朝早くからJRの松山駅へ向かい、今治を往復してみることを思い立った…今治では<しまなみ海道>を行き交うバスで大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)を訪ねてみたかったのだ…
↓宿に近い勝山町の停留所に出れば、電車が現れた…
↑カーブを曲がったあたりの停留所なので、カーブに電車が現れる様子を見て毎度「美しい…」と少し感心していた…
↓前日も乗車した車輌に再度乗車することになった…
松山には伊予鉄の松山市駅が在って、JR松山駅とは少し離れている。路面電車の運行系統も、松山市駅へ向かうモノが在って、JR松山駅へ向かうモノも在る。朝早く、勝山町停留所からそのままJR松山駅へ向かう電車の本数がやや少ない感だった。そこで、とりあえず松山市駅へ向かう電車に乗り、他の方面からJR松山駅を目指す電車に乗り換える訳だ…
↓大街道を経て、県庁や市役所の辺りを過ぎて、松山市駅の手前に在る南堀端停留所で下車し、乗車していた<5006>を見送った…
↓画の左側へ曲がっている軌道は松山市駅へ通じている…真直ぐ伸びている側は少し先で右折、更に左折でJR松山駅の側へ通じる…
色々な運行系統の軌道が交わっているような様子…一寸面白いと思いながら眺めていた…
<2002>&<5006>…:勝山町停留所&大街道停留所:松山の路面電車(2020.08.02)
宿にモノを置いて身軽になったところで松山城を訪ねてみようとした…松山駅到着の直後に“1日乗車券”を確りと入手していたので、路面電車を利用した…
滞在した宿は勝山町停留所に近い。そして、歩くことも十分に可能な距離の「1つ先の停留所」が少し繁華な辺りの大街道停留所である。とりあえず勝山町停留所に出た…
↓何か「幾つもの運行系統の電車が次々に現れる…」という雰囲気だ…
↓最初に近付いたのは<2002>…京都から松山へ渡ったという経過が在るモハ2000形である…
ハッキリ言えば…「勝山町停留所から大街道停留所へ向かう」ということなら、そちらの方向に走っている任意の電車に乗車すれば着いてしまうのだが…「後続の車輌」に乗車してみたいと思い、<2002>を敢えて見送った…
↓直ぐ後から現れた<5006>…伊予鉄では最も新しい―2017(平成29)年に登場したばかり…―車輌であるモハ5000形の1輌だ…
↓正面の独特な形状が「当世風」という感じだ…これに乗車した…
乗車してみて気付いたが、これは札幌の路面電車に在る1100形とよく似ている…松山の場合には雪が降り頻る中で行き交うということこそ殆ど無いであろうが、両者共に「連接方式ではない形状で低床型を目指した」というデザインで設えられた車輌だ…
極個人的で勝手な思い付きだが…松山のモハ5000形と札幌の1100形で“兄弟分”ということにして、松山風な塗装を札幌で、札幌風の塗装を松山で各々走らせると愉しいかもしれないと思った…
↓そういう余計なことを思い付いていれば、電車は直ぐに大街道停留所に到着だ…下車して振り返ってみた…
伊予鉄の路面電車は比較的新しい車輌も目立つ感じだが、それでも年季が入った車輌も混ざっていて、色々な車輌による様々な運行系統の電車が行き交っている。松山の街を動き回るのは愉しいと思った。そして頻繁に街の様子を思い出す…
滞在した宿は勝山町停留所に近い。そして、歩くことも十分に可能な距離の「1つ先の停留所」が少し繁華な辺りの大街道停留所である。とりあえず勝山町停留所に出た…
↓何か「幾つもの運行系統の電車が次々に現れる…」という雰囲気だ…
↓最初に近付いたのは<2002>…京都から松山へ渡ったという経過が在るモハ2000形である…
ハッキリ言えば…「勝山町停留所から大街道停留所へ向かう」ということなら、そちらの方向に走っている任意の電車に乗車すれば着いてしまうのだが…「後続の車輌」に乗車してみたいと思い、<2002>を敢えて見送った…
↓直ぐ後から現れた<5006>…伊予鉄では最も新しい―2017(平成29)年に登場したばかり…―車輌であるモハ5000形の1輌だ…
↓正面の独特な形状が「当世風」という感じだ…これに乗車した…
乗車してみて気付いたが、これは札幌の路面電車に在る1100形とよく似ている…松山の場合には雪が降り頻る中で行き交うということこそ殆ど無いであろうが、両者共に「連接方式ではない形状で低床型を目指した」というデザインで設えられた車輌だ…
極個人的で勝手な思い付きだが…松山のモハ5000形と札幌の1100形で“兄弟分”ということにして、松山風な塗装を札幌で、札幌風の塗装を松山で各々走らせると愉しいかもしれないと思った…
↓そういう余計なことを思い付いていれば、電車は直ぐに大街道停留所に到着だ…下車して振り返ってみた…
伊予鉄の路面電車は比較的新しい車輌も目立つ感じだが、それでも年季が入った車輌も混ざっていて、色々な車輌による様々な運行系統の電車が行き交っている。松山の街を動き回るのは愉しいと思った。そして頻繁に街の様子を思い出す…
<アイロン接着ワッペン>:松山の土産…(2020.08.29)
出先で何かを買い込んで、それを少し長く開封しないままで置いてしまうということが時々在る。「慌てるべきでもない…」と考えている一面と、「さて…アレはどのように?」と考えてそのままになってしまう一面とが在るような気がしているのだが…
↓松山で出くわしたモノだ…漸く引っ張り出した…
松山城を訪ねようとした際に通り掛かった辺りの店で眼に留めて、求めてしまったモノである…確か『坊っちゃん』の像の傍に在った店だった…
↓これは鯛を象ったワッペンだ…小さいが、何か精巧な感じで、デザインも美しい…
↑愛媛県は鯛の生産量が日本一で、鯛は「県の魚」なのだそうだ…
↓そしてミカン…確りと「愛媛みかん」と刷り込まれた段ボール箱に収まったミカンだ…これを眼に留めて「酷く欲しい!!」と思ってしまったのだった…
↓箱に収まっていないミカンというデザインも在る…
↑愛媛県では年間21万トンものミカンを生産しているらしい…
鯛とミカンのワッペン…手軽に何かに着けることが出来るモノである。アイロンを使えば直ぐだ…モノは、今治タオル等を扱う店で「松山本店限定」と称して、地元のイラストレーターによるデザインで造っているワッペンであるということだ。会社のウェブサイトの通販にも掲載されていないと見受けられる代物だ…
国外からの来訪者を意識して“日本”というテーマのシリーズが造られていて、並行して“愛媛県”というシリーズも造られていたように見受けられた。私としては“愛媛県”というシリーズが好かった。鯛やミカンのデザインも酷く気に入った…
「四国上陸を果たし、愛媛県の松山や今治も巡った」という記念になる感じだ。「さて…どのように?」という感じだが、視ていて、何となく「四国の風景」を思い出すような気分になる代物だ。
写真そのものは稚内の拙宅で撮っているが、「なかなかに秀逸!」と感じた松山で売られていたモノなので、「愛媛県」カテゴリの記事としておこう…
↓松山で出くわしたモノだ…漸く引っ張り出した…
松山城を訪ねようとした際に通り掛かった辺りの店で眼に留めて、求めてしまったモノである…確か『坊っちゃん』の像の傍に在った店だった…
↓これは鯛を象ったワッペンだ…小さいが、何か精巧な感じで、デザインも美しい…
↑愛媛県は鯛の生産量が日本一で、鯛は「県の魚」なのだそうだ…
↓そしてミカン…確りと「愛媛みかん」と刷り込まれた段ボール箱に収まったミカンだ…これを眼に留めて「酷く欲しい!!」と思ってしまったのだった…
↓箱に収まっていないミカンというデザインも在る…
↑愛媛県では年間21万トンものミカンを生産しているらしい…
鯛とミカンのワッペン…手軽に何かに着けることが出来るモノである。アイロンを使えば直ぐだ…モノは、今治タオル等を扱う店で「松山本店限定」と称して、地元のイラストレーターによるデザインで造っているワッペンであるということだ。会社のウェブサイトの通販にも掲載されていないと見受けられる代物だ…
国外からの来訪者を意識して“日本”というテーマのシリーズが造られていて、並行して“愛媛県”というシリーズも造られていたように見受けられた。私としては“愛媛県”というシリーズが好かった。鯛やミカンのデザインも酷く気に入った…
「四国上陸を果たし、愛媛県の松山や今治も巡った」という記念になる感じだ。「さて…どのように?」という感じだが、視ていて、何となく「四国の風景」を思い出すような気分になる代物だ。
写真そのものは稚内の拙宅で撮っているが、「なかなかに秀逸!」と感じた松山で売られていたモノなので、「愛媛県」カテゴリの記事としておこう…
道後温泉駅…(2020.08.03)
松山の路面電車は、この辺りの様々な鉄道の経過を受継いで変遷を重ねた中で今日の姿が在るらしい…
道後温泉で路面電車が発着する場所…
↓立派な建物が在って<道後温泉駅>と称している…道後温泉から引揚げようとした際に一寸眺めた…建物前にタクシーも待機していて「観光地の交通拠点」という趣だ…
