富山の眺望…:富山市役所(2023.12.26)

頻繁に立寄るのでもない他地域の街へ足を運び、随意に過ごすような時間が在った時、「少し高い場所から街を眺めてみたい」という程度のことを思う場合も在る。

そういう場合には「展望台」として知られる高台や、「展望施設」として知られる建物を訪ねてみる。「展望施設」として知られる建物に関しては、街中の一定程度便利な場所に在る例も少なくない。入場料を払って入る施設も色々と在るのだが、特段に入場料を求められない場合も見受けられる。

入場料を求められない例として思い当たるのは、「自治体等の庁舎」という例だ。少し目立つ背が高い設えの建物の上層部に出入出来るようになっていて、そこからの眺望を愉しむ事が叶う訳だ。

富山の街に関しては、富山市役所にそういう眺望を愉しむことが叶う場所が設けられていると聞いていた。朝から色々と動き廻り、午後に宿の居室で一息入れていた時、「早めな夕食の前に富山市役所へ」という程度に思い付いて街へ出た。

富山という街は、古くから海路や陸路の交通の要衝で、戦国時代に城も築かれていて、江戸時代には北陸に大きな知行地を有した前田家の分家が在って、その城下町というような経過も在った場所だと思う。明治期以降は、嘗ては城であった辺り等が官公署やオフィス街になっていると見受けられる。実はその城であった辺りも昼前に動き廻ったが、「展望施設というような風情も在る高層建築」という程度の何かが目立っていたというようにも見受けられなかった。

そういう程度のことを考えながら路面電車で移動し、地図で確かめていた富山市役所を探した。

↓これが富山市役所の本庁舎なのだという。
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↑四角いビルの真中に突き出た塔が在る。この塔に上ると展望室が在るようだ。

↓とりあえず平日の午後の開庁となっている時間帯なので、普通に出入りは可能だ。
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↓中に入ると、地上階から屋上の側迄、広壮な吹き抜けが設えられている。少し見上げて見入ってしまった。
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↓エレベータの中の1基が「展望塔」という場所へ通じている。これを利用した。
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↓エレベータが到着すると「立山あおぐ特等席」という、この展望塔のキャッチコピーが掲出されている。
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↓立山連峰に抱かれるような富山の街並みだ。
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↓富山駅へ通じる辺りの街並みだ。富山駅の一部や周辺の高層建築が見え、遠くに日本海も覗いている。
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↓公園として整備されている城跡の側である。
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↓条件が好い時の写真を使って、ここから見える立山連峰に関することも掲示されていた。
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↓展望塔は地上から70mの高さであるようだ。
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↓少し経つと、やや雲が流れ込んで来たという様子になった。
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今般は立山に抱かれた景色の、古くから海運で栄えた富山というような様子に親しんだが、こうして高い場所から景色を眺めると、改めて訪ねた地域を好きになるという気がする。訪ねて善かった場所だ。

<7022>&<7016>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

↓立山連峰を望む併用軌道に現れた路面電車は古くからの型だが、何か美しいと思った。
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↓この車輛は<レトロ電車>と銘打って、外装と内装を整備した車輌であるようだ。
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↓こういう感じも好いと思った。水戸岡鋭治デザインであるという。
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↓離れて行く<7022>を眺めていると、反対側の軌道では<7016>が近付いて来ていた。
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↓<7016>が富山駅側への軌道に通じるカーブ区間へ入ろうとしている。
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↓路面電車がカーブ区間を進む様を眺めるのが好きだ。
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大変に気に入った富山での眺めだ。

<9003>…:富山駅:富山の路面電車(2023.12.26)

路面電車の所謂「一日乗車券」を入手し、「とりあえず路面電車に乗ってみよう」と富山駅の乗場を目指した。富山駅の高架が完成した後、駅の北側の富山港線と南側の路線とが「高架下」で結ばれ、乗降場が出来たということである。ここに足を運べば、各運行系統の路面電車に出会える筈と観た。

↓着いてみれば、こういう車輌が停車中だった。
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↑渋い感じなのだが、連接の低床型という車輌である。

