<ラッキーピエロ>のトートバッグ…:函館(2019.12.23)

↓五稜郭タワー近くの<ラッキーピエロ>に立ち寄って入手した…函館の宿で写真に収めておいた…
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↑ピエロのマーク…<ハイ!ラッキーくん>が在って「HAKODATE」である。何となく好い…

Tシャツを入手していた経過も在ったのだが、今般は比較的近い時期に出たばかりであったらしいトートバッグを入手してしまった。

こういうトートバッグは色々と使う機会も在るので、何枚在っても邪魔にはならない…函館から遥々と稚内へ持ち帰り、このトートバッグを時々利用している…

<718>:末広町停留所:函館の路面電車(2019.12.24)

十字街停留所で函館どつく前停留所に向かう電車に乗った…

↓直ぐに末広町停留所で電車を降りた…
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↑やや狭い乗降スペースの古くからの停留所という感だ…

↓函館どつく前停留所に向けて走って行くのを何となく見送った…
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走って行く<718>は、1959(昭和34)年から1961(昭和36)年に掛けて14輌が製造されたという<710形>の1輌だ。なかなかに年季が入っているが、現在でも7輌が運行されていて、函館の路面電車の中では数が多めな部類の車輌である。この<710形>の風情が気に入っている…

因みに末広町停留所は、古い建物も色々と見受けられる地区に在る停留所だ…

<ハイ!ラッキーくん>:函館(2019.12.23)

↓<五稜郭タワー>の傍なのだが…何とも名状し難い存在感を放っていたのでカメラを向けた…
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↓こんな具合に佇む建物の前に、不思議な、そして派手なキャラクターが置かれていた…
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↑ハンバーガー等の店で、函館辺りでは人気のチェーン店<ラッキーピエロ>の店舗だ…

↓このキャラクター…<ラッキーピエロ>のイメージキャラクターで<ハイ!ラッキーくん>と言うそうだ…
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↑<ハイ!ラッキーくん>と聞いて「一寸変わっている?」とも思ったのだが、「!」も確り入って<ハイ!ラッキーくん>というのが正しい呼称であるようだ…

↓イラストになって店舗の壁にもこの<ハイ!ラッキーくん>が描かれているが、<ラッキーピエロ>のほうぼうの店舗で、このイラストや立体化されたモノを見掛ける…
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「函館ローカル」という感のチェーン店…地元の皆さんに親しまれているものだが、来訪者の間でも御馴染な店になっている感で、昼食や夕食というような時間帯を中心に大いに賑わっている様子が見受けられる…

それにしても…<ハイ!ラッキーくん>は目立つ…

土方歳三の像…:函館・五稜郭タワー(2019.12.23)

夜の五稜郭を眺めようと<五稜郭タワー>に上がった…出来れば雪を被った様子が見たかったが、函館辺りそのものに積雪が殆ど見受けられないような状況で、それは叶わなかった…とは言いながら、照明が入った夜の五稜郭の眺めは好かった…

↓そう思いながら展望室に在れば…「彼」の姿を認めた…
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↑静かに微笑んでいるかのようにも見える表情だ…

↓土方歳三の像である…
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↑展望室に来場者が多い場合、この像の辺りは来訪者で溢れているのだが、この時は静かな状態であったのでゆっくりとこの像を眺めた…

土方歳三は幕末の京都に在って、<京都守護職御預 新選組>の最高幹部であった人物だ。幕府側と新政府側との間に戦端が開かれ、戦いが続いた中、土方歳三は幕府方として戦い続け、最後の戦いとなった“箱館”で五稜郭に拠った訳だ。

“箱館”で五稜郭に拠って戦った人達の指導者は榎本武明であった訳で、土方歳三はその下で軍の部隊を率いて戦った指揮官達の一人であった。が…函館へ行けば、この時期の歴史に関することでは、土方歳三は「主役!!」のような扱いに見える…この地で勇戦の果てに斃れてしまったという史実は「心揺さぶる何か」を帯びているのかもしれない…

↓この展望室を訪れる多くの人達と対面している土方歳三…何を想うのか?
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夜の五稜郭を眺めながら、勇戦の果てに斃れてしまったという土方歳三の像と対面し、展望室から下りた…

↓展望室から入口が在るフロアに下れば、売店等も設けられている辺りに、五稜郭に拠って戦った人達等の像が幾つか据えられていた…その中にも土方歳三の姿は在った…
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土方歳三が居た<新選組>は、言ってみれば「“治安警察”に在って現場突入のような特務を担う一隊」という感の存在で、当時の「手向かい致せば斬る!」というルールの下で「刀槍の闘い」を専らとするような活動をしていた。そういう集団の指揮を執っていた人物が、短時日の間に「銃を手にした兵士が散開して戦う」という様相の中で、勇敢な指揮官として知られるようになった。結局、色々な意味で傑出した人物であったが故にそんなことも可能であったのであろう…

