意図と行動との齟齬?:運行日誌(2020.12.23)

「緩急の“緩”」という意図が無いでもなかったのだが…「それなりに…」という程度には精力的に過ごしたということになるのかもしれない。

実際、何となく眠い…こういう場合は「何時でも御休み頂いて…」と寛ぐに限る…

眠る…起きる…また眠る…また起きる…という中で午前6時前になり、悠然と支度をした朝だった…

前日、東寺を訪ねようと近鉄の駅に寄った際に視付けた。「前日までに購入」ということになっている、「3日間(近鉄)全線フリー」の切符だ。近鉄の場合、特急列車は別料金の特急指定席券を求めなければならないが、それさえ求めれば乗車可能であるという乗車券だ。

この「3日間(近鉄)全線フリー」は3千円だ…例えば、大阪難波・近鉄名古屋間は運賃が2410円だという。この区間なら、実際には特急券を追加すると思うが…とりあえず名古屋にでも出る意図が、或いは名古屋を経て更に進む意図が湧いたのであれば「名古屋へ向かう場面で使う」ということにしておけば、この券は非常に有効だ!

この<近鉄 3日間全線フリー>の切符を求めて、もう少し近鉄の列車が動いているようなエリアに身を置くことにしたのだ。

↓この<近鉄 3日間全線フリー>を手に、以下の動きだ…

祇園四条→丹波橋(京阪)
丹波橋→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→近鉄奈良(近鉄)
近鉄奈良→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→筒井(近鉄)
筒井駅→法隆寺前(バス)
法隆寺前→筒井駅(バス)
筒井→大和西大寺(近鉄)
菖蒲池→大和西大寺(近鉄)
大和西大寺→近鉄奈良(近鉄)

結局のところ…京都から奈良へ居所を遷し、奈良で少しだけ動き回った…

当初は京都で滞在した宿の最寄駅の一つで移動を開始し、直ぐに<近鉄 3日間全線フリー>を手に丹波橋から動き始めた訳だ…

大和郡山市の筒井駅でバスを利用し、訪ねたのは「凄く名が通っているが…行っていない?」と思い出した法隆寺を訪ねてみたのだ。往路のバスは少し停留所付近で待っていた…復路のバスは、「そのまま来た道のバスでも、他に近鉄の駅に近い辺りに行けるバスでも…」と思いながらバスが発着する辺りに近付けば、いきなりバスが現れて、筒井駅を通るバスだと判って飛び乗ったのだ…

大和西大寺で食事を摂った後、近鉄奈良駅の方向、新大宮駅までの範囲で一寸歩こうと思ったのだったが…何時の間にか煩雑な道を間違えて、逆方向の菖蒲池駅に至ってしまった…そこから列車を乗り継いで奈良である…

奈良では興福寺を少しゆっくり拝観する等し、宿でゆったりし、夕刻にまた散策してから夕食を愉しんだ…そして「何時でも御休み頂いて…」である…

今般、奈良では「関西の別邸」と勝手に呼んでいるJR奈良駅の傍に在る宿ではなく、そこに出会う以前から何度か利用している近鉄奈良駅に極近い宿に滞在することにした…

結局?何となく気に入っている奈良に身を置いて動き回るようなことをしてみたかったのだろう…

詳しいことは後日色々と綴りたい…

「普通」かもしれない動き…:運行日誌(2020.12.22)

「またか?」とでも言われればそれまでだが、今晩も早目に「何時でも御休み頂いて構いません…」という態勢に入り、宿の居室で寛いでいる。

振り返ると…殆ど1日を費やして稚内から苫小牧へ南下してフェリーに乗船し、仙台で船を下りた後には新幹線の列車を乗り継いで一気に大阪に入った。大阪に滞在しながら和歌山県と奈良県とを訪ねるということをし、終いに高野山を往復した。そして宝塚へと西進しながらも不意に東進して京都に至った。

そういう「妙…かもしれない…」という展開を思い浮かべれば、今日の過ごし方は「名所旧跡が多い他所の地域に身を置いていて、時間が在るのでそれらを色々と訪ねてみた」という範囲に多分入るものであると思う…

今朝は…不意に“京都府警”に御世話になってしまった…別段に問題が生じたのではない!!

京都は「老舗喫茶店」というモノが色々と在る街だ。それらの1つを以前に朝から訪ねて愉しかったので、別な店を訪ねてみようと思い立った。

四条通を東側から西側へ進む…東西に延びる四条通と交差する何本もの南北に延びる通の一つに入り、少々北上した辺りに目指す場所は在った。その「北上すべく曲がる場所」をうろ覚えな中、西へ進み過ぎた…「いかん!このままでは街の西端に!?」と感じるようになって来た…「概ね20分」と聞いていた所要時間を少々超え、30分は歩いていた…至り着いた四条大宮で交番を見掛けた。その交番に入り、訪ねようとしている場所へ北上する通を「見失った…」という旨を、対応してくれた交番の女性警察官に申し出た。そこで話していて「大きく通り過ぎてしまっていて、引き返して20分位は要する…」と判った…

そういうことで、交番の警察官に道を尋ねたので「“京都府警”に御世話になってしまった」のである…こういうような「通り過ぎてしまう…」は、自身の場合、出先では時々やってしまう…

老舗喫茶店の一つである<イノダコーヒ>の本店に無事に辿り着いた…そこで<京の朝食セット>と銘打った、所謂「モーニングセット」を愉しんだ…

そうやって至った地区を起点に、地下鉄の1日乗車券―「600円!」という価格に少し驚かないでもなかった…札幌にも「休日限定」で似たような価格帯のモノが在ったが、とりあえず今日は「平日」だ…―を入手して動き回った…

↓今日の動きをメモしておいた…

烏丸御池→醍醐(地下鉄・東西線)
醍醐→小野(地下鉄・東西線)
小野→烏丸御池(地下鉄・東西線)
烏丸御池→京都(地下鉄・烏丸線)
京都→東寺(近鉄)
京都→四条(地下鉄・烏丸線)
烏丸→京都河原町(阪急)

結局、近鉄や阪急の列車にも乗車したが、何れも「一区間」に過ぎない。殆ど地下鉄で動き回っていた…

そういうことをやって…醍醐寺、隋心院、東寺を巡り、宿にも近い阪急の京都河原町駅に至り、前夕に一寸きになった建仁寺を確りと拝観したのだった…

朝7時前に老舗喫茶店を訪ねようと歩き始め、寺巡りという形になって、宿に引揚げたのは午後3時半頃…とにかく動いた…

宿で一息入れた後、辺りの気に入っている店である<HRC Kyoto>を訪ねて食事を愉しんだ…そこから引揚げて現在に至っている訳だ…

明日?余り細かいことは考えていない…

西へ…東へ…:運行日誌(2020.12.21)

一般的には、旅の途次に在る場合であれば「夕食を愉しんでいる…」というような時間帯に相当すると思うが、既に宿の居室で寛いでしまっていた。「もう出ない…」と、宿の室内着に着替えてしまったという状況だ…

前日から「体力を使った後?」という感ながら「気力充実!」という感でもあった。高野山(=金剛峯寺)を訪ね、千歳橋を歩き、何か「以前から何となく関心が在って、なかなか寄れなかった場所を一気に…」という達成感が在る。“達成感”という程のことでもないのかもしれないが…

「遅すぎる昼食と早過ぎる夕食を兼ねて…」という前日午後の動きの後、「かなり早目?」という時間帯に寝入って、深く眠った。そして日付も変わった…

今日は、前日のように「未だ暗い早朝から…」ということこそしないが、朝の「街が動き始めている…」という感の時間帯には既に行動を開始した。宿を出て、些か馴染んだドーム前駅から出発である…

前日のように「宿と高野山を往復」という時間を要する移動を大胆にしたのでもない。が、「細かい移動」を積み重ねることとなった…

↓手近なモノを容れているバッグに手帳とペンが在って、一寸メモしておいた内容を写す…

ドーム前→尼崎(阪神)
尼崎→今津(阪神)
今津→西宮北口(阪急)
西宮北口→宝塚(阪急)
宝塚→清荒神(阪急)
清荒神→中山観音(阪急)
中山観音→大阪梅田(阪急)
大阪梅田→桂(阪急)
桂→嵐山(阪急)
嵐山公園→大覚寺(京都市バス)
大覚寺→松尾大社前(京都市バス)
松尾大社→桂(阪急)
桂→京都河原町(阪急)

↑京都でバスに乗車した場面では所謂「交通系IC」を利用―自身ではJR西日本系の<ICOCA>で、「阪神が発売したモノ」というのを何時も愛用している…―した。それ以外の列車は<阪急阪神1dayパス>という代物を利用した。

<阪急阪神1dayパス>は、阪神電車の駅で駅員さんに申し出ると売ってくれるカードである。阪急電車の駅でも求められるが…<阪急阪神1dayパス>は、商品名どおりに「阪急と阪神の全路線の列車を朝から夜まで丸一日利用可能」という“1日乗車券”だ…

大阪神戸間で集落を結んで軌道を敷設し、列車の運行を始めた阪神に対して、阪急は「最速で両都市を結ぶには最短距離!」と既存集落に拘泥せずに「直線」に近い軌道を敷設して列車の運行を始めている。そういう経過なので、両社の列車は南側に阪神、北側に阪急と並行していて、双方の会社の列車に乗車可能な利点は「やや薄い?」というようにも見える…が、今津・西宮北口間で両社の列車は連絡可能だ。他に、他会社路線を一部で利用すれば、両社の列車を結んでドンドン動き回ることも出来る。そして阪急は大阪・神戸間の他に大阪・宝塚間、大阪・京都間の路線も在るので、広域で動き回ることを可能にするのがこの<阪急阪神1dayパス>だ。

実は、関西に滞在する機会が生じた場面で、この<阪急阪神1dayパス>は何度も利用している。そこで今日は、阪神電車の駅に近い辺りに滞在していたことも在って、この<阪急阪神1dayパス>を利用することとしたのだ…

夏季にも関西方面に入った経過が在った。あの時は、酷く汗をかきながら歩き廻った。そして「やや暑さがキツいことは否定出来ない…故に無理はしない…」と、「訪ねてみようか?」と思い立った場所に出なかったというのも色々と在った。

今般?確かに酷く温かいのでもない…「当地として、この時季として、一寸寒い…」という状態であるとは思う。しかし、「積雪が無い…」という―フェリー下船後の仙台や塩釜、標高が高い高野山では在ったが…あれは今般のこれまでの中では例外的…―のは有難く、酷く温かいのでもないのと同時に、自身の感覚で「寒過ぎる!?」ということでもない。そこで「精力的に!」ということにもなる。

上記の経路?関西の名所に明るい方は、既にお気付きかもしれない…宝塚市内にある名刹、清荒神清澄寺と中山寺を訪ね、大阪梅田駅に出てランチを摂り、そこから京都に向かい、バス停や駅の何も採用されている大覚寺と松尾大社を訪ねてみたのだ…

そして京都の祇園に宿を求めた。一度、今年の3月にも滞在した場所で一寸気に入っていたが、空きが在ったのだ…明後日の朝まで居る…

この宿に落ち着き、多少空腹を覚えたので辺りを本当に「極々短く…」という具合に歩き廻って、極軽い夕食を摂って「何時でも御休み頂いて…」ということにしてしまったのだ…

さて、何を如何するか?「色々と考える」というのが、また愉しい…

山へ…海へ…:運行日誌(2020.12.20)

大正駅に近い辺り、阪神なんば線のドーム前駅は更に近いという宿での滞在は今晩までである。明朝に離れるのだが…「何時でも御休み頂いて構いません…」の態勢に、早めな時間帯から入ってしまった…とりあえず寛いでいる…

前日は酷く深く眠って、気付くと日付が改まっていたという感で迎えた日である。

「訳が判らない程度に“深く”?」という程度に眠ったような気もする。深夜に起き出し、以降は身体を休めるか、起き出すかを繰り返していた。或いは「出先の宿ではよく在る…」というような具合かも知れない…

昨日、根来寺や朝護孫子寺を訪ねた後に思った…山に開いたというような名刹を訪ねてみるというようなことは「えい!やっ!」と勢いを加えて「この機会だ!行ってしまえ!」と動いてみなければ、多分相当長期に亘って訪問機会等は設けることが叶わないであろう…

根来寺は大阪府最南部と和歌山県北東部との間の山に在る…朝護孫子寺は急峻な信貴山を上るように開いた道に踏み入るような場所に在る…そういうことなら?かの高野山の金剛峯寺というのも、標高900m近い山の上に「宗教都市」という感で開かれて、営々と営みが続く場所で、「地図上で街と金剛峯寺を直線で結ぶ距離」の何倍もの「山に築かれた回り道」を進んで訪ねるということになり、意外に訪ね悪いかもしれない。

昨日の午後、信貴山から宿へ引揚げる途中、思い付いて南海のなんば駅に立寄った。なんば・高野山を往復する乗車券と、高野山でのバスの1日乗車券とがセットになったモノが在ると聞き及んでいたので、それを求めたのだった…

「高野山を訪ねる」となれば、事前に慎重に計画を練って、1泊か2泊かの時間を取って出掛けるべきなのかもしれないが…「片道2時間前後?根来や信貴山を想えば、列車の本数は多い感じ…楽に日帰りも可能であろう…」と、無計画に「とにかく訪ねたいのだ!」と出掛けることにした…

「とにかくも早く現場に着いて…後は何とでも…」と早朝の暗い時間帯、早速に阪神なんば線で大阪難波駅に出て、南海のなんば駅から6時に出る列車に乗込んだ。“急行”は途中の堺東駅に直ぐに着いたが…少し先の百舌鳥八幡駅で「人身事故…」とのことで、列車は堺東・なんば間の折り返し運転というようなことになってしまった…

「或いはなんば駅へ引揚げて、明日にでも改めて?」と思わないでもなかったが、駅員さんによれば「“人身事故”は、通例では1時間から1時間半で運転が再開になって、暫くはダイヤが乱れるものの、やがて復旧」ということらしい。ゆったり座っている場所も見当たらないので、改札を一寸出て、駅周辺で過ごすこととした。駅前にネットカフェが在った。南海電車の運行情報を随時視て、ゆったりと過ごしていた。午前8時を少し過ぎた頃に「電車が止まっています」から「電車の運行が乱れています」に切り替わったので、ネットカフェを出て駅に向かい、「事故で列車が停まってしまったので外で待っていた」と切符を駅員さんに見せながら申し出た。そして無事に列車に乗った…

なんば・堺東間から、列車が停まった区間や、その先の高野山へ向かうという人が「溜ってしまっていた」という感じで、高野山へ向かう列車は少し混み合った…

大阪府を斜めに南下するような感じで和歌山県内の橋本駅に着くと、高野山を上る区間になる。その区間の最後はケーブルカーに乗換えるようになっている。ケーブルカーが山を上り始めて少しすると、辺りに「白」が目立った。雪が些か降ったようだった。

積雪は少し在ったが、天候が好転していて、雪は融ける過程に在った。屋根の上で凍り固まったような雪の塊、実質的に氷塊が派手な音を立てて、軒から歩道に落ちる様子も見受けられ、通行人が「危なかった…」とか「怖い…」と驚く様子も見受けられた。

実際には「大規模な寺院或いは寺院群が形成された場所に町が起こって…」ということなのかもしれないが、何か「街そのものが寺になってしまっている…」というように感じないでもないような独特の様子が見受けられた…

高野山訪問関係のことは、追って色々と纏めてみたい…

昼食には遅過ぎる午後3時前に宿に引揚げ、実は昼から営業している、馴染みになった「沖縄酒場」を訪ねて「遅過ぎなランチ兼早過ぎなディナー」を愉しんだ。そしてその足で大正区内を散策だ…

徒歩ではやや遠目な、<千歳橋>という巨大な、そして歩行者も歩くことが出来るという橋梁を眺めて渡ってみるなどした。そこから、路線バスを利用して宿の傍に引揚げた訳だ…

こんな具合の「全くの随意…」という過ごし方は好い…かなりの距離を歩き廻ってしまった感なのだが…とりあえずは寛いで回復を図る…

動き回った…:運行日誌(2020.12.19)

