越しながら拝見出来た。修学旅行の生徒達という姿も多く見受けられた。

この頃には雨が強まっていた。それでも歩き続けた。三十三間堂まで至れば智積院が近い。あの境内で、紅く染まった葉が雨の雫に湿る様を眺めた。

と…ここまでで「昼食のピークを過ぎる」という時間帯になっていた。京阪電車の七条駅の方へ向かう中で「昼食?」と思ったのだが、その思ったタイミングにステーキの店が眼前に現れた。リーズナブルな料金で、良質な赤肉のステーキを頂き、日本酒も別途頼んで頂いて寛ぎ、御店の方とも言葉を交わして愉しかった。

何か…「充実!」と思いながら、京阪電車で門真市駅を目指した。存外に時間を要した。そして大阪モノレールに乗り換えた。未だ雨が降り続き、その雨も少し強めにさえなっている。敢えて道草はせずに大阪空港(伊丹)に至ったが、既に午後4時半を伺うような時間帯だった。

フライトは午後6時40分に発つ。搭乗可能になるのは6時20分頃である訳だが、手続を済ませて空港ビル内のカフェで一息入れ、保安検査を経て案内を待つことにした。「悪天候で引き返して関西空港に下りる場合も在る」という案内ではあったが…別段に問題は無かった。

フライトには問題は無かったが、自身には一寸した問題が…愛用していて、今般も使っているバッグのファスナーが傷み、閉まらなくなってしまった。飛行機の中で気付き、客室乗務員さんに乗客のゴミを集める場面で使うゴミ袋を1枚頂き、バッグを包んだ。応急措置の雨除けカバーという訳だ。妙な様相のバッグを持っていたが、新千歳空港のビルで不審者呼ばわれはせずに済んだ…

そうして雨の京都、雨の大阪空港(伊丹)と動いて雨の札幌に至った訳だ。何やら「帰国…」という風情ではあるが、同時に奇妙な感じだ。京都でも「14℃で雨」ということだったが、札幌でも「13℃で雨」と大差が無い…

とりあえず…セイコーマートでウィスキーの小瓶を求め、旅の充実と安着を祝っている…

下山…=運行日誌(2021.11.21)

東西に延びる通の名と、南北に延びる通の名とを組合わせて地点を特定するというのが京都という街の流儀だ。その流儀に則って「五条大宮」と呼ばれる辺りの宿に在る。

強引に高野山を訪ねて満喫したのだが…引揚げに際して、伊丹空港から新千歳空港に飛ぶ予定とした。直ぐに空港に向かっても善かったが…「大阪の北側か京都にでも陣取るなら、空港に入り易い筈…」と思い。高野山から京都にゆっくりと移動して、京都で少々過ごし、休んで翌日に空港を目指して飛ぶという段取りにしていたのだ。

高野山の宿坊、金剛三昧院で朝を迎えた。精力的に動き回って早めに休み、深夜に起き出し、何となく居眠りも交えながら早朝にまた起き出すという様子だった訳だ。

初めての宿坊であるが、朝6時半からの勤行に参加した。読経を聴き、焼香し、勤行が催されている位牌堂に鎮座する阿弥陀如来に御参り、その後は本尊の愛染明王に御参りである。終了後は名誉住職の御話しだ。営々と受継がれる弘法大師空海が創めた信仰、そして積上げられた様々なモノは国際的にも評価されて世界遺産ということにもなっているが、そういう中に金剛三昧院の営みも在り、一寸意外な苦労も多いという御話しが面白かった。自然豊かな山林の中に立地する訳だが、鹿が植物を食べてしまうということの他、ムササビがやって来て、障子を破ってしまう、茅葺の柔らかい素材な屋根に穴を開けるという事も在るのだそうだ。金剛三昧院には様々な来訪者が在る。明らかに仏教徒ではない、外国人が来る場合も在るが、それでも本尊へ手を合わせるさり気ない仕草に品位のようなモノが感じられることも在るという。「仏に手を合わせて一寸御挨拶」というような感じを大切にしたいというような話題だった。加えて「21日」は「弘法大師は3月21日に入定」と伝わることから、真言宗では大切にしていて、法要を催すことや縁日の催しが在るものだという話題も在った。

「高野山を満喫した…」という想いで、街から高野山駅へバスに乗り、ケーブルカーと2本の列車を乗り継いで南海なんば駅に至り、地下鉄へ梅田に出た。大阪駅へ移動し、大阪駅辺りの店で昼食を摂り、JRの新快速で京都駅に出た。そして近鉄の列車で1駅の東寺駅に向かい、東寺を訪ねた。

東寺…好天な日曜日が「縁日」…凄まじい人出…圧倒された。それでも「弘法大師」の御朱印だけは確りと、行列して頂いた。

東寺からは大宮通をゆったりと歩いて北上した。途中で西本願寺に道草し、更に島原大門の辺りに出て「随分と以前に…寄った!」と記憶の在る浴場施設が所在していることに気付いた。思わず立寄って、サウナを利用し、湯に浸かって寛いだ。

そんなことをして宿にとりあえず入った。その後、夕刻に平安神宮辺りに出て、京都駅まで移動して夕食を摂ろうとしたが、方々が「何処も彼処も…長蛇の列!?」という程度に酷く込み合っていて閉口した…何となくうどんを頂いた。そこから宿に引揚げて寛いでいるというような感じだ。

好天の日曜日…紅葉の好い時季…所謂「観光地」は何処も賑わっていた感だ。京都がそうだったが、大阪方面へ移動する際に擦違った、高野山へ向かう列車も乗客が多いように見受けられた…

それはそれとして、高野山と京都で、自身でも苦笑いが漏れる程度に随分と精力的に歩き廻っている…明日は如何いう按配になるか?

山上…=運行日誌(2021.11.20)

「宿坊」という場所に初めて滞在している。高野山だ…

この種の場所には色々と仕来りも在るらしいが、とりあえず「独りで素泊まり」というプランで、部屋の脇に手洗は備わっていて、浴場は少し大きな湯船で何人かで利用可能な洗い場が在るというモノだ。何やら「お寺の離れに一晩だけ居候させて頂く」という感もしないではない。その大きな湯船の浴場も利用―他の方達が利用していない時間帯だったようで、貸切のように利用出来た…―して、何やら「後は何時でも御休み頂いて結構です…」という感じだ。

全く「高野山の一日」ということに尽きた。

早朝5時台に動き始め、6時の列車で南海なんば駅を発った。8時頃に高野山に至った…

以降は「奥の院」、「金剛峯寺」、「壇上伽藍」、「大門」、「霊宝館」と順次巡っていた。「奥の院」の独特な空気感、金剛峯寺や壇上伽藍の美しさ、大門の大きさ、そして霊宝館で視た高野山に伝わる種々のモノの見事さ…何か「満喫!!」という様子だ。

詳しくは追って「高野山の…」と色々と綴るということになると思う。多分…今日は「問答無用!」に早めに休むべきだと感じている…とにかく早朝から暗くなるまで、距離に換算しても相当に歩いた…そして前日は深くは眠ったが、然程長くは眠っていないのだ…それでも気持ちが昂って元気ではある。

「多少寒い場合も?」と思っていた高野山だが、日中は15℃近くになっていたようだ。天候にも恵まれ、非常に好い感じの滞在となった…明日は「下山」だが…

南下…=運行日誌(2021.11.19)

大阪の宿に在る。

何度か利用して、些か馴染んでいる宿なので「還って来た」という意識も湧き起らないでもないのだが、何やら「ようやく辿り着いた…」という気分も強い。

練っていた策に従い、「稚内駅→旭川駅→札幌駅→新千歳空港駅→(空路)→関西空港→南海なんば駅→地下鉄なんば駅→地下鉄動物園前駅」という具合で動いた。

札幌までは「何時もの所用に出る場面の感じ」で特別でもない。が、それでも風雨交じりの札幌の街を些か歩いた。何ら問題も無く、フライトの2時間前には新千歳空港に在った。

「90分前から搭乗受付」ということで、それは簡単に済むと思った。が…利用した航空会社では、大きさと2個までという条件をクリアしていても、重量7㎏以内でなければ機内にモノを持ち込めないということになっているのだという。小さなリュックサックから荷物の一部を引っ張り出し、軽々と機内に持ち込むことが可能なようなリュックサックを預ける羽目になった。そして2900円の追加料金が発生した。

フライトは、機材延着で出発が30分程度遅れた感だったが、それはそれとして順調に飛んだ。到着したのは関西空港の「第2ターミナル」なる、自身では全く初めて入った場所だった。荷物を引き取るまでに数百メートルを歩いたが、そこからが驚いた。「第1ターミナル」となっているが、それこそが「自身の知っている関西空港」のことなのだ。そこへは無料送迎バスなるモノに乗るようになっている。そのバス停…時刻表が掲出されているのでもない。バスが待機している様子も視えず、何処から何時現れるのか見当も付かない。そして「多分、1台のバスには乗り切れないな…」という感の長蛇の列が見受けられる。「10分や15分なら歩く…」と歩を進めてみたが、歩く道が判らない。

「如何したものか?」と思ったが、タクシーが停まっていたので運転手氏に御訊ねした。「南海の関西空港駅へ行きたい」と問えば「3㎞弱?多分、たっぷり30分は歩きますよ…」ということだった。タクシーを御願いしてしまった…1240円だった。運転手氏と話したが、大阪の街中であれば「難波から船場」という感じで御堂筋を動く位の距離の移動だった訳だ。

結局、飛行機を下りてから南海の関西空港駅まで30分程度を要した。あのバスを待っていたなら、更に時間を要したことであろう。以降、南海の<ラピート>での移動は順調で快適だった。タクシーで乗り付けた駅では、折好く7分後位に列車が出るというタイミングだったのだ。

多少馴染んだ宿は通天閣の傍だ。辺りに着いた午後10時を伺うような頃、街は「今夜は幕…」という寸前だった。とりあえず…宿に入って、一息入れてから部屋で飲むモノ等を買い込みにコンビニへ出て、また戻って寛いでいる。何やら「長い1日」だ。移動の最中に居眠りをしたということも在るが、気分が色々な意味で昂って、何となく夜更かしになってしまいそうだ。

8度台の稚内から10度台の札幌、そして大阪は15℃程度だ…

文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「策」…?!(2021.11.12)

「一寸、出掛けることにした」と決めて、そんな思い立ちからの「企て」の「奥」に想いを巡らせていたところだった。「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡る専用の納経帳を手に「駆け抜ける?」かのように各寺を巡った中、時間が経つに連れて「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことを頻繁に思うようになっている高野山に関して「再訪が善い!」という考えに至った。

「当地から高野山を訪ねる」というと、如何いう具合になるか?

考えると…先ず「当地と交通結節点との往復」が在り、「交通結節点と高野山との往来が便利な辺りとの往復」が在り、その後に漸く「往来が便利な辺りと高野山との往復」ということになる。言わば「3つの往復」の「組合せ」で訪ねるというようなことになる。

「当地と交通結節点との往復」だが、これは稚内と札幌との往復ということになる。そして札幌で利用する新千歳空港との間を動くことになる。これは?所用で札幌方面に出掛ける要領で、列車で動き回るという話しである。

「交通結節点と高野山との往来が便利な辺りとの往復」だが、これは空路で新千歳空港と大阪(伊丹、関西、神戸の何れかの空港)とを往復すれば好いであろう。

「往来が便利な辺りと高野山との往復」ということに関しては、大阪辺りから高野山を訪ねる幾つかの経路の中、南海の「なんば駅・橋本駅・高野山駅」という列車とケーブルカーとで往復するのが手っ取り早い筈だ。「駆け抜ける?」というように高野山を日帰りした際も、大阪に滞在した中、この南海に御世話になる経路で往復したのだった。

「稚内から札幌へ列車で向かう」ということをするなら?早朝の特急列車に乗ると昼には到着する。ということは?夕刻近くには「新千歳空港から大阪(伊丹、関西、神戸の何れかの空港)へ飛ぶ」ことが可能だ。

そう考えていれば、「第1日夕刻」に関西空港へ飛ぶことが叶う航空券が入手出来た。となると?関西空港駅からなんば駅へ南海の列車で出ると好い。そして「なんば・高野山の往復+高野山でのバスの1日券」の「翌日から利用」の券をなんば駅で求めると好い。更になんば駅から然程遠くない範囲で宿を確保しておくと好い訳だ。この宿を確保した。

そして「第2日」は高野山へ向かう。「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことで「再訪が善い!」という考えに至ったのだから、宿坊にでも置いて頂いて、「第3日朝」までゆっくり過ごすと好い。その置いて頂く宿坊を確保した。

「第3日」は高野山から下りる。直ぐに引揚げることも可能であろうが、1日「余韻…」とばかりにゆっくりするのも悪くはないという程度に考えた。

「第4日」は北上することになるのだが、伊丹空港から新千歳空港へ夕方に飛ぶ航空券を入手出来た。とすると?前日は、伊丹空港へ出ることが不便ではない範囲に滞在すると好い。その宿を確保した。

因みに伊丹空港に関しては、殆ど利用した経験が無い。高校の修学旅行で札幌から関西へ飛んだ際の空港が伊丹空港であった筈だが、それ以外に利用例が思い当たらない。何度も関西方面に入っているが、空路利用では神戸空港や関西空港ばかりを利用していて、それ以外は列車を利用している。そういう「縁が薄い空港」を敢えて択んでみた側面も在る。伊丹空港へはモノレールで向かうことが出来るらしい。そういう移動も「小さな愉しみ」である。

「第4日」に伊丹空港から新千歳空港へ飛んだ後?札幌から稚内へ向かう。券を確保した便の到着は夜だ。ということで、稚内への北上は「第5日」に廻し、札幌で夜を明かす。そのための宿を確保した。

この足掛け5日間の期間が「一寸、出掛けることにした」と決めて設定した期間ということになる。その当該期間に関して?空路の往復に留まらず、4泊の各地の宿も、序に稚内・札幌間で列車本数が限られる途中の旭川と稚内との間の指定席に至るまで確保した。自身の傾向に鑑みて、こんなに「真面目に計画を組む」という旅行は、「とりあえず時間を設けたい…」と他地域へ出る場面では本当に稀だ。

「珍しい?」ということを仕出かすと「好からぬ出来事?」という気がしないでもない。が、限られた時間の中で想いを遂げようと、少し考えている間に計画が積み上がってしまっていたのだ。そして計画の実行が凄く待ち遠しい…

出発の「1週間前」で、かなり「旅の輪郭」が明確になっている?自身の傾向に鑑みて「珍しい?」という感じだ。時に「“旅”は計画を練っている時が愉しい」とも言うようであるが…如何なる?それはまた別途綴ることになるであろう。

文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「企て」の「奥」…!?(2021.11.06)

「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けられずに居た中、然程の時間は設けられずとも、可能な範囲で時間を設けて「一寸、出掛けることにした」ということであった。

「一寸、出掛けることにした」と、「明確な目的地が在って、時間が許す範囲で道草」という型でもない状況で出掛ける時間を設定した。「で?如何する?」ということになる。

専用の納経帳(=御朱印帳)を入手して「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡るということをしてみたことが在った。非常に好い想い出になっている。

