札幌の宿に在る。札幌駅に近い辺りだ。午後11時前後に着いた。これ以上は動きようも無い。休むが、休む前に顛末を少しだけ振り返る…
非常に深く眠った感で深夜に眼を覚まし、そのまま暫く起きていた。暫し思案もしていた。
「帰国」のフライトまで少し間は在る。何かするというようなことも思ったが、特段に何かをしなければならないという程でもない。「朝早く御発ちでした…」ということを繰り返していた。「殆ど深夜?」という雰囲気の中で出た場合さえ在った。「朝、予定どおりの御発ちでした…」という程度のことにしたいという気もした。
そして朝は時間的ゆとりに任せて、辺りを散策する等して、適当な頃合いで「朝、予定どおりの御発ちでした…」という程度にしようと思った。全く「だから?」というような程度のことを思案していた訳だ。
こういう程度のことを「思案」と称してみる程度に長閑な時間を過ごしている。実に好い。連日のように、敢えて数えている訳でもなく、判りもしないが、相当な距離を歩き廻り、夜は寛いでいて眠ければ眠り、起きて居たければ起きて居るという気儘な感じで、食べたい時に食べ、飲みたい時に飲んでいるが、「食べ過ぎない…」という点でけは一応留意という具合の様子だ。或いは「なかなかに健康的?」という側面も在るのかもしれない。そして何よりも「興趣の赴くままに動く」という感じは、他の何にも替え難いようにも思う。
結局、嵩張るモノを早朝に宿で御願いして送ってしまうようにした後、少し散策に出てみた。何となく到ったのは清水寺界隈だった。存外に散策、或いはカメラを手に写真趣味に興じるというような人達が目立った。が、北海道の流儀で言う「あづましい」(居心地が好い)という程度な感で、自身でも辺りの様子を眺めて写真を撮る等していた。
今朝の京都は0℃を挟むような気温帯だったようだ。湿った路面の一部が凍っていた。或いは、早朝に張り切って動き回るのは控えた方が少しだけ賢明なのかもしれないという気もした。が、如何ということもないと歩き廻った。今朝は半袖Tシャツの上にパーカー、そして上着を引っ掛けるという感じで、地元の稚内で朝に「極々短い散策」と称してその辺に出るような場面と大差は無い。が、今朝の京都は0℃を挟む気温でも風がそれ程強くも無く、「些か手が冷たい中、多少凍っている場合の在る足元に注意」という程度のことだった。鮮やかな朝焼けという程のこともないが、なかなかによく晴れてもいた。
そうやって「朝から散策」というのは出先での行動として心地好いものである。そこから宿へ引揚げて、「朝、予定どおりの御発ちでした…」という頃合いまでは居室に在って寛ぐこととした。
やがて<青春18きっぷ>を手に京都駅へ…大阪乗換で和歌山を訪ねてみた。JR和歌山駅と和歌山城との間を歩いて往復したということに過ぎないが…和歌山駅から列車に乗って、日根野駅で乗換えて関西空港駅へ向かった。
関西空港を発着している各便に一定程度の旅客は乗っているようではある。が空港は、何となく空いていた…
「機材到着遅れのため」というようなことでフライトは遅れた。が、特段に問題という程のこともなく新千歳空港に着く訳だが、機内ではかなり眠ってしまっていて、訳が分からない間に新千歳空港に到ったような気分でもある。
そこから列車で札幌駅へ移動した。札幌の街…雪が多く振ったらしいが、酷く冬らしい様相だ。「この感じ…」の中に戻った。
今般は出先で色々と御世話になった方も在るのだが、そういう皆様には「無事に…」の御報告と共に御礼申し上げたい。とりあえず「戻り」だ…綴りたいこと、綴るべきことは今般も多い。それらは追ってゆったりと綴るようにしたい。
居眠りに陥ってしまう前に綴っておこう…=運行日誌(2021.12.26)
何時の間にか寝入ってしまう可能性が高いような気がする状態である。京都の宿の居室で寛いではいるのだが…
前日は…訪ねた先で思った以上に時間を要しながら歩き廻り、移動中も色々と興趣が沸いて辺りを視て愉しみ、結果的に精力的に動いてエネルギーを使った一日の後は、「電池が切れた?」とでもいうような具合で、よく判らない間に居眠りに陥っていた。「あれ?寝てた…」と起き出して、暫く起きていて再度眠り、そして朝を迎えた。深夜に起きていた間には、夥しい数になった写真の整理に着手した。
何かそういうことばかりしている。それもまた好いが…
風がやや強めかもしれない状態、気温がやや下がりそうな状態と聞き、やや温かいアンダーウェアを持ち出し、それを着て出ることとした。京都に関して、「廻り込んで辿り着き、辿り着くまでにエネルギーを使った関係で、直ぐに休んだ…」という感を12月18日と12月25日に繰り返した。そういうことなので「少し京都に落ち着いて過ごそう」というような気になっていて、京都の地下鉄とバスに1日中自在に乗降可能な「1日券」を昨夕の間に用意している。
「コンビニしか開いていない…」という時間帯からバタバタと動き出しても、「早朝の暗さ」が長目なことと相俟って草臥れるので、少し間合いを見計らって出てみることとした。その間は居室で寛ぐ。が7時台から動いた。
四条烏丸のバス停まで、祇園の八坂神社を望むような辺りからゆっくりと歩いた。静かな日曜日の早朝に小雪が交る状態だった。そして少し長目に待つ羽目には陥ったが、高雄山までバスで移動した。途中、山に上がるような感じの箇所で雪が少々強まった。と言って、道路面に雪が積もるという程でもない。木々の枝や建物の屋根等に雪が付着して辺りの様子が変わった。高雄山まで、バスの乗車時間は45分を切ったと思う。道路が空いていたからであろう。
そんな高雄山で神護寺を訪ねた。道路が築かれていてバスで上がる場所と、神護寺が在る場所との間には谷が在り、「下って上って」で往復歩く。片道20分前後だが、湿って滑り易い感じで、慎重な足取りを強いられた。雪に染まった様子も目立つ中、最澄や空海という平安時代初期の高僧達にも所縁が在る、少し独特な空気感が興味深かった。
神護寺から市街側へのバスだが、仁和寺を通ったので下車した。仁和寺では、一度立寄った時に「流してしまった?」という感じの場所をゆっくりと観た。
仁和寺からはバスで鹿苑寺金閣、通称「金閣寺」を訪ねた。金閣寺辺りでは風が冷たく、小雪が交っていた。独特な空気感を醸し出していた。そして意外に来訪者も多い感じだった。
その金閣に近い辺りで昼食を愉しんだ後は、バスで建勲神社を訪ねた。建勲神社は、かの織田信長を祀った神社である。なかなかに人気が高いようで、存外に来訪者は多かった。
そこからは、<全国高校駅伝>の交通規制でバスが何やら長目に停車するというような場面も在ったが、二条城に到った。既に午後3時近くになっていたので、見学に時間を要しそうな二条城は見学せず、地下鉄で烏丸御池に移動し、六角堂を訪ねた。以降は、珈琲を頂いて休むというようなことをしながら、何となく買物もして、宿に歩いて引揚げた。宿に着いた頃は午後6時に近かった。
何やら「京都に住んで何かをやっていたとして、或る時に“オフ”の時間が出来れば、多分こういうような過ごし方?」というような挙に及んだような気がしている。多数の写真を撮った。それの整理に着手しているが、追ってこの「京都の1人の休日」の様は詳しく綴ってみたい感だ。
明日は?「帰国」ということになっている…
前日は…訪ねた先で思った以上に時間を要しながら歩き廻り、移動中も色々と興趣が沸いて辺りを視て愉しみ、結果的に精力的に動いてエネルギーを使った一日の後は、「電池が切れた?」とでもいうような具合で、よく判らない間に居眠りに陥っていた。「あれ?寝てた…」と起き出して、暫く起きていて再度眠り、そして朝を迎えた。深夜に起きていた間には、夥しい数になった写真の整理に着手した。
何かそういうことばかりしている。それもまた好いが…
風がやや強めかもしれない状態、気温がやや下がりそうな状態と聞き、やや温かいアンダーウェアを持ち出し、それを着て出ることとした。京都に関して、「廻り込んで辿り着き、辿り着くまでにエネルギーを使った関係で、直ぐに休んだ…」という感を12月18日と12月25日に繰り返した。そういうことなので「少し京都に落ち着いて過ごそう」というような気になっていて、京都の地下鉄とバスに1日中自在に乗降可能な「1日券」を昨夕の間に用意している。
「コンビニしか開いていない…」という時間帯からバタバタと動き出しても、「早朝の暗さ」が長目なことと相俟って草臥れるので、少し間合いを見計らって出てみることとした。その間は居室で寛ぐ。が7時台から動いた。
四条烏丸のバス停まで、祇園の八坂神社を望むような辺りからゆっくりと歩いた。静かな日曜日の早朝に小雪が交る状態だった。そして少し長目に待つ羽目には陥ったが、高雄山までバスで移動した。途中、山に上がるような感じの箇所で雪が少々強まった。と言って、道路面に雪が積もるという程でもない。木々の枝や建物の屋根等に雪が付着して辺りの様子が変わった。高雄山まで、バスの乗車時間は45分を切ったと思う。道路が空いていたからであろう。
そんな高雄山で神護寺を訪ねた。道路が築かれていてバスで上がる場所と、神護寺が在る場所との間には谷が在り、「下って上って」で往復歩く。片道20分前後だが、湿って滑り易い感じで、慎重な足取りを強いられた。雪に染まった様子も目立つ中、最澄や空海という平安時代初期の高僧達にも所縁が在る、少し独特な空気感が興味深かった。
神護寺から市街側へのバスだが、仁和寺を通ったので下車した。仁和寺では、一度立寄った時に「流してしまった?」という感じの場所をゆっくりと観た。
仁和寺からはバスで鹿苑寺金閣、通称「金閣寺」を訪ねた。金閣寺辺りでは風が冷たく、小雪が交っていた。独特な空気感を醸し出していた。そして意外に来訪者も多い感じだった。
その金閣に近い辺りで昼食を愉しんだ後は、バスで建勲神社を訪ねた。建勲神社は、かの織田信長を祀った神社である。なかなかに人気が高いようで、存外に来訪者は多かった。
そこからは、<全国高校駅伝>の交通規制でバスが何やら長目に停車するというような場面も在ったが、二条城に到った。既に午後3時近くになっていたので、見学に時間を要しそうな二条城は見学せず、地下鉄で烏丸御池に移動し、六角堂を訪ねた。以降は、珈琲を頂いて休むというようなことをしながら、何となく買物もして、宿に歩いて引揚げた。宿に着いた頃は午後6時に近かった。
何やら「京都に住んで何かをやっていたとして、或る時に“オフ”の時間が出来れば、多分こういうような過ごし方?」というような挙に及んだような気がしている。多数の写真を撮った。それの整理に着手しているが、追ってこの「京都の1人の休日」の様は詳しく綴ってみたい感だ。
明日は?「帰国」ということになっている…
想像以上にエネルギーを使った感…=運行日誌(2021.12.25)
京都の祇園に在る宿の居室で寛いで居る。過去に利用した経過も在る場所だ。今般、関西空港からの「帰国」に備えて宿を求めることにしたのだが、幾つか思い浮かんだ中、この場所に空室が在って利用可能であると判り、御願いすることとした訳だ。
<スパワールド>でサウナも利用して身体が解れたことに加え、連日のように早朝から動き回って随分と歩いたからであろう。何やら早めに抗えない眠気が射して眠り、一旦は起き出したが再度の眠気でまた眠った。少し長目に深く眠って、頭がスッキリしたような感じで迎えた早朝である。今般のような自身の状況下では「往々にして…」というものかもしれないのだが、御願いしてある宿に入るまでの間に関しては、余り深くも考えていない。そんな状況だ…
「遠方を目指して発つ」という感でもないので、宿で提供の朝食―所謂バイキングだが、サラダを多めに、若干のおかずという形にした。同じチェーンの宿であった、前日の広島と同様…―を頂いて、些か寛ぎながら支度をして発った。
発ったのは午前7時半頃だったが、御願いしてある宿に入ったのは午後5時半過ぎで、既に戸外は薄暗く「土曜日夕刻の賑わい」も見受けられる感だった。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまっている。釈明というのでもない―そうする必然性も無いと思うのだが…―が、この顛末を少々綴っておきたい。そのための「運行日誌」である。
結論から申し上げると、思い付いて発った後に訪ねてみた場所で何となく思う以上に時間を要し、気付くと酷く時間が経ってしまっていて、「そろそろ宿へ…」という時点で「夕刻に差し掛かってしまって…」という状態であったに過ぎない。「たかが休暇…されど休暇…」と何処かで聞いたようなフレーズも思い浮かぶのだが、「思い立って」を重ねるようなことをしていると、何やら夢中になって時間も早く経過してしまうという訳だ。それ以上でも以下でもない。
動物園前駅で地下鉄堺筋線の列車に乗った。阪急の路線に直結している列車で淡路駅に出て阪急京都線の列車に乗り継ぐ。茨木市駅まで準急に、以降は快速急行に乗車で京都河原町駅に至った。午前9時前後になっていた。御願いしてある宿に入るまでの間に動き回るには好適かもしれないと思える時間帯だった。京都河原町駅構内のロッカーに嵩張るモノを預けて、少し動き回ってみることにしたのだ。
阪急の京都河原町駅から京阪の祇園四条駅まで歩いた。三条駅へ列車で北上し、地下鉄の三条京阪駅からびわ湖浜大津駅を目指した。そして概ね湖に沿う軌道を行き交う路線の列車を利用し、三井寺や石山寺を訪ね、あの独特なびわ湖浜大津駅を行き交う列車を少し眺めた。三井寺や石山寺は存外に見学(=参拝)に時間を要した…そして凄く興味を持っていたびわ湖浜大津駅を行き交う列車についても、時間を割いてゆっくりと眺めた。そんなことをしていて、殆ど午後2時半になってしまっていた。
びわ湖浜大津駅からは三条京阪駅に移動だ。そして京阪の三条駅から東福寺駅に南下した。東福寺駅近くの店に入って昼食を摂ったが、その時点で午後3時台の後半になってしまっていた。
東福寺駅からJRの列車に一駅間乗れば京都駅だ。京都駅では翌日に京都を動き回ってみる場面で使いそうな「1日乗車券」を入手し。京都タワーに立寄って、そこから宿を目指した。宿を目指す場面では、地下鉄で京都駅・四条駅間を移動し、阪急の烏丸駅へ向かって、阪急の列車で京都河原町駅だ。そして京都河原町駅でロッカーに預けた荷物を引っ張り出して宿に入った訳である。
こんなことをしていれば。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまう訳だ…
こういう具合の顛末をとりあえず綴っていて…居眠りに陥ってしまった…そこから眼を覚ました。未だ日付は改まっていない…様々なことは追って綴るが、色々とやっていてエネルギーを使った…
<スパワールド>でサウナも利用して身体が解れたことに加え、連日のように早朝から動き回って随分と歩いたからであろう。何やら早めに抗えない眠気が射して眠り、一旦は起き出したが再度の眠気でまた眠った。少し長目に深く眠って、頭がスッキリしたような感じで迎えた早朝である。今般のような自身の状況下では「往々にして…」というものかもしれないのだが、御願いしてある宿に入るまでの間に関しては、余り深くも考えていない。そんな状況だ…
「遠方を目指して発つ」という感でもないので、宿で提供の朝食―所謂バイキングだが、サラダを多めに、若干のおかずという形にした。同じチェーンの宿であった、前日の広島と同様…―を頂いて、些か寛ぎながら支度をして発った。
発ったのは午前7時半頃だったが、御願いしてある宿に入ったのは午後5時半過ぎで、既に戸外は薄暗く「土曜日夕刻の賑わい」も見受けられる感だった。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまっている。釈明というのでもない―そうする必然性も無いと思うのだが…―が、この顛末を少々綴っておきたい。そのための「運行日誌」である。
結論から申し上げると、思い付いて発った後に訪ねてみた場所で何となく思う以上に時間を要し、気付くと酷く時間が経ってしまっていて、「そろそろ宿へ…」という時点で「夕刻に差し掛かってしまって…」という状態であったに過ぎない。「たかが休暇…されど休暇…」と何処かで聞いたようなフレーズも思い浮かぶのだが、「思い立って」を重ねるようなことをしていると、何やら夢中になって時間も早く経過してしまうという訳だ。それ以上でも以下でもない。
動物園前駅で地下鉄堺筋線の列車に乗った。阪急の路線に直結している列車で淡路駅に出て阪急京都線の列車に乗り継ぐ。茨木市駅まで準急に、以降は快速急行に乗車で京都河原町駅に至った。午前9時前後になっていた。御願いしてある宿に入るまでの間に動き回るには好適かもしれないと思える時間帯だった。京都河原町駅構内のロッカーに嵩張るモノを預けて、少し動き回ってみることにしたのだ。
阪急の京都河原町駅から京阪の祇園四条駅まで歩いた。三条駅へ列車で北上し、地下鉄の三条京阪駅からびわ湖浜大津駅を目指した。そして概ね湖に沿う軌道を行き交う路線の列車を利用し、三井寺や石山寺を訪ね、あの独特なびわ湖浜大津駅を行き交う列車を少し眺めた。三井寺や石山寺は存外に見学(=参拝)に時間を要した…そして凄く興味を持っていたびわ湖浜大津駅を行き交う列車についても、時間を割いてゆっくりと眺めた。そんなことをしていて、殆ど午後2時半になってしまっていた。
びわ湖浜大津駅からは三条京阪駅に移動だ。そして京阪の三条駅から東福寺駅に南下した。東福寺駅近くの店に入って昼食を摂ったが、その時点で午後3時台の後半になってしまっていた。
東福寺駅からJRの列車に一駅間乗れば京都駅だ。京都駅では翌日に京都を動き回ってみる場面で使いそうな「1日乗車券」を入手し。京都タワーに立寄って、そこから宿を目指した。宿を目指す場面では、地下鉄で京都駅・四条駅間を移動し、阪急の烏丸駅へ向かって、阪急の列車で京都河原町駅だ。そして京都河原町駅でロッカーに預けた荷物を引っ張り出して宿に入った訳である。
こんなことをしていれば。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまう訳だ…
こういう具合の顛末をとりあえず綴っていて…居眠りに陥ってしまった…そこから眼を覚ました。未だ日付は改まっていない…様々なことは追って綴るが、色々とやっていてエネルギーを使った…
少しばかり東へ…=運行日誌(2021.12.24)
大阪の宿に在る…一週間前になっているが、12月17日に辿り着いて夜を明かした宿と同じ場所だ。更に―多分…―「1週間前に滞在した居室の隣室」と見受けられる場所だ…
深く眠って一度起き出し、もう一度深く眠って起き出すという具合で迎えた朝だった。
振り返ると?出発した17日…19日…20日…21日…22日…23日…と殆どの日程で「朝早めな暗い時間に始動」という様相である。冬至の当日を挟むような、1年の中で最も日が短い時季なるが故に「暗い朝」は自然なのだが、連日となっているので「時にはゆっくりとスタートしてみよう」と思い付いた。宿で朝食―サラダと、些かのおかずと、小さなパンを1つ…―の提供を受け、居室で暫し寛ぐ。
「帰国」と呼んでいるが、引揚げるのが関西空港を出るフライトなので、広島からであれば東進しなければならない。色々と道草しながら進むことを思い描いてはいた。が「今度こそ!」と「緩急の“緩”」という1日にしたいような気分になって来ていた。加えて、街の中を動き回ると「広島への断ち切り難い未練」に囚われてしまうというような気もして、結局「迷わずに広島駅へ!前進!!」ということにしたのだった。
実は荷物が増えた…稚内から着て来た上着とワークシャツでは汗ばむので、それを脱ぎ、半袖Tシャツの上に呉で求めたパーカーという服装に切り替えた。そうすると快適だが、上着とワークシャツは「荷物」だ…加えて呉で求めたモノも些か…そこで「モノが増えてしまった時のために…」と用意してあったエンジ色のトートバッグを使うことにした。それで歩き易くはなるが、それでも身軽に方々を見て回るのは余りい具合は好くない。
そして広島駅で切符を求め、乗車したのは<みずほ>という名の列車であった。新幹線の列車で新大阪に至ってしまった。新大阪では地下鉄の「1日乗車券」を入手し、以降はそれを使って少しだけ動き回った…
宿に入る前、近くの<スパワールド>という施設でサウナや大浴場を利用し、宿に入った後は淀屋橋を訪ねた。照明に浮かぶ<中央公会堂>を一寸眺めたかったのだが、何やら催事で周辺が混み合っていた。加えて、少し経って雨も混じり始めた…早々に引揚げ、「大阪の流儀の“お好み焼き”」を夕食として頂いた…
色々なことは追って順次綴るようにしたい。とりあえず、無事に少し東へ進んだのだった。
深く眠って一度起き出し、もう一度深く眠って起き出すという具合で迎えた朝だった。
振り返ると?出発した17日…19日…20日…21日…22日…23日…と殆どの日程で「朝早めな暗い時間に始動」という様相である。冬至の当日を挟むような、1年の中で最も日が短い時季なるが故に「暗い朝」は自然なのだが、連日となっているので「時にはゆっくりとスタートしてみよう」と思い付いた。宿で朝食―サラダと、些かのおかずと、小さなパンを1つ…―の提供を受け、居室で暫し寛ぐ。
「帰国」と呼んでいるが、引揚げるのが関西空港を出るフライトなので、広島からであれば東進しなければならない。色々と道草しながら進むことを思い描いてはいた。が「今度こそ!」と「緩急の“緩”」という1日にしたいような気分になって来ていた。加えて、街の中を動き回ると「広島への断ち切り難い未練」に囚われてしまうというような気もして、結局「迷わずに広島駅へ!前進!!」ということにしたのだった。
実は荷物が増えた…稚内から着て来た上着とワークシャツでは汗ばむので、それを脱ぎ、半袖Tシャツの上に呉で求めたパーカーという服装に切り替えた。そうすると快適だが、上着とワークシャツは「荷物」だ…加えて呉で求めたモノも些か…そこで「モノが増えてしまった時のために…」と用意してあったエンジ色のトートバッグを使うことにした。それで歩き易くはなるが、それでも身軽に方々を見て回るのは余りい具合は好くない。
そして広島駅で切符を求め、乗車したのは<みずほ>という名の列車であった。新幹線の列車で新大阪に至ってしまった。新大阪では地下鉄の「1日乗車券」を入手し、以降はそれを使って少しだけ動き回った…
宿に入る前、近くの<スパワールド>という施設でサウナや大浴場を利用し、宿に入った後は淀屋橋を訪ねた。照明に浮かぶ<中央公会堂>を一寸眺めたかったのだが、何やら催事で周辺が混み合っていた。加えて、少し経って雨も混じり始めた…早々に引揚げ、「大阪の流儀の“お好み焼き”」を夕食として頂いた…
色々なことは追って順次綴るようにしたい。とりあえず、無事に少し東へ進んだのだった。
大変に精力的に…=運行日誌(2021.12.23)
本当に「何時でも御休み頂いて構いません」という状態で広島の宿に在る。或いは「非常に好い一日」であったと思う。滞在中の広島の天候も好かった…
愉しい夕べの後に心地よく深く眠り、スッキリと早朝を迎えていた。早朝…思わず勤しんだのは、宿の館内にあるコインランドリーを利用しての洗濯だった。汗ばんだ長袖ワークシャツ等を洗った。そんな細かいことまで含めて、実に精力的に動いたということになる。
広島県入りをした後、「何やら温かい…」と思った。日中は13℃程度だ…汗ばむ場合も在るので、呉で求めたパーカーを半袖Tシャツの上に着て、そのまま戸外に出ても差し支えない感じだ。今朝もその出で立ちに、愛用の真っ黒な大阪近鉄バファローズのマークが入ったキャップを着用で出てみることとした。そしてそれで差支えなかった。朝は戸外を歩き廻っていて些か手が冷たい感じもしたが、程無く気にならなくなり、特段の不具合も無く過ごした。
午前中は友人と過ごすことが叶った。路面電車の広島港停留所で落ち合い、朝の混み合う時間帯に登場する例が多い「古めな車輛」を眺める等したのだが、その後は嘗ての「宇品線」の後を辿り、所謂「被爆建造物」である<旧陸軍広島被覆支廠>を眺めた。そして被爆の歴史でも知られる御幸橋へ通じる辺りで、再会を期して別れた。
今般の西日本入りの切っ掛けの一部が、稚内を訪ねてくれた友人を「返礼訪問」ということでもあったのだが、所用も在った中で非常に興味深い案内をしてくれて、「こういうのが面白いかもしれない」と色々と助言も頂いた。そういうことも在って、非常に精力的に広島を動き回り、何か広島も一気に「想い出多き街」になった。本当に「終いに動き悪くなってしまって…」という程度に精力的に動いた。
広島の想い出に関することは順次綴りたい。本当に多くの場所を巡って、精力的に昂揚した気分の中で過ごした。
明日は?「明日の風」に任せて、今宵は休む…
愉しい夕べの後に心地よく深く眠り、スッキリと早朝を迎えていた。早朝…思わず勤しんだのは、宿の館内にあるコインランドリーを利用しての洗濯だった。汗ばんだ長袖ワークシャツ等を洗った。そんな細かいことまで含めて、実に精力的に動いたということになる。
広島県入りをした後、「何やら温かい…」と思った。日中は13℃程度だ…汗ばむ場合も在るので、呉で求めたパーカーを半袖Tシャツの上に着て、そのまま戸外に出ても差し支えない感じだ。今朝もその出で立ちに、愛用の真っ黒な大阪近鉄バファローズのマークが入ったキャップを着用で出てみることとした。そしてそれで差支えなかった。朝は戸外を歩き廻っていて些か手が冷たい感じもしたが、程無く気にならなくなり、特段の不具合も無く過ごした。
午前中は友人と過ごすことが叶った。路面電車の広島港停留所で落ち合い、朝の混み合う時間帯に登場する例が多い「古めな車輛」を眺める等したのだが、その後は嘗ての「宇品線」の後を辿り、所謂「被爆建造物」である<旧陸軍広島被覆支廠>を眺めた。そして被爆の歴史でも知られる御幸橋へ通じる辺りで、再会を期して別れた。
今般の西日本入りの切っ掛けの一部が、稚内を訪ねてくれた友人を「返礼訪問」ということでもあったのだが、所用も在った中で非常に興味深い案内をしてくれて、「こういうのが面白いかもしれない」と色々と助言も頂いた。そういうことも在って、非常に精力的に広島を動き回り、何か広島も一気に「想い出多き街」になった。本当に「終いに動き悪くなってしまって…」という程度に精力的に動いた。
広島の想い出に関することは順次綴りたい。本当に多くの場所を巡って、精力的に昂揚した気分の中で過ごした。
明日は?「明日の風」に任せて、今宵は休む…
色々な意味で「好い時間」だ…=運行日誌(2021.12.22)
広島の宿に在る…「更に西へ」を実践した結果だ…
岡山の宿の居室で、「緩急の“緩”」を頭の隅で意識したような気はするが、意識したとおりに動いていたのか否かはやや微妙であるような気もしていた中で休み、早朝を迎えた。
御神酒(ごしんしゅ)と御店の方が呼んでいたが、吉備津神社の辺りで300ml入り瓶の清酒を求めた。少し芳醇な味で美味いモノだった。「美味いモノ」としたが…“試飲”と称して空けてしまった。そして直ぐに「深ーく!」というような様子で眠った訳である。深夜と早朝との境界の「深夜寄りな側…」という辺りにスッキリと起き出したのだ。好い朝というものだ…
<青春18きっぷ>を手に、「ハッキリ深夜!」という趣な早朝に岡山駅へ向かった。歩いて直ぐなのだが…そして「今日の分」の<青春18きっぷ>を使い始めた訳だ…
岡山駅からは「夜の移動?」という雰囲気で、山陽本線の列車で西へ進んだ。倉敷駅に着く前の車掌さんによる車内アナウンスで、乗換列車として「夜行列車」の<サンライズ出雲>への言及が在った。(これまでに一度だけ乗車したことも在った…)あの<サンライズ出雲>が岡山駅に至る以前に岡山駅を発っている。あれは倉敷駅では「出雲市駅へ向かう朝早めな列車」ということにでもなるのだろうか?
糸崎駅に至ると、山陽線の先行することになる列車に乗り換えて三原駅へ向かい、三原駅で呉線の列車に乗り換えた。その呉線の列車で呉駅に至ったのである。
呉は「どことなく懐かしい…」という気がする。「懐かしい」と言って縁深いのでも何でもない。何時の間にか「存外に古い話し…」ということになるのだが、過去に訪ねた経過が在って、その時のことを時々思い起すのだ。そんなことで、訳も無く「好いなぁ…」と思い出すのだが、そういう感覚が甦った。好天に恵まれた中で街を歩き廻る、バスに乗ってみる、面倒になってタクシーを使う、訳も意味も無く緑地で佇む、買物や食事にも興じるという具合で「呉の休日」という感でもあった。名状し悪い「好いなぁ…」というのは幾つかの場所で感じることなのだが、呉もそういうように思える場所だ。訳をうまく説明出来ないが、或いはその訳に容を与えるべく繰り返し尋ねてみるというのも一興なのかもしれない…
そういうことを思いながら呉駅で広島駅へ向かう列車に乗った…「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたが故に、関西まで南下し、その関西で少し張り切って動いていたが、奈良の後は「更に西…」へと動くという意図が在ったのだが、その意図の故に目指したのが広島だった。そしてその意図も無事に果たした…実に楽しい夕べを過ごすことが叶った…
偶々「会いたい人達が在る西日本」で動こうという中で広島が浮上したのだが、広島については「寧ろ通り過ぎる…」という感じが繰り返されている中、「もう少々親しんでみたい…」というようにも思っていた。故に今般の「会いたい人達が在る西日本」で動こうという意図に絡まって広島が浮上したというのは非常に幸いだったのだ。
ところで…最近、JRの広島駅は「新たに整備…」ということになっているらしく、建物を壊して新たに建てている。そういう訳で「何となく覚えている広島駅辺りの様子」が非常に大きく変わってしまっていて、些か戸惑ったということは綴っておかなければならないであろう。
仔細は追って様々に綴ってみたいが、とりあえず好い按配だ…広島では10℃かそれ以上と思われた日中の気温で、些かあせもかいた。替えの衣類を適当に用意という場面も在った…
岡山の宿の居室で、「緩急の“緩”」を頭の隅で意識したような気はするが、意識したとおりに動いていたのか否かはやや微妙であるような気もしていた中で休み、早朝を迎えた。
御神酒(ごしんしゅ)と御店の方が呼んでいたが、吉備津神社の辺りで300ml入り瓶の清酒を求めた。少し芳醇な味で美味いモノだった。「美味いモノ」としたが…“試飲”と称して空けてしまった。そして直ぐに「深ーく!」というような様子で眠った訳である。深夜と早朝との境界の「深夜寄りな側…」という辺りにスッキリと起き出したのだ。好い朝というものだ…
<青春18きっぷ>を手に、「ハッキリ深夜!」という趣な早朝に岡山駅へ向かった。歩いて直ぐなのだが…そして「今日の分」の<青春18きっぷ>を使い始めた訳だ…
岡山駅からは「夜の移動?」という雰囲気で、山陽本線の列車で西へ進んだ。倉敷駅に着く前の車掌さんによる車内アナウンスで、乗換列車として「夜行列車」の<サンライズ出雲>への言及が在った。(これまでに一度だけ乗車したことも在った…)あの<サンライズ出雲>が岡山駅に至る以前に岡山駅を発っている。あれは倉敷駅では「出雲市駅へ向かう朝早めな列車」ということにでもなるのだろうか?
糸崎駅に至ると、山陽線の先行することになる列車に乗り換えて三原駅へ向かい、三原駅で呉線の列車に乗り換えた。その呉線の列車で呉駅に至ったのである。
呉は「どことなく懐かしい…」という気がする。「懐かしい」と言って縁深いのでも何でもない。何時の間にか「存外に古い話し…」ということになるのだが、過去に訪ねた経過が在って、その時のことを時々思い起すのだ。そんなことで、訳も無く「好いなぁ…」と思い出すのだが、そういう感覚が甦った。好天に恵まれた中で街を歩き廻る、バスに乗ってみる、面倒になってタクシーを使う、訳も意味も無く緑地で佇む、買物や食事にも興じるという具合で「呉の休日」という感でもあった。名状し悪い「好いなぁ…」というのは幾つかの場所で感じることなのだが、呉もそういうように思える場所だ。訳をうまく説明出来ないが、或いはその訳に容を与えるべく繰り返し尋ねてみるというのも一興なのかもしれない…
そういうことを思いながら呉駅で広島駅へ向かう列車に乗った…「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたが故に、関西まで南下し、その関西で少し張り切って動いていたが、奈良の後は「更に西…」へと動くという意図が在ったのだが、その意図の故に目指したのが広島だった。そしてその意図も無事に果たした…実に楽しい夕べを過ごすことが叶った…
偶々「会いたい人達が在る西日本」で動こうという中で広島が浮上したのだが、広島については「寧ろ通り過ぎる…」という感じが繰り返されている中、「もう少々親しんでみたい…」というようにも思っていた。故に今般の「会いたい人達が在る西日本」で動こうという意図に絡まって広島が浮上したというのは非常に幸いだったのだ。
ところで…最近、JRの広島駅は「新たに整備…」ということになっているらしく、建物を壊して新たに建てている。そういう訳で「何となく覚えている広島駅辺りの様子」が非常に大きく変わってしまっていて、些か戸惑ったということは綴っておかなければならないであろう。
仔細は追って様々に綴ってみたいが、とりあえず好い按配だ…広島では10℃かそれ以上と思われた日中の気温で、些かあせもかいた。替えの衣類を適当に用意という場面も在った…
「成り行き」に半ば任せてしまうかのように…=運行日誌(2021.12.21)
「緩急の“緩”」を頭の隅で意識したような気はするが、意識したとおりに動いていたのか否かはやや微妙であるような気もする。現在、岡山に求めた宿の居室に在って寛いで居る。
充実の一日の後に深い眠りを経て迎えた早朝だった。「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたが故に、関西まで南下し、その関西で少し張り切って動いていたが、奈良の後は「更に西…」へと動くという意図が在った。
奈良は存外に交通が便利で、列車に乗って色々な場所へ向かうことは容易い。勿論、奈良駅―JRも、近鉄も…―では、本当に巨大な駅のように夥しい数の行先の列車が行き交っているということでもないが、乗り継ぐ等して色々な方面に出ていくには不便でもないと思う。鉄道は「鉄道網」というネットワークを形成し、そのネットワークに入り込んで自在に移動するためのものであると思う。故に奈良駅の在り方で大変に結構なのだ。
今般は身軽に動き回っているので、ドンドン乗換えながら「更に西…」へと動くということもやり易い訳だ。逆に言えば「方々へ気楽に動きたい」ということのために身軽な感じで出て来たという一面も在る。
朝早く…JRの列車を利用すべく、JRの奈良駅を目指して歩こうとした。が、滞在していた宿は近鉄奈良駅の直ぐ傍だ。「近鉄の列車で適当な駅に動いて、そこから乗換で西へ進むコースに乗って…」という程度に思って近鉄奈良駅に入った…
近鉄奈良駅で視掛けた列車は、阪神の軌道にも乗り入れている列車で、「神戸三宮」と行先表示が出ていた。実は…この「近鉄奈良・神戸三宮」という列車が一寸気に入っている。乗ってみたくなった…そして乗車である。「近鉄奈良・神戸三宮」という列車について、「最初から最後まで」というように乗車している乗客は、もしかすると限られるかもしれない。沿線の様々な区間に関して、利用需要に応じて乗客がドンドン入れ替わりながら走っている列車だと思う。
近鉄の駅で列車に乗り込み、阪神の神戸三宮に着くという状況が久し振りだったので新鮮だった。一寸、駅から外に踏み出した。そして散策を始めたが…何やら坂の上の新神戸駅に至ってしまった。新神戸駅…新幹線の列車専用になっている駅だ。こんな場所に至ってしまうと…「新幹線の列車に乗ってみたい!」という程度のことを思う。「手軽な感じで…」と、新大阪・鹿児島中央間に列車に乗り、何となく岡山に至ってしまった…
岡山では、思い付きで西大寺や吉備津神社を訪ねてみた。そして…「一寸…ゆっくりしよう…」ということにした訳だ…「西進の“続き”」は「明日!!」である。
充実の一日の後に深い眠りを経て迎えた早朝だった。「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたが故に、関西まで南下し、その関西で少し張り切って動いていたが、奈良の後は「更に西…」へと動くという意図が在った。
奈良は存外に交通が便利で、列車に乗って色々な場所へ向かうことは容易い。勿論、奈良駅―JRも、近鉄も…―では、本当に巨大な駅のように夥しい数の行先の列車が行き交っているということでもないが、乗り継ぐ等して色々な方面に出ていくには不便でもないと思う。鉄道は「鉄道網」というネットワークを形成し、そのネットワークに入り込んで自在に移動するためのものであると思う。故に奈良駅の在り方で大変に結構なのだ。
今般は身軽に動き回っているので、ドンドン乗換えながら「更に西…」へと動くということもやり易い訳だ。逆に言えば「方々へ気楽に動きたい」ということのために身軽な感じで出て来たという一面も在る。
朝早く…JRの列車を利用すべく、JRの奈良駅を目指して歩こうとした。が、滞在していた宿は近鉄奈良駅の直ぐ傍だ。「近鉄の列車で適当な駅に動いて、そこから乗換で西へ進むコースに乗って…」という程度に思って近鉄奈良駅に入った…
近鉄奈良駅で視掛けた列車は、阪神の軌道にも乗り入れている列車で、「神戸三宮」と行先表示が出ていた。実は…この「近鉄奈良・神戸三宮」という列車が一寸気に入っている。乗ってみたくなった…そして乗車である。「近鉄奈良・神戸三宮」という列車について、「最初から最後まで」というように乗車している乗客は、もしかすると限られるかもしれない。沿線の様々な区間に関して、利用需要に応じて乗客がドンドン入れ替わりながら走っている列車だと思う。
近鉄の駅で列車に乗り込み、阪神の神戸三宮に着くという状況が久し振りだったので新鮮だった。一寸、駅から外に踏み出した。そして散策を始めたが…何やら坂の上の新神戸駅に至ってしまった。新神戸駅…新幹線の列車専用になっている駅だ。こんな場所に至ってしまうと…「新幹線の列車に乗ってみたい!」という程度のことを思う。「手軽な感じで…」と、新大阪・鹿児島中央間に列車に乗り、何となく岡山に至ってしまった…
岡山では、思い付きで西大寺や吉備津神社を訪ねてみた。そして…「一寸…ゆっくりしよう…」ということにした訳だ…「西進の“続き”」は「明日!!」である。
「大感謝!」という感だった一日に…=運行日誌(2021.12.20)
前夜から連泊中である奈良の宿に在る。精力的に「好い時間」を過ごした1日が終わろうとする中、何やら大きな充足感の中で「何時でも御休み頂いて構いません」という状態で寛いで居る。
前夜…少し馴染んだ感じの中である宿の居室で何となく寛いで居て、「何時でも御休み頂いて構いません」というような状態に入り、何時の間にか訳も分からない感じに休んで、そこから変な時間に目を覚まして、起きている状態と休んでいる状態を繰り返す習性…全然変わらない。そういう中、奈良の宿の居室でこの早朝を迎えた。
今般関西に入ったのは「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたからに他ならない。その“第一弾”が今日なのだ。それで「眠っている場合ではないぞ!!」と無意識に「早寝早起き」になっているのかもしれない。そんなことを想わないでもなかった。
北海道では、「関西の街」と言えば大阪か京都が圧倒的な存在感を示している。それらを遥かに超えて、「関西」とでも言えば「<USJ>に行きたい!!」という話しになる。(<USJ>を関西の地元では寧ろ「ユニバ」と呼んでいるように見受けられるが…)そして大阪でもなく、見所が非常に多いと見受けられる京都に宿を求めた場合でさえ、何やら限られた時間の中で<USJ>を訪ねるに終始という話しも聞く。そんな中に在って自身は「奈良派」を自称している「少数派」だ。自身は大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、和歌山県、奈良県と関西各地に足跡を残しているのだが、<USJ>を訪ねた経験は現時点で皆無だ。そして「国内の遠い辺りから関西に入る来訪者」の選択としては「少数派に過ぎる?」とも見受けられるが、敢えて奈良に泊るようなことも敢えてする。
そういうことで、奈良の方とブログを介してやり取りをするようになって「何時か御会いしましょう」ということになっていた。その「何時か」を今日は実現したのだ。「実は未だ然程親しんでいるのでもない部分の奈良県に親しみたい」という自身の希望を汲取って頂き「明日香村へドライブに…」と御提案を頂き「素晴らしい!」と実施に至った。
先方から「6時半出発」と仰って頂いた中、「では宿の前で待ちます」という話しで、実際に宿の前―バス停が何個か在って、自家用車を停め悪い場所だが…―で御会いした。何やら「“昭和時代”辺りの流儀か?」という感じだった。そういうのも好い…
非常に天候の好い一日となった。適当に雲は在ったが、天は明るく、風は微弱であり、温かくはないかもしれないながら酷く寒いのでもない状態だ。そんな中で<平城宮跡>で朝陽が光を解き放とうとするような様子を眺めてから出発した。有名な社寺や遺跡を巡り、明日香村の景観を愉しみ、奈良市内の<ならまち>地区を夕刻に少々歩いた。利用し易い飲食店が見出し悪いかもしれない明日香村で動こうとしている関係上、午前中に「柿の葉寿司」を仕入れて、素晴らしい眺望を丘の上の展望台で愉しみながら摘まんだランチが愉しかった。そして地元の人達に愛されるおでんの店で夕食を愉しんだ。
本当に、早朝から夜まで、何か「遠方に出ている身内が久々に現れたので一寸辺りでドライブ」というような具合にお迎え頂き、非常に嬉しく、また正しく「実は未だ然程親しんでいるのでもない部分の奈良県に親しみたい」という希望が叶った。明日香村辺りは、所謂「飛鳥時代」の様々な文物、遺構や遺跡、慣習、伝承が色々と在る不思議な場所で、厳しく規制して景観が護られていて、何やら面白いが交通は不便だ。村内の鉄道駅を発着する列車はそこそこに在るが、駅から村内各所を訪ねるのが少し不便なのだ。そういう場所を選んで、ドライブに御誘い頂いたのは幸いだった。そして少数派かもしれない「奈良派」が多少でも増えればという先方の熱意も非常に嬉しかった。
明日香村辺りの、所謂「飛鳥時代」の様々な文物、遺構や遺跡に関しては、「考古学」(何かを発掘し、出て来たモノから古い時代を推察する)と「歴史学」(書き綴られた記録を読み解き、古い時代の様子を考察する)との「境界?」というような、不思議な存在のモノが多い。「どんなことをして造った?」という要素や、華やかな壁画が伝わるという場所が在る古墳、「悪いモノが入らないように“結界”を設ける」とする川の辺りに綱を張る慣例、誰が何のために造ったのかよく判らない中で色々な伝説めいた話しが伝わる不思議な石造物、日本国内に仏教が入って普及し始めたような頃に起源を有しながら栄枯盛衰を経験してきたという寺院等々に触れる中で「考古学と歴史学との境界」というようなことを想ったのだ。
様々な事柄は追って綴って行くようにしたい。明日は?多分「明日の風」に乗るようにするであろう…
前夜…少し馴染んだ感じの中である宿の居室で何となく寛いで居て、「何時でも御休み頂いて構いません」というような状態に入り、何時の間にか訳も分からない感じに休んで、そこから変な時間に目を覚まして、起きている状態と休んでいる状態を繰り返す習性…全然変わらない。そういう中、奈良の宿の居室でこの早朝を迎えた。
今般関西に入ったのは「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたからに他ならない。その“第一弾”が今日なのだ。それで「眠っている場合ではないぞ!!」と無意識に「早寝早起き」になっているのかもしれない。そんなことを想わないでもなかった。
北海道では、「関西の街」と言えば大阪か京都が圧倒的な存在感を示している。それらを遥かに超えて、「関西」とでも言えば「<USJ>に行きたい!!」という話しになる。(<USJ>を関西の地元では寧ろ「ユニバ」と呼んでいるように見受けられるが…)そして大阪でもなく、見所が非常に多いと見受けられる京都に宿を求めた場合でさえ、何やら限られた時間の中で<USJ>を訪ねるに終始という話しも聞く。そんな中に在って自身は「奈良派」を自称している「少数派」だ。自身は大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、和歌山県、奈良県と関西各地に足跡を残しているのだが、<USJ>を訪ねた経験は現時点で皆無だ。そして「国内の遠い辺りから関西に入る来訪者」の選択としては「少数派に過ぎる?」とも見受けられるが、敢えて奈良に泊るようなことも敢えてする。
そういうことで、奈良の方とブログを介してやり取りをするようになって「何時か御会いしましょう」ということになっていた。その「何時か」を今日は実現したのだ。「実は未だ然程親しんでいるのでもない部分の奈良県に親しみたい」という自身の希望を汲取って頂き「明日香村へドライブに…」と御提案を頂き「素晴らしい!」と実施に至った。
先方から「6時半出発」と仰って頂いた中、「では宿の前で待ちます」という話しで、実際に宿の前―バス停が何個か在って、自家用車を停め悪い場所だが…―で御会いした。何やら「“昭和時代”辺りの流儀か?」という感じだった。そういうのも好い…
非常に天候の好い一日となった。適当に雲は在ったが、天は明るく、風は微弱であり、温かくはないかもしれないながら酷く寒いのでもない状態だ。そんな中で<平城宮跡>で朝陽が光を解き放とうとするような様子を眺めてから出発した。有名な社寺や遺跡を巡り、明日香村の景観を愉しみ、奈良市内の<ならまち>地区を夕刻に少々歩いた。利用し易い飲食店が見出し悪いかもしれない明日香村で動こうとしている関係上、午前中に「柿の葉寿司」を仕入れて、素晴らしい眺望を丘の上の展望台で愉しみながら摘まんだランチが愉しかった。そして地元の人達に愛されるおでんの店で夕食を愉しんだ。