↓これは0600形の少し後、2009年に「環状線」の運行が実現した時に登場した9000形である。
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↑富山港線に登場した0600形が「ポートラム」という愛称を冠したのに対し、9000形は街の中心を巡るイメージで「セントラム」という愛称が冠せられた。2つの型は、外観の色以外は殆ど同じ仕様であるそうだ。

この車輛は黒い車体で、何か落ち着いた感じがして好かった。路面電車は、新旧様々な車輌が行き交っている感じが凄く面白い。

<7020>&<7017>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

遠くに立山連峰を望む辺りに併用軌道が敷設されて路面電車が行き交っているという富山の風情が好く、暫しそれを見入って写真を撮っていた。

↓左側の車輌が少し面白いと思った。長く走り続けている型の車輌だが、屋根の上に「広告スペース」を設けるような感じになっている。
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↑左奥の富山駅から出て道路に出ようとしているが、右は富山駅側へ進む電車で同じ型と見受けられる車輌だ。双方ともに信号停車で、多くの人達が歩いて道路を横断中だ。

↓双方の路面電車が概ね真直ぐ向き合うような位置関係になった。
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↓信号が変わって道路を横断する人達が見えなくなった。電車は各々に動き始める。
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こういうような様子が、富山を離れた直ぐ後から既に懐かしい感じになっている。大変に気に入った眺めだ。

街並み…:岩瀬:富山(2023.12.26)

↓「北陸銀行」と看板は上がっているが、何か不思議な感じがする。江戸時代や明治時代の商家のような外観だ。
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↑「北陸銀行」は富山に本店を構える地方銀行である。この建物も、奥を一寸覗けば普通に「銀行の支店」という様子だった。「北陸銀行」の前身の一つに「高岡銀行」が在り、その「高岡銀行」に収斂した幾つかの銀行の1つに「岩瀬銀行」が在る。建物の場所には、嘗てその「岩瀬銀行」が在ったようだ。

↓辺りには古くからの設えの建物が並ぶ。右は年季が入っているが、左は改築または新築の建物について、敢えて古くからの様式で設えた様子だ。
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↓製品を試飲するような機会は設けられなかったが、酒造会社も立地していた。
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↓色々な商品を販売する店舗であったが、何か古風な設えの建物だ。
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↓真前に車輌を停めている人が在って、建物の全景を取り悪かったが、「富山信用金庫」も古風な設えの建物になっていた。
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↑これでも中に入ってみれば、平日の日中は全国の信用金庫のカードで口座の資金を手数料無しで引き出せるという、普通のATMが在った。普通に利用してみた。何か、こういう建物の中でATMを利用すると少し不思議だが、内部は「普通な小規模な信用金庫の支店」という様子だった。

↓これは新聞販売店らしい。多分、普通な現代の建物なのだろうが、通に面した部分を「古い建物のような見掛けを意図して、板を貼って、戸を昔風に設えた」ということなのだと思う。
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幾つかの例を見たが、辺りでは「古くからの街並み」というものを凄く大切にしている様子が伺える。訪ねた先で、こういうような様子に触れるのも少し面白い。

森家…馬場家…:岩瀬:富山(2023.12.26)

富山の岩瀬は、北前船による交易で栄えた経過が在る地域だ。岩瀬は、古く「三津七湊」(さんしんしちそう)と呼ばれた各地の重要な港の1つに数えられていた。

北前船による交易は、積んで出た品物を寄港地で売り、寄港地で積んだ品物を次の寄港地で売るというような、「移動する百貨店」というような様子も在ったようだが、他方に主軸となる取引が在った。岩瀬等の北陸の船は、北陸の米を積み込んで、米を作っていなかった蝦夷地(現在の北海道等)へ持ち込んで売り、肥料として農業を支える鰊粕を仕入れるというようなことで大きな利益を上げていたそうだ。鰊粕は肥料として重要視され、北陸に戻ってから方々に高く売れたようだ。船が動く先々で、その積荷が高く売れれば、北陸から蝦夷地の往路でも、蝦夷地から北陸の復路でも取引が成立するのなら、そうした取引を運営する商人は莫大な利益を得られる訳である。