真言宗を開いた空海という人物には、以前から関心は在った。古代日本の著名な文化人であるが、古代日本と言うよりも日本の文化史上で屈指の人物であるとも思う。

その空海が「生まれ育った辺り?」とされるような場所に在る香川県の善通寺に立寄った際、「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡る専用の納経帳(=御朱印帳)と出くわした。

真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。真言宗に関しては、年月を経る中で様々な派も形成されて行ったが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。しかしながら、現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこで『十八本山納経帳』も登場している。

18ヶ寺だが、香川県の善通寺を除くと、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に各寺が在り、一部に「やや不便?」も在るかもしれないが、概ね「普通に公共交通利用で巡ることが叶う」という場所で、何れも様々な歴史が滲む興味深い場所である。

「18ヶ寺を巡る」という、非常に分り易く、達成することも酷く困難でもない「目標」を持って、その「ささやかな達成」の「証」ともなる『十八本山納経帳』を手に動いてみる。そういうことをすると、導かれるのか、追い立てられるのか、何やら「走る!!」かのようにして18ヶ寺を巡った、または「駆け抜けてしまった?」というような気がしてしまう。そういう感触は、18ヶ寺を実際に巡って、時間が経つに連れて強まっている感だ。

何か「達成感」が一定程度強く在る傍らに「それでも?」という何かが込上げ、それが何か少しずつ大きくなって、何やら拭い難いような具合になっている。「悔恨」という程に深刻であるとか、重たいという程でもない。何か「名状し悪い」のだが、「酷く気になる…」ということなのだ。

「18ヶ寺を巡る」という営みの「達成感」の傍らに「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」が在る。もう少し「ここは!」という場所に関して「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にしても「善かった??」というような考えに至ってしまったのだ。

「善かった??」というような考えに至ってしまったのであれば?少しでも「より善い…」と思えるようにすれば善いであろうし、そういうようにして差支えも無いであろう。

「18ヶ寺を巡る」というような営みを“巡礼”と言うらしいが、“巡礼”は「たった一度」に終始する場合も在るかもしれないが、「繰り返す」という場合も在る筈だ。「18ヶ寺を巡る」という中で、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思った箇所が幾分在る。“巡礼”を「繰り返す」という程のことでもなく、『十八本山納経帳』を手にするのでもなく、「気楽にゆっくりと、気になる場所を再訪する」ということを思い立ったのである。それが自身にとって「より善い…」と思えて、そしてそういう想いが抑えられなくなっているのだ。

『十八本山納経帳』の18ヶ寺に関しては、何れも再訪、再々訪の価値が高いと思う。「訪ねる」と言うより「(やや慌ただしく)立ち寄った」という感の場所も在ったが、例えば「時季を変えて訪ねる」というようなことも好さそうな場所も多い。が、そうした中で殊更に「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」という感が沸き起こった場所、、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思ったのが高野山金剛峰寺であった。

「高野山」という“山”は存在しない。「そう呼ばれている場所」は、周囲を1,000m級の峰々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが拡がっている場所だ。

地名としての「高野山」とは、八葉の峰―今来峰(こんらいほう)・宝珠峰(ほうじゅほう)・鉢伏山(はちぶせやま)・弁天岳(べんてんだけ)・姑射山(こやさん)・転軸山(てんじくさん)・楊柳山(ようりゅうさん)・摩尼山(まにさん)―と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指すという。この「高野山」という名は、行政的に定められる住所の表示にも用いられて既に深く定着している。

「高野山」という呼称は「高野山金剛峰寺」という寺のフルネームの一部だ。“山号”と言うらしい。

“山号”というのは、古く中国で類似名、同名の寺を区別するために「○○山に在る○○寺」という感じで使い始めたモノらしい。その流儀が日本に伝わって「○○山○○寺」という形が寺のフルネームとして一般化した。別段に山の上や山間に所在するのでもない寺でも、フルネームとしては「○○山○○寺」という形になっている事例が多々在る。

「高野山金剛峰寺」だが、古くは「地名としての“高野山”」の一帯を漠然と呼ぶ呼称だった。「山そのものが境内」というような考え方であった訳だ。それが明治期に、本坊として機能していた場所を正式に「金剛峰寺」と称するようになって現在に至っているということである。

色々と在るが、とりあえずあの辺は「高野山」と呼ぶ他に無いような感なのでそう言うことにする。高野山金剛峰寺が開創されて1200年以上経っている。高野山という呼称は、1200年以上も使われている呼称なのだから、「深く定着」というに留まらず「原初からそういう呼称だった??」とさえ感じるような次元かもしれない。

この高野山は少し不思議な場所だ。

高野山を実際に訪ねた際、列車やケーブルカーを利用した。橋本駅から極楽橋駅までは、本当に「山岳鉄道」という感じの場所で、カーブが多い区間で、車輪を軋ませるかのような音も聞こえて「山を上がっている」というのが列車に乗車していてもよく判る。そして極楽橋駅から高野山駅はケーブルカーで、更にハッキリと「上がっている」が判る。訪ねてみた経過が在る12月には、上側の高野山駅の近くには雪も少々在って、ハッキリと「高い場所に上がった」と実感する。

そういう状況でありながら、高野山を歩き回る分には「山の上という感覚が薄い」のである。そこが不思議だ。

これも「峰々に囲まれた少し広い盆地」という状況の故に「山の下が見えない」ということの故だと見受けられる。随分と山の高い辺りに上がっている筈なのだが、「何処か(平地)の寺の堂塔も見受けられる小さな町」に入り込んだように感じるのだ。

そんな高野山の不思議な風情を少し頻繁に思い出すのだが、訪ねた時は「やや慌ただしく(?)日帰り」という形で足を運んでいた。時間が経つに連れて「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことを随分と思うようになってしまったのだ。

こういうようになってしまうと…最早、高野山を再訪して、「気になる…」を多少なりとも解消してみる他、出来そうなことも無い。

文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「一寸、出掛けることにした」という「たった一言」の「裏側」…!?(2021.10.25)

「訪ねてみたい場所は?」とか「何処を訪ねてみたいか?」とでも尋ねられると、多分回答に窮してしまうと思う。

例えば、住んでいる地域以外の場所へ出向くようなことを想定していないような状況下で「訪ねてみたい場所は?」とか「何処を訪ねてみたいか?」とでも尋ねられるなら、回答が見当たり悪いことであろう。が、自身の場合はそうではない。「逆」なのだ。

「訪ねてみたい…」とか「立ち寄りたい…」というような場所に関しては、所謂「名所旧跡」から或る程度知られた「絶景」の見える場所、興味深そうな資料が展示されている博物館系統の場所、美しい車輌が行き交っている鉄道路線や街並みの趣が好さそうな場所、何やら雰囲気が好さそうなカフェに至るまで、本当に「際限無く」存在する。ここで挙げ始めると、明後日位まで掛かっても終わらないかもしれない程だ。訪ねてみたい場所に関する「頭の中のリスト」というようなモノは、大都市圏に見受けられた分厚過ぎる電話帳や、百科事典や大型の辞典というような感じ、更に「何処かの古く大きな図書館のような場所に在るような、巨大な書架から溢れそうになっている夥しい数の本」という程度になってしまっていると思う。

自身が住む街は、様々な地域との間を結ぶ「交通結節点」とでも呼ぶべき場所から「大きく外れて…」という状況であることは否定し難い。故に「何処かへ…」ということにでもなれば、自身が住む街と「交通結節点」とでも呼ぶべき場所との往復が在って、その往路と復路との間に「交通結節点」とでも呼ぶべき場所を「半ば出発点」とするような「もう一つの往復」が生じるかのような感となる。そういう訳で、何時の間にか「何処かへ出る」という場合に「実質的に一気に2往復している…」という感覚を何処かに抱くようになってしまっているかもしれない。

「実質的に一気に2往復している…」という状況の故に、「何処かへ出る」という時間が設けられそうな場合には「量的に目一杯!」を画策する。そして時間を設けてみると、何やら「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想になる。

「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想で動くのは「交通結節点」に至った以降ということになる。「交通結節点」を「実質的な起点」にして、そこと他地域とを往復する大枠を考え、それの前後に自身が住む街との往復を加味するという調子なのだ。

2021年を振り返ると、「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けられずに居たように思う。

所用で札幌へ出なければならない機会が何度か在り、その所用の前後の「隙間」、または「敢えて設けた“ゆとり”」という中で、旭川美瑛小樽に立寄るというようなことは在った。そういうような中でも「訪ねてみたい…」、「立寄りたい…」が思い浮かぶので、思いに抗わずに動いているに過ぎないのだが。

また2021年に関しては利尻島礼文島へ上陸という機会を設けることが叶った。これは「やや特別?」という感もする。利尻島については、思い立っての一度目の後、何となく二度目まで在ったのだから。

こういうような感じで「振り返る2021年」が「残り少ない?」という時期に至ってみると、「何処となく感じる物足りなさ…」というようなモノが溢れるような気がしてしまう。そこで「量的に目一杯!」な「何処かへ出る」という時間を設けてみようと画策する。

「画策する」と言って、然程大袈裟なことでもない。「この時季なら?この程度の時間を設けられる?」と一寸考えて、当該時期が或る程度近付いた時点で、時間を設けることを確定してみるだけのことだ。

「確定してみた」という時点以降は更に簡単だ。既述のように「実質的に一気に2往復している…」という状況である。住んでいる街と「交通結節点」との往復の段取り、「交通結節点」と「訪ねたい地域等の交通結節点」との往復の段取りを考えるだけのことだ。

この「“2往復”の出入口」を思い描いて決めた後には、「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想で方々を巡ることに思い巡らすということになる。

「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」と言っても、巡るためには物理的移動手段と要する時間は必要だ。そういう移動手段等を調べるというのも、実に愉しい過程というものである。それは非常に好いのだが、色々と考える中で「移動だけ…」というような感じ、「只管に列車に乗って走り続けている」というような感じでは、自身の興味関心は満たされない面も在る。故に「○○へ着いて、△△を訪ね…」というようなことも思い描く。

そんなことを思い描き、何度も色々と考えている中で少し考えに詰まってしまう。「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」な時間を設けるにしても、自ずと「限り…」というモノは在る。そういうことで「あちら…こちら…そちら…」と思い描いている中で「物理的にそららの全てを一度に訪ねて巡ってみるというのも??」という所に考えが至らざるを得なくなる。

自身はスポーツ観戦も好むのだが、例えばバスケットボールの試合を観るようなことを好む。「1点でも多く!」と制限時間一杯に加点することを競うというのがバスケットボールだ。加点を競い続け、制限時間が終わった時点で同点であれば?試合の運営の関係で規定の例が幾つか在るようだが、大概は「延長戦」を行う。不意にこういう例を思い出した。自身もその「延長戦」を導入すれば善い筈だ。

「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」な時間を設けたとして、「あちら…こちら…そちら…」と思い描いている中で「物理的にそららの全てを一度に訪ねて巡ってみるというのも??」という所に考えが至ってしまったのであれば?「延長戦」を設定すれば、或る程度はその「問題?」を解決し得る筈だ。

現在時点で「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けようと画策中ではある。これはこれとして、全く別に、「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程ではなくても構わないので、「何処かへ出る」ということも出来る時間を、「延長戦」的なモノを設定する訳だ。

「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程でもない「延長戦」的なモノとでも称するべき時間?「限られた時間」という感が強まらざるを得ない。とすれば?「的」を或る程度確り定めて、そこに向かって行って、そこから折り返す段取りを事前に相当程度定めておかなければならないであろう。

今般「延長戦」的なモノを設けようと思い立ったのは、或る程度強めな「想い」というようなモノ、「あそこへ寄りたい!!」、「ここを訪ねたい!!」という感じの強い場所が色々と頭の中に浮かんで、それが「整理困難?」だと思ったからだ。「整理困難?」ということであれば、「一部を“延長戦”に送り込む」というようにすれば善い筈だ。

「何処かへ出る」ということに関しては「こういう具合に出掛けて…こうして…ああして…」と計画を練るようなことが、「実際に出る」のと同じ程度に愉しい場合も在るのかもしれない。実は今、そういう状態で色々と考えている。内容?何れ整頓して綴ることとする。

申し上げたいことは「一寸、出掛けることにした」という「たった一言」だ。少しだけ“間”は在るのだが、「限られた時間」という感で一寸出るので、色々と考えて「想い」というようなモノを遂げることが叶えば非常に好いと思う。

「急遽の上陸」という顛末…(2021.08.01)

「酷く暑かった2021年7月」と記憶することになるであろうか?文字どおりの末日まで、何やら温い空気で、日中は25℃を超えるに留まらず、30℃を伺い、時には「何十年振り?」とか「観測史上最高…」という31℃、32℃という気温も見受けられた。

その7月が終わって8月に改まった最初の日…気温は20℃程度で、少しクールな風が吹き抜ける感じになった。そういう日の顛末…「記憶に留めたい」ということになった。

遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなった。

ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。友人は、偶々御住いの御近所に在る見覚えの在る店を営む会社が出している珈琲豆を使っているという話しを面白がり、「店舗限定販売…」と称する珈琲豆を土産に持参してくれた。酷く有難い…到着時に連絡を頂いたので御会いし、夕刻は際限なく拡がって尽き悪い四方山話の一時を愉しく過ごすことも叶った。

そういう中であったが…「利尻島へ一寸行ってみないか?」と不意に御誘いを頂いた。偶々、7月10日に訪ねた経過が在ったが、稚内に在って「酷く遠いでもない他方、なかなか行かない??」という感の利尻島について、機会が生じる際には頻繁に生じるものである。

聴けば…稚内を目指して車で日本海側を北上中、「北海道としては妙に暑くないか??」という好天な中、何箇所もの場所で「海に浮かぶ画のような山」の眺望を愉しんだそうだ。友人は同行者と2人で移動していたのだが、同行者が「稚内に着いて…そこから船に乗ると、あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」と思い付いて言っていたのだという。

友人達にしてみれば、利尻島へ渡ることを試みるのは「不意な予定変更」ということにはなる。稚内に至り、泊まった翌日は稚内から車で南下し、旭川に宿を求めているのだという。午前中から稚内を発って、ゆっくりと南下という計画だが、「朝に利尻島へ。利尻島で少し過ごし、昼のフェリーで稚内へ。稚内からは午後2時頃以降に他所へ移動…」ということにしてしまうのであれば、それは「可能と見受けられる」という案でもある。旭川の宿に入って「無事に着いた!」と、美味いモノを頂くことに差支え無い次元の時間帯に辿り着けることであろう…

北海道内で使っている車輛を利尻島へ航送するのであれば「少し高価に過ぎてしまう?」という感でもあり、急に対応し悪いということも在ろうが、利尻島内でレンタカーを利用することは「空き」さえ在れば可能だ。利尻島の鴛泊のレンタカー店に電話で問い合わせると「空き」は在ったようだ。そしてフェリーに乗船するだけならターミナルで乗船券を求めるというだけの話しである。「利尻島へ一寸行ってみないか?」との御誘いを容れ、同行させて頂くことに決した。「明日の朝…午前6時半頃にターミナル集合…利尻島に渡り、昼の船で稚内に引揚げる…」という相談になった。