↓今般は、展望室でも下のフロアでも、ゆったりとこの土方歳三と対面したという感だ…
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こういう少し知られた史上の人物の像というようなモノと対面してみるというようなこと…存外に好きだ…

<豊川稲荷神社>:函館(2019.12.24)

函館には海が見えて古い倉庫の建物を活かした施設が見受けられる<ベイエリア>と呼び習わされる一画が在る。

↓その一画の傍にこういうモノが在る…
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↑適度に年季が入った神社だ…

この神社は豊川稲荷神社という。1860年代の前半、文久年間にこの神社が辺りに登場したことから、辺りが「豊川町」と呼ばれるようになったという…

↓函館も何度も大規模な火災を経験していて、この神社も残念ながら損なわれた経過が在ったようで、現在の建物は1940(昭和15)年のモノであるという…
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↓辺りは「小さな緑地」というような按配で、少し感じが好かった…
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↓変わり易い天候だった日に函館を歩き廻ったが、雪が交じる時間帯にこの豊川稲荷神社に至り、未だ隠れていなかった落葉に雪が被る様が面白かった…
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この函館の豊川稲荷神社…19世紀の街でなかなかに人気が高かった経過も在るようだ…現在は「街角の古い然程大きくない静かな社」という感ではあるが…こういう場所に立ち寄るのは面白い。

<8101>:函館駅前停留所:函館の路面電車(2019.12.23)

夕刻の函館に到着し、函館駅近くに押さえた宿に入って、直ぐに戸外へ出た…

↓函館駅前停留所に佇めば、乗車しようとしていた側と反対側に路面電車が現れた…
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↓90度カーブを通り抜けて路面電車が現れる様は美しいと思う…
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↓1輌だけの製造に留まった<8100形>の<8101>である…
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↓函館駅前停留所に停車して乗降が行われている…
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この路面電車の停留所の風情に触れると…「函館に辿り着いてしまった…」と実感出来るような気がする。「気に入っている雰囲気」に挙げたい感だ…

<9602>:駒場車庫前停留所:函館の路面電車(2019.12.24)

↓多少の降雪も交じる中、停留所に路面電車が現れた…
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↑他の車輌よりも少しだけ大きい…というような気がした。

↓右下に「らっくる号」と愛称が書き込まれている…
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↑聞けば、この愛称は「楽(ラク)に乗り降りでき,迎えに来る(クル)」との語呂合わせ、加えて「連接がフタコブラクダをイメージ」するとの理由で「らっくる号」ということになったそうだ…

この「らっくる号」こと<9600形>は函館で初めて導入された低床型電車で、2連接構造だ。2007年に<9601>が登場していて、この日見掛けて乗車した<9602>は2010年に登場した。以降、2014年に<9603>、2018年に<9604>と順次増車されて来た型だ。

函館では「らっくる号」こと<9600形>について「純国産初の2連接電車」としているようだが、札幌の<A1200形>よりも随分早く登場した「北海道初の低床型電車」ということになる…

今般、函館では随分と路面電車に乗ったが、この<9602>に乗車することが叶って好かった。結局、現時点では4輌が交代で運行されているので、意外に出くわし悪いかもしれない…

湯倉神社(ゆのくらじんじゃ):函館(2019.12.24)

函館を訪ねるということであれば…路面電車の1日乗車券を手に、路面電車で沿線を好き勝手に動き回るというような過ごし方が、個人的には非常に好い。

そういうように思ってはいるが、「端から端まで」というように全線を踏破したことが在った訳でもない。他方、全線踏破が困難な程に長大で広範な路線網という程でもない。そういうようなことを思い、「そう言えば至った記憶が…」という湯の川停留所へ向かってみた。

湯の川停留所は、函館の街の南東側と言えば良いのであろうか。温泉が在って、空港へ続く道筋に相当する地区だ。路面電車の起点・終点になっている停留所でもある。運行系統5番の函館どつく前停留所行も、運行系統2番の谷地頭停留所行も湯の川停留所から出ている。(逆に、函館どつく前や谷地頭では、路面電車の行先表示は悉く「湯の川」となっている…)

その湯の川停留所に至り、とりあえず歩道に出れば大きな石段が見えて、そこを上がってみた…

↓なかなかに趣が在る神社だ…
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↓参拝者が存外に多い感じの場所で、手水場も水が満ちていた…(冬季は“凍結”ということが在るので、北海道では水が抜かれている場合も見受けられる…)
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ここが湯倉神社(ゆのくらじんじゃ)である。

