全く乗車した経験が無い路線バスに乗って移動するのは少し興味深い。「如何いう感じの場所を通るのか?」と興味津々で車窓を眺める。が、時に些かの居眠りも交ってしまう。
栗山駅前を発ったバスは、それ程の時間を経ずに岩見沢市の区域に入ったようだ。そういう様子を見て、居眠りが交ってしまった。やがて気付くと、少し乗車する乗客が増えた。
岩見沢の街中に近くなり、色々な公的施設等の辺りに設けられた停留所で乗客の入れ替わりが色々と生じた。やがて「この道の先に岩見沢駅…」と判る辺りを走るようになる。
↓「終点、岩見沢ターミナルです」ということで、岩見沢駅南口の駅舎隣り辺りに在るバスターミナルの建物を望むような場所に設けられた、下車用停留所にバスは停まる。そして下りた。
このバスは「栗山・岩見沢間」というより、「岩見沢市内の路線」とい雰囲気が色濃いのかもしれないと思った。
岩見沢・栗山間の移動である。列車は440円で30分を切るが、バスは600円で45分弱を要した。バスに関しては、今般乗車したバスと経由地が少し違うという便も在るようだ。運行本数がやや多い。対して列車は運行本数が少ない。何方が好いとも決められない。
今般、往路は列車、復路はバスということになったのは、少し興味深かった。岩見沢へ着いてからは、思い描いていた列車で旭川へ向かう。列車でもバスでも、その予定には間に合って何等の問題も無い。
岩見沢駅にて…(2024.05.13)
雨も交じる様子の中で<岩見沢レールセンター>の建物を眺めるというようなこともしていた。やがて乗る予定の列車の発車時刻が近付いた。
↓窓口で切符を求めた。
↑「券売機?何処?」とキョロキョロしていて、何となく窓口が眼に入ったので切符を求めたが、窓口辺りに佇めば眼の先に券売機は在った。が、こういう切符も味わいが在って好い。(ワンマン運行で乗務員に切符を渡して下車なので、切符は手元には残せなかった。有人改札の場合には、申し出てスタンプを押してもらうと持ち帰ることが出来る。)
↓岩見沢駅は「札幌の都市交通網の北東端側」という感じで、存外に多くの列車が発着していると思う。特急列車も停車する。
↓苫小牧殿間を往来する列車だ。キハ150ディーゼルカーによる運行だ。何時の間にか、この路線の主流がこの車輛になった感じだ。
↓車内の様子だ。H100形もこういう感じになっている。多分、このキハ150ディーゼルカー以降の車輛はこういう感じを基礎としているのであろう。
この列車で栗山駅へ向かった。
↓窓口で切符を求めた。
↑「券売機?何処?」とキョロキョロしていて、何となく窓口が眼に入ったので切符を求めたが、窓口辺りに佇めば眼の先に券売機は在った。が、こういう切符も味わいが在って好い。(ワンマン運行で乗務員に切符を渡して下車なので、切符は手元には残せなかった。有人改札の場合には、申し出てスタンプを押してもらうと持ち帰ることが出来る。)
↓岩見沢駅は「札幌の都市交通網の北東端側」という感じで、存外に多くの列車が発着していると思う。特急列車も停車する。
↓苫小牧殿間を往来する列車だ。キハ150ディーゼルカーによる運行だ。何時の間にか、この路線の主流がこの車輛になった感じだ。
↓車内の様子だ。H100形もこういう感じになっている。多分、このキハ150ディーゼルカー以降の車輛はこういう感じを基礎としているのであろう。
この列車で栗山駅へ向かった。
<岩見沢レールセンター>…(2024.05.13)
岩見沢駅で北口への連絡通路に足を踏み込み、歩を進めた。
↓こういう様子が見えた。
↑列車の窓からも見える大きな煉瓦造の建物だ。何本も敷かれた線路が在って、岩見沢駅から直ぐ近くながら近付き方がよく判らなかった。北口への通路を通れば簡単だ。
↓<岩見沢レールセンター>というJR北海道の施設だ。現役の施設で、関係者以外は建物外観を眺めるだけということになる。
↑壁の高い辺りに「☆」のマークが在る。これは「北海道炭礦鉄道」のマークだという。
「北海道炭礦鉄道」は、北海道で最初の鉄道を手掛けた「官営幌内鉄道」から路線の譲渡を受けて各地の鉄道輸送を担い、1892(明治25)年に現在の室蘭線を始めたという会社だ。この建物は1898(明治30)年に着工で1899(明治31)年に竣工したという。「北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場」として登場し、以降は鉄道会社が変わる都度に引き継がれて、現在でもJR北海道で使用している。
↓事務所出入口も見えた建物が、明治時代の建築であるようだ。
↓小雨の中、長く風雪に耐えて現在も現役という煉瓦造の建物の壁は、何とも名状し難い風格を漂わせていた。
↓これは外観を眺めるだけでも興味深い。
↓雨が滴る感じを何となく眺めた。
↓興味深い場所を眺めてみる術をしったことになる。
この<岩見沢レールセンター>は、道内各地のJR路線で使用されるレールの加工を一手に行っているそうだ。
↓こういう様子が見えた。
↑列車の窓からも見える大きな煉瓦造の建物だ。何本も敷かれた線路が在って、岩見沢駅から直ぐ近くながら近付き方がよく判らなかった。北口への通路を通れば簡単だ。
↓<岩見沢レールセンター>というJR北海道の施設だ。現役の施設で、関係者以外は建物外観を眺めるだけということになる。
↑壁の高い辺りに「☆」のマークが在る。これは「北海道炭礦鉄道」のマークだという。
「北海道炭礦鉄道」は、北海道で最初の鉄道を手掛けた「官営幌内鉄道」から路線の譲渡を受けて各地の鉄道輸送を担い、1892(明治25)年に現在の室蘭線を始めたという会社だ。この建物は1898(明治30)年に着工で1899(明治31)年に竣工したという。「北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場」として登場し、以降は鉄道会社が変わる都度に引き継がれて、現在でもJR北海道で使用している。
↓事務所出入口も見えた建物が、明治時代の建築であるようだ。
↓小雨の中、長く風雪に耐えて現在も現役という煉瓦造の建物の壁は、何とも名状し難い風格を漂わせていた。
↓これは外観を眺めるだけでも興味深い。
↓雨が滴る感じを何となく眺めた。
↓興味深い場所を眺めてみる術をしったことになる。
この<岩見沢レールセンター>は、道内各地のJR路線で使用されるレールの加工を一手に行っているそうだ。
連絡口<駅北広場方面>…:岩見沢駅(2024.05.13)
岩見沢駅は跨線橋から通じる改札口が2階に設えられ、辺りに窓口と駅員の積める事務所や待合所が設けられている。
↓その辺りにこういう出入口が在る。