“連泊”ということにした宿で寛いでいる…

前夜は「寝付けない夜…」を過ごし、眠ったり起きたりを繰り返している中で早朝を迎えたような感である…

稚内・名寄・旭川・滝川・岩見沢・札幌・苫小牧と列車を乗り継ぎ、苫小牧・仙台を海路で移動し、中野栄・本塩釜・仙台と鹽竈神社を訪ねてみて、仙台・東京・新大阪を新幹線の列車を乗り継いで一気に駆け、新大阪・大阪・大正と移動して現在に至っている。「大正の辺りに宿を求めてみた」という“理由”である「沖縄酒場」にも寄って“沖縄そば”も頂いた…

傍目には「だから??」というようなことなのかもしれないが、何か「達成感!!」というようなモノで非常に昂っているのかもしれない。そのうち、身体を動かして、休息が必要ということになれば、ぐっすりと長目に眠ることにもなるであろうと、「無理に眠る?」ということもしない…

そういう訳で…朝から木津川の橋を眺める「極々短い散策」を愉しみ、精力的に動いた…

和歌山方面への列車で和泉砂川という泉南市内の駅へ向かい、ローカルな感じで運行本数も少ないバスで、和歌山県岩出市の根来寺を訪ねた…

根来寺の後は和泉砂川駅に引揚げて列車に乗り、天王寺に出て奈良行に乗換えて王子に向かった。王子でも概ね1時間に1本という運行のバスで信貴山朝護孫子寺を往復した…

信貴山朝護孫子寺の後は王子・JR難波間の列車を利用し、そこから南海の駅に道草した後、阪神なんば線の列車でドーム前駅、宿の最寄り駅に辿り着いた…

宿で一息の後は<TUGBOAT_TAISHO>で食事を愉しみ、そのまま新今宮駅に出て通天閣を眺めて来た…

何やら…「酷い移動距離…」という感じだが…随意に過ごして構わない状態で何処か他所の地域に在ると、「動きたくて仕方がない…」という症状に陥ってしまうのだ…

仔細は何れゆったりと…根来寺や朝護孫子寺というような場所は、思い立ってもなかなか行けない…少し思い切ってみた…何れも「少し深く分け入った…」というような場所だ…

そんな場所に至ることが叶う時間を設けられた…非常に好いことだ…が、流石にかなり動いたので、前夜の眠りの按配に鑑みて「何時でも御休み頂いて結構です…」の態勢にしている訳だ…

長い道程…:運行日誌(2020.12.18)

「小さ目で安価…」という部屋の宿が存外に好きなのだが…そういうタイプの場所に在る…随分と長い距離を移動したことになる…

フェリー船内で日付が変わったことを知った。夜に出航し、朝に到着する船なので当然のことであろうが…眠気に抗わずに早めに休み、気付けば日付が変わっていたという状況だったのだ。

全長192.5m、幅27m、総トン数13,694トンというフェリー<きたかみ>に乗船した。2019年1月に就航したそうで、マダマダ新しい感じの船だ。10,880馬力のエンジンを2基搭載し、最大速24ノットという性能であるという。通常は概ね20ノット程度で航行しているのだという。

フェリー<きたかみ>は名古屋港を母港としているようではあるが、専ら苫小牧・仙台間の「夜行」の航路で運用されているようだ。苫小牧・仙台間は概ね300海里、約560㎞であるという。20ノットは時速40㎞程度なので、15時間の航海ということになる。(国境を越える稚内・コルサコフ間の概ね3倍もの長さだ…)

苫小牧駅から250円の路線バス、約15分程度でフェリーターミナルに着けば巨大な船体が視えた。ターミナルで手続をして、乗船開始を待つ。午後7時出航の船に、午後5時半から乗船出来るようになっている。

乗船すれば、大浴場―250円のハンドタオルを求めて使った…―を利用し、夕食―バイキング方式のモノで、食券を求めて船内レストランを利用する…―を愉しむ。そうしていた間に出航だ。苫小牧駅のコンビニで求めたウイスキーを一寸呑み、暗い苫小牧港を船が存外なスピードで離れる様を眺めていた。そうやって出航する様子を視て、後は<エコノミーシングル>と名付けられた船室で休み、時折は適当に船内を歩き廻って過ごすという訳だ。

昨年、横浜駅・出雲市駅間で<サンライズ出雲>という夜行列車の個室寝台に乗車した。フェリー<きたかみ>の<エコノミーシングル>は、あの夜行列車の個室寝台のような設えだと思うが、アレよりもゆったりしている。安価な、細長い「寝るだけ…」という部屋の宿泊施設が、そのまま海上を移動しているかのようだ。勿論、船内には様々な場所が在る訳で、他がどういう具合かは経験していないが…

海の状況が普通に平穏なのだと思うが、列車に乗っているのと大差が無い感じで然程「揺れ」も気にならない。

そして朝の時間帯を迎えた…

苫小牧から仙台へ南下している場合、右側が奥州の山河で西に相当し、左側が大洋で東に相当する。午前6時を少し過ぎた辺りで東の大洋の側が明るくなって来た。低空にやや雲が多目であったが、雲の隙間に朝陽が上ったのは午前6時45分をやや過ぎた辺りだった…

その朝の様子は、甲板に出る、中に入るを繰り返しながら眺めていた。大洋が明るくなり、奥州の山河から夜が拭われる…そんな様子が好かったが、流石に洋上の風は冷たく、身体に些か刺さる感は否定し得なかった…

仙台には定刻の10時よりも些か早い程度で順調に到着した。仙台周辺は若干の雪に見舞われた経過が在ったと見受けられた…

その後、仙台駅へ向かうバスに乗車し、途中の中野栄駅で下りた。そこからは本塩釜駅へ列車で移動した。鹽竈神社(しおがまじんじゃ)を訪ねてみたかったのだ。

鹽竈神社は、長くやや急な石段の本参道から入って、東参道側から出て来るという形で訪ねてみた。「陸奥国一之宮」という由緒を誇る社である。なかなかに貫禄が在った…

好天な中で鹽竈神社を訪ねて満足し、仙台駅へ移動した。仙台駅では「ここから如何する?」と考えた…

その結果、「とりあえず大阪へ…」と思い立ち、大阪で滞在する宿をネットで予約し、新幹線の列車を2本乗り継いで新大阪駅へ出るということを思い付き、仙台駅の窓口で切符を求めてしまった…

2本の列車は何れも「速達性重視」という停車駅が少な目の列車である。何か「飛んでいるような…」という気はしたが、それでも軌道上を走行している訳である…

<はやぶさ>と<のぞみ>という、JR東日本とJR東海とが各々「看板」のようにしている列車で仙台・東京・新大阪を一気に駆け、新大阪駅から大阪駅に出て、大阪環状線で大正駅に向かい、宿に入ったのだ…

大正駅の辺り…以前に「沖縄酒場」という場所で食事を愉しんだ。再訪したいと強く希望していたが、無事に再訪が叶って“沖縄そば”を確り頂いた…

結局…「空路」を利用せず、鉄道と海路とで稚内から大阪に到達してしまった…妙なことを仕出かしたものだ…

海へ…:運行日誌(2020.12.17)

苫小牧駅の極近く、商業施設内のカフェで一息入れている…

「早めに出よう…」ということが念頭に在ったにせよ、「早過ぎ…」という時間帯に眼を開けて起き出してしまった。<Qグレード認証 コロンビア>を淹れて、居室で悠然と過ごした…芳香と味わいとが非常に好い感じだ。

戸外の様子を伺う…氷点下5℃程度の冷えた感じが継続中だった。雪が断続し、少しばかり積もっている。一部の道路で除雪作業もやっている様子が伺えた…

こういう「ありきたりな冬の早朝」という状況ではあるが、この状況から「如何なる?」という感で、自身でも自身の行動を精確に予想し悪い…

例によって、前日に用意しておいた<青春18きっぷ>を手に、早朝5時台に稚内駅からキハ54の一輛運行による普通列車に乗込んだ…

実は、一昨日や昨日は「雪の影響」で列車運行の様子が乱れてしまっていたということが伝えられていた。それが気に掛っていたが、然程の影響も無く、稚内・名寄間を進んだ。

名寄では<青春18きっぷ>ではなく、敢えて乗車券と特急券とを別に求めて旭川へ移動した。列車の本数が少ない…そうでもしないと、名寄と旭川とで長い待ち時間が連発して、ドンドン進んでは行けないのだ…

旭川では直ぐに滝川へ向かう普通列車が待機していて、それで滝川に着けば岩見沢に直ぐ向かえる…

岩見沢に着いてみた。異様に雪が多いような感であった。列車運行の乱れが生じてしまう場合の「アレな…」という話しになる、岩見沢辺りに雪が多い現象が発生してしまっていた…

岩見沢と言えば…「札幌方面を経ずに苫小牧へ南下」という路線の起点になっていて、少し待てばその「苫小牧行」に乗車出来る筈なのだが…「大雪の影響」というようなことで、運休になってしまっていた…

そういう訳で…岩見沢から札幌に出て、札幌から千歳線の列車に乗り、「札幌方面を経ずに苫小牧へ南下」というようにした場合よりも小一時間多く要した形で苫小牧に至った。

苫小牧方面…岩見沢方面で視た積雪が「嘘!?」のようだ…全然、積雪が視えない感じだ…雪の量や天候の感じが移ろう様を眺めながら、稚内から苫小牧まで列車を乗り継いで移動した…

これから?バスに乗る…苫小牧港へ向かう。海に出るのだ…フェリーに乗る。

ということで、ここまでの動きを綴ってみたのだった…

前夜…(2020.12.16)

氷点下5℃を挟むような気温…氷点下5℃を割り込んでいる場合も在り、更に降雪が断続している。

国内の広い範囲が強力な寒気に覆われてしまっているらしい。方々で「今季初の“非常に冬らしい”という感じ」が見受けられている様子が伝わる。

「冬は寒い北海道」というイメージが強いと思うが、その中でも北側に在る稚内に関しては「殊更に寒い?」というイメージも在るのかもしれない。北海道に縁が薄いと思われる方に御訊ねを頂いたことも在った。が、「気温」という側面で考えると、稚内よりも南に相当する内陸部の方が遥かに低い。稚内に関しては「海を渡る冷たい風」の干渉で、戸外に出れば「身体に寒風が刺さるような…」ということになり、実際の気温以上に「寒い…キツい…」と感じてしまう割合が高いように思う。そして、少し低温の場合に見受けられる粒子が細かい雪が多少積もっていると、それらは風に舞い、酷く辺りの視界が悪くなる。そういうのが冬季の「厳しい…」というイメージを“水増し”してくれる面も在ると思う。

「氷点下5℃を挟むような気温…氷点下5℃を割り込んでいる場合も…」というのは、「稚内の冬季の気温」としては「“最も寒い”に近い?」というクラスだと思う。「氷点下10℃を伺う…」という辺りが、「稚内の冬季の気温」としては「最も寒い」の部類になると思う。

11月に雪が降り積もる場面が見受けられ、また冬がやって来て、そして「所謂“厳冬期”に向かって行くのか…」という感じで「年末か…」ということも思っていた間に、「“最も寒い”に近い?」というクラスの気温だ…

年末なので「今年は??」というようなことに想いが巡る場合も少し増えている…「2020年は?」ということだ…

「少し前」という辺りから振り返ってみる…

2017年…何か非常に大きな達成感のようなものが在ったと思える反面、11月にアクシデントに見舞われてしまったという感じだった…アクシデントそのものは少々キツいと思ったが、達成感は非常に大きかった。

2018年…前年のアクシデントを何とか乗り切った…そしてその後に、前年以上の大きな達成感のようなものが在ったと思える…

2019年…更なる達成を図ろうと考え、それが妨げられ、力一杯に気分を害していた中で色々と所用が生じ、そういう方面に労力を割いて、それに終始してしまった感だった…

2020年…特段に達成感のようなものは無いかもしれない。少しばかり時間を設けて随意に過ごしてみる機会が設けられた中、これまで縁薄かった四国に上陸したというのが非常に好かったということは思い出すが…他に<祇園枝垂桜>も忘れ難い…

敢えて一口に纏めると上述のような感か…

2020年に関しては「“事情”に覆い尽され、“荒んだ”ような雰囲気に辟易し続けることを無理強いされて、結果的に不快千万…」というのが正直なところだ。何もしたくなくなるような感だ…自身が「普通に生きていること」に関して「それがいけないことでしょうかね?」とでも問いたくなるような雰囲気を個人的には感じないでもない。何となく鬱屈してしまう。鬱屈してばかり居て、如何なるものでもないように思うが…

そういうことであるから…傍目には「しょぼい…」ということではあっても、全然構わない…「飽くまでも自身の中の基準、価値観に即して…」ということながら「盛大に!!!」と少々意気込んで、「憂さ晴らし」のような振る舞いに及びたいという気分が、自身の中で湧き上がって、そういうのが抑え難いような感になって、少し時日が経った…

「特段に達成感のようなものは無いかもしれない」というのは、裏返せば「特段に課題らしい課題、当面の宿題という程の何事かに思い当たるのでもない」ということにもなる。であるとすれば?所謂“被雇用者”に宛がわれている“年次休暇”なるモノを「目一杯に注ぎ込む!!」ということをして、「とりあえず“時間”を設けてみる」ということも、出来ないではない訳だ…

“時間”を設けてみて如何するか?深くは考えていない…何か鬱屈してしまうような気分の中、「私は自らを由とする!!」とでも叫んでみたい気分で、「とにかく自身の“時間”を設ける!!」と考えただけなのだ…

達成感のようなものは無いかもしれない2020年に在っては、「例えば、この数時間後とか、数日以内に何らかの事由で“力尽きる”か、“物理的に随意に動き悪い”というようなことになった時、“少なくともアレが視たかった…視られないのが無念だ…”というようなことが、ほんの少しでも少なくなれば善い」という程度に考えていた側面が在る。何度か“時間”を設けた中で密かに思っていたことである…

そんなことで…「とりあえず翌朝は早起きして…」ということばかりを考え、酒を嗜んで、食事を愉しんでという状況で「普通な夕べ」を過ごした…正しく「明日には明日の風が吹く」というものだ…

運行日誌(2020.07.30-08.09)追記:帰着後雑感…

8月10日の稚内では、日出を期待し、日出を待ち、日出を眺めて1日の始まりを迎えたのだったが、何処となく湿り気が感じられた空気の中で昼頃から雨交じりとなった。

雨交じりとなること自体は珍しいことでもないが、少し気に掛った。振り返ると、7月30日以降「雨に降られていない…」という状態、「移動もしながら、晴天であった地域に居続けた」ということに思い至ったのだ。随分と久し振りに雨に当たったような気がした休日ということになった。

雨交じりの故に薄暗い感の居室で、<アロママグ>に注いだ<サードウェーブテイスト>を啜る。旭川で「時間が在るなら立寄りたい」という場所の“リスト”に俄かに加わったカフェで使用されている仕様と同じで、同じ店で販売もされているのを入手した<アロママグ>に<サードウェーブテイスト>を注いで頂いてみると、あの店出だしていて何種類か愉しんだオリジナルブレンドの一つにやや似ているような感じもする。<サードウェーブテイスト>、旭川の店とは全然縁が無い大阪の業者の豆ではあるのだが…

旭川の店や、他に奈良の店で好い珈琲を少しゆっくりと頂く機会が在ったが…稚内で過ごす休日という中でも「カフェを梯子」というのに近いことをやっていて、方々で珈琲を頂いた。拙宅で、気に入った豆を挽いてハンドドリップというのとは少々違う。何か「馴染んだモノに親しむ大きな安堵感」というモノが在る。

様々な珈琲を頂いたとなれば「何れが一番好かったか?」ということになるのかもしれない。が、「何れも好い」という以上のことは申し上げ悪い。珈琲のような嗜好品は全く「各々に好い」または「少なくとも一般に出回っているようなモノは各々に好い筈」なのであって、横並びにして順位を付すようなことに最初からなじまないように思う。

珈琲に限らず、「休暇に訪ねる場所」というようなモノも全く同様であると思う。方々を巡ってみるというようなことをする都度にそういうような思いが強まって行くような感さえする。今般、方々を少し動き回ってみて、そういうような思いが確実に強まった…

