<804>:はりまや橋停留所:高知の路面電車(2020.08.01)

高知城から高知駅へ路面電車で移動していて、乗換のはりまや橋停留所で乗車すべき電車を待っていた…

高松から徳島を経て高知へ至った道中や高知城の様子を振り返りながら停留所に佇んでいれば…

↓自身が乗車しない方向へ向かう電車が姿を見せた…
01-08-2020 Kochi (63)
↑古風な外観の車輌だが…側面の<とさでん>グループの旅行会社の広告に「ウェブサイトの“検索窓”」が描かれているという様子に気づいて「時代…」を感じた…

↓乗降は直ぐに済んでしまい、この<804>は速やかに発車した…
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<804>は<800形電車>と呼ばれている4輌の中の1輌だ。この車輌は下関から高知へやって来たのだという…

車輌そのものは1959(昭和34)年に製造され、下関の路面電車として走っていた。「山陽電気軌道」という会社であったそうだが、1971年に路面電車を全廃した際、車輌が譲渡されたということだ。(因みに「山陽電気軌道」はその後、「サンデン交通」というバス会社になっていて、現在も下関を中心とする地域で活動している…)

下関で12年間動いた<804>だが…高知では既に48年間動いているということになる。一寸、面白いと思った…

今般、高知で動いている少し古風な路面電車の車輌に幾分親しんだ。「何回か」に過ぎない乗車ではあったが、少しだけ時間を経て「酷く懐かしい…」と感じていることに気付かされる…

<像之公豊一内山>=<山内一豊公之像>…:高知城(2020.08.01)

高知城に「上がった」という時であった…路面電車の停留所から「多分…こちら側?」と歩を進め、「ここが高知城の敷地らしい…」ということになり、石垣や様々な構造物が在る辺りへ上る場所に至った…必ずしも“正面入口”というような感じの場所から入ったということでもなかった…

一頻り高知城の様々なモノを視た後、「この辺が?“正面入口”?」という辺りに至った…

↓そして出くわしたのがこれだ…
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↑<像之公豊一内山>と在るが、これは少し古い書き方である。<山内一豊公之像>ということだ…

山内一豊は「高知城を築いた」という人物である。この像?一寸「見覚え?」という感だった…

静岡県内の掛川城を訪ねてみた経過が在ったが、掛川城の建物内の展示に、この高知城に据えられた像の小さなレプリカが在ったのだ。

山内一豊は関ケ原合戦の頃には掛川城の城主で6万石の大名であった。関ケ原合戦の時、逸早く徳川家康陣営に入ることを明言し、東海道を進んで行く徳川家康の軍勢が掛川城を随意に利用して構わないと「提供」した。そういうような経過で、関ケ原合戦の後、俗に「土佐24万石」と云われる―実際は20万9千石とのこと…―大領が与えられたのだ…

↓「掛川城の展示に在った像の“実物”だな…」と思いながら眺めたが…“実物”の大きな像は、なかなかに迫力が在る…
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↑甲冑に身を固めて騎乗し、槍を手に進軍中、或いは自軍を率いて戦闘を開始するような場面と見受けられる像だ…

この像…台座の銘が<像之公豊一内山>なので、なかなかに古いと思う。城下町たる高知の街の礎を築いた人物として、古くから地元で敬愛されていたという証左のように思った。

訪ねた先で、この種の像に出会うのは面白い…
posted by Charlie at 05:27Comment(0)高知県

<板垣退助先生像>…:高知城(2020.08.01)

文字どおりに「登城」というような感じで高知城に上がったのだったが…

↓その上る、下りるの坂道に入って行く辺りに銅像が据えられている…
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↑台座に<板垣退助先生像>と在る…幕末期の活躍も伝わるが、土佐出身の明治時代の政治家である板垣退助(1837-1919)の銅像だ…

板垣退助は議会制度の設立やその進展に功績が在ったという人物である。政党の設立にも携わり、党首も務めている。自由党総裁として遊説の途に在った1882(明治15)年に暴漢に襲撃を受けて負傷した際に「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだと伝えられ、この言は人口に膾炙している…