本当に、早朝から夜まで、何か「遠方に出ている身内が久々に現れたので一寸辺りでドライブ」というような具合にお迎え頂き、非常に嬉しく、また正しく「実は未だ然程親しんでいるのでもない部分の奈良県に親しみたい」という希望が叶った。明日香村辺りは、所謂「飛鳥時代」の様々な文物、遺構や遺跡、慣習、伝承が色々と在る不思議な場所で、厳しく規制して景観が護られていて、何やら面白いが交通は不便だ。村内の鉄道駅を発着する列車はそこそこに在るが、駅から村内各所を訪ねるのが少し不便なのだ。そういう場所を選んで、ドライブに御誘い頂いたのは幸いだった。そして少数派かもしれない「奈良派」が多少でも増えればという先方の熱意も非常に嬉しかった。
明日香村辺りの、所謂「飛鳥時代」の様々な文物、遺構や遺跡に関しては、「考古学」(何かを発掘し、出て来たモノから古い時代を推察する)と「歴史学」(書き綴られた記録を読み解き、古い時代の様子を考察する)との「境界?」というような、不思議な存在のモノが多い。「どんなことをして造った?」という要素や、華やかな壁画が伝わるという場所が在る古墳、「悪いモノが入らないように“結界”を設ける」とする川の辺りに綱を張る慣例、誰が何のために造ったのかよく判らない中で色々な伝説めいた話しが伝わる不思議な石造物、日本国内に仏教が入って普及し始めたような頃に起源を有しながら栄枯盛衰を経験してきたという寺院等々に触れる中で「考古学と歴史学との境界」というようなことを想ったのだ。
様々な事柄は追って綴って行くようにしたい。明日は?多分「明日の風」に乗るようにするであろう…
意外とも言えるかもしれない動き…=運行日誌(2021.12.19)
或る種の“科学”というような「客観的指標」のようなモノ等在る筈もないとは思うが、そして個人差が非常に大きいのだとも思うが「居心地が好い」と思う街の規模」という程のモノが各人各様に在るような気がする。自身の場合、その「居心地が好い」と思う範囲は色々な意味合いでかなり広いような気がしている。「広い」からこそ、方々へ出掛けるようなことを好む一面が在るのだとも思う。
訪ねて滞在したというようなことを話題にすれば「修学旅行で…」という程度の訪問経験しか無いという人が存外多い奈良であるが、何となく滞在してみて居心地が好かったことから、勝手に「関西の別邸」と呼んで、関西方面に出るようん機会を設ける都度、立寄りや滞在が視野に入るようになっている。その奈良に在る。
奈良では2軒程度の「複数回の利用経過の宿」が在る。その中の1軒に滞在することにした。少し馴染んだ感じの中で何となく寛いで居て、「後は何時でも休んで頂いて構いません」というような状態だ…
単純に「チェーンホテルのフロント担当従業員の“マニュアル”に在るフレーズに過ぎない?」ということかもしれない「お帰りなさいませ!」を大阪で聞いて気を好くしたというようなことを既に綴った。
実際、自身は何らかの形で大阪に縁深いのでも何でもない。偶々何度も訪れて、少しばかり気に入った訪問先になっているというだけのことだ。だから「お帰りなさいませ!」に気を好くする筋合いでもない。が、「各々な伝統を積み重ねた様々な地域が連なり、様々な文物に気軽に出会える場所」という大阪を含む関西は好いのだ。
そうは言っても、関西以外に訪ねたい場所は多い。何とか訪ねたい「(実質的)未踏箇所」も国内には多い。それでも今般関西に入ったのは「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたからに他ならない。その“第一弾”に備えるというのが今日の動きの基礎だ。会いたい方と会って共に過ごすという話しが在って、それに目掛けての奈良滞在ということでもある。
そういう要素に加え、最近思っていることが在る。「定番を避けず、真面に向き合ってみると酷く善い」という程度に、高野山での経験、その後に道草の京都で強く思ったので、それの「実践」を少し意識した。
問題意識は問題意識として、「出先」でも「習性」に然程の差異等無い。そして気持ちが昂っているためか、その「習性」はより強い傾向を帯びる。日中に動き回って多少エネルギーを消耗し、何か酷く早くに眠ってしまい、やや遅くに起き出して暫く起きている。そしてまた少し休んで、早朝にはまた動き出すという訳だ。加えて、眠りは「深く短く」という様相も呈してしまう。
京都の宿で早朝を迎えた後、少し前に「大宮通を歩いて北上」ということをしたことを不意に思い出し、「では今般は早朝の街で、その大宮通を南下しよう」と思い付いた…この種の思い付きは「即座に実行」である。
思い付きは「即座に実行」で、「早朝」というより「深夜…」という趣が濃い大宮通を南下してみて東寺の辺りに至った。当時の五重塔近くの空が少しずつ明るくなる様を眺め、近鉄の東寺駅が視えるような辺りの何度か利用した経過も記憶に在るコンビニで飲物を求める等して何となく「自身の習性」に即したような行動に出先の京都で至っていた…東寺駅から列車に乗るということであるなら、<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を遠慮無く使うことが叶う。
東寺駅に関しては、北上する列車は隣の京都駅停まりの列車ばかりになる。南下する列車は幾つか行先も在り、進んだ先で乗換える、乗り継ぐというような選択肢も豊富だ。
↓辿った経過だ…
東寺→大和西大寺(急行)
大和西大寺→近鉄奈良(普通)
近鉄奈良→大和西大寺(普通)
大和西大寺→西ノ京(普通)
西ノ京→大和西大寺(急行)
大和西大寺→近鉄奈良(普通)
こういう具合で、京都から奈良に至った後、色々と思い描くことは在ったのだが、奈良に留まって、そのまま予約していた宿に入ったという形になった…自身でもやや意外ではあった。
「定番を避けず、真面に向き合ってみると酷く善い」という程度に、高野山での経験、その後に道草の京都で強く思ったので、それの「実践」を少し意識していた。そういう中で思い浮かんだのは東大寺大仏殿だ。
近鉄が「沿線の観光宣伝」ということで“奈良”を取り上げている中で「私は奈良派」というシリーズを展開し、奈良県に関する情報発信を試みている。この「私は奈良派」という言い方が好いと思う。“派”というのが「支持する。応援したい。推す」ということであるなら、自身でも奈良を勝手に「関西の別邸」という程度に呼んで、何度も滞在して色々と廻っている。「修学旅行で…」という程度の訪問経験しか無いという人が存外多い奈良だが、「あそこは存外に居心地が好く、見所は果てしなく色々在る…」としているのだ。
東寺からの列車の車中、実は途中の京都府内で下車する意図も在ったが、そのまま通り過ぎて奈良に至った。そして奈良の街、または公園を街と呼んでしまっているような場所を少し歩き廻り「東大寺を真面目に拝観しよう!久し振りに大仏様に面会するのだ!」と思い付いた。
大仏殿の入場券窓口に至ると、<東大寺ミュージアム>との“共通券”も売られている。<東大寺ミュージアム>は東大寺に伝わる名宝を展示している場所なのだが、考えてみると入ったことが無かった。その“共通券”を窓口の係に御願いした。係の方は妙なことを言う。「大仏殿を御覧頂いた後、<東大寺ミュージアム>のオープンまで間隔が空きますが…」ということだった。窓口に在った時点で大仏殿は既に拝観者を迎えていたが、<東大寺ミュージアム>が開くのは45分か50分か後だった。なるほど、急いで他へ動くなら“共通券”は無用だ。が、私は応じた。「大仏殿の後、あちらの法華堂または三月堂や、二月堂や何かを拝観して、その辺を散策しようかと思います。それなら結構な時間を要しますから…」とである。すると窓口の係の方から笑みが零れた。「そうですね!色々と廻って頂けますね!」と嬉しそうで、そしてその“共通券”を売ってくれた。多分…大仏殿と<東大寺ミュージアム>とで、有名な仏像等の見学は事足りるとでも思われていて、「大仏殿を視た後、ミュージアムは開いていないやないか?!」と、係の方は苦情めいた話しを聞かされていて、御自身として“共通券”を求めようという人には質すことにしているか、彼らの中でそういうマニュアルになっているのだろう。
そんな話しになって、東大寺の各堂を巡って、最後に<東大寺ミュージアム>をゆっくりと見学した。何か「感じるモノ」も多かった。「善かった!」と近鉄奈良駅の方向に歩いたが、通り道には興福寺が在る。興福寺にも優れた仏像等が多く伝わっているのだが、それらを集めた<国宝館>という展示場が在るのだが、考えてみればそこも未踏だった。それを思い出して入場してみた。
興福寺の<国宝館>で、非常に大きな千手観音像を視たが…或る意味で「大仏よりも驚く」という感だ。
大仏の「大きさ」は驚くべきものではあるが、あれは「恰幅の好い高僧が静かに座っていて、何も畏れることは無いと、訪れる人達に悠然とした態度で臨んでいる」という風だ。しかしあの千手観音像はそうでもない…
千手観音は「無数の手を全ての人達に指し伸ばし、すべての人達を救い、導く」という概念を図像化、仏像として立体化したモノで、やや異形だ。その異形さが何やら酷く迫力が在るのだ。更に有名な阿修羅像を含む<八部衆>の像のような、他所には類例が少ない仏像も豊富だ。
そういうことをしていて昼食休憩を取るならそうした方が好さそうな時間帯に入った。休憩した後、今度は「そうだ!」と思い立ち、唐招提寺や薬師寺を訪ねてみたのだった。
何やら、酷く多くの事を学び、気付いたような感じだった他方、然程移動していないかもしれない中で随分と歩き廻った。東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺は各々に広い。そして東大寺と興福寺との間、唐招提寺と薬師寺との間も意外に距離は在る。
こういうようなことを色々と仕出かしていて、感じたことや思ったことは、撮った写真を交えて、追って御紹介したい。
訪ねて滞在したというようなことを話題にすれば「修学旅行で…」という程度の訪問経験しか無いという人が存外多い奈良であるが、何となく滞在してみて居心地が好かったことから、勝手に「関西の別邸」と呼んで、関西方面に出るようん機会を設ける都度、立寄りや滞在が視野に入るようになっている。その奈良に在る。
奈良では2軒程度の「複数回の利用経過の宿」が在る。その中の1軒に滞在することにした。少し馴染んだ感じの中で何となく寛いで居て、「後は何時でも休んで頂いて構いません」というような状態だ…
単純に「チェーンホテルのフロント担当従業員の“マニュアル”に在るフレーズに過ぎない?」ということかもしれない「お帰りなさいませ!」を大阪で聞いて気を好くしたというようなことを既に綴った。
実際、自身は何らかの形で大阪に縁深いのでも何でもない。偶々何度も訪れて、少しばかり気に入った訪問先になっているというだけのことだ。だから「お帰りなさいませ!」に気を好くする筋合いでもない。が、「各々な伝統を積み重ねた様々な地域が連なり、様々な文物に気軽に出会える場所」という大阪を含む関西は好いのだ。
そうは言っても、関西以外に訪ねたい場所は多い。何とか訪ねたい「(実質的)未踏箇所」も国内には多い。それでも今般関西に入ったのは「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたからに他ならない。その“第一弾”に備えるというのが今日の動きの基礎だ。会いたい方と会って共に過ごすという話しが在って、それに目掛けての奈良滞在ということでもある。
そういう要素に加え、最近思っていることが在る。「定番を避けず、真面に向き合ってみると酷く善い」という程度に、高野山での経験、その後に道草の京都で強く思ったので、それの「実践」を少し意識した。
問題意識は問題意識として、「出先」でも「習性」に然程の差異等無い。そして気持ちが昂っているためか、その「習性」はより強い傾向を帯びる。日中に動き回って多少エネルギーを消耗し、何か酷く早くに眠ってしまい、やや遅くに起き出して暫く起きている。そしてまた少し休んで、早朝にはまた動き出すという訳だ。加えて、眠りは「深く短く」という様相も呈してしまう。
京都の宿で早朝を迎えた後、少し前に「大宮通を歩いて北上」ということをしたことを不意に思い出し、「では今般は早朝の街で、その大宮通を南下しよう」と思い付いた…この種の思い付きは「即座に実行」である。
思い付きは「即座に実行」で、「早朝」というより「深夜…」という趣が濃い大宮通を南下してみて東寺の辺りに至った。当時の五重塔近くの空が少しずつ明るくなる様を眺め、近鉄の東寺駅が視えるような辺りの何度か利用した経過も記憶に在るコンビニで飲物を求める等して何となく「自身の習性」に即したような行動に出先の京都で至っていた…東寺駅から列車に乗るということであるなら、<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を遠慮無く使うことが叶う。
東寺駅に関しては、北上する列車は隣の京都駅停まりの列車ばかりになる。南下する列車は幾つか行先も在り、進んだ先で乗換える、乗り継ぐというような選択肢も豊富だ。
↓辿った経過だ…
東寺→大和西大寺(急行)
大和西大寺→近鉄奈良(普通)
近鉄奈良→大和西大寺(普通)
大和西大寺→西ノ京(普通)
西ノ京→大和西大寺(急行)
大和西大寺→近鉄奈良(普通)
こういう具合で、京都から奈良に至った後、色々と思い描くことは在ったのだが、奈良に留まって、そのまま予約していた宿に入ったという形になった…自身でもやや意外ではあった。
「定番を避けず、真面に向き合ってみると酷く善い」という程度に、高野山での経験、その後に道草の京都で強く思ったので、それの「実践」を少し意識していた。そういう中で思い浮かんだのは東大寺大仏殿だ。
近鉄が「沿線の観光宣伝」ということで“奈良”を取り上げている中で「私は奈良派」というシリーズを展開し、奈良県に関する情報発信を試みている。この「私は奈良派」という言い方が好いと思う。“派”というのが「支持する。応援したい。推す」ということであるなら、自身でも奈良を勝手に「関西の別邸」という程度に呼んで、何度も滞在して色々と廻っている。「修学旅行で…」という程度の訪問経験しか無いという人が存外多い奈良だが、「あそこは存外に居心地が好く、見所は果てしなく色々在る…」としているのだ。
東寺からの列車の車中、実は途中の京都府内で下車する意図も在ったが、そのまま通り過ぎて奈良に至った。そして奈良の街、または公園を街と呼んでしまっているような場所を少し歩き廻り「東大寺を真面目に拝観しよう!久し振りに大仏様に面会するのだ!」と思い付いた。
大仏殿の入場券窓口に至ると、<東大寺ミュージアム>との“共通券”も売られている。<東大寺ミュージアム>は東大寺に伝わる名宝を展示している場所なのだが、考えてみると入ったことが無かった。その“共通券”を窓口の係に御願いした。係の方は妙なことを言う。「大仏殿を御覧頂いた後、<東大寺ミュージアム>のオープンまで間隔が空きますが…」ということだった。窓口に在った時点で大仏殿は既に拝観者を迎えていたが、<東大寺ミュージアム>が開くのは45分か50分か後だった。なるほど、急いで他へ動くなら“共通券”は無用だ。が、私は応じた。「大仏殿の後、あちらの法華堂または三月堂や、二月堂や何かを拝観して、その辺を散策しようかと思います。それなら結構な時間を要しますから…」とである。すると窓口の係の方から笑みが零れた。「そうですね!色々と廻って頂けますね!」と嬉しそうで、そしてその“共通券”を売ってくれた。多分…大仏殿と<東大寺ミュージアム>とで、有名な仏像等の見学は事足りるとでも思われていて、「大仏殿を視た後、ミュージアムは開いていないやないか?!」と、係の方は苦情めいた話しを聞かされていて、御自身として“共通券”を求めようという人には質すことにしているか、彼らの中でそういうマニュアルになっているのだろう。
そんな話しになって、東大寺の各堂を巡って、最後に<東大寺ミュージアム>をゆっくりと見学した。何か「感じるモノ」も多かった。「善かった!」と近鉄奈良駅の方向に歩いたが、通り道には興福寺が在る。興福寺にも優れた仏像等が多く伝わっているのだが、それらを集めた<国宝館>という展示場が在るのだが、考えてみればそこも未踏だった。それを思い出して入場してみた。
興福寺の<国宝館>で、非常に大きな千手観音像を視たが…或る意味で「大仏よりも驚く」という感だ。
大仏の「大きさ」は驚くべきものではあるが、あれは「恰幅の好い高僧が静かに座っていて、何も畏れることは無いと、訪れる人達に悠然とした態度で臨んでいる」という風だ。しかしあの千手観音像はそうでもない…
千手観音は「無数の手を全ての人達に指し伸ばし、すべての人達を救い、導く」という概念を図像化、仏像として立体化したモノで、やや異形だ。その異形さが何やら酷く迫力が在るのだ。更に有名な阿修羅像を含む<八部衆>の像のような、他所には類例が少ない仏像も豊富だ。
そういうことをしていて昼食休憩を取るならそうした方が好さそうな時間帯に入った。休憩した後、今度は「そうだ!」と思い立ち、唐招提寺や薬師寺を訪ねてみたのだった。
何やら、酷く多くの事を学び、気付いたような感じだった他方、然程移動していないかもしれない中で随分と歩き廻った。東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺は各々に広い。そして東大寺と興福寺との間、唐招提寺と薬師寺との間も意外に距離は在る。
こういうようなことを色々と仕出かしていて、感じたことや思ったことは、撮った写真を交えて、追って御紹介したい。
好い意味での“誤算”が重なる感…=運行日誌(2021.12.18)
大阪・京都間はJRの新快速で30分程度であると承知しているが、その両者の間を1日掛けて動いたというような感じになる。京都の宿に在る…
「お帰りなさいませ!」に迎えられた通天閣に近い宿で、昂り過ぎた気持ちの故か、逆に少し面倒かもしれない顛末を乗り越えて予定どおりに動いた安堵感が大き過ぎるのか、余り長く眠らないままに朝を迎えた。とりあえずは、やや多めなサラダと些かのソーセージに焼魚ではあるが、宿の朝食を頂いた。前夜は―日中にモノを食べていないような感じから唐突にだが…―確りと串カツを摘まんだ訳で、多めなサラダを朝食として摂るという位が好さそうだと思ったのである。
昨夜、宿にモノを置いた後、JRの快速にせよ、地下鉄にせよ「1駅間」である天王寺に一寸だけ出たのは、近鉄の大阪阿部野橋駅に寄りたかったからだ。<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を求めたかった。「御利用開始前日までに御求め願います」というルールなので、今日(12月18日)から使うモノを前日(12月17日)中に入手しておきたかった。3千円で、近鉄の「別途料金券」を求められない列車は全て乗車可能という代物だ。「別途料金券」を求められるなら、それを求めれば乗車可能である。これは利用経験も在って気に入っているので、今般は使うことにしたのだ。
<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を如何に使うか?(何れも宿から近いが)大阪難波駅か大阪阿部野橋駅に出て、そこを起点に何箇所か巡り、大阪、奈良、京都の近鉄沿線で宿を求めれば好い筈だ。余り寝ないで迎えたような早朝に宿の居室で少々考えていた…今宵の宿を求めようとした時、大阪、奈良、京都の近鉄沿線―多少逸れても構わないのだが…―であると、相対的に空室が多めで安価なように視えたのが京都だったのだ。
↓辿った経過だ…
動物園前→天王寺(大阪メトロ)
大阪阿部野橋→河内長野(近鉄)
河内長野駅前→天野山→河内長野駅前(南海バス)
河内長野→古市→当麻寺(近鉄)
当麻寺→橿原神宮前(近鉄)
橿原神宮前→京都(近鉄)(特急)
結果的に「バスの待ち時間」を要し、乗車時間もそこそこであったということが生じ、更に訪ねてみれば驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたというのが生じた。朝8時前から動き始めたが、思い付いた特急列車で京都駅に着けば午後4時という状況であった。今日もまた、昼食と夕食とが兼用のようになってしまった…そこから宿まで少し歩いた。宿にに入って以降は、コンビニに飲物等を求めに出たが、基本的に居室で寛ぎ、「何時でも御休み頂いて結構です」という感じにしてしまった…
河内長野で訪ねたのは天野山金剛寺だ。南北朝時代の色々な経過や、「女人高野」と呼ばれていたような経過も在って、建築から仏像や著名人の書簡まで文化財が実に多い…ここが「バスの待ち時間」を要し、乗車時間もそこそこであったという場所だ。
当麻寺で訪ねたのは、正しく當麻寺である。真言宗系の本寺と塔頭、加えて浄土宗の流れをくむ塔頭も在って、建築、庭園、仏像等々の見所が非常に多い…ここが訪ねてみれば驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたという場所だ。
大阪府の内陸部、奈良県と廻ったが、好天と呼び得る範囲だったと思う。10℃に多分届かないような気温にはなっていたようだが…風が時々強く冷たかったが、昨日のように列車運行が乱れてしまうというような調子でも無かった。
「近鉄の列車で奈良県内から京都」という移動は知らない訳ではない。が、特急列車は乗車経験が無かった。それで試したかったというだけのことなのだ。実に快適だった…
京都では京都駅の真ん前の<京都タワー>に惹かれたが、何やら天が中途半端な光加減の様子だったので敢えて展望台に上がらず、ビルの中を冷かせば地下に半ばフードコートの方式を採り入れた飲食店街が形成されていて、空腹が酷かったのでガッチリとハンバーガーを頂いてしまった…
求めた宿は随分と以前に一度利用した記憶も在る。何度も京都に立寄っているので、何時なのか特定し悪いのだが…
今日は「好い意味での“誤算”」が重なった感だ。些かマイナーな感も否定し悪い街で、ドタバタとバスの待ち時間が変に長くなるようなことが在ったが、それでも「価値は高い!」と思った。そして「驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたという」ようなことは気儘に勝手に動き回る場合の醍醐味のような感さえ在る。こうした諸々に関しては、何れゆっくりとこちらのブログに綴ろうと思っている。
「お帰りなさいませ!」に迎えられた通天閣に近い宿で、昂り過ぎた気持ちの故か、逆に少し面倒かもしれない顛末を乗り越えて予定どおりに動いた安堵感が大き過ぎるのか、余り長く眠らないままに朝を迎えた。とりあえずは、やや多めなサラダと些かのソーセージに焼魚ではあるが、宿の朝食を頂いた。前夜は―日中にモノを食べていないような感じから唐突にだが…―確りと串カツを摘まんだ訳で、多めなサラダを朝食として摂るという位が好さそうだと思ったのである。
昨夜、宿にモノを置いた後、JRの快速にせよ、地下鉄にせよ「1駅間」である天王寺に一寸だけ出たのは、近鉄の大阪阿部野橋駅に寄りたかったからだ。<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を求めたかった。「御利用開始前日までに御求め願います」というルールなので、今日(12月18日)から使うモノを前日(12月17日)中に入手しておきたかった。3千円で、近鉄の「別途料金券」を求められない列車は全て乗車可能という代物だ。「別途料金券」を求められるなら、それを求めれば乗車可能である。これは利用経験も在って気に入っているので、今般は使うことにしたのだ。
<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を如何に使うか?(何れも宿から近いが)大阪難波駅か大阪阿部野橋駅に出て、そこを起点に何箇所か巡り、大阪、奈良、京都の近鉄沿線で宿を求めれば好い筈だ。余り寝ないで迎えたような早朝に宿の居室で少々考えていた…今宵の宿を求めようとした時、大阪、奈良、京都の近鉄沿線―多少逸れても構わないのだが…―であると、相対的に空室が多めで安価なように視えたのが京都だったのだ。
↓辿った経過だ…
動物園前→天王寺(大阪メトロ)
大阪阿部野橋→河内長野(近鉄)
河内長野駅前→天野山→河内長野駅前(南海バス)
河内長野→古市→当麻寺(近鉄)
当麻寺→橿原神宮前(近鉄)
橿原神宮前→京都(近鉄)(特急)
結果的に「バスの待ち時間」を要し、乗車時間もそこそこであったということが生じ、更に訪ねてみれば驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたというのが生じた。朝8時前から動き始めたが、思い付いた特急列車で京都駅に着けば午後4時という状況であった。今日もまた、昼食と夕食とが兼用のようになってしまった…そこから宿まで少し歩いた。宿にに入って以降は、コンビニに飲物等を求めに出たが、基本的に居室で寛ぎ、「何時でも御休み頂いて結構です」という感じにしてしまった…
河内長野で訪ねたのは天野山金剛寺だ。南北朝時代の色々な経過や、「女人高野」と呼ばれていたような経過も在って、建築から仏像や著名人の書簡まで文化財が実に多い…ここが「バスの待ち時間」を要し、乗車時間もそこそこであったという場所だ。
当麻寺で訪ねたのは、正しく當麻寺である。真言宗系の本寺と塔頭、加えて浄土宗の流れをくむ塔頭も在って、建築、庭園、仏像等々の見所が非常に多い…ここが訪ねてみれば驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたという場所だ。
大阪府の内陸部、奈良県と廻ったが、好天と呼び得る範囲だったと思う。10℃に多分届かないような気温にはなっていたようだが…風が時々強く冷たかったが、昨日のように列車運行が乱れてしまうというような調子でも無かった。
「近鉄の列車で奈良県内から京都」という移動は知らない訳ではない。が、特急列車は乗車経験が無かった。それで試したかったというだけのことなのだ。実に快適だった…
京都では京都駅の真ん前の<京都タワー>に惹かれたが、何やら天が中途半端な光加減の様子だったので敢えて展望台に上がらず、ビルの中を冷かせば地下に半ばフードコートの方式を採り入れた飲食店街が形成されていて、空腹が酷かったのでガッチリとハンバーガーを頂いてしまった…
求めた宿は随分と以前に一度利用した記憶も在る。何度も京都に立寄っているので、何時なのか特定し悪いのだが…
今日は「好い意味での“誤算”」が重なった感だ。些かマイナーな感も否定し悪い街で、ドタバタとバスの待ち時間が変に長くなるようなことが在ったが、それでも「価値は高い!」と思った。そして「驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたという」ようなことは気儘に勝手に動き回る場合の醍醐味のような感さえ在る。こうした諸々に関しては、何れゆっくりとこちらのブログに綴ろうと思っている。
「お帰りなさいませ!」に迎えられるまでの長い1日…=運行日誌(2021.12.17)
早朝の5時になる前から、摂る10時半辺りまで活動しているような感じは、些か妙な感じなのかもしれない。
そういう状態で大阪に在る。思うと1カ月弱以前にも滞在した宿だった。この宿のチェーンではフロントで「お帰りなさいませ!」と言いながら利用客を迎えるような慣例が在るようだが、今般はそう言われて妙にしっくりと来た。何度も利用して少し馴染んでいるので、利用すると勝手に「ここへ帰って来た…」という程度には感じるのだが、今般は本当に然程の間隔を開けるのでもなく戻ったということになる。
<青春18きっぷ>を手に、早朝の列車で稚内駅を発って名寄駅に至り、名寄駅から敢えて特急列車に乗り込んで旭川駅に至ると、旭川以遠にも円滑に移動可能だ。何度もやっている。新千歳空港辺りは午後2時台に着くのが普通だ。しかし…今般は午後3時19分になってしまった…
「夜の残滓」が色濃いような早朝の稚内駅を発った普通列車は幌延駅まで順調に進んだのだが、幌延駅で酷く長く停まってしまった。少し先の踏切が壊れてしまったのだという。復旧に手間取って、時間がどの位掛かるか見込みが立ち悪いのだという。1時間以上発ち、後続の特急列車が幌延駅に現れるような時間帯に入ったが、後続の列車も幌延駅よりも少々北で足止めを食らってしまっているのだという。
そこで…7時50分に幌延駅前を出るというバスに敢えて乗車し、留萌駅を目指した。2720円…留萌駅に辿り着いたのは11時25分頃だった。そして12時18分に出る深川駅へ向かう列車に乗り、深川駅・札幌駅の特急列車に乗車―この分の乗車券・特急券を4250円で留萌駅で求めた…―し、札幌駅で新千歳空港駅へ向かう快速に乗車だ。
列車が南千歳駅で少々長く停車した。これに乗り継いで新千歳空港駅へ向かう可能性の在る乗客が乗った特急列車が遅れたので待った訳だ。到着が6分遅れた…そこで新千歳空港駅では到着して即座に列車を飛び出し、殆ど全力で走った。定刻が午後3時40分のフライトなのだが、搭乗手続を行う場所の辺りで午後3時21分位だったと思う。「定刻20分前までに搭乗手続」という案内なので慌てた。階段やエスカレータを強引に駆け上がるような感―列車の他の乗客が上がる前に全力で、凄い勢いで駆けた…それが出来る程度の身軽な感じで動いているのだが…―で息が切れた。が、搭乗手続が出来たのでとりあえず善かったと呼吸を整え、保安検査を潜った。保安検査は何回かに一回は「この野郎!」という話しも在るのだが、今般は円滑に直ぐに済んだ。
指定の搭乗ゲートに向かうと…既に「全ての御搭乗の皆様」と乗客が機内に導かれていて、粗方の乗客が乗ってしまっていたような感じで「駆け込み組」の1人のように乗り込んだ。何か酷く安堵した…
フライトは到着地周辺の強風等で些か到着が遅れた。風に抗って飛び続けた訳だ…飛行機で目指したのは神戸空港だった。
神戸空港へ着いてみれば、何やら酷く強い風だった。正直、外気に触れる場所では強風に圧倒された…そんな訳で三宮へのポートライナーは運行がやや乱れていた。更にJRの列車も運行が些か乱れていた。それでも三ノ宮駅・尼崎駅・大阪駅・新今宮駅と動いて宿に至った。宿にモノを置いた後、一寸天王寺駅に向かって、地下鉄で動物園前駅に引揚げた。
ここまでで午後9時40分頃になってしまっていたが…ここで「朝から…飲物を些か飲んだ程度で…」ということに思い至った。そして宿に戻る前に、串カツを確りと頂いたのだ…
何やら長かったが、とりあえず顛末は綴った…
そういう状態で大阪に在る。思うと1カ月弱以前にも滞在した宿だった。この宿のチェーンではフロントで「お帰りなさいませ!」と言いながら利用客を迎えるような慣例が在るようだが、今般はそう言われて妙にしっくりと来た。何度も利用して少し馴染んでいるので、利用すると勝手に「ここへ帰って来た…」という程度には感じるのだが、今般は本当に然程の間隔を開けるのでもなく戻ったということになる。
<青春18きっぷ>を手に、早朝の列車で稚内駅を発って名寄駅に至り、名寄駅から敢えて特急列車に乗り込んで旭川駅に至ると、旭川以遠にも円滑に移動可能だ。何度もやっている。新千歳空港辺りは午後2時台に着くのが普通だ。しかし…今般は午後3時19分になってしまった…
「夜の残滓」が色濃いような早朝の稚内駅を発った普通列車は幌延駅まで順調に進んだのだが、幌延駅で酷く長く停まってしまった。少し先の踏切が壊れてしまったのだという。復旧に手間取って、時間がどの位掛かるか見込みが立ち悪いのだという。1時間以上発ち、後続の特急列車が幌延駅に現れるような時間帯に入ったが、後続の列車も幌延駅よりも少々北で足止めを食らってしまっているのだという。
そこで…7時50分に幌延駅前を出るというバスに敢えて乗車し、留萌駅を目指した。2720円…留萌駅に辿り着いたのは11時25分頃だった。そして12時18分に出る深川駅へ向かう列車に乗り、深川駅・札幌駅の特急列車に乗車―この分の乗車券・特急券を4250円で留萌駅で求めた…―し、札幌駅で新千歳空港駅へ向かう快速に乗車だ。
列車が南千歳駅で少々長く停車した。これに乗り継いで新千歳空港駅へ向かう可能性の在る乗客が乗った特急列車が遅れたので待った訳だ。到着が6分遅れた…そこで新千歳空港駅では到着して即座に列車を飛び出し、殆ど全力で走った。定刻が午後3時40分のフライトなのだが、搭乗手続を行う場所の辺りで午後3時21分位だったと思う。「定刻20分前までに搭乗手続」という案内なので慌てた。階段やエスカレータを強引に駆け上がるような感―列車の他の乗客が上がる前に全力で、凄い勢いで駆けた…それが出来る程度の身軽な感じで動いているのだが…―で息が切れた。が、搭乗手続が出来たのでとりあえず善かったと呼吸を整え、保安検査を潜った。保安検査は何回かに一回は「この野郎!」という話しも在るのだが、今般は円滑に直ぐに済んだ。
指定の搭乗ゲートに向かうと…既に「全ての御搭乗の皆様」と乗客が機内に導かれていて、粗方の乗客が乗ってしまっていたような感じで「駆け込み組」の1人のように乗り込んだ。何か酷く安堵した…
フライトは到着地周辺の強風等で些か到着が遅れた。風に抗って飛び続けた訳だ…飛行機で目指したのは神戸空港だった。
神戸空港へ着いてみれば、何やら酷く強い風だった。正直、外気に触れる場所では強風に圧倒された…そんな訳で三宮へのポートライナーは運行がやや乱れていた。更にJRの列車も運行が些か乱れていた。それでも三ノ宮駅・尼崎駅・大阪駅・新今宮駅と動いて宿に至った。宿にモノを置いた後、一寸天王寺駅に向かって、地下鉄で動物園前駅に引揚げた。
ここまでで午後9時40分頃になってしまっていたが…ここで「朝から…飲物を些か飲んだ程度で…」ということに思い至った。そして宿に戻る前に、串カツを確りと頂いたのだ…
何やら長かったが、とりあえず顛末は綴った…
前夜に…(2021.12.16)
振り返ると「始まり」が「何時頃か?」ということが曖昧になってしまっていることに思い至る。そういう程度に時日を経ている、自身の中の慣例が在る。
年末頃に「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということ、そして換言すると「休暇を取得する」ということが慣例化している。
実は…その“慣例”の時期に入ろうとしている。
「好き勝手にフラフラとする」と言って、それは“常態”というようなものかもしれない。気儘な「一人住まい」を延々と続けている訳なのだから。が、ここで「好き勝手にフラフラとする」と表現する状態は、「明日は何処って?知らない…明日は朝早くから動いて、足が向くままで、気が向くか草臥れるかした辺りで休む筈だ」ということをするという意味である。
こういう営為を巷では「気楽な旅行に出る」とでも表現すると思う。が、自身の感覚としては“旅行”とでも言えば「或る程度、丁寧に時間を掛けた準備手配をした上で動き回る」というようなことであるように思う。自身の営為は「さぁ!行こう!」というように「ふらりと出てしまう…」ということを仕出かして差し支えない時間を設定するというだけで、それ以外には「丁寧に時間を掛けた準備手配」という程のことはしない。または「出来ない」とか「やりたくない」というようにさえ考えてしまう。
「丁寧に時間を掛けた準備手配」について「しない」、「出来ない」、「やりたくない」というのも「著しく否定的」かもしれない。完全に排除しようとまでもしてはいないが、避けるかのように考えてしまう理由は在る。
「気楽な旅行に出る」とでも表現されそうな営為を「好き勝手にフラフラとする」と表現するというのは、「訪ねてみたい場所が余りにも多い」からなのだ。行先等を細かく設定し悪いということが在る。「旅行?何方へ?」とでも問われると、「まぁ、色々と…」と言葉を濁してしまう場合さえ在る程度に、方々を駆け巡ってしまう、またはそうしてみたくなる性分なのだ。
実際には相当に多くの場所を短い時間で駆け回ってしまったにしても、「詰め過ぎたスケジュールは狂い易いので抵抗感が強い」というように考えることも在る。例えば或る地域でA、B、C、Dという程度の数箇所を訪ねるように事前に計画したとする。そういう場合に往々にして在るのは、「Aが余りに凄く、酷く時間を要したのでB、C、Dは訪ねなかった」とか「事前に計画してみた所は然程興趣が深いのでもなかったが、偶々出くわした場所が凄く好かった」というようなことだ。だから、この例で言うA、B、C、Dに相当するような場所の名称や最寄駅等をメモしておく程度のことをする場合は在るが、それ以上の「スケジュールの組み立て」的なことは敢えてしない。
また、乗物で移動するような「単なる手間」というようなことも「それ自体を愉しもうとする」という傾向が酷く強い。「単なる手間」となる移動も、「見慣れぬ路の彼方の見知らぬ街へ…」というような、自身にとっての興趣が強く沸き起こる訳だ。
「自身の“休暇”」は飽くまでも自身が主演、監督、脚本で「好き勝手!!」が許容される筈、または「許容されなければならない」と思っている。だから、「好き勝手にフラフラとする」と表現するような「自身の流儀」を勝手に貫きたいのだ。
「丁寧に時間を掛けた準備手配」ということを「しない」、「出来ない」、「やりたくない」という程度に考え、結局は戯れに「出国/帰国」とも称するが、設定した「期間」の最初と最後の大きな移動に関することをとりあえず決める程度のことしかしない。が、それでも「訪ねてみたい場所が余りにも多い」ので何時までも定まらない。漸く固まって手配完了の頃には、出発が間近になり過ぎている。そして出発して以降も頭の中で何度も「東へ?西へ?南へ?南東や南西という案も在り得る…」と考えている。そしてそんな「過程そのもの」も「愉しみの一部」と考えている面も在る。
そういう「好き勝手!!」を「勝手な流儀」で展開しようとする中であっても「これは外さない!」と、飽くまでも随意に自身の意思で「この日のこの時間帯はここに身を置きたいから…」という程度に考える場合も在る。
最近の例では…過日訪ねた高野山の例が在る。あれは「行きたい!!」という思いが募り、それを実行する限られた期間を設定したのだったが、その中で「こういう感じで辿り着く…辿り着いてこうする…とすれば、辿り着く前段階、後段階が生じて…」という程度に考えていて、自身としてはやや珍しいのだが「動く期間の輪郭」が事前に殆ど決まってしまっていた。
今般は、その高野山の例とは違う。が「行きたい!!」が幾分は在るので、「X日に○○に在るように…」という程度のことは考えた。が、そういう部分以外は飽くまでも“流儀”に従っている。本当に「好き勝手にフラフラとする」という訳だ。気儘に「見慣れぬ路の彼方の見知らぬ街へ…」と方々へ動き、「傍目には酷く忙しそう?」という程度に動くか、または「○○の休日」という程度に過ごすかを重ねる訳だ。酷く心弾んでいる!!
「訪ねてみたい場所が余りにも多い」という中、少しでも多くそれらを訪ねたいという思いが在る。加えて、過去に訪ねて好かった場所に関しては「もっともっと親しみたい」という思いも在る。訪ねる場所に関して、言わば「新規」と「繰り返し」ということになる。客観的な基準等は全く無いが、それらの「新規」と「繰り返し」とを「その場の思い付き」というような程度に雑ぜ合わせる。そういうのが好い…
結局、或る時に自身の人生が不意に終焉でも迎えるようなことになった時「あそこに行っておきたかった…」という悔恨を少しでも少なくしたい…最近はそういうような余計なことまでも思うようになっていて、それ故に「“何処かへ行きたい”症候群」と戯れに呼ぶ“症状”が悪化してしまっているかもしれない。
思うことを色々と綴った。何れにしても、明早朝に色濃い「夜の残滓」の中に灯りを漏らしている「我が“始発駅”」から「見慣れぬ路の彼方…」を向けて、(当面は馴染んだ路を往くことになるが…)出発するのが待ち遠しい。
年末頃に「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということ、そして換言すると「休暇を取得する」ということが慣例化している。
実は…その“慣例”の時期に入ろうとしている。
「好き勝手にフラフラとする」と言って、それは“常態”というようなものかもしれない。気儘な「一人住まい」を延々と続けている訳なのだから。が、ここで「好き勝手にフラフラとする」と表現する状態は、「明日は何処って?知らない…明日は朝早くから動いて、足が向くままで、気が向くか草臥れるかした辺りで休む筈だ」ということをするという意味である。
こういう営為を巷では「気楽な旅行に出る」とでも表現すると思う。が、自身の感覚としては“旅行”とでも言えば「或る程度、丁寧に時間を掛けた準備手配をした上で動き回る」というようなことであるように思う。自身の営為は「さぁ!行こう!」というように「ふらりと出てしまう…」ということを仕出かして差し支えない時間を設定するというだけで、それ以外には「丁寧に時間を掛けた準備手配」という程のことはしない。または「出来ない」とか「やりたくない」というようにさえ考えてしまう。
「丁寧に時間を掛けた準備手配」について「しない」、「出来ない」、「やりたくない」というのも「著しく否定的」かもしれない。完全に排除しようとまでもしてはいないが、避けるかのように考えてしまう理由は在る。
「気楽な旅行に出る」とでも表現されそうな営為を「好き勝手にフラフラとする」と表現するというのは、「訪ねてみたい場所が余りにも多い」からなのだ。行先等を細かく設定し悪いということが在る。「旅行?何方へ?」とでも問われると、「まぁ、色々と…」と言葉を濁してしまう場合さえ在る程度に、方々を駆け巡ってしまう、またはそうしてみたくなる性分なのだ。
実際には相当に多くの場所を短い時間で駆け回ってしまったにしても、「詰め過ぎたスケジュールは狂い易いので抵抗感が強い」というように考えることも在る。例えば或る地域でA、B、C、Dという程度の数箇所を訪ねるように事前に計画したとする。そういう場合に往々にして在るのは、「Aが余りに凄く、酷く時間を要したのでB、C、Dは訪ねなかった」とか「事前に計画してみた所は然程興趣が深いのでもなかったが、偶々出くわした場所が凄く好かった」というようなことだ。だから、この例で言うA、B、C、Dに相当するような場所の名称や最寄駅等をメモしておく程度のことをする場合は在るが、それ以上の「スケジュールの組み立て」的なことは敢えてしない。
また、乗物で移動するような「単なる手間」というようなことも「それ自体を愉しもうとする」という傾向が酷く強い。「単なる手間」となる移動も、「見慣れぬ路の彼方の見知らぬ街へ…」というような、自身にとっての興趣が強く沸き起こる訳だ。
「自身の“休暇”」は飽くまでも自身が主演、監督、脚本で「好き勝手!!」が許容される筈、または「許容されなければならない」と思っている。だから、「好き勝手にフラフラとする」と表現するような「自身の流儀」を勝手に貫きたいのだ。
「丁寧に時間を掛けた準備手配」ということを「しない」、「出来ない」、「やりたくない」という程度に考え、結局は戯れに「出国/帰国」とも称するが、設定した「期間」の最初と最後の大きな移動に関することをとりあえず決める程度のことしかしない。が、それでも「訪ねてみたい場所が余りにも多い」ので何時までも定まらない。漸く固まって手配完了の頃には、出発が間近になり過ぎている。そして出発して以降も頭の中で何度も「東へ?西へ?南へ?南東や南西という案も在り得る…」と考えている。そしてそんな「過程そのもの」も「愉しみの一部」と考えている面も在る。
そういう「好き勝手!!」を「勝手な流儀」で展開しようとする中であっても「これは外さない!」と、飽くまでも随意に自身の意思で「この日のこの時間帯はここに身を置きたいから…」という程度に考える場合も在る。
最近の例では…過日訪ねた高野山の例が在る。あれは「行きたい!!」という思いが募り、それを実行する限られた期間を設定したのだったが、その中で「こういう感じで辿り着く…辿り着いてこうする…とすれば、辿り着く前段階、後段階が生じて…」という程度に考えていて、自身としてはやや珍しいのだが「動く期間の輪郭」が事前に殆ど決まってしまっていた。
今般は、その高野山の例とは違う。が「行きたい!!」が幾分は在るので、「X日に○○に在るように…」という程度のことは考えた。が、そういう部分以外は飽くまでも“流儀”に従っている。本当に「好き勝手にフラフラとする」という訳だ。気儘に「見慣れぬ路の彼方の見知らぬ街へ…」と方々へ動き、「傍目には酷く忙しそう?」という程度に動くか、または「○○の休日」という程度に過ごすかを重ねる訳だ。酷く心弾んでいる!!
「訪ねてみたい場所が余りにも多い」という中、少しでも多くそれらを訪ねたいという思いが在る。加えて、過去に訪ねて好かった場所に関しては「もっともっと親しみたい」という思いも在る。訪ねる場所に関して、言わば「新規」と「繰り返し」ということになる。客観的な基準等は全く無いが、それらの「新規」と「繰り返し」とを「その場の思い付き」というような程度に雑ぜ合わせる。そういうのが好い…
結局、或る時に自身の人生が不意に終焉でも迎えるようなことになった時「あそこに行っておきたかった…」という悔恨を少しでも少なくしたい…最近はそういうような余計なことまでも思うようになっていて、それ故に「“何処かへ行きたい”症候群」と戯れに呼ぶ“症状”が悪化してしまっているかもしれない。
思うことを色々と綴った。何れにしても、明早朝に色濃い「夜の残滓」の中に灯りを漏らしている「我が“始発駅”」から「見慣れぬ路の彼方…」を向けて、(当面は馴染んだ路を往くことになるが…)出発するのが待ち遠しい。
高野山金剛峰寺の大伽藍のイラストが入った御朱印帳に関して…(2021.11.20-22)
高野山の奥之院で入手した袋に入れているのだが、“大伽藍”或いは“壇上伽藍”と呼び習わされる高野山金剛峰寺の建物のイラストが入った御朱印帳が在って、それが酷く気に入っている。
↓こういう具合の代物だ…