「城」と名が付く場所…丸亀城、徳島城、高知城、松山城、今治城、尼崎城と方々で寄っている…

「寺」と名が付く場所…善通寺、須磨寺、宝山寺、長谷寺、西大寺、泉涌寺、智積院、仁和寺、勧修寺、東大寺、興福寺という具合か…

「社」と名が付く場所…善通寺の乃木神社、大山祇神社、手向山八幡宮という感か…

城でも寺でも神社でも構わないが、何れにしても「各々の面白さ」が在る、他所の地域を訪れた際に何となく視に行くような場所だが、どんな城も、どんな寺も、どんな神社も「各々に好い」のだと思った。

更に一部は寺に在るモノだが、幾つかの庭園も訪ね、古い町並みを愉しむ場面も在った。庭園に関して、例えば壮大な栗林公園と、京都の寺に在った庭園とではスケールは単純な面積比較ということが可能だと思えるが…そういう面積の数字では測りようがない「各々の好さ」が在ったと思う。

もう少し、1箇所に落ち着いて居れば好いのかもしれないというようなことを、毎度思わないのでもないのだが…「見慣れぬ路の向こうの見知らぬ街」というような感覚が酷く好きで、そういうことを、「動き回ること自体」を愉しんでしまうような性向が在って、何時も随分と方々を動き回るようなことを仕出かしてしまう…

何やら社会が“事情”に覆いつくされてしまっているかのような感に辟易しているが…外を歩き廻ってみる程度のことで、ガタガタ言われなくてはならない必然性もないと思っている。今般、「何年振りか??」と自身で驚く程度に日焼けもした…

そして「出掛けるから写真を撮る」のか「写真を撮りたいから出掛ける」のか判らない状態で、収拾困難な程度に写真も撮った…追って整理しよう…

暫くは…今般の旅を色々と振り返るような時間が多くなりそうである。同時に…早くも「また機会が設けられるなら…」というようなことを考えてしまっていることに気付く。

帰着…:運行日誌(2020.08.09)

力尽きたように寝入ってしまい、少し深く眠ってから起き出し、また眠る…起き出している間は、頭を過る「足跡」を想起する…

旭川に到着し、宿に入ってから一歩も出ずに居室で過ごしていた状況である…

早朝から「更なる北上」に出ても好かったかもしれないが…「昼の特急列車」の券を入手した。そして、宿の居室で「とりあえずゆっくり…」である。

早朝から何かをするということも容易ではあったが…結局、宿の居室でゆっくりすることにした。「休日」であった割りには、期間中に精力的であり過ぎたかもしれない…他方、「休日で随意に動くことが叶うが故に…」と、過ぎる程に張り切り、「頭の中と身体との連携が悪くないか?」と思う一面も否定しない…が、総じて満足出来るような動きをしていた…

旭川では…ゆっくりと宿を出て「カフェを梯子」というような過ごし方に終始し、「昼の特急列車」に乗車した。

車内のこと…記憶が殆ど無い…旭川駅を出て程無く、永山駅で列車は信号停車するのだが、その辺りから音威子府駅辺りまでが判らない…そこから天塩中川駅辺りまでも判らない…かなり確り眠ってしまったのだった。

前々日の荒天で列車運行等が乱れ、前日も影響が残っていたというように聞くが…今日は何ら問題は無かった。通常は4輛運行の列車も増結で6輛運行であった。が、然程混み合ってもいなかったが…

とにかくも帰着した…

北へ…:運行日誌(2020.08.08)

搭乗する飛行機が神戸空港から離陸するのは…12時45分ということになったいた。ギリギリに走るのも落ち着かない。早めに空港へ行って悠然と過ごしていれば好い。と言って、空港への移動までに些かは時間を要する…

神戸空港へ向かう道すがらに、何処かへ道草するにしても、「少し早目な時間帯」ということで寄ってみるという他に、何となく都合が悪いような?そんな時間帯のフライトであると、今更のように思った。が、フライトが「着いた後」の動きを思うと、これ以上遅めな時間帯も按配が好くない…

奈良から神戸への移動に関して、少々早く出て、1箇所だけ道草をすることにした。今般、「そう言えば利用したことが無かった?」とい経路を取り入れた。

JR奈良から出ている“区間快速”と称する列車に「宝塚行」というモノが在ることに気付いた。「奈良から?どういう経路だ?」と思った…

この列車は奈良から京都へ向かう経路で少し北上して木津に向かい、京都府の南寄りから大阪府に入って四条畷に至る。四条畷から先は大阪を西へ進む。大阪市内の京橋から暫く地下を通って、そのまま兵庫県の尼崎に至る。尼崎からは伊丹を経て宝塚へ経路が在る。

何やら面白いと思い、<青春18きっぷ>を使い、奈良から尼崎までこの列車に通して乗車した。1時間半程度を要する行程であった。

頻繁にこの奈良→木津→四条畷→京橋→尼崎というような「通し」のように列車を利用するという乗客は然程多くはないかもしれない。が、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県と「毎日のように複数の県境を越えながら、それなりの頻度で列車が運行」という状況が在る。他にもこういう、複数の県境を越えながらという運行系統の列車は、関西圏では色々と見受けられる…交通機関は「県境等は最初から半ば無視」で発展しているのかもしれない…「何処までも♪」とい程度に県境との縁が薄い地域に居るので、そんなことに酷く感心してみたりもする…

尼崎に至ってからは、バスで阪神の尼崎駅との間を往復し、尼崎城の建物を眺めていた…あれは新しく整備された公園という趣だった…

尼崎から先はJRの列車で三ノ宮駅に入り、神戸でも時間が中途半端なので、速やかにポートライナーで神戸空港へ移動した。空港の様子は?「普通…」と思えるような感じだった…そこそこに乗客は出ていたというように視えた…

飛行機の中で着席して…気付けば上空に在って「何処に?居るのだ??」とい感じだった。飛行機が離陸のために滑走路へ動き始めたような頃に、居眠りに陥ってしまったようだった…

新千歳空港に着いた後は、また<青春18きっぷ>を取り出して使い始めた…

新千歳空港→札幌→岩見沢→旭川と、午後3時前に新千歳空港駅で列車に乗ると、普通列車だけを乗り継いで、午後6時40分を前に旭川駅に居たることが出来る。旭川辺りまでの普通列車…本数が一寸少ない…

そういうことで旭川入りし、何となく馴染んだ宿の一つにとりあえず陣取った…

30℃超えが常態であった地域から、何となく25℃程度の場所へ…少々涼しい…明日には?更に涼しい辺りだ…振り返って整理すべき事柄は多々在るので、それらは追って、順次、随時とい感だ…

とりあえず…戻って「しまった」というような“感じ方”をしているかもしれない…

「休日」…:運行日誌(2020.08.07)

「何を…どうしたものか?」と、半ば途方に暮れるかのような境地で朝を迎えていた。苦笑いが洩れた…

客観的には「思い立って旅に出る」と称して、“避暑地”そのもののような地元を夏の盛りに飛び出してしまったという奇矯な行動の最中だ。「何を…どうしたものか?」と勝手に自問してみるが、「御随意に!」という以上でも以下でもない…

或いは…朝早くに「何を…どうしたものか?」と、何となく自問してしまうというのは、少し纏まった休暇の時間に、窓の景色の好さ故に気に入って何度も滞在して「別邸」とまで勝手に呼んでいる宿の居室で、「非常に満ち足りた気分」の中に在るということなのかもしれない。

マダマダ「訪ねてみたい…」は尽きないので、何処へなりとも訪ね歩くのも好いが…文字どおりに「“別邸”で寛ぐ」という感で、奈良で過ごすのも非常に好い…何れも好いので、いよいよ「何を…どうしたものか?」なのである。

こういうのは?「或る種の修行」というような営為で「至り着いた“境地”」とでも呼ぶべきモノなのか?そう思い、また別な苦笑が洩れる…

意味も無く、相当に古い歌の歌詞が頭の中を過るという場合が在るように思う…

「もしもあなたが♪一緒に居たら♪どんなに愉しい♪旅でしょう?♪」という歌詞が昨日辺りから頭の中を過っている。

或いは旅の時間を分かち合うような、素敵な同行者が在れば好いのかもしれないが…多分、私が1人で勝手にやっているような事は、他の誰にもやり悪いのかもしれないというようにも思う…

そう言えば「同行二人」という表現が在った…香川県に在った時に善通寺に至ったが、あそこで生まれたと伝わる弘法大師だが、仮令1人で歩いたにしても“お遍路さん”の心は常に弘法大師と共に在るというようなことが「同行二人」という表現の意図だったとうろ覚えながら記憶する。

不意に思い出した「同行二人」という表現だが、私は「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という句を拝借して表現したい、「訳もなく動いて、自身が生きている、生かされている喜びのようなモノを感じ、心弾まずには居られない」ということと、「訳もなく、無計画に動き回る…愚か者の所業かもしれないが、それが愚かな行為なら、自身は愚か者で大いに結構!」というようなことばかりを1人で想い続けている。

或いは、「見えることが無かった…」、「見えていて見過ごした…」、「見えていながら離れてしまった…」、「見えることなど在り得なかった…」という「同行者の幻影」のようなモノを勝手に追い掛け続けているのかもしれない…

様々な想いが渦巻いた朝…窓から望む気に入っている景色が「夏らしい!」という感の好天に包まれて行くのが判った中…「奈良でゆっくりする日」とすることに決めた…午前8時半頃から「ゆったり」とスタートだ…

結局…「若草山に(徒歩で!)上る」ということに挑戦し、途中で「無理は禁物…」ということにして…手向山八幡宮に寄って東大寺大仏殿周辺に至り、奈良女子大学の方向を徘徊し、「9年間だけ動いていた」という鉄道の記念碑を眺めて、適当にランチや珈琲を愉しんだということになった。本当に「この街に暮らしていて、ふと訪れた休日に何となく取る行動」というようなことに終始した…

今日は気温が35℃近くになっていたらしいが…歩き廻ってとんでもなく汗をかいたので、宿でゆっくりしながら、汗で汚れた衣類をコインランドリーで洗っていた…

その洗った衣類やら、何となく買い込んだモノ等を箱に詰め、稚内の拙宅へ発送しておいた…明日は?北上開始である…

振り返ると…今日は「歩いた」というだけで、列車やバス等には全く乗車しなかった…「稚内の拙宅に在る休日」と然程の差が無い…

敢えて求めた“夏”の中…:運行日誌(2020.08.06)

「過ぎる?」程度までに夏が冷涼な地域に住んでいて、毎年のように夏季に「敢えて時間を設けて随意に過ごす」ということも敢えてせずに居る中、今年は「夏らしい!」という感の時季に時間を設けて随意に過ごしている。

古くから「避暑」という言葉も在る。夏には「避暑」という過ごし方が想起されるのであろうが…夏が冷涼な地域に住んでいると、「時には“らしい!”という感じな夏の中で…」と考えてしまう。飽くまでも「時には…」ということではあると思う。随意に過ごして構わない状況下では「夏らしい!」も好いが、日頃の色々の最中では、何かと苛立って、序に暑さで体調でも崩してしまうかもしれない…

そんなことを思っているが、滞在し、訪問している各地は「梅雨明け」というようなことで好天傾向が続いているようで、思った程に湿度が高いのでもなく、「一寸気温は…」という感じで、「陽射し?!」と思う場合も在るが、一寸多めに水やコーヒーや茶を頂いて凌いでいる。そういうためもあってか、「傍目に酷く苦しんでいるように見えるかもしれない?」という程度に汗をかいてしまっている一面も在る…

今朝も…眼を開けた時、今日も天に月が輝いていた様子が視えていた…好天が継続している。結構なことだ!

気儘な時間に眠り、気儘な時間に起き出す。休暇中ならではの「自堕落…」というようではあるが、それでも平素の生活のような早朝に普通に起き出し、何に妨げられるのでもなく、随意に歩き廻っている。実に好い感じだ!

今朝も…午前7時半過ぎには何となく動き始めてしまっていた…JR奈良駅から京都駅へ向かう列車に乗った…

そうやって京都駅の手前の東福寺駅に至り、泉涌寺を訪ねてみた。

泉涌寺を訪ねた後、東福寺駅から歩いた道筋に在った案内地図を視て、「七条駅から歩いて10分程度と聞く智積院という場所…敢えて東福寺駅に引き返して列車に乗るまでもなく、何となく歩いて着いてしまいそうな?」と思った。そして…歩いて智積院に向かって、着いてしまった…

こういう具合に、思い付いてドンドン歩いてしまう性分ではあるのだが…途中で休み、休み―コンビニで珈琲や他の飲物を求めて、辺りに佇んで、それらを飲みながら一息というようなこと…―というのを平素以上に行いながらの行動にしても「消耗感…」がやや大きいことを否定し悪い感だった…

<HRC Kyoto>でランチを愉しんで、少しばかり買物をしてしまったというのを挟み、京都に在って泉涌寺、智積院、仁和寺、勧修寺と訪ねた。そして奈良へ引揚げた…

本当に「別邸に在って、近隣で動いている」という具合かも知れない…「奈良に滞在している中、1日を京都で…」という「やや少数派らしい?」ことをやってしまっている…

思い付く「訪ねてみたい」は多々在る。それらを訪ねて再訪してみたくなる場合も少なくない。並行して、新たに思い付く「訪ねてみたい」が際限無く増える。終いに「収拾困難」となってしまっている…

今般、「名前を聞いていても、実は立寄っていない…或いは立寄っていないかもしれない…」という場所に注目し、何となく訪ねている。「凄く面白かった!」と「もう少し…あそこにも寄りたかった…」とが同居する状態だ。今般は「過ぎる“消耗”」を避けようとしている側面も在るかもしれないが…

何れにしても、その京都での見聞に関しても、順次、随時に整理はしてみたい…

明日は?明日の朝にでも考えてみれば好い…

エネルギーを使った…:運行日誌(2020.08.05)

普段、拙宅の居室に在るような時と似たような時間帯に「何時でも御休み頂いて差し支え無し」という状況で寛ぎ始めているのだが…普段の何倍もエネルギーを使ったという実感が在る…

前日は早めに休み、深夜に起き出して、暫く経って休むという「睡眠ダブルヘッダー」と―妙な造語だ…―いう状態で朝を迎えた。

勝手に「関西の別邸」と呼ぶ、窓からの眺めが気に入った宿の居室では、「一般的には十分に早起き」な5時頃の、天空に未だ月が輝いて視えるような光景を些か愉しんでいた。

7月30日に朝5時台に出る列車に乗って以来、連日のように何となく早くから動いている…

7月31日の姫路発は6時30分…8月1日の高松発は7時5分…8月2日の高知発は8時1分…8月3日は7時23分の列車に乗ろうと6時台に路面電車で出た…8月4日は8時のバスに乗ろうと7時台に路面電車に…

7月30日の例は多少極端かも知れないが、大都市圏で通勤通学に少々時間を要する状況であれば、連日のようにこういうような時間帯に動くのは普通なのであろう…が、私が住む街の状況下では「微妙に変?」な感じかもしれない…私自身、早朝に「極々短い散策」と称して動き回る場合等は在るが、平日は朝8時20分や8時半から動いているような状態なのだから…

そんなことを思い始めた朝だった…

そういうようには思い、居室の居心地も好いのだが、それでも…午前8時前には、好天に誘われるように戸外へ出た…

今日、密かに「最大の功労者」であったのは、「近鉄の1日乗車券」であった。これは大阪府、京都府、奈良縣の区域に敷設されている近鉄の路線で、近鉄が設定している「別途の特急指定料金」が求められる以外の列車について、指定の利用日の朝から夜まで随意に乗降可能なモノなのだ!それが「千円」だ。しかし「必ず利用前日までに求める」というルールなので、昨夕に思い付いて入手しておいたのだった…

これを駆使して…生駒山の宝山寺、長谷寺、西大寺を巡り、一息入れて夕刻には東大阪市役所展望ロビーも訪ねた…それから近鉄奈良駅から三条通を経て宿との間を往来するような場面で猿沢池辺りを散策するなどした…

↓乗車状況は下記のとおりだ。今日は近鉄以外の列車には乗っていない…

近鉄奈良→生駒
鳥居前→宝山寺(※生駒山のケーブルカー)
宝山寺→鳥居前(※生駒山のケーブルカー)
生駒→鶴橋
鶴橋→長谷寺
長谷寺→大和八木
大和八木→大和西大寺
大和西大寺→近鉄奈良
近鉄奈良→生駒
生駒→荒本町
荒本町→生駒
生駒→近鉄奈良