↑1911(明治44)年の建物の外観をイメージして1986(昭和61)年に建てた駅舎であるという。古い建物が残る、或いは古い建物を意識した建築が見受けられるというような一帯で、こういう建物は辺りの様子に酷く似合う。
立派な建物が在るが、特段に乗車券をどうこうするというようなことでもなく、建物の前の停留所で普通に路面電車が発着し、乗客は他の停留所での乗降時同様に車内で運賃を支払うようになる…
↓ここは<坊っちゃん列車>の方向転換を行う場所で、<道後温泉駅>の脇に「展示線」が敷設されていて、その姿が視られる…何かかなり古い車輌の外観を模したモノが、建物の雰囲気に似合っている…
↓何か…この街に少し滞在して「通う…」というような真似さえしてみたい風情が在ると思った…
↑入口の少し奥、乗り場に路面電車が停車している様子も伺える…
↓「明治時代を意識した外観」という建物である。御手洗を示すピクトグラムも「明治時代の紳士淑女」というような風にしているのが面白かった…
松山…伝統を誇る路面電車等が「活き活きと活躍している」という雰囲気が在る地域だ…
道後温泉で路面電車が発着する場所…
↓立派な建物が在って<道後温泉駅>と称している…道後温泉から引揚げようとした際に一寸眺めた…建物前にタクシーも待機していて「観光地の交通拠点」という趣だ…
↑1911(明治44)年の建物の外観をイメージして1986(昭和61)年に建てた駅舎であるという。古い建物が残る、或いは古い建物を意識した建築が見受けられるというような一帯で、こういう建物は辺りの様子に酷く似合う。
立派な建物が在るが、特段に乗車券をどうこうするというようなことでもなく、建物の前の停留所で普通に路面電車が発着し、乗客は他の停留所での乗降時同様に車内で運賃を支払うようになる…
↓ここは<坊っちゃん列車>の方向転換を行う場所で、<道後温泉駅>の脇に「展示線」が敷設されていて、その姿が視られる…何かかなり古い車輌の外観を模したモノが、建物の雰囲気に似合っている…
↓何か…この街に少し滞在して「通う…」というような真似さえしてみたい風情が在ると思った…
↑入口の少し奥、乗り場に路面電車が停車している様子も伺える…
↓「明治時代を意識した外観」という建物である。御手洗を示すピクトグラムも「明治時代の紳士淑女」というような風にしているのが面白かった…
松山…伝統を誇る路面電車等が「活き活きと活躍している」という雰囲気が在る地域だ…
<藤堂高虎公>…:今治城(2020.08.03)
↓騎乗姿の武士…なかなかに貫禄が在る人物に見える…
↑今治城を訪ねた折り、石垣に囲まれて建物が建っている側に入り込み、この像に出会った。
↓<藤堂高虎公>と在る。この今治城を築き、城下町を開いたという人物である…
↑この像は、今治城の400年を記念するということで、2004(平成16)年に制作、設置されたということだ…
戦国時代末期の武将ということになる藤堂高虎であるが、こういうような「史上の人物達」に関しては、実は「小説やドラマ等の劇中人物としての好悪」で色々と語られているというような気がしないでもない…
藤堂高虎に関しては、色々と小説等での登場例は見受けられる。個人的には『虎の城』、『下天を謀る』という各小説の主人公となっている“藤堂高虎”のイメージが気に入っている。
気に入っている『虎の城』や『下天を謀る』の“藤堂高虎”…体躯に恵まれて武芸に優れた豪勇の士であるが、職人集団を巧みに指揮して新たな発想や工夫を盛り込んだ城を築くことを得意としていて、配下を動かして巧みに諜報戦を展開しながら外交交渉に胆力を発揮し、青年時代からの独自な価値観を信じ続けて行くというような人物なのだ…
↓この像…私が抱いている“藤堂高虎”のイメージに合っている感で、何か「好いなぁ…」と暫し眺め入ってしまった…
今治城は、関ケ原合戦の後に伊予国で加増を受けた藤堂高虎が、新たな知行地での軍事、政務の拠点として築いたのである。濠を掘削し、海水を引き込んで「海に浮かぶような城」を築き、瀬戸内海の海運とも結び付き易い城下町を築いて領内の振興を目論んだという訳である。それまで「今張」とされていた地名を「今治」とするようになったのは、藤堂高虎の時代からであるとも聞いた…今治の街に関しては、或る意味では藤堂高虎の事績が“建都”という性格も帯びるのかもしれない。そこでこの像が登場したのであろう…
↓この種の像は、こういう角度で眺めてみても面白い…
今般、方々で様々な銅像を視る機会が在ったと振り返っている…
↑今治城を訪ねた折り、石垣に囲まれて建物が建っている側に入り込み、この像に出会った。
↓<藤堂高虎公>と在る。この今治城を築き、城下町を開いたという人物である…
↑この像は、今治城の400年を記念するということで、2004(平成16)年に制作、設置されたということだ…
戦国時代末期の武将ということになる藤堂高虎であるが、こういうような「史上の人物達」に関しては、実は「小説やドラマ等の劇中人物としての好悪」で色々と語られているというような気がしないでもない…
藤堂高虎に関しては、色々と小説等での登場例は見受けられる。個人的には『虎の城』、『下天を謀る』という各小説の主人公となっている“藤堂高虎”のイメージが気に入っている。
気に入っている『虎の城』や『下天を謀る』の“藤堂高虎”…体躯に恵まれて武芸に優れた豪勇の士であるが、職人集団を巧みに指揮して新たな発想や工夫を盛り込んだ城を築くことを得意としていて、配下を動かして巧みに諜報戦を展開しながら外交交渉に胆力を発揮し、青年時代からの独自な価値観を信じ続けて行くというような人物なのだ…
↓この像…私が抱いている“藤堂高虎”のイメージに合っている感で、何か「好いなぁ…」と暫し眺め入ってしまった…
今治城は、関ケ原合戦の後に伊予国で加増を受けた藤堂高虎が、新たな知行地での軍事、政務の拠点として築いたのである。濠を掘削し、海水を引き込んで「海に浮かぶような城」を築き、瀬戸内海の海運とも結び付き易い城下町を築いて領内の振興を目論んだという訳である。それまで「今張」とされていた地名を「今治」とするようになったのは、藤堂高虎の時代からであるとも聞いた…今治の街に関しては、或る意味では藤堂高虎の事績が“建都”という性格も帯びるのかもしれない。そこでこの像が登場したのであろう…
↓この種の像は、こういう角度で眺めてみても面白い…
今般、方々で様々な銅像を視る機会が在ったと振り返っている…
<坊っちゃん列車>…:勝山町停留所付近(2020.08.02)
滞在した宿の直ぐ傍に路面電車の勝山町停所が在った…
↓路面電車が信号停車する場合も在る横断歩道の辺りで不思議な音が聞こえて「何の音?」と思えば…不思議なモノが現れた…
↑蒸気機関車を思わせるモノが先頭で、小さな客車を牽引している。<坊ちゃん列車>と呼ばれているモノだ…乗務員の姿が見えるので「小ささ」が判り易いと思う…
松山で明治時代に敷設された鉄道は「軽便鉄道」と呼ばれる「軌道の間隔が狭い」モノであった。それ故に、専用の小型の機関車が小型の客車や貨車を牽引して列車が運行される。
この軽便鉄道の機関車や客車について、夏目漱石の小説『坊つちやん』の中、松山にやって来た主人公が列車を視て「マッチ箱のような汽車」と称する叙述が知られている。
伊予鉄道では、この夏目漱石の小説に因み、軽便鉄道の小型の機関車が客車を牽引するような外観の車輌を設えた。蒸気機関車の外観だが、これはディーゼルエンジンで動いている…そして効果音を発しながら走行するのだ…
↓信号停車の後に発車し、カーブを曲がって道後温泉へ向かう軌道を進んで行く…
↑2001(平成13)年からこの<坊っちゃん列車>が運行されているそうだ。2編成在るそうだ…
↓一寸変わったモノを見せてもらった感だ…
何やら、土日曜日に限定した本数で運行する体制としていたようで、何気なく戸外に在る時に偶々見られたというのは酷く運が好かったかもしれない…(視たのは日曜日だったが…休暇の中で曜日を然程意識せず「松山に…着いたなぁ…」と宿の直ぐ傍を歩いていた時に視たのだった。)或いは、松山の街に到着を歓迎して頂いたような感であると、勝手に気分好くなっていたのだった…
↓路面電車が信号停車する場合も在る横断歩道の辺りで不思議な音が聞こえて「何の音?」と思えば…不思議なモノが現れた…
↑蒸気機関車を思わせるモノが先頭で、小さな客車を牽引している。<坊ちゃん列車>と呼ばれているモノだ…乗務員の姿が見えるので「小ささ」が判り易いと思う…
松山で明治時代に敷設された鉄道は「軽便鉄道」と呼ばれる「軌道の間隔が狭い」モノであった。それ故に、専用の小型の機関車が小型の客車や貨車を牽引して列車が運行される。
この軽便鉄道の機関車や客車について、夏目漱石の小説『坊つちやん』の中、松山にやって来た主人公が列車を視て「マッチ箱のような汽車」と称する叙述が知られている。