↑これを抱えて高野山を訪ねる等した訳だ…
↓奥之院を歩き廻って御朱印を頂いた…

↓右は金剛峯寺で、左は大伽藍だ。

↓右は大伽藍で、左は霊宝館だ。

↓右は宿坊の金剛三昧院で、左は京都の東寺だ。

↓各々が弘法大師が勧請したという“善女龍王”と「弘法大師」という墨書の神泉苑で頂いた御朱印である…

↓更に、これが智積院で頂いた御朱印だ…

結局、「十八本山納経帳」を手にしていた頃に「各寺を駆け抜けるかのように訪ねる…」ということを繰り返してしまい、「もう少々落ち着いて…」というような悔いが残る羽目に陥った。
それを踏まえて、真言宗系の有名寺院について、“本山”というようなことに必ずしも拘らず、「駆けるのでもなく、少しゆっくりを巡ってみる」ということで、現在使用中の御朱印帳を用意して、真言宗の名刹を少しばかり巡ってみようとしている訳だ…

この記事…和歌山県と京都府との記録が混じっているので、漠然と記憶を書き綴る「память」(パーミャチ)のカテゴリに容れて置く。
それは如何でも好いが、寺を訪ねて頂く御朱印は何れも美しいと思う。本当に、各々の場所を訪ねた想い出と共に手許に残る宝物だ…素敵だ!もっと早く、こういう素敵なモノが在ることに気付いていれば、より善かったのかもしれない。が、それでも気付いて「自身の慶び」に採り入れているのだから、それはそいそれで凄く善い筈だ…
この御朱印帳を手に何処かの寺を訪ねてみるという営みは未だ続きそうだ…
↓こういう具合の代物だ…

↑これを抱えて高野山を訪ねる等した訳だ…
↓奥之院を歩き廻って御朱印を頂いた…

↓右は金剛峯寺で、左は大伽藍だ。

↓右は大伽藍で、左は霊宝館だ。

↓右は宿坊の金剛三昧院で、左は京都の東寺だ。

↓各々が弘法大師が勧請したという“善女龍王”と「弘法大師」という墨書の神泉苑で頂いた御朱印である…

↓更に、これが智積院で頂いた御朱印だ…

結局、「十八本山納経帳」を手にしていた頃に「各寺を駆け抜けるかのように訪ねる…」ということを繰り返してしまい、「もう少々落ち着いて…」というような悔いが残る羽目に陥った。
それを踏まえて、真言宗系の有名寺院について、“本山”というようなことに必ずしも拘らず、「駆けるのでもなく、少しゆっくりを巡ってみる」ということで、現在使用中の御朱印帳を用意して、真言宗の名刹を少しばかり巡ってみようとしている訳だ…
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御朱印帳 朱印帳 カバー付 大判 蛇腹 46ページ 宮城めぐみデザイン 伽藍 紺 送料込み (※メール便のみ 送料無料) |