こういうように、多少精力的に動いた感ではあるが…それでも「陽射しがやや強く、30℃を超えていたらしい」という中では「無理はせず…」という範囲を心掛けたのだったが…

今般は「聞いたことが在る他方で、余り馴染んでいない…」という場所に寄ることに主眼を置いたかもしれない。訪ねた先での見聞等は、何れ写真と合わせて整理しておきたいものだ…

明日は?「明日には明日の風が吹く」ということにしておこう…

長駆移動…:運行日誌(2020.08.04)

暗くなり切ってしまう少し前から「何時でも御休み頂いて構いません…」という状態で寛いでいる…

早朝、松山の宿の居室で不意に思い出していた。本当に不意に思い出したのだが、別段に重要な事でも何でもない…

学生の頃、御厄介になった教授陣の中の一方が何かの折りに仰っていた。「例えばモスクワへ飛ぶというような、長い時間の乗物移動の前夜は、乗物の中で眠れば好いので、徹夜で何かをしても差支えは無い」とである。

長い時間の乗物による移動は、体調を整えた方が好いのかもしれないが、結局「黙って座っているばかり」で、体力を消耗するという程でもなく、智慧を巡らせる余地が在るのでもない。私は移動の乗物の車窓を眺めるのが「愉しい!」と感じる方ではあるが、近年は移動の乗物の席で眠ってしまう場合も少なくはない。何も「教授の薫陶」ということでもないが…

そういうことを思い出したのは、「長駆移動…」という前夜、日中に歩き廻っていた関係で早めに眠気が射し、早めに休んで「寧ろ深夜」に眼を開けて、また眠るということがし悪くなってしまい、「何となく起きていた」という時間が長かったからだ。「徹夜で何かして」ということでもないが、「(結果として)余り眠っていないかもしれない」という夜を過ごしていた形になってしまった。そういう中で「移動の乗物で居眠りでも全く問題は無い…」と不意に思い出したのだ。

振り返ると…前日は「松山→今治→大三島→今治→松山」…前々日は「高知→多度津→松山」…その前は「姫路→岡山→坂出→善通寺→丸亀→高松」というように動いていた。姫路に至った日の、稚内からの移動は「新千歳→神戸」の空路が含まれるので「例外?」かもしれないが、連日のようにそこそこに動いている。

こういう中なので「松山→神戸」の高速バスは「長駆移動…」という感になるように思う…

何となく聞き及ぶ範囲では、列車も空路も海路も在るが、「四国・関西間を移動」ということでは、高速バスも「手っ取り早く、相対的に安価」ということになっているらしい。こういうことは「とりあえず経験」と思ってしまう…

実際、「そう言えばそんなモノも在るのか?」とJR松山駅の辺りで気付き、入手した「松山→神戸」の高速バスの券は「当たり前の価格」で6500円だった…JRグループのバス会社が運行しているようだ。(他のバス会社も携わっていると思うが…)

朝の松山で、少し馴染んだ路面電車に乗ってJR松山駅へ向かった。少しだけゆとりを持って出て、バスが現れるのを待っていた…乗車した朝の便は…空いていた…最初に、間違って券を求めた昼の便はやや混んでいるようにも視えたのだが…朝の便は、最初は私1人が乗客という状態だった…

松山市内を、何やら「自転車通学」の生徒諸君が走っている様子やら、信号待ちで並んだトラックに豚や牛が積まれている様子も眺めながら進んで、「松山南警察署」というモノの近くから高速道路に入った。以降、高速道路は内陸に築かれているようで、バスは内陸の道を進み続けた…

やがて「池田」とか「三好」とか「美馬」というような地名の看板が見え始めた。高松から徳島を経て高知へ向かった時に列車で通っている徳島県の内陸部、嘗ては吉野川の舟運が盛んであったという地方に入った。徳島県内まで、何箇所かの停留所に停車して乗客を乗せようとした。乗った停留所も在ったが、誰も乗らずに実質通過という場所も目立った…

やがて鳴門市内の道を進み、淡路島に入り込んで、淡路島を北上し続けると見覚えも在る<明石海峡大橋>だ…橋の神戸市側、舞子で下車する乗客は無かったので、そのまま三ノ宮駅にバスは向かった。そこで私は下車した。他の乗客はそのまま乗り続けて大阪駅へ向かった…

概ね4時間半強という行程だった。「オンタイム」だ…渋滞のような状況で遅延は発生しなかったが、出発した時に録音のアナウンスで「遅れた場合の払い戻しは無い」という旨を言及していたので、時には「何やら酷く時間が…」ということもあるのであろう。が、それは寧ろ例外なのだと感じた。存外に快適な車内で、妥当な速さで安価と言い得る運行だと感じた…この「関西・四国間のバス」というのは記憶に留めたい感だ…

これで…瀬戸内海の巨大な架橋群に関して、岡山県・香川県間の橋と、徳島県・兵庫県間の橋は渡った…愛媛県・広島県間は…愛媛県側を「途中まで」ということだ…

神戸の三ノ宮駅周辺は、何となく親しんでいる。立寄ったことも在る店で、強めな光線を避けるべく半分メッシュになった夏季向けのキャップを求め―拙宅から持参しようとして、何となく持たず終いだったが、四国で強い陽射しを浴び続け、「これは帽子でも…」と思ったのだ…―てから、「一寸腹ごしらえ…」と<神戸牛>のステーキを少々頂いた…

そして神戸では須磨寺を訪ねてみた…強烈な陽射しを受けながら見学した感だった…更に大阪へ移動して1つだけ細かい買物―愛用中のパソコンに溢れる写真データを保管するためのモノ…―をして、奈良へ移動した…

大阪から移動し、奈良に至った…四国に在って色々と考えた。“帰国”は神戸空港からなのだが、その前に…何処へでも向かうことは出来たと思うが、何となく少し馴染んだ関西で過ごしたくなって来た。で、“別宅”と勝手に呼んでいる奈良の宿に陣取るという段取りにした訳だ…そして窓からの「非常に気に入っている景色」を時々眺めながら寛いでいる…

「松山→神戸」の高速バスの中では、多少は居眠りをした気がするが、「松山の知らなかった箇所」や「四国の山河」や「淡路島の知らない部分」という様子の車窓が興味深く、寧ろ確り起きていた時間が多かったような気がしている。前夜からの流れで然程寝ていないかもしれない中、須磨寺を訪ねた際の陽射しで多少消耗した…「何れ必要となる…」と大阪駅の傍で一つだけ買物をし、後は押さえた奈良の宿へスムースに向かったのだった…

それにしても…好天が続いていて、何となく好い感じの時間が流れている…

結局、早朝から動く?:運行日誌(2020.08.03)

何か…「充実した!」という感で、些かの眠気も禁じ得ないような感の中、居室で1日を振り返る…

前日は、日中の暑さに消耗した感で、暗くなり切る前には既に宿の居室でゆったりと寛いでいた…少し早くから居室内の照明を全て灯したままに、然程のこともせずに眠りに陥った…何やら深夜帯に起き出した…暫くそのまま起きていた…

今般、「旅の前半」は“四国”との「鮮烈な出会い」が叶った感だった。松山の宿を出た後は“帰国”までの間に「旅の後半」ということになる。何をするのか、細々したことは事前に特段に決めておく程のこともない。「極々大まかな段取り」を一寸だけ考えておけば、それで差支えは無い…

そんなことをしていて、やがて照明を落として少々休んだ…そして、眠っては眼を開けるということを繰り返した…

どうしても何かを早朝からしなければならない必然性も無かったのだが…朝6時台から動き始めた…

JR松山駅へ向かい、列車で今治に出て、バスに乗って大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)を訪ねた。<しまなみ海道>というモノを初めて経験した。“ETC”というゲートが設えられている有料の自動車専用道路と、一般的な道路とを何度も出入りし、芸予諸島の島々が橋で結ばれて「海上の道路」の様相を呈している訳だ…この<しまなみ海道>を進めば、今治から広島県の尾道まで至ることが出来るということだ…

大山祇神社では、奉納を受けた様々なモノを展示しているという宝物殿は“事情”で休館だった…が、独特な雰囲気の神社と、<しまなみ海道>というモノを経験出来たことが好かった…

やがて今治に引揚げ、海に浮かぶような今治城を眺めるというようなことをして松山に引揚げた…

松山では…連日、酷い汗をかいて汚れてしまったワークパンツを選択した。替えのズボン等は用意していなかった…そこで、今治で<ユニクロ>に出くわしたのを幸いに、宿の館内等で着用するショートパンツを求めた。宿でそれに穿き替え、ワークパンツやTシャツ等を洗った…

洗濯を終え、また普段のワークパンツに、未だ来ていなかった持参のTシャツという服装で、モノは極力持たずに道後温泉を訪ねた。

非常に有名な<本館>は工事中だ。入浴も可能とはいうが…敢えて入らずに観られる建物外観を愉しみ、別な施設で名湯を愉しんだ次第だ…

宿へ引揚げる道すがらに食事…松山の郊外、三津浜で起こって受継がれ、「松山のソウルフード」と言われる場合も在るという<三津浜焼き>を頂いた。広島辺りの影響を多少は受けているのかもしれないが、独自に発展して受継がれている、当地流の“お好み焼き”のようなモノだ…

「そうしなければならない理由」等、何処にも無いのに、早起きして活動していた…「そうしなくても構わない理由」は在る。「休み」なのだから…それでも早起きして活動だ…振り返ると、今般の行動を起こした7月30日以降、連日のように早朝から動き回っている感だ…

今日はやや雲が多めであったかもしれないが、それでも陽射しは強めで気温は低くはなかった…何か半袖Tシャツを着ていて外に出ている腕と、そして顔が酷く日に焼けている…「こんなに日焼けしたのは何時以来か?」と思ってしまう程度だ…

そのうち…見聞に関して、方々での写真に関して整理をしてみたいが…今宵は「とりあえず充実!」と振り返っておくに留める…

些か…:運行日誌(2020.08.02)

松山の宿に在る…今日と明日と、連泊することにした…

連日、「夏らしい!」という感の中で日中に精力的に動き回っている感だ。「酷く眠い…」で寝入って深く眠り、スッキリと起き出すという展開が続いている感である。

無理や無茶という程度でもなく、気が済むように、普通に歩き廻っているような日中の様子が、或いは非常に健全なのかもしれない。

そんなことを想いながら高知の宿で朝を迎えた…

宿は朝食が出るプランになっていた。(無しにしてしまうことも多い。或いは朝食提供の時間帯以前に出てしまう場合も少なくない…)更に、普段も「そう言えば食事という程のモノも…」という朝も少なくないように思うが、今回は朝食を確りと美味しく頂いた。

よく在る「朝食バイキング」ではなく、弁当を配布する方式になっていた。昨今の“事情”というようなことだ。館内会場のテーブルで頂くということも出来たが、居室に持ち帰ってというのも「在り」となっている。居室に持ち帰る場合、保存期限の関係で持ち出さないようにと念を押される。私に関しては「御懸念無用!!」である…居室に持ち帰って、素早く平らげてしまった…何かの催事等で「関係者食事の弁当」というモノが登場する場合が在るが、そういうイメージのモノであった…

朝食を摂りながら、或いはその前後に「本日の動向」を考えていた。

稚内を発って姫路に至って1泊、四国へ渡って高松で1泊、徳島県を経て高知に至って1泊である。そろそろ、何処かに2泊程度しながら辺りで動き回るか、天候次第では何となくゆったりするかという展開も恋しい。

同時に気付いた…既に香川県、徳島県、高知県に足跡を記した。残るは愛媛県で、「四国の4県に立寄る」ということを達成出来てしまう…全く「だから?」という話しだが…

ということで<四国満喫きっぷスペシャル>を手に高知駅へ向かい、松山駅へ…愛媛県へ向かうことにした。そして松山に2泊する段取りとした…

高知駅からは、前日に阿波池田駅からやって来た道筋を引揚げ、更に進んで善通寺駅を経て多度津駅に至り、そこで瀬戸内海に面して東西に延びる路線を行き交う列車に乗って西へ進めば松山駅に至る訳だ。太平洋岸を進んで、少し北上して宇和島駅を目指すようなことで愛媛県に入るということも出来たかもしれないが…列車本数がやや少ない感で、瀬戸内海側へ出てしまって松山を目指すのが速くて楽なように思えたのだ…

高知で乗車した列車は<あかいアンパンマン列車>という、最近登場した特急列車用ディーゼルカーにラッピングを施したモノだった。各所で親子連れがこれを視に駅へ来ている様子、短い区間で親子で乗車している様子まで見受けられた。大人気で驚いた…

多度津でその<あかいアンパンマン列車>を下り、乗換えた「松山行」は、「岡山を発つ列車」と「高松を発つ列車」とを宇多津で連結するという8輛編成の代物で、外観も内装も好い新しい車輛だった。

そうやって松山に至り着き、路面電車の1日乗車券を直ぐに入手した。文字どおりの「1日有効」の他に「2日有効」も在ったので、そちらを入手して使うことにした…

昼頃の暑い盛りに松山に入った…路面電車と徒歩、加えてリフトとロープウェーとで…<ロシア兵墓地>―サッカーのロシア代表のレプリカユニフォーム着用で…「私が行かなければ誰が行く?!」と意気込んで、松山大学に程近い辺りで酷い汗をかきながら歩いたのだった…―と松山城―天守閣の中の見学は終わる直前だったので、あの城の山に上って散策を愉しんだ…―とを訪ねた。他は?酷く汗もかき、何となく消耗したので、宿でゆっくりと過ごすことにした。日中は多分、30℃を超えていたと思う…こういう状態?経験したのは「何年振り??」という状況だ…

明日は?現在は余り考えられない…松山市内で色々と動くことも出来れば、愛媛県内等を動くことも出来る。「使える乗車券」が確りと確保されている訳だ…明朝の気分次第であろう…

後は…酷く眠くなってしまう時点で、遠慮会釈なく休む…或いは「非常に健全な日々」を過ごしているかもしれない…

汗をかいた…:運行日誌(2020.08.01)

初めて足を踏み入れた地…高知に在る…

居酒屋で「高知らしい…」というようなモノを少々摘み、後は休むばかりである…

「眠たくなれば眠り…眼が開けば動き回り…草臥れれば動かない…」という程度なのが「所詮は“生物”」である人間の在り方のようにも思うのだが…こういうのを寧ろ「気儘な時間の過ごし方」とでも言うのかもしれない。が、「気儘な時間の過ごし方」というモノは「活き活きとしている」という自覚をもたらしてくれるのかもしれない。

前日は、振り返ると「酷く汗もかいた…」という程度に動き回っていて、善通寺、丸亀、高松で各々の文物に触れて愉しく過ごした。

「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という種田山頭火の句が在るという。何時もこれを、殊に旅路では思い出してしまう。本来、この句は「何も残されていない救いようもない私がひたすら歩いている」という程度の意味で、「歩く以外に生きる術もない」と旅を続けた作者の想いが謳われた作品であるようだが…私が「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という句を思い浮かべる際には、敢えて言うと「訳もなく動いて、自身が生きている、生かされている喜びのようなモノを感じ、心弾まずには居られない」ということと、「訳もなく、無計画に動き回る…愚か者の所業かもしれないが、それが愚かな行為なら、自身は愚か者で大いに結構!」というようなことを考えるのだ。

ストイックに<青春18きっぷ>に拘るのでもないが…行程の多くは<青春18きっぷ>に頼りながら稚内から高松に至った。(冷静に考えると、新千歳・神戸のフライトが「最大の移動距離」かも知れないが…搭乗している“時間”は2時間なので知れている…)各々の地域の“日常”に紛れ込みながら、「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という気分で「辺りの普通な列車」に何となく揺られて方々を訪ねるのは心地好い…

そういう「心地好い」の他方、近年の鉄道は「主要都市間を結ぶ特急列車」に軸足が置かれている感である地域も見受けられ、<青春18きっぷ>の「普通列車のみ随意に乗降可能」というルールでは「やや…使い悪い?」も生じ得る。「普通列車の合間に、少し遠くへ向かう特急列車が運行」というのでもなく、「主要都市間の特急列車が運行されている隙間に普通列車が一寸動いている」というのが眼に留まる例が…増えているかもしれない?