伊予鉄道では、この夏目漱石の小説に因み、軽便鉄道の小型の機関車が客車を牽引するような外観の車輌を設えた。蒸気機関車の外観だが、これはディーゼルエンジンで動いている…そして効果音を発しながら走行するのだ…
↓信号停車の後に発車し、カーブを曲がって道後温泉へ向かう軌道を進んで行く…
↑2001(平成13)年からこの<坊っちゃん列車>が運行されているそうだ。2編成在るそうだ…
↓一寸変わったモノを見せてもらった感だ…
何やら、土日曜日に限定した本数で運行する体制としていたようで、何気なく戸外に在る時に偶々見られたというのは酷く運が好かったかもしれない…(視たのは日曜日だったが…休暇の中で曜日を然程意識せず「松山に…着いたなぁ…」と宿の直ぐ傍を歩いていた時に視たのだった。)或いは、松山の街に到着を歓迎して頂いたような感であると、勝手に気分好くなっていたのだった…
<“坊っちゃん”と“マドンナ”>…:松山・大街道(2020.08.02)
夏目漱石は、松山出身の正岡子規と親交が深かったという…その関係で、夏目漱石は松山に足跡を残していると聞いていた…
松山城を訪ねようと少し繁華な大街道の辺りに出て、城の在る山へ上るリフトやロープウェーの乗場を探して歩いていた…
↓こういうモノに出くわした…所謂「書生さん」という出で立ちの青年…そして着物で袴を着用という女性…明治時代を大正時代を想わせる…
↑これは、或いは「最もよく知られている松山を舞台にした物語」と言い得るかもしれない、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の劇中人物だ…主人公の“坊っちゃん”と“マドンナ”とである…
“マドンナ”はとりあえずは「ヒロイン」ということになるのかもしれないが、作中に出番は然程多くは無く、“坊っちゃん”と深い関わりという程のモノが生じるのでも無かった…教員である“坊っちゃん”の同僚と婚約中だったという“マドンナ”で、横恋慕した上司の嫌がらせで同僚は他地域に異動を強いられ、“マドンナ”は赴任先へ向かうことを決めたというようなこと…であった筈だ…
この<“坊っちゃん”と“マドンナ”>は松山出身のイラストレーターである茂本ヒデキチの作品のイメージで創ったモノであるということだ。
「実は余り本は読まない…」という方でも、「聞いたことが在る文芸作品の題名」として夏目漱石の小説『坊っちゃん』は挙げられる…そういう位に知名度が高い作品だが…「改めて真面目に読んでみようか?」と、松山で作品が愛され続けていることに思い至って考えてしまった…
私は「予習」よりも「復習」を重視する傾向かもしれない。初めて訪れるような場所に関して、「予習」は然程やらない。訪ねてみて「アレは何だった?」と調べて「復習」ということが多い。松山と夏目漱石や正岡子規というようなことに関しても、「訪ねて出くわして関心が沸き…」という感だ。こういうような出会いが面白いので、思い付いて何処かを訪ねてみるようなことが止められないのだ…
松山城を訪ねようと少し繁華な大街道の辺りに出て、城の在る山へ上るリフトやロープウェーの乗場を探して歩いていた…
↓こういうモノに出くわした…所謂「書生さん」という出で立ちの青年…そして着物で袴を着用という女性…明治時代を大正時代を想わせる…
↑これは、或いは「最もよく知られている松山を舞台にした物語」と言い得るかもしれない、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の劇中人物だ…主人公の“坊っちゃん”と“マドンナ”とである…
“マドンナ”はとりあえずは「ヒロイン」ということになるのかもしれないが、作中に出番は然程多くは無く、“坊っちゃん”と深い関わりという程のモノが生じるのでも無かった…教員である“坊っちゃん”の同僚と婚約中だったという“マドンナ”で、横恋慕した上司の嫌がらせで同僚は他地域に異動を強いられ、“マドンナ”は赴任先へ向かうことを決めたというようなこと…であった筈だ…
この<“坊っちゃん”と“マドンナ”>は松山出身のイラストレーターである茂本ヒデキチの作品のイメージで創ったモノであるということだ。
「実は余り本は読まない…」という方でも、「聞いたことが在る文芸作品の題名」として夏目漱石の小説『坊っちゃん』は挙げられる…そういう位に知名度が高い作品だが…「改めて真面目に読んでみようか?」と、松山で作品が愛され続けていることに思い至って考えてしまった…
私は「予習」よりも「復習」を重視する傾向かもしれない。初めて訪れるような場所に関して、「予習」は然程やらない。訪ねてみて「アレは何だった?」と調べて「復習」ということが多い。松山と夏目漱石や正岡子規というようなことに関しても、「訪ねて出くわして関心が沸き…」という感だ。こういうような出会いが面白いので、思い付いて何処かを訪ねてみるようなことが止められないのだ…
道後温泉へ…(2020.08.03)
或る場所を訪ねて、結果的に「非常に有名な場所」に立寄らずに引揚げてしまったというようなこと…振り返ると存外に多いかもしれない…それでも「構わない!!」ということにしてしまう場合もまた多いが…
「四国の4県に足跡」と思い立ち、香川県に上陸し、徳島県を経て高知県に入り、愛媛県に既に至っていた…存外に目まぐるしい動きかもしれないが…
愛媛県については、訪ねてみて興味深いという場所が多々在ると思う。松山に在って、ロシア兵墓地という意表を突くような場所を振り出しに松山城にも寄り、松山・今治間を列車で往復して大三島の大山祇神社に足を延ばし、今治城も訪ねている。
そういうことなのだが…「松山」と言えば多くの方が思い浮かべる場所…
↓道後温泉へも足を運んでみた…
↑高台から、工事が行われている<本館>の辺りを望んでみた…こういう眺望を愉しむことが出来る場所が在るというのは非常に好い…
今治城を訪ねて松山へ引揚げ、夕刻に路面電車を利用して道後温泉を訪ねてみたのだった…
道後温泉の大変によく知られている<本館>は工事が行われている。中に入って入浴することも可能とは聞いた。が…
↓とりあえず<別館 飛鳥乃温泉>(べっかん あすかのゆ)という方で温泉に浸かり、よく歩き廻っていた身体を解しながらその日の夥しい汗を流したという感の過ごし方をした…
道後温泉は、飛鳥時代と呼ばれるような古代から知られている温泉ということで、飛鳥時代風の建物外観としたという<別館>である。
↓伝統在る温泉というのはなかなかに寛ぐことが出来る。貸タオルも在るので、特段に浴場へ行く支度を持たずに訪ねることも出来る…
↑立寄った日は、それ程込み合ってもいなかったので、何かゆったりと過ごすことが叶った…「身体を伸ばして任意の姿勢で暫し…」という「温泉地の大浴場」というモノは格別だ…
温泉入浴を愉しんだ後、辺りを少し歩き廻った…
↓本館の正面外観は、悪くない感じで見ることが出来た…
↓建物は1894(明治27)年に竣工したものであるとのことだ…
↓なかなかに人気が高いようだ…「松山の道後温泉に来ました!」というような記念写真の撮影を愉しんでいる方達を存外に見掛けた…
↑私はと言えば、こういう古い趣深い建物の様子を写真に収めるということで大いに満足だったが…
何か「伝統の温泉地」が、「街の中から少しばかり路面電車で進んだ」というような辺りに拡がるという道後温泉の風情…一寸好い感じだった…この場所は、松山に在る場合は、少しばかりの時間を設けて寄ってみる価値は在ると思った…
「四国の4県に足跡」と思い立ち、香川県に上陸し、徳島県を経て高知県に入り、愛媛県に既に至っていた…存外に目まぐるしい動きかもしれないが…
愛媛県については、訪ねてみて興味深いという場所が多々在ると思う。松山に在って、ロシア兵墓地という意表を突くような場所を振り出しに松山城にも寄り、松山・今治間を列車で往復して大三島の大山祇神社に足を延ばし、今治城も訪ねている。
そういうことなのだが…「松山」と言えば多くの方が思い浮かべる場所…
↓道後温泉へも足を運んでみた…
↑高台から、工事が行われている<本館>の辺りを望んでみた…こういう眺望を愉しむことが出来る場所が在るというのは非常に好い…
今治城を訪ねて松山へ引揚げ、夕刻に路面電車を利用して道後温泉を訪ねてみたのだった…
道後温泉の大変によく知られている<本館>は工事が行われている。中に入って入浴することも可能とは聞いた。が…
↓とりあえず<別館 飛鳥乃温泉>(べっかん あすかのゆ)という方で温泉に浸かり、よく歩き廻っていた身体を解しながらその日の夥しい汗を流したという感の過ごし方をした…
道後温泉は、飛鳥時代と呼ばれるような古代から知られている温泉ということで、飛鳥時代風の建物外観としたという<別館>である。
↓伝統在る温泉というのはなかなかに寛ぐことが出来る。貸タオルも在るので、特段に浴場へ行く支度を持たずに訪ねることも出来る…
↑立寄った日は、それ程込み合ってもいなかったので、何かゆったりと過ごすことが叶った…「身体を伸ばして任意の姿勢で暫し…」という「温泉地の大浴場」というモノは格別だ…
温泉入浴を愉しんだ後、辺りを少し歩き廻った…
