夜を明かした姫路の宿の「朝食提供」という時間帯以前に出てしまって、列車で岡山に至り、瀬戸大橋を渡って四国に入り、善通寺や丸亀で歩き廻った。
「夏らしい…」という感じの陽射しが刻々と強めになる中、歩き廻って使ったエネルギーが、体内に蓄えられているであろうエネルギーを少し超えてしまったような気がして来た…
↓丸亀駅に近い商店街の一隅で、こんな店に立ち寄ってみた…
↑昼食の時間帯には掛かるが、ピークをやや通り越したような静かな時間帯に立ち寄った…
少し静かな商店街という感であった。そういう中、少し長い間に亘って営業を続けているような感じの店と見受けられた…
↓こういう定食を頂いた…
↑<タイムランチ>と称していて、昼食の時間帯限定で供しているらしいモノで、この「トンカツ定食」を御願いした…
何か「馴染みが薄い街の“日常”に一寸だけ割り込ませて頂いた…」というような感じだ。丸亀の街の「普通な定食」というようなモノを頂くことになった。駅の辺りで、とりあえず眼に留まったというだけの理由で立ち寄ったのだが、こういうのも時にはなかなかに好いように思う…
<1509>…:高松駅(2020.07.31)
高松駅に至った後、栗林公園を訪ねてみようと思い立った…
色々と調べたが「高松駅を起点に栗林公園を訪ねる」ということであれば、高松・徳島間を結ぶ路線を行き交う普通列車に乗込み、「次の次の駅」である栗林公園北口駅で下車するのが「最も近い」と見受けられた…
そう思いながら到着した高松駅で様子を窺えば…
↓高松・徳島間を結ぶ高徳線を行く列車が折好く待機中だった…
↑頭端式の高松駅は方々との間を往来する様々な車輌の列車が並んでいて、何となく愉しいのだが、端の1番ホームに1輌で運行というディーゼルカーが停車していた…
これは国鉄から受継がれたディーゼルカーが老朽化して行く中でJR四国が新たに製造したディーゼルカーで1500形である。
1500形ディーゼルカーは、後に徳島県内で出くわす1200形ディーゼルカーの後、2006(平成18)年に初登場している。写真の<1509>は「2次」とされる製造である。製造は2006(平成18)年から2014(平成26)年に及ぶ。「7次」、「8次」とされる2013(平成25)年と2014(平成26)年に製造の4輌はそれ以前のモノから若干の仕様変更が在るということだ。この写真の<1509>は当初の1500形ディーゼルカーの仕様である。
正面の行先表示の辺りに「ワンマン」と在るが、本当に「乗務員脇の扉のみが開閉して乗降」という方式だった。「次の次の駅」である栗林公園北口駅まで乗車し、この日使用していた<青春18きっぷ>を運転士さんに示して下車した。
縁が薄い地域に乗込み、こういうような「地域の人達の移動手段そのもの」という列車に乗ってみるのも一寸面白いと思う…
色々と調べたが「高松駅を起点に栗林公園を訪ねる」ということであれば、高松・徳島間を結ぶ路線を行き交う普通列車に乗込み、「次の次の駅」である栗林公園北口駅で下車するのが「最も近い」と見受けられた…
そう思いながら到着した高松駅で様子を窺えば…
↓高松・徳島間を結ぶ高徳線を行く列車が折好く待機中だった…
↑頭端式の高松駅は方々との間を往来する様々な車輌の列車が並んでいて、何となく愉しいのだが、端の1番ホームに1輌で運行というディーゼルカーが停車していた…
これは国鉄から受継がれたディーゼルカーが老朽化して行く中でJR四国が新たに製造したディーゼルカーで1500形である。
1500形ディーゼルカーは、後に徳島県内で出くわす1200形ディーゼルカーの後、2006(平成18)年に初登場している。写真の<1509>は「2次」とされる製造である。製造は2006(平成18)年から2014(平成26)年に及ぶ。「7次」、「8次」とされる2013(平成25)年と2014(平成26)年に製造の4輌はそれ以前のモノから若干の仕様変更が在るということだ。この写真の<1509>は当初の1500形ディーゼルカーの仕様である。
正面の行先表示の辺りに「ワンマン」と在るが、本当に「乗務員脇の扉のみが開閉して乗降」という方式だった。「次の次の駅」である栗林公園北口駅まで乗車し、この日使用していた<青春18きっぷ>を運転士さんに示して下車した。
縁が薄い地域に乗込み、こういうような「地域の人達の移動手段そのもの」という列車に乗ってみるのも一寸面白いと思う…
<マリンライナー>=5000系電車…:高松駅(2020.07.31)
岡山駅から児島駅を経て瀬戸大橋を渡り、坂出駅で四国に上陸して高松駅へと向かう、その逆順で復路を走る快速列車が<マリンライナー>である。
この列車に関しては、香川県内を普通列車で移動する場合、坂出より東の高松へ急ごうとするのであれば「坂出乗換」で利用するという選択肢も在る。実際、香川県内を動き回った中、丸亀駅から高松駅を目指した時に坂出駅辺りで「高松へ御急ぎの御客様は…」と快速の<マリンライナー>への乗換の案内が在った…
↓素直に御案内に従い、<マリンライナー>で高松駅に到着してみれば…隣のホームにも<マリンライナー>が待機していた…岡山へ向かう場合はこちらが先頭になる。
↑坂出駅で乗換えて高松駅まで乗車したのは右側の列車だ…
同型車輌の列車が並び、順次折り返し運転をしながら主要区間を結んでいるという様子…何となく好いと思う。
瀬戸大橋を渡って香川県と岡山県とを行き交う<マリンライナー>も何時の間にか歴史が長くなった。当初はJR西日本の車輌ばかりであったようだが、2003(平成15)年からはJR四国で車輌を増備してこの区間で運用するようになったそうだ。
停車中の2本の列車…写真をよく視れば、連結器の下側に「5005」、「5006」という文字が見えている。これは恐らく5000系電車と呼ばれるJR四国の車輌であろう…JR西日本の車輛に関しても「5000番台」が割り当てられているとも聞くが…
↓改札口の側へ進めば、列車の反対側―高松へ向かう場合の先頭―が見えるが、少し趣が違う…
↑これは1階が指定席で2階がグリーン席となっている車輌だ…少し独特な外観だと思う…
JR四国の5000系電車だが、JR西日本の223系電車と殆ど同じ仕様で、双方を相互に連結することが可能となっている。2階建てになっている「指定席+グリーン席」の車輌は、JR東日本の車輌に見受けられる「2階建てグリーン車」の設計を基礎に運転台を加えたということである…
香川県と岡山県との間を行き交っている様々な人達が在るようで、ぼんやり視ていれば「先に発車するのはどっち?」とバッグを手に小走りに動き回っている背広姿の人達が存外に目立った…
この列車は「瀬戸大橋を行き交う」ということで、何となく「四国の看板列車」という雰囲気も在るような気がする。こうして高松駅に停車中の様子を見ると、何か「様になる…」という感じだ。そして高松駅も「頭端式」で、何となく好い雰囲気を醸し出しているように思う。
この列車に関しては、香川県内を普通列車で移動する場合、坂出より東の高松へ急ごうとするのであれば「坂出乗換」で利用するという選択肢も在る。実際、香川県内を動き回った中、丸亀駅から高松駅を目指した時に坂出駅辺りで「高松へ御急ぎの御客様は…」と快速の<マリンライナー>への乗換の案内が在った…
↓素直に御案内に従い、<マリンライナー>で高松駅に到着してみれば…隣のホームにも<マリンライナー>が待機していた…岡山へ向かう場合はこちらが先頭になる。
↑坂出駅で乗換えて高松駅まで乗車したのは右側の列車だ…
同型車輌の列車が並び、順次折り返し運転をしながら主要区間を結んでいるという様子…何となく好いと思う。
瀬戸大橋を渡って香川県と岡山県とを行き交う<マリンライナー>も何時の間にか歴史が長くなった。当初はJR西日本の車輌ばかりであったようだが、2003(平成15)年からはJR四国で車輌を増備してこの区間で運用するようになったそうだ。