「夏らしい!」という陽光の下に、様々な文物を擁する地域が連なる四国なのだが…高松に比較的近い辺りを除くと、「主要都市間を結ぶ特急列車」に軸足が置かれている感なのかもしれない。そう思っていれば…<四国満喫きっぷスペシャル>というモノに出くわした!

JR四国では、特急列車(自由席)や普通列車に「3日間随意に乗降可能」という切符を売っている。それと同じ内容だが、この7月から9月の期間、「週末が入る3日間」に関して、「3日間随意に乗降可能」という切符が8千円で売られているのだ!前日に高松駅でこれを確り入手しておいた…

この<四国満喫きっぷスペシャル>を手に高松駅へ向かう。汗をかきやすい状況…こういうことであれば、サッカーのロシア代表チームの関係者が身体を動かす場面で使う仕様であるという、ユジノサハリンスクで仕入れた、青系にロシアチームの<双頭の鷲>が胸に入った、「汗でも乾き易い」という化繊のTシャツが重宝する。それを着て出発だ…

朝7時5分には列車に乗り、高松から徳島へ向かった。徳島には朝8時14分に着いてしまった…辺りを少しばかり散策したが、朝早過ぎて「何となく動いていない…」という感の徳島で、やや興が乗らない…

そういう次第で朝9時には列車で移動…今度は穴吹駅に向かい、徳島県の内陸部、美馬市の脇町を訪ねた。往路は駅前からタクシー、復路は<美馬市営バス>と称するマイクロバスで駅とそことの間を往来である…

吉野川は古くは舟運に活用されたが、脇町は藍の商いと関連の舟運で栄えた経過が在る地域で、“うだつ”というモノを備えた立派な古い建物が集まっている地区だ。

そこから…阿波池田駅へ列車で移動し、乗換えて高知に至った…高知では路面電車を利用し、高知城を眺めに出た。高知城は天守閣の一部が工事中で「美しくない…」という感で残念だったが、古い姿をよく伝える、なかなかに興味深い場所であった…

<四国満喫きっぷスペシャル>は特急列車の自由席に乗車可能だが…高松・徳島間、徳島・穴吹間、穴吹・阿波池田間、阿波池田・高知間の、「本日の乗車区間」の全てが特急列車の自由席という結果になった。が、「特急が多数派、或いは多数派に視えた区間」であった訳だ…

好天に恵まれ、気温は30℃を超えていた…酷く汗はかいてしまった…とりあえず、2018年のW杯サッカーのロシア代表チームのレプリカユニフォームに着替えた…これもまた「汗でも乾き易い」という化繊のTシャツということになる。

「汗をかいた」とは、「努力をした」とか「仕事をした」という意味合いで用いる場合が在る表現だが…今日は、黙っていて物理的に汗をかいてしまった…暑かったのだ…

明日?仔細は明朝に考えることにしたい…

夏の輝きの中へ…:運行日誌(2020.07.31)

何処に在ろうと、寛いだ状態で居られる場所にコンビニのマシーンで淹れるカップの珈琲を持ち込んで、それを啜りながら長閑に時間を過ごせば…選んで気に入った豆を挽いて、気が済むように淹れるのとは些かは違うにしても、かなり寛いだ感じになれるものだ…

そういう状況で…目下、高松の宿に在る…駅から近い辺りに、なかなか悪くない宿が見付かった…

近所の店に出て、香川県特産の“オリーブ”を与えて肥育したという豚肉を焼いたモノを肴に、琴平町で醸したという本醸造の清酒を一寸だけ頂き、後は「何時なりと御休み頂いて結構です…」という態勢だ…

早朝から動いた形だが…思った以上に「夏らしい!!」という状況になったことから、何となく早めに宿に至って一息入れ、夕刻に一寸だけ食事を摂りに出て、また居室に戻った訳だ…

前日は?「身体を動かした」とも言い悪い、ずうっと乗物に乗っていた状況…それでも多少の疲労は否定し悪かったかもしれない…他方で気持ちは昂っている。

こういう状態で、長くは眠っていられなかった感だが、多分深く眠ったと思う。日付が変わってしまった後、普段より遅めな時間帯に就寝したのだった。「バタン…」というように、何も考えずに、何もせずに寝入ってしまっていた。が…暗い間に眼が開いた…

そういうことを思っていた間に、窓の外は何時の間にか少し明るくなっていた…拙宅に在るのであれば「珈琲でも淹れようか…」と思い付く場合も在るような午前5時台である。

悠然と身支度を整え、午前6時台から動き始めた…長袖Tシャツ(ロシアの空挺部隊仕様)はリュックサックに…持参の半袖Tシャツ(正面に「ASAHIKAWA CITY」というロゴが入ったグレーのモノ)に替えた…

今日は<青春18きっぷ>を使った…

姫路では岡山行の列車に乗車した…昨日の“評定”の結果は「西へ向かい、四国へ…」で決着した。そして“出陣”という次第だ。

時間を設けて気儘に過ごそうと他地域に乗り込む場合…大別すれば「未踏な地域を含めて積極的に動く」か、「在程度馴染んだつもりの場所に“別宅”的な拠点を設定して、辺りで随意に過ごす」かということになるような気がしている。今般は?“折衷案”的なことが出来てしまう程度に時間を設けることが叶った。前半は「未踏な地域を含めて積極的に動く」と四国上陸を目論んだのである…

姫路から岡山の列車は、高校生の通学時間帯に被った。通常は夏季休暇中であるような時季であると思うのだが?今年は“事情”というものだ…車窓に住宅街が視えた時、ランドセルを背負った小学生の一団も見掛けたが、彼らも小学校へ向かっていたのであろう。兵庫県の西側を進んだが、兵庫県側で乗車し、岡山県側で下車するという高校生が存外に見受けられた。そんな様子を視ている間に、何やら岡山を中心とした通勤・通学圏を通った様子で、何となく車内は混み合った…

そして岡山に至れば、瀬戸大橋を走る快速列車に乗り込んだ。瀬戸大橋を越えて坂出に至り、善通寺へ向かった…

善通寺…かの乃木希典将軍が初代師団長を務めた部隊が在って、御自身も住んでいたという縁が在ることで<乃木神社>が在るのだが…それはそれとして、善通寺と言えば、かの弘法大師こと空海が生まれた辺りに開かれたという寺がよく知られている…

その善通寺へ向かう際の車窓で気になった丸亀城を視に寄り道をし、高松に至ってからは栗林公園を訪ねてみた。

方々の様子は、何れ写真や記事を整理することとしたいが…日中は好天で30℃を少し超え、何やら暑い感じだった…積極的に水分補給もしながら過ごしていた。ホット、アイスを問わずにブラックコーヒーを頂くか、水や何も入らない炭酸水を頂いていた…そしてべったりと汗もかいた…多少の消耗は否定し悪いと思った。

そういう次第だったので、宿で寛いで体力を温存しようともしたのだ…

いきなり「夏らしい!」を満喫することになった…他方、四国に関しては「なかなかに魅力的ではないか!!」と思い始めている。そして、未だ「実質的な初めて」を始めたばかりであるのに、「暑さで消耗する心配が薄い時季を選んで再訪?」と早速に考えていたりする…

余り細々としたことを決めはしないが…明日からも四国で暫く過ごそうと思っている…確か?少し前に「梅雨明け」ということであった筈だ…何か「なかなかに好い時季」に乗り込むことが叶った形で、何となく気持ちが弾んでいる。

早朝から夜まで…:運行日誌(2020.07.30)

「東へ向かえば大阪…京を伺い、大和や紀伊への道も開けるというもの…」

「丹波、但馬へ押し出すことも叶う…但馬へ至れば丹後への道も視える…更に但馬から進めば因幡…因幡に至れば伯耆、出雲への道も…」

「西へ向かえば備中は然程遠くもない…備中に至れば備後、安芸への道も開ける…更に眼前の瀬戸内の海を越えれば讃岐や伊予が…」

「ここに至れば、敢えて動くまでもなく…如何様にも…」

こういうような“評定”が頭の中で際限無く、何度も繰り返されている…何時までも結論が出ない評定…巷間「小田原評定」と言っているようだが、小田原に在るのではない…

近年、「何となく出掛ける…」という場合に新千歳・神戸のフライトを利用することを何となく好んでいる。神戸の交通結節点である三宮との間が、<ポートライナー>で20分弱というのが非常に好ましく、「時間を設けたので何処かへ…」という場合には、「とりあえず“あのフライト”の空き具合?料金?」ということにしてしまう。

その神戸空港へのフライトを利用して神戸に上陸した後…姫路に至って、姫路駅の直ぐ傍に宿を求めた…

実に長い道程だった…

ほんの少し残った<しゃちブレンド>に、少し<サードウェーブテイスト>を加えた状態で豆を挽き、「1回だけの“有り合わせ”なブレンド」ということにして、俄かに気に入っているマグカップ1杯分の珈琲を用意して啜る。実質的に、起き出して最初にやったことだ。

「朝早くに出発」という予定を遂行する上で、「日出を待つような頃」に何となく起き出している訳である。ゆったりと出発の準備を整える。

時季は問わず、他地域へ向かうとなれば「何を着て?」と少々考えてしまうのが「当地の様子」の変な特徴―年中“冷涼”な当地の様子に合わせた服装で他地域に向かうと、季節を問わずに「暑い?」ということになり、やや困るのだ…―だが…今般はロシアの空挺部隊の兵士が使う仕様の長袖Tシャツ―水兵仕様と同様で、ラインの色が少し違うという代物―を着て、少し前に出掛けた際に着用して按配が好かった、国産帆布のワークパンツというようなことにした。

結局「長袖Tシャツにワークパンツ」という程度の服装は、稚内での早朝には多少肌寒い場合も在ろうが、北海道内の他所やその他国内の何処であっても違和感の無い感じだと思った。そして、然程大きくもないリュックサックと、カメラ等を入れて持ち歩くための鞄を抱えて出る…

20℃程度で空気が多少湿った感がした稚内だった。前途の安全を期し、焼酎を一杯…そして稚内駅へ…

手にしているのは<青春18きっぷ>である。それを駆使して、比較的好天であった中を名寄へゆっくりと向かった…

名寄では…<青春18きっぷ>を利用可能な列車を待ったのでは動き悪くなってしまうので、別途で乗車券と自由席の特急券を求めて旭川駅へ向かった…

旭川駅から先は、<青春18きっぷ>を使って、旭川・滝川、滝川・岩見沢、岩見沢・札幌と乗り継いだ…

札幌駅辺りで、時々寄る店に立寄ってランチ…と言うより、「兼朝食」になってしまっていた食事を摂り、直ぐに新千歳空港へ移動した…

新千歳・神戸のフライトは順調で、窓側に陣取ったので景色もなかなかに好かった…

神戸空港・三宮間は<ポートライナー>で動き、直ちに<青春18きっぷ>でJRを利用…三ノ宮・舞子間の移動…舞子では明石海峡大橋の様子を少々眺めた…

舞子・西明石と移動し、西明石以西は“新快速”で姫路ということになるが…「信号トラブル」の影響を引き摺っているということで、“新快速”は少し目立つ遅れ方をしてしまった。それでも…姫路には至った…

早朝5時台の列車に乗るべく出発して以降、姫路駅に着いて宿に至った午後9時前に至るまで…「動きっぱなし」というのか、乗物に乗っている、乗物の待ち時間ばかりだ…やや遅めな昼の食事時間、舞子で明石海峡大橋を眺めたという時間以外は…偶々「ロシアの空挺部隊」の仕様の長袖Tシャツも着ていたが、「長駆し、降下上陸作戦断行」という様相の行動であった1日だった…

宿の目の前にコンビニ…そこで日本酒の“一口瓶”とサンドイッチを求め、宿の居室で頂いた…もう…「何時休んで頂いても結構…」という態勢だ…

頭の中の“評定”の結論は?急いで決めるまでもない…

前夜…(2020.07.29)

日中の気温が20℃を少し超えたらしい…そんな「夏」という季節の最中である…

毎度のように、「夏」という季節には「とりあえず…長閑に過ごす時間でも設けて…」ということには、何となくなり悪い状況が在った。今季に関しては?何か「差し迫った…」という程のことが在るのでもない。

そういうように思うと、何か「長閑に過ごす時間」というようなモノを渇望するようになってしまう。日々、そういうような思いが募る中…とりあえず「時間」を設けてしまった。

本当に「長閑に過ごす時間」というようなモノを敢えて設けるのは、年に何回かの「限られた機会」ということになるであろう。が、所用を足さねばならないような場面で、僅かな時間が見出せるのであれば、私は殆ど迷わずに、馴染んだ場所や、馴染んだようでそうでもないかもしれない場所でフラフラと動き回って、気が向けば写真でも撮りながら、色々と見聞して喜んでいたりする。妙な性分だ…

敢えて「長閑に過ごす時間」というようなモノを設けるということは?朝から夜まで、任意の時間に気が向くように、気が済むように動き回って、色々と見聞して喜んでいるか、期待外れな状況に出くわしたことを多少嘆いてみるかということをしていれば、それで好いということになる。好き勝手に時間を過ごしていれば好いのだ…

想い起せば…昨年の今頃には、8月中にやや時間を要する所用が生じていたことで、何となく気忙しくしていた。一昨年やその前は「何やら取り込んでいて…」という状態だった…それらの状況下ではあっても、その状況下なりに、僅かな間隙で好き勝手なことはしていたとは思うのだが…それでも「夏らしい!!」という雰囲気の中で何となく過ごすというようなことを「何となくしない…出来ていない…」という状態が延々と続いていたかもしれないと思っている。

「夏らしい!!」という雰囲気の中で何となく過ごすというようなことを「何となくしない…出来ていない…」というようには思っている。では、「夏らしい!!」とは何か?ハッキリ言おう!それが「判らない…」とか「理解出来ない…」という程度に、「一般的に“夏休み”というムードな時季に、何となく休んで随意に過ごした」という行動と縁薄いままに年月を過ごして来たのだ…

兎に角も「長閑に過ごす時間」というようなモノを設けるに至った…何をどうしたものか?とりあえず“準備”ということになろうが…何をどのようにすべきか?「長閑に過ごす時間」というようなモノを設けるに至ったことを「祝して!!」と盃を傾け、何やらどうでも構わないという感じになってしまっている…こういう時は、早く休むに限る…

とにかくも「長閑に過ごす時間」というようなモノの前夜である…何か晴れ晴れとした気分だ!