↓北前船による交易を手掛けていたという森家の店舗兼住宅の建物が岩瀬に伝わっている。
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↓有料だが中も見学可能だ。
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↓森家の関係者が着用したらしい半纏が飾られていた。
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↓伝えられている細々としたモノが展示されていた。
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↓更に馬場家が在る。こちらも有料だが中も見学可能だ。隣接していて、森家、馬場家の共通券というモノも在る。今般はその共通券を利用した。
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↓馬場家は、岩瀬で北前船の交易に携わっていた家では、最も大きな事業を手掛けていたという。
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↓馬場家の建物には大きな広間が設えられていた。
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↓蔵に往年の金庫が並べられていた様子が面白かった。
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↓重厚な設えが凄く興味深い。
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馬場家については、北前船が廃れて以降も汽船による海運業を手掛けていたという。更に、富山の近代化の中で、教育機関を興す際に大きな寄付を行った経過が伝えられ、地域の歴史を創るような大きな存在感を示した。

北前船で栄えたという地域の面影が伝わる場所を訪ねてみるというのも非常に興味深い。

白海老のかき揚げ丼…(2023.12.26)

富山で朝から動き廻っていて「昼食?」という時間帯に至った。

↓何やら食事を摂ることが出来そうな御店に出くわした。
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↓色々と選択の幅も在りそうで、中に入ってみた。
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↓白海老のかき揚げ丼を御願いした。米飯は若干少な目ということにした。
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白海老はホタルイカやブリと並んで、富山を代表する海産物とされ、「富山湾の宝石」とも言われているそうだ。淡白でありながら、甘味が感じられる上品な味わいの海老だ。

↓こういうような様子で供された。
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↓材料の美味さが束になったようなかき揚げが素晴らしかった。
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↓ランチのメニューからは外れているらしいが、ホタルイカの沖漬けを御願いして摘まんでしまった。これも富山を代表するモノだ。
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↓序にこういう飲物も頂いた。
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休業の期間、出先に在っての昼食を確り愉しんだという感だ。

北前船…:岩瀬:富山(2023.12.26)

↓北前船の拠点となった経過が在る岩瀬に、こういうモニュメントが在る。
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↑江戸期から明治時代初期に活躍した北前船の中、最大級とされた「千石船」を模したものとのことで、1987(昭和62)年に据えられたそうだ。

なかなかに佳く出来ていると思い少し眺め入った。長さ2m、高さ1.7m、0.7mという説明が在ったが、なるほど大きい。こうした船が活躍していた日本海側の港は、長く現在以上に大きな存在感を示していた訳だ。こういうようなモノに出会うのが面白い。

岩瀬諏訪神社…(2023.12.26)

富山駅の北側に在る富山港線を路面電車で移動し、起点・終点となる岩瀬浜に至り、辺りを歩き廻ってみた。岩瀬には古い建物等が遺る場所が在ると聞き、そういう辺りを歩き廻ってみたいと思った。

岩瀬浜の停留所から踏み出せば、何やら「古くから港であったらしい、少し大きい街の郊外」というような風情の場所だった。案内地図によれば、古いモノが在るような辺りであろうと、フラフラと歩いていた。

↓何やら「長い歴史」が滲むような神社が見受けられた。
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↓立派な石の鳥居に「諏訪社」の扁額である。
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↓境内には「神馬」も在った。
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↓フラりと辿り着いた社は<岩瀬諏訪神社>という。
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↓この場所に無事に至ったことに感謝の意を表すべく参拝した。
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↓少し手が込んだ細工も施された社殿だった。
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↓気さくで話し好きな、自身より何年か若いようである神職の方に御迎え頂き、岩瀬に関すること等の御話しも伺い、御朱印を御願いした。
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古く「三津七湊」(さんしんしちそう)という言い方が在ったという。『廻船式目』という海事関係のことを綴った室町時代の書に、各地の重要な港が挙げられていて、それが「三津七湊」ということで10箇所在ったそうだ。