停車中の2本の列車…写真をよく視れば、連結器の下側に「5005」、「5006」という文字が見えている。これは恐らく5000系電車と呼ばれるJR四国の車輌であろう…JR西日本の車輛に関しても「5000番台」が割り当てられているとも聞くが…
↓改札口の側へ進めば、列車の反対側―高松へ向かう場合の先頭―が見えるが、少し趣が違う…
↑これは1階が指定席で2階がグリーン席となっている車輌だ…少し独特な外観だと思う…
JR四国の5000系電車だが、JR西日本の223系電車と殆ど同じ仕様で、双方を相互に連結することが可能となっている。2階建てになっている「指定席+グリーン席」の車輌は、JR東日本の車輌に見受けられる「2階建てグリーン車」の設計を基礎に運転台を加えたということである…
香川県と岡山県との間を行き交っている様々な人達が在るようで、ぼんやり視ていれば「先に発車するのはどっち?」とバッグを手に小走りに動き回っている背広姿の人達が存外に目立った…
この列車は「瀬戸大橋を行き交う」ということで、何となく「四国の看板列車」という雰囲気も在るような気がする。こうして高松駅に停車中の様子を見ると、何か「様になる…」という感じだ。そして高松駅も「頭端式」で、何となく好い雰囲気を醸し出しているように思う。
巨大な楠…:善通寺境内(2020.07.31)
↓善通寺の境内に入ると、大きな楠が在って、記念写真撮影場所のようになっている…
↓少し奥には、更に巨大な楠も在って驚いた…
これらの大きな楠は、44mと言われる五重塔と「目視で比べる」という範囲で考えて「高さ30mを超えている?」という位に大きい…
弘法大師こと空海は774(宝亀5)年に生まれ、835(承和2)年に入定とされている。善通寺は空海が生まれた辺りに開かれた寺であるというが、空海が生まれた頃には「既に境内の楠が在った」と伝わっている。ということは?2020年の今日、「少なくとも1246年も経つ楠」ということになる…
巨大な楠は千年以上の時を超えて人々の営みを見詰めていることになる…そしてそんな巨木と共に、永い時間を超えて受け継がれる弘法大師がもたらしたモノを想ってしまう…
四国に上陸後、善通寺は「実質的に最初に歩き廻った四国の街」ということになったが…何か「好い形で四国と出会った」というような気がしている…
↓少し奥には、更に巨大な楠も在って驚いた…
これらの大きな楠は、44mと言われる五重塔と「目視で比べる」という範囲で考えて「高さ30mを超えている?」という位に大きい…
弘法大師こと空海は774(宝亀5)年に生まれ、835(承和2)年に入定とされている。善通寺は空海が生まれた辺りに開かれた寺であるというが、空海が生まれた頃には「既に境内の楠が在った」と伝わっている。ということは?2020年の今日、「少なくとも1246年も経つ楠」ということになる…
巨大な楠は千年以上の時を超えて人々の営みを見詰めていることになる…そしてそんな巨木と共に、永い時間を超えて受け継がれる弘法大師がもたらしたモノを想ってしまう…
四国に上陸後、善通寺は「実質的に最初に歩き廻った四国の街」ということになったが…何か「好い形で四国と出会った」というような気がしている…
金堂…:善通寺(2020.07.31)
↓薬師如来が安置されている、善通寺の金堂である。
↑「夏らしい!」という感の陽射しが少し強めになって行った中、見栄えがすると思いながら建物を眺めていた…
「金堂」に関して、英文の説明で「Main Temple」と在る。「主要な寺院」という直訳となる。「金堂」は本尊を安置する場所ということである。が、「本堂」と呼ぶ場合も在る。更に、寺の中に「金堂」と「本堂」の双方が在る例も見受けられるという。一定していないので、やや面倒ではあるが…
善通寺の場合は、金堂に本尊の薬師如来が収められている…
↓美しい建物だと思った。「元禄年間」というので17世紀末から18世紀冒頭ということになるが、建物はその頃に再建されたものであるという…
↓善通寺は、かの空海が起こしたとされる寺で、長い歴史を誇る訳だが…逆に「永く受け継がれて来た信心の証」のような寺の姿に、何となく感心してしまう…
↑「夏らしい!」という感の陽射しが少し強めになって行った中、見栄えがすると思いながら建物を眺めていた…
「金堂」に関して、英文の説明で「Main Temple」と在る。「主要な寺院」という直訳となる。「金堂」は本尊を安置する場所ということである。が、「本堂」と呼ぶ場合も在る。更に、寺の中に「金堂」と「本堂」の双方が在る例も見受けられるという。一定していないので、やや面倒ではあるが…
善通寺の場合は、金堂に本尊の薬師如来が収められている…
↓美しい建物だと思った。「元禄年間」というので17世紀末から18世紀冒頭ということになるが、建物はその頃に再建されたものであるという…
↓善通寺は、かの空海が起こしたとされる寺で、長い歴史を誇る訳だが…逆に「永く受け継がれて来た信心の証」のような寺の姿に、何となく感心してしまう…
黄昏に…:<高松シンボルタワー>(2020.07.31)
黄昏…月…:高松駅周辺(2020.07.31)
高松に、高松駅傍辺りで宿を求めた夕刻…夕食の前に高松駅周辺を少しだけ歩いた…
駅の周辺は、比較的新しい感じな建築が目立ち、都市緑地的に整備され、少し進めば海が見えるようになっていた…
↓暫し足を停めて見入っていた光景だ…
↓宿で一息入れて戸外に出た頃、日没の時間帯であった。空の様子が美しかった…
↓そして振り返った…
↓高松駅近隣のビルの向こうに月が輝いていた…
↑ビルは<高松シンボルタワー>というそうだ…
少し遠くへ旅に出て、太陽や月を意識する光景に出くわすと、少し強く記憶に残る。何時も視る太陽や月と同じモノを見上げている筈ではあるが…少し違って見えるからだ。
駅の周辺は、比較的新しい感じな建築が目立ち、都市緑地的に整備され、少し進めば海が見えるようになっていた…
↓暫し足を停めて見入っていた光景だ…
↓宿で一息入れて戸外に出た頃、日没の時間帯であった。空の様子が美しかった…
↓そして振り返った…
↓高松駅近隣のビルの向こうに月が輝いていた…
↑ビルは<高松シンボルタワー>というそうだ…
少し遠くへ旅に出て、太陽や月を意識する光景に出くわすと、少し強く記憶に残る。何時も視る太陽や月と同じモノを見上げている筈ではあるが…少し違って見えるからだ。
<四国まんなか千年ものがたり>…:多度津駅(2020.08.02)
高知駅から松山駅へ向かおうと列車に乗り、多度津駅に至って乗換の列車を待っていた…
↓少し変わった車輌が脇で停車している様子を見掛けた…夏らしい陽射しの下、凄く目立っていた…
↓3輌編成の列車で、華やかな装いが施されている…
↑正面の乗務員室中央の下側、或いは車体側面の下側に「キロ185 1003」という番号が見える。これはキハ185系ディーゼルカーだ…
これは<四国まんなか千年ものがたり>と名付けられている、JR四国の観光列車だ。車輌は3輌編成のキハ185系ディーゼルカーで、内外装に色々と手を加えているようだ…
<四国まんなか千年ものがたり>は「歴史に思いを馳せて、野や山に遊びに出かける大人の洒落た小旅行を気軽に楽しめる本格的な観光列車」ということで、JR四国では「おとなの遊山」を提唱し、料理や酒や美しい景色を愉しむ旅を提供しようとしているという…
高知から多度津まで乗車した列車で走破した区間の一部となるが、<四国まんなか千年ものがたり>は多度津・大歩危(おおぼけ)間を往復する運行であるという。
様子を視ていると、画の一から一度離れた<四国まんなか千年ものがたり>は、構内に音楽が流される中でホームに入り、この日の乗客を迎えていた。自身は隣のホームで松山へ向かう列車に乗車したが…
JR四国による“観光列車”というのも、何やら面白そうだと思いながら美しい―2017年から運行しているということで、未だピカピカな外装だった…―車輌を眺めていた。