この記事…和歌山県と京都府との記録が混じっているので、漠然と記憶を書き綴る「память」(パーミャチ)のカテゴリに容れて置く。
それは如何でも好いが、寺を訪ねて頂く御朱印は何れも美しいと思う。本当に、各々の場所を訪ねた想い出と共に手許に残る宝物だ…素敵だ!もっと早く、こういう素敵なモノが在ることに気付いていれば、より善かったのかもしれない。が、それでも気付いて「自身の慶び」に採り入れているのだから、それはそいそれで凄く善い筈だ…
この御朱印帳を手に何処かの寺を訪ねてみるという営みは未だ続きそうだ…
更に北上…=運行日誌(2021.11.23)
稚内に在る…短い旅だったが、戻った…
札幌の宿で迎えた朝は、自身にとっては「普通」な範疇、5時台に眼を開けて起き出した。
格別に素早いスタートが求められるのでもない。旭川駅から昼に出る列車に乗って稚内駅へと引揚げる段取りだ。間に合うように、本数が豊富な札幌・旭川間の列車に乗れば善いという話しだ。少し寛いで居られる。
前夕、大阪空港(伊丹)からのフライトで「強風の影響で新千歳空港に着陸出来ない場合…」と繰り返しアナウンスされていたが、昨夕から低気圧の影響が生じているらしい。JR北海道のウェブサイトを視れば、朝早くの時点で札幌・釧路間等で特急列車の運休が生じたようだ。他、荒天を見越した列車運転見合わせ区間も見受けられる。旭川以北に関してその種の情報は無い。
それでも昨夕はフライトが普通に運航されて無事に新千歳空港に下り、「新千歳空港駅に何となく着けば、大気の列車に乗って直ぐに出発」で想定どおりに札幌駅に至ることが叶った。更に満席のフライトながらも、事前に指定予約もしなかったのに、翼の少し後ろの窓側の席に乗ることまで出来た。色々な何かに感謝申上げたい情況だ。多分、そういうのは続くであろう。
そう思いながら、宿の朝食を摘まんだ。サラダと若干のおかずだが…少し前には「弁当方式」が専らだった宿の朝食だが、以前からの所謂「朝食バイキング」な感じも還って来ている。当然、後者を択んだ。実は意外に「宿の朝食の“朝食バイキング”」は好きだ。他方で、朝食提供前から動く場合や、食事が付かない素泊まり利用で宿泊というのも多い。今般、大阪は朝食提供前から動き始め、高野山は素泊まり、京都と札幌とは朝食を摂った。
朝9時半に札幌を出る列車に乗り、11時頃には旭川に着いた。何処からか?車中で居眠りに陥り、気付くと旭川だったのだ…
旭川で何となく本を求める等して昼食を確りと摂り、予定どおりの列車に乗車した。少しばかり身体が正直に反応しているのか、或いは「後は黙って乗っていれば稚内へ連れて行ってくれる」という安堵か、車中で直ぐに居眠りに陥ったようだ。「ようだ…」としたのは、列車が動き始めたという後、不意に気付くと幌延の辺りで、エゾシカと衝突してしまったようだと、停車して点検をしているという場面だったのだ。
そんなことで、列車が11分程度遅れたらしいが、稚内に無事に着いた。風は冷たく、気温が前日までより一段階低い感だが、積雪は見受けられない。概して天候に恵まれた感じな中での移動だったような気がする。
時にはこういうような時間の設け方、使い方も好い…
札幌の宿で迎えた朝は、自身にとっては「普通」な範疇、5時台に眼を開けて起き出した。
格別に素早いスタートが求められるのでもない。旭川駅から昼に出る列車に乗って稚内駅へと引揚げる段取りだ。間に合うように、本数が豊富な札幌・旭川間の列車に乗れば善いという話しだ。少し寛いで居られる。
前夕、大阪空港(伊丹)からのフライトで「強風の影響で新千歳空港に着陸出来ない場合…」と繰り返しアナウンスされていたが、昨夕から低気圧の影響が生じているらしい。JR北海道のウェブサイトを視れば、朝早くの時点で札幌・釧路間等で特急列車の運休が生じたようだ。他、荒天を見越した列車運転見合わせ区間も見受けられる。旭川以北に関してその種の情報は無い。
それでも昨夕はフライトが普通に運航されて無事に新千歳空港に下り、「新千歳空港駅に何となく着けば、大気の列車に乗って直ぐに出発」で想定どおりに札幌駅に至ることが叶った。更に満席のフライトながらも、事前に指定予約もしなかったのに、翼の少し後ろの窓側の席に乗ることまで出来た。色々な何かに感謝申上げたい情況だ。多分、そういうのは続くであろう。
そう思いながら、宿の朝食を摘まんだ。サラダと若干のおかずだが…少し前には「弁当方式」が専らだった宿の朝食だが、以前からの所謂「朝食バイキング」な感じも還って来ている。当然、後者を択んだ。実は意外に「宿の朝食の“朝食バイキング”」は好きだ。他方で、朝食提供前から動く場合や、食事が付かない素泊まり利用で宿泊というのも多い。今般、大阪は朝食提供前から動き始め、高野山は素泊まり、京都と札幌とは朝食を摂った。
朝9時半に札幌を出る列車に乗り、11時頃には旭川に着いた。何処からか?車中で居眠りに陥り、気付くと旭川だったのだ…
旭川で何となく本を求める等して昼食を確りと摂り、予定どおりの列車に乗車した。少しばかり身体が正直に反応しているのか、或いは「後は黙って乗っていれば稚内へ連れて行ってくれる」という安堵か、車中で直ぐに居眠りに陥ったようだ。「ようだ…」としたのは、列車が動き始めたという後、不意に気付くと幌延の辺りで、エゾシカと衝突してしまったようだと、停車して点検をしているという場面だったのだ。
そんなことで、列車が11分程度遅れたらしいが、稚内に無事に着いた。風は冷たく、気温が前日までより一段階低い感だが、積雪は見受けられない。概して天候に恵まれた感じな中での移動だったような気がする。
時にはこういうような時間の設け方、使い方も好い…
北上…=運行日誌(2021.11.22)
札幌駅の傍、何度も利用している宿で寛いでいる。やや遅めな到着で、札幌駅に着いて戸外へ出てから、近くのセイコーマートに立寄って飲物等を求め、その足で宿に入って寛いでいる。何やら「長い一日」という感だ。
五条大宮の宿で朝を迎え、宿の朝食を少々頂いた。「朝食前から…」という程の動きをするまでもない日である。天候の塩梅も観ながら、散策を愉しみ、フライトに遅れないように大阪空港(伊丹)へ向けて、大阪モノレールへの乗換駅に至れば好い訳だ。
「五条大宮」とは、東西に延びる五条通と南北に延びる大宮通とが交差する辺りである。五条通を東へ進んでみることとした。東の烏丸通に至れば地下鉄の五条駅が在る。そこから更に東進して川の畔に辺りに至れば京阪の清水五条駅だ。五条駅や清水五条駅というのは、近年の京都訪問の中でほんの少々は親しんでいる。「とりあえずの目印」には好適というものだ。
何度も立寄っている京都だが、様々な時代の文物が折り重なっている街だけに、興味深いモノは尽きない。再訪も初訪問も混ぜて、些かの面白そうな場所を見学し、大阪空港(伊丹)への道中でも道草をするという程度の想いで宿を発ったのは朝の7時45分頃だった。戸外へ出れば小雨…愛用のキャップは確り被り、上着も着込んで何となく歩き始めた。
五条通を東進し、鴨川に至って、更に進んで六波羅蜜寺に立ち寄った。空也上人―念仏を唱えると、唱えた字毎に阿弥陀仏になるという、伝説を立体化したモノ―や平清盛―教科書等にも採用されている非常に有名なモノ―や弘法大師や仏師の運慶等、素晴らしい彫像が集まった宝物館を見学した。人物の実寸またはやや小さい程度の大きさなのだが、何やら「生きている?」というような見事なモノばかりだった。
そして六道珍皇寺…あの世とこの世とを往来したという伝承が在る小野篁に所縁の寺で、見事な薬師如来、閻魔大王、小野篁の像が在る。
雨はなかなか止まない。本当に「御近所の御常連が寛ぐ場所」という「昭和の風情…」な喫茶店を見付けて、些かの休憩とした。
更に雨の中、弘法大師が善女龍王を勧請して雨乞いを成功させたという伝承が在り、嘗ては平安京の天皇の庭でもあったと伝わる神泉苑を訪ねた。地味かもしれないが、その弘法大師の伝承に興味が在ったので立ち寄り、眼前の二条城には敢えて寄らなかった。
二条城も結構だが、その後に足を運んだ三十三間堂は「何故、これまで訪ねていなかったのか?!余りに愚かだった…」と思った。実に素晴らしい!!堂内に入れば「本当に千体!!」の千手観音が並ぶ空間、千体もの仏像が醸し出すモノに圧倒された。そしてそれらを守護するような30体の像だが、これも伝承されている神霊を擬人化したという様々なモノが、「こういう顔付の人…居そうだ…こんな感じの表情も在りそうだ…」と見事なモノだった。そして「通し矢」の廊下も、硝子越しながら拝見出来た。修学旅行の生徒達という姿も多く見受けられた。
この頃には雨が強まっていた。それでも歩き続けた。三十三間堂まで至れば智積院が近い。あの境内で、紅く染まった葉が雨の雫に湿る様を眺めた。
と…ここまでで「昼食のピークを過ぎる」という時間帯になっていた。京阪電車の七条駅の方へ向かう中で「昼食?」と思ったのだが、その思ったタイミングにステーキの店が眼前に現れた。リーズナブルな料金で、良質な赤肉のステーキを頂き、日本酒も別途頼んで頂いて寛ぎ、御店の方とも言葉を交わして愉しかった。
何か…「充実!」と思いながら、京阪電車で門真市駅を目指した。存外に時間を要した。そして大阪モノレールに乗り換えた。未だ雨が降り続き、その雨も少し強めにさえなっている。敢えて道草はせずに大阪空港(伊丹)に至ったが、既に午後4時半を伺うような時間帯だった。
フライトは午後6時40分に発つ。搭乗可能になるのは6時20分頃である訳だが、手続を済ませて空港ビル内のカフェで一息入れ、保安検査を経て案内を待つことにした。「悪天候で引き返して関西空港に下りる場合も在る」という案内ではあったが…別段に問題は無かった。
フライトには問題は無かったが、自身には一寸した問題が…愛用していて、今般も使っているバッグのファスナーが傷み、閉まらなくなってしまった。飛行機の中で気付き、客室乗務員さんに乗客のゴミを集める場面で使うゴミ袋を1枚頂き、バッグを包んだ。応急措置の雨除けカバーという訳だ。妙な様相のバッグを持っていたが、新千歳空港のビルで不審者呼ばわれはせずに済んだ…
そうして雨の京都、雨の大阪空港(伊丹)と動いて雨の札幌に至った訳だ。何やら「帰国…」という風情ではあるが、同時に奇妙な感じだ。京都でも「14℃で雨」ということだったが、札幌でも「13℃で雨」と大差が無い…
とりあえず…セイコーマートでウィスキーの小瓶を求め、旅の充実と安着を祝っている…
五条大宮の宿で朝を迎え、宿の朝食を少々頂いた。「朝食前から…」という程の動きをするまでもない日である。天候の塩梅も観ながら、散策を愉しみ、フライトに遅れないように大阪空港(伊丹)へ向けて、大阪モノレールへの乗換駅に至れば好い訳だ。
「五条大宮」とは、東西に延びる五条通と南北に延びる大宮通とが交差する辺りである。五条通を東へ進んでみることとした。東の烏丸通に至れば地下鉄の五条駅が在る。そこから更に東進して川の畔に辺りに至れば京阪の清水五条駅だ。五条駅や清水五条駅というのは、近年の京都訪問の中でほんの少々は親しんでいる。「とりあえずの目印」には好適というものだ。
何度も立寄っている京都だが、様々な時代の文物が折り重なっている街だけに、興味深いモノは尽きない。再訪も初訪問も混ぜて、些かの面白そうな場所を見学し、大阪空港(伊丹)への道中でも道草をするという程度の想いで宿を発ったのは朝の7時45分頃だった。戸外へ出れば小雨…愛用のキャップは確り被り、上着も着込んで何となく歩き始めた。
五条通を東進し、鴨川に至って、更に進んで六波羅蜜寺に立ち寄った。空也上人―念仏を唱えると、唱えた字毎に阿弥陀仏になるという、伝説を立体化したモノ―や平清盛―教科書等にも採用されている非常に有名なモノ―や弘法大師や仏師の運慶等、素晴らしい彫像が集まった宝物館を見学した。人物の実寸またはやや小さい程度の大きさなのだが、何やら「生きている?」というような見事なモノばかりだった。
そして六道珍皇寺…あの世とこの世とを往来したという伝承が在る小野篁に所縁の寺で、見事な薬師如来、閻魔大王、小野篁の像が在る。
雨はなかなか止まない。本当に「御近所の御常連が寛ぐ場所」という「昭和の風情…」な喫茶店を見付けて、些かの休憩とした。
更に雨の中、弘法大師が善女龍王を勧請して雨乞いを成功させたという伝承が在り、嘗ては平安京の天皇の庭でもあったと伝わる神泉苑を訪ねた。地味かもしれないが、その弘法大師の伝承に興味が在ったので立ち寄り、眼前の二条城には敢えて寄らなかった。
二条城も結構だが、その後に足を運んだ三十三間堂は「何故、これまで訪ねていなかったのか?!余りに愚かだった…」と思った。実に素晴らしい!!堂内に入れば「本当に千体!!」の千手観音が並ぶ空間、千体もの仏像が醸し出すモノに圧倒された。そしてそれらを守護するような30体の像だが、これも伝承されている神霊を擬人化したという様々なモノが、「こういう顔付の人…居そうだ…こんな感じの表情も在りそうだ…」と見事なモノだった。そして「通し矢」の廊下も、硝子越しながら拝見出来た。修学旅行の生徒達という姿も多く見受けられた。
この頃には雨が強まっていた。それでも歩き続けた。三十三間堂まで至れば智積院が近い。あの境内で、紅く染まった葉が雨の雫に湿る様を眺めた。
と…ここまでで「昼食のピークを過ぎる」という時間帯になっていた。京阪電車の七条駅の方へ向かう中で「昼食?」と思ったのだが、その思ったタイミングにステーキの店が眼前に現れた。リーズナブルな料金で、良質な赤肉のステーキを頂き、日本酒も別途頼んで頂いて寛ぎ、御店の方とも言葉を交わして愉しかった。
何か…「充実!」と思いながら、京阪電車で門真市駅を目指した。存外に時間を要した。そして大阪モノレールに乗り換えた。未だ雨が降り続き、その雨も少し強めにさえなっている。敢えて道草はせずに大阪空港(伊丹)に至ったが、既に午後4時半を伺うような時間帯だった。
フライトは午後6時40分に発つ。搭乗可能になるのは6時20分頃である訳だが、手続を済ませて空港ビル内のカフェで一息入れ、保安検査を経て案内を待つことにした。「悪天候で引き返して関西空港に下りる場合も在る」という案内ではあったが…別段に問題は無かった。
フライトには問題は無かったが、自身には一寸した問題が…愛用していて、今般も使っているバッグのファスナーが傷み、閉まらなくなってしまった。飛行機の中で気付き、客室乗務員さんに乗客のゴミを集める場面で使うゴミ袋を1枚頂き、バッグを包んだ。応急措置の雨除けカバーという訳だ。妙な様相のバッグを持っていたが、新千歳空港のビルで不審者呼ばわれはせずに済んだ…
そうして雨の京都、雨の大阪空港(伊丹)と動いて雨の札幌に至った訳だ。何やら「帰国…」という風情ではあるが、同時に奇妙な感じだ。京都でも「14℃で雨」ということだったが、札幌でも「13℃で雨」と大差が無い…
とりあえず…セイコーマートでウィスキーの小瓶を求め、旅の充実と安着を祝っている…
下山…=運行日誌(2021.11.21)
東西に延びる通の名と、南北に延びる通の名とを組合わせて地点を特定するというのが京都という街の流儀だ。その流儀に則って「五条大宮」と呼ばれる辺りの宿に在る。
強引に高野山を訪ねて満喫したのだが…引揚げに際して、伊丹空港から新千歳空港に飛ぶ予定とした。直ぐに空港に向かっても善かったが…「大阪の北側か京都にでも陣取るなら、空港に入り易い筈…」と思い。高野山から京都にゆっくりと移動して、京都で少々過ごし、休んで翌日に空港を目指して飛ぶという段取りにしていたのだ。
高野山の宿坊、金剛三昧院で朝を迎えた。精力的に動き回って早めに休み、深夜に起き出し、何となく居眠りも交えながら早朝にまた起き出すという様子だった訳だ。
初めての宿坊であるが、朝6時半からの勤行に参加した。読経を聴き、焼香し、勤行が催されている位牌堂に鎮座する阿弥陀如来に御参り、その後は本尊の愛染明王に御参りである。終了後は名誉住職の御話しだ。営々と受継がれる弘法大師空海が創めた信仰、そして積上げられた様々なモノは国際的にも評価されて世界遺産ということにもなっているが、そういう中に金剛三昧院の営みも在り、一寸意外な苦労も多いという御話しが面白かった。自然豊かな山林の中に立地する訳だが、鹿が植物を食べてしまうということの他、ムササビがやって来て、障子を破ってしまう、茅葺の柔らかい素材な屋根に穴を開けるという事も在るのだそうだ。金剛三昧院には様々な来訪者が在る。明らかに仏教徒ではない、外国人が来る場合も在るが、それでも本尊へ手を合わせるさり気ない仕草に品位のようなモノが感じられることも在るという。「仏に手を合わせて一寸御挨拶」というような感じを大切にしたいというような話題だった。加えて「21日」は「弘法大師は3月21日に入定」と伝わることから、真言宗では大切にしていて、法要を催すことや縁日の催しが在るものだという話題も在った。
「高野山を満喫した…」という想いで、街から高野山駅へバスに乗り、ケーブルカーと2本の列車を乗り継いで南海なんば駅に至り、地下鉄へ梅田に出た。大阪駅へ移動し、大阪駅辺りの店で昼食を摂り、JRの新快速で京都駅に出た。そして近鉄の列車で1駅の東寺駅に向かい、東寺を訪ねた。
東寺…好天な日曜日が「縁日」…凄まじい人出…圧倒された。それでも「弘法大師」の御朱印だけは確りと、行列して頂いた。
東寺からは大宮通をゆったりと歩いて北上した。途中で西本願寺に道草し、更に島原大門の辺りに出て「随分と以前に…寄った!」と記憶の在る浴場施設が所在していることに気付いた。思わず立寄って、サウナを利用し、湯に浸かって寛いだ。
そんなことをして宿にとりあえず入った。その後、夕刻に平安神宮辺りに出て、京都駅まで移動して夕食を摂ろうとしたが、方々が「何処も彼処も…長蛇の列!?」という程度に酷く込み合っていて閉口した…何となくうどんを頂いた。そこから宿に引揚げて寛いでいるというような感じだ。
好天の日曜日…紅葉の好い時季…所謂「観光地」は何処も賑わっていた感だ。京都がそうだったが、大阪方面へ移動する際に擦違った、高野山へ向かう列車も乗客が多いように見受けられた…
それはそれとして、高野山と京都で、自身でも苦笑いが漏れる程度に随分と精力的に歩き廻っている…明日は如何いう按配になるか?
強引に高野山を訪ねて満喫したのだが…引揚げに際して、伊丹空港から新千歳空港に飛ぶ予定とした。直ぐに空港に向かっても善かったが…「大阪の北側か京都にでも陣取るなら、空港に入り易い筈…」と思い。高野山から京都にゆっくりと移動して、京都で少々過ごし、休んで翌日に空港を目指して飛ぶという段取りにしていたのだ。
高野山の宿坊、金剛三昧院で朝を迎えた。精力的に動き回って早めに休み、深夜に起き出し、何となく居眠りも交えながら早朝にまた起き出すという様子だった訳だ。
初めての宿坊であるが、朝6時半からの勤行に参加した。読経を聴き、焼香し、勤行が催されている位牌堂に鎮座する阿弥陀如来に御参り、その後は本尊の愛染明王に御参りである。終了後は名誉住職の御話しだ。営々と受継がれる弘法大師空海が創めた信仰、そして積上げられた様々なモノは国際的にも評価されて世界遺産ということにもなっているが、そういう中に金剛三昧院の営みも在り、一寸意外な苦労も多いという御話しが面白かった。自然豊かな山林の中に立地する訳だが、鹿が植物を食べてしまうということの他、ムササビがやって来て、障子を破ってしまう、茅葺の柔らかい素材な屋根に穴を開けるという事も在るのだそうだ。金剛三昧院には様々な来訪者が在る。明らかに仏教徒ではない、外国人が来る場合も在るが、それでも本尊へ手を合わせるさり気ない仕草に品位のようなモノが感じられることも在るという。「仏に手を合わせて一寸御挨拶」というような感じを大切にしたいというような話題だった。加えて「21日」は「弘法大師は3月21日に入定」と伝わることから、真言宗では大切にしていて、法要を催すことや縁日の催しが在るものだという話題も在った。
「高野山を満喫した…」という想いで、街から高野山駅へバスに乗り、ケーブルカーと2本の列車を乗り継いで南海なんば駅に至り、地下鉄へ梅田に出た。大阪駅へ移動し、大阪駅辺りの店で昼食を摂り、JRの新快速で京都駅に出た。そして近鉄の列車で1駅の東寺駅に向かい、東寺を訪ねた。
東寺…好天な日曜日が「縁日」…凄まじい人出…圧倒された。それでも「弘法大師」の御朱印だけは確りと、行列して頂いた。
東寺からは大宮通をゆったりと歩いて北上した。途中で西本願寺に道草し、更に島原大門の辺りに出て「随分と以前に…寄った!」と記憶の在る浴場施設が所在していることに気付いた。思わず立寄って、サウナを利用し、湯に浸かって寛いだ。
そんなことをして宿にとりあえず入った。その後、夕刻に平安神宮辺りに出て、京都駅まで移動して夕食を摂ろうとしたが、方々が「何処も彼処も…長蛇の列!?」という程度に酷く込み合っていて閉口した…何となくうどんを頂いた。そこから宿に引揚げて寛いでいるというような感じだ。
好天の日曜日…紅葉の好い時季…所謂「観光地」は何処も賑わっていた感だ。京都がそうだったが、大阪方面へ移動する際に擦違った、高野山へ向かう列車も乗客が多いように見受けられた…
それはそれとして、高野山と京都で、自身でも苦笑いが漏れる程度に随分と精力的に歩き廻っている…明日は如何いう按配になるか?
山上…=運行日誌(2021.11.20)
「宿坊」という場所に初めて滞在している。高野山だ…
この種の場所には色々と仕来りも在るらしいが、とりあえず「独りで素泊まり」というプランで、部屋の脇に手洗は備わっていて、浴場は少し大きな湯船で何人かで利用可能な洗い場が在るというモノだ。何やら「お寺の離れに一晩だけ居候させて頂く」という感もしないではない。その大きな湯船の浴場も利用―他の方達が利用していない時間帯だったようで、貸切のように利用出来た…―して、何やら「後は何時でも御休み頂いて結構です…」という感じだ。
全く「高野山の一日」ということに尽きた。
早朝5時台に動き始め、6時の列車で南海なんば駅を発った。8時頃に高野山に至った…
以降は「奥の院」、「金剛峯寺」、「壇上伽藍」、「大門」、「霊宝館」と順次巡っていた。「奥の院」の独特な空気感、金剛峯寺や壇上伽藍の美しさ、大門の大きさ、そして霊宝館で視た高野山に伝わる種々のモノの見事さ…何か「満喫!!」という様子だ。
詳しくは追って「高野山の…」と色々と綴るということになると思う。多分…今日は「問答無用!」に早めに休むべきだと感じている…とにかく早朝から暗くなるまで、距離に換算しても相当に歩いた…そして前日は深くは眠ったが、然程長くは眠っていないのだ…それでも気持ちが昂って元気ではある。
「多少寒い場合も?」と思っていた高野山だが、日中は15℃近くになっていたようだ。天候にも恵まれ、非常に好い感じの滞在となった…明日は「下山」だが…
この種の場所には色々と仕来りも在るらしいが、とりあえず「独りで素泊まり」というプランで、部屋の脇に手洗は備わっていて、浴場は少し大きな湯船で何人かで利用可能な洗い場が在るというモノだ。何やら「お寺の離れに一晩だけ居候させて頂く」という感もしないではない。その大きな湯船の浴場も利用―他の方達が利用していない時間帯だったようで、貸切のように利用出来た…―して、何やら「後は何時でも御休み頂いて結構です…」という感じだ。
全く「高野山の一日」ということに尽きた。
早朝5時台に動き始め、6時の列車で南海なんば駅を発った。8時頃に高野山に至った…
以降は「奥の院」、「金剛峯寺」、「壇上伽藍」、「大門」、「霊宝館」と順次巡っていた。「奥の院」の独特な空気感、金剛峯寺や壇上伽藍の美しさ、大門の大きさ、そして霊宝館で視た高野山に伝わる種々のモノの見事さ…何か「満喫!!」という様子だ。
詳しくは追って「高野山の…」と色々と綴るということになると思う。多分…今日は「問答無用!」に早めに休むべきだと感じている…とにかく早朝から暗くなるまで、距離に換算しても相当に歩いた…そして前日は深くは眠ったが、然程長くは眠っていないのだ…それでも気持ちが昂って元気ではある。
「多少寒い場合も?」と思っていた高野山だが、日中は15℃近くになっていたようだ。天候にも恵まれ、非常に好い感じの滞在となった…明日は「下山」だが…
南下…=運行日誌(2021.11.19)
大阪の宿に在る。
何度か利用して、些か馴染んでいる宿なので「還って来た」という意識も湧き起らないでもないのだが、何やら「ようやく辿り着いた…」という気分も強い。
練っていた策に従い、「稚内駅→旭川駅→札幌駅→新千歳空港駅→(空路)→関西空港→南海なんば駅→地下鉄なんば駅→地下鉄動物園前駅」という具合で動いた。
札幌までは「何時もの所用に出る場面の感じ」で特別でもない。が、それでも風雨交じりの札幌の街を些か歩いた。何ら問題も無く、フライトの2時間前には新千歳空港に在った。
「90分前から搭乗受付」ということで、それは簡単に済むと思った。が…利用した航空会社では、大きさと2個までという条件をクリアしていても、重量7㎏以内でなければ機内にモノを持ち込めないということになっているのだという。小さなリュックサックから荷物の一部を引っ張り出し、軽々と機内に持ち込むことが可能なようなリュックサックを預ける羽目になった。そして2900円の追加料金が発生した。
フライトは、機材延着で出発が30分程度遅れた感だったが、それはそれとして順調に飛んだ。到着したのは関西空港の「第2ターミナル」なる、自身では全く初めて入った場所だった。荷物を引き取るまでに数百メートルを歩いたが、そこからが驚いた。「第1ターミナル」となっているが、それこそが「自身の知っている関西空港」のことなのだ。そこへは無料送迎バスなるモノに乗るようになっている。そのバス停…時刻表が掲出されているのでもない。バスが待機している様子も視えず、何処から何時現れるのか見当も付かない。そして「多分、1台のバスには乗り切れないな…」という感の長蛇の列が見受けられる。「10分や15分なら歩く…」と歩を進めてみたが、歩く道が判らない。
「如何したものか?」と思ったが、タクシーが停まっていたので運転手氏に御訊ねした。「南海の関西空港駅へ行きたい」と問えば「3㎞弱?多分、たっぷり30分は歩きますよ…」ということだった。タクシーを御願いしてしまった…1240円だった。運転手氏と話したが、大阪の街中であれば「難波から船場」という感じで御堂筋を動く位の距離の移動だった訳だ。
結局、飛行機を下りてから南海の関西空港駅まで30分程度を要した。あのバスを待っていたなら、更に時間を要したことであろう。以降、南海の<ラピート>での移動は順調で快適だった。タクシーで乗り付けた駅では、折好く7分後位に列車が出るというタイミングだったのだ。
多少馴染んだ宿は通天閣の傍だ。辺りに着いた午後10時を伺うような頃、街は「今夜は幕…」という寸前だった。とりあえず…宿に入って、一息入れてから部屋で飲むモノ等を買い込みにコンビニへ出て、また戻って寛いでいる。何やら「長い1日」だ。移動の最中に居眠りをしたということも在るが、気分が色々な意味で昂って、何となく夜更かしになってしまいそうだ。
8度台の稚内から10度台の札幌、そして大阪は15℃程度だ…
何度か利用して、些か馴染んでいる宿なので「還って来た」という意識も湧き起らないでもないのだが、何やら「ようやく辿り着いた…」という気分も強い。
練っていた策に従い、「稚内駅→旭川駅→札幌駅→新千歳空港駅→(空路)→関西空港→南海なんば駅→地下鉄なんば駅→地下鉄動物園前駅」という具合で動いた。
札幌までは「何時もの所用に出る場面の感じ」で特別でもない。が、それでも風雨交じりの札幌の街を些か歩いた。何ら問題も無く、フライトの2時間前には新千歳空港に在った。
「90分前から搭乗受付」ということで、それは簡単に済むと思った。が…利用した航空会社では、大きさと2個までという条件をクリアしていても、重量7㎏以内でなければ機内にモノを持ち込めないということになっているのだという。小さなリュックサックから荷物の一部を引っ張り出し、軽々と機内に持ち込むことが可能なようなリュックサックを預ける羽目になった。そして2900円の追加料金が発生した。
フライトは、機材延着で出発が30分程度遅れた感だったが、それはそれとして順調に飛んだ。到着したのは関西空港の「第2ターミナル」なる、自身では全く初めて入った場所だった。荷物を引き取るまでに数百メートルを歩いたが、そこからが驚いた。「第1ターミナル」となっているが、それこそが「自身の知っている関西空港」のことなのだ。そこへは無料送迎バスなるモノに乗るようになっている。そのバス停…時刻表が掲出されているのでもない。バスが待機している様子も視えず、何処から何時現れるのか見当も付かない。そして「多分、1台のバスには乗り切れないな…」という感の長蛇の列が見受けられる。「10分や15分なら歩く…」と歩を進めてみたが、歩く道が判らない。
「如何したものか?」と思ったが、タクシーが停まっていたので運転手氏に御訊ねした。「南海の関西空港駅へ行きたい」と問えば「3㎞弱?多分、たっぷり30分は歩きますよ…」ということだった。タクシーを御願いしてしまった…1240円だった。運転手氏と話したが、大阪の街中であれば「難波から船場」という感じで御堂筋を動く位の距離の移動だった訳だ。
結局、飛行機を下りてから南海の関西空港駅まで30分程度を要した。あのバスを待っていたなら、更に時間を要したことであろう。以降、南海の<ラピート>での移動は順調で快適だった。タクシーで乗り付けた駅では、折好く7分後位に列車が出るというタイミングだったのだ。
多少馴染んだ宿は通天閣の傍だ。辺りに着いた午後10時を伺うような頃、街は「今夜は幕…」という寸前だった。とりあえず…宿に入って、一息入れてから部屋で飲むモノ等を買い込みにコンビニへ出て、また戻って寛いでいる。何やら「長い1日」だ。移動の最中に居眠りをしたということも在るが、気分が色々な意味で昂って、何となく夜更かしになってしまいそうだ。
8度台の稚内から10度台の札幌、そして大阪は15℃程度だ…
文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「策」…?!(2021.11.12)
「一寸、出掛けることにした」と決めて、そんな思い立ちからの「企て」の「奥」に想いを巡らせていたところだった。「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡る専用の納経帳を手に「駆け抜ける?」かのように各寺を巡った中、時間が経つに連れて「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことを頻繁に思うようになっている高野山に関して「再訪が善い!」という考えに至った。
「当地から高野山を訪ねる」というと、如何いう具合になるか?
考えると…先ず「当地と交通結節点との往復」が在り、「交通結節点と高野山との往来が便利な辺りとの往復」が在り、その後に漸く「往来が便利な辺りと高野山との往復」ということになる。言わば「3つの往復」の「組合せ」で訪ねるというようなことになる。
「当地と交通結節点との往復」だが、これは稚内と札幌との往復ということになる。そして札幌で利用する新千歳空港との間を動くことになる。これは?所用で札幌方面に出掛ける要領で、列車で動き回るという話しである。
「交通結節点と高野山との往来が便利な辺りとの往復」だが、これは空路で新千歳空港と大阪(伊丹、関西、神戸の何れかの空港)とを往復すれば好いであろう。
「往来が便利な辺りと高野山との往復」ということに関しては、大阪辺りから高野山を訪ねる幾つかの経路の中、南海の「なんば駅・橋本駅・高野山駅」という列車とケーブルカーとで往復するのが手っ取り早い筈だ。「駆け抜ける?」というように高野山を日帰りした際も、大阪に滞在した中、この南海に御世話になる経路で往復したのだった。
「稚内から札幌へ列車で向かう」ということをするなら?早朝の特急列車に乗ると昼には到着する。ということは?夕刻近くには「新千歳空港から大阪(伊丹、関西、神戸の何れかの空港)へ飛ぶ」ことが可能だ。
そう考えていれば、「第1日夕刻」に関西空港へ飛ぶことが叶う航空券が入手出来た。となると?関西空港駅からなんば駅へ南海の列車で出ると好い。そして「なんば・高野山の往復+高野山でのバスの1日券」の「翌日から利用」の券をなんば駅で求めると好い。更になんば駅から然程遠くない範囲で宿を確保しておくと好い訳だ。この宿を確保した。
そして「第2日」は高野山へ向かう。「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことで「再訪が善い!」という考えに至ったのだから、宿坊にでも置いて頂いて、「第3日朝」までゆっくり過ごすと好い。その置いて頂く宿坊を確保した。
「第3日」は高野山から下りる。直ぐに引揚げることも可能であろうが、1日「余韻…」とばかりにゆっくりするのも悪くはないという程度に考えた。
「第4日」は北上することになるのだが、伊丹空港から新千歳空港へ夕方に飛ぶ航空券を入手出来た。とすると?前日は、伊丹空港へ出ることが不便ではない範囲に滞在すると好い。その宿を確保した。
因みに伊丹空港に関しては、殆ど利用した経験が無い。高校の修学旅行で札幌から関西へ飛んだ際の空港が伊丹空港であった筈だが、それ以外に利用例が思い当たらない。何度も関西方面に入っているが、空路利用では神戸空港や関西空港ばかりを利用していて、それ以外は列車を利用している。そういう「縁が薄い空港」を敢えて択んでみた側面も在る。伊丹空港へはモノレールで向かうことが出来るらしい。そういう移動も「小さな愉しみ」である。
「第4日」に伊丹空港から新千歳空港へ飛んだ後?札幌から稚内へ向かう。券を確保した便の到着は夜だ。ということで、稚内への北上は「第5日」に廻し、札幌で夜を明かす。そのための宿を確保した。
この足掛け5日間の期間が「一寸、出掛けることにした」と決めて設定した期間ということになる。その当該期間に関して?空路の往復に留まらず、4泊の各地の宿も、序に稚内・札幌間で列車本数が限られる途中の旭川と稚内との間の指定席に至るまで確保した。自身の傾向に鑑みて、こんなに「真面目に計画を組む」という旅行は、「とりあえず時間を設けたい…」と他地域へ出る場面では本当に稀だ。
「珍しい?」ということを仕出かすと「好からぬ出来事?」という気がしないでもない。が、限られた時間の中で想いを遂げようと、少し考えている間に計画が積み上がってしまっていたのだ。そして計画の実行が凄く待ち遠しい…
出発の「1週間前」で、かなり「旅の輪郭」が明確になっている?自身の傾向に鑑みて「珍しい?」という感じだ。時に「“旅”は計画を練っている時が愉しい」とも言うようであるが…如何なる?それはまた別途綴ることになるであろう。
「当地から高野山を訪ねる」というと、如何いう具合になるか?
考えると…先ず「当地と交通結節点との往復」が在り、「交通結節点と高野山との往来が便利な辺りとの往復」が在り、その後に漸く「往来が便利な辺りと高野山との往復」ということになる。言わば「3つの往復」の「組合せ」で訪ねるというようなことになる。
「当地と交通結節点との往復」だが、これは稚内と札幌との往復ということになる。そして札幌で利用する新千歳空港との間を動くことになる。これは?所用で札幌方面に出掛ける要領で、列車で動き回るという話しである。
「交通結節点と高野山との往来が便利な辺りとの往復」だが、これは空路で新千歳空港と大阪(伊丹、関西、神戸の何れかの空港)とを往復すれば好いであろう。
「往来が便利な辺りと高野山との往復」ということに関しては、大阪辺りから高野山を訪ねる幾つかの経路の中、南海の「なんば駅・橋本駅・高野山駅」という列車とケーブルカーとで往復するのが手っ取り早い筈だ。「駆け抜ける?」というように高野山を日帰りした際も、大阪に滞在した中、この南海に御世話になる経路で往復したのだった。
「稚内から札幌へ列車で向かう」ということをするなら?早朝の特急列車に乗ると昼には到着する。ということは?夕刻近くには「新千歳空港から大阪(伊丹、関西、神戸の何れかの空港)へ飛ぶ」ことが可能だ。
そう考えていれば、「第1日夕刻」に関西空港へ飛ぶことが叶う航空券が入手出来た。となると?関西空港駅からなんば駅へ南海の列車で出ると好い。そして「なんば・高野山の往復+高野山でのバスの1日券」の「翌日から利用」の券をなんば駅で求めると好い。更になんば駅から然程遠くない範囲で宿を確保しておくと好い訳だ。この宿を確保した。
そして「第2日」は高野山へ向かう。「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことで「再訪が善い!」という考えに至ったのだから、宿坊にでも置いて頂いて、「第3日朝」までゆっくり過ごすと好い。その置いて頂く宿坊を確保した。
「第3日」は高野山から下りる。直ぐに引揚げることも可能であろうが、1日「余韻…」とばかりにゆっくりするのも悪くはないという程度に考えた。
「第4日」は北上することになるのだが、伊丹空港から新千歳空港へ夕方に飛ぶ航空券を入手出来た。とすると?前日は、伊丹空港へ出ることが不便ではない範囲に滞在すると好い。その宿を確保した。
