『心の旅 敦賀への道』…(2023.12.28)

↓「彼方を見詰める」というような感じの像が好いと思った。
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敦賀に滞在して夜を明かし、朝に街を歩いてみようとした際に出会った像だ。

↓「見詰める先に在るモノ?」というようなことを、何となく考えたくなるような雰囲気が在った。
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この像は、「まほろばへの道」という題で創られていたモノで、「理想郷」というような意の「まほろば」を「敦賀」とし、平和で豊かな未来を見詰めるという意味を込めたということである。

↓像は敦賀駅を背景に佇んで居る。
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朝、光は駅が建っていた側から射す。像は逆光になっているが、そういうのが何となく気に入って、暫し眺めていた。出先で出会う、こういうようなモノも好い。
posted by Charlie at 04:26Comment(0)福井県

敦賀駅にて…(2023.12.28)

↓列車に乗ろうと敦賀駅に入ると時刻表が掲出されていた。
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↑滋賀県の方向へ進み、関西圏のネットワークに繋がる列車、福井や金沢の方向へ進み、北陸地方の中でのネットワークに繋がる列車が在る。そして北陸・関西または北陸・名古屋を結ぶ特急列車が発着している。加えて小浜を経て東舞鶴へ至る小浜線の数少ない列車が発着している。

↓各ホームで乗車出来る列車が大きく判り易く表示されるようにもなっている。
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↓跨線橋のようになっている通路に出て、乗車する列車が現れるホームを目指す。
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↑「姫路行」に乗車する。敦賀から湖西線を経て京都に至り、京都以遠は「姫路へ行く新快速」という京阪神でよく見かける列車となる訳だ。京阪神を走っている分には、「敦賀からやって来た」ということは、稀に居る熱心な鉄道ファンでもない限り、誰も意識しないのであろう…

↓金沢を目指す特急列車が現れた。
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↓停車の為に少し減速しながら走行していた。
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↓画の右側に、乗車する列車も姿を現した。
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↓停車した特急列車の脇を、乗車する列車が進んで来た。
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↓始発駅ということになり、少しゆとりが在る感じで乗車する列車は停まった。
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↓車内に入った。
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↓身軽な感じで動き廻っている。荷物を棚に上げた。
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↓駅に入っているコンビニで“おやつ”を仕入れておいた。
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↓駅弁の「ますのすし」でもないが、寿司のネタの類が載ったおにぎりのような感じだ。石川県内で製造している様子だ。余り他地域では見掛けないような気がした。これを摘まんだ。
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↓列車は定刻で静かに走り始めた。旅の前途を祝す。
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想えば、来る3月の新幹線開業以降は、敦賀駅から福井駅や金沢駅の方向には原則的に特急列車は行かなくなる筈だ。行き交う特急列車を敦賀駅で眺めたというのも、自身にとって最初で最後のような機会となった訳だ。

これまで縁薄く、立寄ってみる機会を設けられなかった北陸に親しむ機会が設けられたのは凄く善かった。そういう想いで、敦賀駅を発ったのだった。
posted by Charlie at 03:51Comment(0)福井県

浜焼さば+特製あら汁…:敦賀(2023.12.27)

「シンボルロード・モニュメント」ということで、漫画やアニメで知られる『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』に関連する像が配置された敦賀の街を歩き始めた頃、昼食が欲しいと思うような時間帯に入り込んでいた。富山から金沢へ、更に福井へ、そして敦賀と朝から3本の列車を乗り継いでいた。ゆったり座って食事を摂りたいというような気分も高まる訳だ。

↓「食事?」と思い始めれば、眼前に食事を摂るには好適そうな御店が現れた。
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↓階段を上がった2階の御店で在る。入口で恵比須様が迎えてくれた。
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なかなかの人気店で、番号札を取って受付をして呼ばれるというような仕組みで席に着くことが出来る仕組みだった。数分待ったが、然程問題は無い。

席に着いて、豊富な選択肢の中から料理等を択んだ。

↓塩漬けの魚を麹に漬けるという辺りに独特な保存食である「へしこ」を刺身風にスライスしたモノと、富山で「北陸の流儀の美味いモノ」と気に入った「ホタルイカ沖漬け」を御願いした。これを摘まんでハイボールを頂き、料理を待った。
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↑何方もハイボールのような飲物を頂きながら摘まむには好適だ。少し塩辛いモノである。

↓御願いしたメインの料理だ。
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↑「浜焼さば」と「特製あら汁」とだが、凄く大きいので驚いた。

↓鯖は「ここまで大きいのは一寸見掛けない?」という程度に大きかった。
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↑外はカリカリで中がふっくらという、素晴らしい火の通り方で、脂は十分だが、同時にアッサリとして塩加減も程好かった。