その「明日の朝…」と約した朝に至った…

事前に予定していたという程でも無かったが、朝から少し出るとなって、何となく早目には起き出した。特段に何かが在るでもなくとも、早目に起きる場合は多いが…朝に関しては「涼む…」という意識は起こり悪い感だった。20℃程度で、風は普通に吹き抜けている。そして曇天だった…

予定どおり友人達とフェリーターミナルで落ち合い、利尻島の鴛泊港と稚内港との間を往復する乗船券を求めた。そして<サイプリア宗谷>に乗船である…

<サイプリア宗谷>の航海は「適度に船らしい…」というような按配、些かの風浪をものともせずに「新鋭船のスタビライザーの威力?」という感じで悪くない乗心地ではあった。が…雲が厚く、洋上の巨大な利尻富士は殆ど姿が視えなかった…

後刻、友人が吐露していて、自身でも思わないでもなかったが「これは?利尻島に上陸し、些かの土産を求めて、適当に珈琲でも啜って、場合によって何かを頂いて…“終了”か??」というような、如何にも雲が多い感じであった。しかし!鴛泊港に着いた頃「或いは“西”の天が明るい感じなので、“西”の利尻町側に向かうと景色は好いかもしれない?!」という様子だった。

そうして…利尻町側に至れば、利尻富士を覆った雲が海を渡る風に流され、利尻富士がその姿を我々一行の前に現したのだった。

本当に、「あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」という友人達の“想い”が天に通じたというような気がする。結局、利尻町側入っていた間に利尻富士の姿を眺めることが叶ったのだが、復路の船上からも利尻富士の姿が視え悪かったということを想うと、本当に「絶妙なタイミングで眺めることが叶った!」ということになる。

事実として「私の側が友人たちに誘われて同行」ということにはなるが、私の側でも活き活きと、嬉々として景色を愉しんでいたので、逆に「写真を撮りに出るために、私の側が友人に協力要請を…」というようにさえ見受けられたかもしれない。

「急遽の上陸」ということで、偶々「短い間隔…」となった利尻島であるが、忘れ難い出来事となった。

因みに、利尻島から引揚げてから分かれた友人達は、計画の移動コースに戻って直ぐに移動し、順調に動き続けているようである。

トレッキング(?!)の顛末…(2021.07.22)

直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所が在ったとして、そういう場所に関しては「存外に行かない…」という事が在るのかもしれない。

稚内で「直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所で、存外に行かないかもしれない…」を挙げるとすれば、利尻島や礼文島が挙げられるであろうか?

例えば、数年間稚内に在勤する等した方が、他地域へ転出してしまって少し経った後に稚内へ現れるという話しが在る。それは、在勤時に訪ねる機会を設け損なった利尻島や礼文島に関して、そのままにしておくと更に年月を経て「何故行かなかったのか!?」と悔恨を残すとでも考えて、休暇に一寸旅をしている訳である。

自身の場合、他地域へ転出するような状況は余り無い。それはそれとして、利尻島や礼文島と縁が濃いというのでもない。去る7月10日に友人と誘い合って利尻島を訪ねた経過が在った。天候も好く「吉日!!」と張り切って出掛けて愉しかった。その利尻島は何度か訪ねている。が…利尻島の少し北の礼文島に関しては?2008年に「そう言えば、少々長く稚内に在りながら、両島に足を踏み入れていない?」というように思い付き、利尻島へ渡航の後に鴛泊・香深という両島間の航路で礼文島に少しの間だけ上陸し、直ぐに稚内へ引揚げたという事例が在ったのだが、それ以外に「礼文島上陸」の事例が全く思い当たらない…

去る7月10日の利尻島の経過を頻繁に思い出す昨今だった訳だが、そういう中で「そう言えば礼文…」と何となく想い起してしまっていた。実は利尻島に在って、「視えていた陸地が礼文島…」という場面も在って、何か意識の隅に礼文島が在ったのだ…

そうしていれば、何やら“連休”というような話しになっていた。自身、特段に予定らしい予定は立てていなかった。

“連休”の初日、とりあえず早目に起き出し、戸外の様子を眺めに出てみた。「霧交じりの曇天」というように見受けられた…が…「早朝がこういう様子でも、少し経てば天候が好転という例も少なくない」とも考えた。

そういう訳で、午前6時半の船で礼文島に渡れば午前8時半に着き、午後2時台に礼文島を出て午後4時台に稚内へ引揚げるということを「してみるのも悪くない?」という想いが早朝から溢れ出した…

結局、礼文島へ渡り、<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるコースでのトレッキングに挑み、<礼文島温泉 うすゆきの湯>で汗を流して稚内へ引揚げるということをやった…

何時の間にかかなり長く稚内に在るのだが…「礼文島へ渡って、礼文島の独特な雰囲気を愉しんだ」というのは、今般が「初めて…」ということになった。

結局、曇天と晴天とが適当に入れ替わるような感じの天候で終始し、25℃を伺うような少し蒸すような気温の一日になった。「7.1km 3時間40分」と称するコースを3時間弱で踏破し、前後にも少々歩き、加えて「礼文島の路線バス」というマイナーかもしれない乗物も利用した。

礼文島に関しては、「利尻島(=利尻富士)の眺望」というのが面白い訳だが、往復のフェリー船上でそれを眺める機会は在った他方、礼文島の中では利尻島の様子は視えなかった…

<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるトレッキングコース…これは細い歩道が設定され、歩道の足元が整えられる、または脇に歩行して構わないことになっている箇所を囲うように柵やロープが据えられている場所を歩く。小路で狭いので、他所の人と擦違う場合には「すみません…」、「どうぞ…」、「ありがとう…」と適当に譲り合うことになる。

礼文島は標高が酷く高い山でもない。適当な標高の丘陵なのだが、それでも何やら低めに雲、または深い霧という場面も在って、何となく「雲の中を歩む」というような不思議な気分も沸き起こった…

この礼文島の一件…とりあえず<X100F>、加えてXF35mmf2を装着の<X-Pro2>で写真も多々撮った…後から写真でこの礼文島の顛末を振り返りたい…

「上陸作戦(?!)」の顛末…(2021.07.10)

漸く「ジーンズ穿きで半袖Tシャツ」というような服装に、気分で好みのキャップでも被った程度の様子で日中の戸外を動き回ることに抵抗感が無くなった感の当地である。そういう中で日曜日を過ごしながら、土曜日の顛末を綴ろうとしている…

色々と愉しい事、愉快な感じが在って、何か「佳かった」とか「好い」と語りたい内容で頭の中が溢れてしまうというような場合も時には在るかもしれない。単純に「休日だった土曜日の顛末」ということに過ぎないのだが、「溢れるような記憶」を少し整理したいような気分なのだ…

「時にはカメラを提げて好い風景を眺めに出て、一寸変わったランチを愉しんで、温泉にでも浸かる休日は如何でしょう?」と誘って下さる友人が在る。「Хорошая идея!!」(Good idea!!)ということになって、何度かそういうことをした。

何度かそんなことをする中、日本海側を動き回って「沖に浮かぶ利尻富士…」というモノの様子を愛でた、または愛でようと動き回ったことが在った。そんな時に…「あの利尻富士…島全体が山と言っても過言でもないような利尻島そのものだが…そのうち…“探検隊”でも編成して上陸するか?」ということが話題になった。これもまた「Хорошая идея!!」(Good idea!!)ということにはなった…

6月末の或る日、件の友人と会って話す機会が在った。「そう言えば“探検隊”と言っていた話しな…」ということが話題になった。「“そのうち”と言っていても?何時までも“そのうち”は訪れない…とりあえず、余程天候が悪くない限り実行するということにした方が善くないか?」という話しになった。そして「少雨決行!“上陸作戦”は7月10日に発動である!!」という話しになった。

こういう話しになると、その「7月10日」が愉しみで、そして天候按配が気になって毎日のように気象情報に眼を通す。稚内やその周辺は、7月に入ってから、何か「雲が多目で雨交じり」とか「1日の中で変わり易過ぎるような天候」というのが続いていた。「少雨決行!“上陸作戦”は7月10日に発動である!!」と、半ばは「呑んだ席の“お笑いネタ”」という気分も交えて話していたが、酷く天候が気になった。前々日辺りに「予報は晴れ?利尻島も稚内も、特段に何かの注意喚起が為されているのでもない…」ということになって、「進め!!一歩も下がるな!!」と昔の戦争を背景にした映画にも出て来る“ソ連軍の隊長”が叫んでいそうな台詞が出て来た訳だ…

そして7月10日、休日である土曜日の朝だ…

昨年の12月、津島の観音寺という寺に立寄って<令和三年 智山御寶暦>というモノを頂いた。副住職と言葉を交わして愉しかったのだが、去り際に「時季なので御配りしている」と暦を下さったのだった。手元に置いて、時々眺める。

7月10日?“九星”は「五黄」で、“廿七宿”は「鬼(き)」で“十二直”は「建(たつ)」だ。

「五黄」は「吉運。凶を転じて福となす大楽運。進んで業を起し活動すべし」だそうだ。「鬼(き)」は「大吉日にて祝い事よろずよろし」だそうだ。「建(たつ)」は「神仏を祭り婚姻開店柱棟上げ旅行金銭を収納し新衣の着初め等吉」だそうだ。

要は?「本日、7月10日は吉日」なのだ!

その「吉日」という状況を反映し、早朝から「こういうのも久し振りだ!!」という程度に明るい天が視られた。

朝6時台に稚内港のフェリーターミナルへ向かい、7時頃のフェリーで鴛泊港=利尻島へ渡り、午後5時台に鴛泊港を出るフェリーで戻り、午後7時台に稚内港…というのが“上陸作戦”の基本的な構想である。これ以外…友人が移動手段に用いるレンタカーを予約したという程度で、本当に細々したことは何も決めていなかった。「時にはカメラを提げて好い風景を眺めに出て、一寸変わったランチを愉しんで、温泉にでも浸かる休日は如何でしょう?」という程度のことを、「フェリーで渡った利尻島で実践」という次第なのだ…

往路のフェリー…<ボレアース宗谷>だ。話しが先走るが、復路も同じ船だった…船名に関して「『ガンダム』に出て来る宇宙艦とか、何やら物々しい秘密兵器にでも在りそうな名ではないか?」と笑い話にしてしまっていたが…

航海は(往路も復路も)穏やかな海象の中での航海で、「多分、何処かのバスや電車の方が余程揺れる…」という程度、滑らかな海面を静かに進み、天を流れる雲と光が醸し出す景色が素晴らしかった…

利尻島では、東寄りにやや雲が多い場合が目立ったが、西寄りは雲が少な目で、立寄る先々で美しい光景が眺められた。「佳かった」とか「好い」と語りたい内容で頭の中が溢れてしまうというような場合が生じたと思う。

一応…鴛泊のフェリーターミナル上陸後の経路を…

鴛泊港フェリーターミナル→姫沼→西側の利尻町の域に入って沿道で景色を眺める→見返台で山の途中まで上がった→北見富士神社→沓形のラーメン店で昼食→仙法志御崎公園→オタトマリ沼→<白い恋人の丘>→鬼脇→<ラナルド・マクドナルドの碑>→姫沼→西側の利尻町の域に入って沿道で景色を眺める→鴛泊港に引揚げた後に<利尻富士温泉>を訪ねた→鴛泊港フェリーターミナル辺りのカフェで寛ぐ等→鴛泊港フェリーターミナル

という状態…事前に何となく思った以上に「盛り上がった!!」という感…本当に「漫然と辺りを動き回って景色を愛で、ランチを摂って、温泉に入ってということに丸々一日を費やす」という「贅沢な休日!!」であった。

利尻島上陸の経過の中、「私のカメラの1号機と2号機」と勝手に呼んでいる<X100F>と<X-Pro2>を持参した。<X-Pro2>については<XF35mmF2>を装着した状態で、交換レンズも持っていたが、結果的に交換しなかった。“35mm画角”と“52mm画角”で随分と写真を撮った。順次整理し、こちらのブログでも「盛り上がった!!」という感の、今般の撮影写真を使用した記事を綴って行きたい。

非常に好い状態であったので、本当に「吉日!!」と実感した…時にはこういうのも非常に好い!

「飛ばなかった…」旅からの帰着後雑感…:運行日誌(2020.12.17-27)追記

月の下旬に少し時間を設けて動いてみれば、直ぐに月末に至ってしまう。動いたのが12月となれば、月末は即ち年末でもある。

年末、自身にとっては「札幌で“居候”…」ということが恒例化している。月の下旬の動きから、そのまま「札幌で“居候”…」という状況にスライドした。

時間を設けて動いたのは非日常だ。恒例化している“居候”は、半ば日常ながらも、一部は非日常だ。

「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」というのは、かの松尾芭蕉の『奥の細道』に在る一節だったと思うが、「漂泊の思い止まず」ということで、時間を設けてフラフラと出てしまい、何となく戻った。

今般、余りにも「訪ねてみたいあそこ」という場が多く、何をどうしたものか、なかなか収拾が困難だった。「困難…」とは言っても、「勝手に迷っている」に過ぎず、どうということもないのだが…

とは言え、実際に「航空券を申込む!」、「止めた…」を何度かやって、「とりあえず<青春18きっぷ>=普通列車で、可能な範囲で随意に動くことが出来る」ということにして、改めて考えた。結果、「苫小牧に至ってフェリーで仙台にとりあえず上陸」ということにしたのだった。

今般、少なくとも<真言宗十八本山>の件は頭に在った。既に「十八本山」の18ヶ寺を巡った件については綴ったが、夏に思い付いて着手した「18ヶ寺巡り」の「残り」を何とかしたかった。

この「18ヶ寺巡り」の「残り」をどうかしようとすれば…A 交通至便な大阪の何処かに陣取り、根来寺、信貴山、高野山を巡る、B 京都または京都へ出易い辺りにに陣取り、京都の未踏4寺を巡る、C AとBとの移動に際して、阪急沿線の宝塚市内の2寺を巡るということをすれば、順番はどうでも構わないが、「18ヶ寺巡り」の「残り」を訪ねるということは可能であると見受けられた。

他方で「仙台に上陸」となれば、そこから訪ねたい、寄りたいは無制限に多々在るということで、益々収拾困難に陥る。フェリーの船内で寛ぎながら、随分と考えたのだ。

その結果、仙台上陸後に比較的速やかに大阪へ移動し、上述の「18ヶ寺巡り」の「残り」に向けた案を実施し「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就を目指すこととした。

それ以降は?気紛れに、前夜やその日の思い付きのように動き回った。北海道へ引揚げる段取りに関しては、何時かも利用した新幹線の列車と北海道内の特急列車の乗継で札幌に到るということにして、それに備えて東京駅至近で前夜を明かすということは、少し早く決めた。

となると…関西から東京は何処をどのように通っても構わなかった。北陸や信越を経るということも思い付いた。紀伊半島を広く巡るようなことも思い付いた。四国や九州に向かって、そこから東京へ飛ぶことも考えた。が…何れでもなく、関西滞在を少しだけ伸ばし、名古屋を経て東京へという、やや無難な経路になった…