↓もしかすると?高知に所縁の人物として、最も永く敬愛されている人物は?或いはこの板垣退助なのかもしれないと思いながら、この像を眺めていた…
01-08-2020 Kochi (50)

「人々が選挙で選ぶ議員による議会が在って…」という、今では「当り前」な仕組みだが、実は多くの人の運動や様々な論争を経て登場し、定着している「なかなかに貴重なモノ」、或いは「大切にすべきモノ」というようなことにも思い至ってしまった…
posted by Charlie at 06:28Comment(0)高知県

<山内一豊之妻>…:高知城(2020.08.01)

↓高知城にこういう像が在る…
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↑戦国時代頃と思われる女性と大きな馬の組合せという像だ…

↓少し引けば、台座に<山内一豊之妻>という彫像の題名が在る…山内一豊の妻は「千代」―名には幾つかの説も在るらしいが…―といい、山内一豊が他界した後は「見性院」(けんしょういん)と名乗ったという…
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高知城を築いたのは、関ケ原合戦の後に土佐国に封じられた山内一豊である。この山内一豊の妻という女性が「なかなかの人物」と伝わっている。

女性と大きな馬の組合せという像だが…これは?織田信長に仕えていた山内一豊は、「馬揃え」に際して名馬を買入れることを望んだが、それを購入する資金が足りなかった。妻はそれを知り、嫁入り前に親から貰って「何か大事な時のために」と密かに持っていた金を提供し、それで名馬を買入れ、山内一豊の面目が施されたという挿話が知られる。像はその名馬の挿話をイメージしたのであろう…

聞けば明治時代の末頃から昭和20年まで、教科書で「山内一豊の妻」という挿話が取上げられていたのだそうだ…夫をよく助ける妻…所謂「内助の功」ということで取り上げられていたという。山内一豊は土佐一国を知行地とする大名になったが、元は一介の浪人であった。「内助の功」で立身したという訳だ…

一国を知行地としたような、少し規模の大きな城ともなれば、色々な挿話の伝わる様々な人達が関わっていることであろう…そんなことがこうやって伝えられていたのは興味深い…
posted by Charlie at 05:07Comment(0)高知県

高知城へ…(2020.08.01)

高知駅に列車で着いてみた直後、「とりあえず行ってみよう…」と路面電車を利用して訪ねてみたのは高知城だった…

高知駅前からはりまや橋に出て乗換えると「高知城前」という場所に至ることが出来るのだった。

その高知城前停留所から、何やら街の中の広い公園というような様相を呈しているようにも見えた高知城へ歩を進めた。

↓江戸時代の建物等が好い状態で残ることが知られている高知城であるが、建物等が残る辺りは、小高くなった場所の上側だ。正しく「登城」で、上る道を進むこととなった…
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↓排水が直接石垣に当たり悪くする工夫ということで、「石樋」(いしどい)と呼ばれるそうだが、石垣に突き出した部分が付けられていた…
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↑雨も多いというこの地域ならではの工夫であるようだ…

↓石段と石垣が連なっているというような感じだ…
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↓漸く、石垣の上の建物のようなモノが見えるが…
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↓更に曲がりながら坂道という具合であった…
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↓急峻な感じに石垣が組み合わさり、その上に構造物が乗っている感じだ…
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↓左側、天守閣の上層階が覆いを被せて修理中だった…
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↓通路を潜り抜けてみる…
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↓江戸時代の建物が綺麗な状態で残っているという、なかなかに貴重な存在である…
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↓蘇鉄が在ると「温かい地域…」というように思うのだが、こういう眺めが個人的には好きである…
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↓高めな側から低めな側を眺めながら、天守閣の辺りから出入口の側を目指して歩いた…
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↓何か酷く好いと思った…
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↓一頻り、高知城へ上り、そして下りたということになる…
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これまで「全然訪ねたことが無い…」という状況だった高知城…と言うより、高知そのものに初めて足を踏み入れ、高知城との“初対面”を果たした訳だ。この記事で取り上げた画は、各々が「高知城の第一印象」とでも呼ぶべきモノであるかもしれない…