運行日誌(2020.03.28-04.04)追記:帰着後雑感…

過ぎる程に静かな居室で<しゃちブレンド>を淹れる。芳香が辺りに立ち込める中、バランスが好いと思える味を愉しむ。「普段の月曜日の朝」が戻ったという感である。「善かった」とすべきか?「行ったきりなら幸せになるがいい♪」と、何処かに留まって、そのまま戻らないという選択も在ったか?少し時間を設けて、気分転換をして戻ると、時々思うことではある。が、今般は何やら世の中が「事情」でゴチャゴチャした感じになっているような中なので、普通に戻って「善かった」ということにしておくべきであろう。

「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということがしてみたくなり、実際にそれをやってしまった…

「あなたの街へ…この駅から…北の始発駅!稚内駅!」と勝手に呼んでいる駅を発ち、新千歳空港を“玄関”に本州方面を一寸往復しようと思い付いた。往路は成田空港に入り、復路は神戸空港を発った。

往路を成田で、復路を神戸としたのは、成田・神戸の間をゆっくりと進み、様々な文物に触れながら動きたかったからだった。実際には少し感じが変わった…

成田上陸とした理由でもあったが、香取神宮や佐原に出会って満足した。が、当日は冷たい雨に濡れ続けて、上着やキャップは「そのまま拭き掃除に使える?」と見受けられる「絞った雑巾のよう…」に湿り切った状態となり、身体が冷えて来た感じで多少弱った…終いに手が悴んで、ポケットのモノを出し入れする場面で苦戦するようになった。千葉県内辺りでそんな目に遭うとは思っていなかった…

東京駅へ向けて移動し、東京都内を少し視て、西へ向けて少し動こうとしたが…雨は真昼間から雪へと変わっていた…東京駅で一息入れた後…新幹線の列車で直ぐに京都へ移動してしまった。

以降、京都泊と奈良泊ということにして、関西圏でのんびりとしていた…出ていた期間中、雨に降られて動き悪かったのは、3月29日と4月1日だけだった。他は普通に曇天や晴天であった。それは好かった。

最近は「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所に至って、そのまま帰還が叶わなくなったとしても、「然程の悔恨も感じないのではないか?」と思っていた。最近は、そういう気分が少々強まっている感もしていた。実際に出掛けて戻ってみて、そういう気分は大きくは変わっていない。が、「事情」というモノで、何か世の中の様子が変わったという感はした。

新千歳空港を発着する航空便だが、これはよく視ると「減便」という措置が既に取られている様子だ。往路の成田行は「空席の方が少ない」という程度に座席が埋まっていた。復路の神戸発は「やや空席は目立つ」という程度だった。

東京・京都の新幹線の列車に関しては、「常時、それなりに混んでいる?」という感であるあの路線を承知しているので、「少々目立って空いている」というような、車輛の半分弱の座席が空いていたように見える状態だった。

各地―千葉県内と千葉・東京間。京都周辺。奈良周辺。大阪市内と大阪・奈良間。その他、若干…―のJR、私鉄は「座席が埋まる程度の乗車」とか「若干、立席が見受けられる」という程度で、「大都市特有な混雑」には出くわさなかった。尤も、混み合いそうな時間帯に動いていなかったとか、混み合いそうな朝早くには少し長閑な辺りを動いたということも在ったのかもしれない。

方々で、桜が美しかった!本当に「それでも花は咲く」という感であったと思う。

所謂「お花見の名所」では「宴会は御遠慮下さい」というような看板が、昨今の「事情」に鑑みて掲出されていて、そういう「お花見の光景」には出くわさなかった。が、思った。或いは「平常のお花見の様子」の方が「異様?」なのかもしれないとである。

京都の地方紙―京阪・清水五条駅周辺の喫茶店で拝見…―に、日曜日の桜の名所での様子が取上げられて「控え目に」となっていた。特段に「場所取り」で何やら料理を広げる、酒を酌み交わす、焼肉をやるという様子は無かった。それでも、通り掛って足を停め「好いなぁ…」と桜を眺める。自然で好い感じがしないでもなかった。そして場合によっては、桜の辺りでランドセルを背負った新入学児童らしい子どもの写真を撮っている親子連れや、確り衣装を着込んでカメラマンが撮影というスタイルの結婚写真の現場を視た。本当に「それでも…」という、人々が人生に普通に向き合う様子がそこに在ったような気がする。

地元に比べると「やや温かい」という感じの地方に入り込み、随分と精力的に歩き廻った。これは、動き悪い積雪期を過ごしていた身にとっては、少しばかり有難い時間だったかもしれない。そういう動き悪さと、昨今の「事情」の醸し出す雰囲気との相乗効果で、何やら倦んでいたと感じていたが、少しサッパリした感である。

暫くは…「好い時間」の「余韻」という中で過ごすことが出来るかもしれない…

そう思っていた間に<しゃちブレンド>を満たした<NARA>のマグカップは空いた…

帰着…:運行日誌(2020.04.04)

「終わりが判らない夜」と「始まりが判らない朝」とが交じるような感の「曖昧な時間」の中で「自身の一日」が何時の間にか始まっている感…「多少勝手知った(つもりになっている)他所」ということになる旭川で、4月4日の土曜日が始まった。

「どうしても抗えない…」という状況になるまで起きていて、何やら写真の整理等に興じ、何時の間にか眠って、何時の間にか起きてという状態だった。やがて、出発の事を顧慮すると、寝入ってしまわない方が好さそうであるという時間帯に至ってしまっていた。

昨夜は、午後11時近くに旭川の街へ着いて辺りを少々歩いたが…プラス1℃や3℃という次元だった。関西方面は、朝の少し低温な時間帯でも10℃を少し切る程度で、好天の日中には15℃近く、或いはそれを超えていたかもしれない。やや「気温差」は大きいが然程苦でもない感だ…

朝の静かな旭川のコンビニで、2リットルのペットボトルの水、サンドイッチ、加えて<黒霧島>の小さなカップを仕入れて旭川駅に入った…「例の列車」と呼ぶが、6時に出て12時に稚内へ着く列車だ…

この列車に乗込むと…何やら「乾杯!」してみたくなる。黙って乗っていれば稚内なのだ…

実際…乗車中は少し深めに居眠りに陥っていた…眠っていた時間が長く、何となく「然程長くはない…」と感じていた側面が在る。

稚内には定刻で着いた。出発した際には少し残っていた雪も、既に「消えた…」と言って差し支えない状況だ。拙宅に戻ってみて…何となく<いりおもて>を愛用のタンブラーに…独りで勝手に安着を祝う…

多少冷えている居室だが、厳冬期を想えばどうということもない。が、暖房器具を稼働させた。夕方までには温かい室内となることであろう。

何となく「満足度」は高い。思い付きで出掛けていた訳だが…その見聞や、考えたことなどは、追って整理したい…

北へ…:運行日誌(2020.04.03)

長い移動の途次に在る…

サッパリとした感じで朝を迎えた…適当に動いて、眠気には敢えて抗わずに休み、起き出しては気儘に過ごす。「時間を設けた…」ということをして以来、好い時間を過ごすことが叶っている…

前夜は、相当に動いた日中の後で、薄らと眠気を覚える状況は比較的早めな時間帯から訪れてはいたが、何となく写真の整理に興じて、休んだ頃には日付が変わっていたような気がする。そこから、一度は眼を開いたが、窓の辺りが明るくなるまで深く眠ったような気がする。「お腹が空くのは生きてる証♪」であると同時に「動いて休んでスッキリする」というようなことも「生きている証♪」ということなのかもしれない。当たり前のことなのであろうが、最近は“当たり前”の「尊さ」というようなことを些か意識するような一面も在るような気がする。

“北”へ飛ぶ日だが…フライトは夕方ということになる。余り早くから動いても時間を持て余す…故に、ゆったりと朝食を摂って、居室で寛ぎ、頃合いを視て出発することとした。今回は何やら買い込んで荷物が増える、或いは一部のモノを送るというようなことも無い。昨年、甲子園球場の店で求めたリュックサックに着替えやノートパソコンを容れ、外装が廃タイヤゴムチューブであるというビジネスバッグにカメラ類を容れるという、「多少、モノが多い人が日常の活動エリア内で動き廻る」という場面のような、極めて身軽な状態だ…

目指すべき空港は神戸空港なのだが…<青春18きっぷ>を使う。JRの列車で動くが…奈良からであれば<大和路快速>で大阪駅に出て、大阪駅から<新快速>で三ノ宮駅に出ると神戸空港へ通じる訳だが…三ノ宮駅を通り越して姫路駅に至ってしまった…

姫路駅では、好天でもあったので姫路城辺りを散策し、咲き誇る桜を愛でる等した。花が美しいポイントの「穴場」という感の姫路神社にも行き当った…

姫路駅から姫路城に至り、白の広い域内を歩けば存外な距離になる。桜の時季…花が多く視られる場所はとにかく佳い!!

ゆったりと過ごしたが、神戸空港を目指して動くには間が在る…何となく姫路駅に至ったが、過去に姫路で利用していて、姫路で「会員カード」を作ったチェーン店のネットカフェ―札幌で、同じチェーンの店が何箇所か在るようで利用したことが在ったが、その際には姫路で作った会員カードを使った…―が眼に留まったので、そこで休むことにした。そういうように「少し休みながら動く…」という程度が好いのだと思う…

姫路からは三ノ宮駅に進んで、三ノ宮駅で一駅入れてからはポートライナーで空港へ移動である。空港では順当に搭乗を待つ段に至った。神戸空港に関しては、駐機場の様子を眺め易い辺りに座って待つ場所も在るのが好い…

搭乗して…何やら機内は随分と居眠りしてしまった…そして「本機は最終着陸態勢に入りました」というアナウンスで気付いた感だ…新千歳空港へは定刻よりもやや早く到着だ…

新千歳空港からは列車で札幌駅へ出た。そこから「安さ…」が好いので高速バスに乗車し、旭川へ移動だ。旭川への移動に際しても、札幌市内で高速道路に入り込んだ後、気付いたのは旭川に至って市内の一般道にバスが入った辺りである。

旭川…週末となる金曜日の夜ではあるが、静かだ…ここでは“指定休憩所”と呼んでいる都心部のネットカフェへ…ここで休む…ゆっくり過ごそう…

今般、一寸だけ不快感を覚えたことがある。最近は「無数の人が狭い場所に集まる」というようなことを避けようとしている訳だが、何か「ドサクサに紛れて、定められた喫煙コーナーを勝手に閉鎖している?!」というように思える状態が方々に在った。こういうことをドサクサ紛れにやるのであれば、「戸外で勝手に“禁煙”などとするな!」と思う…

そんなことも思ったが、明早朝からは、北への移動の続きである…

動いた…:運行日誌(2020.04.02)

「深く短い眠り」なのか「眠りが浅い」のか判然としない。或いは出先での好い刺激の故に気持ちが昂っているのか?やや短めに眠り、そこから眼を開けて、一寸起きてから、また横になって何時の間にか眠るということを何度か繰り返していた間に早朝を迎えた…

前日は午前中から夜に至るまで雨が降り続いた。早朝の列車やバスが既に動いている様子が伺える居室の窓の外を眺めると、前日は濡れていた路面等が乾いている。夜遅く、何時の間にか雨は止んだようだ。多少、雲が多い感じがしないでもないが、普通に動き易い天候と言い得ると思った…天候の好転を期待していたが、願いが通じたような気がした。

想い起すと、前日は「早めなランチタイム」に“大和古代米”を摘み、「遅めなランチタイム」に美味いハンバーガーを頂き、宿に引揚げてからは何処にも出ず、居室内用にコンビニで調達してあったアイスコーヒーを飲んでいただけだった。酷く空腹感を覚える朝だった…

「お腹が空くのは生きてる証♪」と地元のコンビニチェーンのCMソングの歌詞に在って、店に寄ると流れていることが在って記憶に残る…正しく「生きている」、「身体はとりあえず(自身なりの)“普通”」であるが故に、午後の早めから早朝まで食事を摂らずに居れば、空腹も覚えるのが当然ということだ。そういう次第で、提供開始時刻早々に頂いた宿の朝食が美味かった…手頃な価格帯の宿で供する朝食で、特別な何かということもないモノだが、そんなモノでも美味い。「空腹は最良のソース」という言も在ったと記憶する…

そうやって、朝の7時台から<青春18きっぷ>を手に方々を巡った。<青春18きっぷ>が適用となるJRの普通列車、快速列車に加え、一部は近鉄の列車と奈良交通のバスも使ったが…出て戻る足で、宿の近所で適当に夕食まで摂って、居室に戻れば午後6時近くになっていて、何やらエネルギーを使った。

関西方面は「少し動く」ということをすると「様々な時代の各々のモノを積み重ねた」という感じの場所にドンドン巡り合う。それをランダムに巡るというようなことをするのが愉しい…一部に、些か公共交通が不便な場所が在ることは免れ悪いが、「1日に数本の列車…」という地域に居る者の目線で視れば「驚く程に充実!」という場所が多いのも関西方面の好さだと思う。

今日の状況は、「何をどう綴る?」というような有様だった。「(JRの普通列車、快速列車に)随意に乗車可能」な切符を手にしている。そこで、各駅停車で進んで、下車してから更に先を目指す場合「敢えて逆方向に進んで、快速列車に乗換えて先を目指す」というような、面倒なことをした場面も在った。

メモ帳に乗車区間を記しておいた…それを写し、序でに主な行動を付しておく。そうしておかなければ「訳が解らない?」ということになりそうだ…

奈良→桜井=JR
桜井→榛原=近鉄
榛原→古市場水分神社前=奈良交通(バス)

・宇太水分神社(うたのみくまりじんじゃ)を訪ねた。鎌倉時代から室町時代の建物が在る…

古市場水分神社前→榛原=奈良交通(バス)

・創建の挿話に「疫病退散祈願」という話しが在って、「日本初の健康の神様の社」とも言われる墨坂神社を訪ねた。社務所の大規模工事中で、参拝は出来たが、普通に活動していない様子だった…

榛原→桜井=近鉄
桜井→奈良=JR
奈良→王子=JR
王子→三郷=JR

・「三郷」は「さんごう」と読む。「みさと」だと思い込んでいた…列車本数がやや少ない区間、各駅停車のみの停車でやや不便な区間が入り組む中での妙な動きをした…
・三郷では「風神を祀っている」という龍田大社を訪ねた。急な坂道を上ると桜の花がぼんやりと視えた。満開の桜の中、「“風の街”から風神に会いに…」ということになった。

三郷→王子=JR
王子→大正=JR

・三郷駅で、駅に着いたと同時に王子行の列車が現れたので一旦“逆走”し、王寺駅から快速列車に乗って先へ進んだ。
・奈良・大阪間は、「天王寺駅に入って大阪環状線に乗入れて」というような感じになる<大和路快速>なる列車が多く運行されている。その列車を利用した。
・大正は、大阪の西南に在る半ば島のように大きな水路に囲まれた区である。嘗て、大阪での仕事に就こうとやって来た沖縄県の人達が多く移り住んだ経過が在り、現在でもその後裔に相当する人達や、関西に出て来る沖縄県関係者が好んで住むと言われ、大正に関しては<リトル沖縄>と呼ばれることも在るようだ。
・水路の脇に、「地域を牽引するような存在に…」という願いを込めて<タグボート>と名付けられた施設が今年1月に開業した。色々な飲食店等が在るが、景色も好く、雰囲気も非常に好い場所だった。
・この<タグボート>に「<リトル沖縄>=大正の店」という“沖縄酒場”がテナントに入った。そこに寄ってみて、自身としては初めて<沖縄そば>を頂いた。豚骨、鰹節、昆布と出汁を組み合わせたスープに少し平らな麺で、肉が具に入っている。非常に美味かった!そして泡盛を一杯ロックで頂いた…

大正→大阪城公園=JR

・大阪城公園を歩き廻った。
・なかなかの好天の中、桜も咲いている状況で大阪城天守閣―最近の「事情」で、大阪城天守閣は“休館”を続けている…―を眺め、豊国神社にも寄った。
・隣の森ノ宮駅の近くに歩き至った…

森ノ宮→大阪=JR

・大阪駅で些か写真を撮った…

大阪→奈良=JR

こういう具合に動き廻った一日だった…個々の見聞等は、そのうちに整理したい…

何か…長かったような、短かったような期間だった…明日は「北上…」を開始する段取りだ…

“緩急”の“緩”…:運行日誌(2020.04.01)

振り返ると「もう少し若かった頃」には、思い立って「随意に過ごして構わない」ということで出掛けた場合、殊に手許に<青春18きっぷ>のような類のモノが在る場合には、文字どおりに「早朝から夜のいい加減な時間帯迄」と動き廻り、深夜は各地のネットカフェで過ごすことも厭わずに居た。が、相対的に安価に宿を押さえられるとなって、もう少々ゆっくりするようになって行った。更に<青春18きっぷ>のような類のモノが在ったにしても、少し長距離の移動では“適用外”の交通手段も厭わなくなった。

そういうことだが「仔細な計画を練るのでもなしに、本当に“主演・演出・脚本・その他全て”を勝手に自身で…」というようにフラフラとしたくなってしまうことに変わりは無く、そうした傾向を半ば戯れに<“何処か行きたい”症候群>と称している。この<“何処か行きたい”症候群>の“対症療法”は?「気が済むようにする」=フラフラと何処かへ出て随意に過ごすということしか無い…

そんなように思うのだが、最近は「フラフラしている」という期間中に「“緩急”の“緩”」と称して「(相対的に)動かない」という日が生じるようになった…今日がそれに相当するであろう…

前夜…早い時間帯に眠りに落ち、深夜に眼が開いて、暫く起きていてからまた休み、再び眼を開ければ未だ日出前…最近は定番化したような感だが、今般は最初に眠りに落ちた時間帯がやや早い。「疲労回復に時間を要する」とか「疲れることをしたダメージが、少し間を置いて身体に強く感じられるようになる」という現象が、一定程度年齢を重ねると見受けられるようになるのだというが…或いは土日の疲労によるダメージが「間を置いて訪れている」という中、月曜日にも火曜日にも「回復を求める…」という程度に動き廻っていて、結局「自動停止します…」と身体が眠りを導いたのかもしれない。