↓あら汁は、何種類もの魚を使っていた。色々と入っているので、敢えて魚の名前が入らない感じで「特製あら汁」と称しているのだと気付かされた。
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↑北陸の海が育んだ魚の旨味がたっぷりの出汁ということになる。

実は米飯は頼まなかったのだが、ボリュームが在って、焼魚と汁物で海の幸の魅力に浸かったという感じで、満腹感さえ在った。酷く満足感が高かった。

敦賀駅近くの比較的静かな感じの場所に在った御店で、なかなかに好かったので記憶に留めたい。ここでの食事に関しては「再会」を希望したい。
posted by Charlie at 19:03Comment(0)福井県

芭蕉像…:気比神宮:敦賀(2023.12.27)

気比神宮を訪ねて参拝し、広い境内の一部を歩き廻った。

↓こんな像が在ることに気付いた。
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↑「誰?」と思ったが、何か「江戸時代辺りの文化人?」というような雰囲気だと感じられた。

↓「芭蕉像」とのことである。俳句の松尾芭蕉である。
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↑松尾芭蕉は1702年に登場したという『おくのほそ道』の紀行で敦賀にも立寄っている。その時の句が『おくのほそ道』に在るようだが、そこから択んだ「月清し 遊行の持てる 砂の上」という句が像の台座等に刻まれている。

「月清し 遊行の持てる 砂の上」とは、歴代の遊行上人が持ち込んだと伝わる砂の上に、清らかな月光が放たれている、月光で砂が美しいというような意味であるらしい。

気比神宮は、松尾芭蕉の時代には既に「気比明神」と知られる神社であった。ここでは、嘗て遊行上人が辺りの葦を刈って、土砂持ち込んでぬかるんだ地面を整えて参道を改修したと伝えられている。そうしたことから歴代の上人が白い砂を神前に運ぶ習わしが在ったのだそうだ。そうした故事を踏まえ、秋の日の夜に気比明神を訪れて観た、月光が彩った景色の美しさを詠っている訳だ。

『おくのほそ道』の紀行は江戸から始まって、東北地方の太平洋岸寄りを北上し、仙台周辺の松島から平泉に至り、山を越えて日本海側に出て、日本海岸を南下して北陸に至っている。その中で敦賀にも立寄っている。越前国から近江国に入り、美濃国へ抜ける。美濃国の大垣から発つという辺り迄が『おくのほそ道』に綴られているのだそうだ。

↓150日間で2400㎞程を歩いたそうだ。単純に計算すると「1日に16㎞」となるが、方々で数日間滞在しながらの旅なのでそういう計算になるというだけで、毎日歩き続けた訳でもない。「Aを発ってBを目指す」と明確に決めて動く場合は40㎞弱を歩くのが江戸時代の旅立ったようである。松尾芭蕉もそうしたのであろう。
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↑『おくのほそ道』の紀行は、なかなかの大旅行で、そして松尾芭蕉もそこを歩き抜いた訳で、何やら凄いと改めて思った。

自身、福井県内の敦賀から滋賀県内を通り抜けて京都に移動しているので、松尾芭蕉が辿った経路を半ば真似たような感じになった。自身の場合は。徒歩ではなく、列車に乗っているが…

こんな銅像を介して、思いも掛けず、少し知られた先人の事績に触れられた訳である。興味深いことだ。
posted by Charlie at 18:51Comment(0)福井県

TSURUGA2024…(2023.12.28)

敦賀の街をゆっくり歩き、敦賀駅を目指していた。少し静かな商店街を通っていた。

↓こういう看板、またはポスターが掲出されていることに気付いた。
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↑「何だろう?」と足を停めたのだが、辺りに説明か何かのようなモノは見当たらなかった。「TSURUGA2024」とは「敦賀2024」であろうか?2023年が残り少なくなっていた中、放っておいても2024年は程無くやって来る訳だが。

気になったので「TSURUGA2024」を調べた。敦賀市役所に「新幹線誘客課」という部署が在って、「つるがキャンペーン」というインスタグラムのアカウントを設けて情報発信をしているそうだ。それがここで見掛けた「TSURUGA2024」の意味だと思う。

最近は、何かを広く紹介するとなれば「インスタグラムのアカウント」という感じなのだろうか?個人的には、「TSURUGA2024」が酷く漠然としていて「何だろう?」と注目した。

北陸新幹線の敦賀開業が近付き、地元では期待が高まっている様子が感じられた。何処かから敦賀を訪ねるのも好いが、「敦賀から始まる旅」ということで好い思い出が出来るという考え方も面白いのかもしれないと個人的には思う。

今般、敦賀に立寄って色々と興味深かった。多分、遠からず再訪を計画し、実行するというような気がする。
posted by Charlie at 01:26Comment(0)福井県

雲と鳥居と…:気比神宮(2023.12.28)

前日に敦賀に着いた。そして昼過ぎ迄は敦賀を散策しようということにした。<人道の港 敦賀ムゼウム><敦賀市立博物館>等々、前日に観ていない場所を訪ねながら、もう少し街を歩きたかったのだ。