梅雨の多湿で温度がやや上がる感じと、「危険な…」と伝えられる感じの“中間”に相当する、「好い意味で夏らしい」という中で、夏が似合いそうな高知で歩き回る機会を設けられたのは好かったと思う。

<土佐三志士の像>…(2020.08.01)

↓高知駅の傍だ…駅辺りから宿へ向かう際に見掛けた…
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↑左から武市半平太(瑞山)、坂本龍馬、中岡慎太郎の3人である。何れも幕末期の土佐の人ということになるが、<土佐三志士の像>というのだそうだ。

これは銅像のような設えだが、実は銅像ではなく、銅像を模して造ったオブジェで、台風のような強風では飛んでしまうので、そういう時は暫定的に撤去して保管するらしい…

何れも、いろいろな小説やドラマや映画に登場している人物ということになり、なかなかに人気が高い人物達であるように思う。

こういう、広さが限られた場所でやや大きいモノを撮りたい時には、広角レンズがなかなかに活きる…
posted by Charlie at 18:54Comment(0)高知県

<あかいアンパンマン列車>=<南風>…:高知駅(2020.08.02)

<南風>という愛称の特急列車は、高知駅を発ち、四国の真中を縦断する土讃線を走る。高知県内から徳島県内の内陸側から香川県に入り、やがて瀬戸大橋を渡って岡山駅に着く。

この<南風>に乗車して多度津駅に出て、西の松山駅へ向かう列車に乗換えようと、高知駅へ向かった…

高知駅で改札を潜り、高架上のホームに出てみた…

↓待っていたのはこういう列車だった…
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↑アンパンマンだ…<あかいアンパンマン列車>と名付けられているらしい…7月に登場したばかりだと聞いた…

↓<くじらドーム>という愛称が冠せられている屋根から全体が少し出てしまう、4輌編成の列車だ…
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↑車輌そのものは、JR四国の新しい特急列車用ディーゼルカーの2700系ディーゼルカーである。

↓一部の指定席では、『アンパンマン』に登場するキャラクター達のカバーが被せられているそうだが、自由席は普通な感じだった…
02-08-2020 Kochi Station (5)
↑或いは、華々しい外装との落差に、何となく驚くという気がしないでもない。が、乗車して乗車時間を過ごす分には、普通な感じが落ち着くというのが個人的な感想ではある…

『アンパンマン』という作品そのものは、御馴染な現在のキャラクターの感じになる前身という作品も在るようなのだが、直接的には1975(昭和50)年に登場した児童向けの絵本が起こりということになりそうだ。そしてテレビアニメは1988(昭和63)年に初登場したということで、現在に至るもテレビ放映は続いているようだ。随分と長期間に亘って、幼稚園に通うような子どもが在れば、大概は『アンパンマン』に登場するキャラクターの何れかが大好きであったり、手近な「専用のモノ」として『アンパンマン』関係のグッズを愛用していたりするのではないだろうか?既に相当長い年月に亘って「小さな子ども達が初めて親しみ、憧れるキャラクター」ということになる『アンパンマン』なのかもしれない…

↓こんな列車に乗って多度津駅を目指した…
02-08-2020 Kochi Station (8)

“アンパンマン列車”というのも、JR四国が長くやっているモノで、『アンパンマン』のキャラクター達が賑やかに描かれている車輌を用意して運行している。駅では、この車輌を「視たい!!」と小さな子ども達がやって来ていて、保護者と一緒にホームを走り回って大喜びで眺めている様子が随分と見受けられた。更に、親子で一部区間を乗車してみているという様子も伺えた。或いはJR四国の“人気コンテンツ”の“最新バージョン”に偶々出くわしたことになる。

特急列車としての「列車愛称」は<南風>であったが、「車輌愛称」としては<あかいアンパンマン列車>であった列車に乗車するという経験をした…

>>JR四国による<アンパンマン列車>の紹介
posted by Charlie at 19:50Comment(0)高知県

高知駅…(2020.08.02)