「三津」とは安濃津(三重県津市)、博多津(福岡県福岡市)、堺津(大阪府堺市)である。「七湊」とは三国湊(福井県坂井市)、本吉湊(石川県白山市)、輪島湊(石川県輪島市)、岩瀬湊(富山県富山市)、今町湊(=直江津)(新潟県上越市)、土崎湊(=秋田湊)(秋田県秋田市)、十三湊(青森県五所川原市)である。中世の重大港湾の殆どが日本海側であったということでもあって少し驚くのだが、岩瀬はこの「10大港湾」に数えられるような地域であったのだ。

江戸時代に入って以降も、岩瀬は所謂「北前船」による交易事業の拠点として栄えた。大まかに言えば、米を積んだ船を出してそれを売り、蝦夷地(北海道)の鰊粕を仕入れて肥料として販売する、その肥料を使った収穫が商品になるというような感じだった訳だ。江戸時代に北陸を知行地とした前田家だったが、岩瀬をかなり重要視していたという経過も在るという。

そうした所謂「北前船」の事業に携わった一族は、明治期以降も地域の有力な実業家として地域の様々な活動に携わったのだという。地域の教育に資する、現在でもその流れを汲む期間が活動している場所の設立や発展に資するようなことも手掛けているようだ。

↓そうした豊かな地域が育んだ「祭」の文化が現在でも受継がれているということでもある。
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↓「岩瀬湊」の歴史を感じさせてくれた場所に巡り合えたことが非常に善かった。
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何か初詣の準備、年末の何かと忙しいような様子の中、ふらりと訪れた旅の者を温かく御迎え頂いた岩瀬諏訪神社の皆様には感謝申上げたい。実は、北海道には富山県から移り住んだ人達の後裔も多いと聞く。漁業の盛んな地域であるので、そうしたノウハウが北海道に持ち込まれているというようなことも聞く。そして富山県辺りと北海道との物産の取引も盛んであった経過が在る。

思い付いて訪ねて善かった富山である。訪ねた少し後の北陸の地震災害から、少しでも早く立ち直って頂きたいものである。苛烈な被害が生じたのは、寧ろ隣の石川県である様子だが。今般の旅の想い出の故に、北陸には関心が向き続けるのだと思う。

色々と在るが、今般は富山を訪ねて好かった。

<富山のくすりやさん>…(2023.12.26)

↓富山駅に近い辺りで眼に留まった像だ。
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↓こういうのも在った。
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↓2組の像は、こういう具合に配されていた。
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↓<富山のくすりやさん>という像である。
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「富山」と言えば「くすりやさん」という連想も在るかもしれない。柳行李に商品を入れて各地を巡り、使った分だけ代金を回収という“置き薬”という方式で各地の顧客との信頼関係を築く商売を続けて来た人達だ。訪ねた各地で、子どもに紙風船を土産に配っていて、子ども達が懐いたそうだ。堅実で地道な営業で資本が集積され、方々の見聞がもたらされ、地域の中で大きな存在であったということで、「くすりやさん」を顕彰する像を1992(平成4)年に建てたということだ。

↓善い感じの像なので、少し見入っていた。
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<7018>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

路面電車は、新旧様々な車輛が同じ軌道を行き交っている様子なのが面白いと思う。富山では2000年代以降の新しい車輛も目立つのだが、「殆ど還暦」というような次元に年季が入った車輛も動いている。

↓<7018>はその「殆ど還暦」というような次元に年季が入った車輛である。
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↓遠くに望む立山連峰に抱かれているような街の様子が判る場所で、この旧い車輛が往く様は美しいと思う。
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↓この<7018>は、初めて登場した頃の外観を現在でも伝えている車輛であるということだ。
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↓「昔ながらの外観」というのは、現在となっては「逆に凄く目立つ」のかもしれない。面白い。
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路面電車を眺めるのも面白い。

<0607>…:富山駅南口周辺:富山の路面電車(2023.12.27)

列車に乗ろうと富山駅へ向けて歩を進め、横断歩道に佇んだ。

↓路面電車が通り過ぎた。
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↑このまま進んで富山駅の高架下の停留所に着き、そこから富山港線に入って岩瀬浜に向かう電車だ。

