前夜に…(2022.05.06)

記事題名のとおり、「行動」を開始する「前夜」なのだが、夕食に出た御近所の御店で店主氏達と話しが弾み、少し愉快な一時で思ったより遅めに引揚げたのだった…

「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということ、そして換言すると「休暇を取得する」ということを時々してみたくなる。

昨年末に巧くそういう機会を設けることが叶った。出先で御厚情を頂くような場面まで在り、酷く充実した時間を過ごした。何度もそういう「随意に過ごす時間」を設けてはいるが、それが段落すると「また是非!」と直ぐに思ってしまう。

3月末から4月冒頭辺り、方々で桜が美しいような頃、その「随意に過ごす時間」を設けてみたいという意図は、年明けの早い時期から頭の中に在った。が、手間が少々掛かる他方で、然程生産的とも思えないような所用が生じてしまい、何か意図を阻まれてしまったという感である。思い出すと前年もそういうような事情が在った。正直、些か面白くない感でもある。

が、そこに「事案」が発生した。

3月の後半に入った頃、或る友人から依頼を受けた。先方が事務手続に用いる書類の作成というものである。「容易いこと…」と引受けた。

やがてその書類を行使し、友人が進めようとしていた事務手続は何らの支障も無く進んだということを聞き、安堵していた。

が、今度はその事務手続を踏まえた行動を起こそうとする際、友人は「徒手空拳」という状態だったようだ。「こういうことが叶うか、関係先に尋ねてみてくれないだろうか?」というようなことを伝えて来たのだ。

これは?「導く」というようなことで手を差し伸べなければなるまいと思った。

「事案」に可能な範囲で向き合うということにした。友人の行動の予定について、一部が判って伝わった。その段階で自身は、友人の行動に合わせた日程で動くことが叶うように“休暇”を取得した。

「自身の“休暇”」は飽くまでも自身が主演、監督、脚本で「好き勝手!!」が許容される筈、または「許容されなければならない」と思っている。だから、こういうように「事案」に向き合うようなこともまた、「自身の流儀」を勝手に貫くことの一環なのだと思う。

「徒手空拳」という状態で行動に踏み出そうとした友人は、国外から、昨今の“情勢”の故に酷い遠回りを強いられると判っていたが、この国を目指した。そして伝えられていた到着の日、友人は空港に無事に降り立つことが叶った。

こういう場合?空港に駆け付け、到着して入国手続を済ませて出て来たところで「よく来た!ようこそ!」と歓迎したい。そういう様子を思い描いたが…「直ぐに隔離される…3日間という話し…その時に会いましょう」という話しになってしまった。昨今の“事情”の故だ。そこは「待つ」という以外に選択の余地は無い。

そして友人は到着した。無事に入国した友人は空港の傍の大きな宿泊施設で「缶詰」だ。その宿泊施設を出られる明後日の夕刻に会いに行く。

「会いに行く」のは非常に好いのだが…当地からは少しばかり遠い場所だ…そこで明早朝に出発する。

「徒手空拳」という状態であったが、支援を受けられるように「縁」を結ぶように動いたのだが、その関係先に友人を送り届けなければならない。

そういうような「事案」に向き合うことになる今般である。言わば「必殺!案内人」という次第だ。(時代劇の『必殺!』シリーズのような、妙なことは何も無いのだが…)或いは「事案に向き合う」ということ全般を「特定行動」とでも呼びたいような感でもある。

この記事は「随意に過ごす時間」に際して、自身の記憶を確かにするために、「運行日誌」等と称して綴っているモノの一環である。込み入ったことには踏み込まないのだが。何とかうまく運びたい…

今回会う友人と直接に在うのは、2019年3月下旬以来ということになる。その風貌から声音や話し口調や「こんな話しをしていたか…」ということまで、そして幾つかの出来事や、その他に色々なことを思い出す。

何か…「面影を追って長い途を往く」という気分だ。

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