↑画のように扉を見て発つ場合、背中側にエスカレータが在って、大概はそれを使って下りて、1階に在るコンビニを利用するようなことをしている。言わば「未知の扉」が眼前に在る。
↓入ってみた。通路が設えられていた。
↑駅を利用する人達、駅近隣を訪れる人達が利用する駐輪場も脇に設えられていた。
↓列車から見える場合も在る、何本も線路が敷かれた広めな構内を横断する大きな通路が在った。
↓駅の北側へ下りられるようになっている。
今般、列車に乗り継ぐまでに少し時間が在ったので、初めてこの駅の北側への通路に入った。一つ覚えた。機会が在れば、また通ってみたい。
↓その辺りにこういう出入口が在る。
↑画のように扉を見て発つ場合、背中側にエスカレータが在って、大概はそれを使って下りて、1階に在るコンビニを利用するようなことをしている。言わば「未知の扉」が眼前に在る。
↓入ってみた。通路が設えられていた。
↑駅を利用する人達、駅近隣を訪れる人達が利用する駐輪場も脇に設えられていた。
↓列車から見える場合も在る、何本も線路が敷かれた広めな構内を横断する大きな通路が在った。
↓駅の北側へ下りられるようになっている。
今般、列車に乗り継ぐまでに少し時間が在ったので、初めてこの駅の北側への通路に入った。一つ覚えた。機会が在れば、また通ってみたい。
雨の朝:岩見沢駅到着…(2024.05.13)
早朝の旭川駅で乗込んだ737系電車の列車は、通勤・通学と見受けられる人達の乗降が多く見受けられるような様子で進み、岩見沢駅に到った。
↓所謂「ワンマン運行」だが、岩見沢駅で乗務員が交代する。
↓未だ新しい737系電車だが、辺りの「風景」として馴染んで行くようになることであろう。
↓折り返し運転に備えて、乗務員は運転台側へ進んでいた。
↓跨線橋に上った。右が乗って来た737系電車で、左はキハ150ディーゼルカーの2輛連結だ。苫小牧側から到着したところであるようだ。
↓やや間が在る乗継だ。岩見沢駅の辺りで過ごす。
今般は「通り過ぎている経過の在る駅を利用」というような様子になっているが、岩見沢駅もそういう例に含まれるかもしれない。それにしても、小雨が少し強めになっていた。キツいという程でもなかったが。
↓所謂「ワンマン運行」だが、岩見沢駅で乗務員が交代する。
↓未だ新しい737系電車だが、辺りの「風景」として馴染んで行くようになることであろう。
↓折り返し運転に備えて、乗務員は運転台側へ進んでいた。
↓跨線橋に上った。右が乗って来た737系電車で、左はキハ150ディーゼルカーの2輛連結だ。苫小牧側から到着したところであるようだ。
↓やや間が在る乗継だ。岩見沢駅の辺りで過ごす。
今般は「通り過ぎている経過の在る駅を利用」というような様子になっているが、岩見沢駅もそういう例に含まれるかもしれない。それにしても、小雨が少し強めになっていた。キツいという程でもなかったが。
岩見沢駅を発つ…(2024.05.13)
結局、旭川駅に近い、勝手ながら「別宅」と呼んでみる場合も在る馴染んだ宿を「前線拠点」として動き回っていた。栗山を訪ねた日も、最後は旭川へ引揚げる。
↓旭川駅へ向かう列車を岩見沢駅で待っていれば、その姿が見えた。
↑こうやって、現れる列車を待つ風情がなかなかに好い。
↓岩見沢に到着した列車が、折り返し運転で旭川へ向かうようだ。
↓停車し、乗客が下り、旭川方向へ向かう乗客が乗り込む。
沿線の様々な学校(高校、短大、大学、専門学校等)の学生が多いと見受けられたが、新しい737系電車のロングシートの感じは、「大きな都市圏の通勤・通学の電車」という風情であった。そういう様子で途中に随分と乗客も入替りながら旭川駅へ向かって列車は進んだ。
少し前迄、ICカード乗車券が利用出来たのは岩見沢迄だった。最近になって、岩見沢・旭川間のこの路線でIC乗車券が利用可能となった。そしてこの新しい737系電車である。辺りの様子も変わっている感じだ。
↓旭川駅へ向かう列車を岩見沢駅で待っていれば、その姿が見えた。
↑こうやって、現れる列車を待つ風情がなかなかに好い。
↓岩見沢に到着した列車が、折り返し運転で旭川へ向かうようだ。
↓停車し、乗客が下り、旭川方向へ向かう乗客が乗り込む。
沿線の様々な学校(高校、短大、大学、専門学校等)の学生が多いと見受けられたが、新しい737系電車のロングシートの感じは、「大きな都市圏の通勤・通学の電車」という風情であった。そういう様子で途中に随分と乗客も入替りながら旭川駅へ向かって列車は進んだ。
少し前迄、ICカード乗車券が利用出来たのは岩見沢迄だった。最近になって、岩見沢・旭川間のこの路線でIC乗車券が利用可能となった。そしてこの新しい737系電車である。辺りの様子も変わっている感じだ。
岩見沢駅にて…(2024.01.03)
↓札幌駅で乗車した列車が岩見沢駅に着いた。
↓721系電車を跨線橋から見下ろした。
↓乗換えの列車迄に少し間が在ったので、改札を潜って駅内のコンビニで飲物を求め、外に少し出てみた。
↓駅舎を何となく眺めたのだが、駅周辺の雪が少な目に思えた。「岩見沢」と言えば「とりあえず雪が多い」という感なのだが、歩く箇所は雪が融けている…
↓旭川へ向かう列車が現れたので跨線橋を通ってホームへ向かった。
↓北海道で用いられた農業用馬の木彫が据えられているホームだ。
↓なかなかに迫力が在る彫像だ。
↓721系電車を乗り継ぐ形で、札幌・岩見沢、岩見沢・旭川を移動することになった。
↓721系電車の車内だ。
↓こういう身軽な様子で移動していた。
↓前途を祝す…
<青春18きっぷ>を使用しての移動だった。日中にのんびりと動くには好適だと思う。“シーズン”にはこうした移動をする場合も在る。今回は「岩見沢駅の雪が少ない…」と驚いたが、沿線は全般に雪が多くはない様子だと思う。それでも、「急に大雪…」という様子にはなっている今季だ。12月24日がそうだった…平穏に過ごし、順調に動いていることに感謝したい。
↓721系電車を跨線橋から見下ろした。
↓乗換えの列車迄に少し間が在ったので、改札を潜って駅内のコンビニで飲物を求め、外に少し出てみた。
↓駅舎を何となく眺めたのだが、駅周辺の雪が少な目に思えた。「岩見沢」と言えば「とりあえず雪が多い」という感なのだが、歩く箇所は雪が融けている…
↓旭川へ向かう列車が現れたので跨線橋を通ってホームへ向かった。
↓北海道で用いられた農業用馬の木彫が据えられているホームだ。
↓なかなかに迫力が在る彫像だ。
↓721系電車を乗り継ぐ形で、札幌・岩見沢、岩見沢・旭川を移動することになった。
↓721系電車の車内だ。
↓こういう身軽な様子で移動していた。
↓前途を祝す…