>>香川・徳島の観光列車「四国まんなか千年ものがたり」JR四国
↓少し変わった車輌が脇で停車している様子を見掛けた…夏らしい陽射しの下、凄く目立っていた…
↓3輌編成の列車で、華やかな装いが施されている…
↑正面の乗務員室中央の下側、或いは車体側面の下側に「キロ185 1003」という番号が見える。これはキハ185系ディーゼルカーだ…
これは<四国まんなか千年ものがたり>と名付けられている、JR四国の観光列車だ。車輌は3輌編成のキハ185系ディーゼルカーで、内外装に色々と手を加えているようだ…
<四国まんなか千年ものがたり>は「歴史に思いを馳せて、野や山に遊びに出かける大人の洒落た小旅行を気軽に楽しめる本格的な観光列車」ということで、JR四国では「おとなの遊山」を提唱し、料理や酒や美しい景色を愉しむ旅を提供しようとしているという…
高知から多度津まで乗車した列車で走破した区間の一部となるが、<四国まんなか千年ものがたり>は多度津・大歩危(おおぼけ)間を往復する運行であるという。
様子を視ていると、画の一から一度離れた<四国まんなか千年ものがたり>は、構内に音楽が流される中でホームに入り、この日の乗客を迎えていた。自身は隣のホームで松山へ向かう列車に乗車したが…
JR四国による“観光列車”というのも、何やら面白そうだと思いながら美しい―2017年から運行しているということで、未だピカピカな外装だった…―車輌を眺めていた。
>>香川・徳島の観光列車「四国まんなか千年ものがたり」JR四国
8000系<アンパンマン列車>:多度津駅(2020.08.02)
列車を乗換える駅で15分や20分待つというのは、然程苦にならない。停車中の車輌や、他のホームで発着している列車を眺めていれば、その位の時間は直ぐに経つ…
↓松山へ向かう列車を待つ間、逆方向へ進んでいる列車を見掛けた…
↓先頭車のデザインが美しいと思う…1992(平成4)年に初登場という8000系電車だが…先頭には颯爽と飛んでいるアンパンマンの姿が在って、全体に虹のデザインが入っている…「列車がアンパンマンに牽引されている?」というようなことを想起した…
↓虹のデザインが入った車体にはアンパンマンの他に、作品に登場するキャラクター達が描かれている…
↓賑やかな外観の車輌で、乗降を終えて発車…少しずつ速度を上げていた…
これは2016(平成28)年に登場したという8000系電車による<アンパンマン列車>であるという。8000系電車が走るのは高松・松山間、香川県と愛媛県とを結ぶ予讃線、そして瀬戸大橋を渡って岡山へ向かう路線である。
↓去って行く列車を、親子連れが見送っている様子が見受けられた…
極個人的な好みとしては…キャラクターのデザインが沢山付いているというよりも、普通なクールなデザインの鉄道車輌に乗車するという方が好きだが…それでもこの<アンパンマン列車>のようなモノが在れば、子ども達が鉄道を愛すべき存在、身近な好きなモノと認識してくれるようになって行くのかもしれないというようなことを考えてみないでもない…
↓JR四国ではこの<アンパンマン列車>を既に20年も運行しているそうだが、確りと関係情報も出している…
>>アンパンマン列車 - JR四国
何か「四国で目立ったモノ?」とでも問われたなら…「アンパンマン!!」と応じてしまいそうだ…四国で何度も列車に乗った中、何度も<アンパンマン列車>を見掛け、何度かは乗車もした…
↓松山へ向かう列車を待つ間、逆方向へ進んでいる列車を見掛けた…
↓先頭車のデザインが美しいと思う…1992(平成4)年に初登場という8000系電車だが…先頭には颯爽と飛んでいるアンパンマンの姿が在って、全体に虹のデザインが入っている…「列車がアンパンマンに牽引されている?」というようなことを想起した…
↓虹のデザインが入った車体にはアンパンマンの他に、作品に登場するキャラクター達が描かれている…
↓賑やかな外観の車輌で、乗降を終えて発車…少しずつ速度を上げていた…
これは2016(平成28)年に登場したという8000系電車による<アンパンマン列車>であるという。8000系電車が走るのは高松・松山間、香川県と愛媛県とを結ぶ予讃線、そして瀬戸大橋を渡って岡山へ向かう路線である。
↓去って行く列車を、親子連れが見送っている様子が見受けられた…
極個人的な好みとしては…キャラクターのデザインが沢山付いているというよりも、普通なクールなデザインの鉄道車輌に乗車するという方が好きだが…それでもこの<アンパンマン列車>のようなモノが在れば、子ども達が鉄道を愛すべき存在、身近な好きなモノと認識してくれるようになって行くのかもしれないというようなことを考えてみないでもない…
↓JR四国ではこの<アンパンマン列車>を既に20年も運行しているそうだが、確りと関係情報も出している…
>>アンパンマン列車 - JR四国
何か「四国で目立ったモノ?」とでも問われたなら…「アンパンマン!!」と応じてしまいそうだ…四国で何度も列車に乗った中、何度も<アンパンマン列車>を見掛け、何度かは乗車もした…
<あかいアンパンマン列車>=<南風>…:多度津駅(2020.08.02)
高知駅で乗車した列車は土讃線を順調に進み、予定どおりに多度津駅に到着した…
↓乗換のために下車して車輌を眺めた…
↑画の左側…奥の方に2700系ディーゼルカーにラッピングを施した、もう1本の<アンパンマン列車>が一寸視えている…
子ども達に大人気であるらしい<アンパンマン列車>の新しいモノが集まる形となっていた。そのためか、小さな子ども達とその保護者達という姿が意外に多く見受けられた…
↓車輌の扉が閉まり、笑顔のアンパンマンが描かれた列車は、目的地の岡山を目指して発車した…
こういう「子ども達に愛される車輌」という存在…何となく好ましいと思いながら、そして高知から多度津まで「運んでくれて、ありがとう!」という気分で列車を見送った…
↓乗換のために下車して車輌を眺めた…
↑画の左側…奥の方に2700系ディーゼルカーにラッピングを施した、もう1本の<アンパンマン列車>が一寸視えている…
子ども達に大人気であるらしい<アンパンマン列車>の新しいモノが集まる形となっていた。そのためか、小さな子ども達とその保護者達という姿が意外に多く見受けられた…
↓車輌の扉が閉まり、笑顔のアンパンマンが描かれた列車は、目的地の岡山を目指して発車した…
こういう「子ども達に愛される車輌」という存在…何となく好ましいと思いながら、そして高知から多度津まで「運んでくれて、ありがとう!」という気分で列車を見送った…
<青春18きっぷ>のポスター:多度津駅(2020.08.02)
列車の乗換えで多度津駅に…
↓通路でこういうポスターを見掛けた…
↑「北海道の写真?!」と思えば…<青春18きっぷ>のポスターであった…
北海道から遠く隔たった四国の多度津で、美瑛町で撮影と判る写真が使用されたポスターを視るというのは、何か独特な感慨も沸き起こる…
ポスターには「旅に出られる。その幸せの大きさを北の大地で味わっています。」と在る。私の場合は、「旅に出られる幸せ」を四国の地で味わっていたことになるが…なかなかに好いフレーズのような気がした。
時々思うことが在る…
歩行能力を獲得、確立した「原初の人類」は、森の中から草原や平原に歩を踏み出し、それ以来ずうっと“旅”を続けることになったのではないであろうか?そういう意味で、“旅”とは「ヒトの本能の一部」なのかもしれないというようなことだ…
写真の美馬牛駅は美瑛駅の先で、普通列車の本数が比較的少なくない旭川・富良野間の路線に在る駅で、<青春18きっぷ>を手に訪ね易い感な駅のように思う…
そういう余計なことも考えたが、列車も使って気儘に何処かへ旅に出るというのは…「或いは本能?」というような行動だとも思わないでもないが…とにかく楽しい!