湯の川温泉はかなり古くから知られていたようであるが、18世紀の松前家の記録では、湯の川温泉の辺りに少なくとも1617年頃に薬師如来を祀った経過が在って「100年経った」と綴られているそうだ。その17世紀前半頃、松前家の若様が体調を崩してしまった際、湯の川温泉で湯治を行って快復することが出来たので、感謝の意を表して薬師如来が祀られたと伝えられているらしい。そしてこの薬師如来を祀った経過の在る場所が地域の人達にとっての「心の拠り所」のようになって行く。明治時代以降は辺りの村の神社としての位置が確立される。

何か古くから知られる温泉を擁する地域の神社「らしい…」という挿話を有していると思った…

↓小雪が交じる中で本殿を眺めて参拝もした…
24-12-2019 Hakodate (112)
↑社殿は1941(昭和16)年の建物であるという…

↓面白い挿話が在り、古い由緒を誇る社に立ち寄ることが叶ったということに感謝しながらここを辞去した…
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函館の辺りは、北海道内では古くから色々な人達が往来した経過が相対的に多く伝えられている場所で、色々と興味深い文物も在るのだ…訪ねて戻って日は浅いが、早速に「何時かまた…」というようなことを考えてみる…

<8101>:谷地頭停留所:函館の路面電車(2019.12.24)

↓谷地頭に路面電車が到着し、下車して車輌の様子を眺めた…
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↓直ぐに乗務員は反対側へ向かって準備を整え、折り返し運転となる。待っていた乗客も順次乗車する。
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↑この車輌…左側の<8101>とういう番号に「ノンステップ車」という文字が読める…

「ノンステップ車」?これは「低床型」を意識したものである。2002年に登場した車輌で、乗車時にステップが無い状況で乗車が可能というように設えた。が…低床化が図られた中央部分と前後の側に大きな段差が在り、下車時に乗務員が居る前方へ移動する際に非常に不便で、車内は窮屈になっている。車内の大きな段差から足を滑らせて危ないという事例も報告されたらしく「少々難が…」ということになり、この<8101>が登場しただけで同型車輌は無い…

↓直ぐに路面電車は湯の川停留所を目指して静かに発車した…
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↓走るに連れて電車の速度が上がる感だ…
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↓左側の軌道に乗った…
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↓そして見る間に路面電車は遠ざかって小さく見えるようになる…
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何か「過渡期的な…」という存在感の車輌だと思いながら乗車し、走る様子を眺めた<8101>だったが…これの経験を踏まえて「本格的に低床型車輌を用意すべき」ということになり、<9600形>が登場する訳である…

<2002>:十字街停留所付近:函館の路面電車(2019.12.24)

十字街停留所は2つの運行系統の軌道が合流する地点である。この十字街停留所から、函館駅前を経て、五稜郭公園や湯の川の方向へ向かおうということなら、何れの運行系統の路面電車に乗車しても差し支えない訳だ…

↓右側の軌道の先が末広町停留所で運行系統5番の路面電車が走る。左側の軌道の先が宝来町停留所で運行系統2番の路面電車が走る。2つの軌道が十字街停留所付近で交わっている様子が面白い…
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↑左側の軌道から路面電車が進入して来た…

↓方々の路面電車等で実施されている広告塗装、ラッピングでよく見掛けるパターンのモノだ…
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↑1993年に初登場という<2000形>の1輌である<2002>だ…

これに乗車して、湯の川停留所まで行ってみたのだった…

<スーパー北斗>:キハ261系ディーゼルカー:函館駅(2019.12.25)

↓函館駅のホーム…「はこだて」という駅名標が掲げられた柱が在って、その向こうに待機中の列車が視える。
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↑何となく「画になる様子…」と足を停めて眺めてしまった…

函館駅は「行き止まり式」な軌道が並んで、“フォーク形”に乗降を行うホームが設えられている。端の8番ホームに関しては、嘗ては機関車が交替する「青函トンネルへ向かう客車の列車」が発着した場所で、他のホームでは行き止まりになっている箇所が行き止まりになっていない。函館到着まで先頭だった機関車を切り離して、機関車が少し前へ動く。そして後尾であった側に別な機関車―青函トンネル区間専用に使われていたモノ―を連結して、そちらが先頭になって列車は青函トンネル、更に青森駅へ向かったのだった。

↓何度か過去に利用した列車のことを思い出しながら、札幌駅へ向かう列車を眺めて乗車である…
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↑近年、函館・札幌間の列車はドンドンとキハ261系ディーゼルカーの割合が増えている…登場した頃は「何やら見慣れない…」と落ち着かないように思えた先頭車の色合いも、少し眼に馴染んだ感である…

↓未だ乗客が然程多くない間、余裕を持って乗車した…座席の感じを写真に撮っておく…
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↑この座席の感じ…稚内・旭川間で視掛ける「最初期のキハ261系ディーゼルカー」とは感じが少し違う…札幌・旭川間等で視掛ける特急型電車の座席や、函館・札幌間で視掛ける他の型の特急型ディーゼルカーの座席と殆ど同じだ…