因みに伊丹空港に関しては、殆ど利用した経験が無い。高校の修学旅行で札幌から関西へ飛んだ際の空港が伊丹空港であった筈だが、それ以外に利用例が思い当たらない。何度も関西方面に入っているが、空路利用では神戸空港や関西空港ばかりを利用していて、それ以外は列車を利用している。そういう「縁が薄い空港」を敢えて択んでみた側面も在る。伊丹空港へはモノレールで向かうことが出来るらしい。そういう移動も「小さな愉しみ」である。
「第4日」に伊丹空港から新千歳空港へ飛んだ後?札幌から稚内へ向かう。券を確保した便の到着は夜だ。ということで、稚内への北上は「第5日」に廻し、札幌で夜を明かす。そのための宿を確保した。
この足掛け5日間の期間が「一寸、出掛けることにした」と決めて設定した期間ということになる。その当該期間に関して?空路の往復に留まらず、4泊の各地の宿も、序に稚内・札幌間で列車本数が限られる途中の旭川と稚内との間の指定席に至るまで確保した。自身の傾向に鑑みて、こんなに「真面目に計画を組む」という旅行は、「とりあえず時間を設けたい…」と他地域へ出る場面では本当に稀だ。
「珍しい?」ということを仕出かすと「好からぬ出来事?」という気がしないでもない。が、限られた時間の中で想いを遂げようと、少し考えている間に計画が積み上がってしまっていたのだ。そして計画の実行が凄く待ち遠しい…
出発の「1週間前」で、かなり「旅の輪郭」が明確になっている?自身の傾向に鑑みて「珍しい?」という感じだ。時に「“旅”は計画を練っている時が愉しい」とも言うようであるが…如何なる?それはまた別途綴ることになるであろう。
文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「企て」の「奥」…!?(2021.11.06)
「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けられずに居た中、然程の時間は設けられずとも、可能な範囲で時間を設けて「一寸、出掛けることにした」ということであった。
「一寸、出掛けることにした」と、「明確な目的地が在って、時間が許す範囲で道草」という型でもない状況で出掛ける時間を設定した。「で?如何する?」ということになる。
専用の納経帳(=御朱印帳)を入手して「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡るということをしてみたことが在った。非常に好い想い出になっている。
真言宗を開いた空海という人物には、以前から関心は在った。古代日本の著名な文化人であるが、古代日本と言うよりも日本の文化史上で屈指の人物であるとも思う。
その空海が「生まれ育った辺り?」とされるような場所に在る香川県の善通寺に立寄った際、「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡る専用の納経帳(=御朱印帳)と出くわした。
真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。真言宗に関しては、年月を経る中で様々な派も形成されて行ったが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。しかしながら、現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこで『十八本山納経帳』も登場している。
18ヶ寺だが、香川県の善通寺を除くと、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に各寺が在り、一部に「やや不便?」も在るかもしれないが、概ね「普通に公共交通利用で巡ることが叶う」という場所で、何れも様々な歴史が滲む興味深い場所である。
「18ヶ寺を巡る」という、非常に分り易く、達成することも酷く困難でもない「目標」を持って、その「ささやかな達成」の「証」ともなる『十八本山納経帳』を手に動いてみる。そういうことをすると、導かれるのか、追い立てられるのか、何やら「走る!!」かのようにして18ヶ寺を巡った、または「駆け抜けてしまった?」というような気がしてしまう。そういう感触は、18ヶ寺を実際に巡って、時間が経つに連れて強まっている感だ。
何か「達成感」が一定程度強く在る傍らに「それでも?」という何かが込上げ、それが何か少しずつ大きくなって、何やら拭い難いような具合になっている。「悔恨」という程に深刻であるとか、重たいという程でもない。何か「名状し悪い」のだが、「酷く気になる…」ということなのだ。
「18ヶ寺を巡る」という営みの「達成感」の傍らに「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」が在る。もう少し「ここは!」という場所に関して「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にしても「善かった??」というような考えに至ってしまったのだ。
「善かった??」というような考えに至ってしまったのであれば?少しでも「より善い…」と思えるようにすれば善いであろうし、そういうようにして差支えも無いであろう。
「18ヶ寺を巡る」というような営みを“巡礼”と言うらしいが、“巡礼”は「たった一度」に終始する場合も在るかもしれないが、「繰り返す」という場合も在る筈だ。「18ヶ寺を巡る」という中で、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思った箇所が幾分在る。“巡礼”を「繰り返す」という程のことでもなく、『十八本山納経帳』を手にするのでもなく、「気楽にゆっくりと、気になる場所を再訪する」ということを思い立ったのである。それが自身にとって「より善い…」と思えて、そしてそういう想いが抑えられなくなっているのだ。
『十八本山納経帳』の18ヶ寺に関しては、何れも再訪、再々訪の価値が高いと思う。「訪ねる」と言うより「(やや慌ただしく)立ち寄った」という感の場所も在ったが、例えば「時季を変えて訪ねる」というようなことも好さそうな場所も多い。が、そうした中で殊更に「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」という感が沸き起こった場所、、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思ったのが高野山金剛峰寺であった。
「高野山」という“山”は存在しない。「そう呼ばれている場所」は、周囲を1,000m級の峰々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが拡がっている場所だ。
地名としての「高野山」とは、八葉の峰―今来峰(こんらいほう)・宝珠峰(ほうじゅほう)・鉢伏山(はちぶせやま)・弁天岳(べんてんだけ)・姑射山(こやさん)・転軸山(てんじくさん)・楊柳山(ようりゅうさん)・摩尼山(まにさん)―と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指すという。この「高野山」という名は、行政的に定められる住所の表示にも用いられて既に深く定着している。
「高野山」という呼称は「高野山金剛峰寺」という寺のフルネームの一部だ。“山号”と言うらしい。
“山号”というのは、古く中国で類似名、同名の寺を区別するために「○○山に在る○○寺」という感じで使い始めたモノらしい。その流儀が日本に伝わって「○○山○○寺」という形が寺のフルネームとして一般化した。別段に山の上や山間に所在するのでもない寺でも、フルネームとしては「○○山○○寺」という形になっている事例が多々在る。
「高野山金剛峰寺」だが、古くは「地名としての“高野山”」の一帯を漠然と呼ぶ呼称だった。「山そのものが境内」というような考え方であった訳だ。それが明治期に、本坊として機能していた場所を正式に「金剛峰寺」と称するようになって現在に至っているということである。
色々と在るが、とりあえずあの辺は「高野山」と呼ぶ他に無いような感なのでそう言うことにする。高野山金剛峰寺が開創されて1200年以上経っている。高野山という呼称は、1200年以上も使われている呼称なのだから、「深く定着」というに留まらず「原初からそういう呼称だった??」とさえ感じるような次元かもしれない。
この高野山は少し不思議な場所だ。
高野山を実際に訪ねた際、列車やケーブルカーを利用した。橋本駅から極楽橋駅までは、本当に「山岳鉄道」という感じの場所で、カーブが多い区間で、車輪を軋ませるかのような音も聞こえて「山を上がっている」というのが列車に乗車していてもよく判る。そして極楽橋駅から高野山駅はケーブルカーで、更にハッキリと「上がっている」が判る。訪ねてみた経過が在る12月には、上側の高野山駅の近くには雪も少々在って、ハッキリと「高い場所に上がった」と実感する。
そういう状況でありながら、高野山を歩き回る分には「山の上という感覚が薄い」のである。そこが不思議だ。
これも「峰々に囲まれた少し広い盆地」という状況の故に「山の下が見えない」ということの故だと見受けられる。随分と山の高い辺りに上がっている筈なのだが、「何処か(平地)の寺の堂塔も見受けられる小さな町」に入り込んだように感じるのだ。
そんな高野山の不思議な風情を少し頻繁に思い出すのだが、訪ねた時は「やや慌ただしく(?)日帰り」という形で足を運んでいた。時間が経つに連れて「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことを随分と思うようになってしまったのだ。
こういうようになってしまうと…最早、高野山を再訪して、「気になる…」を多少なりとも解消してみる他、出来そうなことも無い。
「一寸、出掛けることにした」と、「明確な目的地が在って、時間が許す範囲で道草」という型でもない状況で出掛ける時間を設定した。「で?如何する?」ということになる。
専用の納経帳(=御朱印帳)を入手して「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡るということをしてみたことが在った。非常に好い想い出になっている。
真言宗を開いた空海という人物には、以前から関心は在った。古代日本の著名な文化人であるが、古代日本と言うよりも日本の文化史上で屈指の人物であるとも思う。
その空海が「生まれ育った辺り?」とされるような場所に在る香川県の善通寺に立寄った際、「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡る専用の納経帳(=御朱印帳)と出くわした。
真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。真言宗に関しては、年月を経る中で様々な派も形成されて行ったが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。しかしながら、現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこで『十八本山納経帳』も登場している。
18ヶ寺だが、香川県の善通寺を除くと、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に各寺が在り、一部に「やや不便?」も在るかもしれないが、概ね「普通に公共交通利用で巡ることが叶う」という場所で、何れも様々な歴史が滲む興味深い場所である。
「18ヶ寺を巡る」という、非常に分り易く、達成することも酷く困難でもない「目標」を持って、その「ささやかな達成」の「証」ともなる『十八本山納経帳』を手に動いてみる。そういうことをすると、導かれるのか、追い立てられるのか、何やら「走る!!」かのようにして18ヶ寺を巡った、または「駆け抜けてしまった?」というような気がしてしまう。そういう感触は、18ヶ寺を実際に巡って、時間が経つに連れて強まっている感だ。
何か「達成感」が一定程度強く在る傍らに「それでも?」という何かが込上げ、それが何か少しずつ大きくなって、何やら拭い難いような具合になっている。「悔恨」という程に深刻であるとか、重たいという程でもない。何か「名状し悪い」のだが、「酷く気になる…」ということなのだ。
「18ヶ寺を巡る」という営みの「達成感」の傍らに「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」が在る。もう少し「ここは!」という場所に関して「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にしても「善かった??」というような考えに至ってしまったのだ。
「善かった??」というような考えに至ってしまったのであれば?少しでも「より善い…」と思えるようにすれば善いであろうし、そういうようにして差支えも無いであろう。
「18ヶ寺を巡る」というような営みを“巡礼”と言うらしいが、“巡礼”は「たった一度」に終始する場合も在るかもしれないが、「繰り返す」という場合も在る筈だ。「18ヶ寺を巡る」という中で、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思った箇所が幾分在る。“巡礼”を「繰り返す」という程のことでもなく、『十八本山納経帳』を手にするのでもなく、「気楽にゆっくりと、気になる場所を再訪する」ということを思い立ったのである。それが自身にとって「より善い…」と思えて、そしてそういう想いが抑えられなくなっているのだ。
『十八本山納経帳』の18ヶ寺に関しては、何れも再訪、再々訪の価値が高いと思う。「訪ねる」と言うより「(やや慌ただしく)立ち寄った」という感の場所も在ったが、例えば「時季を変えて訪ねる」というようなことも好さそうな場所も多い。が、そうした中で殊更に「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」という感が沸き起こった場所、、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思ったのが高野山金剛峰寺であった。
「高野山」という“山”は存在しない。「そう呼ばれている場所」は、周囲を1,000m級の峰々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが拡がっている場所だ。
地名としての「高野山」とは、八葉の峰―今来峰(こんらいほう)・宝珠峰(ほうじゅほう)・鉢伏山(はちぶせやま)・弁天岳(べんてんだけ)・姑射山(こやさん)・転軸山(てんじくさん)・楊柳山(ようりゅうさん)・摩尼山(まにさん)―と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指すという。この「高野山」という名は、行政的に定められる住所の表示にも用いられて既に深く定着している。
「高野山」という呼称は「高野山金剛峰寺」という寺のフルネームの一部だ。“山号”と言うらしい。
“山号”というのは、古く中国で類似名、同名の寺を区別するために「○○山に在る○○寺」という感じで使い始めたモノらしい。その流儀が日本に伝わって「○○山○○寺」という形が寺のフルネームとして一般化した。別段に山の上や山間に所在するのでもない寺でも、フルネームとしては「○○山○○寺」という形になっている事例が多々在る。
「高野山金剛峰寺」だが、古くは「地名としての“高野山”」の一帯を漠然と呼ぶ呼称だった。「山そのものが境内」というような考え方であった訳だ。それが明治期に、本坊として機能していた場所を正式に「金剛峰寺」と称するようになって現在に至っているということである。
色々と在るが、とりあえずあの辺は「高野山」と呼ぶ他に無いような感なのでそう言うことにする。高野山金剛峰寺が開創されて1200年以上経っている。高野山という呼称は、1200年以上も使われている呼称なのだから、「深く定着」というに留まらず「原初からそういう呼称だった??」とさえ感じるような次元かもしれない。
この高野山は少し不思議な場所だ。
高野山を実際に訪ねた際、列車やケーブルカーを利用した。橋本駅から極楽橋駅までは、本当に「山岳鉄道」という感じの場所で、カーブが多い区間で、車輪を軋ませるかのような音も聞こえて「山を上がっている」というのが列車に乗車していてもよく判る。そして極楽橋駅から高野山駅はケーブルカーで、更にハッキリと「上がっている」が判る。訪ねてみた経過が在る12月には、上側の高野山駅の近くには雪も少々在って、ハッキリと「高い場所に上がった」と実感する。
そういう状況でありながら、高野山を歩き回る分には「山の上という感覚が薄い」のである。そこが不思議だ。
これも「峰々に囲まれた少し広い盆地」という状況の故に「山の下が見えない」ということの故だと見受けられる。随分と山の高い辺りに上がっている筈なのだが、「何処か(平地)の寺の堂塔も見受けられる小さな町」に入り込んだように感じるのだ。
そんな高野山の不思議な風情を少し頻繁に思い出すのだが、訪ねた時は「やや慌ただしく(?)日帰り」という形で足を運んでいた。時間が経つに連れて「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことを随分と思うようになってしまったのだ。
こういうようになってしまうと…最早、高野山を再訪して、「気になる…」を多少なりとも解消してみる他、出来そうなことも無い。
文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「一寸、出掛けることにした」という「たった一言」の「裏側」…!?(2021.10.25)
「訪ねてみたい場所は?」とか「何処を訪ねてみたいか?」とでも尋ねられると、多分回答に窮してしまうと思う。
例えば、住んでいる地域以外の場所へ出向くようなことを想定していないような状況下で「訪ねてみたい場所は?」とか「何処を訪ねてみたいか?」とでも尋ねられるなら、回答が見当たり悪いことであろう。が、自身の場合はそうではない。「逆」なのだ。
「訪ねてみたい…」とか「立ち寄りたい…」というような場所に関しては、所謂「名所旧跡」から或る程度知られた「絶景」の見える場所、興味深そうな資料が展示されている博物館系統の場所、美しい車輌が行き交っている鉄道路線や街並みの趣が好さそうな場所、何やら雰囲気が好さそうなカフェに至るまで、本当に「際限無く」存在する。ここで挙げ始めると、明後日位まで掛かっても終わらないかもしれない程だ。訪ねてみたい場所に関する「頭の中のリスト」というようなモノは、大都市圏に見受けられた分厚過ぎる電話帳や、百科事典や大型の辞典というような感じ、更に「何処かの古く大きな図書館のような場所に在るような、巨大な書架から溢れそうになっている夥しい数の本」という程度になってしまっていると思う。
自身が住む街は、様々な地域との間を結ぶ「交通結節点」とでも呼ぶべき場所から「大きく外れて…」という状況であることは否定し難い。故に「何処かへ…」ということにでもなれば、自身が住む街と「交通結節点」とでも呼ぶべき場所との往復が在って、その往路と復路との間に「交通結節点」とでも呼ぶべき場所を「半ば出発点」とするような「もう一つの往復」が生じるかのような感となる。そういう訳で、何時の間にか「何処かへ出る」という場合に「実質的に一気に2往復している…」という感覚を何処かに抱くようになってしまっているかもしれない。
「実質的に一気に2往復している…」という状況の故に、「何処かへ出る」という時間が設けられそうな場合には「量的に目一杯!」を画策する。そして時間を設けてみると、何やら「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想になる。
「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想で動くのは「交通結節点」に至った以降ということになる。「交通結節点」を「実質的な起点」にして、そこと他地域とを往復する大枠を考え、それの前後に自身が住む街との往復を加味するという調子なのだ。
2021年を振り返ると、「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けられずに居たように思う。
所用で札幌へ出なければならない機会が何度か在り、その所用の前後の「隙間」、または「敢えて設けた“ゆとり”」という中で、旭川、美瑛、小樽に立寄るというようなことは在った。そういうような中でも「訪ねてみたい…」、「立寄りたい…」が思い浮かぶので、思いに抗わずに動いているに過ぎないのだが。
また2021年に関しては利尻島や礼文島へ上陸という機会を設けることが叶った。これは「やや特別?」という感もする。利尻島については、思い立っての一度目の後、何となく二度目まで在ったのだから。
こういうような感じで「振り返る2021年」が「残り少ない?」という時期に至ってみると、「何処となく感じる物足りなさ…」というようなモノが溢れるような気がしてしまう。そこで「量的に目一杯!」な「何処かへ出る」という時間を設けてみようと画策する。
「画策する」と言って、然程大袈裟なことでもない。「この時季なら?この程度の時間を設けられる?」と一寸考えて、当該時期が或る程度近付いた時点で、時間を設けることを確定してみるだけのことだ。
「確定してみた」という時点以降は更に簡単だ。既述のように「実質的に一気に2往復している…」という状況である。住んでいる街と「交通結節点」との往復の段取り、「交通結節点」と「訪ねたい地域等の交通結節点」との往復の段取りを考えるだけのことだ。
この「“2往復”の出入口」を思い描いて決めた後には、「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想で方々を巡ることに思い巡らすということになる。
「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」と言っても、巡るためには物理的移動手段と要する時間は必要だ。そういう移動手段等を調べるというのも、実に愉しい過程というものである。それは非常に好いのだが、色々と考える中で「移動だけ…」というような感じ、「只管に列車に乗って走り続けている」というような感じでは、自身の興味関心は満たされない面も在る。故に「○○へ着いて、△△を訪ね…」というようなことも思い描く。
そんなことを思い描き、何度も色々と考えている中で少し考えに詰まってしまう。「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」な時間を設けるにしても、自ずと「限り…」というモノは在る。そういうことで「あちら…こちら…そちら…」と思い描いている中で「物理的にそららの全てを一度に訪ねて巡ってみるというのも??」という所に考えが至らざるを得なくなる。
自身はスポーツ観戦も好むのだが、例えばバスケットボールの試合を観るようなことを好む。「1点でも多く!」と制限時間一杯に加点することを競うというのがバスケットボールだ。加点を競い続け、制限時間が終わった時点で同点であれば?試合の運営の関係で規定の例が幾つか在るようだが、大概は「延長戦」を行う。不意にこういう例を思い出した。自身もその「延長戦」を導入すれば善い筈だ。
「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」な時間を設けたとして、「あちら…こちら…そちら…」と思い描いている中で「物理的にそららの全てを一度に訪ねて巡ってみるというのも??」という所に考えが至ってしまったのであれば?「延長戦」を設定すれば、或る程度はその「問題?」を解決し得る筈だ。
現在時点で「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けようと画策中ではある。これはこれとして、全く別に、「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程ではなくても構わないので、「何処かへ出る」ということも出来る時間を、「延長戦」的なモノを設定する訳だ。
「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程でもない「延長戦」的なモノとでも称するべき時間?「限られた時間」という感が強まらざるを得ない。とすれば?「的」を或る程度確り定めて、そこに向かって行って、そこから折り返す段取りを事前に相当程度定めておかなければならないであろう。
今般「延長戦」的なモノを設けようと思い立ったのは、或る程度強めな「想い」というようなモノ、「あそこへ寄りたい!!」、「ここを訪ねたい!!」という感じの強い場所が色々と頭の中に浮かんで、それが「整理困難?」だと思ったからだ。「整理困難?」ということであれば、「一部を“延長戦”に送り込む」というようにすれば善い筈だ。
「何処かへ出る」ということに関しては「こういう具合に出掛けて…こうして…ああして…」と計画を練るようなことが、「実際に出る」のと同じ程度に愉しい場合も在るのかもしれない。実は今、そういう状態で色々と考えている。内容?何れ整頓して綴ることとする。
申し上げたいことは「一寸、出掛けることにした」という「たった一言」だ。少しだけ“間”は在るのだが、「限られた時間」という感で一寸出るので、色々と考えて「想い」というようなモノを遂げることが叶えば非常に好いと思う。
例えば、住んでいる地域以外の場所へ出向くようなことを想定していないような状況下で「訪ねてみたい場所は?」とか「何処を訪ねてみたいか?」とでも尋ねられるなら、回答が見当たり悪いことであろう。が、自身の場合はそうではない。「逆」なのだ。
「訪ねてみたい…」とか「立ち寄りたい…」というような場所に関しては、所謂「名所旧跡」から或る程度知られた「絶景」の見える場所、興味深そうな資料が展示されている博物館系統の場所、美しい車輌が行き交っている鉄道路線や街並みの趣が好さそうな場所、何やら雰囲気が好さそうなカフェに至るまで、本当に「際限無く」存在する。ここで挙げ始めると、明後日位まで掛かっても終わらないかもしれない程だ。訪ねてみたい場所に関する「頭の中のリスト」というようなモノは、大都市圏に見受けられた分厚過ぎる電話帳や、百科事典や大型の辞典というような感じ、更に「何処かの古く大きな図書館のような場所に在るような、巨大な書架から溢れそうになっている夥しい数の本」という程度になってしまっていると思う。
自身が住む街は、様々な地域との間を結ぶ「交通結節点」とでも呼ぶべき場所から「大きく外れて…」という状況であることは否定し難い。故に「何処かへ…」ということにでもなれば、自身が住む街と「交通結節点」とでも呼ぶべき場所との往復が在って、その往路と復路との間に「交通結節点」とでも呼ぶべき場所を「半ば出発点」とするような「もう一つの往復」が生じるかのような感となる。そういう訳で、何時の間にか「何処かへ出る」という場合に「実質的に一気に2往復している…」という感覚を何処かに抱くようになってしまっているかもしれない。
「実質的に一気に2往復している…」という状況の故に、「何処かへ出る」という時間が設けられそうな場合には「量的に目一杯!」を画策する。そして時間を設けてみると、何やら「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想になる。
「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想で動くのは「交通結節点」に至った以降ということになる。「交通結節点」を「実質的な起点」にして、そこと他地域とを往復する大枠を考え、それの前後に自身が住む街との往復を加味するという調子なのだ。
2021年を振り返ると、「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けられずに居たように思う。
所用で札幌へ出なければならない機会が何度か在り、その所用の前後の「隙間」、または「敢えて設けた“ゆとり”」という中で、旭川、美瑛、小樽に立寄るというようなことは在った。そういうような中でも「訪ねてみたい…」、「立寄りたい…」が思い浮かぶので、思いに抗わずに動いているに過ぎないのだが。
また2021年に関しては利尻島や礼文島へ上陸という機会を設けることが叶った。これは「やや特別?」という感もする。利尻島については、思い立っての一度目の後、何となく二度目まで在ったのだから。
こういうような感じで「振り返る2021年」が「残り少ない?」という時期に至ってみると、「何処となく感じる物足りなさ…」というようなモノが溢れるような気がしてしまう。そこで「量的に目一杯!」な「何処かへ出る」という時間を設けてみようと画策する。
「画策する」と言って、然程大袈裟なことでもない。「この時季なら?この程度の時間を設けられる?」と一寸考えて、当該時期が或る程度近付いた時点で、時間を設けることを確定してみるだけのことだ。
「確定してみた」という時点以降は更に簡単だ。既述のように「実質的に一気に2往復している…」という状況である。住んでいる街と「交通結節点」との往復の段取り、「交通結節点」と「訪ねたい地域等の交通結節点」との往復の段取りを考えるだけのことだ。
この「“2往復”の出入口」を思い描いて決めた後には、「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」という発想で方々を巡ることに思い巡らすということになる。
「細々した計画は敢えて設けず、全く随意に方々を巡る」と言っても、巡るためには物理的移動手段と要する時間は必要だ。そういう移動手段等を調べるというのも、実に愉しい過程というものである。それは非常に好いのだが、色々と考える中で「移動だけ…」というような感じ、「只管に列車に乗って走り続けている」というような感じでは、自身の興味関心は満たされない面も在る。故に「○○へ着いて、△△を訪ね…」というようなことも思い描く。
そんなことを思い描き、何度も色々と考えている中で少し考えに詰まってしまう。「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」な時間を設けるにしても、自ずと「限り…」というモノは在る。そういうことで「あちら…こちら…そちら…」と思い描いている中で「物理的にそららの全てを一度に訪ねて巡ってみるというのも??」という所に考えが至らざるを得なくなる。
自身はスポーツ観戦も好むのだが、例えばバスケットボールの試合を観るようなことを好む。「1点でも多く!」と制限時間一杯に加点することを競うというのがバスケットボールだ。加点を競い続け、制限時間が終わった時点で同点であれば?試合の運営の関係で規定の例が幾つか在るようだが、大概は「延長戦」を行う。不意にこういう例を思い出した。自身もその「延長戦」を導入すれば善い筈だ。
「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」な時間を設けたとして、「あちら…こちら…そちら…」と思い描いている中で「物理的にそららの全てを一度に訪ねて巡ってみるというのも??」という所に考えが至ってしまったのであれば?「延長戦」を設定すれば、或る程度はその「問題?」を解決し得る筈だ。
現在時点で「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けようと画策中ではある。これはこれとして、全く別に、「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程ではなくても構わないので、「何処かへ出る」ということも出来る時間を、「延長戦」的なモノを設定する訳だ。
「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程でもない「延長戦」的なモノとでも称するべき時間?「限られた時間」という感が強まらざるを得ない。とすれば?「的」を或る程度確り定めて、そこに向かって行って、そこから折り返す段取りを事前に相当程度定めておかなければならないであろう。
今般「延長戦」的なモノを設けようと思い立ったのは、或る程度強めな「想い」というようなモノ、「あそこへ寄りたい!!」、「ここを訪ねたい!!」という感じの強い場所が色々と頭の中に浮かんで、それが「整理困難?」だと思ったからだ。「整理困難?」ということであれば、「一部を“延長戦”に送り込む」というようにすれば善い筈だ。
「何処かへ出る」ということに関しては「こういう具合に出掛けて…こうして…ああして…」と計画を練るようなことが、「実際に出る」のと同じ程度に愉しい場合も在るのかもしれない。実は今、そういう状態で色々と考えている。内容?何れ整頓して綴ることとする。
申し上げたいことは「一寸、出掛けることにした」という「たった一言」だ。少しだけ“間”は在るのだが、「限られた時間」という感で一寸出るので、色々と考えて「想い」というようなモノを遂げることが叶えば非常に好いと思う。
「急遽の上陸」という顛末…(2021.08.01)
「酷く暑かった2021年7月」と記憶することになるであろうか?文字どおりの末日まで、何やら温い空気で、日中は25℃を超えるに留まらず、30℃を伺い、時には「何十年振り?」とか「観測史上最高…」という31℃、32℃という気温も見受けられた。
その7月が終わって8月に改まった最初の日…気温は20℃程度で、少しクールな風が吹き抜ける感じになった。そういう日の顛末…「記憶に留めたい」ということになった。
遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなった。
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。友人は、偶々御住いの御近所に在る見覚えの在る店を営む会社が出している珈琲豆を使っているという話しを面白がり、「店舗限定販売…」と称する珈琲豆を土産に持参してくれた。酷く有難い…到着時に連絡を頂いたので御会いし、夕刻は際限なく拡がって尽き悪い四方山話の一時を愉しく過ごすことも叶った。
そういう中であったが…「利尻島へ一寸行ってみないか?」と不意に御誘いを頂いた。偶々、7月10日に訪ねた経過が在ったが、稚内に在って「酷く遠いでもない他方、なかなか行かない??」という感の利尻島について、機会が生じる際には頻繁に生じるものである。
聴けば…稚内を目指して車で日本海側を北上中、「北海道としては妙に暑くないか??」という好天な中、何箇所もの場所で「海に浮かぶ画のような山」の眺望を愉しんだそうだ。友人は同行者と2人で移動していたのだが、同行者が「稚内に着いて…そこから船に乗ると、あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」と思い付いて言っていたのだという。
友人達にしてみれば、利尻島へ渡ることを試みるのは「不意な予定変更」ということにはなる。稚内に至り、泊まった翌日は稚内から車で南下し、旭川に宿を求めているのだという。午前中から稚内を発って、ゆっくりと南下という計画だが、「朝に利尻島へ。利尻島で少し過ごし、昼のフェリーで稚内へ。稚内からは午後2時頃以降に他所へ移動…」ということにしてしまうのであれば、それは「可能と見受けられる」という案でもある。旭川の宿に入って「無事に着いた!」と、美味いモノを頂くことに差支え無い次元の時間帯に辿り着けることであろう…
北海道内で使っている車輛を利尻島へ航送するのであれば「少し高価に過ぎてしまう?」という感でもあり、急に対応し悪いということも在ろうが、利尻島内でレンタカーを利用することは「空き」さえ在れば可能だ。利尻島の鴛泊のレンタカー店に電話で問い合わせると「空き」は在ったようだ。そしてフェリーに乗船するだけならターミナルで乗船券を求めるというだけの話しである。「利尻島へ一寸行ってみないか?」との御誘いを容れ、同行させて頂くことに決した。「明日の朝…午前6時半頃にターミナル集合…利尻島に渡り、昼の船で稚内に引揚げる…」という相談になった。
その「明日の朝…」と約した朝に至った…
事前に予定していたという程でも無かったが、朝から少し出るとなって、何となく早目には起き出した。特段に何かが在るでもなくとも、早目に起きる場合は多いが…朝に関しては「涼む…」という意識は起こり悪い感だった。20℃程度で、風は普通に吹き抜けている。そして曇天だった…
予定どおり友人達とフェリーターミナルで落ち合い、利尻島の鴛泊港と稚内港との間を往復する乗船券を求めた。そして<サイプリア宗谷>に乗船である…
<サイプリア宗谷>の航海は「適度に船らしい…」というような按配、些かの風浪をものともせずに「新鋭船のスタビライザーの威力?」という感じで悪くない乗心地ではあった。が…雲が厚く、洋上の巨大な利尻富士は殆ど姿が視えなかった…