「自動停止します…」というように「なってしまった?」と表現したくなるような感で、早い時間帯から、この数日としては最も長めな睡眠だったように思うが、朝早くから何かスッキリしていた…

やや雲が多いような気もした早朝…と言って「次第に明るく…」と感じられるような時間帯に戸外へ散策に出た。

奈良の三条通…JR奈良駅の、旧駅舎を利用した観光案内所の辺りで「興福寺と反対側」へ歩を進め、鉄道の高架を潜り抜けて真直ぐ進む…そうすると佐保川に行き当る…

奈良県内―県内に限らないとも思うが…―ではよく視るのだが、川に沿うように夥しい数の桜が植えられていて、花の時季には「うゎ!」と驚くような場所が在る。この佐保川については、近鉄の列車で奈良を目指す場合、地下に設えられた近鉄奈良駅へ通じるトンネル内の軌道へ入る手前に在る新大宮駅に列車が接近する際、多分「間も無く停車…」と列車が減速している区間に相当するのであろうが、窓から「うゎ!」と驚く「川縁の夥しい数の桜」が視えているのだ…

その佐保川の桜を眺めて愉しんだ後、新大宮駅から列車で近鉄奈良駅へ1駅間だが乗車した…

新大宮駅で近鉄奈良駅へ向かう列車を待っていた。反対方向の大阪難波駅や、更に先の尼崎駅、神戸三宮駅へ向かう列車のホームは早朝でもそれなりに乗客が多く見受けられたが、近鉄奈良駅へ向かう列車を待つ乗客は少ない。そこに「電車が通過します」とのアナウンスで、注意喚起の音楽が鳴り始めた。近鉄奈良駅に到着する、何処かからの特急列車は走っていないと思われるような早朝…何事かと思えば、実物を全く目にしたことが無かった、赤く輝くピカピカの車輛の列車が通過して行った。「アレは何だったのだ?」と驚いていた。

驚いていた間に乗車すべき列車が現れ、近鉄奈良駅に到着してみると、新大宮駅で視た車輛が停車中だった。赤く輝くピカピカの車輛は、この3月に登場したばかりの特急列車専用車輛である<ひのとり>だった。大阪難波駅へ向かう特急列車ということで、発駅の近鉄奈良駅に入る回送の場面を新大宮駅で見掛けたという訳だったのだ…

近鉄奈良駅からは、奈良の気に入っている風景の一つである猿沢池を少し眺めて、宿に引揚げた…早朝から少し動いた後の朝食が酷く美味く感じられたが、そこから居室で一息入れて寛いでいた…

ゆっくりと宿を出発する前に気象情報を視れば、天候は「下り坂」であるらしい。雨の予報だ…そこで、長く歩きそうな場所を訪ねることを遠慮して、とりあえず薬師寺を訪ねることにした。

薬師寺は国宝の建築物である東塔を擁するのだが、長い間に亘って修復工事が行われていて、覆いが在って姿が視えなかった…その工事が竣工した!姿が視える!そう聞いて、視に行くことにしたのだ。実を言えば「仔細な計画を練るのでもなし」でありながらも、「何処かのタイミングで薬師寺の東塔を眺めたい…」というアイディアは在ったのだ。

三条通を近鉄奈良駅まで歩み、列車を乗り継いで薬師寺に近い西ノ京駅に至った。薬師寺の境内に在る時に、近鉄の列車の走行音が聞こえる場合も在る程度に近い「最寄り駅」だ…その西ノ京駅に到着した時…雨が降り始めた…

雨の中で薬師寺をゆったりと拝観した…念願の東塔を眺めたが、西塔も金堂も好かった。そして<玄奘三蔵院伽藍>という箇所を初めて視た。1990年代に再建が完成したモノだというが、これが存外に好かった。

薬師寺は法相宗の寺ということになるそうだ。法相宗を開いたとされるのは、『西遊記』のモデルとされる玄奘三蔵である。その玄奘三蔵の“分骨”を祀る御堂が「貴人を祀る八角形の建物」という<玄奘塔>である。その奥には平山郁夫の力作、<大唐西域壁画>を収めた建物も在る。

<大唐西域壁画>を眺めて、頭の中にBGM『シルクロードのテーマ』が思い浮かんだ…(後から宿でYouTubeで見付けて聴いてみたが…)玄奘三蔵が真理、奥義を求めて果てしない道程を旅したと伝えられるシルクロード…遥かな古代から、仏教思想のような抽象的なモノに至るまで、様々なモノが想像以上の広い範囲で行き交って、そうやって紡がれた歴史…そんなことに想いが至った。

薬師寺自体、千年を超える歴史を有する寺だ。大変な権威や威光が在った時代も在って、訪れて視る人の誰もが大いに驚く程に豪華な伽藍を誇ったというが、戦乱や火災や色々な事情により、東塔を除く建物は損なわれてしまったことが在る。そこから再建されたり、再建されなかったりで近年に至っているという。が、既に長い間に亘って「伽藍の再建」を可能な範囲で進めている経過も在る。東塔に対する西塔もそんな努力の一例である。

結局のところ…それぞれの時代に様々な困難が在っても、薬師寺を開いた時期である千年以上前の人達による「真理を追い求めて世に功徳を」とでもいうような想いは、どういう形であろうと受け継がれているのだ…

雨に当たりながら、各々に典雅さと力強さとを兼ね備えたような伽藍の建物を眺め、写真に収めるようなことをしながら、色々と考えた…

西ノ京駅の辺りに再び至ったが…雨は止まない…直ぐ傍のカフェに入って、<大和古代米>なるモノを摘んだ。粘り気が強い感じがしたが、赤紫色の米飯の小さな握り飯で、若干のおかずと、汁物という意図でうどん―これが関西の流儀の美味い出汁だった!―が添えられているセットだった。

やって来た時の道筋を戻ろうかとも思ったが、目の前にバス停が在って、少しだけ待つとやって来るバスは東大寺大仏殿辺りに行くらしいことが判った。それに乗車した…

東大寺大仏殿辺りに至り、雨に濡れながら散策し、氷室神社の辺りを過ぎて、バスターミナルのビルであるという場所に入っているカフェに立寄った。更に濡れながら歩き、近鉄奈良駅近くの小路でハンバーガー店を見付けたので寄ってみた…このハンバーガーが酷く佳かった!!!

そうやってJR奈良駅近くの宿に引揚げた…以降は…館内のコインランドリーを利用することや、写真の整理等をして、何となくゆったりしている。

或いは?滞在中の宿の居室に長く住んでいたとして、「特段に予定らしい予定が入っていない休日」という日が訪れたなら、「実際に今日過ごしたような過ごし方」を「してしまうかもしれない?」と思ってしまった…

雨が降り頻る状態は、陽が落ちてしまって以降も続いているようだ…気象情報では、明日は天候が好転しそうではある。期待したい…

安堵感…:運行日誌(2020.03.31)

今日は…本当に「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に早々と入った感である…

深く眠って眼を開け、暫く起きていて再度休み、そして朝に起き出すに至ったが、起き出したのは「前日は既に戸外を動き回っていた時間帯」だった…宿の居室の窓から視えている<八坂神社>の一部も、既に灯りが目立たないか消えたかという時間帯だ。曇天の朝だ…

余り早くから動いても、朝に営業する喫茶店等が開店前である場合も在る訳で、少し居室でゆったりと寛ぐこととした…

そして少々散策に出た…

四条通を木屋町通方面へ進み、木屋町通を三条通方面へ北上し、やや西の寺町通に至る。そこで1932年創業を謳う老舗喫茶店の<スマート珈琲店>に入った…

<スマート珈琲店>では、京都の喫茶店では人気が高いという<玉子サンド>を頂いた。玉子焼きがパンに挟まれたサンドイッチだ。甘味を多分加えていない玉子焼きが美味く、それが柔らかいパンに挟まっていた。これは「なるほど美味い!」という感である。そしてオリジナルブレンドの珈琲もアッサリと苦い感じの「古くからの喫茶店で頂くことが出来るような感じ」で好かった。

そこからまた、少し違う経路で宿の周辺に引揚げ、八坂神社に足を運んだ。昨日寄った<HRC Kyoto>でさり気なく<八坂神社>の<祇園社>という文字が入った御朱印を飾って在るのを視て「そう言えば未だ入手していなかった」と思い出したのだった。

早朝の曇天は次第に好転して、陽射しが覗くようになり、天も蒼の部分が多くなった。何となく温かく感じられる状況だった。<祇園枝垂桜>を眺めに寄り、再会を期すこととした…朝の陽射しの中で、<祇園枝垂桜>は「爽快」とでもいうような表情を見せていたような気がした…京都や祇園に縁が深いのでも何でもない自身だが、桜の花の時季である祇園に2泊して、異なる時間帯に眺めてみたというだけで、<祇園枝垂桜>が愛おしくなってしまった。

宿のチェックアウトは午前11時だが、“キャンペーン”というようなことで12時ということになっていた…そんなことも頭に在るので、居室でゆったりと過ごすということにさせて頂いた…

最近…来訪者、参拝者が多目な神社では、各々が持ち込む御朱印帳に押印して文字を書き込むということを控え、予め用紙に記載押印したモノを交付という方式を専らとする場所が目立つようになっている。「このところの諸般の事情」ということである…そういう場所や、書く方が不在で予め用意の用紙ということになった場所の御朱印が些か溜まった…そこでスティック糊をコンビニで買って、それを使って御朱印帳に丁寧に貼り付けるというようなことをしていたのだった…

あれは2018年11月に九州に上陸し、大分県の宇佐神宮を訪ねた時だったが、前年に思わぬ負傷ということも在った中、何か大きな力のようなモノで「生かされている」ということに感謝しなければならないような気がしたものだ。そして神社の御朱印を集めてみるようになった…各地で神社に立寄ってみること自体、なかなか面白いと思うのだが、訪ねた神社では「そこへ無事に辿り着いたこと」や、先年の負傷やその他であろうとも「生きていられること」等に感謝すべく参拝をしている。普通に所謂「御参り」をしているに過ぎないが…そういうことをした足跡を「御朱印帳」に残しているということなのだ…

京都は…「異様に来訪者が溢れていて、訳が解らない…」という様相を呈していたが、現在はそういう感じでもない。かなり以前に何かで立寄ったような頃の雰囲気に近いものが在ると思う。今般、「聞いたことは在るが、そう言えば寄っていない…」というような按配の場所に足を運んでみることも適った。何か好かったと思う…

“北”へ還る航空券は神戸から札幌というモノを押さえて在るが…その便までの期間が未だ少し在る。以前であれば「動くことが叶う限り動き続ける!!」と方々を巡ったと思うが…最近は「連泊して、そこを起点に辺りを色々と…」というようなやり方も好むようになった。そういう中…前日に京都の地下鉄の列車に乗車した際に「奈良行」という列車を視掛けて思った。「そうだ!奈良へ行こう!」とである。

京都・奈良間については、京都の地下鉄と近鉄とが繋がっていて列車が相互乗り入れしている。京都の地下鉄の軌道に近鉄の車輛が登場するという例も珍しくないのだ。逆に奈良の近鉄の駅で、京都の地下鉄の車輛を視掛ける場面も在る…また前日には宇治駅と京都駅との間をJRの列車で移動したが、宇治から南へ、奈良へと軌道は通じていて、京都・奈良間の列車も多く運行されている。奈良に滞在して、朝から列車で京都に入ってみたということもやったことが在った…

そんな訳で、悠然と宿をチェックアウトした後は奈良へ向かって、奈良に滞在することとした。奈良に関しては、近年は「好感度上昇!」という按配で、何度か滞在を重ねているのだ…

阪急の京都河原町駅から烏丸駅へ、地下鉄の四条駅に出て乗換えて京都の南に在る竹田駅に至った。竹田駅では中世の院政期には<鳥羽離宮>であったという経過の在る場所や<城南宮>に立寄った。ここで竹田駅と<城南宮>との間を歩いたが、存外な距離だったかもしれない…

竹田駅では近鉄の列車に乗ることが出来る。大和西大寺駅で乗換えて近鉄奈良駅に至った…近鉄奈良駅から、宿を求めたJR奈良駅近くまで歩いたが、途中に率川神社(いさがわじんじゃ)というモノを発見し、一寸寄ってみた…

最近の奈良滞在で何度も利用した経過が在る宿に入ったのだが…何やら変に安堵感が大きい…

奈良ではコレと言って何かしたというのでもないが…とにかく、明日の事は明日の天候でも視て考えることにしたい…些か写真を整理する等して、本当に眠くなったら遠慮も会釈も無く眠るだけだ…

それにしても…昨年の6月に旅をしてみた以降、何か所用に絡んで出掛けているとは思うのだが…今般のように「出先で気儘に散策」を繰り返しているような状況はその「昨年6月」以来だと思う。時にはこういう時間も設けたい感だ…

歩く…:運行日誌(2020.03.30)

京都の宿は2泊押さえている…今晩は「第2泊目」である。前夜に関しては「とりあえず到着…」で、今夜は「一日過ごした後に休む…」という感だ。

少し早めに「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に入ってしまったという前夕の判断は善かったかもしれない。無理に動かず、深く眠った。

前日は上着やキャップの濡れ方が酷く、何か「硬く絞った雑巾?」という感、「そのまま拭き掃除に使える?」という程度に濡れていた。それが乾いて普通になった。ジーンズ穿きで、半袖のアンダーウェアの上に長袖Tシャツ、そして上着とキャップという服装で外に出てみた…

夜の間、宿の部屋から戸外を望めば、少し向こうに「朱色の建築物が照明に浮かび上がる」という様子だった。<八坂神社>である…「近くで、少し落ち着いて眺めたい…」と思いながら、夜は戸外へ出なかったが…早朝の暗い時間帯にも未だ灯りが点いていた。そこで午前5時頃に出たのだ…

<八坂神社>を眺めた後、昨夕の日没頃にも視ている<祇園枝垂桜>の「異なる時間帯の異なる表情」を愉しんだ。“妖艶”という感の夕刻に対し、“幽玄”という感の早朝の様子だった…

そこから東大路通を歩いて南下し、<八坂の塔>や<三年坂>、<二年坂>を訪ね、更に歩いて<大谷本廟>に至り、京阪の清水五条駅の辺りまで歩き続けた。その辺りで、開店しようとしていた喫茶店が在ったので立寄り、「旧き善きスタイル」なゆったり出来る喫茶店であったので、店主氏がサイフォンで淹れた珈琲を頂いて1時間ばかり休んだ…

休んだ後は、また歩いた…<豊国神社>に立寄り、<京都国立博物館>の前を通って京阪の七条駅辺りに至って<七条大橋>を眺めた…<七条大橋>は明治末年から大正初期に登場し始めた「コンクリートのアーチ橋梁」というモノで、現在でも使用されている、実はなかなかに貴重なモノだ…

そこからは『歩くまち 京都 レールきっぷ』の出番だ。京阪、京都市地下鉄、JR、嵐電、阪急の京都辺りの路線の列車に1日中乗ることが叶う代物だ。京阪の発売駅は三条駅なので、とりあえず三条駅へ列車で北上し、その『歩くまち 京都 レールきっぷ』を求め、「列車で少し移動しながら歩く」という感じになった。

地下鉄の今出川駅まで出て、<一条戻橋>を探したが、思わず逆方向へ歩いて、結果的に<上御霊神社>を訪ねた。今出川駅から地上に出ると、道路の標識に「↑京都駅」と在った。京都駅は街の南寄り…北側に相当する一条は「逆方向?」と思ったのだが、今出川駅辺りは一条よりやや北だった訳だ。

<上御霊神社>辺りから今出川駅周辺に引き返せば同志社大学が在るのだが、そこで史跡を示すモノを発見した。明治期…薩摩関係者と縁が深く、会津出身ながらも京都市の仕事をして活躍していた山本覚馬が、妹の夫である新島襄の「学校を開く用地?」という相談を受け、薩摩島津家が京都に構えた屋敷―所謂「薩摩藩邸」…―の跡地を提供出来ることになった経過が在る。幕末の、薩摩の人達が関与していた色々な出来事の舞台―近くに<御所>が在るので、薩摩島津家が将士を送り込んだ<蛤御門の変>のような争乱の際には、今日歩いていた道筋を彼らも歩いていたに違いない…―となった場所が、現在は永年の実績で声望が高い同志社大学な訳だ…