富山の路面電車にも何となく親しんだ。早くも懐かしくなっている。

<0607>…:グランドプラザ前:富山の路面電車(2023.12.26)

↓停留所で路面電車から下り、少し様子を観ていた。
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↓遠くに立山連峰が覗く中、新しい車輛は動き始めた。
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↓駅の北側の富山港線に登場した<ポートラム>だが、JR富山駅の高架完成後に駅の南側の軌道と結ばれ、この型の車輛も街へ入って来るようになっている。
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↓走る姿が美しい車輛だ。
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11階の眺望…:富山(2023.12.26)

↓朝、少し明るくなったと思いながら、宿の居室で窓を見た。
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↑遠くに立山連峰が見えた。やや右側を見た時の様子だ。

↓やや左側に眼を転じた。
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↑動き始めた路面電車が、富山駅高架下に入って行く様子が見えた。

忘れ難い眺めである。

<7018>…:富山駅:富山の路面電車(2023.12.26)

一日乗車券を入手し、富山駅の「市内電車」の乗場に足を運んだ。

↓こういう車輛が現れた。
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↑<7018>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたという<7000形電車>の1輛だ。殆ど還暦の車輛だ。本当に「昔ながらの…」という雰囲気を強く放つ車輛だ。

路面電車は、こういう年季の入った車輛と、比較的近年に登場の新しい車輛とが同じ軌道を行き交っている様子を観るのが面白いと思う。

<とやま鮨>の「抗い難い誘惑」…(2023.12.26)

富山に着いて、宿に連泊することとした第一夜、宿の近所で<とやま鮨>に出くわした。「海の幸が豊富な地域で美味い」という富山県の魅力の一端を、手軽に御好みで愉しむことが叶う御店だった。

↓翌日には富山を離れようということにした中、前夜も寄った<とやま鮨>を再訪した。
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↓「氷見寒ブリ」の握りを頂いた。「シャリ小さ目」を指定出来るのも好いが、「富山のさかな」を代表するモノの一つと謳われるブリは秀逸だ。「寒ブリ」と言うが、冬季が旬であるようだ。
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↓ブリ大根を御願いした。煮込んだ「氷見寒ブリ」ということになる。これが美味い。
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↓「のどぐろ」も辺りを代表する魚であろう。その吸い物が素晴らしかった。
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↑「魚を使ったスープ」ということになるのだろうが、こういうモノは非常に好きだ。

↓「氷見寒ブリ」の「もつポン酢」は、大きな魚の胃を使うのだというが、何とも名状し難い美味さだ。歯応えが秀逸である。
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↓ホタルイカの沖漬けは、醤油で漬け込んだようなモノだが、今般はこれが凄く気に入った。
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↓そして「黒作り」は、塩辛のように少し濃厚で、イカ墨を使う。ホタルイカの美味しい頂き方だ。
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↓鯛、ヒラメにウマヅラハギの昆布〆と、白身魚の握りを3貫盛って頂いた。
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↓「サーモンいくら」も摘まんだ。
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なかなかに人気も高い御店と御見受けした。自身が立寄った時も何となく賑わっていた。前日に立寄った時は少し遅めで、やや静かであったが「売切れ御礼」のモノが散見した。それを頂くことが叶った。

結局「日本海の幸」は佳いのだ!改めて感じたが、同時に永く海の幸が愛され、料理が受継がれているというのは、富山県辺りの「地域の力」というモノなのかもしれない。「宿の直ぐ傍で気軽に立寄ってみた」ということではあったが、何か素敵な場所に出会った。

<T101>…:国際会議場前:富山の路面電車(2023.12.26)

↓街で見掛ける「市内電車」の停留所だ。
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↑「国際会議場前」という停留所だが、停留所の奥に見えている硝子張りの建物の壁が正しく<富山国際会議場>だ。1997(平成9)年に完成したそうだ。

↓路線図が掲出されている。「国際会議場前」は「環状線」の中の停留所だ。
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↑富山駅の北側、岩瀬浜から富山駅を経て環状線に入った電車は、また富山駅に到ってから岩瀬浜を目指す軌道に入る。何か「数字の“6”」のような形に敷設された軌道上を動いている感じだ。