このキハ261系ディーゼルカー…今後も割合が多くなって、どうやら「北海道内の特急列車」というイメージになって行きそうだという…

高田屋嘉兵衛の銅像…:函館(2019.12.24)

高田屋嘉兵衛(1769-1827)は廻船業者として活躍し、“箱館”を活動の拠点として整備したことが知られている…

↓函館にその高田屋嘉兵衛の大きな銅像が在る…
24-12-2019 Hakodate vol02 (1)
↑些か雪が交じったような中、一寸立寄って眺めてみた…

この大きな銅像は1958(昭和33)年に「函館開港100年」を記念して設置されたものであるという。

↓銅像が設置された辺りは、高田屋嘉兵衛自身の時代には、彼が箱館に在った時に活動していた屋敷が在ったと伝えられる辺りなのだという…
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像の高田屋嘉兵衛は、苗字帯刀を許された商人としての正装に身を固めているが、これは「幕府の代理人」という立場でロシア艦と折衝を行った場面を再現したものであるとのことだ…

生まれ故郷である淡路島の<顕彰館>を訪ねてみた経過は在ったが、函館の銅像は初めてゆっくり眺めた。何か嬉しかった…

「街や港を拓いた」という人達の一人ということになる高田屋嘉兵衛…現在の辺りの様子をどんな想いで眺めているのであろうか?

<函館市青函連絡船記念館摩周丸>…(2019.12.25)

「函館」というのは、私のように「辿り着いた街で好き勝手に動き回って諸々の文物に触れながら景色を愉しむ」ということを好む者にとって、「動き回るべき場所」が多過ぎる…故に「そろそろ出発…」という段に至って「そう言えばあそこ?!」という場所を思い付いてしまうというのが多く見受けられる…

↓この<摩周丸>も、そうした「そう言えばあそこ?!」という場所の一つであるように思う…
25-12-2019 Hakodate in early morning (2)
早朝の函館駅での用事を思い立った時、宿から戸外に出てこの<摩周丸>の辺りを廻って歩いたのだった…

<摩周丸>…函館と青森との間、津軽海峡を往来していた連絡船であった船である。正式には<函館市青函連絡船記念館摩周丸>と言うそうだ…

「青函連絡船」に関しては…「2往復半」乗船している。小学生の頃、中学生の頃に各々往復している他、進学を目指して札幌から東京へ南下した際に片道乗船したので「2往復半」だ…

↓「12月下旬」と聞いて思い浮かべる程の雪は無い状況ながら、「冬の風情」が溢れ「地域らしい」という雰囲気を感じた…
25-12-2019 Hakodate in early morning (4)

ここ…また何時かゆっくりと寄りたい感だ…

パーカー…(2019.12.24)

↓函館の宿で何となく撮った画である…
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稚内から南下して札幌に至った時…「そう言えば…替えの靴下というようなモノ…特段に持たずに動き始めてしまった…」と札幌駅近くの衣料品の店に立寄った時、求めようと思ったモノをレジへ持って行くカゴに容れて、何となく店内を眺めていた。そしてこのパーカーを見付けた…「好さそうだ!!」とこれもカゴに加え、結局求めてしまった…

このパーカーは札幌でデビューし、函館、室蘭、旭川と巡って稚内に至っているが…なかなかに重宝する冬季用の衣類という具合になっている…長袖Tシャツを着て、その上にコレというような感じがスッカリ気に入ってしまっている昨今だ…

<2019 はこだてクリスマスファンタジー>(2019.12.23)

函館では、友好交流が在るカナダの街から贈られる木を使って<ベイエリア>と呼び習わされる煉瓦造の倉庫群が見受けられる辺りに大きなクリスマスツリーを飾ることが恒例化している。これを<はこだてクリスマスファンタジー>と呼んでいるそうだ…

↓こういう具合に大きなクリスマスツリーが輝く…
23-12-2019 Hakodate (55)
↑ツリーそのものは海の上に据えられている…

↓なかなかに見事なものだ…
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↓倉庫であった建物は、様々な商業施設等として利用されているのだが、この<はこだてクリスマスファンタジー>の期間は賑わいを少し増すようである…
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↓こういう「時季らしい」という感じの飾りが見受けられる…
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↓辺り一帯が、「ツリーの在る広場の周りの小さな街」というような様相を呈している…
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↓このエリア自体、煉瓦造の倉庫や、それを模した設えの建物が集まって独特な趣を醸し出しているのだが…
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↑「クリスマス時季」の様子も、既に広く知られたものとなっている感だ…なかなかに見栄えは好い…

函館に着き、五稜郭タワーを訪ねた後にこのエリアへ向かった。雪は少ない中、気温がグングンと下がり始めていたような感で、長い時間の散策はキツく、直ぐに宿へ引揚げたという状況も「想い出」という感だ…

