<北の錦 まる田>のTシャツ…(2024.05.14)

↓宿の居室で新しいTシャツを引っ張り出した。
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↑胸の辺りに「創業明治十一年 北の錦」というロゴが入っている。

↓「田」を「〇」で囲っているのは「まる田」という一部に用いている酒銘に因むものだと思う。
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<北の錦 記念館>で入手したTシャツだ。早速に愛用している。

※ 写真そのものは旭川の宿の居室で撮っているが、モノは栗山での想い出に纏わる。故にこの記事は「北海道/栗山」のカテゴリに加える。

栗山駅前停留所…(2024.05.13)

↓駅前に到った。
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岩見沢へ向かう列車は20分程度待つことになる時間帯だった。その程度の待ち時間は然程気にしない。辺りを何となく眺めていることにした。

↓眼前に在ったバス停で時刻表を見た。
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↑岩見沢駅の隣り、バスターミナルへ向かうバスは3分後位に発車だ。始発なので、発車時刻の少し前にバスが現れるかもしれない。

↓と思っていれば、バスが現れた。
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乗込んでみて、運転士さんに「岩見沢駅?行きますね?」と尋ねれば、運転士さんは頷いた。そのまま着席し、岩見沢迄バスで向かうことにした。停留所で2分間程停まっていただろうか?やがてバスが動き始めた。

昼に…:<ツモロー>:栗山(2024.05.13)

小林酒造で過ごし、少しゆっくりと昼食でも摂って寛ぎたいという気分になった。旭川駅を発ったのが早めで、朝食は摂っていなかった。昼食兼朝食ということになる。

↓駅前通で見掛けた御店だ。
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↑長く営業している街の喫茶店という風情が色濃いと観た。

↓画の左側、カウンターの席に迎えて頂いた。未だ空いていたので、見える様子を写真に収めた。少し経つと、御近所の常連と見受けられる人達等が少し集まって、入替ってもいた。
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↓カツカレーを頂いた。米飯は少し少な目で御願いした。サクッとしたカツ、程好くスパイスが利いて辛過ぎないルーで、何か「古き佳きカツカレー」という美味さだった。
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↓食後に珈琲を頂いた。好い感じの、やや濃い目に感じられる、珈琲の苦味の奥に仄かな酸味というような味わいだった。
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御店の方や集まった方の話題には、前日の北海道日本ハムファイターズの試合やリーグ戦の行方というのも多かった。そしてかの栗山監督がWBCの日本チームの指揮を執って優勝した際の新聞一面を、フレームに入れて奥側の壁に飾っていた。栗山監督と御縁が出来たことで、何か地元の皆さんが野球観戦を凄く愉しむようになっている雰囲気が感じられた。

そして、居合わせた方や御店の方と少し雑談に及び、何かゆっくりとした。出先で、こういう「街の憩いの場」というような場所に御邪魔するのも好い感じかもしれない。

駅前通の案内標識…:栗山(2024.05.13)

栗山駅の正面から延びている道路を「駅前通」と呼ぶようだ。その通を栗山駅の側へ進んでいた。

↓こういう案内標識を眼に留めた。
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↑直進すると栗山駅で、既に駅も見えていて70m程度先だという。右は札幌へ通じる道路に繋がる。左の「角田」とは何だろう?

「角田」というのは、栗山町の中に在る地区のことだ。栗山町は、嘗ては「角田村」と呼ばれた。

仙台の伊達家は62万石と、江戸時代には屈指の大藩だった。こういう大藩には1万石程度(またはそれ以上)という大名並みの知行地を与えられていた人達も見受けられた。そして、そういう人達も大名家のように家臣団を抱えていて、それは大名家のように「御家中」と呼ばれていた。

仙台の伊達家の中に、現在の宮城県角田市に相当する辺りに石川家の知行地が在った。「角田石川家御家中」というモノが江戸時代を通じて在ったことになる。

この「角田石川家御家中」に泉麟太郎が在って、1888(明治21)年に「夕張開墾起業組合」を設立し、北海道へ入植した。その入植した地域を、故郷に因んで「角田」と命名したのだ。やがて辺りは「角田村」ということになって行った。