↓本館の正面外観は、悪くない感じで見ることが出来た…
↓建物は1894(明治27)年に竣工したものであるとのことだ…
↓なかなかに人気が高いようだ…「松山の道後温泉に来ました!」というような記念写真の撮影を愉しんでいる方達を存外に見掛けた…
↑私はと言えば、こういう古い趣深い建物の様子を写真に収めるということで大いに満足だったが…
何か「伝統の温泉地」が、「街の中から少しばかり路面電車で進んだ」というような辺りに拡がるという道後温泉の風情…一寸好い感じだった…この場所は、松山に在る場合は、少しばかりの時間を設けて寄ってみる価値は在ると思った…
道程標 起点 今治市…(2020.08.03)
↓今治の市庁舎辺りで見掛けて足を停めた…
↑今治から方々の街への距離が記されている…一寸面白いと思って、暫し眺めていた…
各地の街の名と数字の後に在る「粁」はやや見慣れないように感じる字だが、「キロメートル」或いは「km」だ…
今治・札幌間は2209.0kmだ。ということは、今治・稚内間は?札幌・稚内間の約360㎞を加えて…2560㎞位であろうか?随分と遠くへ出たものだ…
この日は松山と今治とを往復したが、今治・松山間は48.1kmであるそうだ。
今治の場合、他の四国の主要都市というころになる高松までが168.7km、高知までが186.0kmであるのに対し、対岸の本州の広島は97.3kmで同じ四国の中「より近い!」のが一寸面白いと思った。或いは?四国と本州とが架橋で結ばれるような時代になって、四国の中での地域間の結び付きと、殆ど同列に「橋の向こう側」との結び付きが論じられているのかもしれない…
こういうような、「各々の土地から他の土地への距離」というような情報は、意外に面白いと何時も思う…
↑今治から方々の街への距離が記されている…一寸面白いと思って、暫し眺めていた…
各地の街の名と数字の後に在る「粁」はやや見慣れないように感じる字だが、「キロメートル」或いは「km」だ…
今治・札幌間は2209.0kmだ。ということは、今治・稚内間は?札幌・稚内間の約360㎞を加えて…2560㎞位であろうか?随分と遠くへ出たものだ…
この日は松山と今治とを往復したが、今治・松山間は48.1kmであるそうだ。
今治の場合、他の四国の主要都市というころになる高松までが168.7km、高知までが186.0kmであるのに対し、対岸の本州の広島は97.3kmで同じ四国の中「より近い!」のが一寸面白いと思った。或いは?四国と本州とが架橋で結ばれるような時代になって、四国の中での地域間の結び付きと、殆ど同列に「橋の向こう側」との結び付きが論じられているのかもしれない…
こういうような、「各々の土地から他の土地への距離」というような情報は、意外に面白いと何時も思う…
松山城へ…(2020.08.02)
路面電車の大街道停留所から<ロープウェー街>と呼ばれていたと思うが、飲食店や商店等が何となく集まっている辺りへ進んで行くと、松山城の山へ上がるための場所が在る。ロープウェーとリフトが設えられ、松山城の建築等が集まっている山頂付近へ至ることが叶うのである…
宿にリュックサックを置いて身軽になってからこの松山城へ上ることにした…往路はリフトで上ってみた…先走るが、復路はロープウェーだった…
↓山上に堅固な石垣が築かれ、そこに様々な建築が見受けられる…そういう感じだ…
↓城は、攻め込んだ敵が一気に守勢の主要な人達が籠る辺りに押し寄せられないように、グルグルと巡りながら進まざるを得ないようになっている。そして方々に兵が控えていて抵抗を試みることが叶うような構造物が築かれる。松山城を歩けば、そういう築城のセオリーも思い出す感じである…
↓天守閣だ…見学受付終了間際にこの場所に上がったので、敢えて中には入らなかったが…
↓天守閣は、幕末期に現在の建物となっていて、それが今日に受継がれている…貴重な「現存天守閣」の1つである…
↑こういう感じで見上げると、何かひどく迫力が在ると思った…
↓天守閣周辺の石垣も堅牢そうに見える…こういうモノを造る?何やら凄い技術のように思う…
↓城の域内は、植えられた樹木も手入れが行き届いた感で、雰囲気が好かった…
↓街の中の小高い山になっている部分の山頂部付近が松山城である…夏の陽気に霞んではいたが、松山市街の眺望が眼下に拡がっていた…
↑松山の街に明るくはないが…手前の中心よりやや左に視える“観覧車”が「市駅」こと松山市駅の辺りだ…右のやや上側に、陽気に霞む瀬戸内の海が輝く感だ…
松山城…今般は「とりあえず会いに行った」という感だった。機会が在れば、何度でも再訪したいような…そう感じさせるモノが在るように思えた場所だった…
宿にリュックサックを置いて身軽になってからこの松山城へ上ることにした…往路はリフトで上ってみた…先走るが、復路はロープウェーだった…
↓山上に堅固な石垣が築かれ、そこに様々な建築が見受けられる…そういう感じだ…
↓城は、攻め込んだ敵が一気に守勢の主要な人達が籠る辺りに押し寄せられないように、グルグルと巡りながら進まざるを得ないようになっている。そして方々に兵が控えていて抵抗を試みることが叶うような構造物が築かれる。松山城を歩けば、そういう築城のセオリーも思い出す感じである…
↓天守閣だ…見学受付終了間際にこの場所に上がったので、敢えて中には入らなかったが…
↓天守閣は、幕末期に現在の建物となっていて、それが今日に受継がれている…貴重な「現存天守閣」の1つである…
↑こういう感じで見上げると、何かひどく迫力が在ると思った…
↓天守閣周辺の石垣も堅牢そうに見える…こういうモノを造る?何やら凄い技術のように思う…
↓城の域内は、植えられた樹木も手入れが行き届いた感で、雰囲気が好かった…
↓街の中の小高い山になっている部分の山頂部付近が松山城である…夏の陽気に霞んではいたが、松山市街の眺望が眼下に拡がっていた…
↑松山の街に明るくはないが…手前の中心よりやや左に視える“観覧車”が「市駅」こと松山市駅の辺りだ…右のやや上側に、陽気に霞む瀬戸内の海が輝く感だ…
松山城…今般は「とりあえず会いに行った」という感だった。機会が在れば、何度でも再訪したいような…そう感じさせるモノが在るように思えた場所だった…
<73>と<5005>と…:勝山町停留所:松山の路面電車(2020.08.04)
松山を発つことになっていた朝、「JR松山駅前」という行先の電車に乗りたかった…幾つもの運行系統の電車が通り過ぎるのを、停留所で何となく眺めているということになった…
↓こういうような光景…凄く好いと思う。
↑左の電車<73>は、奥の「愛媛銀行」の看板が掲げられた建物の方向へ進む。左の<5005>は手前側に進む。
<73>は現役車輌では最古参な部類の<モハ50形>で、<5005>は数年前に登場した最新の<モハ5000形>で、両者の「年の差」は「概ね50歳」だ。こういうのが並んで動いている様を眺められるのが、路面電車を眺める面白さのような気がする。
↓「年の差」が「概ね50歳」の両者が交差した…
↓<5005>を見送った形になった<73>が残った…
↑この朝は、行き交う電車に当たる朝の光の感じが好かった…
「路面電車が行き交う街」というのは、訪ねて滞在することが愉しい場所であると、今般改めて強く思った…
↓こういうような光景…凄く好いと思う。
↑左の電車<73>は、奥の「愛媛銀行」の看板が掲げられた建物の方向へ進む。左の<5005>は手前側に進む。
<73>は現役車輌では最古参な部類の<モハ50形>で、<5005>は数年前に登場した最新の<モハ5000形>で、両者の「年の差」は「概ね50歳」だ。こういうのが並んで動いている様を眺められるのが、路面電車を眺める面白さのような気がする。
↓「年の差」が「概ね50歳」の両者が交差した…
↓<5005>を見送った形になった<73>が残った…
↑この朝は、行き交う電車に当たる朝の光の感じが好かった…
「路面電車が行き交う街」というのは、訪ねて滞在することが愉しい場所であると、今般改めて強く思った…
大山祇神社の御神木…(2020.08.03)
芸予諸島の島々を架橋で結ぶ「海の道」ということになる<しまなみ海道>を行くバスに乗車して大三島を訪ねた。
大三島には大変に古い由緒を誇る<大山祇神社>(おおやまづみじんじゃ)が在るというので、立ち寄ってみたかったのだ…
↓境内の御神木ということだが…凄い存在感だった…
↑<乎知命御手植の楠>(おちのみことおてうえのくすのき)と名付けられている…
↓少し向きを変えて眺めた。15m程の高さになるのだという…
乎知命(おちのみこと)は「小千命」と標記される場合も在るという。また、この地域には後の越智(おち)氏という有力な一族が在ったが、或いは関連性も在るのかもしれない。
この楠は「神武天皇の時代に植えられた」と伝えられ、それが故に「樹齢2600年余り」とされているようだ…
或いは、遠路遥々と「この樹を仰ぎ見たい…」と訪ねてみたという側面も在る…観られて善かった!