↓気比神宮の鳥居の辺りを通った。
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↑独特な拡がり方を見せる雲と鳥居との組み合わさった様子が面白いと思い、暫し足を停めて見入った。

↓初詣で大いに賑わうのであろうが、少しだけ静かな年末の風情が好いと思った。
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この気比神宮の大きな鳥居のようなモノは、時季、時間帯、天候が変われば変わった見え方をする筈で、そういう様々な様子をも眺める機会が設けられれば幸いである。
posted by Charlie at 19:17Comment(0)福井県

気比神宮…(2023.12.27)

敦賀に着いて、宿を求めたのだったが、宿に入る前に是非とも気比神宮を訪ねてみたかった。

敦賀駅には観光案内の窓口も在り、辺りを歩き廻る際に使い易い地図も頂ける。ハッキリ言おう。自身にとっては、その種の紙の地図が最も使い易いのだ。その地図を参照して街を歩き、気比神宮に辿り着いた。

↓非常に大きな鳥居で、凄い存在感だ。
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↑既に嵯峨天皇の時代である810(弘仁元)年には鳥居が設けられたと伝わる。そういう古い鳥居は災害等で損なわれた経過が在って、1645(正保2)年に礎石を現在位置に移して大きな鳥居を建てた。それが現在に伝わる鳥居であるのだという。扁額は有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)(1862-1913)の筆であるそうだ。

↓明治期以降に神社の格付けをしているが、「官幣大社」とは、「全ての神社の上に在り、社格のない特別な存在」とされた伊勢神宮を除いて、最上級の格付けである。
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↑古くから「北陸道総鎮守」、「越前国一宮」とされて崇敬された神社だ。

『古事記』や『日本書紀』では仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の時期にこの気比神宮の場所い纏わる記述が在るのだという。こういうような時代に関しては「西暦XXX年」と言い悪い面も在るが、西暦200年よりも以前に神社が起こっているというような話しになる。要は、相当に古くから在る神社という訳だ。そして古代、中世、近世と神社の経過が在って、明治期以降の近代になる。更に現代に迄、神社は受継がれている。

↓大きな鳥居を潜った後、社殿の辺りに至った。
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↓国内外からの来訪者が散見した境内ではあったが、人通りが途切れる間隙も在った。「茅の輪くぐり」の設えが在る社殿の美しい様子を眺めていた。
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↓少し前に雪が降り積もった日は在ったのだろう。些か雪は残っていたが、気になる程でもなかった。
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↑重要な港を要する敦賀は第2次大戦期の戦禍で色々と古い建物等が損なわれている経過も在るという。気比神宮の建物も戦後の再建が多いそうだ。

↓確り参拝した。左側が気比神宮の御朱印だ。
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↓気比神宮に立寄ることが出来て善かった。こういう眺めが「忘れ難い眺め」に数えられるようになると思う。
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posted by Charlie at 18:50Comment(0)福井県

「日本・莫斯科・羅馬・伯林・倫敦・巴里間聯絡」:敦賀鉄道資料館(2023.12.28)

敦賀という場所は、ウラジオストクとの間を船で結び、シベリア鉄道を経て欧州との連絡が行われる場所であった経過が在る。

↓その「欧州へ向かう」という経路に関する時刻表が伝えられ、展示されていた。少し見入ってしまった。
28-12-2023 X-Pro2 (80)
↑「日本・莫斯科・羅馬・伯林・倫敦・巴里間聯絡」という往時の書き方であるが、「日本・モスクワ・ローマ・ベルリン・ロンドン・パリ間連絡」ということである。

「浦鹽経由」と在る―「鹽」は「塩」である―のは「ウラジオストク経由」のことで、これに敦賀が関連する。他に「朝鮮経由」というのが在って、これは下関から海を渡る。

金曜日に東京を発って、土曜日に米原を経て敦賀港に至る。そして船に乗ると月曜日にはウラジオストクに至る。

火曜日にウラジオストクを発つと、水曜日にハバロフスクに至り、金曜日にチタである。チタを土曜日に発つと、モスクワは金曜日だ。ここまでで2週間要している。年代が明確に解り悪いが、なかなかの長い旅だ。それでも日本から欧州へ船を使うよりも速い訳だ。

モスクワを金曜日に発てば、ワルシャワが翌日の土曜日で、ベルリンはその後の日曜日だ。日曜日にベルリンを発つと、翌日の月曜日にパリである。

昭和の初め頃、外交等で欧州諸国を訪ねている事例が在るが、そういうのはこの「ウラジオストクに渡って列車」という経路も使っていたようだ。何か物凄く興味深い。

旧 敦賀港駅舎:敦賀鉄道資料館(2023.12.28)