1900(明治33)年に「角田村戸長役場」が設けられ、独立した自治体としての礎が築かれた。やがて市町村制度の変遷は在ったが、「角田村」ということで経過する。

この他方、1892(明治25)年に鉄道(室蘭線)が開通した翌年に栗山駅が開設され、駅の近くに市街が発展し始めた。

そして人口も増えて町制を施行するという話しになった。そうなった時、入植が始まった頃の経過を踏まえた「角田」とする考え方と、町制施行時点で人口等もより多い「栗山」とする考え方がぶつかり合ってしまった。協議が難航し、1949(昭和24)年に至って角田村が改名され、栗山町が発足である。

そんな経過も少し興味深い。が、この案内標識に関して「眼前の駅、少し離れた大きな街、同じ町の中の地区名」という3者が示されていて、少し不思議な気もしたのだった。

「お手洗」…:小林酒造:栗山(2024.05.13)

↓何気なく見て、「何か凄く大きい?!」と少し驚いた。
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↓団体のバスにも対応可能な大き目な駐車場の脇に、何かの建物を利用して設けた場所だ。面白い外観なので、何となく眺め入ってしまった。
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「何か凄く大きい?!」と思ったが、奥行きは然程でもなく、格別に大き目という感じでもなかった。「だから?」という話しで恐縮だが。

<北の錦 記念館>:小林酒造:栗山(2024.05.13)

↓小林酒造の敷地に入って直ぐのような辺りに、やや大きく貫禄が感じられる建物が在る。
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↑1944(昭和19)年に完成した建物で、小林酒造の本社事務所として利用されていたのだという。1995(平成7)年から<北の錦 記念館>として公開されている。酒器等の展示が在るが、各種の酒類やグッズを売る売店になっている。

更に加えると、プロ野球の北海道日本ハムファイターズで活躍していた栗山監督は「自身の姓と同じ地名!」と栗山町に惹かれて、度々訪れて活動もしているのだが、この<北の錦 記念館>にも栗山監督のサインが入ったユニフォーム等が飾られていた。そんなことで、地元の皆さんは栗山監督が退いた現在でも熱心に北海道日本ハムファイターズを応援しているようでもある。

小林酒造は炭鉱町等の旺盛な酒類需要に応えるべく製造量を増やして“大工場”の様相を呈したようだ。1936(昭和11)年頃の時点で満州や樺太にも販路を広げていたという。そういう中で、現在の<北の錦 記念館>になっている本社の建物が登場したということだ。

この建物は「小樽の銀行」を模したものであるのだという。小樽では「嘗ての銀行」という旧い建物を色々と観ているが、確かにその種のモノを想わせる外観の建物だ。

嘗ては「量産」というようなことが志向されたというが、近年は最盛期の1割強という製造になっているという。量より質ということになる。

2000年代には北海道内で栽培される酒造好適米の品種登録が相次ぎ、小林酒造ではそれらを使用している。北海道の酒造好適米も、最近は評価が高まっているということで、それを使って「北海道の酒」を標榜しているのだという。

今般、煉瓦造の建物を眺めたいと、この小林酒造を訪ねてみたが、非常に好かった。早くも「何時か再訪…」というようなことを考えている。

伝票…:<小林家>:小林酒造:栗山(2024.05.13)

↓<小林家>の喫茶店を利用すると、こういうモノが登場する。
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↑銘酒の一升瓶に貼るラベルのようなモノだ。

↓「何?」と思えば伝票だった。
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一升瓶のラベルを想わせるモノの裏を伝票にするというのも、如何にも酒造会社である。が、こういう「らしさ」を醸し出す細かい演出は非常に愉しい。

「しゃりしゃり甘酒氷」…:<小林家>:小林酒造:栗山(2024.05.13)

<小林家>で暫し休憩という感じだった。「甘酒しるこ」と甘酒そのものを頂いて温まった。

そうしていた中で、何やら非常に気になるモノが在った。簡単に訪ねられるという場所でもない訳なので、実物に触れておかなければ、きっと後悔してしまうと思った。

↓そして御願いしたのがコレである。
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↓甘酒を凍らせて小さなキューブアイスを作る。それをデザート用の鉢に盛り付ける。名付けて「しゃりしゃり甘酒氷」という。
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材料は<北の錦>の大吟醸の粕を使って作る甘酒である。小さなキューブアイスを些事で掬って口に入れると、口の中で蕩けて甘酒の味が深く拡がる。これは美味いモノだ。