結果として…今般は「飛ばなかった…」という旅だ。空路を利用する機会を設けず、列車や船での移動を重ねていたことになる…

今般…「18ヶ寺巡り」の「残り」―根来寺、朝護孫子寺、金剛峯寺(高野山)、清荒神清澄寺、中山寺、大覚寺、醍醐寺、随心院、教王護国寺(東寺)―の9寺の他、建仁寺、法隆寺、興福寺、東大寺、葛井寺、観音寺(津島)、大須観音を訪れた。神社に関しては、鹽竈神社、松尾大社、辛国神社、津島神社、若宮八幡社、富岡八幡宮、穴八幡宮、神田明神を訪れた。また、大阪で大浪橋、岩松橋、千歳橋を、東京で永代橋、中央大橋を写真に収める機会が各々に在ったが、橋梁を眺めるというようなことも重ねたという記憶が残る…

こういうこと―合わせて16寺、8社に立寄った…更に社寺の辺りを漫然と通り過ぎてしまっているというのも在ると思う…―をやっていると、或る種の“巡礼”という様相を呈しているかもしれないが、そういう意識は薄い…社寺に関しては「歴史や文化や地域活動を象徴するような場」として、関心を覚えるので訪ねているに過ぎない。或いは「景色が好いので眺めに…」ということも在る。加えて社寺では「自身がここに在る」ことに関して、「各訪問先へ無事に着いたこと」について感謝の意を表しようと社寺で参拝し、可能であれば御朱印を頂く場合も在るということだ…

何処かを訪ねてみる場合、訪ねる先が何か特別である必然性は無いと、今般改めて思った。訪ねる先々の「普通…」な感じの中に何となく御邪魔するだけで十分だ…最近の関心は、何となく社寺に傾いていて、社寺を訪ねるようなことをしながら方々の街を随意に動いたというような感だった…

こうした営為から何を見出したのか?見聞等に関しては、追って少しずつ―一部は先行して素早く綴って出してしまっているが…―整理したい。マダマダ十二分に記憶が新しい間に、簡単な纏めをしようと、この記事を綴っている訳だ。

巷で「GoTo」なるものが如何したこうしたと話題になってはいるようだが…自身としては「Go to XX」と誰かに命令形で言われるまでもなく、何時でも「漂泊の思ひやまず」というもので、時間が設けられれば何処へでも可能なように出掛けるだけのことだ…そして今般は出掛けた。

戻ってみて、早速に「“次”に機会が在れば?」と何となく思っている側面も否定し悪い…

或いは「今年の些か特殊な事情?」ということも在るかもしれないが、「達成感のようなモノと縁が薄かった?」という中、「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就は「少し大きな達成感!」というように思っている一面が在る…

『十八本山納経帳』:真言宗十八本山―18ヶ寺を巡った…(起 2020.07.31 至 2020.12.22)

↓手元にこういうモノが在る…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (1)

↓出し入れを繰り返してやや傷んだが、カバーになっていて、外すと中身が現れる…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (2)

↓「納経帳」とは、所謂「御朱印帳」である。仏事ではその起こりに因んで、帳面のことを「納経帳」と呼ぶ方を好む場合も在るのかもしれない…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (3)

↓中身は蛇腹のように用紙が綴られている。この『十八本山納経帳』は18ヶ寺の説明が在って、御朱印を頂くべき頁が決まっている。各寺を訪ねて、各々の頁に押印して頂き、決まっている文句を書き込んで頂くのだ…言わば「巡礼の証または記録」となる代物である…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (4)

夏に四国へ渡ってみた際に善通寺を訪ねた…弘法大師こと空海が生まれ育った家が在ったとされる辺りに開かれた寺であると伝えられる古刹だ…

やや旧い映画を観て、関連書を読み、弘法大師こと空海という、日本古代史で最大級の、更に日本史上でも屈指の文化人に何処か惹かれるものの在った中で善通寺を訪ねた。奈良時代というような遠い昔、後に非常に高名な僧侶になる幼児が走り回っていたかもしれない辺りの、時を経て巨大になっているな楠を視て、弘法大師こと空海を非常に身近に感じた…

そうしていると、その「弘法大師」の名を墨書した御朱印を授与しているということが判ったが、その際に<真言宗十八本山>という「18ヶ寺を巡る」という営みが在り、『十八本山納経帳』という専用の御朱印帳も在ると知った。

何か「非常に好い出会い」というような気もして、そして勝手に身近に感じた弘法大師こと空海の名を記した御朱印を手にしたく、『十八本山納経帳』を入手して18ヶ寺を巡ってみることにしたのだ…

「難解?」とされる真言宗である…その要諦を空海御本人が纏めたとされる『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)を現代語訳したモノが在ると知り、ゆっくりと読んでみた…

要は?「とりあえず生きている」というだけに過ぎない人間は、様々な事柄に触れて高みを目指して行く存在である。儒教や仏教の諸宗で様々な事柄を説いているが、それらを学んで実践するのは、各々が「通り過ぎるべき段階」である。正しい導師の助力を得ながら、より一層の崇高な高みを目指すのが真言宗であるという主張であると読み取った…

自身なりに思ったのは?昨日より今日…今日より明日と、少しなりとも「より心豊かに…」というようなことを考えてみるということが、人を豊かにしてくれる筈…ということのように考えた。完全に勝手な我流だが…

そういう中、18ヶ寺を巡ってみる思惑を胸に、時間を設けて動いてみるのは好い感じだった…

「十八本山」ということだが、これは一体何なのか?

端的に言えば、真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。

真言宗では師から弟子へ色々なことが伝えられるようになっていて、また教団運営上の色々な事柄も在り、年月を経る中で様々な派も形成されて行った。それでも一定の一体性は保たれたが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。

現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこでこの『十八本山納経帳』というモノも登場した訳だ…

1番から18番と、18ヶ寺には番号が付されているが、それに拘泥する必要も無い。自身でも「可能なように…出来る範囲で…」と動いた。

以下に18ヶ寺を巡って頂いた御朱印を御紹介したい。

↓重複するが、1番は善通寺だ。(2020.07.31訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (1)

この善通寺の後、四国から関西に移動し、早速に18ヶ寺巡りに着手した…

↓2番は須磨寺だ。(2020.08.04訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (18)

↓3番は清荒神清澄寺だ。(2020.12.21訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (17)

↓4番は中山寺だ。(2020.12.21訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (16)

↓5番は大覚寺だ。(2020.12.21訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (15)

↓6番は仁和寺だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (14)

↓7番は智積院だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (13)

↓8番は泉涌寺だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (12)

↓9番は東寺だ。(2020.12.22訪問)(※自身ではここを最後の18ヶ寺目とした…)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (11)

↓10番は勧修寺だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (10)

↓11番は随心院だ。(2020.12.22訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (9)

↓12番は醍醐寺だ。(2020.12.22訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (8)

↓13番は生駒山の宝山寺だ。(2020.08.05訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (7)

↓14番は信貴山の朝護孫子寺だ。(2020.12.19訪問)
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↓15番は西大寺だ。(2020.08.05訪問)
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↓16番は長谷寺だ。(2020.08.05訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (4)

↓17番は根来寺だ。(2020.12.19訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (3)

↓18番は高野山の金剛峯寺だ。(2020.12.20訪問)
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以上の18ヶ寺が「十八本山」だ。各々が「或る種の美術作品?」と見えなくもない墨書と印が収まった『十八本山納経帳』は「宝物!!」になった…

『十八本山納経帳』を視ると、各々の頁の御朱印を頂くべく各寺を訪ねた時の様々なことも想い起される。振り返ると、少し勇み足(?)で「18ヶ寺を巡るのだ!!」と「走って…」しまったような傾向も帯びていたかもしれない。それはそれで善ということにしておきたい。何もこの18ヶ寺訪問が「御終い…」ではないのだから…

訪ねてみた18ヶ寺は、深い由緒が在る場所が多く、文化史の上で重要な位置を占めている場所ばかりであると思う。18ヶ寺との出会いは「日本の歴史との邂逅」という性質を帯びていると言ってしまっても過言ではないかもしれない…

半ば思い付きで四国に渡り、善通寺を訪ねてみた時が契機となって「18ヶ寺を巡るのだ!!」とし始めて、年内に完遂することが叶って善かったと思う。こんなに“達成感”が在るとは、事前には思わなかった…

そしてこの“達成感”の記憶を一定の形に整理しておきたいと、態々時間を設けてこの記事も綴ってみた訳だ…

※ この記事は、旅に出た経過等を日誌か何かのように纏めた記事を収める<память>(パーミャチ=記憶)のカテゴリに収めたい。『十八本山納経帳』の中身の写真そのものは、18箇所目となった東寺を訪ねた後、京都祇園に求めた宿の部屋で撮っているが、18ヶ寺は香川県、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に所在するので、「撮影した場所の都道府県」を基礎に分ける、このブログのカテゴリ整理では収まらない…序でながら、18ヶ寺の名称に嵌めたリンクで、各寺を訪ねた際のことを綴った記事を御覧頂ける。更に序でながら、12月に訪ねた各寺に関しては、未だ色々と綴るべき事項が多く在るので、関係記事が後から更に掲載という予定も在ることを申し添える…

北へ至る…:運行日誌(2020.12.27)

「午前5時前」という早過ぎる時間帯に、朝食という意図でコンビニのサンドイッチを頂き、「午後3時前」という時間帯に空腹を満たすべくハンバーグを頂き、「午後6時前」という時間帯に「後は“何時でも御休み頂いて…”にするのだ!」と「早過ぎる夕食」にカレーライスを頂いた…そんなことで寛いでいるのだが…

とうとう北海道に引揚げてしまった…夜遅くなってしまっているというのでもないが、何か「長い1日を過ごした…」という気分に満ちてしまっている…

早朝6時半に出る列車に乗る?駅から徒歩圏内の場所で夜を明かすのが好い…東京駅の傍に、時々利用するチェーンホテルを見付けて、自身で思う「妥当な価格帯」で滞在出来るということだったので、滞在することにしたが、気持ち好く休むことが叶った。早朝の列車に乗る関係上「寝過ぎ…」は拙いので、自動音声の“モーニングコール”を頼んであったが、それが無用な程度に早くスッキリと起き出した…

結局、新幹線の列車で東京・新函館北斗間を移動し、新函館北斗で北海道内の特急列車に乗換え、札幌に到った訳である。その移動に始まって、その移動に尽きた1日だった…

札幌では“居候”の生活を数日間予定している…それは…明日からなので、とりあえず札幌駅に近い馴染んだ宿を押さえてゆったりとすることにした…本当に「何時でも御休み頂いて差し支えありません」でゆったりとしている…

12月17日から12月27日の期間、「設けた時間を随意に過ごす」ということをすることが叶った…最近はこの種の時間が酷く愛おしい…

「安着祝い」と称し、些かウイスキーも頂いた…本当に「後は御随意にお休み下さい…」である。追って、今般の旅に関しては色々と振り返りたい…

侵入?:運行日誌(2020.12.26)

実質的に…不慣れな地域を巡るような今般の動きは今日が最後というような感じになる。飽くまでも(!!)「今般は」ということで、「時間を設けて気儘に…」というようなことは、自身の基準で「余程のこと?」でもない限り、止めない、止められないだ。止める意図など、全く無い(!!)のである…必ず「またやる!」と思う…

今日は「明早朝からの予定」に鑑みて、「夕刻から早朝に待機」という「確定した予定」が在って、早朝からその“予定”までの間は、「随意に過ごして埋めると好い」という感だった…

或いは?「南下」を開始して以来の何日間かで、最も長い時間、最も深く眠った後に迎えた早朝だったかもしれない…

「早朝」と言っても、例によって「深夜と朝との境界」というような、この時季には「日出時刻にマダマダ間が在る…」という時間帯ではあったが…「サウナで身体が解れた」ということの「効果」なのであろう…

そんなことを思っていれば、何やら妙な音が聞こえ始めた。「寝過ぎないように…」と居室のベッドの辺りに在ったアラームを前夕にセットしてあったことを半ば失念していた。結果論として、長く深く眠ってスッキリ起き出したので、とりあえずアラームは無用だったということになる…

6時半頃、名古屋は未だ少し暗かったが、滞在した宿の駅の目前に出入口が在る地下鉄は既に動いているような時間帯だ…

名古屋の地下鉄の「1日乗車券」は素敵だ。「24時間有効」なのである。前日の13時頃に求めたが、「12月26日13:00まで有効」というような印字がされた券が自動券売機で求められる。それを前日の昼から夕刻に使ったが、明けた朝に名古屋駅を目指す場面でもそのまま使用出来た…(後から東京にもこういうのが在ると知った。これは他所から大きな街を訪ねて滞在するような場面では、なかなかに便利かもしれない…)

東海道新幹線の名古屋・東京間で運行されている列車というのは、関西の私鉄で大阪の拠点駅から京都、神戸、奈良というような隣県の主要な駅とを結ぶ急行等を運行しているが「それらに似たような?」という頻度で運行しているように見える。ということは?何かの事情で酷く混み合う時季でもなければ、「何も考えずに駅へ向かい、切符を用意して、現れた目的地へ向かう列車に乗る」ということで構わない感じだ…

実際、今般はその「何も考えずに駅へ向かい…」というやり方で朝の名古屋駅に入り、クレジットカード専用と称する乗車券、新幹線特急券、指定席券が購入できる販売機を用い、少し後に出る列車の指定席ということで確りと切符を用意して、列車で東京を目指した…

↓名古屋の宿を発って、東京に向かって以降の、今日の動きの全てである…

丸の内→名古屋(名古屋地下鉄)
名古屋→東京(新幹線<のぞみ>)
茅場町→門前仲町(東京メトロ 東西線)
門前仲町→早稲田(東京メトロ 東西線)
早稲田→東池袋四丁目(<東京さくらトラム>こと都電)
池袋→恵比寿(JR 山手線)
恵比寿→六本木(東京メトロ 日比谷線)
六本木→恵比寿(東京メトロ 日比谷線)
恵比寿→新宿(JR 山手線)
新宿→御茶ノ水(JR 中央線快速)
御茶ノ水→東京(JR 中央線快速)

実は…一度やったことも在ったのだが、明早朝に東北・北海道新幹線の列車に乗って新函館北斗駅に至り、そこから北海道内の特急列車に乗換えて札幌に到るということにした。

その明朝の出発に向けて「悠然と歩いて東京駅を目指すことが叶う」というような場所に宿を取ることが叶った。換言すれば「明朝向けに東京駅に近い宿に入るまでの間、何処を如何動こうと、何をして過ごしていようと随意で構わない」ということになる。だから、結果的に「名古屋に滞在して東京へ…」としたが、例えば「前日に名古屋を経て何処かに向かって、そこから東京へ」でも「前日に名古屋に出た後、その日の間にいきなり東京へ」でも「早朝に名古屋を発って、寄り道を重ねながら東京へ」でも構わなかった訳で、「如何しようか?」と随分と色々考えていたのだ…

東京では「往年の自身」に係わりが在ったような場所と「現在の自身」が関心を寄せていた場所とを織り交ぜて訪ねるような感じだった…そしてそれらの各所への訪問だが、然程詳しく計画を立てていたのでもない中「何となく…」とか「偶々…」ということで為された感も強い…

東京駅到着後、嵩張るモノをロッカーに預けて、宿の位置を確認して辺りを何となく歩き始めた。すると、何やら兜町という住所に至り、地下鉄の茅場町駅の出入口が眼に留まった…