↓電車が現れた。環状線は「単線」で、内回りと外回りとが並走しているのでもない。
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↑この「国際会議場前」という停留所では「電車が県庁前を出ました」、「電車が丸の内を出ました」と、2つ前、1つ前の停留所から出て向かっている旨を自動音声で停留所に居る乗客に伝える仕組みが在る。

↓カーブを曲がって近付く電車の背後には富山城だ。見えるのは1954(昭和29)年に建てられた、所謂“模擬天守”である。
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↓そして走っている車輛は<T100形電車>である。
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こういうような路面電車で気儘に街を動き回るのは、何処であっても愉しい。そして「初めて」な富山であったにも拘らず、何か「少しばかり馴染んだ街」という気分で動き回っていた。再訪を期したい。

「1日 フリーきっぷ」…:富山の路面電車(2023.12.26)

↓富山の街にはこういうモノが在る。
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↑「市電」と呼び習わされている「市内電車」と一部のバスに、「利用日」の一日を通じて何度でも随意に乗降可能な、所謂「一日乗車券」だ。

JR富山駅に隣接の、富山地方鉄道の駅に在る窓口で求めることが出来る。
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↑所謂「地方の私鉄電車」という感じの、専用軌道を車輛が行き交う路線の他、「市電」と呼び習わされている「市内電車」、加えて市内や近郊の路線バス、更に都市間バスも手掛けている富山地方鉄道で、ここの窓口を訪ねると各乗車券等を求めることは叶うようになっているようだ。気付いたのは「富山・名古屋」の都市間バスはポピュラーなようで、朝から夕方迄に「毎時1本」というような程度で運行されているようであった。

↓都市間バスに関しては、こういう具合に路面電車に大きな広告も掲出していた。
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↑広告を掲げている<7000形電車>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたそうだ。最近は順次新しい車輛に入れ替えられているようだが、「もう直ぐ還暦」または「既に還暦」という車輛だ。

↓話しを戻すが、「一日乗車券」はこういうように日付を“スクラッチ”で利用する。
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↑今般、窓口で「今日、これから直ぐ使う」と申し出ると、係の方が“スクラッチ”してくれたので、そのまま使用した。各地でこの種の券は出ている。“スクラッチ”で有効日が確定し、それを「市内電車」の乗務員に見せて利用する訳だ。

「街の中を自在に動き回る」という公共交通機関の「一日乗車券」は非常に好い。価格に関してガタガタ言いたいとも思わないが、1回の乗車で210円の「市内電車」に650円で何度でも乗降可能なのは有難い。が、それ以上に「細かいことをきにせずに、公共交通機関を利用、加えて徒歩で広く動き回ることが可能な場所での“行動の自由”が得られる」というのが非常に好い。

電車の乗務員(運転士)に、下車する際に「有難うございます」とこの券を提示して、富山の街を動き回ったのだった。

<T101>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

↓立山連峰が背後の遠景に見えている中、路面電車が途中で何度か信号停止もしながらゆっくりと進んでいる。
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↓連接方式を採用して低床型を実現している近年の車輛であることが、カーブの区間で判り易くなる。
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↓3連接になっている<T100形電車>だ。
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↑2010年に導入された型で<サントラム>という愛称が冠せられている。「サン」はこの種の低床型として「3番目」の型であること、そして「太陽」の「Sun」に引っ掛け、「燦然とと輝く」という願いが込められているのだそうだ。

↓美しいと思い、眺め入ってしまっていた。
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<0603>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

富山の路面電車は6つの運行系統が在るそうだ。それらの多くが、富山駅の高架下に集まる。電鉄富山駅/エスタ前から富山駅へ、逆に富山駅から電鉄富山駅/エスタ前へ動く場合、車輛が概ね90度のカーブ道路に敷設された軌道を走行する。

その様子が少し面白いのだが、電鉄富山駅/エスタ前の方角には、遠くに立山連峰が見える。「山々に抱かれた土地が海に向き合う」というような辺りに街が拓けて長い経過を歩んだ「富山」を強く意識させる光景だと思う。