↓何か味わい深い建物だと思う。
28-12-2023 X-Pro2 (75)
↑シベリア鉄道を介して欧州とを結ぶ列車が発着したという頃に使われたという、1913年竣工の建物を再現したという建物である。

↓鉄道関係のことを軸に、地域の歴史に纏わる話題提供となる展示が行われている施設だ。
28-12-2023 X-Pro2 (78)
↑1935(昭和10)年頃の様子として制作した模型が展示されていた。

↓記憶に残る場所である。
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posted by Charlie at 05:37Comment(0)福井県

旧 大和田銀行本店:敦賀市立博物館(2023.12.28)

↓敦賀の街で、大変に目立つ建物を眼に留めた。
28-12-2023 X-Pro2 (81)

↓直ぐに「昔の銀行の建物?」と思い浮かぶような感じだ。
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↓嘗ては大和田銀行という銀行の本店であった建物だ。1927(昭和2)年に竣工している。現在は敦賀市立博物館となっている。
28-12-2023 X-Pro2 (83)

↓こういう建物は中を確り見学したいので、博物館の入館券を求めて中に入った。ケースに入った展示物でもない、建物の写真撮影は可能ということだった。
28-12-2023 X-Pro2 (85)
↑方々で見たような設えだが、こういう感じが好い。

↓この時代の建物の、何か名状し難い独特な雰囲気に溢れていた。
28-12-2023 X-Pro2 (87)

大和田銀行は1892(明治25)年に、敦賀の有力な商人であった大和田荘七が個人経営の形式で設立した。支店網を拡げる等して積極的に活動を続けていて、県内の銀行としては福井銀行と並び称されていたそうだ。事業も拡大はしていたが、福井銀行には及ばず、次第に差が開いたという。やがて戦時下に「一県に銀行は一行」ということを目指すようになった際、合併の方式で福井銀行との話し合いが纏まらなかったようである。やがて1945(昭和20)年10月に三和銀行による吸収ということになり、大和田銀行の歴史は幕を閉じた。大和田銀行は53年間の経過だった。

大和田銀行の福井県内や石川県内の支店は福井銀行に営業譲渡となった。本店は三和銀行敦賀支店として暫く続いたが、やがて廃止に伴い、福井銀行へ営業譲渡となった。大阪市内に在った支店は、現在では三菱UFJ銀行の支店になっているという。(序でに言えば、三和銀行は合併でUFJ銀行となり、更に合併で三菱UFJ銀行となっている。)

↓貴賓室と呼ばれている部屋だが、何か応接室と会議室を兼ねたような設えだった。
28-12-2023 X-Pro2 (90)

↓「本店」なので、頭取以下の最高幹部がここに集った場面も在ったのだろう。
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こういうような「建物そのものが展示品」という風情の博物館だった。やや慌ただしく建物を見学したという側面も在ったが。なかなかに面白かった。
posted by Charlie at 00:53Comment(0)福井県

<人道の港 敦賀ムゼウム>…(2023.12.28)

↓敦賀の金ヶ崎緑地の端の側へ歩を進めると、「往年の街並み?」という風情の建物が見える。
28-12-2023 X-Pro2 (57)

↓辺りの旧い建物の雰囲気を再現した建築群ということになる。
28-12-2023 X-Pro2 (63)

↓「復元建物」というようなことで、説明をしたパネルも掲出されていた。
28-12-2023 X-Pro2 (61)

敦賀は「開港」(国外との貿易を行う港)ということになって、古くからの伝統を踏まえて近在の国々との貿易拠点として栄え、発展して行った。やがてウラジオストクとの船での連絡を経て、日本と欧州とを列車で結ぶ経路の上に在る港という位置を築く。欧州との間で「玄関」ということになった訳だ。

そういう経過の故に、困難に直面した人達を支援したという経過の中で「敦賀」が登場している。そういう歴史を紹介する展示施設が<人道の港 敦賀ムゼウム>である。「ムゼウム」は、博物館や資料館を意味するポーランド語から採られた名だと聞く。

↓入口から中に入り、展示を確りと見学した。
28-12-2023 X-Pro2 (60)

「人道の港」と称しているが、この「ムゼウム」で取上げているのは2つの出来事だ。

1920年頃、ロシア革命後に内戦の混乱が生じた。シベリアや極東にポーランド人が在ったのだが、そうした中に保護者を喪って“孤児”ということになった少年少女が多く在った。その“孤児”を支援する動きが在り、日本でも協力することになった時、ウラジオストクで彼らを乗せた船が着いたのは敦賀だった。そして“孤児”を援けるべく、敦賀から彼らを迎えた場所へ送り出したのだった。