そんな状況から<一条戻橋>に辿り着き、<清明神社>を訪ねた。“陰陽師”の安倍晴明を祀る神社で“五芒星”―要するに「☆」のような形―の紋を掲げている。結果的に…“御霊”は祟りをもたらすとして畏れられた訳で、“陰陽師”の役目の一つにはそういう畏れへの対応も在った筈だ。双方に関連が在る場所を訪ねたのは好かった…

やがて地下鉄と京阪を乗り継いで宇治を訪ねた。宇治では<宇治神社>と<宇治上神社>とを訪ねた。その宇治からJRの列車で京都駅に入った頃には午後3時に近かった…

「次の一手」を思ったが、「多少…寛ごう…」と、地下鉄と阪急の各列車を乗り継ぎ、宿に引揚げた。宿の建物の1階にカフェが入っているので、珈琲を持ち帰りで求めて、宿の居室で頂きながら暫しゆったりと…

京都の事情に明るい方であれば、ここまでの「午前5時から午後3時過ぎまで」で歩いた距離が「なかなかなモノ…」であることを御理解頂けると思う。10℃に届くかどうかというような気温の曇天で、汗ばむようなこともなく、動き易かったが…動き過ぎた…前日は「この雨にやられて♪」という具合で、酷く濡れて消耗して「とりあえず…少し遠くに逃れて休む…」としたのに対して、爽やかではあるが「エネルギーをかなり使った…」という感ではある。

そして「夕食でも摂ろうか…」と思い始めた頃に外へ…何か列車で動くことも出来た訳だが、敢えてそうせず、宿の近隣を少し歩いた。各種の飲食店が多い祇園エリアに在るのだ。加えて…かなり動き廻り、随分と積極的に歩いた日中だったので、ゆったりとしたかった…

出くわすことが叶ったのは…<HRC Kyoto>である。HRC?<ハードロックカフェ>である!昨年7月、京都に<ハードロックカフェ>がオープンした!未だ新しい部類だ…

<HRC Kyoto>が在るのは、祇園白川である。店は「過ぎる程に周辺に馴染んでいる」という状況で、全然目立たない…故になかなか気付かないような感じだ…

<HRC Kyoto>は、「来日した国外の人達に“日本”を経験しながら、<HRC>を愉しんで頂く」というようなことを目指したようで、非常に落ち着いた感じの内装になっている。1階はグッズを売る店と、混雑時の待合、場合によって飲物等を頂くことも出来る場所になっている。2階は普通のカフェで、料理や飲物を愉しむ場所だ。場合によって、音楽演奏等の催しも開催可能な感じだ…

<HRC>のチェーン店で供する様々なモノは普通に供しているが、「“日本”を経験」ということで、ジャパニーズウィスキーや日本のクラフトジン、日本酒や焼酎も供していて、料理の中には「一工夫…」なモノも含めて「<HRC Kyoto>だけで供している」というモノも在る。

バーカウンターに陣取って、少し店員さん達と話しながら飲物と料理を軽く頂いた…飲物は、京都で製造しているクラフトジンのソーダ割…料理はチキンウィングに「一工夫」の代物で、名付けて<やきとりチキンウィング>という。「焼鳥のタレ」風な味に仕上げて、“山椒”や“黒唐辛子”という「京都の調味料」が在って「御好みで点けて」ということになる。

京都のジンも、<やきとりチキンウィング>も凄く好かった。店員さんによると、国外の方に“黒唐辛子”は好評ながら、“山椒”や“山葵”は「異質な辛さ?」と驚かれてしまう例が目に付くようだ…自身は蒲焼でも愉しむ気分でチキンを半分、そして好みの「些か辛味の調味料を点けて」という感じで残る半分のチキンを存分に愉しんだ。

夕食も愉しんで「1日の幕引き…」という状況だが…とにかく歩いた感で、同時に何本も列車に乗った…『歩くまち 京都 レールきっぷ』なる呼称の、指定地区内各社の路線の列車を利用可能な1日乗車券を使ったが…自身では、休暇の旅行のようなモノの際には「公共交通で適当に動き、辺りを気が済むように歩き廻って、様々な興味深い文物に触れる」というのが“肝”だと思っている。『歩くまち 京都 レールきっぷ』というようなモノは、自身のような志向の人にとってはなかなかに好いものだと思う。

少しばかり時間を設けて、気儘に歩き廻りたい…ただそれだけで動く数日の只中に身を置いている。別段に、どのように動いたのかを綴る必要性も無いのかもしれないが、「記憶を補完すべく記録」が少しは欲しくなる。そこでこの記事が現れた訳だ…

明日は?明日、考えれば好い…

思い掛けない?:運行日誌(2020.03.29)

或る程度想定していたようでいて、想定を少々外れてしまい、「それはそれとして…」と何となく納得する場合…個人的な事に関してはそういう例は少なくない。自身で考えて、自身で行動する限り、どういうことであろうと納得は可能だ。何処かの他所の人間が、自身の関わる事について好き勝手を言っていて、そちらの言い分のとおりになる場合には納得どころか理解さえしない、出来ない、する気も無いということになってしまうように思うのだが…

振り返ると、人生の多くの場面について「そんなモノ…」というような感、言葉を換えると「なるようになるモノ…」というような物腰で臨んでいるということなのかもしれない…今日は、少し早めに「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に入った…

宿の大浴場を利用させて頂いていた間に日付も変わっていた…そうやって始まった1日だ…更に、日付が変わって以降に休んでいるのだが、眠りが深いのか、ダラダラと寝ているというのでもなく、普段「極々短い散策」に出ているような時間帯には目が開いてしまった。不思議なものだ…

前夜に成田に宿を求めたのは、着実に新千歳空港に着くことが叶うような夜の時間帯のフライトで、遅めに到着した時に便利だったからということが挙げられるが、実はそれだけではない。

成田の少し先に佐原(さわら)という場所が在る。江戸時代には幕府の御料(所謂“天領”)であったり旗本の知行地であったという経過が在る場所だという。そこはかの伊能忠敬に所縁が深い地域なのだ。

江戸時代である19世紀初めの方に、地図を作る仕事を伊能忠敬は、本格的に学問に勤しんで、その成果を活かすべく地図製作に向けた測量のようなことを手掛けたのは50歳以降である。それまでは婿養子に入った佐原の伊能家で醸造業、金融業、舟運というような事業を手掛けていて、その傍らで名主という“村長”とか“町長”という感じの役目を担っていた。江戸時代の地方では、こういうような代表者が任命されて色々な事をやる自治制度のようなものが存外に重要だったようだが…

その伊能忠敬の佐原だが、伊能忠敬が住んでいたという家を含めて、古い建物が江戸時代には舟運に利用されたであろう水路の辺りに残っていたりして面白そうだったのだ。

加えて、辺りには香取神宮という由緒在る立派な神社が鎮座することも知られている。

とりあえず「実質的なスタート地点」という感の成田から佐原を訪ね、そこから先は「なるようになるモノ…」というような物腰で臨んでいて、深く考えていなかった。或いは、色々と考え過ぎて「その時の気分と天気で決める!」ということにしてしまっていたのだった…

成田は雨交じりな早朝だった…そして雨は強弱が揺れていたが、成田駅から佐原駅の1つ向こうの香取駅へ向かった。香取神宮へは2㎞程度…概ね30分だ。その間、雨に濡れた…

香取神宮は18世紀頃の建物が伝わっているのだという。かの徳川綱吉が寄進したのだというが、そういう建物を時々修繕しながら大切に使っていて、また神職の皆さんの数も多い感じで、偶々人出が少ない朝早めな時間帯だったが「大社の風格」が感じられた…

その香取神宮から2㎞程度…伊能忠敬が住んでいたという家も在る佐原の旧い街並みの辺りまで更に歩いた。ここでも雨に濡れ続けた…やや冷たい雨で、時々強風が交じった…身体も冷えた…

旧い街並みの傍に<佐原町並み交流館>という案内所的な施設が在る。オープンしたところであるようで、硝子張りな扉から御手洗が視えたので拝借しようと中へ入った。

御手洗を拝借したが、<佐原町並み交流館>には街の歴史や伊能忠敬の事績を広く伝えようと様々な活動をしているグループの皆さんが居て、訪ねる人達に色々なことを伝えている。自身は、樺太探検の間宮林蔵が、伊能忠敬の地図製作に協力して北海道の測量史料を提供した経過を承知していて、地元の資料館で間宮林蔵等が携わった当時の地図製作という関係の展示を愉しく視ている。それで、当時の関係者の中心的人物でもあった伊能忠敬に関心を持った。

<佐原町並み交流館>の皆さんと少し話して面白かった。伊能忠敬の人生と事績を紹介するビデオが在るというので、それを拝見してずぶ濡れの身体を休めていた…

佐原に関しては、非常に好い感じだったが…風雨に動きを阻まれた…そして冷たい雨に濡れ続け、何か酷く低温の中を動き回る時以上に辛い感じさえした…

実を言えば、成田に上陸後に本州を少し西へ進んで、そのまま空路で北海道へ“帰国”という考えだった。色々な経路で西へ進むことも思い描いたが…とりあえず、やや列車本数が少ない佐原駅で乗車出来た千葉行の列車に乗っていれば…続いていた雨は、真昼間に雪に変わり、雨で冷えた箇所に些か積もるというような…この時季の首都圏では「珍しい!?」状態になった。

何か…半ば力尽きたような感となり…「この雪から逃げよう」ということにした。京都の祇園に宿―少し前まで「空いていない…」ばかりで、空いていても「高過ぎ…」という感であった場所…―を求め、東京駅から新幹線で京都駅に向かってしまったのだった…

東京は少々御無沙汰で、少しばかり何かを視ようと思わないでもなかったが…何やら「また素通り…」ということになった。御無沙汰な状況を捉えて「東京には出入禁止を食らっている…」と冗談を言うことが在るのだが…

そして深い考えも無く京都にやって来て…朝の6時台に出発して、11時頃に佐原を発つまで濡れながら歩いて少々弱っているので、休もうとしていたが…宿の比較的近くにかの<祇園枝垂桜>が在ることを思い出し、折良く「時季!!」な状況を視て来た…

<祇園枝垂桜>というクラスのモノは、流石に些か多目な見物者が見受けられた。京都は、少し以前のような「異様な人出」は免れている。これは東京も同じだ…佐原は、多分平素から比較的静かなのだと想像する。しかし「例の問題」に関して、千葉県内で「由々しき…」が発生したので危機意識は高くなったようだ…

京都の祇園の宿で…とりあえず悪条件下で動いた身体を休めている。折角居る京都でどうするか?何をするでもなく、漫然と過ごせば善い筈だが…「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢で何となくゆっくりする…

長かった一日…:運行日誌(2020.03.28)

「後は何時なりと御休み頂いて結構です…」という時点に至り、1日を振り返ってみて「長かった…」と慨嘆する場合が在る。今日はそういう感じかもしれない…

「早くから動く」ということで「早めに起きる」という必然性が在る朝…その前夜に、軽く酒類を嗜んで、好みの料理を少々摘まみ、何やら気持ちよく眠ってしまえば、とりあえず早起きは「してしまう」という感だ。通常、休日ということであるのなら、何時の間にか居眠りに陥ったとしても問題は無いが、「早くから動く」と予定している以上、居眠りは避けるべきかもしれない。

そんなことを思いながら、<しゃちブレンド>を淹れて、未だ戸外が暗い中、過ぎる程に静かな居室で悠然と啜る。立ち込める芳香と、適当な苦味が非常に好い…

「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということがしてみたくなり、そういう想いが「募って、高まった…」ということで時間を設けた。そういうことをやるということは、「普通に歩き廻る」に過ぎないのかもしれないが、結果的に「身体を動かす」ということに他ならない。足下が悪いような状態の積雪期が続いていて、「身体を動かす」というようなことがやり悪かったかもしれない。そういうことで、とりあえず「動きたい!!」のだ。と言って、その辺を漫然と歩き廻るようなことだが…

悠然と身支度を…ロシアの水兵が着る長袖ボーダーTシャツの“チェルニャーシカ”を着て、最近着用機会が多いジーンズの中で最もゆったりしたデザインのモノを穿き、米国オレゴン州の刑務所内で製造されているというシャツと上着を着ることにして、シャツの上にはジーンズと同じ日本国内のメーカーの手になるベストを着る。気に入っている感じの動き易い服装が整った。

そういうことをやりながら過ごしていれば、<しゃちブレンド>のマグカップは空いた…そこで小さなグラスに<いりおもて>を注ぐ…スッキリした30度の泡盛…好い感じなのだが、「素敵な休日に!」とグラスを傾けた。

そして出発だ…<青春18きっぷ>を手にして出掛けた。

「あなたの街へ…この駅から…北の始発駅!稚内駅!」と勝手に呼んでいる駅へ静かに歩み、早朝の普通列車に乗車した。

馴染みのキハ54ディーゼルカーの1輛運行という列車は、稚内駅から名寄駅へ淡々と進む。進行方向右側に陣取ると…利尻富士が視える場合が在る!今日はそれが視えたのだが…車内は途中の恩根内駅まで…「貸切」だった。流石にこれは珍しい…

最終的に、自身を含めて3名が名寄駅に着いた列車を下りた。そこから先、旭川駅までは<青春18きっぷ>を使わずに、普通に券を求めて特急列車で移動した。

名寄・旭川間を特急で動いてしまえば、旭川駅から<青春18きっぷ>で乗車可能な列車の選択肢も多少在る。そして、そこから先もかなり動き易くなる。名寄で少し長く待って普通列車に乗れば、旭川以遠も、旭川で少し待ち時間が長くなってしまい、次第に乗車する列車の選択肢が少なくなってしまうのだ…

旭川駅に特急列車が着くと、そのまま乗場を移動して滝川駅へ向かう普通列車に乗ることが叶う。電化区間でありながら、どうしたものか2輛連結のキハ40ディーゼルカーで運行される列車であった…

滝川駅からは721系電車の3輛編成による列車で岩見沢駅に向かった。岩見沢駅では改札を出て一息入れ、次は“室蘭線”の列車に乗った。

「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と繰り返しアナウンスを流していたキハ150の1輛運行の列車に乗込み、苫小牧に出た。苫小牧では、「本日初めての食事」という感じで、駅前の商業施設内のファストフード店で一息入れた。

苫小牧から札幌方面への普通列車…概ね1時間に1本というように見受けられる。“食事休憩”という感じであったが、少し列車を待った。そして南千歳駅に向かい、札幌からやって来た、少し驚く程度に空いていた<快速エアポート>に乗車…新千歳空港駅に至った。

夜の<ピーチアビエーション>のフライト…少し搭乗手続開始に間が在る。空港ビルの4階に、「普通の喫煙席」が在る、イマドキ“絶滅危惧種”なカフェが在るので、そこでゆったりとしていた…

考えてみると…<ピーチアビエーション>のフライトは「初めて!」だった…機材の到着の関連で定刻よりやや遅れたフライトだったが、存外に乗客は多かった。何となく<ピーチアビエーション>と記憶しているが、畿内の客室乗務員や機長のアナウンスでは単に<ピーチ>と言っていた…

存外に多く思えた他の乗客と共に、A320で乗り込んだのは…成田空港だった。到着する場所が<第3ターミナル>という場所だ。鉄道駅が設けられている<第2ターミナル>へ向かうには酷く歩く。何度も上り下りも在る…20分かそれ以上を要して<第2ターミナル>へ…JRの列車は本数が減っていて、待ち時間がより長かったので京成電車を利用して京成成田駅に出た…そして京成成田駅の傍に押さえた宿に入った訳だ…

稚内→名寄→旭川→滝川→岩見沢→苫小牧→南千歳→新千歳空港―敢えて稚内から「札幌を経ずに新千歳空港」という経路を使ってみた…岩見沢・苫小牧の経路は、嘗て「樺太との連絡のために稚内と往来」という人達を意識した旅客列車が走ったそうだ…―、加えて空港第2ターミナル→京成成田で8本の列車に乗ったことになる…朝5時台に出発し、宿に入ったのは午後10時半頃…列車内で些かの居眠りは在ったと思うが…それ程長く居眠りしてしまったのでもない…その割には元気だ!

今日の「長かった一日…」は、「休日の旅」の実質的なスタート地点にしようということにした成田へ至ることに費やされた訳だ…

成田は…雨が交じっている…