大三島には大変に古い由緒を誇る<大山祇神社>(おおやまづみじんじゃ)が在るというので、立ち寄ってみたかったのだ…
↓境内の御神木ということだが…凄い存在感だった…
↑<乎知命御手植の楠>(おちのみことおてうえのくすのき)と名付けられている…
↓少し向きを変えて眺めた。15m程の高さになるのだという…
乎知命(おちのみこと)は「小千命」と標記される場合も在るという。また、この地域には後の越智(おち)氏という有力な一族が在ったが、或いは関連性も在るのかもしれない。
この楠は「神武天皇の時代に植えられた」と伝えられ、それが故に「樹齢2600年余り」とされているようだ…
或いは、遠路遥々と「この樹を仰ぎ見たい…」と訪ねてみたという側面も在る…観られて善かった!
<2103>&<2006>:鉄砲町停留所:松山の路面電車(2020.08.02)
JR松山駅に着いた直後、最初に目指したのはロシア兵墓地であった。
JR松山駅前を含めて市内を環状に走る路面電車を利用して鉄砲町停留所を目指して、そこから歩いて訪ねることが叶うと知り、早速路面電車に乗車してみた…
松山滞在中に何度も視て、何度も乗車した<モハ2100形>と呼ばれる2002(平成14)年の初登場以来増備されたという車輌に乗車した。
実質的に「全く初めて」という状況下であった松山で、初めて乗車する路面電車で動くのは愉しい。車窓から視える様子の何もかもが興味深い感だった…
↓そうしていると<2103>で到着した…
↑反対側に<2006>が停車中であった。この<モハ2000形>は、京都から松山に移って来た経過が在る、独特な雰囲気の車輌だ。
↓<2006>が出発してしまった後、<2103>は少しの間、停車していた…
↓専用軌道的になっている区間で、踏切が設置されている箇所を走り去った…
何やら楽しい松山の路面電車…滞在期間を通じて、それなりに多く乗車したと思うが、このJR松山駅前から鉄砲町というのが「初めの一歩」であったことを記憶したい…
JR松山駅前を含めて市内を環状に走る路面電車を利用して鉄砲町停留所を目指して、そこから歩いて訪ねることが叶うと知り、早速路面電車に乗車してみた…
松山滞在中に何度も視て、何度も乗車した<モハ2100形>と呼ばれる2002(平成14)年の初登場以来増備されたという車輌に乗車した。
実質的に「全く初めて」という状況下であった松山で、初めて乗車する路面電車で動くのは愉しい。車窓から視える様子の何もかもが興味深い感だった…
↓そうしていると<2103>で到着した…
↑反対側に<2006>が停車中であった。この<モハ2000形>は、京都から松山に移って来た経過が在る、独特な雰囲気の車輌だ。
↓<2006>が出発してしまった後、<2103>は少しの間、停車していた…
↓専用軌道的になっている区間で、踏切が設置されている箇所を走り去った…
何やら楽しい松山の路面電車…滞在期間を通じて、それなりに多く乗車したと思うが、このJR松山駅前から鉄砲町というのが「初めの一歩」であったことを記憶したい…
丸型ポスト…:大山祇神社前停留所の辺り(2020.08.03)
丸型ポスト…:松山駅前(2020.08.03)
<三津浜焼き>…:松山(2020.08.03)
道後温泉を訪ねてみた後、宿へ引揚げる道すがらに夕食を愉しもうとした…
路面電車で道後温泉から大街道へ出て、大街道から宿の傍の勝山町までの道すがらに飲食店が色々と在るのを見掛けていた。そんな辺りを歩いた。
↓こういうバナーを掲出した店を見掛け、この「松山のソウルフード」と称するモノが気になった…
↓気になったので店に御邪魔してみた。カウンターに陣取れば、目の前の鉄板で色々と料理をする様子も視えるような設えである…
<三津浜焼き>を所望…という旨で店員さんと御話しし、「スタンダードなモノ」―“お好み焼き”の系譜になるモノで、色々な具材の組合せが在るようだ…―を御願いすることにした。<元祖 三津浜焼き>と称した…そして“サイズ”が何種類か在った。スタンダードなモノよりも大きなモノが何種類か在って、小さなモノということになる“ハーフ”というモノも在った。「とりあえず試しに頂いてみたい…」ということであったので、その“ハーフ”を御願いした。
↓待つこと暫しで出て来た…
↑“ハーフ”と言うのに…十分に大きい!
粉で薄い円形の生地を焼き、麺も焼く。そこに牛肉、牛脂、野菜類、イカ天、卵というような具材が入る…
↓切りながら摘まんでみることにしたが、これが非常に好かった!
<三津浜焼き>というのは、松山の港が在る方面、三津浜で古くから親しまれて伝わっているモノなのだという。<浜焼き>とも言うそうだ…
↓愛媛県の酒造会社が県内の芋を使って造ったという<瀬戸の大地>という焼酎をロックで1杯頂きながら、“ハーフ”ながらも1人には十分なボリュームが在った<三津浜焼き>を愉しんだ…
然程の時日を経てはいないが…早くも思い出して「また何時か…」と思っていることに気付いてしまう…
路面電車で道後温泉から大街道へ出て、大街道から宿の傍の勝山町までの道すがらに飲食店が色々と在るのを見掛けていた。そんな辺りを歩いた。
↓こういうバナーを掲出した店を見掛け、この「松山のソウルフード」と称するモノが気になった…
↓気になったので店に御邪魔してみた。カウンターに陣取れば、目の前の鉄板で色々と料理をする様子も視えるような設えである…
<三津浜焼き>を所望…という旨で店員さんと御話しし、「スタンダードなモノ」―“お好み焼き”の系譜になるモノで、色々な具材の組合せが在るようだ…―を御願いすることにした。<元祖 三津浜焼き>と称した…そして“サイズ”が何種類か在った。スタンダードなモノよりも大きなモノが何種類か在って、小さなモノということになる“ハーフ”というモノも在った。「とりあえず試しに頂いてみたい…」ということであったので、その“ハーフ”を御願いした。
↓待つこと暫しで出て来た…
↑“ハーフ”と言うのに…十分に大きい!
粉で薄い円形の生地を焼き、麺も焼く。そこに牛肉、牛脂、野菜類、イカ天、卵というような具材が入る…
↓切りながら摘まんでみることにしたが、これが非常に好かった!