<はこだてクリスマスファンタジー>の期間は「12月25日まで」ということで…多分、終了翌日にパタパタと片付けられたのだと想像するが…全く初めてこれを視る機会が得られたことは好かった…

函館ハリストス正教会(2019.12.24)

↓美しい建物だと思う…
24-12-2019 Hakodate (24)
↑雪が降り頻った中で戸外に出て、この辺りに至る頃には天候が好転し、朝の光にこの建物が浮かび上がるような感だった…

↓ロシア正教の教会だ…「らしい」という感じの形状だと思う…
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未だ「箱館」という字で地名を綴っていた幕末期の1859年、所謂「開国」ということでロシア領事館が開設された際、ロシア正教の聖堂が領事館内に設けられたという。これがロシア正教の「日本国内初登場」ということになるのかもしれない。その後1861年に至って、修道司祭のニコライ(カサートキン)(1836-1912)がやって来る。

↓ニコライは永く日本に留まってロシア正教の布教を続けることになる。その功績が顕彰されているのだが、この函館の<函館ハリストス正教会>にもモニュメントが据えられている。
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↓このロシア正教の教会というモノは、何となく「雪が酷く似合う」のかもしれない…
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9月にも立ち寄った経過が在ったのだが、あの時は夜だった。だから「冬の朝の光」に浮かぶ様が鮮烈に思えたのだった。

カトリック元町教会:函館(2019.12.24)

函館に滞在し、雪が降り頻る朝に戸外へ出た…路面電車を利用して動き回る中、天候は好転した…

↓多少、凍っているような箇所も散見した中で元町エリアを歩き廻った…そして出くわした光景である…
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↑「ヨーロッパの或る国の、或る街で…」と嘘を言っても…信じられてしまいそうな気がする…

9月にも辺りを歩いた経過は在るのだが、あの時は「夏の終わりの夜」だったので、「冬の朝」である今般とは趣が異なる…

こういう具合に「季節を変えて同じ場所を視る」というのも面白い…

函館駅:早朝…(2019.12.25)

函館から発とうとしていた日の早朝…利用していた<北海道フリーパス>で、未だ特急列車の指定席券を取ることが可能なので、一寸窓口へ行ってみようと思い付いた…

↓現在の駅舎の建物…既に見慣れたモノだが…こうやって静かな早朝に眺めると、なかなかに美しいかもしれない…
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↓不意に変な凍り方をしている箇所に当たる場合も在るので、足下に注意しながら慎重に近付いた…
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↓現在の“売り”は「新幹線は函館地域で北海道に上陸」ということであるのであろう。新幹線の看板が入口に掲出されている…
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↓無事に用事が足りて、安心して再び戸外へ…
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↑日が上る少し前なのだが…何となく「日没直後辺り?」という空気感も漂う…

2019年が残り少なくなって来ているが…この1年で函館には2回立寄った。そして想い出も多く出来た…またこの駅を利用してみたいものだ…

八幡坂:函館(2019.12.24)

「八幡坂」と聞けば、「八幡宮にでも関連?」と思ってしまうが、現場にそれらしきモノが見受けられるのでもない…

↓ここがその八幡坂だ…確かに神社が在るのでもない…
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↑他方で「青函連絡船」が“記念館”となっている辺り等、海が見える…函館の有名な眺望の一つであろう…

函館には古くからの歴史を誇る八幡宮が在る。19世紀に入った頃、幕府が蝦夷地での活動を活発化し、より広い箱館奉行所の敷地を求めたため、八幡宮が在った場所を奉行所とし、八幡宮は遷座した。その遷座した場所が現在の八幡坂だ。「八幡坂」という呼称は八幡宮に関係が深かった…

因みに八幡宮は明治時代に大きな火災で焼失し、現在地の谷地頭に遷座している…(八幡宮については9月に立寄った…)

↓ここを訪れた時は晴れ間が覗き、気持ちが好い感じだった…が、津軽海峡や函館の湾を渡っている風は冷たかった…
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<スーパー北斗>:キハ281系ディーゼルカー:函館駅(2019.12.23)

↓新札幌駅で乗車した列車が函館駅に着く頃…既に陽が落ちてしまって、辺りは暗かった…
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↑札幌駅・函館駅間の特急列車では御馴染みだったこのキハ281系ディーゼルカー…「そう言えば、最近は少なくなっている?」と思いながら乗車していた…

何となく好い感じだが…少し前に読んだ小説が札幌を舞台にした物語で、冒頭の方に寂しい少年が行き交う列車を眺めている場面が在る。列車が辿り着く知らない街へ行きたいというのでもなく、あの車輛に乗ってみたいと少年は思っているのだ…多分、この型の車輛のことを指しているのだろう。私の場合?列車を視れば「あの車輛に乗りたい」と「行き着く先の知らない街を訪ねたい」とが相半ばする…