↓通路でこういうポスターを見掛けた…
↑「北海道の写真?!」と思えば…<青春18きっぷ>のポスターであった…
北海道から遠く隔たった四国の多度津で、美瑛町で撮影と判る写真が使用されたポスターを視るというのは、何か独特な感慨も沸き起こる…
ポスターには「旅に出られる。その幸せの大きさを北の大地で味わっています。」と在る。私の場合は、「旅に出られる幸せ」を四国の地で味わっていたことになるが…なかなかに好いフレーズのような気がした。
時々思うことが在る…
歩行能力を獲得、確立した「原初の人類」は、森の中から草原や平原に歩を踏み出し、それ以来ずうっと“旅”を続けることになったのではないであろうか?そういう意味で、“旅”とは「ヒトの本能の一部」なのかもしれないというようなことだ…
写真の美馬牛駅は美瑛駅の先で、普通列車の本数が比較的少なくない旭川・富良野間の路線に在る駅で、<青春18きっぷ>を手に訪ね易い感な駅のように思う…
そういう余計なことも考えたが、列車も使って気儘に何処かへ旅に出るというのは…「或いは本能?」というような行動だとも思わないでもないが…とにかく楽しい!
7200系電車…:丸亀駅(2020.07.31)
↓丸亀駅に到着し、乗って来た車輌を何となく眺めた…瀬戸大橋を望む辺りでは高架化が施されている軌道や駅を多く見掛けたような気がした…丸亀駅は1987(昭和62)年に高架化されたそうだ。
↑或る程度広く見掛ける感じもする外観の車輌だと思った…四国上陸後、香川県内でよく見掛けた型の車輌だ…
この車輌は7200系電車というそうだ…
国鉄時代の最末期、1987(昭和62)年に瀬戸大橋と香川県内の一部で電化が実現して電車による列車を運行することになった際に121系電車が登場した。この国鉄時代の121系電車がJR四国に受継がれる。
受継がれた121系電車は四国で運用され続ける。2輌でのワンマン運行にも対応可能なように一部の改装も施された。
そして30年程を経た中、2016年以降に足回りや内外装の大幅な改造が順次施され、JR四国による他の型の電車との連結も可能となった車輌を新たに7200系電車としたのだ。改造は2019年までに全ての121系電車について実施された。現在では121系は既に無く、JR四国に在る19編成が全て7200系電車ということになっているそうだ…
↓夏らしい陽光を受け、ステンレスの車体が輝いていた様子が記憶に残るが、何となく「香川県辺りのローカルな列車」というように強く感じた。列車は利用の都度、そこそこに賑わっていたような気がする…
こういう「ローカルな…」という雰囲気が強く漂う車輌で、余り慣れない地域を動き回ってみるのも一寸面白い…
↑或る程度広く見掛ける感じもする外観の車輌だと思った…四国上陸後、香川県内でよく見掛けた型の車輌だ…
この車輌は7200系電車というそうだ…
国鉄時代の最末期、1987(昭和62)年に瀬戸大橋と香川県内の一部で電化が実現して電車による列車を運行することになった際に121系電車が登場した。この国鉄時代の121系電車がJR四国に受継がれる。
受継がれた121系電車は四国で運用され続ける。2輌でのワンマン運行にも対応可能なように一部の改装も施された。
そして30年程を経た中、2016年以降に足回りや内外装の大幅な改造が順次施され、JR四国による他の型の電車との連結も可能となった車輌を新たに7200系電車としたのだ。改造は2019年までに全ての121系電車について実施された。現在では121系は既に無く、JR四国に在る19編成が全て7200系電車ということになっているそうだ…
↓夏らしい陽光を受け、ステンレスの車体が輝いていた様子が記憶に残るが、何となく「香川県辺りのローカルな列車」というように強く感じた。列車は利用の都度、そこそこに賑わっていたような気がする…
こういう「ローカルな…」という雰囲気が強く漂う車輌で、余り慣れない地域を動き回ってみるのも一寸面白い…
<警察犬 きな子>:丸亀駅前(2020.07.31)
↓丸亀駅の傍で、行き交う人々を見守っている犬…優しそうな犬だと思い、好感を抱いたが…概ね、実際の犬の大きさと思えるような像だった…
↓この犬…警察犬なのだそうだ。<きな子>という愛称であるそうだ。ゴールデンレトリバーの身体の色…黄粉を想起させるような色かもしれないが、そこから名付けられた愛称のようだ。
<きな子>は実在した警察犬で、少し知られた存在だったということで、2010年にその物語が映画化されているという。
実在の<きな子>は2002年に丸亀の警察犬訓練所で生まれて、2017年に老衰で世を去った。14歳だったという。その後、故郷である丸亀に銅像が登場したようだ。
警察犬を目指して訓練をしていた<きな子>であったが、地元テレビの取材が入った訓練会の催事で、何やら要領を得ない「ズッこけ」な行動で視聴者の笑いを誘い、妙な人気を得てしまう有様であった。なかなか訓練が上手く出来ず、<きな子>は警察犬としての活躍は出来ずに居た。その後、7回目のチャレンジとなった訓練会の臭気選別の競技で、出場38頭中で1位となり、嘱託警察犬となって活躍することとなったのだという。
警察犬の訓練というような仕事は、それなりに難しく、そして大切な事なのだと思うが、嘗て話題になった犬の像は、丸亀でそういう大切な仕事が行われていることを想起させてくれる。そして<きな子>の優しそうな顔には、失敗して笑われても頑張り続けるという在り方が反映されているような気がする。何よりも、優しそうな警察犬が行き交う人達を見守っているというのは、非常に好ましいような気がした…
↓この犬…警察犬なのだそうだ。<きな子>という愛称であるそうだ。ゴールデンレトリバーの身体の色…黄粉を想起させるような色かもしれないが、そこから名付けられた愛称のようだ。
<きな子>は実在した警察犬で、少し知られた存在だったということで、2010年にその物語が映画化されているという。
実在の<きな子>は2002年に丸亀の警察犬訓練所で生まれて、2017年に老衰で世を去った。14歳だったという。その後、故郷である丸亀に銅像が登場したようだ。
警察犬を目指して訓練をしていた<きな子>であったが、地元テレビの取材が入った訓練会の催事で、何やら要領を得ない「ズッこけ」な行動で視聴者の笑いを誘い、妙な人気を得てしまう有様であった。なかなか訓練が上手く出来ず、<きな子>は警察犬としての活躍は出来ずに居た。その後、7回目のチャレンジとなった訓練会の臭気選別の競技で、出場38頭中で1位となり、嘱託警察犬となって活躍することとなったのだという。