<青春18きっぷ>を使用しての移動だった。日中にのんびりと動くには好適だと思う。“シーズン”にはこうした移動をする場合も在る。今回は「岩見沢駅の雪が少ない…」と驚いたが、沿線は全般に雪が多くはない様子だと思う。それでも、「急に大雪…」という様子にはなっている今季だ。12月24日がそうだった…平穏に過ごし、順調に動いていることに感謝したい。
岩見沢駅にて…(2023.04.02)
滝川駅から乗車の721系電車が岩見沢駅に近付く。列車の先頭側に乗車していた。
↓場所が空いていたので佇み、列車の進行する側を眺めてみた。
↓定位置に停車すべく、次第に減速している様子が何となく判る。
↓ホーム上の馬のオブジェも見えた。
↓もう一息だ…
↓列車は岩見沢駅に到着した。
↓札幌方向への列車迄、少しだけ間が在った。外に一寸だけ出てみる。
↓所謂、橋上駅なので外に出るとまた上に上る形になる…
↓跨線橋から構内を観る。滝川駅から乗って来た車輌が未だ停まっているようだ…
↓札幌方面へ向かう列車が現れた。733系電車だ。
↓岩見沢駅まで来ると、ロングシートの内装の車輌にも出くわす。岩見沢駅を発着する普通列車も、札幌都市圏の交通網の一部であることに思い至る。
早朝からの長い移動も、札幌で食事休憩という感じで段落はする。もう少しだ…
↓場所が空いていたので佇み、列車の進行する側を眺めてみた。
↓定位置に停車すべく、次第に減速している様子が何となく判る。
↓ホーム上の馬のオブジェも見えた。
↓もう一息だ…
↓列車は岩見沢駅に到着した。
↓札幌方向への列車迄、少しだけ間が在った。外に一寸だけ出てみる。
↓所謂、橋上駅なので外に出るとまた上に上る形になる…
↓跨線橋から構内を観る。滝川駅から乗って来た車輌が未だ停まっているようだ…
↓札幌方面へ向かう列車が現れた。733系電車だ。
↓岩見沢駅まで来ると、ロングシートの内装の車輌にも出くわす。岩見沢駅を発着する普通列車も、札幌都市圏の交通網の一部であることに思い至る。
早朝からの長い移動も、札幌で食事休憩という感じで段落はする。もう少しだ…
岩見沢駅にて…(2022.12.22)
稚内駅から名寄駅へ移動し、乗換えで旭川駅へ進み、そこから滝川駅に進んで更に列車を乗換えた。
↓列車は岩見沢駅に近付く。
↓久し振りに正面展望を何となく愉しんだ。減速して停車位置へ進んでいる。
↓岩見沢駅のホームは少し長い感じだ。
↓滝川駅で乗り込んだ721系電車が岩見沢駅に到着した。
↓何となく駅名標を眺めてしまう…
↓札幌方面へ向かう列車は731系電車だった。
↓731系電車は車内がロングシートだ。何か「“札幌都市圏”にやって来た」と実感する。
<青春18きっぷ>を基調に、一部は別途に乗車券と特急券とを求めながら、早朝の稚内を発って札幌圏へ動くというのも、自身にとっては「やや慣れた道程」ながら、何回乗っても何となく面白いコースだ。
↓列車は岩見沢駅に近付く。
↓久し振りに正面展望を何となく愉しんだ。減速して停車位置へ進んでいる。
↓岩見沢駅のホームは少し長い感じだ。
↓滝川駅で乗り込んだ721系電車が岩見沢駅に到着した。
↓何となく駅名標を眺めてしまう…
↓札幌方面へ向かう列車は731系電車だった。
↓731系電車は車内がロングシートだ。何か「“札幌都市圏”にやって来た」と実感する。
<青春18きっぷ>を基調に、一部は別途に乗車券と特急券とを求めながら、早朝の稚内を発って札幌圏へ動くというのも、自身にとっては「やや慣れた道程」ながら、何回乗っても何となく面白いコースだ。
岩見沢駅にて…(2022.12.30)
↓札幌駅で乗車した列車が岩見沢駅に到着した。
↓到着時、少しだけ雪が交っていた。
↓こういう風情が好い…
↓岩見沢以北へ向かう旭川行の列車に乗ろうとしたが、少し間が在ったので戸外に出てみた。
↑未だ…辺りの雪は酷く多いという程ではない。冬季に「岩見沢」とでも言えば「雪が多い」という連想が定着していると思う。
↓列車を待っていた間に少し陽が射した…
↓待機中の721系電車が旭川駅まで走ることになる。
↓「宜しく御願い致します…」という感じで車輛を眺めた。
↓岩見沢駅の3番ホームでは、この馬の彫像が目立つ。嘗ては広く活躍していたという農耕馬の像だ。
↓列車の後尾側に廻って乗車し、空いていた席に陣取った…
「駅で列車を乗換える」というような場面が多いが、岩見沢も好い場所だと思う。実を言えば、自身の父方の家族に所縁の街でもあるので、何か親近感を持っている。そんな街の駅を無事に通った…
↓到着時、少しだけ雪が交っていた。
↓こういう風情が好い…
↓岩見沢以北へ向かう旭川行の列車に乗ろうとしたが、少し間が在ったので戸外に出てみた。
↑未だ…辺りの雪は酷く多いという程ではない。冬季に「岩見沢」とでも言えば「雪が多い」という連想が定着していると思う。
↓列車を待っていた間に少し陽が射した…
↓待機中の721系電車が旭川駅まで走ることになる。
↓「宜しく御願い致します…」という感じで車輛を眺めた。
↓岩見沢駅の3番ホームでは、この馬の彫像が目立つ。嘗ては広く活躍していたという農耕馬の像だ。
↓列車の後尾側に廻って乗車し、空いていた席に陣取った…
「駅で列車を乗換える」というような場面が多いが、岩見沢も好い場所だと思う。実を言えば、自身の父方の家族に所縁の街でもあるので、何か親近感を持っている。そんな街の駅を無事に通った…
岩見沢駅にて…(2022.07.28)
↓滝川駅から出た721系電車は静かに岩見沢駅に着いた。
結局、稚内駅を早朝に出て普通列車を乗り継ぐ場合、名寄駅での1時間程の待ち時間を挟んで、旭川駅で「何となく詰まった?」という雰囲気になる2時間程度の待ち時間が発生してしまうが、旭川駅から進み始めると順調で快適な乗継で札幌方面に出ることが叶う。こういうの?好きな人は好きだが、忌避する人も多い方法かもしれない…
↓跨線橋で別なホームに移動する。札幌方向への列車が待機していた。733系電車だ。
↓乗客が少ないので社内の様子を写真に…「ロングシート」の車輌だ。「札幌都市圏」に入ったと実感する。
今般は<青春18きっぷ>を使っていたので気にしなかったが…岩見沢駅から札幌駅を経て小樽駅まで、途中で乗り換えての千歳線の新千歳空港駅まで、更に苫小牧駅までが「ICカード乗車券」を利用し得る範囲である。自身では乗車経験が無いのだが、学園都市線も利用可能らしい。上の写真の733系電車のような、「ロングシート」の車輌が登場する場合が多いのが、「ICカード乗車券」が利用可能な、通称<Kitacaエリア>の特徴かもしれない。序に申し上げておけば…この<Kitacaエリア>に、「北海道全体の人口の4割?」と思える程度の様子にもなっている。
↓この「ロングシート」に出くわすと「朝早くから随分と遠方へ…」という気分が強まる。