因みにこの車輛…折り返し札幌へ向かう列車として運行されるようで、暫く待機になるようだった…

飛行機雲…:函館駅前(2019.12.25)

また想い出が増えた函館から発とうと函館駅へやって来た…

駅の側を視て…何やら不思議なモノが視えた…

↓駅前のオブジェの向こう…ホテルのビルが見えるが、空を斜めに上昇するように「ラインが引かれている?!」というようなモノが視えた…
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↓「ライン」は伸び続け、輝く太陽の光で視え悪くなって行った…
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飛行機雲だ…最初に「ライン」に気付いたビルの方角の向こうに空港が在ったような気がした…一寸面白かった…

<茶房 旧茶屋亭>:函館(2019.12.24)

「ベイエリア」と呼び習わされているようだが、函館には古い倉庫のような建物が多く残り、それを活かした店舗等が集まっていて、国内外から来訪者も地元の皆さんも多く訪れているような一画が在る。場合によって、来訪者の皆さんの「何処の言葉?」という話し声の方が目立つように感じられる場合も在る程だ…

↓その「ベイエリア」の一隅にこんな建物が在る…
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↑明治時代の後半から大正時代位に流行ったらしい、和洋折衷のような、現在の目線で視ると不思議な感じもする、独特な味わいの建物だ…実際、そういう時代の商家で市の「文化財」という指定の建物であるそうだ…

「好い建物…」と眺めていたが…脇の電柱に<茶房 旧茶屋亭>と「←」が書かれた広告が貼って在る。「カフェでも在る訳か…」と思って何となく視ると…眺めていた建物がその<茶房 旧茶屋亭>だった…

多少驚いたが、朝のやや早い時間帯から精力的に動き回る結果―元町エリアを経て立待岬を訪ね、引揚げてベイエリア…路面電車の“1日乗車券”が大活躍していた…―になっていたので、カフェに入って一息入れるには好い状況だった…

↓入口近くで2階を見上げてしまった…そして中に入った…
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↓入ってみれば…アンティーク調な家具が据えられた、何か素敵な「サロン」という感じだ…
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↑こういう設え…国内外の様々な人達が函館で活動していた大正時代頃のような雰囲気を意図したらしい…

↓「しっとりとした苦味」という感じの珈琲が酷く美味かった!
24-12-2019 Hakodate (97)
↑好みの菓子を選んで添えて頂くようになっているが…選んでみた<芋羊羹>は「サツマイモそのもの!?」という味わいで、これが酷く好かった!「食べ過ぎるなぁ!!」と御叱りを受けかねない程度にガツガツと食べられる感じだった…甘味料を加えるのでもない、自然なサツマイモの甘味が好かった…

↓後からシャーベットも出て来る…
24-12-2019 Hakodate (98)

何か「街が発展していた時代」のムードに浸るような感じで美味い珈琲を頂いたというのは、非常に好い感じだ…

>><茶房 旧茶屋亭>のウェブサイト

<719>:函館駅前停留所&十字街停留所:函館の路面電車(2019.12.24)

「存外に雪が激しい…」と思いながら、宿で軽い朝食を頂いた後に戸外へ出た…

↓降雪の粒子は細かく軽い…時々吹き抜ける強風で雪が激しく宙を舞うようになる…そんな中でも電車は普通に運行されている…
24-12-2019 Hakodate (5)

↓現れた<719>は「90度カーブ」を経て函館駅前停留所に進入する…
24-12-2019 Hakodate (7)

↓停留所に停まると、反対方向に進む電車の<8007>も停車中で2輛が並んだ…
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↓<719>に乗込んで、十字街停留所まで移動して下車した…車内で「1日乗車券」を確りと求めた…
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↑車輛後尾に、軌道上の雪が跳ね上がって付着している様子も認められる…

十字街停留所に着いた辺りで降雪は止んでいた…が、この日は目まぐるしく雪が降る、止むを繰り返し、気温も上がらずに多少冷たい風が強い場面も在った…或いは「冬らしい…」という感であった…

<720>:函館駅前停留所:函館の路面電車(2019.12.23)

暗くなってから函館に着いたが、それでも“1日乗車券”を入手して路面電車に乗って少し街を巡った…

↓進もうとした側とは反対側だが…「函館の車輛らしい…」と何となく思っている700形の1輛である<720>が現れた…
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↓「90度カーブ」から函館駅前停留所に進入する路面電車の様子を眺めると「函館に在る…」ということを実感するような気もする…
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↓「増車」というプレートを正面に掲出している…「年末の夜」ということで、乗客が何時もより多めなのであろう…
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↑この<720>には、少し名前が通った菓子店の広告が入っている…