後刻、友人が吐露していて、自身でも思わないでもなかったが「これは?利尻島に上陸し、些かの土産を求めて、適当に珈琲でも啜って、場合によって何かを頂いて…“終了”か??」というような、如何にも雲が多い感じであった。しかし!鴛泊港に着いた頃「或いは“西”の天が明るい感じなので、“西”の利尻町側に向かうと景色は好いかもしれない?!」という様子だった。
そうして…利尻町側に至れば、利尻富士を覆った雲が海を渡る風に流され、利尻富士がその姿を我々一行の前に現したのだった。
本当に、「あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」という友人達の“想い”が天に通じたというような気がする。結局、利尻町側入っていた間に利尻富士の姿を眺めることが叶ったのだが、復路の船上からも利尻富士の姿が視え悪かったということを想うと、本当に「絶妙なタイミングで眺めることが叶った!」ということになる。
事実として「私の側が友人たちに誘われて同行」ということにはなるが、私の側でも活き活きと、嬉々として景色を愉しんでいたので、逆に「写真を撮りに出るために、私の側が友人に協力要請を…」というようにさえ見受けられたかもしれない。
「急遽の上陸」ということで、偶々「短い間隔…」となった利尻島であるが、忘れ難い出来事となった。
因みに、利尻島から引揚げてから分かれた友人達は、計画の移動コースに戻って直ぐに移動し、順調に動き続けているようである。
その7月が終わって8月に改まった最初の日…気温は20℃程度で、少しクールな風が吹き抜ける感じになった。そういう日の顛末…「記憶に留めたい」ということになった。
遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなった。
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。友人は、偶々御住いの御近所に在る見覚えの在る店を営む会社が出している珈琲豆を使っているという話しを面白がり、「店舗限定販売…」と称する珈琲豆を土産に持参してくれた。酷く有難い…到着時に連絡を頂いたので御会いし、夕刻は際限なく拡がって尽き悪い四方山話の一時を愉しく過ごすことも叶った。
そういう中であったが…「利尻島へ一寸行ってみないか?」と不意に御誘いを頂いた。偶々、7月10日に訪ねた経過が在ったが、稚内に在って「酷く遠いでもない他方、なかなか行かない??」という感の利尻島について、機会が生じる際には頻繁に生じるものである。
聴けば…稚内を目指して車で日本海側を北上中、「北海道としては妙に暑くないか??」という好天な中、何箇所もの場所で「海に浮かぶ画のような山」の眺望を愉しんだそうだ。友人は同行者と2人で移動していたのだが、同行者が「稚内に着いて…そこから船に乗ると、あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」と思い付いて言っていたのだという。
友人達にしてみれば、利尻島へ渡ることを試みるのは「不意な予定変更」ということにはなる。稚内に至り、泊まった翌日は稚内から車で南下し、旭川に宿を求めているのだという。午前中から稚内を発って、ゆっくりと南下という計画だが、「朝に利尻島へ。利尻島で少し過ごし、昼のフェリーで稚内へ。稚内からは午後2時頃以降に他所へ移動…」ということにしてしまうのであれば、それは「可能と見受けられる」という案でもある。旭川の宿に入って「無事に着いた!」と、美味いモノを頂くことに差支え無い次元の時間帯に辿り着けることであろう…
北海道内で使っている車輛を利尻島へ航送するのであれば「少し高価に過ぎてしまう?」という感でもあり、急に対応し悪いということも在ろうが、利尻島内でレンタカーを利用することは「空き」さえ在れば可能だ。利尻島の鴛泊のレンタカー店に電話で問い合わせると「空き」は在ったようだ。そしてフェリーに乗船するだけならターミナルで乗船券を求めるというだけの話しである。「利尻島へ一寸行ってみないか?」との御誘いを容れ、同行させて頂くことに決した。「明日の朝…午前6時半頃にターミナル集合…利尻島に渡り、昼の船で稚内に引揚げる…」という相談になった。
その「明日の朝…」と約した朝に至った…
事前に予定していたという程でも無かったが、朝から少し出るとなって、何となく早目には起き出した。特段に何かが在るでもなくとも、早目に起きる場合は多いが…朝に関しては「涼む…」という意識は起こり悪い感だった。20℃程度で、風は普通に吹き抜けている。そして曇天だった…
予定どおり友人達とフェリーターミナルで落ち合い、利尻島の鴛泊港と稚内港との間を往復する乗船券を求めた。そして<サイプリア宗谷>に乗船である…
<サイプリア宗谷>の航海は「適度に船らしい…」というような按配、些かの風浪をものともせずに「新鋭船のスタビライザーの威力?」という感じで悪くない乗心地ではあった。が…雲が厚く、洋上の巨大な利尻富士は殆ど姿が視えなかった…
後刻、友人が吐露していて、自身でも思わないでもなかったが「これは?利尻島に上陸し、些かの土産を求めて、適当に珈琲でも啜って、場合によって何かを頂いて…“終了”か??」というような、如何にも雲が多い感じであった。しかし!鴛泊港に着いた頃「或いは“西”の天が明るい感じなので、“西”の利尻町側に向かうと景色は好いかもしれない?!」という様子だった。
そうして…利尻町側に至れば、利尻富士を覆った雲が海を渡る風に流され、利尻富士がその姿を我々一行の前に現したのだった。
本当に、「あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」という友人達の“想い”が天に通じたというような気がする。結局、利尻町側入っていた間に利尻富士の姿を眺めることが叶ったのだが、復路の船上からも利尻富士の姿が視え悪かったということを想うと、本当に「絶妙なタイミングで眺めることが叶った!」ということになる。
事実として「私の側が友人たちに誘われて同行」ということにはなるが、私の側でも活き活きと、嬉々として景色を愉しんでいたので、逆に「写真を撮りに出るために、私の側が友人に協力要請を…」というようにさえ見受けられたかもしれない。
「急遽の上陸」ということで、偶々「短い間隔…」となった利尻島であるが、忘れ難い出来事となった。
因みに、利尻島から引揚げてから分かれた友人達は、計画の移動コースに戻って直ぐに移動し、順調に動き続けているようである。
トレッキング(?!)の顛末…(2021.07.22)
直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所が在ったとして、そういう場所に関しては「存外に行かない…」という事が在るのかもしれない。
稚内で「直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所で、存外に行かないかもしれない…」を挙げるとすれば、利尻島や礼文島が挙げられるであろうか?
例えば、数年間稚内に在勤する等した方が、他地域へ転出してしまって少し経った後に稚内へ現れるという話しが在る。それは、在勤時に訪ねる機会を設け損なった利尻島や礼文島に関して、そのままにしておくと更に年月を経て「何故行かなかったのか!?」と悔恨を残すとでも考えて、休暇に一寸旅をしている訳である。
自身の場合、他地域へ転出するような状況は余り無い。それはそれとして、利尻島や礼文島と縁が濃いというのでもない。去る7月10日に友人と誘い合って利尻島を訪ねた経過が在った。天候も好く「吉日!!」と張り切って出掛けて愉しかった。その利尻島は何度か訪ねている。が…利尻島の少し北の礼文島に関しては?2008年に「そう言えば、少々長く稚内に在りながら、両島に足を踏み入れていない?」というように思い付き、利尻島へ渡航の後に鴛泊・香深という両島間の航路で礼文島に少しの間だけ上陸し、直ぐに稚内へ引揚げたという事例が在ったのだが、それ以外に「礼文島上陸」の事例が全く思い当たらない…
去る7月10日の利尻島の経過を頻繁に思い出す昨今だった訳だが、そういう中で「そう言えば礼文…」と何となく想い起してしまっていた。実は利尻島に在って、「視えていた陸地が礼文島…」という場面も在って、何か意識の隅に礼文島が在ったのだ…
そうしていれば、何やら“連休”というような話しになっていた。自身、特段に予定らしい予定は立てていなかった。
“連休”の初日、とりあえず早目に起き出し、戸外の様子を眺めに出てみた。「霧交じりの曇天」というように見受けられた…が…「早朝がこういう様子でも、少し経てば天候が好転という例も少なくない」とも考えた。
そういう訳で、午前6時半の船で礼文島に渡れば午前8時半に着き、午後2時台に礼文島を出て午後4時台に稚内へ引揚げるということを「してみるのも悪くない?」という想いが早朝から溢れ出した…
結局、礼文島へ渡り、<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるコースでのトレッキングに挑み、<礼文島温泉 うすゆきの湯>で汗を流して稚内へ引揚げるということをやった…
何時の間にかかなり長く稚内に在るのだが…「礼文島へ渡って、礼文島の独特な雰囲気を愉しんだ」というのは、今般が「初めて…」ということになった。
結局、曇天と晴天とが適当に入れ替わるような感じの天候で終始し、25℃を伺うような少し蒸すような気温の一日になった。「7.1km 3時間40分」と称するコースを3時間弱で踏破し、前後にも少々歩き、加えて「礼文島の路線バス」というマイナーかもしれない乗物も利用した。
礼文島に関しては、「利尻島(=利尻富士)の眺望」というのが面白い訳だが、往復のフェリー船上でそれを眺める機会は在った他方、礼文島の中では利尻島の様子は視えなかった…
<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるトレッキングコース…これは細い歩道が設定され、歩道の足元が整えられる、または脇に歩行して構わないことになっている箇所を囲うように柵やロープが据えられている場所を歩く。小路で狭いので、他所の人と擦違う場合には「すみません…」、「どうぞ…」、「ありがとう…」と適当に譲り合うことになる。
礼文島は標高が酷く高い山でもない。適当な標高の丘陵なのだが、それでも何やら低めに雲、または深い霧という場面も在って、何となく「雲の中を歩む」というような不思議な気分も沸き起こった…
この礼文島の一件…とりあえず<X100F>、加えてXF35mmf2を装着の<X-Pro2>で写真も多々撮った…後から写真でこの礼文島の顛末を振り返りたい…
稚内で「直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所で、存外に行かないかもしれない…」を挙げるとすれば、利尻島や礼文島が挙げられるであろうか?
例えば、数年間稚内に在勤する等した方が、他地域へ転出してしまって少し経った後に稚内へ現れるという話しが在る。それは、在勤時に訪ねる機会を設け損なった利尻島や礼文島に関して、そのままにしておくと更に年月を経て「何故行かなかったのか!?」と悔恨を残すとでも考えて、休暇に一寸旅をしている訳である。
自身の場合、他地域へ転出するような状況は余り無い。それはそれとして、利尻島や礼文島と縁が濃いというのでもない。去る7月10日に友人と誘い合って利尻島を訪ねた経過が在った。天候も好く「吉日!!」と張り切って出掛けて愉しかった。その利尻島は何度か訪ねている。が…利尻島の少し北の礼文島に関しては?2008年に「そう言えば、少々長く稚内に在りながら、両島に足を踏み入れていない?」というように思い付き、利尻島へ渡航の後に鴛泊・香深という両島間の航路で礼文島に少しの間だけ上陸し、直ぐに稚内へ引揚げたという事例が在ったのだが、それ以外に「礼文島上陸」の事例が全く思い当たらない…
去る7月10日の利尻島の経過を頻繁に思い出す昨今だった訳だが、そういう中で「そう言えば礼文…」と何となく想い起してしまっていた。実は利尻島に在って、「視えていた陸地が礼文島…」という場面も在って、何か意識の隅に礼文島が在ったのだ…
そうしていれば、何やら“連休”というような話しになっていた。自身、特段に予定らしい予定は立てていなかった。
“連休”の初日、とりあえず早目に起き出し、戸外の様子を眺めに出てみた。「霧交じりの曇天」というように見受けられた…が…「早朝がこういう様子でも、少し経てば天候が好転という例も少なくない」とも考えた。
そういう訳で、午前6時半の船で礼文島に渡れば午前8時半に着き、午後2時台に礼文島を出て午後4時台に稚内へ引揚げるということを「してみるのも悪くない?」という想いが早朝から溢れ出した…
結局、礼文島へ渡り、<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるコースでのトレッキングに挑み、<礼文島温泉 うすゆきの湯>で汗を流して稚内へ引揚げるということをやった…
何時の間にかかなり長く稚内に在るのだが…「礼文島へ渡って、礼文島の独特な雰囲気を愉しんだ」というのは、今般が「初めて…」ということになった。
結局、曇天と晴天とが適当に入れ替わるような感じの天候で終始し、25℃を伺うような少し蒸すような気温の一日になった。「7.1km 3時間40分」と称するコースを3時間弱で踏破し、前後にも少々歩き、加えて「礼文島の路線バス」というマイナーかもしれない乗物も利用した。
礼文島に関しては、「利尻島(=利尻富士)の眺望」というのが面白い訳だが、往復のフェリー船上でそれを眺める機会は在った他方、礼文島の中では利尻島の様子は視えなかった…
<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるトレッキングコース…これは細い歩道が設定され、歩道の足元が整えられる、または脇に歩行して構わないことになっている箇所を囲うように柵やロープが据えられている場所を歩く。小路で狭いので、他所の人と擦違う場合には「すみません…」、「どうぞ…」、「ありがとう…」と適当に譲り合うことになる。
礼文島は標高が酷く高い山でもない。適当な標高の丘陵なのだが、それでも何やら低めに雲、または深い霧という場面も在って、何となく「雲の中を歩む」というような不思議な気分も沸き起こった…
この礼文島の一件…とりあえず<X100F>、加えてXF35mmf2を装着の<X-Pro2>で写真も多々撮った…後から写真でこの礼文島の顛末を振り返りたい…
「上陸作戦(?!)」の顛末…(2021.07.10)
漸く「ジーンズ穿きで半袖Tシャツ」というような服装に、気分で好みのキャップでも被った程度の様子で日中の戸外を動き回ることに抵抗感が無くなった感の当地である。そういう中で日曜日を過ごしながら、土曜日の顛末を綴ろうとしている…
色々と愉しい事、愉快な感じが在って、何か「佳かった」とか「好い」と語りたい内容で頭の中が溢れてしまうというような場合も時には在るかもしれない。単純に「休日だった土曜日の顛末」ということに過ぎないのだが、「溢れるような記憶」を少し整理したいような気分なのだ…
「時にはカメラを提げて好い風景を眺めに出て、一寸変わったランチを愉しんで、温泉にでも浸かる休日は如何でしょう?」と誘って下さる友人が在る。「Хорошая идея!!」(Good idea!!)ということになって、何度かそういうことをした。
何度かそんなことをする中、日本海側を動き回って「沖に浮かぶ利尻富士…」というモノの様子を愛でた、または愛でようと動き回ったことが在った。そんな時に…「あの利尻富士…島全体が山と言っても過言でもないような利尻島そのものだが…そのうち…“探検隊”でも編成して上陸するか?」ということが話題になった。これもまた「Хорошая идея!!」(Good idea!!)ということにはなった…
6月末の或る日、件の友人と会って話す機会が在った。「そう言えば“探検隊”と言っていた話しな…」ということが話題になった。「“そのうち”と言っていても?何時までも“そのうち”は訪れない…とりあえず、余程天候が悪くない限り実行するということにした方が善くないか?」という話しになった。そして「少雨決行!“上陸作戦”は7月10日に発動である!!」という話しになった。
こういう話しになると、その「7月10日」が愉しみで、そして天候按配が気になって毎日のように気象情報に眼を通す。稚内やその周辺は、7月に入ってから、何か「雲が多目で雨交じり」とか「1日の中で変わり易過ぎるような天候」というのが続いていた。「少雨決行!“上陸作戦”は7月10日に発動である!!」と、半ばは「呑んだ席の“お笑いネタ”」という気分も交えて話していたが、酷く天候が気になった。前々日辺りに「予報は晴れ?利尻島も稚内も、特段に何かの注意喚起が為されているのでもない…」ということになって、「進め!!一歩も下がるな!!」と昔の戦争を背景にした映画にも出て来る“ソ連軍の隊長”が叫んでいそうな台詞が出て来た訳だ…
そして7月10日、休日である土曜日の朝だ…
昨年の12月、津島の観音寺という寺に立寄って<令和三年 智山御寶暦>というモノを頂いた。副住職と言葉を交わして愉しかったのだが、去り際に「時季なので御配りしている」と暦を下さったのだった。手元に置いて、時々眺める。
7月10日?“九星”は「五黄」で、“廿七宿”は「鬼(き)」で“十二直”は「建(たつ)」だ。
「五黄」は「吉運。凶を転じて福となす大楽運。進んで業を起し活動すべし」だそうだ。「鬼(き)」は「大吉日にて祝い事よろずよろし」だそうだ。「建(たつ)」は「神仏を祭り婚姻開店柱棟上げ旅行金銭を収納し新衣の着初め等吉」だそうだ。
要は?「本日、7月10日は吉日」なのだ!
その「吉日」という状況を反映し、早朝から「こういうのも久し振りだ!!」という程度に明るい天が視られた。
朝6時台に稚内港のフェリーターミナルへ向かい、7時頃のフェリーで鴛泊港=利尻島へ渡り、午後5時台に鴛泊港を出るフェリーで戻り、午後7時台に稚内港…というのが“上陸作戦”の基本的な構想である。これ以外…友人が移動手段に用いるレンタカーを予約したという程度で、本当に細々したことは何も決めていなかった。「時にはカメラを提げて好い風景を眺めに出て、一寸変わったランチを愉しんで、温泉にでも浸かる休日は如何でしょう?」という程度のことを、「フェリーで渡った利尻島で実践」という次第なのだ…
往路のフェリー…<ボレアース宗谷>だ。話しが先走るが、復路も同じ船だった…船名に関して「『ガンダム』に出て来る宇宙艦とか、何やら物々しい秘密兵器にでも在りそうな名ではないか?」と笑い話にしてしまっていたが…
航海は(往路も復路も)穏やかな海象の中での航海で、「多分、何処かのバスや電車の方が余程揺れる…」という程度、滑らかな海面を静かに進み、天を流れる雲と光が醸し出す景色が素晴らしかった…
利尻島では、東寄りにやや雲が多い場合が目立ったが、西寄りは雲が少な目で、立寄る先々で美しい光景が眺められた。「佳かった」とか「好い」と語りたい内容で頭の中が溢れてしまうというような場合が生じたと思う。
一応…鴛泊のフェリーターミナル上陸後の経路を…
鴛泊港フェリーターミナル→姫沼→西側の利尻町の域に入って沿道で景色を眺める→見返台で山の途中まで上がった→北見富士神社→沓形のラーメン店で昼食→仙法志御崎公園→オタトマリ沼→<白い恋人の丘>→鬼脇→<ラナルド・マクドナルドの碑>→姫沼→西側の利尻町の域に入って沿道で景色を眺める→鴛泊港に引揚げた後に<利尻富士温泉>を訪ねた→鴛泊港フェリーターミナル辺りのカフェで寛ぐ等→鴛泊港フェリーターミナル
という状態…事前に何となく思った以上に「盛り上がった!!」という感…本当に「漫然と辺りを動き回って景色を愛で、ランチを摂って、温泉に入ってということに丸々一日を費やす」という「贅沢な休日!!」であった。
利尻島上陸の経過の中、「私のカメラの1号機と2号機」と勝手に呼んでいる<X100F>と<X-Pro2>を持参した。<X-Pro2>については<XF35mmF2>を装着した状態で、交換レンズも持っていたが、結果的に交換しなかった。“35mm画角”と“52mm画角”で随分と写真を撮った。順次整理し、こちらのブログでも「盛り上がった!!」という感の、今般の撮影写真を使用した記事を綴って行きたい。
非常に好い状態であったので、本当に「吉日!!」と実感した…時にはこういうのも非常に好い!
色々と愉しい事、愉快な感じが在って、何か「佳かった」とか「好い」と語りたい内容で頭の中が溢れてしまうというような場合も時には在るかもしれない。単純に「休日だった土曜日の顛末」ということに過ぎないのだが、「溢れるような記憶」を少し整理したいような気分なのだ…
「時にはカメラを提げて好い風景を眺めに出て、一寸変わったランチを愉しんで、温泉にでも浸かる休日は如何でしょう?」と誘って下さる友人が在る。「Хорошая идея!!」(Good idea!!)ということになって、何度かそういうことをした。
何度かそんなことをする中、日本海側を動き回って「沖に浮かぶ利尻富士…」というモノの様子を愛でた、または愛でようと動き回ったことが在った。そんな時に…「あの利尻富士…島全体が山と言っても過言でもないような利尻島そのものだが…そのうち…“探検隊”でも編成して上陸するか?」ということが話題になった。これもまた「Хорошая идея!!」(Good idea!!)ということにはなった…
6月末の或る日、件の友人と会って話す機会が在った。「そう言えば“探検隊”と言っていた話しな…」ということが話題になった。「“そのうち”と言っていても?何時までも“そのうち”は訪れない…とりあえず、余程天候が悪くない限り実行するということにした方が善くないか?」という話しになった。そして「少雨決行!“上陸作戦”は7月10日に発動である!!」という話しになった。
こういう話しになると、その「7月10日」が愉しみで、そして天候按配が気になって毎日のように気象情報に眼を通す。稚内やその周辺は、7月に入ってから、何か「雲が多目で雨交じり」とか「1日の中で変わり易過ぎるような天候」というのが続いていた。「少雨決行!“上陸作戦”は7月10日に発動である!!」と、半ばは「呑んだ席の“お笑いネタ”」という気分も交えて話していたが、酷く天候が気になった。前々日辺りに「予報は晴れ?利尻島も稚内も、特段に何かの注意喚起が為されているのでもない…」ということになって、「進め!!一歩も下がるな!!」と昔の戦争を背景にした映画にも出て来る“ソ連軍の隊長”が叫んでいそうな台詞が出て来た訳だ…
そして7月10日、休日である土曜日の朝だ…
昨年の12月、津島の観音寺という寺に立寄って<令和三年 智山御寶暦>というモノを頂いた。副住職と言葉を交わして愉しかったのだが、去り際に「時季なので御配りしている」と暦を下さったのだった。手元に置いて、時々眺める。
7月10日?“九星”は「五黄」で、“廿七宿”は「鬼(き)」で“十二直”は「建(たつ)」だ。
「五黄」は「吉運。凶を転じて福となす大楽運。進んで業を起し活動すべし」だそうだ。「鬼(き)」は「大吉日にて祝い事よろずよろし」だそうだ。「建(たつ)」は「神仏を祭り婚姻開店柱棟上げ旅行金銭を収納し新衣の着初め等吉」だそうだ。
要は?「本日、7月10日は吉日」なのだ!
その「吉日」という状況を反映し、早朝から「こういうのも久し振りだ!!」という程度に明るい天が視られた。
朝6時台に稚内港のフェリーターミナルへ向かい、7時頃のフェリーで鴛泊港=利尻島へ渡り、午後5時台に鴛泊港を出るフェリーで戻り、午後7時台に稚内港…というのが“上陸作戦”の基本的な構想である。これ以外…友人が移動手段に用いるレンタカーを予約したという程度で、本当に細々したことは何も決めていなかった。「時にはカメラを提げて好い風景を眺めに出て、一寸変わったランチを愉しんで、温泉にでも浸かる休日は如何でしょう?」という程度のことを、「フェリーで渡った利尻島で実践」という次第なのだ…
往路のフェリー…<ボレアース宗谷>だ。話しが先走るが、復路も同じ船だった…船名に関して「『ガンダム』に出て来る宇宙艦とか、何やら物々しい秘密兵器にでも在りそうな名ではないか?」と笑い話にしてしまっていたが…
航海は(往路も復路も)穏やかな海象の中での航海で、「多分、何処かのバスや電車の方が余程揺れる…」という程度、滑らかな海面を静かに進み、天を流れる雲と光が醸し出す景色が素晴らしかった…
利尻島では、東寄りにやや雲が多い場合が目立ったが、西寄りは雲が少な目で、立寄る先々で美しい光景が眺められた。「佳かった」とか「好い」と語りたい内容で頭の中が溢れてしまうというような場合が生じたと思う。
一応…鴛泊のフェリーターミナル上陸後の経路を…
鴛泊港フェリーターミナル→姫沼→西側の利尻町の域に入って沿道で景色を眺める→見返台で山の途中まで上がった→北見富士神社→沓形のラーメン店で昼食→仙法志御崎公園→オタトマリ沼→<白い恋人の丘>→鬼脇→<ラナルド・マクドナルドの碑>→姫沼→西側の利尻町の域に入って沿道で景色を眺める→鴛泊港に引揚げた後に<利尻富士温泉>を訪ねた→鴛泊港フェリーターミナル辺りのカフェで寛ぐ等→鴛泊港フェリーターミナル
という状態…事前に何となく思った以上に「盛り上がった!!」という感…本当に「漫然と辺りを動き回って景色を愛で、ランチを摂って、温泉に入ってということに丸々一日を費やす」という「贅沢な休日!!」であった。
利尻島上陸の経過の中、「私のカメラの1号機と2号機」と勝手に呼んでいる<X100F>と<X-Pro2>を持参した。<X-Pro2>については<XF35mmF2>を装着した状態で、交換レンズも持っていたが、結果的に交換しなかった。“35mm画角”と“52mm画角”で随分と写真を撮った。順次整理し、こちらのブログでも「盛り上がった!!」という感の、今般の撮影写真を使用した記事を綴って行きたい。
非常に好い状態であったので、本当に「吉日!!」と実感した…時にはこういうのも非常に好い!
「飛ばなかった…」旅からの帰着後雑感…:運行日誌(2020.12.17-27)追記
月の下旬に少し時間を設けて動いてみれば、直ぐに月末に至ってしまう。動いたのが12月となれば、月末は即ち年末でもある。
年末、自身にとっては「札幌で“居候”…」ということが恒例化している。月の下旬の動きから、そのまま「札幌で“居候”…」という状況にスライドした。
時間を設けて動いたのは非日常だ。恒例化している“居候”は、半ば日常ながらも、一部は非日常だ。
「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」というのは、かの松尾芭蕉の『奥の細道』に在る一節だったと思うが、「漂泊の思い止まず」ということで、時間を設けてフラフラと出てしまい、何となく戻った。
今般、余りにも「訪ねてみたいあそこ」という場が多く、何をどうしたものか、なかなか収拾が困難だった。「困難…」とは言っても、「勝手に迷っている」に過ぎず、どうということもないのだが…
とは言え、実際に「航空券を申込む!」、「止めた…」を何度かやって、「とりあえず<青春18きっぷ>=普通列車で、可能な範囲で随意に動くことが出来る」ということにして、改めて考えた。結果、「苫小牧に至ってフェリーで仙台にとりあえず上陸」ということにしたのだった。
今般、少なくとも<真言宗十八本山>の件は頭に在った。既に「十八本山」の18ヶ寺を巡った件については綴ったが、夏に思い付いて着手した「18ヶ寺巡り」の「残り」を何とかしたかった。
この「18ヶ寺巡り」の「残り」をどうかしようとすれば…A 交通至便な大阪の何処かに陣取り、根来寺、信貴山、高野山を巡る、B 京都または京都へ出易い辺りにに陣取り、京都の未踏4寺を巡る、C AとBとの移動に際して、阪急沿線の宝塚市内の2寺を巡るということをすれば、順番はどうでも構わないが、「18ヶ寺巡り」の「残り」を訪ねるということは可能であると見受けられた。
他方で「仙台に上陸」となれば、そこから訪ねたい、寄りたいは無制限に多々在るということで、益々収拾困難に陥る。フェリーの船内で寛ぎながら、随分と考えたのだ。
その結果、仙台上陸後に比較的速やかに大阪へ移動し、上述の「18ヶ寺巡り」の「残り」に向けた案を実施し「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就を目指すこととした。
それ以降は?気紛れに、前夜やその日の思い付きのように動き回った。北海道へ引揚げる段取りに関しては、何時かも利用した新幹線の列車と北海道内の特急列車の乗継で札幌に到るということにして、それに備えて東京駅至近で前夜を明かすということは、少し早く決めた。
となると…関西から東京は何処をどのように通っても構わなかった。北陸や信越を経るということも思い付いた。紀伊半島を広く巡るようなことも思い付いた。四国や九州に向かって、そこから東京へ飛ぶことも考えた。が…何れでもなく、関西滞在を少しだけ伸ばし、名古屋を経て東京へという、やや無難な経路になった…
結果として…今般は「飛ばなかった…」という旅だ。空路を利用する機会を設けず、列車や船での移動を重ねていたことになる…
今般…「18ヶ寺巡り」の「残り」―根来寺、朝護孫子寺、金剛峯寺(高野山)、清荒神清澄寺、中山寺、大覚寺、醍醐寺、随心院、教王護国寺(東寺)―の9寺の他、建仁寺、法隆寺、興福寺、東大寺、葛井寺、観音寺(津島)、大須観音を訪れた。神社に関しては、鹽竈神社、松尾大社、辛国神社、津島神社、若宮八幡社、富岡八幡宮、穴八幡宮、神田明神を訪れた。また、大阪で大浪橋、岩松橋、千歳橋を、東京で永代橋、中央大橋を写真に収める機会が各々に在ったが、橋梁を眺めるというようなことも重ねたという記憶が残る…
こういうこと―合わせて16寺、8社に立寄った…更に社寺の辺りを漫然と通り過ぎてしまっているというのも在ると思う…―をやっていると、或る種の“巡礼”という様相を呈しているかもしれないが、そういう意識は薄い…社寺に関しては「歴史や文化や地域活動を象徴するような場」として、関心を覚えるので訪ねているに過ぎない。或いは「景色が好いので眺めに…」ということも在る。加えて社寺では「自身がここに在る」ことに関して、「各訪問先へ無事に着いたこと」について感謝の意を表しようと社寺で参拝し、可能であれば御朱印を頂く場合も在るということだ…
何処かを訪ねてみる場合、訪ねる先が何か特別である必然性は無いと、今般改めて思った。訪ねる先々の「普通…」な感じの中に何となく御邪魔するだけで十分だ…最近の関心は、何となく社寺に傾いていて、社寺を訪ねるようなことをしながら方々の街を随意に動いたというような感だった…
こうした営為から何を見出したのか?見聞等に関しては、追って少しずつ―一部は先行して素早く綴って出してしまっているが…―整理したい。マダマダ十二分に記憶が新しい間に、簡単な纏めをしようと、この記事を綴っている訳だ。
巷で「GoTo」なるものが如何したこうしたと話題になってはいるようだが…自身としては「Go to XX」と誰かに命令形で言われるまでもなく、何時でも「漂泊の思ひやまず」というもので、時間が設けられれば何処へでも可能なように出掛けるだけのことだ…そして今般は出掛けた。
戻ってみて、早速に「“次”に機会が在れば?」と何となく思っている側面も否定し悪い…
或いは「今年の些か特殊な事情?」ということも在るかもしれないが、「達成感のようなモノと縁が薄かった?」という中、「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就は「少し大きな達成感!」というように思っている一面が在る…
年末、自身にとっては「札幌で“居候”…」ということが恒例化している。月の下旬の動きから、そのまま「札幌で“居候”…」という状況にスライドした。
時間を設けて動いたのは非日常だ。恒例化している“居候”は、半ば日常ながらも、一部は非日常だ。
「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」というのは、かの松尾芭蕉の『奥の細道』に在る一節だったと思うが、「漂泊の思い止まず」ということで、時間を設けてフラフラと出てしまい、何となく戻った。
今般、余りにも「訪ねてみたいあそこ」という場が多く、何をどうしたものか、なかなか収拾が困難だった。「困難…」とは言っても、「勝手に迷っている」に過ぎず、どうということもないのだが…
とは言え、実際に「航空券を申込む!」、「止めた…」を何度かやって、「とりあえず<青春18きっぷ>=普通列車で、可能な範囲で随意に動くことが出来る」ということにして、改めて考えた。結果、「苫小牧に至ってフェリーで仙台にとりあえず上陸」ということにしたのだった。
今般、少なくとも<真言宗十八本山>の件は頭に在った。既に「十八本山」の18ヶ寺を巡った件については綴ったが、夏に思い付いて着手した「18ヶ寺巡り」の「残り」を何とかしたかった。
この「18ヶ寺巡り」の「残り」をどうかしようとすれば…A 交通至便な大阪の何処かに陣取り、根来寺、信貴山、高野山を巡る、B 京都または京都へ出易い辺りにに陣取り、京都の未踏4寺を巡る、C AとBとの移動に際して、阪急沿線の宝塚市内の2寺を巡るということをすれば、順番はどうでも構わないが、「18ヶ寺巡り」の「残り」を訪ねるということは可能であると見受けられた。
他方で「仙台に上陸」となれば、そこから訪ねたい、寄りたいは無制限に多々在るということで、益々収拾困難に陥る。フェリーの船内で寛ぎながら、随分と考えたのだ。
その結果、仙台上陸後に比較的速やかに大阪へ移動し、上述の「18ヶ寺巡り」の「残り」に向けた案を実施し「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就を目指すこととした。
それ以降は?気紛れに、前夜やその日の思い付きのように動き回った。北海道へ引揚げる段取りに関しては、何時かも利用した新幹線の列車と北海道内の特急列車の乗継で札幌に到るということにして、それに備えて東京駅至近で前夜を明かすということは、少し早く決めた。
となると…関西から東京は何処をどのように通っても構わなかった。北陸や信越を経るということも思い付いた。紀伊半島を広く巡るようなことも思い付いた。四国や九州に向かって、そこから東京へ飛ぶことも考えた。が…何れでもなく、関西滞在を少しだけ伸ばし、名古屋を経て東京へという、やや無難な経路になった…
結果として…今般は「飛ばなかった…」という旅だ。空路を利用する機会を設けず、列車や船での移動を重ねていたことになる…
今般…「18ヶ寺巡り」の「残り」―根来寺、朝護孫子寺、金剛峯寺(高野山)、清荒神清澄寺、中山寺、大覚寺、醍醐寺、随心院、教王護国寺(東寺)―の9寺の他、建仁寺、法隆寺、興福寺、東大寺、葛井寺、観音寺(津島)、大須観音を訪れた。神社に関しては、鹽竈神社、松尾大社、辛国神社、津島神社、若宮八幡社、富岡八幡宮、穴八幡宮、神田明神を訪れた。また、大阪で大浪橋、岩松橋、千歳橋を、東京で永代橋、中央大橋を写真に収める機会が各々に在ったが、橋梁を眺めるというようなことも重ねたという記憶が残る…
こういうこと―合わせて16寺、8社に立寄った…更に社寺の辺りを漫然と通り過ぎてしまっているというのも在ると思う…―をやっていると、或る種の“巡礼”という様相を呈しているかもしれないが、そういう意識は薄い…社寺に関しては「歴史や文化や地域活動を象徴するような場」として、関心を覚えるので訪ねているに過ぎない。或いは「景色が好いので眺めに…」ということも在る。加えて社寺では「自身がここに在る」ことに関して、「各訪問先へ無事に着いたこと」について感謝の意を表しようと社寺で参拝し、可能であれば御朱印を頂く場合も在るということだ…
何処かを訪ねてみる場合、訪ねる先が何か特別である必然性は無いと、今般改めて思った。訪ねる先々の「普通…」な感じの中に何となく御邪魔するだけで十分だ…最近の関心は、何となく社寺に傾いていて、社寺を訪ねるようなことをしながら方々の街を随意に動いたというような感だった…
こうした営為から何を見出したのか?見聞等に関しては、追って少しずつ―一部は先行して素早く綴って出してしまっているが…―整理したい。マダマダ十二分に記憶が新しい間に、簡単な纏めをしようと、この記事を綴っている訳だ。
巷で「GoTo」なるものが如何したこうしたと話題になってはいるようだが…自身としては「Go to XX」と誰かに命令形で言われるまでもなく、何時でも「漂泊の思ひやまず」というもので、時間が設けられれば何処へでも可能なように出掛けるだけのことだ…そして今般は出掛けた。
戻ってみて、早速に「“次”に機会が在れば?」と何となく思っている側面も否定し悪い…
或いは「今年の些か特殊な事情?」ということも在るかもしれないが、「達成感のようなモノと縁が薄かった?」という中、「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就は「少し大きな達成感!」というように思っている一面が在る…
『十八本山納経帳』:真言宗十八本山―18ヶ寺を巡った…(起 2020.07.31 至 2020.12.22)
↓手元にこういうモノが在る…