茅場町駅…自身にとっては懐かしい感じがする地下鉄の東西線の駅だ。その東西線で門前仲町に向かった。所縁の地である佐原を訪ねた経過も在ったが、19世紀に地図製作で活躍した伊能忠敬が富岡八幡宮の近くに住んでいて、そこから各地への測量の旅に踏み出したということで像が在ると聞いていたのだ…

そうやって門前仲町の富岡八幡宮を振り出しに歩けば、少し先に立派な橋梁である永代橋が在ると案内図を視て気付き、それを眺めに向かった。眺めていれば佃島のタワーマンションの集まっている様子や中央大橋の眺めが面白かったので辺りを歩いた…そのうちに門前仲町の駅に戻った…

門前仲町の後は「往年の自身」が住んでいた経過の在る早稲田へ向かい、辺りを歩いた。穴八幡宮が少し驚く程度に賑わっていた…あそこは「冬至から節分」が“書き入れ時”なのだ…あの近くの交番は何十年も変わっていないようだが、穴八幡は色々と新しい建物―立派な社殿―や鮮やかな彩色の鳥居等が色々と出来ていて驚いた…

そして久々に都電に乗車した…車輛も新しく、<東京さくらトラム>という愛称を冠するようになっていた…早稲田で乗車し、東池袋四丁目に出た。

池袋…『池袋ウエストゲートパーク』というシリーズの小説を愉しんだので、池袋の様子が視たくなったのだ。また、作中で主人公達が“ウエストゲートパーク”と呼ぶ池袋西口公園―小説作中の感じとは、近年の改修の故に異なってはいるが…―や、主人公が住む母親が営む果物店の店舗兼住宅が在るとされているエリアを歩いてみた訳である…

池袋の後は六本木…京都と大阪でも立寄った<HRC>が在る。<HRC Tokyo>は今や老舗と言えるであろう…言葉を交わした店員さんが「ロシア旅行に関心」と判って話が多少弾んだ。サンクトペテルブルグに立寄ったことが在ったとしていたが、「2時間やそこら…“近隣諸国”の次元で行けるウラジオストクやサハリンに興味…」ということだったので、拙作ブログを御紹介しておいた…

六本木の後には、東京駅への通り道でもあるので御茶ノ水駅に寄り、神田明神に道草だ…何か催事でもやっていたのか?存外に多くの人が出ていた…

詳しいことは追って綴るが…戯れに「“出入り禁止”になっているかもしれない?!」という程度に何となく御無沙汰した東京である。「世界中の人達が集まるのだから、自身が1人位敢えて素通りしたって構わないであろう…」という程度に感じていた側面も在るが、近年は本当に通り過ぎてばかりだった。勝手知っていたつもりの場所で迷ってみたり、少し歩けば隣の地下鉄駅やら、少し離れて並行している別な路線の地下鉄駅の出入口に出くわすような「東京を歩く感覚」が久々で、新鮮とも言えたが、些か驚くことの連発だった…

前夜の「身体を解し、深く長く眠った」のが善かったのかもしれない。かなり歩き廻って、宿に着けば着ていた長袖Tシャツと半袖Tシャツとは汗で濡れていて、直ぐに吊るして乾かそうとしている状況だが…それでも自身は至って元気という感である…

少し東へ…:運行日誌(2020.12.25)

サウナを利用すると、身体が解れるような感じになると思う。そんな状態で、宿の居室で寛いでいる…

「色付きカップ」とでも言えば、「コンビニの珈琲は悪くない…否!好きだ!」というような方なら判って頂けると思う。通常のモノは白いカップであるのに対し、「少しだけ高い豆」を使うモノも在って、以前は「碧いカップ」だったが、最近は「紅いカップ」になっている。日付が改まって少し経ったような頃、不意に「美味い珈琲…」と思い付いて、宿に極近いコンビニへ出て1杯仕入れた…そんなことから始まってしまった感の1日である。

電池の電気で動く機器は、電池の電気が切れると動かなくなる。が、新たな電池を入れるか、電池に充電すればまた動く…

自身の場合、機器の電池に相当するモノが切れてしまいそうになりながらも「急速充電!!」というように深く眠ることが叶っているのか、何やら「変?」な程度に早寝早起きが続いている…或いは「充実!!」な時間を過ごしていて、気持ちが変に昂っているのかもしれない…

そういう訳で、前夜から今朝も「早寝早起き」で、日出時刻の遥か以前には起き出してしまっていた…宿を出る関係上、支度は半ば済ませて「今日?」と思案した…

「東へ…」という意図だけは明確に持っていたが、「如何に東へ?」という程度や方法の問題が思案の対象となる…<近鉄 3日間全線フリー>を入手して使っていたが、これは「とりあえず名古屋へ抜ける」という意図を持ってのことだった。

思案すべきは「名古屋から先を如何に?」である…中山道側へ向かう?東海道側へ向かう?何時?如何に?色々な思惑が錯綜する…

無駄が多い、無計画に過ぎることをしているかもしれない。「時間を設けた!」とただ勝手に過ごしている感だが、結局「訪ねてみたい…」が余りにも多いのだ。だから色々と思っている間に「時間を設けた期間(=出掛けようとしている日)が明後日から始まってしまう…」というような調子になってしまうのだ。そして期間中も連日のように「さて明日は?」ということになってばかりである…今般、出発直前まで迷いに迷い、鉄路と海路で、仙台を慌ただしく経由して関西に入った訳である…

こういうのは「自身が制作、監督、主演、助演…」というような、「1人しか関わらない」という状況だから出来る、許されるのだと思う…「1人しか関わらない」という状況でなければ出来る筈もなければ、許される筈も無い…

↓今日の動きである…

近鉄奈良→鶴橋(近鉄)
鶴橋→名古屋(近鉄)(特急 ひのとり)
名古屋→須ヶ口(名鉄)
須ヶ口→津島(名鉄)
津島→須ヶ口(名鉄)
須ヶ口→名古屋(名鉄)
名古屋→伏見(名古屋市地下鉄)
伏見→大須観音(名古屋市地下鉄)
伏見→名古屋(名古屋市地下鉄)
名古屋→丸の内(名古屋市地下鉄)

ということで…散々迷ったが、名古屋の地下鉄の丸の内駅傍に「大浴場が好評!」という宿を“直前予約特価”で利用出来るということが判り、その宿に入った次第だ…

近鉄奈良駅へは朝の6時台に入った。そこの窓口で問い合わせ、今年3月に投入されたばかりの車輛による<ひのとり>の特急指定席券+設備利用券を求めたのだ。乗車券はあの<近鉄 3日間全線フリー>を充てた。とすると?「<ひのとり>の大阪・名古屋間の券を求めると、他の利用分の列車にも乗車させて頂いた…」というような、不思議な感じになったかもしれない。

<ひのとり>については「時には…好いじゃないか…」という感じで「ワンランク上の寛ぎ」という旅を愉しむ列車だ。が、何やらリゾート列車とか観光列車ということでもないように思う…「出張?」という風な背広姿の男性から、「帰省?」という風な小さな子ども達を連れている人達から、各々の理由で移動中な感じの「少なくとも背広のような改まった服装でもない…」(自身を含む…)という人達まで、色々な乗客達が見受けられた。朝7時頃に出る列車で、少し空いていたかもしれない…

その列車で名古屋に着けば、嵩張るモノをロッカーに預けて身軽になり、少しだけ動き回ってみた…

名鉄の列車で、愛知県内の西側である津島を訪ねた。牛頭天王社の本社ということになる津島神社を訪ねたかった…加えて、画の得意な若い副住職が工夫しているというユニークな御朱印が頂けるという観音寺を訪ねてみた…

名古屋に引揚げてみて、思い付いたのは「名古屋の中の地名」でよく耳にする大須観音を訪ねてみた。序に「名古屋総鎮守」という若宮八幡社を訪ねてみた。そうしている中で街の様子を眺めながら随分と歩き廻った感だ…

今日は「変わり易い天候?」という感じであったのかもしれない。名古屋に着く前、雨が降ったらしく、辺りが多少湿っていた。以降、陽射しが強い感じで青空が広がる他方で、雲が多い時間帯も目立った。更に時折冷たい強風が吹き抜けた…更にその強風に意外に多量の落葉が舞っているという場所も見受けられた…

そんな様子な中「とりあえず押さえた宿…」という具合にしたのだ…宿に入ると、大浴場の説明を受け「今、この瞬間にも利用可能?!」と早速に利用した次第だ…

大浴場を利用してしまえば…体の火照りや多少の汗が退くまで、少しばかり休んだ方が好いというものなので、居室で一息入れた…その後は居室での飲物等を仕入れに出た…

マダマダであるとは思うが、大阪辺りは多少馴染んだと思う。他方で名古屋は「初めて」ではないのだが、「如何にも不慣れ…」を否定し悪いかもしれない。そういう中だったので、“不慣れ”を逆手に「何処でも初めてのような感じ…結構!」とでも考えることとした。名古屋に関して自身は、「何処かと往来する際に通り過ぎた」という感じで足を踏み入れている事例が多いと思う。名古屋そのものの中で少し動き回ったのは、随分と久し振りなように思っていた…

それにしても…<ひのとり>は快適だった…心地好さが過ぎて、居眠りをした場面も在って苦笑したが…大阪で「難波、上本町、鶴橋」と乗客を乗せると、大和八木と津にしか停車しなかった…本当に「新たな名阪特急」なのだ。

更に、津島のような「名古屋周辺の独自な伝統も或る程度色濃く伝えているような地域」、或いは「そういう地域で、可能な範囲、出来るように御自身の活動をしているような方」と言葉を交わすというようなことは、何か非常に好いようにも思った。

既に「綴るべきこと」、「綴りたいこと」が多く生じている旅になっている。今日も着実にそれらが積み上がってしまった…

明日は更に東へ…明後日は北へ…そんな段取りにはなっている…それは好いとして、何やら酷く眠くなって来た…

何も考えずに?:運行日誌(2020.12.24)

近鉄奈良駅に極近い宿の居室で寛いでいる夜だ…

夕刻…宿の近く…薄い黄土色で全身を包むような衣装に身を包んだ小柄な人物の姿を認めた…

「動物に扮している?鹿?!」と思った。鹿で御馴染みの奈良に在るので、そういうことをやっている人が在っても不思議ではない…

その小柄な人物…滞在中の宿に極近いコンビニの店先に居た。小柄な人物は若い女性、それも寧ろ「女の子」と表現したくなる―近年は「好ましくない表現」と言われるか?と言って、酷く若い感じの女性であれば、そう言いたくなる…―ような、「アルバイトの女子学生?」と見受けられる雰囲気だった。何気なくそちらを向いた。「お嬢ちゃん…何しとんのや?」と、彼女の脇を通り過ぎようとした自身の目線は問い掛けていたのかもしれない。

彼女は微笑んで「クリスマスなのでチキンの商品を御薦めしています!」とこちらに話し掛けて来た。「そうなの…」と応じ、並んでいた商品を一瞥し、一寸好さそうだったので骨なしの鶏を揚げたモノを一寸買ってしまった。

彼女の妙な衣装は、鹿ではなくトナカイだった訳だ…奈良では年中居る鹿に、この「クリスマスイブ」に扮するまでもない。サンタクロースの橇を曳くトナカイが似つかわしい訳だ。トナカイの衣装に身を包んだ「フライドチキン売りの少女」という感か?

そのチキンは直ぐに美味しく頂いてしまったが…「クリスマスイブ」というものを、或いは「例年どおり?」かもしれないが、一人静かに過ごしている…

眠いものを耐えるのは難しい。または出来ない…他方で、起きてしまったものを無理に眠るのも辛い…そういうことを想った早朝だった。深く眠った後に迎えた朝だった。

という訳で今日も早朝から動き回ってしまった…

興福寺の辺りを多少散策し、そこから例の近鉄の券を手に思い付くままに方々を巡った。午前6時40分頃に出て、「フライドチキン売りの少女」と出くわして宿に引揚げたのが午後5時半近くだった…

↓今日の動きだ…

近鉄奈良→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→大和八木(近鉄)
八木西口→橿原神宮前(近鉄)
橿原神宮前→古市(近鉄)
古市→富田林(近鉄)
富田林→藤井寺(近鉄)
藤井寺→大阪阿部野橋(近鉄)
天王寺→本町(大阪メトロ)
本町→なんば(大阪メトロ)
大阪難波→近鉄奈良(近鉄)

藤井寺駅にまで至れば、JRや大阪メトロ(地下鉄)では天王寺駅となっている大阪阿部野橋駅に出て、大阪メトロ(地下鉄)ではなんば駅となっている大阪難波駅へ動き、そこから近鉄奈良駅を目指す方が速いと思った次第だ…

天王寺駅と大阪阿部野橋駅…なんば駅と大阪難波駅…こういうような「同じエリアの乗換え駅で相互に名が異なる」とか、「同じ名前の駅が離れて併存している」というのは関西では幾分在る。札幌圏でも些か見受けられるかもしれないが、首都圏では余り無い例だと言われているようだ…この「関西方式?」にも、ほんの少し馴染んで来たというような気がする昨今である…

今日訪ねたのは?

奈良県橿原市の今井町に大阪府富田林市…何れも「寺内町」という独特な経過で起った街で、江戸時代には街道や川の舟運による物資輸送の拠点ともなって商人町としてなかなかに栄えた経過が在るという。江戸時代辺りの街の雰囲気を現在に伝えているという、一寸面白い場所だ…例えば「江戸時代、〇〇年間…」とか「明治時代」というような「昔の音」でも聞こえそうな街並みが好い感じだ…

藤井寺…ここには辛い国神社と葛井寺という、非常に古い時代に起こったとされる社寺が在る…

そして大阪阿部野橋駅から大阪難波駅に動く序でに大阪メトロ(地下鉄)本町駅に出て<HRC Osaka>に立寄った。<HRC>…現時点で大阪に2店舗在るが、1月31日で本町の店を閉めるという…自身にとって「大阪の<HRC>」と言えば本町であり、もう一つの方は行っていない…そういう思い入れも在るので、ショップで些かグッズを求める等していた…

今日は今井町のカフェの女性店主(珈琲豆の自家焙煎を手掛けていて、詩吟をやっているという方だった…)、富田林でおでんを売っていた女性店主(こちらは親しみを込めて「おばちゃん」と呼びたい雰囲気…)、閉店の噂のことを教えてくれた<HRC>の店員さんと色々と話す場面も多く在ったような気がする…

そうこうしていた中、また夥しい数の写真を撮ってしまった…それを少しだけ整理していて、何となく時間が過ぎた…

明日はどうしようか?面倒になって来たので、明日の早朝にでも考えることにしたい…

意図と行動との齟齬?:運行日誌(2020.12.23)

「緩急の“緩”」という意図が無いでもなかったのだが…「それなりに…」という程度には精力的に過ごしたということになるのかもしれない。

実際、何となく眠い…こういう場合は「何時でも御休み頂いて…」と寛ぐに限る…

眠る…起きる…また眠る…また起きる…という中で午前6時前になり、悠然と支度をした朝だった…

前日、東寺を訪ねようと近鉄の駅に寄った際に視付けた。「前日までに購入」ということになっている、「3日間(近鉄)全線フリー」の切符だ。近鉄の場合、特急列車は別料金の特急指定席券を求めなければならないが、それさえ求めれば乗車可能であるという乗車券だ。

この「3日間(近鉄)全線フリー」は3千円だ…例えば、大阪難波・近鉄名古屋間は運賃が2410円だという。この区間なら、実際には特急券を追加すると思うが…とりあえず名古屋にでも出る意図が、或いは名古屋を経て更に進む意図が湧いたのであれば「名古屋へ向かう場面で使う」ということにしておけば、この券は非常に有効だ!