<三津浜焼き>というのは、松山の港が在る方面、三津浜で古くから親しまれて伝わっているモノなのだという。<浜焼き>とも言うそうだ…
↓愛媛県の酒造会社が県内の芋を使って造ったという<瀬戸の大地>という焼酎をロックで1杯頂きながら、“ハーフ”ながらも1人には十分なボリュームが在った<三津浜焼き>を愉しんだ…
然程の時日を経てはいないが…早くも思い出して「また何時か…」と思っていることに気付いてしまう…
<2003>…:大街道停留所付近&道後温泉停留所付近:松山の路面電車(2020.08.03)
宿の傍から路面電車に乗って道後温泉を訪ね、引揚げて来た時にも路面電車に乗り、滞在していた宿の間近の停留所を通り過ごして大街道に着いた。宿へ引揚げる道すがらに夕食を摂ろうと思い立ったのだった…
↓陽が落ちた後、街の灯りの中での路面電車…趣が酷く好いと思った…
↑下車してから振り返った時の風情が酷く好かった…
嘗て在った京都市電で運用されるべく1964(昭和39)年に初登場し、1977(昭和52)年に京都市電廃止の前に廃車ということになり、5輛が松山に移って「モハ2000形」と名付けられて運用されるようになったのだという。
<2003>は1965(昭和40)年に製造されたというが、「京都市電として最後の新造車輛」の中の1輛だったそうだ…
↓因みに、道後温泉から乗車した後、撮り易い状況だったので内装も写真に収めておいた…
廃業されてしまった路線を行き交っていた車輛が、別な地域で活躍し続け、相当な時日が経っているという事例…路面電車では色々と在る。広島にも「京都から移った」という出自の車輛が走っていた…
こんな「半世紀超」も走り続けている車輛が、近年登場のモノと肩を並べて活躍中である様を視るのは面白い。勿論、新型車輛は「誰にでも利用し易い」ということが多いに配慮されているのに対し、こういう古くからの車輛は些か利用し悪い場合も在ることは否定し悪い…それでも、個人的にはこの種の外観や内装が好いと思っている…
↓陽が落ちた後、街の灯りの中での路面電車…趣が酷く好いと思った…
↑下車してから振り返った時の風情が酷く好かった…
嘗て在った京都市電で運用されるべく1964(昭和39)年に初登場し、1977(昭和52)年に京都市電廃止の前に廃車ということになり、5輛が松山に移って「モハ2000形」と名付けられて運用されるようになったのだという。
<2003>は1965(昭和40)年に製造されたというが、「京都市電として最後の新造車輛」の中の1輛だったそうだ…
↓因みに、道後温泉から乗車した後、撮り易い状況だったので内装も写真に収めておいた…
廃業されてしまった路線を行き交っていた車輛が、別な地域で活躍し続け、相当な時日が経っているという事例…路面電車では色々と在る。広島にも「京都から移った」という出自の車輛が走っていた…
こんな「半世紀超」も走り続けている車輛が、近年登場のモノと肩を並べて活躍中である様を視るのは面白い。勿論、新型車輛は「誰にでも利用し易い」ということが多いに配慮されているのに対し、こういう古くからの車輛は些か利用し悪い場合も在ることは否定し悪い…それでも、個人的にはこの種の外観や内装が好いと思っている…
<松山EXP>…:松山駅前(2020.08.04)
↓乗客を迎えるべく、松山駅前の乗場に現れたバス…
↑大阪からやって来た車輛で、乗務員(運転士さん)も大阪の営業所の所属だと言っていた。
↓長時間の運行の仕様である3列型の内装である…
今般、神戸の三宮まで乗車した。内陸に設えられた高速道路で徳島県に入り込んで、鳴門から淡路島、更に神戸市域の西端部辺りへ巨大な橋を渡る…計25分程、2階の休憩停車(徳島県の吉野川SA&淡路島の室津PA)を含んで4時間半余りのバスの旅だった…
↓前日に乗場の傍に在る券売所で求めてあった…下車時に乗務員が回収する乗車券だ…乗車当日の発車前まで券は求められるようになっているようだ…
「四国・関西間の路線バス」の乗車経験は、一寸面白かった…
↑大阪からやって来た車輛で、乗務員(運転士さん)も大阪の営業所の所属だと言っていた。
↓長時間の運行の仕様である3列型の内装である…
今般、神戸の三宮まで乗車した。内陸に設えられた高速道路で徳島県に入り込んで、鳴門から淡路島、更に神戸市域の西端部辺りへ巨大な橋を渡る…計25分程、2階の休憩停車(徳島県の吉野川SA&淡路島の室津PA)を含んで4時間半余りのバスの旅だった…
↓前日に乗場の傍に在る券売所で求めてあった…下車時に乗務員が回収する乗車券だ…乗車当日の発車前まで券は求められるようになっているようだ…
「四国・関西間の路線バス」の乗車経験は、一寸面白かった…
<69>…:勝山町停留所:松山の路面電車(2020.08.04)
路面電車の停留所傍に滞在し、“1日乗車券”を手に路面電車で随意に街の中を動き回ってみれば…「10年程前に通り過ぎたことが在った…」という程度の縁で、「実質的に全く初めて」という街が「少し馴染んだ場所」に視えて、そして感じられるようになり、滞在先近くの停留所の辺りを通れば「戻った…」と考えている。
松山でそんなことを考えたが、松山を発つ朝を迎えた…
↓勝山町停留所に何となく佇めば、乗車しない方向の電車が停車した。
↑現役最古参のグループ…<モハ50形>の<69>だ…
↓発車したのを見送った…
↓朝から「夏らしい!」という感の陽光が溢れていた…
多少の「名残惜しさ」というようなモノを胸に出先の街を離れるという位が好いのかもしれない「名残惜しさ」を埋め合わせようと、再訪を期す“理由”のようになるかもしれないではないか…と言いながら「理由無き…」という感で随意に動き回るが…
松山でそんなことを考えたが、松山を発つ朝を迎えた…
↓勝山町停留所に何となく佇めば、乗車しない方向の電車が停車した。
↑現役最古参のグループ…<モハ50形>の<69>だ…
↓発車したのを見送った…
↓朝から「夏らしい!」という感の陽光が溢れていた…
多少の「名残惜しさ」というようなモノを胸に出先の街を離れるという位が好いのかもしれない「名残惜しさ」を埋め合わせようと、再訪を期す“理由”のようになるかもしれないではないか…と言いながら「理由無き…」という感で随意に動き回るが…
洗濯を終えたワークパンツ…(2020.08.03)
出先の宿で、コインランドリーを使う場合が在る…
今般…酷く汗をかいてしまったので、衣類が汚れてしまい、思った以上に“需要”が生じた…
↓「国産帆布使用」を謳うワークパンツだ…
↑連日の酷い汗で「見覚えが?!」という程度に汚れてしまったモノを洗って乾燥させ、何やらスッキリした感じなので、思わず写真に収めてしまった…
ウェストの直ぐ下の、普段の他のジーンズ着用の場合にも必ずと言って構わない程に使うポケットの他、細かいモノが入るポケットが付いているのが好い。過日、美瑛や小樽を訪ねた際に着用していて勝手が好かったので、今般も出発した際にこれを着用した…
↓瀬戸大橋を望む岡山県倉敷市児島で製造されているらしいが…これを着用で児島を通過していた…
↑何度目の洗濯か判らなくなっているが、何度か洗われて生地に「雰囲気」が出て来た…
「同じモノ」が新品で余り売られていないような状況のようだが…これは大切に使い続けたい、使い心地が好いモノだ。
それにしても…直ぐにも「更に洗濯…」ということになってしまうかもしれない…また酷く汗もかいている…
今般…酷く汗をかいてしまったので、衣類が汚れてしまい、思った以上に“需要”が生じた…
↓「国産帆布使用」を謳うワークパンツだ…
↑連日の酷い汗で「見覚えが?!」という程度に汚れてしまったモノを洗って乾燥させ、何やらスッキリした感じなので、思わず写真に収めてしまった…
ウェストの直ぐ下の、普段の他のジーンズ着用の場合にも必ずと言って構わない程に使うポケットの他、細かいモノが入るポケットが付いているのが好い。過日、美瑛や小樽を訪ねた際に着用していて勝手が好かったので、今般も出発した際にこれを着用した…
↓瀬戸大橋を望む岡山県倉敷市児島で製造されているらしいが…これを着用で児島を通過していた…
↑何度目の洗濯か判らなくなっているが、何度か洗われて生地に「雰囲気」が出て来た…
「同じモノ」が新品で余り売られていないような状況のようだが…これは大切に使い続けたい、使い心地が好いモノだ。
それにしても…直ぐにも「更に洗濯…」ということになってしまうかもしれない…また酷く汗もかいている…
「ロシア代表」のレプリカユニフォーム…:洗濯終了…(2020.08.03)
↓自身は専ら夏季に着用している…サッカーのレプリカユニフォームである…
↑サッカー好きな友人が「凄く好いですね!」と言ってくれたので気を好くしているという代物でもあるのだが、これも2018年のサッカーW杯を開催中だった頃、ユジノサハリンスクの<アディダス>の店で売られていたロシア代表チームグッズだ…