↓そして乗降のために停車である…
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何か…酷く風情が在る光景だ…

津軽海峡を望む…:函館・立待岬(2019.12.24)

函館の街中から視れば南西側ということになろうが…函館山から周囲を視回す場合は南東側ということになる辺り…「立待岬」(たちまちみさき)という場所が在る…

↓立待岬からはこんな景色が視られる…
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↑津軽海峡に少し飛び出したような場所…丘陵のような感じで、海峡に視界が開ける場所だ…今日は雲がやや多く、雲の隙間から光が放たれて海面が輝いていた感だった…

函館に留まり、「そう言えば立寄っていない?」というような辺りを漫然と巡るか、何となく長閑に過ごそうかと思い付いたが…宿で軽い朝食を頂き、戸外へ出てみれば少し激しい雪で気温は氷点下4℃程度だった…そんな状態な中で路面電車の“1日乗車券”を入手して街を動き回り始めると、晴れ間と降雪と曇天とが目まぐるしく入れ替わり、時々風が強くなるという状況だった。昨日も「極少ない積雪な中、路面の一部に確りと凍り付いた箇所が散見」という感であったが、今日はそういう箇所が薄い積雪で覆われ、更に状況は好くなかったかもしれない…

運行系統2番の路面電車の起点・終点となっている谷地頭停留所に至った頃は晴れていた。そこから立待岬へ歩く…1㎞程度ということだった。坂道を歩くのだが…一部が凍って歩き悪かった…そして道路は「冬季は車輛進入禁止」となってしまっているのだ…逆に言えば、車輛の通行を気にせず、歩き易いように歩くことが可能なので好いが…

↓津軽海峡を渡る風は多少冷たく、断続的に強めになった…他方で雲と光、加えて海面や辺りの岩礁とが創る情景は美しかった…
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↓少し西側に眼を転じると、趣が変わる…
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↓或いは、「立待岬で望んだ冬の津軽海峡」というのは、忘れ難い光景ともなった…
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↓正面に津軽海峡を眺めた場合…背中側が函館の街になる…
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冷たい風に晒されてかなり冷えた…谷地頭停留所の辺りに引揚げて、少し別な方向に進むと<谷地頭温泉>というモノが在る。早朝から夜まで営業している場所で、なかなか本格的な温泉に入浴出来る…そこで確りと冷えた身体を温めてから街中の側へ引揚げた…

↓冬季には多少の苦戦も在り得る道程だが…立待岬で望む津軽海峡…なかなかに好い!
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五稜郭:夜…(2019.12.23)

「雪を被った様子が…視たい!」と五稜郭を訪ねたが…函館そのものに積雪が殆ど見受けられない…他方、少し歩き廻ると「凍る足下」が散見するので要注意だ。気温は0℃やそれ以下で、手が酷く冷たくなってしまう場合も在る…

↓それでも「灯りが点いた様子…視たい!」というのは叶った…
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↑<五稜郭タワー>に入場可能な時間帯までに何とか函館に辿り着いたのだ…<五稜郭タワー>は午後5時以降に入場料を1割引きにしていた…それが適用となる時間帯に辿り着いたのだった…

暗い空に五稜郭の独特な形状の縁に据えた灯りが点っている様…そして少し離れた街の灯り…なかなかに好い感じだ!冷えた空気の中に煌めく灯り…というような風情が好い!

当然ながら少し前に視た「晴天の日中」という様子とは大きく趣が異なると思う…こういう「同じ場所を比べる」というような感じで視られるのも面白いと思う…

<3001>:十字街停留所&函館駅前停留所:函館の路面電車(2019.12.23)

「路面電車が行き交う街」に辿り着いたなら…とりあえず乗車してみたい…

函館…新幹線の東京・新青森間が713㎞だというが、稚内・函館間は714.9kmだという…札幌での所用を足し、何となく函館まで流れてしまった…函館は「路面電車が行き交う街」だ。

↓「函館どつく前」へ向かう軌道と「谷地頭」へ向かう軌道とが交差する十字街停留所に、谷地頭停留所からの電車が向かって来た…
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↓「2」と運行系統番号が掲出されている。この「2」が「谷地頭」と「湯の川」とを結んでいる…
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↓この雰囲気…「函館の電停」という感じだと思う…
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↓地元の皆さんも、国内外から函館を訪れる皆さんも多用している路面電車だが…車内にこんなモノが掲出されていた…
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↑「車輛の紹介」が掲出されている…“電車”の目線で自己紹介するような文面になっているのだが、何か運行している関係者や街の人達に「電車が愛されている」という感が伝わって微笑ましいと思った。

この<3001>というのは、1993年に「久々に新造する車輛」ということで、当時の新しいメカニズムも搭載した「期待!!」の車輛で、関係者の間では長く“新車”が通称だったというモノだという。