この<近鉄 3日間全線フリー>の切符を求めて、もう少し近鉄の列車が動いているようなエリアに身を置くことにしたのだ。

↓この<近鉄 3日間全線フリー>を手に、以下の動きだ…

祇園四条→丹波橋(京阪)
丹波橋→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→近鉄奈良(近鉄)
近鉄奈良→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→筒井(近鉄)
筒井駅→法隆寺前(バス)
法隆寺前→筒井駅(バス)
筒井→大和西大寺(近鉄)
菖蒲池→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→近鉄奈良(近鉄)

結局のところ…京都から奈良へ居所を遷し、奈良で少しだけ動き回った…

当初は京都で滞在した宿の最寄駅の一つで移動を開始し、直ぐに<近鉄 3日間全線フリー>を手に丹波橋から動き始めた訳だ…

大和郡山市の筒井駅でバスを利用し、訪ねたのは「凄く名が通っているが…行っていない?」と思い出した法隆寺を訪ねてみたのだ。往路のバスは少し停留所付近で待っていた…復路のバスは、「そのまま来た道のバスでも、他に近鉄の駅に近い辺りに行けるバスでも…」と思いながらバスが発着する辺りに近付けば、いきなりバスが現れて、筒井駅を通るバスだと判って飛び乗ったのだ…

大和西大寺で食事を摂った後、近鉄奈良駅の方向、新大宮駅までの範囲で一寸歩こうと思ったのだったが…何時の間にか煩雑な道を間違えて、逆方向の菖蒲池駅に至ってしまった…そこから列車を乗り継いで奈良である…

奈良では興福寺を少しゆっくり拝観する等し、宿でゆったりし、夕刻にまた散策してから夕食を愉しんだ…そして「何時でも御休み頂いて…」である…

今般、奈良では「関西の別邸」と勝手に呼んでいるJR奈良駅の傍に在る宿ではなく、そこに出会う以前から何度か利用している近鉄奈良駅に極近い宿に滞在することにした…

結局?何となく気に入っている奈良に身を置いて動き回るようなことをしてみたかったのだろう…

詳しいことは後日色々と綴りたい…

「普通」かもしれない動き…:運行日誌(2020.12.22)

「またか?」とでも言われればそれまでだが、今晩も早目に「何時でも御休み頂いて構いません…」という態勢に入り、宿の居室で寛いでいる。

振り返ると…殆ど1日を費やして稚内から苫小牧へ南下してフェリーに乗船し、仙台で船を下りた後には新幹線の列車を乗り継いで一気に大阪に入った。大阪に滞在しながら和歌山県と奈良県とを訪ねるということをし、終いに高野山を往復した。そして宝塚へと西進しながらも不意に東進して京都に至った。

そういう「妙…かもしれない…」という展開を思い浮かべれば、今日の過ごし方は「名所旧跡が多い他所の地域に身を置いていて、時間が在るのでそれらを色々と訪ねてみた」という範囲に多分入るものであると思う…

今朝は…不意に“京都府警”に御世話になってしまった…別段に問題が生じたのではない!!

京都は「老舗喫茶店」というモノが色々と在る街だ。それらの1つを以前に朝から訪ねて愉しかったので、別な店を訪ねてみようと思い立った。

四条通を東側から西側へ進む…東西に延びる四条通と交差する何本もの南北に延びる通の一つに入り、少々北上した辺りに目指す場所は在った。その「北上すべく曲がる場所」をうろ覚えな中、西へ進み過ぎた…「いかん!このままでは街の西端に!?」と感じるようになって来た…「概ね20分」と聞いていた所要時間を少々超え、30分は歩いていた…至り着いた四条大宮で交番を見掛けた。その交番に入り、訪ねようとしている場所へ北上する通を「見失った…」という旨を、対応してくれた交番の女性警察官に申し出た。そこで話していて「大きく通り過ぎてしまっていて、引き返して20分位は要する…」と判った…

そういうことで、交番の警察官に道を尋ねたので「“京都府警”に御世話になってしまった」のである…こういうような「通り過ぎてしまう…」は、自身の場合、出先では時々やってしまう…

老舗喫茶店の一つである<イノダコーヒ>の本店に無事に辿り着いた…そこで<京の朝食セット>と銘打った、所謂「モーニングセット」を愉しんだ…

そうやって至った地区を起点に、地下鉄の1日乗車券―「600円!」という価格に少し驚かないでもなかった…札幌にも「休日限定」で似たような価格帯のモノが在ったが、とりあえず今日は「平日」だ…―を入手して動き回った…

↓今日の動きをメモしておいた…

烏丸御池→醍醐(地下鉄・東西線)
醍醐→小野(地下鉄・東西線)
小野→烏丸御池(地下鉄・東西線)
烏丸御池→京都(地下鉄・烏丸線)
京都→東寺(近鉄)
京都→四条(地下鉄・烏丸線)
烏丸→京都河原町(阪急)

結局、近鉄や阪急の列車にも乗車したが、何れも「一区間」に過ぎない。殆ど地下鉄で動き回っていた…

そういうことをやって…醍醐寺、隋心院、東寺を巡り、宿にも近い阪急の京都河原町駅に至り、前夕に一寸きになった建仁寺を確りと拝観したのだった…

朝7時前に老舗喫茶店を訪ねようと歩き始め、寺巡りという形になって、宿に引揚げたのは午後3時半頃…とにかく動いた…

宿で一息入れた後、辺りの気に入っている店である<HRC Kyoto>を訪ねて食事を愉しんだ…そこから引揚げて現在に至っている訳だ…

明日?余り細かいことは考えていない…

西へ…東へ…:運行日誌(2020.12.21)

一般的には、旅の途次に在る場合であれば「夕食を愉しんでいる…」というような時間帯に相当すると思うが、既に宿の居室で寛いでしまっていた。「もう出ない…」と、宿の室内着に着替えてしまったという状況だ…

前日から「体力を使った後?」という感ながら「気力充実!」という感でもあった。高野山(=金剛峯寺)を訪ね、千歳橋を歩き、何か「以前から何となく関心が在って、なかなか寄れなかった場所を一気に…」という達成感が在る。“達成感”という程のことでもないのかもしれないが…

「遅すぎる昼食と早過ぎる夕食を兼ねて…」という前日午後の動きの後、「かなり早目?」という時間帯に寝入って、深く眠った。そして日付も変わった…

今日は、前日のように「未だ暗い早朝から…」ということこそしないが、朝の「街が動き始めている…」という感の時間帯には既に行動を開始した。宿を出て、些か馴染んだドーム前駅から出発である…

前日のように「宿と高野山を往復」という時間を要する移動を大胆にしたのでもない。が、「細かい移動」を積み重ねることとなった…

↓手近なモノを容れているバッグに手帳とペンが在って、一寸メモしておいた内容を写す…

ドーム前→尼崎(阪神)
尼崎→今津(阪神)
今津→西宮北口(阪急)
西宮北口→宝塚(阪急)
宝塚→清荒神(阪急)
清荒神→中山観音(阪急)
中山観音→大阪梅田(阪急)
大阪梅田→桂(阪急)
桂→嵐山(阪急)
嵐山公園→大覚寺(京都市バス)
大覚寺→松尾大社前(京都市バス)
松尾大社→桂(阪急)
桂→京都河原町(阪急)

↑京都でバスに乗車した場面では所謂「交通系IC」を利用―自身ではJR西日本系の<ICOCA>で、「阪神が発売したモノ」というのを何時も愛用している…―した。それ以外の列車は<阪急阪神1dayパス>という代物を利用した。

<阪急阪神1dayパス>は、阪神電車の駅で駅員さんに申し出ると売ってくれるカードである。阪急電車の駅でも求められるが…<阪急阪神1dayパス>は、商品名どおりに「阪急と阪神の全路線の列車を朝から夜まで丸一日利用可能」という“1日乗車券”だ…

大阪神戸間で集落を結んで軌道を敷設し、列車の運行を始めた阪神に対して、阪急は「最速で両都市を結ぶには最短距離!」と既存集落に拘泥せずに「直線」に近い軌道を敷設して列車の運行を始めている。そういう経過なので、両社の列車は南側に阪神、北側に阪急と並行していて、双方の会社の列車に乗車可能な利点は「やや薄い?」というようにも見える…が、今津・西宮北口間で両社の列車は連絡可能だ。他に、他会社路線を一部で利用すれば、両社の列車を結んでドンドン動き回ることも出来る。そして阪急は大阪・神戸間の他に大阪・宝塚間、大阪・京都間の路線も在るので、広域で動き回ることを可能にするのがこの<阪急阪神1dayパス>だ。

実は、関西に滞在する機会が生じた場面で、この<阪急阪神1dayパス>は何度も利用している。そこで今日は、阪神電車の駅に近い辺りに滞在していたことも在って、この<阪急阪神1dayパス>を利用することとしたのだ…

夏季にも関西方面に入った経過が在った。あの時は、酷く汗をかきながら歩き廻った。そして「やや暑さがキツいことは否定出来ない…故に無理はしない…」と、「訪ねてみようか?」と思い立った場所に出なかったというのも色々と在った。

今般?確かに酷く温かいのでもない…「当地として、この時季として、一寸寒い…」という状態であるとは思う。しかし、「積雪が無い…」という―フェリー下船後の仙台や塩釜、標高が高い高野山では在ったが…あれは今般のこれまでの中では例外的…―のは有難く、酷く温かいのでもないのと同時に、自身の感覚で「寒過ぎる!?」ということでもない。そこで「精力的に!」ということにもなる。

上記の経路?関西の名所に明るい方は、既にお気付きかもしれない…宝塚市内にある名刹、清荒神清澄寺と中山寺を訪ね、大阪梅田駅に出てランチを摂り、そこから京都に向かい、バス停や駅の何も採用されている大覚寺と松尾大社を訪ねてみたのだ…

そして京都の祇園に宿を求めた。一度、今年の3月にも滞在した場所で一寸気に入っていたが、空きが在ったのだ…明後日の朝まで居る…

この宿に落ち着き、多少空腹を覚えたので辺りを本当に「極々短く…」という具合に歩き廻って、極軽い夕食を摂って「何時でも御休み頂いて…」ということにしてしまったのだ…

さて、何を如何するか?「色々と考える」というのが、また愉しい…

山へ…海へ…:運行日誌(2020.12.20)

大正駅に近い辺り、阪神なんば線のドーム前駅は更に近いという宿での滞在は今晩までである。明朝に離れるのだが…「何時でも御休み頂いて構いません…」の態勢に、早めな時間帯から入ってしまった…とりあえず寛いでいる…

前日は酷く深く眠って、気付くと日付が改まっていたという感で迎えた日である。

「訳が判らない程度に“深く”?」という程度に眠ったような気もする。深夜に起き出し、以降は身体を休めるか、起き出すかを繰り返していた。或いは「出先の宿ではよく在る…」というような具合かも知れない…

昨日、根来寺や朝護孫子寺を訪ねた後に思った…山に開いたというような名刹を訪ねてみるというようなことは「えい!やっ!」と勢いを加えて「この機会だ!行ってしまえ!」と動いてみなければ、多分相当長期に亘って訪問機会等は設けることが叶わないであろう…

根来寺は大阪府最南部と和歌山県北東部との間の山に在る…朝護孫子寺は急峻な信貴山を上るように開いた道に踏み入るような場所に在る…そういうことなら?かの高野山の金剛峯寺というのも、標高900m近い山の上に「宗教都市」という感で開かれて、営々と営みが続く場所で、「地図上で街と金剛峯寺を直線で結ぶ距離」の何倍もの「山に築かれた回り道」を進んで訪ねるということになり、意外に訪ね悪いかもしれない。

昨日の午後、信貴山から宿へ引揚げる途中、思い付いて南海のなんば駅に立寄った。なんば・高野山を往復する乗車券と、高野山でのバスの1日乗車券とがセットになったモノが在ると聞き及んでいたので、それを求めたのだった…

「高野山を訪ねる」となれば、事前に慎重に計画を練って、1泊か2泊かの時間を取って出掛けるべきなのかもしれないが…「片道2時間前後?根来や信貴山を想えば、列車の本数は多い感じ…楽に日帰りも可能であろう…」と、無計画に「とにかく訪ねたいのだ!」と出掛けることにした…

「とにかくも早く現場に着いて…後は何とでも…」と早朝の暗い時間帯、早速に阪神なんば線で大阪難波駅に出て、南海のなんば駅から6時に出る列車に乗込んだ。“急行”は途中の堺東駅に直ぐに着いたが…少し先の百舌鳥八幡駅で「人身事故…」とのことで、列車は堺東・なんば間の折り返し運転というようなことになってしまった…

「或いはなんば駅へ引揚げて、明日にでも改めて?」と思わないでもなかったが、駅員さんによれば「“人身事故”は、通例では1時間から1時間半で運転が再開になって、暫くはダイヤが乱れるものの、やがて復旧」ということらしい。ゆったり座っている場所も見当たらないので、改札を一寸出て、駅周辺で過ごすこととした。駅前にネットカフェが在った。南海電車の運行情報を随時視て、ゆったりと過ごしていた。午前8時を少し過ぎた頃に「電車が止まっています」から「電車の運行が乱れています」に切り替わったので、ネットカフェを出て駅に向かい、「事故で列車が停まってしまったので外で待っていた」と切符を駅員さんに見せながら申し出た。そして無事に列車に乗った…

なんば・堺東間から、列車が停まった区間や、その先の高野山へ向かうという人が「溜ってしまっていた」という感じで、高野山へ向かう列車は少し混み合った…

大阪府を斜めに南下するような感じで和歌山県内の橋本駅に着くと、高野山を上る区間になる。その区間の最後はケーブルカーに乗換えるようになっている。ケーブルカーが山を上り始めて少しすると、辺りに「白」が目立った。雪が些か降ったようだった。

積雪は少し在ったが、天候が好転していて、雪は融ける過程に在った。屋根の上で凍り固まったような雪の塊、実質的に氷塊が派手な音を立てて、軒から歩道に落ちる様子も見受けられ、通行人が「危なかった…」とか「怖い…」と驚く様子も見受けられた。

実際には「大規模な寺院或いは寺院群が形成された場所に町が起こって…」ということなのかもしれないが、何か「街そのものが寺になってしまっている…」というように感じないでもないような独特の様子が見受けられた…

高野山訪問関係のことは、追って色々と纏めてみたい…

昼食には遅過ぎる午後3時前に宿に引揚げ、実は昼から営業している、馴染みになった「沖縄酒場」を訪ねて「遅過ぎなランチ兼早過ぎなディナー」を愉しんだ。そしてその足で大正区内を散策だ…