結局、稚内駅を早朝に出て普通列車を乗り継ぐ場合、名寄駅での1時間程の待ち時間を挟んで、旭川駅で「何となく詰まった?」という雰囲気になる2時間程度の待ち時間が発生してしまうが、旭川駅から進み始めると順調で快適な乗継で札幌方面に出ることが叶う。こういうの?好きな人は好きだが、忌避する人も多い方法かもしれない…
↓跨線橋で別なホームに移動する。札幌方向への列車が待機していた。733系電車だ。
↓乗客が少ないので社内の様子を写真に…「ロングシート」の車輌だ。「札幌都市圏」に入ったと実感する。
今般は<青春18きっぷ>を使っていたので気にしなかったが…岩見沢駅から札幌駅を経て小樽駅まで、途中で乗り換えての千歳線の新千歳空港駅まで、更に苫小牧駅までが「ICカード乗車券」を利用し得る範囲である。自身では乗車経験が無いのだが、学園都市線も利用可能らしい。上の写真の733系電車のような、「ロングシート」の車輌が登場する場合が多いのが、「ICカード乗車券」が利用可能な、通称<Kitacaエリア>の特徴かもしれない。序に申し上げておけば…この<Kitacaエリア>に、「北海道全体の人口の4割?」と思える程度の様子にもなっている。
↓この「ロングシート」に出くわすと「朝早くから随分と遠方へ…」という気分が強まる。
岩見沢駅にて…(2022.01.02)
厚別駅で列車に乗った頃には未だ夜のような様子であったが、岩見沢駅辺りに到ると「薄暗い早朝」という趣になり、座席を占めていた乗客の多くが下車し、以降は入れ替わった乗客が旭川までの区間で乗降する感じだ。勿論、自身のように旭川を目指すという乗客も散見はするが。
↓5分間程停車する岩見沢駅である。少し体を伸ばそうと立った。
↑こういう具合で、車外と出入りする扉の辺りに防寒の意図で仕切壁が設けられているのが、北海道内で用いられるキハ40だ。岡山で乗車した同じ系列のディーゼルカーはこういう具合にはなっていなかったことを思い出した。
↓暫し冷えた外気に触れてみるのも悪くない…
↓右側に視えているような電車を使用した列車が目立つ区間なのだが、如何いう訳かキハ40を2輛連結した列車が走り続けている。この早朝の様子は長く変わっていないように思う。
↓冬季はこういう具合に、車輛の正面に跳ね上がった雪が付着する…
↓出入りする扉の辺りに<山明>という愛称が大きく書かれている…
多分、旭川までの行程の3割程度なのだろうが、岩見沢に到ると「中間点…」というような気分になる…
↓5分間程停車する岩見沢駅である。少し体を伸ばそうと立った。
↑こういう具合で、車外と出入りする扉の辺りに防寒の意図で仕切壁が設けられているのが、北海道内で用いられるキハ40だ。岡山で乗車した同じ系列のディーゼルカーはこういう具合にはなっていなかったことを思い出した。
↓暫し冷えた外気に触れてみるのも悪くない…
↓右側に視えているような電車を使用した列車が目立つ区間なのだが、如何いう訳かキハ40を2輛連結した列車が走り続けている。この早朝の様子は長く変わっていないように思う。
↓冬季はこういう具合に、車輛の正面に跳ね上がった雪が付着する…
↓出入りする扉の辺りに<山明>という愛称が大きく書かれている…
多分、旭川までの行程の3割程度なのだろうが、岩見沢に到ると「中間点…」というような気分になる…
岩見沢駅にて…(2021.08.23)
↓江別駅で乗り込んだ列車は直ぐに岩見沢駅に着いた。漫然と想っている以上に江別・岩見沢間は近いことに思い至った…
↑列車運行ダイヤが乱れてしまっているので、点いた列車の乗務員と、折り返し運行の列車の乗務員との間で「申し送り」の話しが行われていた…
↓一寸だけ外に出てみた…
この時は旭川駅を目指していた。東口辺りに求めた宿に滞在し、翌早朝の列車で「北上の続き」と考えていたのだったが、そういう計画に向けて想い描いた「夕刻の旭川駅に着く普通列車」に思惑どおりに乗車出来そうな状況だった…
↓旭川へ向かう普通列車ということになる721系電車が現れて待機していた…
↓「通学時間帯」…帰宅する生徒や学生が目立つような時間帯で、跨線橋の階段に近い側の車輛はやや混んでいた…
↓夏用のユニフォームに身を包んだ車掌さんが待機していた列車後方は然程混んでいなかったのでそちらに乗車した…
↓缶コーヒーを求めて車内の席に陣取った…
更にもう少々、道程は続いた…
↑列車運行ダイヤが乱れてしまっているので、点いた列車の乗務員と、折り返し運行の列車の乗務員との間で「申し送り」の話しが行われていた…
↓一寸だけ外に出てみた…
この時は旭川駅を目指していた。東口辺りに求めた宿に滞在し、翌早朝の列車で「北上の続き」と考えていたのだったが、そういう計画に向けて想い描いた「夕刻の旭川駅に着く普通列車」に思惑どおりに乗車出来そうな状況だった…
↓旭川へ向かう普通列車ということになる721系電車が現れて待機していた…
↓「通学時間帯」…帰宅する生徒や学生が目立つような時間帯で、跨線橋の階段に近い側の車輛はやや混んでいた…
↓夏用のユニフォームに身を包んだ車掌さんが待機していた列車後方は然程混んでいなかったのでそちらに乗車した…
↓缶コーヒーを求めて車内の席に陣取った…
更にもう少々、道程は続いた…
列車の増結…:岩見沢駅…(2021.08.21)
↓列車の到着時に運転台の脇から正面が視える辺りに陣取り、列車が駅に進入する様子が視えるとワクワクする駅という場所が在ると思うのだが…岩見沢駅はそういう場所の1つだと思う…
↓現在では「廃線…」ということである路線ばかりが目立つが、岩見沢は石炭等の鉄道による物資輸送の結節点で在った歴史を有し、現在では「“札幌圏”の北東の端」で、色々な列車が行き交う場所である…
↓早朝の旭川で乗車した列車は、途中の奈井江駅での特急列車待合せによる少し長い停車を経て、無事に岩見沢駅に到着した…
岩見沢駅に列車が着くと「列車増結」の案内が在る。旭川方面から着いた列車について、増結作業が落ち着くまで扉が閉まって出入り不可能になる旨の案内が在る。その間に、別段に車内に入る事が叶わずとも「構わない…」と外で様子を眺めるか、駅で御手洗いを拝借するか飲物でも求めようと外で過ごすというのが自身の定番だ…
↓関係者が見守り、各々の役目に応じて待機する中、ここで「増結」ということになる車輛が静かに近付いている…
↓本当にゆっくりと「増結」の車輛が近付く…
↓旭川から3輛で南下して来た列車に、ここで改めて3輛が手早く「増結」された。見事な手際である…
↓さり気なく「札幌方面へ向かう6輛編成の列車」というモノがホームに姿を見せる…
この辺りの路線…「岩見沢以北」と「岩見沢以南」とは「別系統?」とか「別路線?」という感じさえしてしまう…敢えて言えば「長大なローカル線」と「都市近郊または大都市圏の路線」という具合か?