↓出し入れを繰り返してやや傷んだが、カバーになっていて、外すと中身が現れる…

↓「納経帳」とは、所謂「御朱印帳」である。仏事ではその起こりに因んで、帳面のことを「納経帳」と呼ぶ方を好む場合も在るのかもしれない…

↓中身は蛇腹のように用紙が綴られている。この『十八本山納経帳』は18ヶ寺の説明が在って、御朱印を頂くべき頁が決まっている。各寺を訪ねて、各々の頁に押印して頂き、決まっている文句を書き込んで頂くのだ…言わば「巡礼の証または記録」となる代物である…

夏に四国へ渡ってみた際に善通寺を訪ねた…弘法大師こと空海が生まれ育った家が在ったとされる辺りに開かれた寺であると伝えられる古刹だ…
やや旧い映画を観て、関連書を読み、弘法大師こと空海という、日本古代史で最大級の、更に日本史上でも屈指の文化人に何処か惹かれるものの在った中で善通寺を訪ねた。奈良時代というような遠い昔、後に非常に高名な僧侶になる幼児が走り回っていたかもしれない辺りの、時を経て巨大になっているな楠を視て、弘法大師こと空海を非常に身近に感じた…
そうしていると、その「弘法大師」の名を墨書した御朱印を授与しているということが判ったが、その際に<真言宗十八本山>という「18ヶ寺を巡る」という営みが在り、『十八本山納経帳』という専用の御朱印帳も在ると知った。
何か「非常に好い出会い」というような気もして、そして勝手に身近に感じた弘法大師こと空海の名を記した御朱印を手にしたく、『十八本山納経帳』を入手して18ヶ寺を巡ってみることにしたのだ…
「難解?」とされる真言宗である…その要諦を空海御本人が纏めたとされる『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)を現代語訳したモノが在ると知り、ゆっくりと読んでみた…
要は?「とりあえず生きている」というだけに過ぎない人間は、様々な事柄に触れて高みを目指して行く存在である。儒教や仏教の諸宗で様々な事柄を説いているが、それらを学んで実践するのは、各々が「通り過ぎるべき段階」である。正しい導師の助力を得ながら、より一層の崇高な高みを目指すのが真言宗であるという主張であると読み取った…
自身なりに思ったのは?昨日より今日…今日より明日と、少しなりとも「より心豊かに…」というようなことを考えてみるということが、人を豊かにしてくれる筈…ということのように考えた。完全に勝手な我流だが…
そういう中、18ヶ寺を巡ってみる思惑を胸に、時間を設けて動いてみるのは好い感じだった…
「十八本山」ということだが、これは一体何なのか?
端的に言えば、真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。
真言宗では師から弟子へ色々なことが伝えられるようになっていて、また教団運営上の色々な事柄も在り、年月を経る中で様々な派も形成されて行った。それでも一定の一体性は保たれたが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。
現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこでこの『十八本山納経帳』というモノも登場した訳だ…
1番から18番と、18ヶ寺には番号が付されているが、それに拘泥する必要も無い。自身でも「可能なように…出来る範囲で…」と動いた。
以下に18ヶ寺を巡って頂いた御朱印を御紹介したい。
↓重複するが、1番は善通寺だ。(2020.07.31訪問)

この善通寺の後、四国から関西に移動し、早速に18ヶ寺巡りに着手した…
↓2番は須磨寺だ。(2020.08.04訪問)

↓3番は清荒神清澄寺だ。(2020.12.21訪問)

↓4番は中山寺だ。(2020.12.21訪問)

↓5番は大覚寺だ。(2020.12.21訪問)

↓6番は仁和寺だ。(2020.08.06訪問)

↓7番は智積院だ。(2020.08.06訪問)

↓8番は泉涌寺だ。(2020.08.06訪問)

↓9番は東寺だ。(2020.12.22訪問)(※自身ではここを最後の18ヶ寺目とした…)

↓10番は勧修寺だ。(2020.08.06訪問)

↓11番は随心院だ。(2020.12.22訪問)

↓12番は醍醐寺だ。(2020.12.22訪問)

↓13番は生駒山の宝山寺だ。(2020.08.05訪問)

↓14番は信貴山の朝護孫子寺だ。(2020.12.19訪問)

↓15番は西大寺だ。(2020.08.05訪問)

↓16番は長谷寺だ。(2020.08.05訪問)

↓17番は根来寺だ。(2020.12.19訪問)

↓18番は高野山の金剛峯寺だ。(2020.12.20訪問)

以上の18ヶ寺が「十八本山」だ。各々が「或る種の美術作品?」と見えなくもない墨書と印が収まった『十八本山納経帳』は「宝物!!」になった…
『十八本山納経帳』を視ると、各々の頁の御朱印を頂くべく各寺を訪ねた時の様々なことも想い起される。振り返ると、少し勇み足(?)で「18ヶ寺を巡るのだ!!」と「走って…」しまったような傾向も帯びていたかもしれない。それはそれで善ということにしておきたい。何もこの18ヶ寺訪問が「御終い…」ではないのだから…
訪ねてみた18ヶ寺は、深い由緒が在る場所が多く、文化史の上で重要な位置を占めている場所ばかりであると思う。18ヶ寺との出会いは「日本の歴史との邂逅」という性質を帯びていると言ってしまっても過言ではないかもしれない…
半ば思い付きで四国に渡り、善通寺を訪ねてみた時が契機となって「18ヶ寺を巡るのだ!!」とし始めて、年内に完遂することが叶って善かったと思う。こんなに“達成感”が在るとは、事前には思わなかった…
そしてこの“達成感”の記憶を一定の形に整理しておきたいと、態々時間を設けてこの記事も綴ってみた訳だ…
※ この記事は、旅に出た経過等を日誌か何かのように纏めた記事を収める<память>(パーミャチ=記憶)のカテゴリに収めたい。『十八本山納経帳』の中身の写真そのものは、18箇所目となった東寺を訪ねた後、京都祇園に求めた宿の部屋で撮っているが、18ヶ寺は香川県、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に所在するので、「撮影した場所の都道府県」を基礎に分ける、このブログのカテゴリ整理では収まらない…序でながら、18ヶ寺の名称に嵌めたリンクで、各寺を訪ねた際のことを綴った記事を御覧頂ける。更に序でながら、12月に訪ねた各寺に関しては、未だ色々と綴るべき事項が多く在るので、関係記事が後から更に掲載という予定も在ることを申し添える…

↓出し入れを繰り返してやや傷んだが、カバーになっていて、外すと中身が現れる…

↓「納経帳」とは、所謂「御朱印帳」である。仏事ではその起こりに因んで、帳面のことを「納経帳」と呼ぶ方を好む場合も在るのかもしれない…

↓中身は蛇腹のように用紙が綴られている。この『十八本山納経帳』は18ヶ寺の説明が在って、御朱印を頂くべき頁が決まっている。各寺を訪ねて、各々の頁に押印して頂き、決まっている文句を書き込んで頂くのだ…言わば「巡礼の証または記録」となる代物である…

夏に四国へ渡ってみた際に善通寺を訪ねた…弘法大師こと空海が生まれ育った家が在ったとされる辺りに開かれた寺であると伝えられる古刹だ…
やや旧い映画を観て、関連書を読み、弘法大師こと空海という、日本古代史で最大級の、更に日本史上でも屈指の文化人に何処か惹かれるものの在った中で善通寺を訪ねた。奈良時代というような遠い昔、後に非常に高名な僧侶になる幼児が走り回っていたかもしれない辺りの、時を経て巨大になっているな楠を視て、弘法大師こと空海を非常に身近に感じた…
そうしていると、その「弘法大師」の名を墨書した御朱印を授与しているということが判ったが、その際に<真言宗十八本山>という「18ヶ寺を巡る」という営みが在り、『十八本山納経帳』という専用の御朱印帳も在ると知った。
何か「非常に好い出会い」というような気もして、そして勝手に身近に感じた弘法大師こと空海の名を記した御朱印を手にしたく、『十八本山納経帳』を入手して18ヶ寺を巡ってみることにしたのだ…
「難解?」とされる真言宗である…その要諦を空海御本人が纏めたとされる『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)を現代語訳したモノが在ると知り、ゆっくりと読んでみた…
要は?「とりあえず生きている」というだけに過ぎない人間は、様々な事柄に触れて高みを目指して行く存在である。儒教や仏教の諸宗で様々な事柄を説いているが、それらを学んで実践するのは、各々が「通り過ぎるべき段階」である。正しい導師の助力を得ながら、より一層の崇高な高みを目指すのが真言宗であるという主張であると読み取った…
自身なりに思ったのは?昨日より今日…今日より明日と、少しなりとも「より心豊かに…」というようなことを考えてみるということが、人を豊かにしてくれる筈…ということのように考えた。完全に勝手な我流だが…
そういう中、18ヶ寺を巡ってみる思惑を胸に、時間を設けて動いてみるのは好い感じだった…
「十八本山」ということだが、これは一体何なのか?
端的に言えば、真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。
真言宗では師から弟子へ色々なことが伝えられるようになっていて、また教団運営上の色々な事柄も在り、年月を経る中で様々な派も形成されて行った。それでも一定の一体性は保たれたが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。
現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこでこの『十八本山納経帳』というモノも登場した訳だ…
1番から18番と、18ヶ寺には番号が付されているが、それに拘泥する必要も無い。自身でも「可能なように…出来る範囲で…」と動いた。
以下に18ヶ寺を巡って頂いた御朱印を御紹介したい。
↓重複するが、1番は善通寺だ。(2020.07.31訪問)

この善通寺の後、四国から関西に移動し、早速に18ヶ寺巡りに着手した…
↓2番は須磨寺だ。(2020.08.04訪問)

↓3番は清荒神清澄寺だ。(2020.12.21訪問)

↓4番は中山寺だ。(2020.12.21訪問)

↓5番は大覚寺だ。(2020.12.21訪問)

↓6番は仁和寺だ。(2020.08.06訪問)

↓7番は智積院だ。(2020.08.06訪問)

↓8番は泉涌寺だ。(2020.08.06訪問)

↓9番は東寺だ。(2020.12.22訪問)(※自身ではここを最後の18ヶ寺目とした…)

↓10番は勧修寺だ。(2020.08.06訪問)

↓11番は随心院だ。(2020.12.22訪問)

↓12番は醍醐寺だ。(2020.12.22訪問)

↓13番は生駒山の宝山寺だ。(2020.08.05訪問)

↓14番は信貴山の朝護孫子寺だ。(2020.12.19訪問)

↓15番は西大寺だ。(2020.08.05訪問)

↓16番は長谷寺だ。(2020.08.05訪問)

↓17番は根来寺だ。(2020.12.19訪問)

↓18番は高野山の金剛峯寺だ。(2020.12.20訪問)