警察犬の訓練というような仕事は、それなりに難しく、そして大切な事なのだと思うが、嘗て話題になった犬の像は、丸亀でそういう大切な仕事が行われていることを想起させてくれる。そして<きな子>の優しそうな顔には、失敗して笑われても頑張り続けるという在り方が反映されているような気がする。何よりも、優しそうな警察犬が行き交う人達を見守っているというのは、非常に好ましいような気がした…
丸亀城へ…(2020.07.31)
遠くから望む丸亀城は、何か「小高い丘を悉く石垣で固めている?」というようにさえ見え、遠い国の文明の遺跡?」というような雰囲気さえ感じてしまった…
↓近付いて門を潜り、城の様子を視ることとした。
↓「登城する」という表現が在る訳だが…城の門を潜って内部を歩こうとすれば、「とりあえず坂道」で、文字どおりに“登城”という感だった…
↓「丘を悉く固めている?」かのようにも見えた石垣は、近くで見ても背が高い…
↓こういうモノを見ると…「どんなことをして造ったのか?」と思ってしまう…
↓石垣で固められた場所の間の道を抜けて山頂部が近付くと、眺望が素晴らしかった。宇多津駅に近いらしい背が高いビルや、瀬戸大橋が見えた…
↓瀬戸内海の側ではなく、多分東寄りな側には、幾つかの山が見えた…
↓少し小さ目な天守閣が頂上辺りに建っている。遠くから望む場合にも判る建物だ…
↑修理をした際に見付かった祈祷札の墨書から、1660(万治3)年頃に竣工と推定されている建物で、貴重な「現存天守閣」ということになる。
↓天守閣の傍で眺望を愉しんだが…江戸時代にこの辺りに上がった人達は、向こうの海に橋が架かるというようなことを、恐らく想像もしなかったであろう等と考えていた…
↓街へ出て、駅に向かって移動しようとしたが、坂道は急である。少し慎重に歩くべきかもしれない…
↓無事に下に辿り着いた…
この丸亀城…なかなかに見応えが在るように思った。こういう場所は…もう少々歩き易い時季に訪ねるのが好ましいのかもしれないが、それでもこの「瀬戸内の陽光」というようなものの下で輝く様に出会えたことは、非常に好かった!
↓近付いて門を潜り、城の様子を視ることとした。
↓「登城する」という表現が在る訳だが…城の門を潜って内部を歩こうとすれば、「とりあえず坂道」で、文字どおりに“登城”という感だった…
↓「丘を悉く固めている?」かのようにも見えた石垣は、近くで見ても背が高い…
↓こういうモノを見ると…「どんなことをして造ったのか?」と思ってしまう…
↓石垣で固められた場所の間の道を抜けて山頂部が近付くと、眺望が素晴らしかった。宇多津駅に近いらしい背が高いビルや、瀬戸大橋が見えた…
↓瀬戸内海の側ではなく、多分東寄りな側には、幾つかの山が見えた…
↓少し小さ目な天守閣が頂上辺りに建っている。遠くから望む場合にも判る建物だ…
↑修理をした際に見付かった祈祷札の墨書から、1660(万治3)年頃に竣工と推定されている建物で、貴重な「現存天守閣」ということになる。
↓天守閣の傍で眺望を愉しんだが…江戸時代にこの辺りに上がった人達は、向こうの海に橋が架かるというようなことを、恐らく想像もしなかったであろう等と考えていた…
↓街へ出て、駅に向かって移動しようとしたが、坂道は急である。少し慎重に歩くべきかもしれない…
↓無事に下に辿り着いた…
この丸亀城…なかなかに見応えが在るように思った。こういう場所は…もう少々歩き易い時季に訪ねるのが好ましいのかもしれないが、それでもこの「瀬戸内の陽光」というようなものの下で輝く様に出会えたことは、非常に好かった!
煙草店…:善通寺(2020.07.31)
善通寺を訪ねてみて、更に動き続けるべく善通寺駅へ引揚げようとしていた。
未だ「午前中」ということになる時間帯ではあったが、十分に日が高くなり、陽射しはキツかった…こういう状況下では、適宜日陰などで休憩しながら動くべきであろう…
↓こんな場所に出くわした…
文字どおりに煙草を売っている店だった。昔から在るような、相当に多様な種類の煙草が売られていた…
↓一寸変わったモノを眼に留めて、この店で求めたのがこれだった…(この画は後から高知の宿で引っ張り出した時に撮った…)
↑独特な味や香りを加味した、少し変わった感じの代物だった…
陽射しが強かった中、軒先のベンチが日陰で何となく心地好い感だった…「小休止!」と暫し腰を下ろしていた…
未だ「午前中」ということになる時間帯ではあったが、十分に日が高くなり、陽射しはキツかった…こういう状況下では、適宜日陰などで休憩しながら動くべきであろう…
↓こんな場所に出くわした…
文字どおりに煙草を売っている店だった。昔から在るような、相当に多様な種類の煙草が売られていた…
↓一寸変わったモノを眼に留めて、この店で求めたのがこれだった…(この画は後から高知の宿で引っ張り出した時に撮った…)
↑独特な味や香りを加味した、少し変わった感じの代物だった…
陽射しが強かった中、軒先のベンチが日陰で何となく心地好い感だった…「小休止!」と暫し腰を下ろしていた…
<うずしお>:2700系ディーゼルカー:高松駅(2020.08.01)
↓高松駅は「頭端式」な、フォークのような形状の軌道が敷設されていて、独特な趣が在る駅だと思う。
↑列車が到着しようとしている…
↓確りとポスターも用意されている新型車輌が登場するようだ…
↓徳島から高松に到着し、折り返して徳島へ向かうという列車だ…
↓真新しいような感じがした車輌だった…
2700系ディーゼルカーは2019(令和元)年から運用が始まったばかり…本当に真新しい車輌だった…
↓凄く感じが好い座席だった…
↓最近の列車でよく視掛けるような方式で、車内の案内略図が示されている…
後から乗車することとなった8600系電車も含め、近年に登場というJR四国の車輌…何か酷く感じが好い!!早くも…こういう車輌達との再会を強く望むようになってしまっていることに気付く…
↑列車が到着しようとしている…
↓確りとポスターも用意されている新型車輌が登場するようだ…
↓徳島から高松に到着し、折り返して徳島へ向かうという列車だ…
↓真新しいような感じがした車輌だった…
2700系ディーゼルカーは2019(令和元)年から運用が始まったばかり…本当に真新しい車輌だった…
↓凄く感じが好い座席だった…
↓最近の列車でよく視掛けるような方式で、車内の案内略図が示されている…
後から乗車することとなった8600系電車も含め、近年に登場というJR四国の車輌…何か酷く感じが好い!!早くも…こういう車輌達との再会を強く望むようになってしまっていることに気付く…
善通寺の乃木神社(2020.07.31)
善通寺駅から善通寺を目指して歩いた道すがら、左脇に「森?」というようなモノが見え始め、少し気になったのでそちらの側に寄ってみた…
↓こんな標柱が現れた…
↓夏らしい陽射しの下で静かに佇んでいた感の神社だ…