それはそれとして、この岩見沢駅で車両を増結する感じは、意外に好きだ…
↓現在では「廃線…」ということである路線ばかりが目立つが、岩見沢は石炭等の鉄道による物資輸送の結節点で在った歴史を有し、現在では「“札幌圏”の北東の端」で、色々な列車が行き交う場所である…
↓早朝の旭川で乗車した列車は、途中の奈井江駅での特急列車待合せによる少し長い停車を経て、無事に岩見沢駅に到着した…
岩見沢駅に列車が着くと「列車増結」の案内が在る。旭川方面から着いた列車について、増結作業が落ち着くまで扉が閉まって出入り不可能になる旨の案内が在る。その間に、別段に車内に入る事が叶わずとも「構わない…」と外で様子を眺めるか、駅で御手洗いを拝借するか飲物でも求めようと外で過ごすというのが自身の定番だ…
↓関係者が見守り、各々の役目に応じて待機する中、ここで「増結」ということになる車輛が静かに近付いている…
↓本当にゆっくりと「増結」の車輛が近付く…
↓旭川から3輛で南下して来た列車に、ここで改めて3輛が手早く「増結」された。見事な手際である…
↓さり気なく「札幌方面へ向かう6輛編成の列車」というモノがホームに姿を見せる…
この辺りの路線…「岩見沢以北」と「岩見沢以南」とは「別系統?」とか「別路線?」という感じさえしてしまう…敢えて言えば「長大なローカル線」と「都市近郊または大都市圏の路線」という具合か?
それはそれとして、この岩見沢駅で車両を増結する感じは、意外に好きだ…
<山明>が連結された列車…:岩見沢駅(2021.01.02)
厚別駅で列車に乗ったが、現れた車輌を視て「少し…変わっている?」と思った。
6時13分に出る旭川行は「例が少ない」という列車、2輛編成のキハ40が運用されていて、それが変わった訳ではないのだが…
↓進行方向側に連結されていた車輌が<山明>だったのだ…
↓車輌の側面にも<山明>という愛称が掲げられている…
<山明>(さんめい)という愛称が冠せられたこの車輌は、「観光」という意図も込めて最近改修された車輛だ。「山紫水明」という語から採られた愛称で<紫水>という“相方”と同時に登場していた…が、最近はこの「山紫水明」の2輌を連結した列車の運行という話しを聞かない…各々の車輌が、この日のように普通列車として運用されている場合が多いようだ。
↓キハ40で視掛けるが、こういう行先表示の引っ掛けて挟むようなボードが好い…
↓後方は普通の車輌だが「時季ならでは…」な、跳ね上げた雪が付着した状態だ…
こんな「愛着も湧くような愛称が冠せられた車輌」に乗車する機会が生じるのは何となく好いと思う…
6時13分に出る旭川行は「例が少ない」という列車、2輛編成のキハ40が運用されていて、それが変わった訳ではないのだが…
↓進行方向側に連結されていた車輌が<山明>だったのだ…
↓車輌の側面にも<山明>という愛称が掲げられている…
<山明>(さんめい)という愛称が冠せられたこの車輌は、「観光」という意図も込めて最近改修された車輛だ。「山紫水明」という語から採られた愛称で<紫水>という“相方”と同時に登場していた…が、最近はこの「山紫水明」の2輌を連結した列車の運行という話しを聞かない…各々の車輌が、この日のように普通列車として運用されている場合が多いようだ。
↓キハ40で視掛けるが、こういう行先表示の引っ掛けて挟むようなボードが好い…
↓後方は普通の車輌だが「時季ならでは…」な、跳ね上げた雪が付着した状態だ…
こんな「愛着も湧くような愛称が冠せられた車輌」に乗車する機会が生じるのは何となく好いと思う…
岩見沢駅…(2020.12.17)
「苫小牧港に到って船に…」という意図で移動していて岩見沢駅に至れば、3月に乗車した経過も在った「苫小牧行」の普通列車を思い浮かべる…
↓そんなことを思いながら、到着した721系電車を眺めた…
↑滝川・岩見沢間の積雪の中を進んだ痕跡が色濃く見受けられた…
↓「さて…乗り換えは?」と跨線橋に上り、乗って来た721系電車を見下ろした…
この時点で判った…岩見沢から真直ぐ苫小牧へ南下する列車は「雪のため運休」ということだった…
↓とりあえず駅前で一息入れたが、一部に「列車運行困難…」という区間も在るのだと想像に難くないような雰囲気が在った…
「岩見沢から苫小牧へ」ということであれば?札幌へ出て、千歳を経て苫小牧に向かう経路を利用することも可能だ…
↓岩見沢・札幌間の列車運行本数は多い…直ぐに札幌方面の列車に乗り込んだ…
↑「札幌圏に足を踏み入れた…」と意識してしまう、ロングシートの内装である3輌編成の731系電車が、チラチラと雪が舞い始めた中に待機中だった…
稚内から列車を乗り継ぎながら進むと、岩見沢に到った辺りで、何か“雰囲気”が大きく変わるような気もする…
↓そんなことを思いながら、到着した721系電車を眺めた…
↑滝川・岩見沢間の積雪の中を進んだ痕跡が色濃く見受けられた…
↓「さて…乗り換えは?」と跨線橋に上り、乗って来た721系電車を見下ろした…
この時点で判った…岩見沢から真直ぐ苫小牧へ南下する列車は「雪のため運休」ということだった…
↓とりあえず駅前で一息入れたが、一部に「列車運行困難…」という区間も在るのだと想像に難くないような雰囲気が在った…
「岩見沢から苫小牧へ」ということであれば?札幌へ出て、千歳を経て苫小牧に向かう経路を利用することも可能だ…
↓岩見沢・札幌間の列車運行本数は多い…直ぐに札幌方面の列車に乗り込んだ…
↑「札幌圏に足を踏み入れた…」と意識してしまう、ロングシートの内装である3輌編成の731系電車が、チラチラと雪が舞い始めた中に待機中だった…
稚内から列車を乗り継ぎながら進むと、岩見沢に到った辺りで、何か“雰囲気”が大きく変わるような気もする…
721系電車…:岩見沢駅(2020.08.08)
岩見沢駅…(2020.08.08)
<ビジネスバッグ>と<リュックサック>とメッシュキャップと…:岩見沢駅に着く列車の中…(2020.08.08)
札幌駅を出た列車からは、順次乗客が下車し、岩見沢駅周辺では閑散とした…
↓「旭川行」に乗換えるべく、また列車は終点なので下車しようと支度をした…
奈良駅から<青春18きっぷ>を使い、尼崎駅を経て三ノ宮駅に至った。神戸空港から新千歳空港へ飛び、また<青春18きっぷ>を取り出し、新千歳空港、札幌駅、岩見沢駅と進み、この画の場面だった。そして夜までに旭川に至り着いた…
出発時の持ち物と何ら変わりは無い…
<リュックサック>には「名札の替りに好適!」と新千歳空港で視付けて求めていた「REMOVE BEFORE FLIGHT」のホルダーを着けた。<ビジネスバッグ>は、ストラップに神戸で求めた日除けのメッシュキャップを、何処かに忘れてしまわないように引掛けた…
もう少しばかり、こういう荷物で動くことになっている…
↓「旭川行」に乗換えるべく、また列車は終点なので下車しようと支度をした…