徒歩ではやや遠目な、<千歳橋>という巨大な、そして歩行者も歩くことが出来るという橋梁を眺めて渡ってみるなどした。そこから、路線バスを利用して宿の傍に引揚げた訳だ…

こんな具合の「全くの随意…」という過ごし方は好い…かなりの距離を歩き廻ってしまった感なのだが…とりあえずは寛いで回復を図る…

動き回った…:運行日誌(2020.12.19)

“連泊”ということにした宿で寛いでいる…

前夜は「寝付けない夜…」を過ごし、眠ったり起きたりを繰り返している中で早朝を迎えたような感である…

稚内・名寄・旭川・滝川・岩見沢・札幌・苫小牧と列車を乗り継ぎ、苫小牧・仙台を海路で移動し、中野栄・本塩釜・仙台と鹽竈神社を訪ねてみて、仙台・東京・新大阪を新幹線の列車を乗り継いで一気に駆け、新大阪・大阪・大正と移動して現在に至っている。「大正の辺りに宿を求めてみた」という“理由”である「沖縄酒場」にも寄って“沖縄そば”も頂いた…

傍目には「だから??」というようなことなのかもしれないが、何か「達成感!!」というようなモノで非常に昂っているのかもしれない。そのうち、身体を動かして、休息が必要ということになれば、ぐっすりと長目に眠ることにもなるであろうと、「無理に眠る?」ということもしない…

そういう訳で…朝から木津川の橋を眺める「極々短い散策」を愉しみ、精力的に動いた…

和歌山方面への列車で和泉砂川という泉南市内の駅へ向かい、ローカルな感じで運行本数も少ないバスで、和歌山県岩出市の根来寺を訪ねた…

根来寺の後は和泉砂川駅に引揚げて列車に乗り、天王寺に出て奈良行に乗換えて王子に向かった。王子でも概ね1時間に1本という運行のバスで信貴山朝護孫子寺を往復した…

信貴山朝護孫子寺の後は王子・JR難波間の列車を利用し、そこから南海の駅に道草した後、阪神なんば線の列車でドーム前駅、宿の最寄り駅に辿り着いた…

宿で一息の後は<TUGBOAT_TAISHO>で食事を愉しみ、そのまま新今宮駅に出て通天閣を眺めて来た…

何やら…「酷い移動距離…」という感じだが…随意に過ごして構わない状態で何処か他所の地域に在ると、「動きたくて仕方がない…」という症状に陥ってしまうのだ…

仔細は何れゆったりと…根来寺や朝護孫子寺というような場所は、思い立ってもなかなか行けない…少し思い切ってみた…何れも「少し深く分け入った…」というような場所だ…

そんな場所に至ることが叶う時間を設けられた…非常に好いことだ…が、流石にかなり動いたので、前夜の眠りの按配に鑑みて「何時でも御休み頂いて結構です…」の態勢にしている訳だ…

長い道程…:運行日誌(2020.12.18)

「小さ目で安価…」という部屋の宿が存外に好きなのだが…そういうタイプの場所に在る…随分と長い距離を移動したことになる…

フェリー船内で日付が変わったことを知った。夜に出航し、朝に到着する船なので当然のことであろうが…眠気に抗わずに早めに休み、気付けば日付が変わっていたという状況だったのだ。

全長192.5m、幅27m、総トン数13,694トンというフェリー<きたかみ>に乗船した。2019年1月に就航したそうで、マダマダ新しい感じの船だ。10,880馬力のエンジンを2基搭載し、最大速24ノットという性能であるという。通常は概ね20ノット程度で航行しているのだという。

フェリー<きたかみ>は名古屋港を母港としているようではあるが、専ら苫小牧・仙台間の「夜行」の航路で運用されているようだ。苫小牧・仙台間は概ね300海里、約560㎞であるという。20ノットは時速40㎞程度なので、15時間の航海ということになる。(国境を越える稚内・コルサコフ間の概ね3倍もの長さだ…)

苫小牧駅から250円の路線バス、約15分程度でフェリーターミナルに着けば巨大な船体が視えた。ターミナルで手続をして、乗船開始を待つ。午後7時出航の船に、午後5時半から乗船出来るようになっている。

乗船すれば、大浴場―250円のハンドタオルを求めて使った…―を利用し、夕食―バイキング方式のモノで、食券を求めて船内レストランを利用する…―を愉しむ。そうしていた間に出航だ。苫小牧駅のコンビニで求めたウイスキーを一寸呑み、暗い苫小牧港を船が存外なスピードで離れる様を眺めていた。そうやって出航する様子を視て、後は<エコノミーシングル>と名付けられた船室で休み、時折は適当に船内を歩き廻って過ごすという訳だ。

昨年、横浜駅・出雲市駅間で<サンライズ出雲>という夜行列車の個室寝台に乗車した。フェリー<きたかみ>の<エコノミーシングル>は、あの夜行列車の個室寝台のような設えだと思うが、アレよりもゆったりしている。安価な、細長い「寝るだけ…」という部屋の宿泊施設が、そのまま海上を移動しているかのようだ。勿論、船内には様々な場所が在る訳で、他がどういう具合かは経験していないが…

海の状況が普通に平穏なのだと思うが、列車に乗っているのと大差が無い感じで然程「揺れ」も気にならない。

そして朝の時間帯を迎えた…

苫小牧から仙台へ南下している場合、右側が奥州の山河で西に相当し、左側が大洋で東に相当する。午前6時を少し過ぎた辺りで東の大洋の側が明るくなって来た。低空にやや雲が多目であったが、雲の隙間に朝陽が上ったのは午前6時45分をやや過ぎた辺りだった…

その朝の様子は、甲板に出る、中に入るを繰り返しながら眺めていた。大洋が明るくなり、奥州の山河から夜が拭われる…そんな様子が好かったが、流石に洋上の風は冷たく、身体に些か刺さる感は否定し得なかった…

仙台には定刻の10時よりも些か早い程度で順調に到着した。仙台周辺は若干の雪に見舞われた経過が在ったと見受けられた…

その後、仙台駅へ向かうバスに乗車し、途中の中野栄駅で下りた。そこからは本塩釜駅へ列車で移動した。鹽竈神社(しおがまじんじゃ)を訪ねてみたかったのだ。

鹽竈神社は、長くやや急な石段の本参道から入って、東参道側から出て来るという形で訪ねてみた。「陸奥国一之宮」という由緒を誇る社である。なかなかに貫禄が在った…

好天な中で鹽竈神社を訪ねて満足し、仙台駅へ移動した。仙台駅では「ここから如何する?」と考えた…

その結果、「とりあえず大阪へ…」と思い立ち、大阪で滞在する宿をネットで予約し、新幹線の列車を2本乗り継いで新大阪駅へ出るということを思い付き、仙台駅の窓口で切符を求めてしまった…

2本の列車は何れも「速達性重視」という停車駅が少な目の列車である。何か「飛んでいるような…」という気はしたが、それでも軌道上を走行している訳である…

<はやぶさ>と<のぞみ>という、JR東日本とJR東海とが各々「看板」のようにしている列車で仙台・東京・新大阪を一気に駆け、新大阪駅から大阪駅に出て、大阪環状線で大正駅に向かい、宿に入ったのだ…

大正駅の辺り…以前に「沖縄酒場」という場所で食事を愉しんだ。再訪したいと強く希望していたが、無事に再訪が叶って“沖縄そば”を確り頂いた…

結局…「空路」を利用せず、鉄道と海路とで稚内から大阪に到達してしまった…妙なことを仕出かしたものだ…

海へ…:運行日誌(2020.12.17)

苫小牧駅の極近く、商業施設内のカフェで一息入れている…

「早めに出よう…」ということが念頭に在ったにせよ、「早過ぎ…」という時間帯に眼を開けて起き出してしまった。<Qグレード認証 コロンビア>を淹れて、居室で悠然と過ごした…芳香と味わいとが非常に好い感じだ。

戸外の様子を伺う…氷点下5℃程度の冷えた感じが継続中だった。雪が断続し、少しばかり積もっている。一部の道路で除雪作業もやっている様子が伺えた…

こういう「ありきたりな冬の早朝」という状況ではあるが、この状況から「如何なる?」という感で、自身でも自身の行動を精確に予想し悪い…

例によって、前日に用意しておいた<青春18きっぷ>を手に、早朝5時台に稚内駅からキハ54の一輛運行による普通列車に乗込んだ…

実は、一昨日や昨日は「雪の影響」で列車運行の様子が乱れてしまっていたということが伝えられていた。それが気に掛っていたが、然程の影響も無く、稚内・名寄間を進んだ。

名寄では<青春18きっぷ>ではなく、敢えて乗車券と特急券とを別に求めて旭川へ移動した。列車の本数が少ない…そうでもしないと、名寄と旭川とで長い待ち時間が連発して、ドンドン進んでは行けないのだ…

旭川では直ぐに滝川へ向かう普通列車が待機していて、それで滝川に着けば岩見沢に直ぐ向かえる…

岩見沢に着いてみた。異様に雪が多いような感であった。列車運行の乱れが生じてしまう場合の「アレな…」という話しになる、岩見沢辺りに雪が多い現象が発生してしまっていた…

岩見沢と言えば…「札幌方面を経ずに苫小牧へ南下」という路線の起点になっていて、少し待てばその「苫小牧行」に乗車出来る筈なのだが…「大雪の影響」というようなことで、運休になってしまっていた…

そういう訳で…岩見沢から札幌に出て、札幌から千歳線の列車に乗り、「札幌方面を経ずに苫小牧へ南下」というようにした場合よりも小一時間多く要した形で苫小牧に至った。

苫小牧方面…岩見沢方面で視た積雪が「嘘!?」のようだ…全然、積雪が視えない感じだ…雪の量や天候の感じが移ろう様を眺めながら、稚内から苫小牧まで列車を乗り継いで移動した…

これから?バスに乗る…苫小牧港へ向かう。海に出るのだ…フェリーに乗る。

ということで、ここまでの動きを綴ってみたのだった…

前夜…(2020.12.16)

氷点下5℃を挟むような気温…氷点下5℃を割り込んでいる場合も在り、更に降雪が断続している。

国内の広い範囲が強力な寒気に覆われてしまっているらしい。方々で「今季初の“非常に冬らしい”という感じ」が見受けられている様子が伝わる。

「冬は寒い北海道」というイメージが強いと思うが、その中でも北側に在る稚内に関しては「殊更に寒い?」というイメージも在るのかもしれない。北海道に縁が薄いと思われる方に御訊ねを頂いたことも在った。が、「気温」という側面で考えると、稚内よりも南に相当する内陸部の方が遥かに低い。稚内に関しては「海を渡る冷たい風」の干渉で、戸外に出れば「身体に寒風が刺さるような…」ということになり、実際の気温以上に「寒い…キツい…」と感じてしまう割合が高いように思う。そして、少し低温の場合に見受けられる粒子が細かい雪が多少積もっていると、それらは風に舞い、酷く辺りの視界が悪くなる。そういうのが冬季の「厳しい…」というイメージを“水増し”してくれる面も在ると思う。

「氷点下5℃を挟むような気温…氷点下5℃を割り込んでいる場合も…」というのは、「稚内の冬季の気温」としては「“最も寒い”に近い?」というクラスだと思う。「氷点下10℃を伺う…」という辺りが、「稚内の冬季の気温」としては「最も寒い」の部類になると思う。

11月に雪が降り積もる場面が見受けられ、また冬がやって来て、そして「所謂“厳冬期”に向かって行くのか…」という感じで「年末か…」ということも思っていた間に、「“最も寒い”に近い?」というクラスの気温だ…

年末なので「今年は??」というようなことに想いが巡る場合も少し増えている…「2020年は?」ということだ…

「少し前」という辺りから振り返ってみる…

2017年…何か非常に大きな達成感のようなものが在ったと思える反面、11月にアクシデントに見舞われてしまったという感じだった…アクシデントそのものは少々キツいと思ったが、達成感は非常に大きかった。

2018年…前年のアクシデントを何とか乗り切った…そしてその後に、前年以上の大きな達成感のようなものが在ったと思える…

2019年…更なる達成を図ろうと考え、それが妨げられ、力一杯に気分を害していた中で色々と所用が生じ、そういう方面に労力を割いて、それに終始してしまった感だった…

2020年…特段に達成感のようなものは無いかもしれない。少しばかり時間を設けて随意に過ごしてみる機会が設けられた中、これまで縁薄かった四国に上陸したというのが非常に好かったということは思い出すが…他に<祇園枝垂桜>も忘れ難い…

敢えて一口に纏めると上述のような感か…

2020年に関しては「“事情”に覆い尽され、“荒んだ”ような雰囲気に辟易し続けることを無理強いされて、結果的に不快千万…」というのが正直なところだ。何もしたくなくなるような感だ…自身が「普通に生きていること」に関して「それがいけないことでしょうかね?」とでも問いたくなるような雰囲気を個人的には感じないでもない。何となく鬱屈してしまう。鬱屈してばかり居て、如何なるものでもないように思うが…

そういうことであるから…傍目には「しょぼい…」ということではあっても、全然構わない…「飽くまでも自身の中の基準、価値観に即して…」ということながら「盛大に!!!」と少々意気込んで、「憂さ晴らし」のような振る舞いに及びたいという気分が、自身の中で湧き上がって、そういうのが抑え難いような感になって、少し時日が経った…

「特段に達成感のようなものは無いかもしれない」というのは、裏返せば「特段に課題らしい課題、当面の宿題という程の何事かに思い当たるのでもない」ということにもなる。であるとすれば?所謂“被雇用者”に宛がわれている“年次休暇”なるモノを「目一杯に注ぎ込む!!」ということをして、「とりあえず“時間”を設けてみる」ということも、出来ないではない訳だ…

“時間”を設けてみて如何するか?深くは考えていない…何か鬱屈してしまうような気分の中、「私は自らを由とする!!」とでも叫んでみたい気分で、「とにかく自身の“時間”を設ける!!」と考えただけなのだ…

達成感のようなものは無いかもしれない2020年に在っては、「例えば、この数時間後とか、数日以内に何らかの事由で“力尽きる”か、“物理的に随意に動き悪い”というようなことになった時、“少なくともアレが視たかった…視られないのが無念だ…”というようなことが、ほんの少しでも少なくなれば善い」という程度に考えていた側面が在る。何度か“時間”を設けた中で密かに思っていたことである…

そんなことで…「とりあえず翌朝は早起きして…」ということばかりを考え、酒を嗜んで、食事を愉しんでという状況で「普通な夕べ」を過ごした…正しく「明日には明日の風が吹く」というものだ…

運行日誌(2020.07.30-08.09)追記:帰着後雑感…

8月10日の稚内では、日出を期待し、日出を待ち、日出を眺めて1日の始まりを迎えたのだったが、何処となく湿り気が感じられた空気の中で昼頃から雨交じりとなった。

雨交じりとなること自体は珍しいことでもないが、少し気に掛った。振り返ると、7月30日以降「雨に降られていない…」という状態、「移動もしながら、晴天であった地域に居続けた」ということに思い至ったのだ。随分と久し振りに雨に当たったような気がした休日ということになった。