以上の18ヶ寺が「十八本山」だ。各々が「或る種の美術作品?」と見えなくもない墨書と印が収まった『十八本山納経帳』は「宝物!!」になった…
『十八本山納経帳』を視ると、各々の頁の御朱印を頂くべく各寺を訪ねた時の様々なことも想い起される。振り返ると、少し勇み足(?)で「18ヶ寺を巡るのだ!!」と「走って…」しまったような傾向も帯びていたかもしれない。それはそれで善ということにしておきたい。何もこの18ヶ寺訪問が「御終い…」ではないのだから…
訪ねてみた18ヶ寺は、深い由緒が在る場所が多く、文化史の上で重要な位置を占めている場所ばかりであると思う。18ヶ寺との出会いは「日本の歴史との邂逅」という性質を帯びていると言ってしまっても過言ではないかもしれない…
半ば思い付きで四国に渡り、善通寺を訪ねてみた時が契機となって「18ヶ寺を巡るのだ!!」とし始めて、年内に完遂することが叶って善かったと思う。こんなに“達成感”が在るとは、事前には思わなかった…
そしてこの“達成感”の記憶を一定の形に整理しておきたいと、態々時間を設けてこの記事も綴ってみた訳だ…
※ この記事は、旅に出た経過等を日誌か何かのように纏めた記事を収める<память>(パーミャチ=記憶)のカテゴリに収めたい。『十八本山納経帳』の中身の写真そのものは、18箇所目となった東寺を訪ねた後、京都祇園に求めた宿の部屋で撮っているが、18ヶ寺は香川県、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に所在するので、「撮影した場所の都道府県」を基礎に分ける、このブログのカテゴリ整理では収まらない…序でながら、18ヶ寺の名称に嵌めたリンクで、各寺を訪ねた際のことを綴った記事を御覧頂ける。更に序でながら、12月に訪ねた各寺に関しては、未だ色々と綴るべき事項が多く在るので、関係記事が後から更に掲載という予定も在ることを申し添える…
北へ至る…:運行日誌(2020.12.27)
「午前5時前」という早過ぎる時間帯に、朝食という意図でコンビニのサンドイッチを頂き、「午後3時前」という時間帯に空腹を満たすべくハンバーグを頂き、「午後6時前」という時間帯に「後は“何時でも御休み頂いて…”にするのだ!」と「早過ぎる夕食」にカレーライスを頂いた…そんなことで寛いでいるのだが…
とうとう北海道に引揚げてしまった…夜遅くなってしまっているというのでもないが、何か「長い1日を過ごした…」という気分に満ちてしまっている…
早朝6時半に出る列車に乗る?駅から徒歩圏内の場所で夜を明かすのが好い…東京駅の傍に、時々利用するチェーンホテルを見付けて、自身で思う「妥当な価格帯」で滞在出来るということだったので、滞在することにしたが、気持ち好く休むことが叶った。早朝の列車に乗る関係上「寝過ぎ…」は拙いので、自動音声の“モーニングコール”を頼んであったが、それが無用な程度に早くスッキリと起き出した…
結局、新幹線の列車で東京・新函館北斗間を移動し、新函館北斗で北海道内の特急列車に乗換え、札幌に到った訳である。その移動に始まって、その移動に尽きた1日だった…
札幌では“居候”の生活を数日間予定している…それは…明日からなので、とりあえず札幌駅に近い馴染んだ宿を押さえてゆったりとすることにした…本当に「何時でも御休み頂いて差し支えありません」でゆったりとしている…
12月17日から12月27日の期間、「設けた時間を随意に過ごす」ということをすることが叶った…最近はこの種の時間が酷く愛おしい…
「安着祝い」と称し、些かウイスキーも頂いた…本当に「後は御随意にお休み下さい…」である。追って、今般の旅に関しては色々と振り返りたい…
とうとう北海道に引揚げてしまった…夜遅くなってしまっているというのでもないが、何か「長い1日を過ごした…」という気分に満ちてしまっている…
早朝6時半に出る列車に乗る?駅から徒歩圏内の場所で夜を明かすのが好い…東京駅の傍に、時々利用するチェーンホテルを見付けて、自身で思う「妥当な価格帯」で滞在出来るということだったので、滞在することにしたが、気持ち好く休むことが叶った。早朝の列車に乗る関係上「寝過ぎ…」は拙いので、自動音声の“モーニングコール”を頼んであったが、それが無用な程度に早くスッキリと起き出した…
結局、新幹線の列車で東京・新函館北斗間を移動し、新函館北斗で北海道内の特急列車に乗換え、札幌に到った訳である。その移動に始まって、その移動に尽きた1日だった…
札幌では“居候”の生活を数日間予定している…それは…明日からなので、とりあえず札幌駅に近い馴染んだ宿を押さえてゆったりとすることにした…本当に「何時でも御休み頂いて差し支えありません」でゆったりとしている…
12月17日から12月27日の期間、「設けた時間を随意に過ごす」ということをすることが叶った…最近はこの種の時間が酷く愛おしい…
「安着祝い」と称し、些かウイスキーも頂いた…本当に「後は御随意にお休み下さい…」である。追って、今般の旅に関しては色々と振り返りたい…
侵入?:運行日誌(2020.12.26)
実質的に…不慣れな地域を巡るような今般の動きは今日が最後というような感じになる。飽くまでも(!!)「今般は」ということで、「時間を設けて気儘に…」というようなことは、自身の基準で「余程のこと?」でもない限り、止めない、止められないだ。止める意図など、全く無い(!!)のである…必ず「またやる!」と思う…
今日は「明早朝からの予定」に鑑みて、「夕刻から早朝に待機」という「確定した予定」が在って、早朝からその“予定”までの間は、「随意に過ごして埋めると好い」という感だった…
或いは?「南下」を開始して以来の何日間かで、最も長い時間、最も深く眠った後に迎えた早朝だったかもしれない…
「早朝」と言っても、例によって「深夜と朝との境界」というような、この時季には「日出時刻にマダマダ間が在る…」という時間帯ではあったが…「サウナで身体が解れた」ということの「効果」なのであろう…
そんなことを思っていれば、何やら妙な音が聞こえ始めた。「寝過ぎないように…」と居室のベッドの辺りに在ったアラームを前夕にセットしてあったことを半ば失念していた。結果論として、長く深く眠ってスッキリ起き出したので、とりあえずアラームは無用だったということになる…
6時半頃、名古屋は未だ少し暗かったが、滞在した宿の駅の目前に出入口が在る地下鉄は既に動いているような時間帯だ…
名古屋の地下鉄の「1日乗車券」は素敵だ。「24時間有効」なのである。前日の13時頃に求めたが、「12月26日13:00まで有効」というような印字がされた券が自動券売機で求められる。それを前日の昼から夕刻に使ったが、明けた朝に名古屋駅を目指す場面でもそのまま使用出来た…(後から東京にもこういうのが在ると知った。これは他所から大きな街を訪ねて滞在するような場面では、なかなかに便利かもしれない…)
東海道新幹線の名古屋・東京間で運行されている列車というのは、関西の私鉄で大阪の拠点駅から京都、神戸、奈良というような隣県の主要な駅とを結ぶ急行等を運行しているが「それらに似たような?」という頻度で運行しているように見える。ということは?何かの事情で酷く混み合う時季でもなければ、「何も考えずに駅へ向かい、切符を用意して、現れた目的地へ向かう列車に乗る」ということで構わない感じだ…
実際、今般はその「何も考えずに駅へ向かい…」というやり方で朝の名古屋駅に入り、クレジットカード専用と称する乗車券、新幹線特急券、指定席券が購入できる販売機を用い、少し後に出る列車の指定席ということで確りと切符を用意して、列車で東京を目指した…
↓名古屋の宿を発って、東京に向かって以降の、今日の動きの全てである…
丸の内→名古屋(名古屋地下鉄)
名古屋→東京(新幹線<のぞみ>)
茅場町→門前仲町(東京メトロ 東西線)
門前仲町→早稲田(東京メトロ 東西線)
早稲田→東池袋四丁目(<東京さくらトラム>こと都電)
池袋→恵比寿(JR 山手線)
恵比寿→六本木(東京メトロ 日比谷線)
六本木→恵比寿(東京メトロ 日比谷線)
恵比寿→新宿(JR 山手線)
新宿→御茶ノ水(JR 中央線快速)
御茶ノ水→東京(JR 中央線快速)
実は…一度やったことも在ったのだが、明早朝に東北・北海道新幹線の列車に乗って新函館北斗駅に至り、そこから北海道内の特急列車に乗換えて札幌に到るということにした。
その明朝の出発に向けて「悠然と歩いて東京駅を目指すことが叶う」というような場所に宿を取ることが叶った。換言すれば「明朝向けに東京駅に近い宿に入るまでの間、何処を如何動こうと、何をして過ごしていようと随意で構わない」ということになる。だから、結果的に「名古屋に滞在して東京へ…」としたが、例えば「前日に名古屋を経て何処かに向かって、そこから東京へ」でも「前日に名古屋に出た後、その日の間にいきなり東京へ」でも「早朝に名古屋を発って、寄り道を重ねながら東京へ」でも構わなかった訳で、「如何しようか?」と随分と色々考えていたのだ…
東京では「往年の自身」に係わりが在ったような場所と「現在の自身」が関心を寄せていた場所とを織り交ぜて訪ねるような感じだった…そしてそれらの各所への訪問だが、然程詳しく計画を立てていたのでもない中「何となく…」とか「偶々…」ということで為された感も強い…
東京駅到着後、嵩張るモノをロッカーに預けて、宿の位置を確認して辺りを何となく歩き始めた。すると、何やら兜町という住所に至り、地下鉄の茅場町駅の出入口が眼に留まった…
茅場町駅…自身にとっては懐かしい感じがする地下鉄の東西線の駅だ。その東西線で門前仲町に向かった。所縁の地である佐原を訪ねた経過も在ったが、19世紀に地図製作で活躍した伊能忠敬が富岡八幡宮の近くに住んでいて、そこから各地への測量の旅に踏み出したということで像が在ると聞いていたのだ…
そうやって門前仲町の富岡八幡宮を振り出しに歩けば、少し先に立派な橋梁である永代橋が在ると案内図を視て気付き、それを眺めに向かった。眺めていれば佃島のタワーマンションの集まっている様子や中央大橋の眺めが面白かったので辺りを歩いた…そのうちに門前仲町の駅に戻った…
門前仲町の後は「往年の自身」が住んでいた経過の在る早稲田へ向かい、辺りを歩いた。穴八幡宮が少し驚く程度に賑わっていた…あそこは「冬至から節分」が“書き入れ時”なのだ…あの近くの交番は何十年も変わっていないようだが、穴八幡は色々と新しい建物―立派な社殿―や鮮やかな彩色の鳥居等が色々と出来ていて驚いた…
そして久々に都電に乗車した…車輛も新しく、<東京さくらトラム>という愛称を冠するようになっていた…早稲田で乗車し、東池袋四丁目に出た。
池袋…『池袋ウエストゲートパーク』というシリーズの小説を愉しんだので、池袋の様子が視たくなったのだ。また、作中で主人公達が“ウエストゲートパーク”と呼ぶ池袋西口公園―小説作中の感じとは、近年の改修の故に異なってはいるが…―や、主人公が住む母親が営む果物店の店舗兼住宅が在るとされているエリアを歩いてみた訳である…
池袋の後は六本木…京都と大阪でも立寄った<HRC>が在る。<HRC Tokyo>は今や老舗と言えるであろう…言葉を交わした店員さんが「ロシア旅行に関心」と判って話が多少弾んだ。サンクトペテルブルグに立寄ったことが在ったとしていたが、「2時間やそこら…“近隣諸国”の次元で行けるウラジオストクやサハリンに興味…」ということだったので、拙作ブログを御紹介しておいた…
六本木の後には、東京駅への通り道でもあるので御茶ノ水駅に寄り、神田明神に道草だ…何か催事でもやっていたのか?存外に多くの人が出ていた…
詳しいことは追って綴るが…戯れに「“出入り禁止”になっているかもしれない?!」という程度に何となく御無沙汰した東京である。「世界中の人達が集まるのだから、自身が1人位敢えて素通りしたって構わないであろう…」という程度に感じていた側面も在るが、近年は本当に通り過ぎてばかりだった。勝手知っていたつもりの場所で迷ってみたり、少し歩けば隣の地下鉄駅やら、少し離れて並行している別な路線の地下鉄駅の出入口に出くわすような「東京を歩く感覚」が久々で、新鮮とも言えたが、些か驚くことの連発だった…
前夜の「身体を解し、深く長く眠った」のが善かったのかもしれない。かなり歩き廻って、宿に着けば着ていた長袖Tシャツと半袖Tシャツとは汗で濡れていて、直ぐに吊るして乾かそうとしている状況だが…それでも自身は至って元気という感である…
今日は「明早朝からの予定」に鑑みて、「夕刻から早朝に待機」という「確定した予定」が在って、早朝からその“予定”までの間は、「随意に過ごして埋めると好い」という感だった…
或いは?「南下」を開始して以来の何日間かで、最も長い時間、最も深く眠った後に迎えた早朝だったかもしれない…
「早朝」と言っても、例によって「深夜と朝との境界」というような、この時季には「日出時刻にマダマダ間が在る…」という時間帯ではあったが…「サウナで身体が解れた」ということの「効果」なのであろう…
そんなことを思っていれば、何やら妙な音が聞こえ始めた。「寝過ぎないように…」と居室のベッドの辺りに在ったアラームを前夕にセットしてあったことを半ば失念していた。結果論として、長く深く眠ってスッキリ起き出したので、とりあえずアラームは無用だったということになる…
6時半頃、名古屋は未だ少し暗かったが、滞在した宿の駅の目前に出入口が在る地下鉄は既に動いているような時間帯だ…
名古屋の地下鉄の「1日乗車券」は素敵だ。「24時間有効」なのである。前日の13時頃に求めたが、「12月26日13:00まで有効」というような印字がされた券が自動券売機で求められる。それを前日の昼から夕刻に使ったが、明けた朝に名古屋駅を目指す場面でもそのまま使用出来た…(後から東京にもこういうのが在ると知った。これは他所から大きな街を訪ねて滞在するような場面では、なかなかに便利かもしれない…)
東海道新幹線の名古屋・東京間で運行されている列車というのは、関西の私鉄で大阪の拠点駅から京都、神戸、奈良というような隣県の主要な駅とを結ぶ急行等を運行しているが「それらに似たような?」という頻度で運行しているように見える。ということは?何かの事情で酷く混み合う時季でもなければ、「何も考えずに駅へ向かい、切符を用意して、現れた目的地へ向かう列車に乗る」ということで構わない感じだ…
実際、今般はその「何も考えずに駅へ向かい…」というやり方で朝の名古屋駅に入り、クレジットカード専用と称する乗車券、新幹線特急券、指定席券が購入できる販売機を用い、少し後に出る列車の指定席ということで確りと切符を用意して、列車で東京を目指した…
↓名古屋の宿を発って、東京に向かって以降の、今日の動きの全てである…
丸の内→名古屋(名古屋地下鉄)
名古屋→東京(新幹線<のぞみ>)
茅場町→門前仲町(東京メトロ 東西線)
門前仲町→早稲田(東京メトロ 東西線)
早稲田→東池袋四丁目(<東京さくらトラム>こと都電)
池袋→恵比寿(JR 山手線)
恵比寿→六本木(東京メトロ 日比谷線)
六本木→恵比寿(東京メトロ 日比谷線)
恵比寿→新宿(JR 山手線)
新宿→御茶ノ水(JR 中央線快速)
御茶ノ水→東京(JR 中央線快速)
実は…一度やったことも在ったのだが、明早朝に東北・北海道新幹線の列車に乗って新函館北斗駅に至り、そこから北海道内の特急列車に乗換えて札幌に到るということにした。
その明朝の出発に向けて「悠然と歩いて東京駅を目指すことが叶う」というような場所に宿を取ることが叶った。換言すれば「明朝向けに東京駅に近い宿に入るまでの間、何処を如何動こうと、何をして過ごしていようと随意で構わない」ということになる。だから、結果的に「名古屋に滞在して東京へ…」としたが、例えば「前日に名古屋を経て何処かに向かって、そこから東京へ」でも「前日に名古屋に出た後、その日の間にいきなり東京へ」でも「早朝に名古屋を発って、寄り道を重ねながら東京へ」でも構わなかった訳で、「如何しようか?」と随分と色々考えていたのだ…
東京では「往年の自身」に係わりが在ったような場所と「現在の自身」が関心を寄せていた場所とを織り交ぜて訪ねるような感じだった…そしてそれらの各所への訪問だが、然程詳しく計画を立てていたのでもない中「何となく…」とか「偶々…」ということで為された感も強い…
東京駅到着後、嵩張るモノをロッカーに預けて、宿の位置を確認して辺りを何となく歩き始めた。すると、何やら兜町という住所に至り、地下鉄の茅場町駅の出入口が眼に留まった…
茅場町駅…自身にとっては懐かしい感じがする地下鉄の東西線の駅だ。その東西線で門前仲町に向かった。所縁の地である佐原を訪ねた経過も在ったが、19世紀に地図製作で活躍した伊能忠敬が富岡八幡宮の近くに住んでいて、そこから各地への測量の旅に踏み出したということで像が在ると聞いていたのだ…
そうやって門前仲町の富岡八幡宮を振り出しに歩けば、少し先に立派な橋梁である永代橋が在ると案内図を視て気付き、それを眺めに向かった。眺めていれば佃島のタワーマンションの集まっている様子や中央大橋の眺めが面白かったので辺りを歩いた…そのうちに門前仲町の駅に戻った…
門前仲町の後は「往年の自身」が住んでいた経過の在る早稲田へ向かい、辺りを歩いた。穴八幡宮が少し驚く程度に賑わっていた…あそこは「冬至から節分」が“書き入れ時”なのだ…あの近くの交番は何十年も変わっていないようだが、穴八幡は色々と新しい建物―立派な社殿―や鮮やかな彩色の鳥居等が色々と出来ていて驚いた…
そして久々に都電に乗車した…車輛も新しく、<東京さくらトラム>という愛称を冠するようになっていた…早稲田で乗車し、東池袋四丁目に出た。
池袋…『池袋ウエストゲートパーク』というシリーズの小説を愉しんだので、池袋の様子が視たくなったのだ。また、作中で主人公達が“ウエストゲートパーク”と呼ぶ池袋西口公園―小説作中の感じとは、近年の改修の故に異なってはいるが…―や、主人公が住む母親が営む果物店の店舗兼住宅が在るとされているエリアを歩いてみた訳である…
池袋の後は六本木…京都と大阪でも立寄った<HRC>が在る。<HRC Tokyo>は今や老舗と言えるであろう…言葉を交わした店員さんが「ロシア旅行に関心」と判って話が多少弾んだ。サンクトペテルブルグに立寄ったことが在ったとしていたが、「2時間やそこら…“近隣諸国”の次元で行けるウラジオストクやサハリンに興味…」ということだったので、拙作ブログを御紹介しておいた…
六本木の後には、東京駅への通り道でもあるので御茶ノ水駅に寄り、神田明神に道草だ…何か催事でもやっていたのか?存外に多くの人が出ていた…
詳しいことは追って綴るが…戯れに「“出入り禁止”になっているかもしれない?!」という程度に何となく御無沙汰した東京である。「世界中の人達が集まるのだから、自身が1人位敢えて素通りしたって構わないであろう…」という程度に感じていた側面も在るが、近年は本当に通り過ぎてばかりだった。勝手知っていたつもりの場所で迷ってみたり、少し歩けば隣の地下鉄駅やら、少し離れて並行している別な路線の地下鉄駅の出入口に出くわすような「東京を歩く感覚」が久々で、新鮮とも言えたが、些か驚くことの連発だった…
前夜の「身体を解し、深く長く眠った」のが善かったのかもしれない。かなり歩き廻って、宿に着けば着ていた長袖Tシャツと半袖Tシャツとは汗で濡れていて、直ぐに吊るして乾かそうとしている状況だが…それでも自身は至って元気という感である…
少し東へ…:運行日誌(2020.12.25)
サウナを利用すると、身体が解れるような感じになると思う。そんな状態で、宿の居室で寛いでいる…
「色付きカップ」とでも言えば、「コンビニの珈琲は悪くない…否!好きだ!」というような方なら判って頂けると思う。通常のモノは白いカップであるのに対し、「少しだけ高い豆」を使うモノも在って、以前は「碧いカップ」だったが、最近は「紅いカップ」になっている。日付が改まって少し経ったような頃、不意に「美味い珈琲…」と思い付いて、宿に極近いコンビニへ出て1杯仕入れた…そんなことから始まってしまった感の1日である。
電池の電気で動く機器は、電池の電気が切れると動かなくなる。が、新たな電池を入れるか、電池に充電すればまた動く…
自身の場合、機器の電池に相当するモノが切れてしまいそうになりながらも「急速充電!!」というように深く眠ることが叶っているのか、何やら「変?」な程度に早寝早起きが続いている…或いは「充実!!」な時間を過ごしていて、気持ちが変に昂っているのかもしれない…
そういう訳で、前夜から今朝も「早寝早起き」で、日出時刻の遥か以前には起き出してしまっていた…宿を出る関係上、支度は半ば済ませて「今日?」と思案した…
「東へ…」という意図だけは明確に持っていたが、「如何に東へ?」という程度や方法の問題が思案の対象となる…<近鉄 3日間全線フリー>を入手して使っていたが、これは「とりあえず名古屋へ抜ける」という意図を持ってのことだった。
思案すべきは「名古屋から先を如何に?」である…中山道側へ向かう?東海道側へ向かう?何時?如何に?色々な思惑が錯綜する…
無駄が多い、無計画に過ぎることをしているかもしれない。「時間を設けた!」とただ勝手に過ごしている感だが、結局「訪ねてみたい…」が余りにも多いのだ。だから色々と思っている間に「時間を設けた期間(=出掛けようとしている日)が明後日から始まってしまう…」というような調子になってしまうのだ。そして期間中も連日のように「さて明日は?」ということになってばかりである…今般、出発直前まで迷いに迷い、鉄路と海路で、仙台を慌ただしく経由して関西に入った訳である…
こういうのは「自身が制作、監督、主演、助演…」というような、「1人しか関わらない」という状況だから出来る、許されるのだと思う…「1人しか関わらない」という状況でなければ出来る筈もなければ、許される筈も無い…
↓今日の動きである…
近鉄奈良→鶴橋(近鉄)
鶴橋→名古屋(近鉄)(特急 ひのとり)
名古屋→須ヶ口(名鉄)
須ヶ口→津島(名鉄)
津島→須ヶ口(名鉄)
須ヶ口→名古屋(名鉄)
名古屋→伏見(名古屋市地下鉄)
伏見→大須観音(名古屋市地下鉄)
伏見→名古屋(名古屋市地下鉄)
名古屋→丸の内(名古屋市地下鉄)
ということで…散々迷ったが、名古屋の地下鉄の丸の内駅傍に「大浴場が好評!」という宿を“直前予約特価”で利用出来るということが判り、その宿に入った次第だ…
近鉄奈良駅へは朝の6時台に入った。そこの窓口で問い合わせ、今年3月に投入されたばかりの車輛による<ひのとり>の特急指定席券+設備利用券を求めたのだ。乗車券はあの<近鉄 3日間全線フリー>を充てた。とすると?「<ひのとり>の大阪・名古屋間の券を求めると、他の利用分の列車にも乗車させて頂いた…」というような、不思議な感じになったかもしれない。
<ひのとり>については「時には…好いじゃないか…」という感じで「ワンランク上の寛ぎ」という旅を愉しむ列車だ。が、何やらリゾート列車とか観光列車ということでもないように思う…「出張?」という風な背広姿の男性から、「帰省?」という風な小さな子ども達を連れている人達から、各々の理由で移動中な感じの「少なくとも背広のような改まった服装でもない…」(自身を含む…)という人達まで、色々な乗客達が見受けられた。朝7時頃に出る列車で、少し空いていたかもしれない…
その列車で名古屋に着けば、嵩張るモノをロッカーに預けて身軽になり、少しだけ動き回ってみた…
名鉄の列車で、愛知県内の西側である津島を訪ねた。牛頭天王社の本社ということになる津島神社を訪ねたかった…加えて、画の得意な若い副住職が工夫しているというユニークな御朱印が頂けるという観音寺を訪ねてみた…
名古屋に引揚げてみて、思い付いたのは「名古屋の中の地名」でよく耳にする大須観音を訪ねてみた。序に「名古屋総鎮守」という若宮八幡社を訪ねてみた。そうしている中で街の様子を眺めながら随分と歩き廻った感だ…
今日は「変わり易い天候?」という感じであったのかもしれない。名古屋に着く前、雨が降ったらしく、辺りが多少湿っていた。以降、陽射しが強い感じで青空が広がる他方で、雲が多い時間帯も目立った。更に時折冷たい強風が吹き抜けた…更にその強風に意外に多量の落葉が舞っているという場所も見受けられた…
そんな様子な中「とりあえず押さえた宿…」という具合にしたのだ…宿に入ると、大浴場の説明を受け「今、この瞬間にも利用可能?!」と早速に利用した次第だ…
大浴場を利用してしまえば…体の火照りや多少の汗が退くまで、少しばかり休んだ方が好いというものなので、居室で一息入れた…その後は居室での飲物等を仕入れに出た…
マダマダであるとは思うが、大阪辺りは多少馴染んだと思う。他方で名古屋は「初めて」ではないのだが、「如何にも不慣れ…」を否定し悪いかもしれない。そういう中だったので、“不慣れ”を逆手に「何処でも初めてのような感じ…結構!」とでも考えることとした。名古屋に関して自身は、「何処かと往来する際に通り過ぎた」という感じで足を踏み入れている事例が多いと思う。名古屋そのものの中で少し動き回ったのは、随分と久し振りなように思っていた…
それにしても…<ひのとり>は快適だった…心地好さが過ぎて、居眠りをした場面も在って苦笑したが…大阪で「難波、上本町、鶴橋」と乗客を乗せると、大和八木と津にしか停車しなかった…本当に「新たな名阪特急」なのだ。
更に、津島のような「名古屋周辺の独自な伝統も或る程度色濃く伝えているような地域」、或いは「そういう地域で、可能な範囲、出来るように御自身の活動をしているような方」と言葉を交わすというようなことは、何か非常に好いようにも思った。
既に「綴るべきこと」、「綴りたいこと」が多く生じている旅になっている。今日も着実にそれらが積み上がってしまった…
明日は更に東へ…明後日は北へ…そんな段取りにはなっている…それは好いとして、何やら酷く眠くなって来た…
「色付きカップ」とでも言えば、「コンビニの珈琲は悪くない…否!好きだ!」というような方なら判って頂けると思う。通常のモノは白いカップであるのに対し、「少しだけ高い豆」を使うモノも在って、以前は「碧いカップ」だったが、最近は「紅いカップ」になっている。日付が改まって少し経ったような頃、不意に「美味い珈琲…」と思い付いて、宿に極近いコンビニへ出て1杯仕入れた…そんなことから始まってしまった感の1日である。
電池の電気で動く機器は、電池の電気が切れると動かなくなる。が、新たな電池を入れるか、電池に充電すればまた動く…
自身の場合、機器の電池に相当するモノが切れてしまいそうになりながらも「急速充電!!」というように深く眠ることが叶っているのか、何やら「変?」な程度に早寝早起きが続いている…或いは「充実!!」な時間を過ごしていて、気持ちが変に昂っているのかもしれない…
そういう訳で、前夜から今朝も「早寝早起き」で、日出時刻の遥か以前には起き出してしまっていた…宿を出る関係上、支度は半ば済ませて「今日?」と思案した…
「東へ…」という意図だけは明確に持っていたが、「如何に東へ?」という程度や方法の問題が思案の対象となる…<近鉄 3日間全線フリー>を入手して使っていたが、これは「とりあえず名古屋へ抜ける」という意図を持ってのことだった。
思案すべきは「名古屋から先を如何に?」である…中山道側へ向かう?東海道側へ向かう?何時?如何に?色々な思惑が錯綜する…
無駄が多い、無計画に過ぎることをしているかもしれない。「時間を設けた!」とただ勝手に過ごしている感だが、結局「訪ねてみたい…」が余りにも多いのだ。だから色々と思っている間に「時間を設けた期間(=出掛けようとしている日)が明後日から始まってしまう…」というような調子になってしまうのだ。そして期間中も連日のように「さて明日は?」ということになってばかりである…今般、出発直前まで迷いに迷い、鉄路と海路で、仙台を慌ただしく経由して関西に入った訳である…
こういうのは「自身が制作、監督、主演、助演…」というような、「1人しか関わらない」という状況だから出来る、許されるのだと思う…「1人しか関わらない」という状況でなければ出来る筈もなければ、許される筈も無い…
↓今日の動きである…
近鉄奈良→鶴橋(近鉄)
鶴橋→名古屋(近鉄)(特急 ひのとり)
名古屋→須ヶ口(名鉄)
須ヶ口→津島(名鉄)
津島→須ヶ口(名鉄)
須ヶ口→名古屋(名鉄)
名古屋→伏見(名古屋市地下鉄)
伏見→大須観音(名古屋市地下鉄)
伏見→名古屋(名古屋市地下鉄)
名古屋→丸の内(名古屋市地下鉄)
ということで…散々迷ったが、名古屋の地下鉄の丸の内駅傍に「大浴場が好評!」という宿を“直前予約特価”で利用出来るということが判り、その宿に入った次第だ…
近鉄奈良駅へは朝の6時台に入った。そこの窓口で問い合わせ、今年3月に投入されたばかりの車輛による<ひのとり>の特急指定席券+設備利用券を求めたのだ。乗車券はあの<近鉄 3日間全線フリー>を充てた。とすると?「<ひのとり>の大阪・名古屋間の券を求めると、他の利用分の列車にも乗車させて頂いた…」というような、不思議な感じになったかもしれない。
<ひのとり>については「時には…好いじゃないか…」という感じで「ワンランク上の寛ぎ」という旅を愉しむ列車だ。が、何やらリゾート列車とか観光列車ということでもないように思う…「出張?」という風な背広姿の男性から、「帰省?」という風な小さな子ども達を連れている人達から、各々の理由で移動中な感じの「少なくとも背広のような改まった服装でもない…」(自身を含む…)という人達まで、色々な乗客達が見受けられた。朝7時頃に出る列車で、少し空いていたかもしれない…
その列車で名古屋に着けば、嵩張るモノをロッカーに預けて身軽になり、少しだけ動き回ってみた…
名鉄の列車で、愛知県内の西側である津島を訪ねた。牛頭天王社の本社ということになる津島神社を訪ねたかった…加えて、画の得意な若い副住職が工夫しているというユニークな御朱印が頂けるという観音寺を訪ねてみた…
名古屋に引揚げてみて、思い付いたのは「名古屋の中の地名」でよく耳にする大須観音を訪ねてみた。序に「名古屋総鎮守」という若宮八幡社を訪ねてみた。そうしている中で街の様子を眺めながら随分と歩き廻った感だ…
今日は「変わり易い天候?」という感じであったのかもしれない。名古屋に着く前、雨が降ったらしく、辺りが多少湿っていた。以降、陽射しが強い感じで青空が広がる他方で、雲が多い時間帯も目立った。更に時折冷たい強風が吹き抜けた…更にその強風に意外に多量の落葉が舞っているという場所も見受けられた…
そんな様子な中「とりあえず押さえた宿…」という具合にしたのだ…宿に入ると、大浴場の説明を受け「今、この瞬間にも利用可能?!」と早速に利用した次第だ…
大浴場を利用してしまえば…体の火照りや多少の汗が退くまで、少しばかり休んだ方が好いというものなので、居室で一息入れた…その後は居室での飲物等を仕入れに出た…
マダマダであるとは思うが、大阪辺りは多少馴染んだと思う。他方で名古屋は「初めて」ではないのだが、「如何にも不慣れ…」を否定し悪いかもしれない。そういう中だったので、“不慣れ”を逆手に「何処でも初めてのような感じ…結構!」とでも考えることとした。名古屋に関して自身は、「何処かと往来する際に通り過ぎた」という感じで足を踏み入れている事例が多いと思う。名古屋そのものの中で少し動き回ったのは、随分と久し振りなように思っていた…
それにしても…<ひのとり>は快適だった…心地好さが過ぎて、居眠りをした場面も在って苦笑したが…大阪で「難波、上本町、鶴橋」と乗客を乗せると、大和八木と津にしか停車しなかった…本当に「新たな名阪特急」なのだ。
更に、津島のような「名古屋周辺の独自な伝統も或る程度色濃く伝えているような地域」、或いは「そういう地域で、可能な範囲、出来るように御自身の活動をしているような方」と言葉を交わすというようなことは、何か非常に好いようにも思った。
既に「綴るべきこと」、「綴りたいこと」が多く生じている旅になっている。今日も着実にそれらが積み上がってしまった…
明日は更に東へ…明後日は北へ…そんな段取りにはなっている…それは好いとして、何やら酷く眠くなって来た…
何も考えずに?:運行日誌(2020.12.24)
近鉄奈良駅に極近い宿の居室で寛いでいる夜だ…
夕刻…宿の近く…薄い黄土色で全身を包むような衣装に身を包んだ小柄な人物の姿を認めた…
「動物に扮している?鹿?!」と思った。鹿で御馴染みの奈良に在るので、そういうことをやっている人が在っても不思議ではない…
その小柄な人物…滞在中の宿に極近いコンビニの店先に居た。小柄な人物は若い女性、それも寧ろ「女の子」と表現したくなる―近年は「好ましくない表現」と言われるか?と言って、酷く若い感じの女性であれば、そう言いたくなる…―ような、「アルバイトの女子学生?」と見受けられる雰囲気だった。何気なくそちらを向いた。「お嬢ちゃん…何しとんのや?」と、彼女の脇を通り過ぎようとした自身の目線は問い掛けていたのかもしれない。
彼女は微笑んで「クリスマスなのでチキンの商品を御薦めしています!」とこちらに話し掛けて来た。「そうなの…」と応じ、並んでいた商品を一瞥し、一寸好さそうだったので骨なしの鶏を揚げたモノを一寸買ってしまった。
彼女の妙な衣装は、鹿ではなくトナカイだった訳だ…奈良では年中居る鹿に、この「クリスマスイブ」に扮するまでもない。サンタクロースの橇を曳くトナカイが似つかわしい訳だ。トナカイの衣装に身を包んだ「フライドチキン売りの少女」という感か?
そのチキンは直ぐに美味しく頂いてしまったが…「クリスマスイブ」というものを、或いは「例年どおり?」かもしれないが、一人静かに過ごしている…
眠いものを耐えるのは難しい。または出来ない…他方で、起きてしまったものを無理に眠るのも辛い…そういうことを想った早朝だった。深く眠った後に迎えた朝だった。
という訳で今日も早朝から動き回ってしまった…
興福寺の辺りを多少散策し、そこから例の近鉄の券を手に思い付くままに方々を巡った。午前6時40分頃に出て、「フライドチキン売りの少女」と出くわして宿に引揚げたのが午後5時半近くだった…
↓今日の動きだ…
近鉄奈良→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→大和八木(近鉄)
八木西口→橿原神宮前(近鉄)
橿原神宮前→古市(近鉄)
古市→富田林(近鉄)
富田林→藤井寺(近鉄)
藤井寺→大阪阿部野橋(近鉄)
天王寺→本町(大阪メトロ)
本町→なんば(大阪メトロ)
大阪難波→近鉄奈良(近鉄)
藤井寺駅にまで至れば、JRや大阪メトロ(地下鉄)では天王寺駅となっている大阪阿部野橋駅に出て、大阪メトロ(地下鉄)ではなんば駅となっている大阪難波駅へ動き、そこから近鉄奈良駅を目指す方が速いと思った次第だ…
天王寺駅と大阪阿部野橋駅…なんば駅と大阪難波駅…こういうような「同じエリアの乗換え駅で相互に名が異なる」とか、「同じ名前の駅が離れて併存している」というのは関西では幾分在る。札幌圏でも些か見受けられるかもしれないが、首都圏では余り無い例だと言われているようだ…この「関西方式?」にも、ほんの少し馴染んで来たというような気がする昨今である…
今日訪ねたのは?
奈良県橿原市の今井町に大阪府富田林市…何れも「寺内町」という独特な経過で起った街で、江戸時代には街道や川の舟運による物資輸送の拠点ともなって商人町としてなかなかに栄えた経過が在るという。江戸時代辺りの街の雰囲気を現在に伝えているという、一寸面白い場所だ…例えば「江戸時代、〇〇年間…」とか「明治時代」というような「昔の音」でも聞こえそうな街並みが好い感じだ…
藤井寺…ここには辛い国神社と葛井寺という、非常に古い時代に起こったとされる社寺が在る…
そして大阪阿部野橋駅から大阪難波駅に動く序でに大阪メトロ(地下鉄)本町駅に出て<HRC Osaka>に立寄った。<HRC>…現時点で大阪に2店舗在るが、1月31日で本町の店を閉めるという…自身にとって「大阪の<HRC>」と言えば本町であり、もう一つの方は行っていない…そういう思い入れも在るので、ショップで些かグッズを求める等していた…
今日は今井町のカフェの女性店主(珈琲豆の自家焙煎を手掛けていて、詩吟をやっているという方だった…)、富田林でおでんを売っていた女性店主(こちらは親しみを込めて「おばちゃん」と呼びたい雰囲気…)、閉店の噂のことを教えてくれた<HRC>の店員さんと色々と話す場面も多く在ったような気がする…
そうこうしていた中、また夥しい数の写真を撮ってしまった…それを少しだけ整理していて、何となく時間が過ぎた…
明日はどうしようか?面倒になって来たので、明日の早朝にでも考えることにしたい…
夕刻…宿の近く…薄い黄土色で全身を包むような衣装に身を包んだ小柄な人物の姿を認めた…
「動物に扮している?鹿?!」と思った。鹿で御馴染みの奈良に在るので、そういうことをやっている人が在っても不思議ではない…
その小柄な人物…滞在中の宿に極近いコンビニの店先に居た。小柄な人物は若い女性、それも寧ろ「女の子」と表現したくなる―近年は「好ましくない表現」と言われるか?と言って、酷く若い感じの女性であれば、そう言いたくなる…―ような、「アルバイトの女子学生?」と見受けられる雰囲気だった。何気なくそちらを向いた。「お嬢ちゃん…何しとんのや?」と、彼女の脇を通り過ぎようとした自身の目線は問い掛けていたのかもしれない。
彼女は微笑んで「クリスマスなのでチキンの商品を御薦めしています!」とこちらに話し掛けて来た。「そうなの…」と応じ、並んでいた商品を一瞥し、一寸好さそうだったので骨なしの鶏を揚げたモノを一寸買ってしまった。
彼女の妙な衣装は、鹿ではなくトナカイだった訳だ…奈良では年中居る鹿に、この「クリスマスイブ」に扮するまでもない。サンタクロースの橇を曳くトナカイが似つかわしい訳だ。トナカイの衣装に身を包んだ「フライドチキン売りの少女」という感か?
そのチキンは直ぐに美味しく頂いてしまったが…「クリスマスイブ」というものを、或いは「例年どおり?」かもしれないが、一人静かに過ごしている…
眠いものを耐えるのは難しい。または出来ない…他方で、起きてしまったものを無理に眠るのも辛い…そういうことを想った早朝だった。深く眠った後に迎えた朝だった。
という訳で今日も早朝から動き回ってしまった…
興福寺の辺りを多少散策し、そこから例の近鉄の券を手に思い付くままに方々を巡った。午前6時40分頃に出て、「フライドチキン売りの少女」と出くわして宿に引揚げたのが午後5時半近くだった…
↓今日の動きだ…
近鉄奈良→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→大和八木(近鉄)
八木西口→橿原神宮前(近鉄)
橿原神宮前→古市(近鉄)
古市→富田林(近鉄)
富田林→藤井寺(近鉄)
藤井寺→大阪阿部野橋(近鉄)
天王寺→本町(大阪メトロ)
本町→なんば(大阪メトロ)
大阪難波→近鉄奈良(近鉄)
藤井寺駅にまで至れば、JRや大阪メトロ(地下鉄)では天王寺駅となっている大阪阿部野橋駅に出て、大阪メトロ(地下鉄)ではなんば駅となっている大阪難波駅へ動き、そこから近鉄奈良駅を目指す方が速いと思った次第だ…
天王寺駅と大阪阿部野橋駅…なんば駅と大阪難波駅…こういうような「同じエリアの乗換え駅で相互に名が異なる」とか、「同じ名前の駅が離れて併存している」というのは関西では幾分在る。札幌圏でも些か見受けられるかもしれないが、首都圏では余り無い例だと言われているようだ…この「関西方式?」にも、ほんの少し馴染んで来たというような気がする昨今である…
今日訪ねたのは?
奈良県橿原市の今井町に大阪府富田林市…何れも「寺内町」という独特な経過で起った街で、江戸時代には街道や川の舟運による物資輸送の拠点ともなって商人町としてなかなかに栄えた経過が在るという。江戸時代辺りの街の雰囲気を現在に伝えているという、一寸面白い場所だ…例えば「江戸時代、〇〇年間…」とか「明治時代」というような「昔の音」でも聞こえそうな街並みが好い感じだ…
藤井寺…ここには辛い国神社と葛井寺という、非常に古い時代に起こったとされる社寺が在る…
そして大阪阿部野橋駅から大阪難波駅に動く序でに大阪メトロ(地下鉄)本町駅に出て<HRC Osaka>に立寄った。<HRC>…現時点で大阪に2店舗在るが、1月31日で本町の店を閉めるという…自身にとって「大阪の<HRC>」と言えば本町であり、もう一つの方は行っていない…そういう思い入れも在るので、ショップで些かグッズを求める等していた…
今日は今井町のカフェの女性店主(珈琲豆の自家焙煎を手掛けていて、詩吟をやっているという方だった…)、富田林でおでんを売っていた女性店主(こちらは親しみを込めて「おばちゃん」と呼びたい雰囲気…)、閉店の噂のことを教えてくれた<HRC>の店員さんと色々と話す場面も多く在ったような気がする…
そうこうしていた中、また夥しい数の写真を撮ってしまった…それを少しだけ整理していて、何となく時間が過ぎた…
明日はどうしようか?面倒になって来たので、明日の早朝にでも考えることにしたい…