陸軍大将であった乃木希典は、1898(明治31)年に善通寺に配置された第11師団の初代師団長として着任している。2年8ヶ月間その任に在り、善通寺で活動していたのだという。そういう軍の師団が在ったということで、善通寺の街には、師団に関連する場所が在ったことを示す記念碑も色々と見受けられる状況だった。
乃木大将は日露戦争の第3軍司令官として旅順攻略の戦いに携わった後、参議官、学習院長を歴任し、1912(明治45/大正元)年、明治天皇の御大葬の当日に夫人と共に殉死という最期を遂げた。
その後、乃木大将の生き様に心動かされた人達が夫妻の霊を慰める「乃木会」を結成し、乃木将軍を祀る神社が何箇所かに設けられた。善通寺には1935(昭和10)年に出来たのだという。
↓シンプルな社殿だ…
↓ここに祀られている乃木大将御夫妻の写真が据えられているようだった…
明治時代以降には、何かで活躍した「英雄」とされる人達が祀られる神社が幾分登場している。乃木神社もそうした例であろう。日露戦争で活躍した人達が祀られた神社の中、「乃木神社」は各地で例が多いように見受けられる。
この乃木神社…御自身が初代の師団長として活動したという縁が在る善通寺で、四国の地を行き交う人々の安寧を見守り続けているというような感だったと思う…本当に、道すがらに出会ったのだが、出会うことが出来たことに感謝したい感だ…
↓こんな標柱が現れた…
↓夏らしい陽射しの下で静かに佇んでいた感の神社だ…
陸軍大将であった乃木希典は、1898(明治31)年に善通寺に配置された第11師団の初代師団長として着任している。2年8ヶ月間その任に在り、善通寺で活動していたのだという。そういう軍の師団が在ったということで、善通寺の街には、師団に関連する場所が在ったことを示す記念碑も色々と見受けられる状況だった。
乃木大将は日露戦争の第3軍司令官として旅順攻略の戦いに携わった後、参議官、学習院長を歴任し、1912(明治45/大正元)年、明治天皇の御大葬の当日に夫人と共に殉死という最期を遂げた。
その後、乃木大将の生き様に心動かされた人達が夫妻の霊を慰める「乃木会」を結成し、乃木将軍を祀る神社が何箇所かに設けられた。善通寺には1935(昭和10)年に出来たのだという。
↓シンプルな社殿だ…
↓ここに祀られている乃木大将御夫妻の写真が据えられているようだった…
明治時代以降には、何かで活躍した「英雄」とされる人達が祀られる神社が幾分登場している。乃木神社もそうした例であろう。日露戦争で活躍した人達が祀られた神社の中、「乃木神社」は各地で例が多いように見受けられる。
この乃木神社…御自身が初代の師団長として活動したという縁が在る善通寺で、四国の地を行き交う人々の安寧を見守り続けているというような感だったと思う…本当に、道すがらに出会ったのだが、出会うことが出来たことに感謝したい感だ…
<栗林公園>へ…:高松(2020.07.31)
「佳い場所」であることを紹介しようと、「〇〇で高評価」という具合に喧伝する場合が在ると思う。
その種のモノに出くわすと、自身では「だから?」ととりあえず「距離を置いてみよう」とするような傾向も在る。時にその「〇〇で高評価」という具合の喧伝が、「他所の“権威”らしきものに、中途半端に寄り掛かっているに過ぎない」という可能性を排除し悪いと思うからである。
「特別名勝」というモノが在るらしい。この種のモノについて、自身は大概は「だから?」ととりあえず「距離を置いてみよう」とする。大切なことは、「自身が感心するか、その限りでもないか?」ということなのだと思っている。
そういう面倒なことから綴ったが…高松の<栗林公園>は、文句無しに非常に好い!!
<栗林公園>というのは、「半ば人造、半ば天然」という感の、生駒家が起こした庭園に讃岐松平家が永きに亘って手を入れ続けたという壮大な大名庭園である。恐らくは莫大なエネルギーを費やして、現在も維持管理され続けている、「偉大な財産」と言い得る存在だと思った。
とりあえずJR高松駅から<栗林公園>を目指した。色々な訪ね方が在ろうが、高松・徳島間の路線を行く普通列車に乗ると栗林公園北口駅に直ぐ至る。「駅」と言っても「停留所」のような場所だが…
↓栗林公園北口駅の近くでは、こういう看板が直ぐに見つかる…
↓栗林駅という、高松・徳島間の特急列車が停まる駅も在るが、こちらは<栗林公園>からやや歩く。上記の看板のような次元ではない…
↑「鉄道好き」としてはやや悔いが残ることに、乗車機会を設け損なった<ことでん>という地元私鉄が在るが、その<ことでん>も栗林公園駅を設けている。こちらはJRの栗林駅よりも僅かに栗林公園に近い…
自身は往路で栗林公園北口駅を、復路で栗林駅を利用したのだった…
「6つの池と13の築山を配した回遊式の大名庭園」ということである<栗林公園>だが…正直「訳も判らず…」という程度に、眼前に拡がる光景に圧倒されるように、「瀬戸内の夏の陽光」に晒されて滝のような汗をかきながら歩き廻った…
↓冷涼な地域から乗り込むと、この種の樹木に多少驚かされるのだが、陽光が鮮烈だった…
↓“自然”を「創り出してしまう」かのように、永年に亘って大切に樹々を育てているというような感を抱いた…
↓「屋敷で寛ぐ御殿様」というドラマや映画の場面でも撮影出来そうな雰囲気も見受けられた…
↓夏には心地好いと思ったが「麗しい水辺」が丁寧に演出されているように視えた。池には悠然と泳ぐ鯉も見受けられた…
↓架橋も在って、随意に園内を散策し得るように造り込まれている…
↓造り込まれた散策路が見事な景観を創り出す…
↓見上げる時の眩しさ…
↓見下ろす時に煌めき…
↓見渡す時の輝き…
方々を気儘に巡り、色々な場所を訪ねてみて「想定以上の時間を要する」という例は多々在ると思うのだが…<栗林公園>は、間違いなくそういうことになるであろう…
↓序ながら、香川県の土産が仕入れられる場所も在った…今般は眺めただけであったが…
実を言えば…「近く旅に出も…」と旅行談義に及んだ方が在って、その方が「栗林公園が素晴らしかった!」とされていた。御会いする機会でも在れば、「私も素晴らしいと思った」と御報告せねばならないであろう…
こうした庭園は「折々の美しさを愛でる」という性質のモノなのだと思う。何時か、少し違う時季にも再訪したいと思った…
その種のモノに出くわすと、自身では「だから?」ととりあえず「距離を置いてみよう」とするような傾向も在る。時にその「〇〇で高評価」という具合の喧伝が、「他所の“権威”らしきものに、中途半端に寄り掛かっているに過ぎない」という可能性を排除し悪いと思うからである。
「特別名勝」というモノが在るらしい。この種のモノについて、自身は大概は「だから?」ととりあえず「距離を置いてみよう」とする。大切なことは、「自身が感心するか、その限りでもないか?」ということなのだと思っている。
そういう面倒なことから綴ったが…高松の<栗林公園>は、文句無しに非常に好い!!