雨交じりの故に薄暗い感の居室で、<アロママグ>に注いだ<サードウェーブテイスト>を啜る。旭川で「時間が在るなら立寄りたい」という場所の“リスト”に俄かに加わったカフェで使用されている仕様と同じで、同じ店で販売もされているのを入手した<アロママグ>に<サードウェーブテイスト>を注いで頂いてみると、あの店出だしていて何種類か愉しんだオリジナルブレンドの一つにやや似ているような感じもする。<サードウェーブテイスト>、旭川の店とは全然縁が無い大阪の業者の豆ではあるのだが…

旭川の店や、他に奈良の店で好い珈琲を少しゆっくりと頂く機会が在ったが…稚内で過ごす休日という中でも「カフェを梯子」というのに近いことをやっていて、方々で珈琲を頂いた。拙宅で、気に入った豆を挽いてハンドドリップというのとは少々違う。何か「馴染んだモノに親しむ大きな安堵感」というモノが在る。

様々な珈琲を頂いたとなれば「何れが一番好かったか?」ということになるのかもしれない。が、「何れも好い」という以上のことは申し上げ悪い。珈琲のような嗜好品は全く「各々に好い」または「少なくとも一般に出回っているようなモノは各々に好い筈」なのであって、横並びにして順位を付すようなことに最初からなじまないように思う。

珈琲に限らず、「休暇に訪ねる場所」というようなモノも全く同様であると思う。方々を巡ってみるというようなことをする都度にそういうような思いが強まって行くような感さえする。今般、方々を少し動き回ってみて、そういうような思いが確実に強まった…

「城」と名が付く場所…丸亀城、徳島城、高知城、松山城、今治城、尼崎城と方々で寄っている…

「寺」と名が付く場所…善通寺、須磨寺、宝山寺、長谷寺、西大寺、泉涌寺、智積院、仁和寺、勧修寺、東大寺、興福寺という具合か…

「社」と名が付く場所…善通寺の乃木神社、大山祇神社、手向山八幡宮という感か…

城でも寺でも神社でも構わないが、何れにしても「各々の面白さ」が在る、他所の地域を訪れた際に何となく視に行くような場所だが、どんな城も、どんな寺も、どんな神社も「各々に好い」のだと思った。

更に一部は寺に在るモノだが、幾つかの庭園も訪ね、古い町並みを愉しむ場面も在った。庭園に関して、例えば壮大な栗林公園と、京都の寺に在った庭園とではスケールは単純な面積比較ということが可能だと思えるが…そういう面積の数字では測りようがない「各々の好さ」が在ったと思う。

もう少し、1箇所に落ち着いて居れば好いのかもしれないというようなことを、毎度思わないのでもないのだが…「見慣れぬ路の向こうの見知らぬ街」というような感覚が酷く好きで、そういうことを、「動き回ること自体」を愉しんでしまうような性向が在って、何時も随分と方々を動き回るようなことを仕出かしてしまう…

何やら社会が“事情”に覆いつくされてしまっているかのような感に辟易しているが…外を歩き廻ってみる程度のことで、ガタガタ言われなくてはならない必然性もないと思っている。今般、「何年振りか??」と自身で驚く程度に日焼けもした…

そして「出掛けるから写真を撮る」のか「写真を撮りたいから出掛ける」のか判らない状態で、収拾困難な程度に写真も撮った…追って整理しよう…

暫くは…今般の旅を色々と振り返るような時間が多くなりそうである。同時に…早くも「また機会が設けられるなら…」というようなことを考えてしまっていることに気付く。

帰着…:運行日誌(2020.08.09)

力尽きたように寝入ってしまい、少し深く眠ってから起き出し、また眠る…起き出している間は、頭を過る「足跡」を想起する…

旭川に到着し、宿に入ってから一歩も出ずに居室で過ごしていた状況である…

早朝から「更なる北上」に出ても好かったかもしれないが…「昼の特急列車」の券を入手した。そして、宿の居室で「とりあえずゆっくり…」である。

早朝から何かをするということも容易ではあったが…結局、宿の居室でゆっくりすることにした。「休日」であった割りには、期間中に精力的であり過ぎたかもしれない…他方、「休日で随意に動くことが叶うが故に…」と、過ぎる程に張り切り、「頭の中と身体との連携が悪くないか?」と思う一面も否定しない…が、総じて満足出来るような動きをしていた…

旭川では…ゆっくりと宿を出て「カフェを梯子」というような過ごし方に終始し、「昼の特急列車」に乗車した。

車内のこと…記憶が殆ど無い…旭川駅を出て程無く、永山駅で列車は信号停車するのだが、その辺りから音威子府駅辺りまでが判らない…そこから天塩中川駅辺りまでも判らない…かなり確り眠ってしまったのだった。

前々日の荒天で列車運行等が乱れ、前日も影響が残っていたというように聞くが…今日は何ら問題は無かった。通常は4輛運行の列車も増結で6輛運行であった。が、然程混み合ってもいなかったが…

とにかくも帰着した…

北へ…:運行日誌(2020.08.08)

搭乗する飛行機が神戸空港から離陸するのは…12時45分ということになったいた。ギリギリに走るのも落ち着かない。早めに空港へ行って悠然と過ごしていれば好い。と言って、空港への移動までに些かは時間を要する…

神戸空港へ向かう道すがらに、何処かへ道草するにしても、「少し早目な時間帯」ということで寄ってみるという他に、何となく都合が悪いような?そんな時間帯のフライトであると、今更のように思った。が、フライトが「着いた後」の動きを思うと、これ以上遅めな時間帯も按配が好くない…

奈良から神戸への移動に関して、少々早く出て、1箇所だけ道草をすることにした。今般、「そう言えば利用したことが無かった?」とい経路を取り入れた。

JR奈良から出ている“区間快速”と称する列車に「宝塚行」というモノが在ることに気付いた。「奈良から?どういう経路だ?」と思った…

この列車は奈良から京都へ向かう経路で少し北上して木津に向かい、京都府の南寄りから大阪府に入って四条畷に至る。四条畷から先は大阪を西へ進む。大阪市内の京橋から暫く地下を通って、そのまま兵庫県の尼崎に至る。尼崎からは伊丹を経て宝塚へ経路が在る。

何やら面白いと思い、<青春18きっぷ>を使い、奈良から尼崎までこの列車に通して乗車した。1時間半程度を要する行程であった。

頻繁にこの奈良→木津→四条畷→京橋→尼崎というような「通し」のように列車を利用するという乗客は然程多くはないかもしれない。が、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県と「毎日のように複数の県境を越えながら、それなりの頻度で列車が運行」という状況が在る。他にもこういう、複数の県境を越えながらという運行系統の列車は、関西圏では色々と見受けられる…交通機関は「県境等は最初から半ば無視」で発展しているのかもしれない…「何処までも♪」とい程度に県境との縁が薄い地域に居るので、そんなことに酷く感心してみたりもする…

尼崎に至ってからは、バスで阪神の尼崎駅との間を往復し、尼崎城の建物を眺めていた…あれは新しく整備された公園という趣だった…

尼崎から先はJRの列車で三ノ宮駅に入り、神戸でも時間が中途半端なので、速やかにポートライナーで神戸空港へ移動した。空港の様子は?「普通…」と思えるような感じだった…そこそこに乗客は出ていたというように視えた…

飛行機の中で着席して…気付けば上空に在って「何処に?居るのだ??」とい感じだった。飛行機が離陸のために滑走路へ動き始めたような頃に、居眠りに陥ってしまったようだった…

新千歳空港に着いた後は、また<青春18きっぷ>を取り出して使い始めた…

新千歳空港→札幌→岩見沢→旭川と、午後3時前に新千歳空港駅で列車に乗ると、普通列車だけを乗り継いで、午後6時40分を前に旭川駅に居たることが出来る。旭川辺りまでの普通列車…本数が一寸少ない…

そういうことで旭川入りし、何となく馴染んだ宿の一つにとりあえず陣取った…

30℃超えが常態であった地域から、何となく25℃程度の場所へ…少々涼しい…明日には?更に涼しい辺りだ…振り返って整理すべき事柄は多々在るので、それらは追って、順次、随時とい感だ…

とりあえず…戻って「しまった」というような“感じ方”をしているかもしれない…

「休日」…:運行日誌(2020.08.07)

「何を…どうしたものか?」と、半ば途方に暮れるかのような境地で朝を迎えていた。苦笑いが洩れた…

客観的には「思い立って旅に出る」と称して、“避暑地”そのもののような地元を夏の盛りに飛び出してしまったという奇矯な行動の最中だ。「何を…どうしたものか?」と勝手に自問してみるが、「御随意に!」という以上でも以下でもない…

或いは…朝早くに「何を…どうしたものか?」と、何となく自問してしまうというのは、少し纏まった休暇の時間に、窓の景色の好さ故に気に入って何度も滞在して「別邸」とまで勝手に呼んでいる宿の居室で、「非常に満ち足りた気分」の中に在るということなのかもしれない。

マダマダ「訪ねてみたい…」は尽きないので、何処へなりとも訪ね歩くのも好いが…文字どおりに「“別邸”で寛ぐ」という感で、奈良で過ごすのも非常に好い…何れも好いので、いよいよ「何を…どうしたものか?」なのである。

こういうのは?「或る種の修行」というような営為で「至り着いた“境地”」とでも呼ぶべきモノなのか?そう思い、また別な苦笑が洩れる…

意味も無く、相当に古い歌の歌詞が頭の中を過るという場合が在るように思う…

「もしもあなたが♪一緒に居たら♪どんなに愉しい♪旅でしょう?♪」という歌詞が昨日辺りから頭の中を過っている。

或いは旅の時間を分かち合うような、素敵な同行者が在れば好いのかもしれないが…多分、私が1人で勝手にやっているような事は、他の誰にもやり悪いのかもしれないというようにも思う…

そう言えば「同行二人」という表現が在った…香川県に在った時に善通寺に至ったが、あそこで生まれたと伝わる弘法大師だが、仮令1人で歩いたにしても“お遍路さん”の心は常に弘法大師と共に在るというようなことが「同行二人」という表現の意図だったとうろ覚えながら記憶する。

不意に思い出した「同行二人」という表現だが、私は「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という句を拝借して表現したい、「訳もなく動いて、自身が生きている、生かされている喜びのようなモノを感じ、心弾まずには居られない」ということと、「訳もなく、無計画に動き回る…愚か者の所業かもしれないが、それが愚かな行為なら、自身は愚か者で大いに結構!」というようなことばかりを1人で想い続けている。

或いは、「見えることが無かった…」、「見えていて見過ごした…」、「見えていながら離れてしまった…」、「見えることなど在り得なかった…」という「同行者の幻影」のようなモノを勝手に追い掛け続けているのかもしれない…

様々な想いが渦巻いた朝…窓から望む気に入っている景色が「夏らしい!」という感の好天に包まれて行くのが判った中…「奈良でゆっくりする日」とすることに決めた…午前8時半頃から「ゆったり」とスタートだ…

結局…「若草山に(徒歩で!)上る」ということに挑戦し、途中で「無理は禁物…」ということにして…手向山八幡宮に寄って東大寺大仏殿周辺に至り、奈良女子大学の方向を徘徊し、「9年間だけ動いていた」という鉄道の記念碑を眺めて、適当にランチや珈琲を愉しんだということになった。本当に「この街に暮らしていて、ふと訪れた休日に何となく取る行動」というようなことに終始した…

今日は気温が35℃近くになっていたらしいが…歩き廻ってとんでもなく汗をかいたので、宿でゆっくりしながら、汗で汚れた衣類をコインランドリーで洗っていた…

その洗った衣類やら、何となく買い込んだモノ等を箱に詰め、稚内の拙宅へ発送しておいた…明日は?北上開始である…

振り返ると…今日は「歩いた」というだけで、列車やバス等には全く乗車しなかった…「稚内の拙宅に在る休日」と然程の差が無い…

敢えて求めた“夏”の中…:運行日誌(2020.08.06)

「過ぎる?」程度までに夏が冷涼な地域に住んでいて、毎年のように夏季に「敢えて時間を設けて随意に過ごす」ということも敢えてせずに居る中、今年は「夏らしい!」という感の時季に時間を設けて随意に過ごしている。

古くから「避暑」という言葉も在る。夏には「避暑」という過ごし方が想起されるのであろうが…夏が冷涼な地域に住んでいると、「時には“らしい!”という感じな夏の中で…」と考えてしまう。飽くまでも「時には…」ということではあると思う。随意に過ごして構わない状況下では「夏らしい!」も好いが、日頃の色々の最中では、何かと苛立って、序に暑さで体調でも崩してしまうかもしれない…

そんなことを思っているが、滞在し、訪問している各地は「梅雨明け」というようなことで好天傾向が続いているようで、思った程に湿度が高いのでもなく、「一寸気温は…」という感じで、「陽射し?!」と思う場合も在るが、一寸多めに水やコーヒーや茶を頂いて凌いでいる。そういうためもあってか、「傍目に酷く苦しんでいるように見えるかもしれない?」という程度に汗をかいてしまっている一面も在る…

今朝も…眼を開けた時、今日も天に月が輝いていた様子が視えていた…好天が継続している。結構なことだ!

気儘な時間に眠り、気儘な時間に起き出す。休暇中ならではの「自堕落…」というようではあるが、それでも平素の生活のような早朝に普通に起き出し、何に妨げられるのでもなく、随意に歩き廻っている。実に好い感じだ!

今朝も…午前7時半過ぎには何となく動き始めてしまっていた…JR奈良駅から京都駅へ向かう列車に乗った…

そうやって京都駅の手前の東福寺駅に至り、泉涌寺を訪ねてみた。

泉涌寺を訪ねた後、東福寺駅から歩いた道筋に在った案内地図を視て、「七条駅から歩いて10分程度と聞く智積院という場所…敢えて東福寺駅に引き返して列車に乗るまでもなく、何となく歩いて着いてしまいそうな?」と思った。そして…歩いて智積院に向かって、着いてしまった…

こういう具合に、思い付いてドンドン歩いてしまう性分ではあるのだが…途中で休み、休み―コンビニで珈琲や他の飲物を求めて、辺りに佇んで、それらを飲みながら一息というようなこと…―というのを平素以上に行いながらの行動にしても「消耗感…」がやや大きいことを否定し悪い感だった…

<HRC Kyoto>でランチを愉しんで、少しばかり買物をしてしまったというのを挟み、京都に在って泉涌寺、智積院、仁和寺、勧修寺と訪ねた。そして奈良へ引揚げた…

本当に「別邸に在って、近隣で動いている」という具合かも知れない…「奈良に滞在している中、1日を京都で…」という「やや少数派らしい?」ことをやってしまっている…

思い付く「訪ねてみたい」は多々在る。それらを訪ねて再訪してみたくなる場合も少なくない。並行して、新たに思い付く「訪ねてみたい」が際限無く増える。終いに「収拾困難」となってしまっている…

今般、「名前を聞いていても、実は立寄っていない…或いは立寄っていないかもしれない…」という場所に注目し、何となく訪ねている。「凄く面白かった!」と「もう少し…あそこにも寄りたかった…」とが同居する状態だ。今般は「過ぎる“消耗”」を避けようとしている側面も在るかもしれないが…

何れにしても、その京都での見聞に関しても、順次、随時に整理はしてみたい…

明日は?明日の朝にでも考えてみれば好い…