「一寸だけ通り過ぎた経過…何時の間にか10年も前?実質的に全然訪ねたことが無かった…」と思い付いて、四国に上陸した。

四国の4つの県、4つの県庁所在地の街に、各々に足跡を記す結果となったが…離れてから思ったのは、何れの県に関しても「もう1日…」というようなことである。が、そういう想いが在れば「また何時か…」と再訪を考える理由となるというものかもしれない…

↓高知から松山を目指そうと高知駅へ向かった…
02-08-2020 Kochi Station (4)
↑駅の入口だ…「夏の四国…夏の高知…」というようなことを、後から写真で視ても思い出してしまうような雰囲気の空だ…

↓少し引いてみると、高架になっているが、「斬新で大胆なデザイン!?」というように思えた…
02-08-2020 Kochi Station (3)

高知駅そのものは1924(大正13)年に開業したそうだが、2008(平成20)年に高架の完成を受けて現在の駅舎になっているとのことだ。

↓高架の上に<くじらドーム>という愛称が冠せられているというが、南北延長60.9m、東西幅員38.5m、高さ23.3mという大きな屋根が掛かっている。
02-08-2020 Kochi Station (1)

↓<くじらドーム>の脇からは、停車中の列車の姿も視える…
02-08-2020 Kochi Station (2)

因みに、高知駅はICカード乗車券には対応しない区間であるが、自動改札機が据えられていた…

この駅に親しむ機会…もう少し設けておきたかった感だ…
posted by Charlie at 06:21Comment(0)高知県

<591>:はりまや橋停留所&高知駅前停留所:高知の路面電車(2020.08.01)

<高知城前>から<はりまや橋>で乗換えて<高知駅前>を目指した。

↓停留所に接近して来る…
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↓渋い感じだ…
01-08-2020 Kochi (72)
↑これに乗車して高知駅前へ向かった…

<591>は岐阜からやって来た車輌であるという…

1957年に名鉄の「モ591形」として登場し、岐阜の路面電車で使用され続けていたという。2005(平成17)年に至り、岐阜の路面電車が廃止された後、高知に移って「590形」と呼ばれることになった。

これもなかなかに年季が入って味わい深い感の車輌だった。名鉄で運用されていた時代のイメージを留めるという、赤系の単色塗装の外観がなかなかに好い…こういうような、「或る場所で役目を終え、他の場所に移って、尚も活躍を続ける」という車輌は面白い…

↓行止り式の高知駅前で停車、乗降後に待機して折り返し運転となる…
01-08-2020 Kochi (74)
↑かなり年季が入っている車輌ではあるが、運転台の上辺りの行先表示は近年の新しい方式のモノに換装されている…

高知に関しては…味わい深い感じな車輌が行き交っている路面電車に「もう少し乗っておくべきだった…」という思いが、高知を離れた直後から高まっている…
posted by Charlie at 18:25Comment(0)高知県

<618>:はりまや橋停留所:高知の路面電車(2020.08.01)

高知は路面電車が活躍している街だと思う。そういう街では路面電車に乗ってみる…

高知駅前で1日乗車券を入手してはりまや橋停留所まで乗車して、目指す先への電車に乗換える…

適宜道路を横断するなどしながら、目指す側への電車が発着する停留所へ歩み、電車を待つ…

↓停留所に接近して来る…
01-08-2020 Kochi (8)

↓なかなかに趣が在る古風な車輌だ…
01-08-2020 Kochi (9)

この車輌は「600形電車」である。1957(昭和32)年から1964(昭和39)年の期間に計31輌が製造されたという。<618>は1960年に登場しているということなので「還暦」である…

2014年に会社の改組が在って<とさでん>ということになったのだそうだが、<618>は新たな「<とさでん>のコーポレートカラー」の塗装が施された「1号」なのだそうだ。或いは「高知の路面電車と言えば…」という程度に、多くの人達の眼に馴染んでいるのがこの型なのかもしれず、そういう意味で「新塗装第1号」になったのかもしれない。