奈良駅から<青春18きっぷ>を使い、尼崎駅を経て三ノ宮駅に至った。神戸空港から新千歳空港へ飛び、また<青春18きっぷ>を取り出し、新千歳空港、札幌駅、岩見沢駅と進み、この画の場面だった。そして夜までに旭川に至り着いた…
出発時の持ち物と何ら変わりは無い…
<リュックサック>には「名札の替りに好適!」と新千歳空港で視付けて求めていた「REMOVE BEFORE FLIGHT」のホルダーを着けた。<ビジネスバッグ>は、ストラップに神戸で求めた日除けのメッシュキャップを、何処かに忘れてしまわないように引掛けた…
もう少しばかり、こういう荷物で動くことになっている…
【P10倍 7/30限定】 デザイナーズ ビジネスバッグ メンズ SEAL シール ブリーフケース ビジネスバッグ トートバッグ 防水・耐水 廃タイヤ タイヤチューブ 人気 日本製 黒 プレゼント |
【P10倍 7/30限定】 リュックサック SEAL シール リュック 通勤 通学 パソコン 防水 バックパック 廃タイヤ タイヤチューブ 軽量 日本製 黒 プレゼント |
キハ150:岩見沢駅(2020.03.28)
稚内駅を列車で出発し、名寄、旭川、滝川と列車を乗換えて岩見沢駅に至った時に考えた…
その日は新千歳空港を目指していたのだったが、「敢えて札幌に寄らない経路?」と思い付いたのだ…
岩見沢に至れば、札幌方面への列車は運行本数も多い。札幌方面で乗換えて、新千歳空港へ向かうというのが「普通」のように思う。が、岩見沢では室蘭線の列車も、運行本数は限られるが発着している。
嘗ては産炭地から集められた石炭を輸送するというようなことで盛況であったと聞く室蘭線である。岩見沢から真直ぐ苫小牧に南下し、苫小牧から先は室蘭に軌道が繋がるという経路が在るのだ。「少し駅周辺で寛ぐ」という程度の待ち時間で、苫小牧行の列車が出ることを確かめると、それに乗車することとした。苫小牧から、新千歳空港の手前の南千歳は然程の時間も要さない…
聞けば…嘗て「国内各地から稚内を目指して船で樺太へ」という需要が在った時代、船で函館に着いた旅客を乗せた列車が長万部に至った後、列車を切り離したのだという。一部は、現在では「山線」という通称で知られる函館線の一部に入り、小樽、札幌へ向かった。別な一部は、東室蘭、苫小牧と進んで岩見沢へ北上し、旭川に至って、そこから稚内を目指したのだという。札幌に寄らない分、近道だったという訳だ…
そういうことを色々と思いながら、「少し駅周辺で寛ぐ」ということをして、ホームで列車を待った…
↓ディーゼルカーが姿を見せ始めた…
↓停止位置が近付いて減速した…
↓停止して乗客を迎え始めたのはキハ150だ。1993(平成5)年から1995(平成7)年に製造されたという車輌だ…
↑この車輌に関して、個人的には美瑛や旭川というイメージが強いのだが、方々で活躍中の車輌だ…
発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていた。岩見沢駅に在って、列車運行本数が少ない苫小牧との間を往来する列車は「ややイレギュラーな少数派」ということなのかもしれない。列車は岩見沢市内や近隣の町の駅へ向かう人達が存外に多く乗車していたという感だった…
<青春18きっぷ>を手に、「ほんの少し変わった経路」を敢えて選んでみるのも、存外に愉しいものだ…
その日は新千歳空港を目指していたのだったが、「敢えて札幌に寄らない経路?」と思い付いたのだ…
岩見沢に至れば、札幌方面への列車は運行本数も多い。札幌方面で乗換えて、新千歳空港へ向かうというのが「普通」のように思う。が、岩見沢では室蘭線の列車も、運行本数は限られるが発着している。
嘗ては産炭地から集められた石炭を輸送するというようなことで盛況であったと聞く室蘭線である。岩見沢から真直ぐ苫小牧に南下し、苫小牧から先は室蘭に軌道が繋がるという経路が在るのだ。「少し駅周辺で寛ぐ」という程度の待ち時間で、苫小牧行の列車が出ることを確かめると、それに乗車することとした。苫小牧から、新千歳空港の手前の南千歳は然程の時間も要さない…
聞けば…嘗て「国内各地から稚内を目指して船で樺太へ」という需要が在った時代、船で函館に着いた旅客を乗せた列車が長万部に至った後、列車を切り離したのだという。一部は、現在では「山線」という通称で知られる函館線の一部に入り、小樽、札幌へ向かった。別な一部は、東室蘭、苫小牧と進んで岩見沢へ北上し、旭川に至って、そこから稚内を目指したのだという。札幌に寄らない分、近道だったという訳だ…
そういうことを色々と思いながら、「少し駅周辺で寛ぐ」ということをして、ホームで列車を待った…
↓ディーゼルカーが姿を見せ始めた…
↓停止位置が近付いて減速した…
↓停止して乗客を迎え始めたのはキハ150だ。1993(平成5)年から1995(平成7)年に製造されたという車輌だ…
↑この車輌に関して、個人的には美瑛や旭川というイメージが強いのだが、方々で活躍中の車輌だ…
発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていた。岩見沢駅に在って、列車運行本数が少ない苫小牧との間を往来する列車は「ややイレギュラーな少数派」ということなのかもしれない。列車は岩見沢市内や近隣の町の駅へ向かう人達が存外に多く乗車していたという感だった…
<青春18きっぷ>を手に、「ほんの少し変わった経路」を敢えて選んでみるのも、存外に愉しいものだ…
<農業用馬 木彫>…:岩見沢駅(2020.03.28)
↓岩見沢駅で列車を下りると、ホームでこういうモノを見掛る…
北海道では馬を運送や耕耘に用いていて、外国の大型馬を導入する等して馬の品種改良を重ねる中で、「挽曳」(ばんえい)という目的に適した馬を育んで来た…岩見沢駅のホームに据えられた馬は大きいが、その大型の馬は競走馬の倍かそれ以上の体重を持つかなり迫力が在るモノだ…
嘗ては帯広、北見、旭川、そして岩見沢を時季毎に巡りながら、大きな馬に橇を曳かせて、大きく高い障害を設けた直線コースで競うレースが催されていた。<ばんえい競馬>という。現在も<ばんえい競馬>は、帯広でのみ開催されている…
↓恐らく、その<ばんえい競馬>の関連で岩見沢駅に贈られたのだと想像するが、1980(昭和55)年から設置されているそうだ…
↑この大きな馬…実物と然程変わらない大きさに見えるが、木を彫って制作したモノであるようだ…
現在は帯広の<ばんえい競馬>で見掛るという程度の、大型の馬だが、昭和20年代位までは方々で活躍していて、昭和30年代位には見掛る機会が激減したと人伝に聞く…そういう歴史を伝えるモノが駅に据えられているのは面白い…
北海道では馬を運送や耕耘に用いていて、外国の大型馬を導入する等して馬の品種改良を重ねる中で、「挽曳」(ばんえい)という目的に適した馬を育んで来た…岩見沢駅のホームに据えられた馬は大きいが、その大型の馬は競走馬の倍かそれ以上の体重を持つかなり迫力が在るモノだ…