↓<0603>が電鉄富山駅/エスタ前側から富山駅側へ進んでいる。
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↓連接の美しい車体が、立山連峰を背後にカーブ区間を走行する様は美しい。
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↓複線区間で、様々な年代の車輛が擦違う様子が面白いと思う。
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↓富山駅の北側、富山港線を路面電車化した際に登場した新造車輛が<0600形電車>である。富山駅の高架化により、路面電車の各路線が結び付いた。結果、それまでこの富山駅の南側には現れなかった<0600形電車>が現れるようになった訳である。
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↓画の左側が富山駅だ。
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「立山連峰を背景に路面電車が行き交う様子」に興味が在ったが、現場で様子を観られる時間が限られていた中、意外に好い場所を発見し、そこで少しゆっくり写真を撮っていた。こういう過ごし方も好い感じだ。

<とやま鮨>…(2023.12.25)

無事に富山駅に近い宿に入った。日中に多く歩き、高速走行の新幹線とは言え、362㎞も移動している。(稚内・札幌間を思わせる距離だ。)少し寛ぐことが必要だと思った。

宿の居室で飲むモノ等を近隣の御店で求めるというのは、出先での恒例だ。御店で煙草を求めて“たばこ税”を払い、「感謝の納税」という程度に嘯いてもみる。そんなことで、宿の辺りで御店を探そうとした。

↓御店は直ぐに在ったのだが、その御店の少し手前に何やら気になる看板が出ていた。
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↓近付いてみれば…<とやま鮨>…
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↓夕食を摂ろうと立寄ってしまった。
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所謂「回転寿司」だが、カウンター席の辺りに在るタブレット端末で欲しいモノを御願いし、後から小皿を数えて精算する。手軽に御好みで鮨を摘まむことが叶う訳である。或いは最近はやっている方式かもしれない。

↓この時季は「氷見寒ブリ」が推しだという。2種類の握りに“炙り”が加わったモノを頂いた。
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↓少しこだわりの「昆布ガリ」というモノも在ったが、これも美味い。
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↓ホタルイカの「黒作り」というモノは独特だ。
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↓紅ズワイガニは解し身の軍艦巻きと、普通の握りと、“炙り”という組合せを御願いした。
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↓ホタルイカの「沖漬け」も凄く好みに合うモノだった。
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↓「北陸の寿司の王様」と謳っていた「のどぐろ」を“炙り”で頂いた。
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↓白エビは昆布で軍艦巻きのようにするというモノで、これも美味かった。
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↓時季としてやや気温が上がったかもしれないが、それでも寒い時季にはアラ汁が美味い。
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↓もう一つ「氷見寒ブリ」を摘んだ。
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富山県は海の幸が豊富な地域で鮨も美味い場所だという。「いきなり!」かなり愉しんだ。この御店…滞在した宿に酷く近い。「再訪」の強い誘惑に悩まされそうだ…

<0605>…:富山駅南口周辺にて:富山の路面電車(2023.12.25)

到着したばかりの富山駅の周辺を歩いた。

↓こういう様子を見掛けた。
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↑富山では路面電車が走っていると聞いていたが、早速出会った。

乗降する停留所に「市電」と在る。「市営交通の電車」ということではない。「市内電車」という意味であるという。富山地方鉄道が運行している電車の中、街の併用軌道を走り回っているモノを「市内電車」と呼び習わし、それを略して「市電」だ。

↓低床型の新しい感じの車輛が発車して離れて行った。
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「富山港線」というJR西日本の路線を路面電車に改めるという構想が出て、2006年に開業した。<富山ライトレール>という会社が富山駅の北側の路線を運行した。新造車輛を導入し、車輛には<ポートラム>という愛称が冠せられた。

やがて富山駅の高架化が行われ、富山駅の南側の併用軌道と「富山港線」とが連結されて車輛が行き交うことも可能になった。2020(令和2)年から、<富山ライトレール>は富山地方鉄道に吸収された。<ポートラム>は<0600形電車>という正式呼称になった。それでも<ポートラム>と呼ばれた頃と同じ外観で動いているようだが。