これは高知から松山に移動して、松山を動き回った際、<ロシア兵墓地>を訪ねたという場面で着用していた…<双頭の鷲>のエンブレムが入っているので、<ロシア兵墓地>詣でという場面では、期せずして好適であったかもしれないが…
専ら夏季ではあるが、一昨年以来、気に入って使用しているモノで、今般も旅に持ち出した。これも松山で、宿のコインランドリーを使用して洗濯した訳だ…
↑サッカー好きな友人が「凄く好いですね!」と言ってくれたので気を好くしているという代物でもあるのだが、これも2018年のサッカーW杯を開催中だった頃、ユジノサハリンスクの<アディダス>の店で売られていたロシア代表チームグッズだ…
これは高知から松山に移動して、松山を動き回った際、<ロシア兵墓地>を訪ねたという場面で着用していた…<双頭の鷲>のエンブレムが入っているので、<ロシア兵墓地>詣でという場面では、期せずして好適であったかもしれないが…
専ら夏季ではあるが、一昨年以来、気に入って使用しているモノで、今般も旅に持ち出した。これも松山で、宿のコインランドリーを使用して洗濯した訳だ…
洗濯を終えたTシャツ…:ロシアで出回る<アディダス>のモノ…(2020.08.03)
<5001>と<2103>…:松山市駅前停留所:松山の路面電車(2020.08.02)
JR松山駅の他に「松山市駅」という伊予鉄の駅が在る。“市駅”と呼び習わされ、周辺も繁華な様子だ。
↓路面電車の停留所は「行き止まり式」になっている。ここに<5001>が到着した…
この<5001>は<モハ5000形>と呼ばれる2017(平成29)年に登場した、最近は各地で導入されている低床型の車輛だ…
↓到着するのは「降車専用」となっている場所で、乗客を乗せる側に、画の左奥側へ<5001>は動いた…
↓やがて別な運行系統の<2103>が現れ、これが「降車専用」の場所を目指す…
この<2103>は<モハ2100形>と呼ばれる2002(平成14)年の初登場以来増備された車輛である。見掛ける機会がやや多い型だった…連接ではない形状での低床型実現を目指した車輛だ。
↓こういう具合に新しい感じの車輛が行き違っている様は面白い…
忙しく路面電車が行き交っている感じ…松山の雰囲気だ…
↓路面電車の停留所は「行き止まり式」になっている。ここに<5001>が到着した…
この<5001>は<モハ5000形>と呼ばれる2017(平成29)年に登場した、最近は各地で導入されている低床型の車輛だ…
↓到着するのは「降車専用」となっている場所で、乗客を乗せる側に、画の左奥側へ<5001>は動いた…
↓やがて別な運行系統の<2103>が現れ、これが「降車専用」の場所を目指す…
この<2103>は<モハ2100形>と呼ばれる2002(平成14)年の初登場以来増備された車輛である。見掛ける機会がやや多い型だった…連接ではない形状での低床型実現を目指した車輛だ。
↓こういう具合に新しい感じの車輛が行き違っている様は面白い…
忙しく路面電車が行き交っている感じ…松山の雰囲気だ…
海に浮かぶような?:今治城…(2020.08.03)
今治駅の辺りに「>今治城 2㎞」というような、大きな看板が何となく在った…それを視たことが切っ掛けで、何となく今治の街を歩いた…
「道を間違えたか?或いは、通り過ぎてしまったのか?何処だ?」と暫く進んでいた。途中に「今治城の存在」を報せるような何かは見当たらなかった…そして漸く天守閣の頂上辺りらしきモノが遠くに在るのが判った…少し精確を期せば、何となく入った<ユニクロ>の店を出る時、不意に「アレは?!」と店の出口辺りで天守閣の上側が遠望出来たのだった…
↓何やら、海上に浮かんでいる巨大な艦船のような趣が在る城だと思った…
↓濠を掘削して海水を引き込むということをしたと聞くが…「海に浮かぶような?」という趣だ…
↓独特な趣に惹かれながら、辺りを歩き廻って城をゆっくり眺めた…
↓視る角度が少し変わると、表情が大きく変わるように思った…
↓少し奥は水の流れが緩くなって、水面が鏡面のようになっていた…
とにかく「この眺め!」という感で、とりあえず写真を記事としてブログに掲載してみたくなった…
それにしても…「>今治城 2㎞」が気になって、往復で4㎞かそれ以上を、かなり汗をかきながら歩き廻った…「健全に過ぎるじゃないか…」と苦笑してしまう…
「道を間違えたか?或いは、通り過ぎてしまったのか?何処だ?」と暫く進んでいた。途中に「今治城の存在」を報せるような何かは見当たらなかった…そして漸く天守閣の頂上辺りらしきモノが遠くに在るのが判った…少し精確を期せば、何となく入った<ユニクロ>の店を出る時、不意に「アレは?!」と店の出口辺りで天守閣の上側が遠望出来たのだった…
↓何やら、海上に浮かんでいる巨大な艦船のような趣が在る城だと思った…
↓濠を掘削して海水を引き込むということをしたと聞くが…「海に浮かぶような?」という趣だ…
↓独特な趣に惹かれながら、辺りを歩き廻って城をゆっくり眺めた…
↓視る角度が少し変わると、表情が大きく変わるように思った…
↓少し奥は水の流れが緩くなって、水面が鏡面のようになっていた…
とにかく「この眺め!」という感で、とりあえず写真を記事としてブログに掲載してみたくなった…
それにしても…「>今治城 2㎞」が気になって、往復で4㎞かそれ以上を、かなり汗をかきながら歩き廻った…「健全に過ぎるじゃないか…」と苦笑してしまう…
プロペラ…:今治…(2020.08.03)
今治駅前から<しまなみ海道>をバスで往来した後、今治駅辺りから少し街を歩いた。
↓「何や!?こりゃ?!」と注目してしまった…
↑今治市役所の傍に据えられていた…
↓これは?スクリューのプロペラ…巨大な船に据えられている代物だ…
全長320.37m、幅46m、深さ24.9mで8102個のコンテナを積載可能な船…今治に本社を置く造船所で建造されたという「世界最大級のコンテナ船」に据えられているプロペラ…「6翼」の形状で直径が9mで、重量は約93トンであるそうだ…「世界最大級のコンテナ船」はこの巨大な最大出力6万6千キロワット、8万9千馬力の機関を動かし、プロペラを回転―1分間で97回転まで出来るそうだ…―させて推進し、最大速25ノット程度(自足47㎞程度か…)まで出すことが出来るのだという。
↓何れにしても、何やら途轍もない代物だ…
↓広角ズームでもなければ写真を撮り悪い大きな代物だ…正面の道路を走っている車輛が写っているので、このプロペラの「巨大さ…」が判る…
2013年に造船会社から贈られ、据えられたようだが、こんなモノが在ることは知らなかった…巨大な船のプロペラ?通常は海中なので、大きな船が停泊、航行している様子が視えたにしても、プロペラそのものは視ることは出来ない訳だ…
↓「何や!?こりゃ?!」と注目してしまった…
↑今治市役所の傍に据えられていた…
↓これは?スクリューのプロペラ…巨大な船に据えられている代物だ…
全長320.37m、幅46m、深さ24.9mで8102個のコンテナを積載可能な船…今治に本社を置く造船所で建造されたという「世界最大級のコンテナ船」に据えられているプロペラ…「6翼」の形状で直径が9mで、重量は約93トンであるそうだ…「世界最大級のコンテナ船」はこの巨大な最大出力6万6千キロワット、8万9千馬力の機関を動かし、プロペラを回転―1分間で97回転まで出来るそうだ…―させて推進し、最大速25ノット程度(自足47㎞程度か…)まで出すことが出来るのだという。
↓何れにしても、何やら途轍もない代物だ…
↓広角ズームでもなければ写真を撮り悪い大きな代物だ…正面の道路を走っている車輛が写っているので、このプロペラの「巨大さ…」が判る…
2013年に造船会社から贈られ、据えられたようだが、こんなモノが在ることは知らなかった…巨大な船のプロペラ?通常は海中なので、大きな船が停泊、航行している様子が視えたにしても、プロペラそのものは視ることは出来ない訳だ…
造船の街…:今治で視たバスの車窓(2020.08.03)
ロシア兵墓地:松山(2020.08.02)
↓「如何にも…」と言うのか…「ロシア!」という感じがする…
↑日本国内にも胸像は見受けられるが、何となく「ユジノサハリンスクで親しんだ…」という印象が個人的には強い…
↓胸像はこういう具合に、松山市内に在る…
↓胸像の人物はロシア帝国の海軍で大佐であったワシリー・ボイスマンである…「墓」となっている…
↓辺りには、こういうような具合に「墓」が沢山在る…
↑墓碑銘には「露國海軍水兵」とか「露國歩兵率」というような具合に「露國」という文字が視える…
「露國」とは「ロシア」を指し示す表現に他ならない。1904(明治37)年から1905(明治38)年の<日露戦争>の頃、ロシア陸海軍の将兵が捕虜となる事例が在り、捕虜は日本国内に設けた収容施設に送り込まれた。