嘗ては帯広、北見、旭川、そして岩見沢を時季毎に巡りながら、大きな馬に橇を曳かせて、大きく高い障害を設けた直線コースで競うレースが催されていた。<ばんえい競馬>という。現在も<ばんえい競馬>は、帯広でのみ開催されている…
↓恐らく、その<ばんえい競馬>の関連で岩見沢駅に贈られたのだと想像するが、1980(昭和55)年から設置されているそうだ…
↑この大きな馬…実物と然程変わらない大きさに見えるが、木を彫って制作したモノであるようだ…
現在は帯広の<ばんえい競馬>で見掛るという程度の、大型の馬だが、昭和20年代位までは方々で活躍していて、昭和30年代位には見掛る機会が激減したと人伝に聞く…そういう歴史を伝えるモノが駅に据えられているのは面白い…
朝の岩見沢駅…(2020.01.03)
厚別駅で乗り込んだ列車は「各駅に停まって参ります」ということで、存外に多くの乗降、乗客の入れ替わりが見受けられる状態で進み、岩見沢駅に至る…
↓乗車中であった旭川へ向かう列車は、岩見沢で少し長めに停車する。ホームに出て一息という感じに過ごす…
↑左が乗車していた列車のキハ40…右隣に待機中の721系電車…右端に除雪作業に就くラッセル車が見える。
↓ラッセル車は何となく停まっているようにも、一仕事終えた後のようにも見える状態だ…
↑岩見沢周辺は「複線」の区間なので、ラッセル車も稚内辺りで見掛けるモノと少し仕様が異なる…
↓向こう側のホームに札幌方面へ向かう特急列車が姿を見せた…
↓旭川方面へ向かう特急列車も姿を見せた…
↓手前が旭川行で、奥が札幌行…789系電車の<ライラック>だ…
こんな様子で、列車の発車時刻は近付く…そして旭川への旅を続けた…
↓乗車中であった旭川へ向かう列車は、岩見沢で少し長めに停車する。ホームに出て一息という感じに過ごす…
↑左が乗車していた列車のキハ40…右隣に待機中の721系電車…右端に除雪作業に就くラッセル車が見える。
↓ラッセル車は何となく停まっているようにも、一仕事終えた後のようにも見える状態だ…
↑岩見沢周辺は「複線」の区間なので、ラッセル車も稚内辺りで見掛けるモノと少し仕様が異なる…
↓向こう側のホームに札幌方面へ向かう特急列車が姿を見せた…
↓旭川方面へ向かう特急列車も姿を見せた…
↓手前が旭川行で、奥が札幌行…789系電車の<ライラック>だ…
こんな様子で、列車の発車時刻は近付く…そして旭川への旅を続けた…
岩見沢神社…(2019.09.03)
函館→室蘭→苫小牧→岩見沢→旭川→稚内…というように、函館・稚内間に関して「札幌を経由しない」というようにして列車で移動した…
この移動の途次、苫小牧から岩見沢に着いた後、旭川へ向かう前に一寸寄道をした…
↓岩見沢神社という場所を訪ねてみた…
↓酷く天候が好く、何もかもが眩しいという感だった…
岩見沢駅から徒歩20分と聞いたが…往路は岩見沢駅では多く見掛けるタクシーに乗車し、復路はタクシーで走った道筋をゆっくりと歩いた…やや強く感じた日差しで弱ってしまわない程度に、適度に歩いた訳だ…
1884(明治17)年に山口県、鳥取県など12の県から移住した士族が、現在の岩見沢に暮らし始め、翌1885(明治18)年に神社を起こしている。現在地に社殿を営むようになったのは1897(明治30)年で、その社殿の上棟祭の故事に因み、9月15日に例大祭を催しているそうだ…
↓空知地方の中心的な街ということになる岩見沢…現在では寧ろ「札幌圏の北東の端」というような様相にも思えるが…北海道を、更に日本を支えた産業と共に在った、そして苦心の末に豊かな農業地域になった地域を見詰め続ける、なかなかに伝統の在る神社である…
岩見沢駅の側へ引揚げようとすれば…「ワーッショイ!ワーッショイ!」と小さな子ども達の声と判る元気な大音声が耳に入った…祭りが近いらしいので、近所の幼稚園か保育所の子ども達が神社の見学にでも順次やって来ていたのであろう…神社が地域の伝統を受け継ぐ場として幼児に至るまで親しまれているということになる。そういう様子に出くわすと、何となく頬が緩む…
この移動の途次、苫小牧から岩見沢に着いた後、旭川へ向かう前に一寸寄道をした…
↓岩見沢神社という場所を訪ねてみた…
↓酷く天候が好く、何もかもが眩しいという感だった…
岩見沢駅から徒歩20分と聞いたが…往路は岩見沢駅では多く見掛けるタクシーに乗車し、復路はタクシーで走った道筋をゆっくりと歩いた…やや強く感じた日差しで弱ってしまわない程度に、適度に歩いた訳だ…
1884(明治17)年に山口県、鳥取県など12の県から移住した士族が、現在の岩見沢に暮らし始め、翌1885(明治18)年に神社を起こしている。現在地に社殿を営むようになったのは1897(明治30)年で、その社殿の上棟祭の故事に因み、9月15日に例大祭を催しているそうだ…
↓空知地方の中心的な街ということになる岩見沢…現在では寧ろ「札幌圏の北東の端」というような様相にも思えるが…北海道を、更に日本を支えた産業と共に在った、そして苦心の末に豊かな農業地域になった地域を見詰め続ける、なかなかに伝統の在る神社である…
岩見沢駅の側へ引揚げようとすれば…「ワーッショイ!ワーッショイ!」と小さな子ども達の声と判る元気な大音声が耳に入った…祭りが近いらしいので、近所の幼稚園か保育所の子ども達が神社の見学にでも順次やって来ていたのであろう…神社が地域の伝統を受け継ぐ場として幼児に至るまで親しまれているということになる。そういう様子に出くわすと、何となく頬が緩む…
室蘭本線のキハ40…:岩見沢駅(2019.09.03)
幼少の頃…岩見沢で蒸気機関車が牽引する貨物列車を視たことを覚えている…黒い機関車が煙を噴き上げながら、重そうな貨車を多数連ねた列車の先頭で、苦しい呼吸をするように白い蒸気を車輪の周辺に撒き散らす…「鋼鉄の怪物」が蠢いているかのようだった…
考えてみると、この幼少の頃に視た蒸気機関車が「日本国内で最後の、国鉄による通常の列車での蒸気機関車の運用」という事例だった訳だ。そしてその「最後の蒸気機関車」が行き交ったのが室蘭本線なのだった…
↓そんな歴史的な経路を…別段に特殊でも何でもない、1輛運行のキハ40による列車が駆け、1時間半弱の定時運行で岩見沢駅に辿り着いた…
↓この列車…札幌方面との間を結ぶ列車が盛んに発着している場所に「合間に間借り…」という具合に発着していた…
岩見沢に至る手前…栗山、栗丘、栗沢と“栗”で始まる駅名が3連発した…一人で何となく笑ってしまった…
時にはこういうような列車で動くのも好い…
考えてみると、この幼少の頃に視た蒸気機関車が「日本国内で最後の、国鉄による通常の列車での蒸気機関車の運用」という事例だった訳だ。そしてその「最後の蒸気機関車」が行き交ったのが室蘭本線なのだった…
↓そんな歴史的な経路を…別段に特殊でも何でもない、1輛運行のキハ40による列車が駆け、1時間半弱の定時運行で岩見沢駅に辿り着いた…