1939年から1940年頃、欧州で戦雲が立ち込め、ユダヤ系の人達が迫害を受ける状況も生じていた中、日本を経て他所に移り住もうという人達の動きが在った。“難民”である。彼らの一部はポーランド辺りからリトアニアのカウナスに入って日本の通過査証を得ようとした。そういう事情で日本領事館を訪ねた多くの人達に、杉原千畝領事代理が査証を与えた。所謂「命のビザ」として知られる挿話だ。それを手にした人達が苦心の末にウラジオストクに辿り着き、船に乗り込んだ。彼らが最初に到着したのは敦賀だった。

そういう“孤児”や“難民”の件、敦賀での出来事等を色々な角度で伝える展示は非常に興味深かった。

↓更にこういう企画展示も在った。
28-12-2023 X-Pro2 (59)
↑地元の高校生がムゼウムに纏わる活動を展開し、その縁で招きを受けてポーランド等へ研修旅行をした経過等、色々と興味深い紹介が在った。

敦賀駅周辺から金ヶ崎緑地辺り迄は、片道で30分弱は歩くのだが、そうやって訪れてみた価値は高かったと思う。今般、敦賀に立寄って、ここを訪ねられたことは非常に善かった。
posted by Charlie at 05:08Comment(0)福井県

半円形広場:金ヶ崎緑地:敦賀(2023.12.28)

敦賀の街を散策し、海側の都市緑地として整備が施されたような場所に至った。敦賀港のシンボル緑地というように位置付けられる「金ヶ崎緑地」ということであった。

↓何気なく歩いていて、足元にこういうモノを見た。
28-12-2023 X-Pro2 (51)
↑「浦塩斯徳」で「ウラジオストク」だという。少し古めかしい書き方だ。或いはこの「浦塩斯徳」の「浦塩」から、ウラジオストクを「ウラジオ」というように言う場合も生じているのかもしれない。

↓「浦塩斯徳」の近くに「ナホトカ」も在った。
28-12-2023 X-Pro2 (52)

↓「小樽」が在って、タイルが地図上に配置され、港の地名が表示されているのだと気付いた。
28-12-2023 X-Pro2 (53)

↓地名は入っていないが、稚内やサハリンの辺りも判るようになっていた。
28-12-2023 X-Pro2 (56)

↓真中辺りに「敦賀」が在って、「ここから拡がり、結ばれる」という海や港のイメージが表現されているということに気付いた。
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それにしても、不意に見掛けた「浦塩斯徳」に驚かされた。
posted by Charlie at 04:32Comment(0)福井県

清明神社:敦賀(2023.12.28)

↓敦賀の街を歩き廻っていて出くわした。
28-12-2023 X-Pro2 (25)

↓かの“陰陽師”の安倍晴明を祀った神社が敦賀に在るという。
28-12-2023 X-Pro2 (26)
↑“陰陽師”として活躍して行く前の時期に、陰陽道の研鑽を積む中で敦賀に在ったというように伝えられているということだ。

↓街角の小さな社だ。
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↓「清明桔梗」とも言われる「五芒星」の紋が在った。
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↓ここで安倍晴明に出会えた。善かったというように思う。
28-12-2023 X-Pro2 (28)

安倍晴明が携わったという陰陽道は、大陸で纏められた知識等も含む、当時の最新の人文学の知識が結集したようなモノ、またはそうした知識を自ら整理して活用する術を工夫するという性質を帯びたモノであったのであろう。大陸の文物が入るような場所として、京都から最も近かったのが敦賀で在ったのかもしれない。この神社は、「安倍晴明」という名の故に、古代や中世からの敦賀を想像させてくれる存在になっていると思う。
posted by Charlie at 04:09Comment(0)福井県

階段に「北陸新幹線」…:敦賀駅(2023.12.28)

敦賀駅から京都駅へ向かう列車に乗った。

↓改札を潜って、こういうモノを眼に留めた。
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↑熱心に広告を展開している。来る3月16日から運行の北陸新幹線の画が階段にも在った。

この新幹線の列車が動くようになると、辺りの様子や人の動きに変化は生じるであろうか?そんなことを考えながら、左側のエスカレータを使って上階へ上ったのだった。
posted by Charlie at 05:06Comment(0)福井県

嘗ての「北陸道」:「国道8号」:敦賀にて…(2023.12.28)

↓敦賀の街中で見掛けた標識だ。背後の天の雲が面白いとも思い、足を停めたのだった。
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↑長浜、大津と進んで京都へ至る「国道8号」である。

「国道8号」は新潟県新潟市から富山県へ抜け、石川県内から福井県内に入り、やがて滋賀県内を経て京都市内に至る経路である。嘗ての「北陸道」を継承している。総延長は601kmであるそうだ。

敦賀は福井県内だが、滋賀県内の街に近い。地上の道路ということでは、近畿地方と北陸地方との交差点というような役目を古くから担っていたというようなことに想いが巡った。

歩き廻って、時に立ち止まるという程度のことをするのが、他地域の街を訪ねた時には面白い。
posted by Charlie at 05:04Comment(0)福井県

古めな建物の角…(2023.12.28)