往時の日本では<陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約>と呼ばれたそうだが、1899(明治32)年に戦時の様々なことを申し合わせる条約が締結されていて、日本もそれに調印している。<日露戦争>の当時、日本では「条約を遵守している」として、ロシア将兵を捕虜とした場合に適切に対応していると宣伝も行っていたようだ。それ故、収容施設の1つが在った「マツヤマ」の名は国際的にも少し知られていたという。
そういうことで、「捕虜は罪人ではない」とし、松山では捕虜のロシア将兵を「縁在ってやって来ることになり、滞在している外国人達」という程度に迎えていたようだ。
そんな中、傷病等によって戦争終結後に帰国が叶わずに他界してしまった人達も在り、98名が松山で葬られ、墓地が設けられた。その中、最も上席であった人物がワシリー・ボイスマン大佐だったので、「一同の代表」というように大きめな墓碑が出来たのだった。
松山駅に到着し、路面電車で鉄砲町停留所に向かい、汗をかきながら歩き廻ってこの場所に至ることが出来た。
↓こういう看板を見つけて、墓地の中の石段のような場所を上がってロシア兵墓地へ至ったのだったが…
↓外周側の坂道を上がると、大きな看板も出ていたことに、立ち去る段になって気付いた…
↓ワシリー・ボイスマン大佐の胸像は、お年寄りや中学生等を含む御近所の皆さんが墓地の清掃等を続けていることに感銘を受けたロシアの人達が在って、ロシアの彫刻家が像を制作して1994(平成6)年に寄贈されて据えられたそうだ…
偶々、「汗をかいても乾き易い化繊のTシャツ」ということで、サッカーのロシア代表チームのレプリカユニフォームを身に着けていたが、「双頭の鷲」のエンブレムを胸に、<日露戦争>時代のロシア将兵の墓地を詣でた訳である…
近所に大学が在って、スポーツに勤しんでいる学生さんと見受けられる若い人達が辺りでジョギングをしている様子を視ながら、酷い汗をかきながら歩き廻った。水分補給をしようと眼に留まったコンビニに入って水を求めた際、店員さんが「凄い…汗ですね…」と少し笑っていた。
なかなかに興味深い訪問だった…
↑日本国内にも胸像は見受けられるが、何となく「ユジノサハリンスクで親しんだ…」という印象が個人的には強い…
↓胸像はこういう具合に、松山市内に在る…
↓胸像の人物はロシア帝国の海軍で大佐であったワシリー・ボイスマンである…「墓」となっている…
↓辺りには、こういうような具合に「墓」が沢山在る…
↑墓碑銘には「露國海軍水兵」とか「露國歩兵率」というような具合に「露國」という文字が視える…
「露國」とは「ロシア」を指し示す表現に他ならない。1904(明治37)年から1905(明治38)年の<日露戦争>の頃、ロシア陸海軍の将兵が捕虜となる事例が在り、捕虜は日本国内に設けた収容施設に送り込まれた。
往時の日本では<陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約>と呼ばれたそうだが、1899(明治32)年に戦時の様々なことを申し合わせる条約が締結されていて、日本もそれに調印している。<日露戦争>の当時、日本では「条約を遵守している」として、ロシア将兵を捕虜とした場合に適切に対応していると宣伝も行っていたようだ。それ故、収容施設の1つが在った「マツヤマ」の名は国際的にも少し知られていたという。
そういうことで、「捕虜は罪人ではない」とし、松山では捕虜のロシア将兵を「縁在ってやって来ることになり、滞在している外国人達」という程度に迎えていたようだ。
そんな中、傷病等によって戦争終結後に帰国が叶わずに他界してしまった人達も在り、98名が松山で葬られ、墓地が設けられた。その中、最も上席であった人物がワシリー・ボイスマン大佐だったので、「一同の代表」というように大きめな墓碑が出来たのだった。
松山駅に到着し、路面電車で鉄砲町停留所に向かい、汗をかきながら歩き廻ってこの場所に至ることが出来た。
↓こういう看板を見つけて、墓地の中の石段のような場所を上がってロシア兵墓地へ至ったのだったが…
↓外周側の坂道を上がると、大きな看板も出ていたことに、立ち去る段になって気付いた…
↓ワシリー・ボイスマン大佐の胸像は、お年寄りや中学生等を含む御近所の皆さんが墓地の清掃等を続けていることに感銘を受けたロシアの人達が在って、ロシアの彫刻家が像を制作して1994(平成6)年に寄贈されて据えられたそうだ…
偶々、「汗をかいても乾き易い化繊のTシャツ」ということで、サッカーのロシア代表チームのレプリカユニフォームを身に着けていたが、「双頭の鷲」のエンブレムを胸に、<日露戦争>時代のロシア将兵の墓地を詣でた訳である…
近所に大学が在って、スポーツに勤しんでいる学生さんと見受けられる若い人達が辺りでジョギングをしている様子を視ながら、酷い汗をかきながら歩き廻った。水分補給をしようと眼に留まったコンビニに入って水を求めた際、店員さんが「凄い…汗ですね…」と少し笑っていた。
なかなかに興味深い訪問だった…
<78>…:大街道停留所&勝山町停留所:松山の路面電車(2020.08.02)
松山は路面電車が大いに活躍している街である…一部に専用軌道となっている場所も見受けられるが、路上に軌道が敷設された併用軌道が交差しているような箇所も多く見受けられる…
こういう街へ足を踏み入れれば…“1日乗車券”を入手して積極的に利用する…
↓大街道停留所で電車に乗り込んだ…
↑繁華な辺りで、何人かの乗客が下車し、発車前に信号待ちだった感の車内に乗り込めば「貸切」だったので、「美しい内装…クラシカルな感じが酷く好い…」と思い、提げていた<X100F>を使った…
↓次の停留所、勝山町の傍に滞在しているので直ぐに下車し、カーブを曲がって去って行く電車を見送った…
↓クラシカルな外観だが、近年は<伊予鉄>のイメージカラーとしたオレンジ色の単色を基本にした塗装が各車に施され、なかなかに見映えが好いと思った…
この車輛は<モハ50形>という…
<モハ50形>が初登場したのは1951(昭和25)年であったそうだ。「前期型」と「後期型」とが在り、<78>は「後期型」の1輛で、1965(昭和40)年に登場しているという。
↓やや傾いた光線を受け、夏らしい暑さの中、クラシカルな電車がカーブの軌道を進む様は美しかった…
こういう路面電車が活躍している様…酷く好い!!
こういう街へ足を踏み入れれば…“1日乗車券”を入手して積極的に利用する…
↓大街道停留所で電車に乗り込んだ…
↑繁華な辺りで、何人かの乗客が下車し、発車前に信号待ちだった感の車内に乗り込めば「貸切」だったので、「美しい内装…クラシカルな感じが酷く好い…」と思い、提げていた<X100F>を使った…
↓次の停留所、勝山町の傍に滞在しているので直ぐに下車し、カーブを曲がって去って行く電車を見送った…
↓クラシカルな外観だが、近年は<伊予鉄>のイメージカラーとしたオレンジ色の単色を基本にした塗装が各車に施され、なかなかに見映えが好いと思った…
この車輛は<モハ50形>という…
<モハ50形>が初登場したのは1951(昭和25)年であったそうだ。「前期型」と「後期型」とが在り、<78>は「後期型」の1輛で、1965(昭和40)年に登場しているという。
↓やや傾いた光線を受け、夏らしい暑さの中、クラシカルな電車がカーブの軌道を進む様は美しかった…
こういう路面電車が活躍している様…酷く好い!!
松山駅に到着した<しおかぜ/いしづち>…:8600系電車(2020.08.02)
↓松山駅に列車で到着し、下車後にホームで身体を伸ばしながら、何となく乗って来た車輛に見入ってしまった…
多度津駅から乗車したのだったが、外見も内装も好く、何か「心弾む乗車体験」という感だった…
↓“レトロ調”と“近未来調”とが同居したような外観の車輛だが、先頭の「黒い丸」は蒸気機関車をイメージしたらしい…
この列車は「折り返し運転」で<しおかぜ/いしづち>として運行される関係で、車内清掃等を直ぐに始めていたが…改札口に近い側の乗車口周辺には存外に多くの乗客が待っていた。四国の瀬戸内海側の東西、加えて対岸の岡山という交通ネットワークの要になっている列車であると伺える…
こういう素敵な車輛に出くわすから…思い立って、他地域に出掛けて列車で動き回るようなことが止められない…
>>JR四国による8600系電車の情報
多度津駅から乗車したのだったが、外見も内装も好く、何か「心弾む乗車体験」という感だった…
↓“レトロ調”と“近未来調”とが同居したような外観の車輛だが、先頭の「黒い丸」は蒸気機関車をイメージしたらしい…
この列車は「折り返し運転」で<しおかぜ/いしづち>として運行される関係で、車内清掃等を直ぐに始めていたが…改札口に近い側の乗車口周辺には存外に多くの乗客が待っていた。四国の瀬戸内海側の東西、加えて対岸の岡山という交通ネットワークの要になっている列車であると伺える…
こういう素敵な車輛に出くわすから…思い立って、他地域に出掛けて列車で動き回るようなことが止められない…
>>JR四国による8600系電車の情報