↓函館駅前まで乗車し、カーブを曲がって湯の川へ向かって行くのを見送った…
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↓辺りの灯りに車体が浮かび上がる感じが好い…
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↓「夜の街を往く」という風情…なかなかに好い…
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この様子を視て、然程の時間も経たずに…宿で深く眠ってしまい、妙な時間帯に眼を開けてしまった…

<719>:五稜郭公園前停留所&函館駅前停留所:函館の路面電車(2019.09.01)

久々に函館を訪ねてみたという経過を何となく思い出す…

↓路面電車で動き回り、五稜郭を訪ねた…
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↑函館駅前方面へ移動しようと、乗車する電車を待っていた時に撮った画だ…この型の車輌…何となく好い!

↓乗車して、最後尾側の乗務員が乗っていない運転台の辺りに陣取った…
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↑<719>は<710形>の1輌で、1960(昭和35)年製造とのことだ。何となく「製造された時代」の雰囲気が感じられるような運転台だと思った…

↓何時頃から貼り出されているのか?「左のことが禁止されております」と<軌道運輸規定(運輸省令)>というモノが在った…
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↑こんなモノに興味を示して、写真まで撮っていた奇矯な乗客は私だけだったが…

↓そして函館駅前停留所に着いて下車した…
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「路面電車で函館の街を巡る」というのも、一寸面白い…

函館ハリストス正教会(2019.09.01)

↓函館山からも一寸視えていた場所だが…函館山を下りて、辺りを散策し始めた時に近付いてみた…
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↑ロシア正教の教会だ…この建物が在る様子は「函館らしい景観」というようにされているようでもある…なるほど、ロシア正教の教会は、特徴的な外観の建物だ…

未だ「箱館」という字で地名を綴っていた幕末期…1859年にロシア領事館が開設された際、ロシア正教の聖堂が領事館内に設けられたが、これがロシア正教の「日本国内初登場」ということになるのかもしれない。その後1861年に至って、修道司祭のニコライ(カサートキン)(1836-1912)がやって来る。

江戸時代のキリスト教の禁止は明治時代に入った当初はそのままであったが、解禁になるとロシア正教の布教も活性化する。ニコライは函館を振り出しに伝教活動を続け、やがてニコライ堂(東京復活大聖堂教会)が建てられ、日本のロシア正教の中心になって行く…

函館のロシア正教の教会…「日本で最も伝統が在る、ロシア正教の活動の場」ということになる。幕末期に設けられた聖堂以来の流れを汲む現在の<函館ハリストス正教会>は1916(大正5)年の建物で、1988(昭和63)年に大掛りな修復が施されて現在に至っているそうだ…

↓すっかり暗くなった中だが…「ロシア正教の建物!」という様式の建物で、なかなかに趣が深い…
01-09-2019 Hakodate (100)

領事館の聖堂で活動する司祭の募集ということで、伝教の想いに駆られて来日し、日露戦争の頃も日本に留まったというニコライ…その生涯の物語の初期が織り成された函館…“日ロ交流史”というようなモノの中で重要な位置を占めるのだと思うが…その舞台ともなった場所に足跡を記すのも興味深い…“次回”が在るなら、もう少しゆったりと立ち寄りたい気がする場所だ…

カトリック元町教会:函館(2019.09.01)

↓「ヨーロッパの或る国の、或る街で…」と嘘を言っても…信じられてしまいそうな気がする…
01-09-2019 Hakodate (102)
↑函館山を下りて、辺りを散策した時に出くわした様子だ…

↓近くに寄って眺めてみた…
01-09-2019 Hakodate (103)
↑欧州風な感だが、右寄りの建物、画の真ん中辺りの出入口扉の上に「會教公主天」(「天主公教會」の昔風な書き方)という「日本語!!」が刻まれている…日本国内だ…

この「天主公教会」(てんしゅこうきょうかい)(※写真では「会」が旧字体の「會」になっている…)というのは、ローマカトリック教会の古い呼び方である。画の建物の出入口に見受けられる「會教公主天」(=天主公教会)という表示自体が「カトリック教会」という“看板”な訳だ。ここは<カトリック元町教会>と呼ばれる教会だ…

<カトリック元町教会>は1859年にフランス人が開いた聖堂を起源とし、1877年にフランス人司祭の手で初代の教会の建物が竣工したという。

初代の建物は1907年に火災で焼失し、1910年に煉瓦造の教会が2代目の建物として登場した。そしてこの建物も1921年の火災で損なわれてしまう。焼け残った壁等も利用し、1924年に再建された。その3代目の建物が現在の建物である…

↓現在でもカトリック信仰の活動の場である訳だが、逸早く開港して国外の文物が流入したという地域の歴史を伝える場でもある…色々な意味で興味深かった…
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