↓敦賀の街を歩き廻っていた時に眼に留まった。商店街の一画である。
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↑「空き店舗」のようになって、少し長く経っていると見受けられる場所を存外に視掛けた。こういうのは独特な趣だ。この場所は、嘗ては喫茶店か何かであったようだ。

更に言えば、旧い建物を取り壊したと見受けられる箇所が「駐車場化」という例も存外に多く散見した。そして街は静かだった。「これから?」と思いながら歩き廻った。
posted by Charlie at 05:01Comment(0)福井県

8階の眺望…:敦賀(2023.12.28)

天が少し明るくなった頃、宿の居室の窓から外を見た。

↓敦賀駅の方角が見える。
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↑駅を出て、やや乱暴な言い方で恐縮だが、本当に「そこらへん…」というような位置に宿の入口が在って、多少驚いた。その宿の8回の居室で過ごした。左奥は、開業が近付く新幹線の駅である。

新幹線の列車は12輛編成で、延長が300mにもなる。300mのモノが出入りする建物も、そういう程度の幅を備えることになる。「300m」と言えば、かの<あべのハルカス>の高さに比肩する。ということは?「<あべのハルカス>を横に倒すと新幹線の駅?」という感じだ。何やら凄い…

そんなことも想いながら、敦賀の街を散策する算段を思い描いていた朝だった。
posted by Charlie at 05:00Comment(0)福井県

社會油石ドーダンタス育紐=紐育スタンダード石油會社…(2023.12.28)

↓古い煉瓦造の倉庫の建物である。壁の上側に、文字が書き込まれていた痕跡が見受けられる。
28-12-2023 X-Pro2 (74)
↑何やら読み悪いのだが「社會油石ドーダンタス育紐」と在る。往年の「右から左へ横書き」という方式だ。「紐育(ニューヨーク)スタンダード石油會社」ということである。

倉庫の建物は1905(明治38)年に「ニューヨーク・スタンダード石油」が石油の倉庫として建てたのだという。現在は<エクソン・モービル>がこの「ニューヨーク・スタンダード石油」の流れを汲んでいるそうだ。この会社は1940(昭和40)年頃に撤退したという。その後は軍の被服倉庫として使用され、戦後には昆布の貯蔵倉庫として使われていた経過も在る場所であるという。

↓建物はこういうような感じだ。
28-12-2023 X-Pro2 (71)
↑現在は<敦賀赤レンガ>として利用されている。展示が在って、レストランも在るという。

少し時間が少ないと見て、中は見学しなかった。

↓明治時代後期に積まれた煉瓦である。貴重なモノだと思う。
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↓脇の歩道に少し面白いオブジェが在った。
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港の歴史を思わせる建物だと思う。こういうモノを眺めながら歩き廻るのは好い。
posted by Charlie at 02:48Comment(0)福井県

<敦賀倉庫>…(2023.12.28)

昼にでも列車に乗って発とうと考えていたが、その前に敦賀を歩き廻ることとした。

↓港の辺りにこういう感じで倉庫が並んでいた。同じような形で大きさが違う建物が並んでいる様子が面白いと思った。
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↑港町である敦賀には様々な倉庫が古くから在った。戦災で損なわれ、昭和20年代頃に港を再興しようという中で倉庫が建てられたというが、画の倉庫はその昭和20年代頃のモノであるようだ。

↓この堅牢そうなコンクリート造の倉庫は1930年代のモノであるらしい。
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↓敦賀港の歩みと共に在るような倉庫群だ。
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こうした倉庫を建て、運営して来た会社の歴史は1899(明治32)年に敦賀港が開港(国外との貿易を取扱う港となること)した前後辺りから起こっている。色々な機会に経営は切り替わり、会社の体裁も移ろっているようではある。が、実際にこの倉庫で貨物を扱っている様子は現在でも見受けられる。

この時の天、雲の感じの故に、少し面白い感じに見えていた倉庫群だ。
posted by Charlie at 09:12Comment(0)福井県

<東横イン敦賀駅前>の建物…(2023.12.28)

天候も好かった中、朝から敦賀の街を散策した。なかなかに興味深い展示等も見学し、好い感じの光景にも出くわし、何か気持ち好く敦賀駅の傍に引揚げた。駅のロッカーに預けた荷物を引き取って、列車を待つ段取りとしようとした。

↓その時、何気なく見上げて、そして足を停めた。
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↑蒼天に白い雲が不思議な形状で拡がっている。その天に突き刺さるように建物が聳え立つ感じだ。建物は11階建てだ。

↓何か凄く好い眺めだ。
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↑敦賀の名残を惜しむように振り返りながら、同時に、単純に面白い光景だと思いながら愉しんだ。
posted by Charlie at 02:12Comment(0)福井県

『ガラスのクレア』…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)