アルコール度数が高い酒のようなモノは凍り悪いと思う。(ウォッカやジンのような40度程度、それ以上のスピリッツは冷凍庫に入れておく場合もある。寧ろそれが推奨されている面も在る。)こうやって凍るということで、甘酒は別段にアルコールを含むのでもないことが判るというものだ。

温まった後に冷たいモノと忙しいことになり、内心では苦笑いが漏れてもしまった。が、これ程に美味いモノは試さずに立ち去ったのでは後悔した筈だ。そういう意味で非常に善かった。

「甘酒しるこ」…:<小林家>:小林酒造:栗山(2024.05.13)

中に喫茶店が設けられている<小林家>で、雨に濡れて少し身体が冷えたような気がしたので、温かいモノを頂いてみたかった。

↓こういうモノを御願いした。旧家に伝わる、シンプルな外観ながらも、丁寧に造られたように見受けられる漆器の椀が出て来た。そしてカップの甘酒が添えられている。
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↓漆器の椀の中身である。「甘酒しるこ」である。
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↑<北の錦>の大吟醸の粕を使って作る甘酒を使っているのだという。それに餅と些かの餡を入れている。これが凄く好かった。添えられたカップの甘酒も同じく大吟醸の粕を使って作られたのだという。

如何にも「酒造会社の関係の御店」という感じだ。酒粕の甘酒を苦手とする方も在るのかもしれないが、自身はかなり好きなので、これはかなり気に入った。そしてゆったりと温まり、元気になった。

「千枚の布」…:<小林家>:小林酒造:栗山(2024.05.13)

↓<小林家>に入ってみる。スタッフの皆さんに迎えて頂けるのだが、玄関の辺りに不思議なモノが在る。
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↓夥しい数の布を組合わせている。
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明治時代の終わり頃、2代目社長の夫人が傷んだ着物の未だ使える布を切り取り、2枚重ねて繕っていたのだという。そうしたモノが千枚程も次の代以降に受継がれたという。それを組合わせて創ったモノが飾られている。

「使えるモノは最後の最後迄使う」という考え方である。発展し始めた会社で大きな利益も上がり始めていた中、飽く迄も質素に、堅実に暮らそうとしていたという様が伺える。

なかなかに興味深い展示だ。

<小林家>…:小林酒造:栗山(2024.05.13)

雨が交り続けていた中で駅から歩き続けていた。加えて小林酒造の敷地も少し広い。着ていた上着と被っていたキャップが濡れて、何処かで少し休みたくなった。

↓そういうように思っていれば「営業中」、「テイクアウト」という喫茶店を示唆するような看板が掲出されている建物に出くわした。
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↑これは小林酒造の創業家である小林家の人達が住んでいた経過の在る建物で、<小林家>と呼び習わされている。

小林酒造は1878(明治11)年に札幌で起こり、1900(明治33)年に栗山に移って現在に至っている。その栗山に会社が移った頃、創業家ではこの建物を建てた。そこから長く小林家の人達がこの建物に住んでいた。2013年頃迄は普通に使われていた。文化財として何とか保存しようということになって、2014年から現在のような感じになっているそうだ。地元の栗山町としても、その活用と保存ということに関して検討し、活動をしているようだ。

↓喫茶店に入った。中庭を囲うように建物が建てられているようだ。
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新築の頃から120年を超える、少し規模が大きな邸宅である。なかなかに貴重なモノだ。喫茶店になっている部分が在るということで、御邪魔してみたのだった。

小林酒造:栗山(2024.05.13)

「煉瓦造の建物で清酒を醸していた経過で、現在もそういう建物を使い続けている会社」と聞き、強く興味を抱いた。更にその煉瓦造の建物が多々残っているとも聞き、「観に行ってみよう」と思い付いた。

岩見沢・苫小牧間の列車に乗ったことは在った。その際に栗山駅は通り過ぎている。

岩見沢は列車本数も多く立寄り易いが、栗山は列車本数が少なく立寄り悪い。それでも訪ねたかったので、今般は1日の時間を設け、旭川との間を往復してみることとしてみたのだ。