↓この列車…札幌方面との間を結ぶ列車が盛んに発着している場所に「合間に間借り…」という具合に発着していた…
岩見沢に至る手前…栗山、栗丘、栗沢と“栗”で始まる駅名が3連発した…一人で何となく笑ってしまった…
時にはこういうような列車で動くのも好い…
「増結作業」…:岩見沢駅(2018.12.12)
旭川駅を早朝の6時28分に出る列車は、ゆっくりと札幌方面へ向かう…
3輛編成の721系電車が旭川駅を発つ…車内は空いているのだが、深川駅以南では通勤や通学―制服の上に防寒用の上着類という、高校生と見受けられる若者達が目に付く…―の乗客が入れ替わりに乗降する感じである…
岩見沢駅に至ると…「増結作業」という案内放送が流れる…
↓手前が旭川駅から走って来て、岩見沢駅に到着の車輛だ…画の左寄り、奥から別な車輛が接近する…
↑近付く車輛の先頭、貫通扉が開いていて保安帽(作業時のヘルメット)を被った係員が乗り込んでいる。
↓右が旭川駅からやって来た編成…左が岩見沢駅に在った編成だ…
↑両者が慎重に接近する…
↓岩見沢側の編成に乗り込んでいた係員が軌道の上に下りて、両編成の連結を確認している…
岩見沢以南の札幌まで、列車は6輛編成で走る…岩見沢は「札幌圏」の北東端という感じで、IC乗車券が利用可能なエリアであり、旭川・札幌間を行き交う特急列車の合間に札幌や、その先の小樽方面とを行き交う普通列車や快速列車が多数運行されている…この「増結作業」は午前8時頃のことで、以降は札幌まで通勤や通学等の乗客でなかなかに混み合う…始発の旭川から乗車した私は…最初から陣取っていた席に悠然と座っていたが…
岩見沢から向こう…車内の雰囲気はかなり変わるように思う…
3輛編成の721系電車が旭川駅を発つ…車内は空いているのだが、深川駅以南では通勤や通学―制服の上に防寒用の上着類という、高校生と見受けられる若者達が目に付く…―の乗客が入れ替わりに乗降する感じである…
岩見沢駅に至ると…「増結作業」という案内放送が流れる…
↓手前が旭川駅から走って来て、岩見沢駅に到着の車輛だ…画の左寄り、奥から別な車輛が接近する…
↑近付く車輛の先頭、貫通扉が開いていて保安帽(作業時のヘルメット)を被った係員が乗り込んでいる。
↓右が旭川駅からやって来た編成…左が岩見沢駅に在った編成だ…
↑両者が慎重に接近する…
↓岩見沢側の編成に乗り込んでいた係員が軌道の上に下りて、両編成の連結を確認している…
岩見沢以南の札幌まで、列車は6輛編成で走る…岩見沢は「札幌圏」の北東端という感じで、IC乗車券が利用可能なエリアであり、旭川・札幌間を行き交う特急列車の合間に札幌や、その先の小樽方面とを行き交う普通列車や快速列車が多数運行されている…この「増結作業」は午前8時頃のことで、以降は札幌まで通勤や通学等の乗客でなかなかに混み合う…始発の旭川から乗車した私は…最初から陣取っていた席に悠然と座っていたが…
岩見沢から向こう…車内の雰囲気はかなり変わるように思う…
岩見沢駅:785系電車<スーパーカムイ>が到着(2017.01.02)
早朝の普通列車で札幌市内から旭川を目指して移動すると、岩見沢駅で数分間停車する理由は、「特急列車の待ち合わせ」である…
↓その特急列車が現れた…
↑札幌から旭川へ向かう<スーパーカムイ>だ…785系電車である…
785系が登場した頃、この車輛で運行される列車は<ホワイトアロー>と呼ばれ、既に引退した781系で運行される列車が<ライラック>と呼ばれていた。そして後発の789系が登場し、札幌・旭川間の特急列車は<スーパーカムイ>に統一された。往年の急行列車に<カムイ>というのが在って、それに因んだのであろう…
来る3月にダイヤ改正が行われるが…函館・青森間で運用されなくなった789系電車がやって来て、札幌・旭川の列車で運用されるのだというが、その列車は<ライラック>を名乗るらしい…
未だ少々薄暗い岩見沢駅に785系が颯爽と現れる様を眺めていたが…振り返ると、今般は「789系電車の<スーパーカムイ>」を札幌駅や、札幌・旭川間の移動、或いは旭川駅で見掛けなかった…
↓その特急列車が現れた…
↑札幌から旭川へ向かう<スーパーカムイ>だ…785系電車である…
785系が登場した頃、この車輛で運行される列車は<ホワイトアロー>と呼ばれ、既に引退した781系で運行される列車が<ライラック>と呼ばれていた。そして後発の789系が登場し、札幌・旭川間の特急列車は<スーパーカムイ>に統一された。往年の急行列車に<カムイ>というのが在って、それに因んだのであろう…
来る3月にダイヤ改正が行われるが…函館・青森間で運用されなくなった789系電車がやって来て、札幌・旭川の列車で運用されるのだというが、その列車は<ライラック>を名乗るらしい…
未だ少々薄暗い岩見沢駅に785系が颯爽と現れる様を眺めていたが…振り返ると、今般は「789系電車の<スーパーカムイ>」を札幌駅や、札幌・旭川間の移動、或いは旭川駅で見掛けなかった…
岩見沢駅の“輓馬”(ばんば)(2017.01.02)
早朝の普通列車で札幌市内から旭川を目指して移動すると、岩見沢駅で数分間停車する…ホームに出て身体を伸ばすなどしてみる…
↓何となく、こういう様子を眼に留める…
↑橇を引っ張る大きな馬の像がホームに在る…
この馬…“輓馬”(ばんば)である。脇に人が居るので大きさが判るが、概ね実寸大だ。大柄な馬はこの像より更に大きいように思う…
北海道には<ばんえい競馬>―「ばんえい」は、漢字であれば「輓曳」という字である…―というモノが在る。現在は帯広が唯一の開催地だが、嘗ては春夏秋冬で北海道内4箇所を巡って開催されていた。岩見沢もそうした開催地の一つであった経過が在る。
岩見沢辺りは、炭鉱が栄えていた地域で産出する石炭を運ぶ列車の通り道で「鉄道の街」という歴史も在るのだが、農業が盛んな空知地方の街でもあって、「農耕馬で畑を起こす」とか「馬橇でモノを運ぶ」という営みも盛んだった地域だ。
そういう、色々な事を想起させるモニュメント…ここに永く置いて欲しいものだ…
↓何となく、こういう様子を眼に留める…
↑橇を引っ張る大きな馬の像がホームに在る…
この馬…“輓馬”(ばんば)である。脇に人が居るので大きさが判るが、概ね実寸大だ。大柄な馬はこの像より更に大きいように思う…
北海道には<ばんえい競馬>―「ばんえい」は、漢字であれば「輓曳」という字である…―というモノが在る。現在は帯広が唯一の開催地だが、嘗ては春夏秋冬で北海道内4箇所を巡って開催されていた。岩見沢もそうした開催地の一つであった経過が在る。
岩見沢辺りは、炭鉱が栄えていた地域で産出する石炭を運ぶ列車の通り道で「鉄道の街」という歴史も在るのだが、農業が盛んな空知地方の街でもあって、「農耕馬で畑を起こす」とか「馬橇でモノを運ぶ」という営みも盛んだった地域だ。
そういう、色々な事を想起させるモニュメント…ここに永く置いて欲しいものだ…