↓街中に、何か艶めかしいような不思議な光景が出現している…
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↓敦賀の「シンボルロード・モニュメント」の一つで、『銀河鉄道999』の一場面を再現したモノである。
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↑<999>の食堂車で“鉄郎”が働いている女性“クレア”に出会う場面だ。

『銀河鉄道999』の作中世界、“機械の身体”に“生命”を移して、「永遠の命」を謳歌するというようになっていて、“生身の人間”は被差別というような感じにもなっている。“鉄郎”は被差別というような状況を抜け、「永遠の命」を謳歌することが出来る“機械の身体”を得ようと旅をしている。旅の途次に出会った“クレア”は、“機械の身体”を得て「永遠の命」を謳歌することが出来るようになっている。しかもその身体は、文字どおりに輝いているが、美しいクリスタルの身体だ。「永遠の命」に「美しい姿」という、簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得ているのだが、「それでも!」と「元に戻ろう」ということで、資金を得ようと“クレア”は<999>で働いているというのだ。

“クレア”の挿話は示唆に富んでいるかもしれない。簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得て、それで充足するのか否かが判らない。「元に戻ろう」としているのだが、個々人が各々に持っている様々なモノこそが、誰にも得られない最も貴重なモノなのかもしれない。得難いモノを新たに得るのか、元来在る得難いモノを大切にするのか、それが完全な二者択一なのか、併存は可能なのか、そういうようなことを色々と考えさせる挿話だ。

↓何やら考え事でもしているような“鉄郎”の表情の雰囲気も好い。
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敦賀の「シンボルロード・モニュメント」を眺めての散策はなかなかに好い。が、目下、歩道拡幅工事というようなことを進めていて、モニュメントの一部は一時撤去している。メンテナンスをして、歩道拡幅工事が竣工するような頃に戻って来るのだそうだ。

この敦賀の「シンボルロード・モニュメント」に出会えて善かった。
posted by Charlie at 07:08Comment(0)福井県

『永遠の星の海へ』…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)

↓街角に、宇宙の軌道で車窓を望む風情の“鉄郎”と“メーテル”だ。
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↑“銀河鉄道”が誇る特急列車<999>で旅に出たい“鉄郎”を導こうと“メーテル”が思う場面であるらしい。そこで『永遠の星の海へ』という題がモニュメントに冠せられている。

それはそれとして、この像を観た時に「『銀河鉄道999』というのはこういうイメージだ!」と強く思った。大宇宙を行き交う列車で旅をするという、大掛かりなSFという形ながら、何か凄く「人生を問う文学」という色合いを感じる『銀河鉄道999』である。暗い宇宙に設定された軌道を行く<999>の窓を眺めながら、出逢った人達や出来事に想いを巡らせる“鉄郎”が居て、傍に“メーテル”が静かに座っているという、正にこのモニュメントのような様子が、作品世界の雰囲気として直ぐに思い浮かぶ。

「『銀河鉄道999』は漫画作品もアニメ化作品も在るが、アニメ化作品では音楽も佳い。そして歌が入る作品も秀作が多いと思う。テレビシリーズの主題歌になった、朗々とした歌声の一部に児童合唱団の声が入る作品だが、アレの歌詞が好い。「人は誰でも幸せ捜す旅人のようなもの」、「君を招くよ 夢の軌道が」、「泣いてるような星の彼方に 青い小鳥が」というようなフレーズが殊更に気に入っている。

↓作品を意識する、しないを問わず、誰しもが列車の車窓を見て考え事でもするかのように、「自身の人生のより良い何か」を探しているのかもしれない。そんなことを想わせてくれたモニュメントだった。
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ということを思った数分後、考えが至ったのは、最近の列車では窓の外を全く見ていないというような感じの人達を見掛ける場合が多くなったということであった。それは如何でも構わないのだが、このモニュメントに会える敦賀に立寄ることが叶って善かった。
posted by Charlie at 05:57Comment(0)福井県

「佐渡酒造」…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)

↓「そこの人!旅かね?よう来なさった!如何かね?一杯…」というような声でも聞こえそうで、何やら頬が緩んだ。
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↑清酒なのか焼酎なのかよく判らないが、一升瓶を片手に茶碗酒を呷って御機嫌なおっちゃんは、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』でヤマトに乗艦している医師の佐渡先生だ。

あの『宇宙戦艦ヤマト』の原案を創った松本零士は福岡県の北九州市の御出身だった。福井県の敦賀市と「何か深い所縁??」と思った。

敦賀という場所は交通の要衝であるのだが、嘗ては「欧亜国際連絡列車」の経由地であった。東京からベルリンやパリまで、列車と連絡船で移動ということだった。この「欧亜連絡国際連絡列車」が敦賀港駅に入り、海を渡ってウラジオストクに至り、所謂“シベリア鉄道”の列車に乗換えて欧州を目指すということだった。そういう「鉄道」、「港」というキーワードの敦賀だ。1999年に敦賀港開港100年ということになった時、記念事業として「シンボルロード・モニュメント」が構想された。街の中心街で像を設置することになった。「列車や艦船が大宇宙を旅する」ということで『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』という人気作品が想起されるということになり、松本零士の許諾も得て、シリーズのイメージで像を造って設置することになったというのだ。敦賀は2023年12月現在で6万2千人余りの人口を擁するというのだが、歩いてみた街は、何やら静かだった。道路を車輛が行き交っている他方、歩行者は少ない。そこに『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の作中人物達がやって来たということになる。