<栗林公園>というのは、「半ば人造、半ば天然」という感の、生駒家が起こした庭園に讃岐松平家が永きに亘って手を入れ続けたという壮大な大名庭園である。恐らくは莫大なエネルギーを費やして、現在も維持管理され続けている、「偉大な財産」と言い得る存在だと思った。
とりあえずJR高松駅から<栗林公園>を目指した。色々な訪ね方が在ろうが、高松・徳島間の路線を行く普通列車に乗ると栗林公園北口駅に直ぐ至る。「駅」と言っても「停留所」のような場所だが…
↓栗林公園北口駅の近くでは、こういう看板が直ぐに見つかる…
↓栗林駅という、高松・徳島間の特急列車が停まる駅も在るが、こちらは<栗林公園>からやや歩く。上記の看板のような次元ではない…
↑「鉄道好き」としてはやや悔いが残ることに、乗車機会を設け損なった<ことでん>という地元私鉄が在るが、その<ことでん>も栗林公園駅を設けている。こちらはJRの栗林駅よりも僅かに栗林公園に近い…
自身は往路で栗林公園北口駅を、復路で栗林駅を利用したのだった…
「6つの池と13の築山を配した回遊式の大名庭園」ということである<栗林公園>だが…正直「訳も判らず…」という程度に、眼前に拡がる光景に圧倒されるように、「瀬戸内の夏の陽光」に晒されて滝のような汗をかきながら歩き廻った…
↓冷涼な地域から乗り込むと、この種の樹木に多少驚かされるのだが、陽光が鮮烈だった…
↓“自然”を「創り出してしまう」かのように、永年に亘って大切に樹々を育てているというような感を抱いた…
↓「屋敷で寛ぐ御殿様」というドラマや映画の場面でも撮影出来そうな雰囲気も見受けられた…
↓夏には心地好いと思ったが「麗しい水辺」が丁寧に演出されているように視えた。池には悠然と泳ぐ鯉も見受けられた…
↓架橋も在って、随意に園内を散策し得るように造り込まれている…
↓造り込まれた散策路が見事な景観を創り出す…
↓見上げる時の眩しさ…
↓見下ろす時に煌めき…
↓見渡す時の輝き…
方々を気儘に巡り、色々な場所を訪ねてみて「想定以上の時間を要する」という例は多々在ると思うのだが…<栗林公園>は、間違いなくそういうことになるであろう…
↓序ながら、香川県の土産が仕入れられる場所も在った…今般は眺めただけであったが…
実を言えば…「近く旅に出も…」と旅行談義に及んだ方が在って、その方が「栗林公園が素晴らしかった!」とされていた。御会いする機会でも在れば、「私も素晴らしいと思った」と御報告せねばならないであろう…
こうした庭園は「折々の美しさを愛でる」という性質のモノなのだと思う。何時か、少し違う時季にも再訪したいと思った…
丸型ポスト…:丸亀の街(2020.07.31)
五重塔…:善通寺(2020.07.31)
「善通寺」は鉄道駅の名でもあるが、辺りの地名でもある。「善通寺市」と言うが、何れの市町村も「海に面した部分が在る」という香川県で「唯一」であるというが、「海に面した部分が無い」のだそうだ。ここは空海が起こしたという善通寺の門前町であった経過から、そのまま「善通寺」が地名になっている地域でもある。
↓善通寺駅から「直進!」という具合に歩めば、こういうような様子に出くわす…
↑広場が在り「ようこそ」の看板が据えられている場所で、五重塔が視える…
↓善通寺の門に近付くが、とにかく五重塔が目立つ…
↓「夏らしい!」という陽光の中で五重塔が佇んでいた…
↓永い歴史を有する建造物は、「損なわれ…再建され…」というような経過を辿っている例が多いが、現在の五重塔は1884(明治17)年のモノであるらしい…
↓44mもの高さが在るそうだ…
或いは「地元のシンボル」というような感にも視える、善通寺の五重塔…陽光に輝くように佇んでいた様が好かった…
↓善通寺駅から「直進!」という具合に歩めば、こういうような様子に出くわす…
↑広場が在り「ようこそ」の看板が据えられている場所で、五重塔が視える…
↓善通寺の門に近付くが、とにかく五重塔が目立つ…
↓「夏らしい!」という陽光の中で五重塔が佇んでいた…
↓永い歴史を有する建造物は、「損なわれ…再建され…」というような経過を辿っている例が多いが、現在の五重塔は1884(明治17)年のモノであるらしい…
↓44mもの高さが在るそうだ…
或いは「地元のシンボル」というような感にも視える、善通寺の五重塔…陽光に輝くように佇んでいた様が好かった…
<しおかぜ/いしづち>…:8600系電車:多度津駅(2020.08.02)
高知から、四国の内陸部の路線を北上し、香川県の多度津に至って列車を乗換えると、愛媛県の松山に至ることが叶う…
↓「松山行」の入線案内の放送が聞こえ、列車が進入する様子が視えた…
↑先頭部分が丸く黒色になっているのが判る…
↓「実物」は初めて視たと思う…8600系電車だ。
↑2014(平成26)年に初登場したそうだ。未だ新しい!
↓個性的な外観だ…
↑「8輛編成」で運行されているという…JR四国の現在の列車では「最も長い編成?」と思える…
これは「岡山・松山間」の<しおかぜ>―多分、海の上の瀬戸大橋を行き交う特急列車なので「潮風」としたのであろう…―と、「高松・松山間」の<いしづち>―愛媛県の瀬戸内海側を横断する列車なので、愛媛県を代表する石鎚山に因んで命名したのであろう…―とが、宇多津駅で(松山行は)連結、または(岡山行、高松行は)切り離しを行うので、「松山行」では宇多津駅の後の駅である多度津駅には「8輛編成」の勇姿が現れる訳だ…
↓列車の交尾側の自由席に陣取った。なかなか感じが好い座席だ…
↓座席の前にテーブルが畳まれているが、そこに車内の案内略図が在る。JR四国の新しい感じの車輛では、こういうモノが見受けられる…
↓車内に自販機が据えられていた…「そう言えば、何となく久し振りなような…」と、思わず缶コーヒーを求めてしまった…
↓「SETOUCHI STREAM EXPRESS」と在る。この新型を導入する前の車輛で「瀬戸の疾風」というコピーを使っていたそうだが、それを少し意識しているのであろう…
「夏らしい!」という好天の下、車内も快適で素敵な車輛の列車で、知らない土地を動き回るのは気持ちが弾むというものだ…
↓「松山行」の入線案内の放送が聞こえ、列車が進入する様子が視えた…
↑先頭部分が丸く黒色になっているのが判る…
↓「実物」は初めて視たと思う…8600系電車だ。
↑2014(平成26)年に初登場したそうだ。未だ新しい!
↓個性的な外観だ…
↑「8輛編成」で運行されているという…JR四国の現在の列車では「最も長い編成?」と思える…
これは「岡山・松山間」の<しおかぜ>―多分、海の上の瀬戸大橋を行き交う特急列車なので「潮風」としたのであろう…―と、「高松・松山間」の<いしづち>―愛媛県の瀬戸内海側を横断する列車なので、愛媛県を代表する石鎚山に因んで命名したのであろう…―とが、宇多津駅で(松山行は)連結、または(岡山行、高松行は)切り離しを行うので、「松山行」では宇多津駅の後の駅である多度津駅には「8輛編成」の勇姿が現れる訳だ…
↓列車の交尾側の自由席に陣取った。なかなか感じが好い座席だ…
↓座席の前にテーブルが畳まれているが、そこに車内の案内略図が在る。JR四国の新しい感じの車輛では、こういうモノが見受けられる…
↓車内に自販機が据えられていた…「そう言えば、何となく久し振りなような…」と、思わず缶コーヒーを求めてしまった…
↓「SETOUCHI STREAM EXPRESS」と在る。この新型を導入する前の車輛で「瀬戸の疾風」というコピーを使っていたそうだが、それを少し意識しているのであろう…
「夏らしい!」という好天の下、車内も快適で素敵な車輛の列車で、知らない土地を動き回るのは気持ちが弾むというものだ…
<さぬきオリーブトンテキ>…(2020.07.31)
夕食を摂ろうと、高松駅周辺を何となく歩き廻っていた…
結局…高松駅のビルに飲食店街が在り、そこを覗いた。「トンカツがメインで、色々と在る居酒屋的な感じ…」と見受けられた店に寄ってみた。
↓こういうモノを頂いた…
↑豚肉を焼き上げて、ガーリックのチップや工夫した甘辛いソースを点けたモノ…“トンテキ”という代物だ…
「さぬきオリーブ」なる名が冠せられている?