↓駆け寄って、これに乗車して<高知城前>へ移動した…
01-08-2020 Kochi (10)
posted by Charlie at 18:23Comment(0)高知県

カツオのタタキ(塩)…(2020.08.01)

“うつぼ”のように「初めて」ということではないのだが、“うつぼ”を頂いた際に、一寸頂いてしまった…

↓頂いたのは…カツオのタタキである…
01-08-2020 at Kochi (8)

店で「カツオのタタキを…」とお願いした際、「“塩”か“タレ”かを選んで頂くのですが…」ということになった。「塩」とお願いした。そうすると“天然塩”が振られた状態で出て来る…これが酷く好い!ニンニクが添えられ、それが酷く合う感じだった。

天然塩が振られているが、それでもタレが入ったモノも出て来て「最後に1切れ、2切れを残してタレを点けてみるというのも好いですよ」ということだったので、本当に最後に2切れ残してタレも点けてみた。「一皿で二度美味い…」という感じだった…

どうも、この“塩”というのが「高知の流儀」であるらしい。これは…「好いことを知った」という感だった…
posted by Charlie at 03:53Comment(0)高知県

“うつぼ”のタタキ…(2020.08.01)

“うつぼ”?幼少の頃に親しんだ『仮面ライダー』の怪人に、ウツボをモチーフにしたモノが在ったような気がするが、何やらグロテスクな外観の魚だ…

ウツボは鋭い歯で、漁網を噛み切るようなことも仕出かすらしい。そういう意味で、高知の漁師の嫌われ者であった経過が在るという…しかし「食すると意外に?」ということになり、小骨が多く扱い悪いモノを何とかするノウハウも積み重ねられて「高知の名物」となっているのだそうだ…

↓その“うつぼ”をタタキにした一皿を、滞在している宿の近所で頂いてみた…
01-08-2020 at Kochi (9)
↑何やらグロテスクな外観の魚…初めて口にした人は、何を想ったのか?というようなことを想わないでもない…これまで、“うつぼ”というモノを頂いた記憶は無かった…

「高知の名物?」と、半ば「怖いモノ視たさ」に近い感覚で頼んだのだが…これが実に美味く、驚いた!!

所謂“青魚”を焼いたような、或いは“しめ鯖”か何かのような、脂身が多少在る白身の魚というような味わいで、薬味やタレと合わせて頂く感じだった…

初めて足を踏み入れた高知で、初めてのモノを頂いてみたこと…

↓滞在した宿に近かった、こういうような店に立寄って頂いたということを記憶に留めたい…
01-08-2020 at Kochi (13)

本当に「(過ぎる程に)早くも!」なのだが…「また高知で、この“うつぼ”の料理を…」と願ってしまっている。今般はタタキを試したが、他の調理方法も色々と在るそうだ…

マダマダ各地には、これまで自身が知らなかった美味いモノが幾らでも在りそうだ…
posted by Charlie at 21:54Comment(0)高知県

<202>:はりまや橋停留所:高知の路面電車(2020.08.01)

高知に至り、「高知城を訪ねてみよう」と思い付いた。

高知駅のバスターミナルに、路面電車も手掛けている<とさでん>の窓口が在り、500円の1日乗車券が求められる。それを利用した…

↓高知駅前停留所からはりまや橋停留所に電車が至った…
01-08-2020 Kochi (5)

はりまや橋停留所は、南北に延びる軌道と、東西に延びる軌道とが交差している。停留所は、北から南の運行を利用する4番、南から北の運行を利用する3番、東から西への運行を利用する2番、西から東への運行を利用する1番と「4箇所」を使い分けて乗換える感じだ…

それにしても「古色蒼然?」という電車が「高知で乗車した初めてのモノ」という型だったのだが、200形というのは1950(昭和25)年に初登場した車輛ということだ…何となく面白い…
posted by Charlie at 19:00Comment(0)高知県