煉瓦造の建物が見える辺りに至り、歩を進めると小林酒造関係の看板等が眼に留まり易くなる。
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↓公開になっている箇所へ入る辺りだ。
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↓建築群は文化的な価値も評価されており、紹介パネルが掲出されていた。
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↓酒造会社の伝統を汲んだ「杉玉」や「注連縄」が見受けられる。
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↓小林酒造の銘酒を扱った特約店で使った看板が飾られていた。こういう「往年の看板」というようなモノは、今日の目線で観ても美しいと思う場合が多いような気がする。
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↓色々な建物が在って、古いモノの展示などが観られる様子だった。
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↓煉瓦造の建物の壁に蔦が絡まるというような様子は好い感じだ。
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↓昭和期に長く使用された、蒸気を起こすボイラーであるそうだ。こういうモノは造船所―現在でもそうだが、造船所は優れた鉄工のノウハウを有するので、色々なモノを造るのである。―に発注したようで、これは函館で造ったそうだ。
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↓「酒造会社の建築群」として、「在りそうで無い」というような、個性的な感じがして興味深い。
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↓炭鉱町での旺盛な酒類需要に応えるべく、相当な量の清酒を製造していた経過が在り、多くの建物が続々と登場した経過が在るようだ。
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↓雨が交り続けていて、着ていた上着と被っていたキャップが濡れて、何処かで少し休みたくなった。が、それはそれとして、非常に興味深い場所だと思った。
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↓違う天候条件の中で再訪したいと、現地に在る間から既に考えていた。
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ここを訪ねてみて好かった。

煉瓦造…:小林酒造:栗山(2024.05.13)

栗山駅から歩いた。小雨が交って濡れる中、左折すべき場所を通り越してかなり歩いた。やがて左折すべき正しい場所に引き返し、更に歩を進めた。

↓在った!小林酒造である。
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↓煉瓦造の建物が使われている。
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↑「北海道のこの地に錦を飾ってやろう」という意気で、酒銘を<北の錦>としたのだという。

↓煉瓦造の他に石像の建物も見受けられた。
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冬季に氷点下の低温が続き、木造建築の蔵では発酵が巧く進まない場合も在ったということで、耐寒性の高い煉瓦造の建物にして石炭を利用した暖房を施すようにしたのだという。それがこれらの煉瓦造や石造の建物である。

小林酒造は1878(明治11)年に札幌で起こり、1900(明治33)年に栗山に移って現在に至っている。より広い用地を得て、より多く醸造をしようとした。空知地方各地の炭鉱に人が多く集まり、酒類の需要は高く、それに応えようとした経過である。

↓雨に多少苦戦もしながら、この特徴的な建物の写真を撮っていた。
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栗山跨道橋…(2024.05.13)

小林酒造を訪ねてみようということであれば、栗山駅前の辺りの道路を左へ進み、行き当たりのような場所で左に進めば敷地が見えるという様子が地図から判った。

その経路を進んだが、「左に進めば敷地が見える」という場所を間違え、少し先に行って左に進み、雨に濡れながら見当違いな辺りを彷徨った。「間違えた…」と思って引き返した。

↓「左へ進む道?」と探して、こういう場所に行き当たった。
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↓「栗山跨道橋」という看板が在る道だ。
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この「栗山跨道橋」を抜けると、小林酒造の敷地が見えて来る。「次回?」のためのメモとして、この写真を入れた記事を綴っておきたい。

栗山駅到着…(2024.05.13)

旭川駅から岩見沢駅へ出て、そこで苫小牧行に乗車した。

↓そして栗山駅に到った。
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↓雨が交じっている。弱めな雨でキツいということでもないが、結構濡れてしまった。動き悪いので傘は使わなかった。
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↑キハ150の2輛連結であった列車は、扉を閉めて出発した。

↓掲出されている時刻表に眺めた。1日に7往復と、列車本数はかなり少な目だ。
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↓駅前に出てみた。
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↓少し立派な建物だ。
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↓略地図という感じの図が掲出されていた。
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到着した栗山を少し歩き廻ることにした。