↓「そこの駅に新幹線の列車が入るようになるそうだ…少しは賑やかになるかね?旅の人!如何やって来なさった?」と“佐渡先生”は何時までも話しが尽きないというような風情であった。
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少し敦賀を歩き廻って、この「シンボルロード・モニュメント」を眺めてみようと思い立ったのだった。
posted by Charlie at 05:23Comment(0)福井県

「北陸新幹線 敦賀開業! 2024.3.16」…(2023.12.27)

敦賀駅で列車を下りた。改札口へ向かおうと通路を歩いた。

↓こういうモノを眼に留めた。新幹線の開業準備が続いていて、期待が高まっている様子が伺える。
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実は、金沢・敦賀間は<青春18きっぷ>を利用して移動した。多分、次のシーズンには出来なくなってしまうと思う。そして、馴染んだ関西方面に入るということも在って、「や彩急いで先へ!」と敦賀へ向かった訳である。
posted by Charlie at 04:41Comment(0)福井県

521系電車:敦賀駅(2023.12.27)

4輛編成の電車を乗り継ぐ形で富山・金沢・福井と移動し、福井で列車が4輛編成が入って来るのか、待機しているのかと思っていれば2輛編成の電車が待機していた。思い込んでいたので、背中側に停車待機中だった列車に少し気付かなかったという妙な様子になっていた。

2輛編成の列車は所謂“ワンマン運行”で運転士が1人で乗務している。それでも沿線ではICカード乗車券が利用可能なので、運転士脇の扉だけを開閉するような方式とは違う。乗客の多くはICカード乗車券を利用していた。車中は座席が殆ど埋まって、立っている人達も存外に見受けられ、途中区間でドンドン入替る感じだった。

福井の南西側へ進む形で軌道が敷設されているのだと思う。鯖江、武生という辺りで乗降がやや多かったかもしれない。そして南今庄という駅で「つるが→」を駅名の看板に視たが、何やらトンネルに入り、列車は敦賀になかなか着かない。日中なので、トンネル区間の「暗さ」が際立つ。

南今庄・敦賀間には<北陸トンネル>が在るそうだ。13.8kmの総延長という、在来性区間では日本国内最長のトンネルなのだという。例えば、列車が「時速100kmで走行」とすれば「10km進むのに6分間を要する」という計算だ。何か10分間近くもトンネルだった気がしていたが、<北陸トンネル>の総延長をすれば得心である。

↓長い<北陸トンネル>を抜け、程無く敦賀駅に列車は到着した。
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↑光の感じで美しく見えた521系電車である。

今般、金沢・福井・敦賀の区間で<青春18きっぷ>を使って列車に乗って移動した。こういうのは、自身にとって「最初で最後」という機会になったと思う。記憶に留めたい。
posted by Charlie at 04:35Comment(0)福井県

福井駅にて…(2023.12.27)

間も無く列車が着く時、ホーム上に夥しい人が居るのを見て驚いた。

↓列車は折り返し運転で金沢行となるのだった。その乗客が乗り込んで落ち着いた。少し身体を伸ばしながら様子を観ていた。
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↑521系電車というのも、なかなかに美しい車輛だと思う。

↓駅名の看板を眺めた。
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↑「←」の「えちぜんはなんどう」は「越前花堂」と書く。「→」の「もりた」は「森田」と書く。

富山から金沢を経て福井に至ったが、何か「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」が散見したような気がする。

例えば…「動橋」(いぶりばし)…「大土呂」(おおどろ)…「石動」(いするぎ)…「呉羽」(くれは)…「湯尾」(ゆのお)…「武生」(たけふ)…「能見根上」(のみねあがり)というような駅の名が、個人的には「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」だと思った。こういうのは「慣れ」だとも思う。北海道も、他の都府県の方にとって、「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」が色々在る。更に、こういうのは各地に各々に在ると思う。

↓車内で案内も在ったが、駅にも乗換列車の情報が掲出されていた。
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↓ホームに出て、敦賀行の列車が出ることが確認出来たが、車輛が視えない…
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↓と思っていれば、背中側に短い2輛の列車が待機中だった。
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↑これも521系電車だった。2輛が基本で、2つ組合わせて4輛編成となる。ここに至って2輛になったのだ。
posted by Charlie at 21:36Comment(0)福井県