香川県ではオリーブを栽培していて、オリーブを絞ってオリーブオイルを製造しているというが…そのオリーブの搾りかすを飼料に配合し、豚に与える「オリーブ豚」というモノを肥育している場所が在るのだという。
<さぬきオリーブトンテキ>とは、その「オリーブ豚」を調理したモノである。旨味が確りしている他方、脂身部分がサッパリしている感じの「なかなか美味い!」という肉だった…
香川県は「うどん県」と称して宣伝を展開しているようだが…養豚に携わる皆さんが随分と努力されて、この「オリーブ豚」のような逸品も送り出している訳だ…「訪ねて見付ける」というような、或いは「訪ねて出くわす」というようなモノが非常に愛おしい…
結局…高松駅のビルに飲食店街が在り、そこを覗いた。「トンカツがメインで、色々と在る居酒屋的な感じ…」と見受けられた店に寄ってみた。
↓こういうモノを頂いた…
↑豚肉を焼き上げて、ガーリックのチップや工夫した甘辛いソースを点けたモノ…“トンテキ”という代物だ…
「さぬきオリーブ」なる名が冠せられている?
香川県ではオリーブを栽培していて、オリーブを絞ってオリーブオイルを製造しているというが…そのオリーブの搾りかすを飼料に配合し、豚に与える「オリーブ豚」というモノを肥育している場所が在るのだという。
<さぬきオリーブトンテキ>とは、その「オリーブ豚」を調理したモノである。旨味が確りしている他方、脂身部分がサッパリしている感じの「なかなか美味い!」という肉だった…
香川県は「うどん県」と称して宣伝を展開しているようだが…養豚に携わる皆さんが随分と努力されて、この「オリーブ豚」のような逸品も送り出している訳だ…「訪ねて見付ける」というような、或いは「訪ねて出くわす」というようなモノが非常に愛おしい…
遠景…:丸亀城(2020.07.31)
本州側から鉄道で四国へ向かうには、岡山駅から児島駅への経路を経る<快速マリンライナー>で瀬戸大橋を渡るのが好い…他に四国の何箇所かと岡山とを結ぶ特急列車も在るようだが…
<快速マリンライナー>は四国に上陸してから坂出駅に停まる。JR四国では「上り列車」と案内しているようだが、岡山を発つ「高松行」は東へ向かう。西へ向かう場合は、坂出駅で、JR四国では「下り列車」と案内している列車に乗換える。
この「下り列車」というモノに乗車して、停車駅の周辺等で車窓からの景色を眺める。坂出駅を出て丸亀駅に進入する際、丸亀駅のやや東方ということになるのであろうが「アレは?!」という眺めに出くわして驚かされた。最初に立寄った善通寺の後、改めて丸亀に立寄り、「アレは?!」を少し近くで眺めてみることにした…
↓こういうような様子が、少しだけ遠くからではあるが、列車の窓から視えていた…何か「小高い丘を悉く石垣で固めている?その上に小さな建物?城の天守閣?」という具合なのだ…
↓陽射しが「(正直なところ)少しキツい?」とも思いながら、丸亀駅から歩けば、丸亀市役所の辺りの緑地からこういう具合に丸亀城が視えている…
紛れもなく「日本の近世城郭の石垣」ということではあろうが…何やら「小高い丘を悉く石垣で固めている?」という感で、「遠い国の文明の遺跡?」というような雰囲気さえ感じてしまった。
↓もう少々寄ってみればこういう感じに視える…
↓一頻り城の域内を歩き廻り、丸亀駅へ引揚げようと振り返ったが…何か「温暖な地域」と感じさせる木が茂っている向こうで、石垣が独特な存在感を放っていた…
地図で視れば、面積が然程大きくない感の街が幾つも連なっている香川県ではあるが、「各々の伝統」が重ねられた地域が連なり、「一寸動き回ると、様々な文物に出くわす…」という感が面白いと思った。
それにしてもこの「遠い国の文明の遺跡?」というような雰囲気さえ感じた丸亀城の石垣は迫力が在った…
<快速マリンライナー>は四国に上陸してから坂出駅に停まる。JR四国では「上り列車」と案内しているようだが、岡山を発つ「高松行」は東へ向かう。西へ向かう場合は、坂出駅で、JR四国では「下り列車」と案内している列車に乗換える。
この「下り列車」というモノに乗車して、停車駅の周辺等で車窓からの景色を眺める。坂出駅を出て丸亀駅に進入する際、丸亀駅のやや東方ということになるのであろうが「アレは?!」という眺めに出くわして驚かされた。最初に立寄った善通寺の後、改めて丸亀に立寄り、「アレは?!」を少し近くで眺めてみることにした…
↓こういうような様子が、少しだけ遠くからではあるが、列車の窓から視えていた…何か「小高い丘を悉く石垣で固めている?その上に小さな建物?城の天守閣?」という具合なのだ…
↓陽射しが「(正直なところ)少しキツい?」とも思いながら、丸亀駅から歩けば、丸亀市役所の辺りの緑地からこういう具合に丸亀城が視えている…
紛れもなく「日本の近世城郭の石垣」ということではあろうが…何やら「小高い丘を悉く石垣で固めている?」という感で、「遠い国の文明の遺跡?」というような雰囲気さえ感じてしまった。
↓もう少々寄ってみればこういう感じに視える…
↓一頻り城の域内を歩き廻り、丸亀駅へ引揚げようと振り返ったが…何か「温暖な地域」と感じさせる木が茂っている向こうで、石垣が独特な存在感を放っていた…
地図で視れば、面積が然程大きくない感の街が幾つも連なっている香川県ではあるが、「各々の伝統」が重ねられた地域が連なり、「一寸動き回ると、様々な文物に出くわす…」という感が面白いと思った。
それにしてもこの「遠い国の文明の遺跡?」というような雰囲気さえ感じた丸亀城の石垣は迫力が在った…
<WELCOME TO ZENTSUJI>…:善通寺駅の辺り…(2020.07.31)
四国に縁が薄い状態が永く続いた感であったことから「何時か…」とは思っていた。そしてその「四国上陸」という機会を設けた…
かの弘法大師こと空海が生まれたと伝えられる地に寺が在って、所在地の街の名前がその寺に因むモノになっているということを知り、何やら強く興味を覚えた…
↓前夜には姫路に陣取り、朝から列車で岡山へ向かい、瀬戸大橋を越え、坂出で乗換えて善通寺に至った…
↓駅前へ出てみればこんな看板…自身のような来訪者を歓迎してくれている訳だ…
↓振り返り…様子を何となく見入ってしまった…
↓「夏の雲」という感…「夏の光」という感…そして30℃を挟むような「夏の気温」…
やや縁が薄かった四国に、「夏らしい」にやや縁薄いかもしれない地域から辿り着いた自身が、「夏らしい!!」という風情の中に在る…妙に気分が昂る…
かの弘法大師こと空海が生まれたと伝えられる地に寺が在って、所在地の街の名前がその寺に因むモノになっているということを知り、何やら強く興味を覚えた…
↓前夜には姫路に陣取り、朝から列車で岡山へ向かい、瀬戸大橋を越え、坂出で乗換えて善通寺に至った…
↓駅前へ出てみればこんな看板…自身のような来訪者を歓迎してくれている訳だ…
↓振り返り…様子を何となく見入ってしまった…
↓「夏の雲」という感…「夏の光」という感…そして30℃を挟むような「夏の気温」…
やや縁が薄かった四国に、「夏らしい」にやや縁薄いかもしれない地域から辿り着いた自身が、「夏らしい!!」という風情の中に在る…妙に気分が昂る…