↓連接の美しい車輛だと思いながら眺めた。
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何か、初めて歩く街で、路面電車に早速に歓迎して頂いたかのようで嬉しかった…

小雨が交る夕べに…:富山駅南口にて(2023.12.25)

早朝、大宮の宿の居室でネット予約した宿は「富山駅南口」に近いということだった。

↓その「南口」を目指した。
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↓既に暗い中、些かの雨が交じる。駅の建物を振り返った。
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↑最上部に新幹線の軌道と乗降のためのホーム、中間に在来線、外科医が街と通じる部分という「新幹線を擁する駅」の典型的な構造だと思った。が、12輛編成の列車が発着する訳で、駅は巨大だ。

↓淡い雨雲に霞むような月が覗くが、何やら広壮な駅と駅前である
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↓「大きな“交通結節点”という設え」と地図を見て承知していたが、「眼で観る」と何となく驚く。
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↓背が高いビルが林立している様子が凄いと思った。
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↓JR駅に他の鉄道会社の駅も連結だ。
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富山には連泊する。後から少しゆっくりと様子を探ろうと思った。

富山駅到着…(2023.12.25)

「北陸新幹線」というモノが在る。東京から上信越を抜けて北陸地方に至り、大阪へ向かうという計画の路線である。

「東北新幹線」、「上越新幹線」の一部と連結する形で長野迄の新幹線が開通したのが1997年であるそうだ。その後、金沢までの区間は2015年に開通している。そして2023年、今年になって金沢の先、敦賀迄が開通するということになっていて、一寸話題になっていると思う。

振り返ってみると、学生時代に長野県内へ足を踏み入れた記憶が在るが、当時は所謂「長野新幹線」も開通していなかった。1990年代に舞鶴を訪ねようとした際、新潟から列車で敦賀に至って列車を乗換えた記憶が在る。他に2012年だったが、列車を乗り継いで稚内から青森に至り、青森から特急「日本海」に乗車して京都へ移動しようとしたことが在った。あの時、列車が雪で数時間も遅れ、金沢駅で特急<サンダーバード>に乗換えるように案内が在ったということが在った。

そういうように富山県や石川県を列車で通過したという記憶は在る。が、「駅に着いて街に出る」ということは全くやっていない。そこで、所謂「長野新幹線」の時代から現在まで、全く乗車経験が無い北陸新幹線の列車で富山を訪ねてみようかというようなことを思い付いた。

「思い付いた」としたが、少なくとも2015年に金沢迄の新幹線が開通して「北陸新幹線」という呼び方が登場した後から、新しい列車に乗って北陸地方を訪ねたいという希望は在った。「機会が在れば」とは言うが、こういうような何かをする“機会”というのは「在れば」ではなく「設ける」という筋合いのモノなのだと思う。今般、漸く「機会を設ける」ということが叶った。

余り詳しく考えず、「鉄道網の要」のようになっている大宮に至れば、様々な列車を利用する機会を設けられそうだと思い、今般は旭川空港から羽田空港へ飛んだ後に大宮へ向かった。そして「大宮・富山」で「北陸新幹線」の<かがやき>に乗車したのだ。

↓1時間40分程度の乗車で、列車は富山駅に到った。
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↑全席指定で、列車の最後尾の1号車に乗った。後ろから下車し、列車が混んでいて少しだけ窮屈だった関係で、身体を少々伸ばしながら「ここまで運んでくれて有難う!」と車輛を眺めていた。

↓そのうちに列車は金沢駅を目指して発車した。それを何となく見送った。長野駅迄はJR東日本の乗務員で、そこから先はJR西日本の乗務員だった。富山駅はJR西日本の駅ということになる。
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↑夕刻の移動で、現在の時季であれば、乗車中は寧ろ暗く、窓の外は見え悪い感じではあった。

↓こんなモノを見て実感する。富山駅だ…
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↓新幹線の富山駅に着いた!
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こうして富山の地を漸く踏んだのである。少し感慨が沸き起こる。