24時間営業のカフェ:荒天の夜が明けて…(2017.09.19)

台風による荒天は、夕刻辺りから夜中、或いは日付が変わった少し後まで続いていたが、朝を迎えて何となく落ち着いた…

夕刻から「無用な外出は避けた方が好さそうだ」と住まいに籠っていて、何やら酷く空腹な朝だった…

↓ボリュームの在るサンドイッチが頂ける近所の店…
19-09-2017 (4)
↑深夜までの雨で湿った敷石の向こうに、灯りが漏れる窓と電飾看板が浮かび上がる感じ…

何となく「好い感じの眺め…」と思いながら写真を撮って、中に入って「多少、ボリューム感の在る朝食…」と確りサンドイッチを愉しんだ…

<モスクワ府主教・成聖者インノケンティ記念寺院>(2017.09.16)

レーニン通とパグラニチナヤ通とが交差する辺りのレーニン通側に、時々寄る「ピザとパスタの店」が在る。休日にその店に立寄って、パグラニチナヤ通を東へ進み、ミール通と交差する辺りで少し南へ動き、次の通を東へ進むとサウナが在る…

そういう経緯でパグラニチナヤ通という場所は時々動き回る場所なのだが、ここに「気になる」建物が在る。

通り掛かった土曜日の日中…敷地に出入りが可能な状態と見て近付いた…

↓こういうような屋根が視える建物だ…
16-09-2017 (6)
↑綺麗な感じで、建物全般の外観を眺めて写真が撮れるような場所が思い当たらない…大学の関係と見受けられる、少し北の建物の上階から見下ろすのでもない限り、そういう画は望み悪いであろう…少し寄って、特徴的な屋根を見上げた…

丸みを帯びたドーム型の屋根が在って、頂上部に十字架が掲げられている。十字架の形状はロシア正教のモノだ…

↓間違いなくロシア正教の寺院であった…
16-09-2017 (5)
↑真中辺りの「Храм」(フラム)以下がここの呼称だ…<モスクワ府主教・成聖者インノケンティ記念寺院>と呼ばれるらしい…

↓中に入ることも出来た…
16-09-2017 (7)
↑小さな聖堂だが、イコンの壁が形成されて「らしい!」感じのロシア正教の寺院である…

この場所について、或いは「モスクワ府主教・成聖者インノケンティ」について、リーフレットが配布されていて、あらましを知ることが出来た…何やらこの寺院の説明のようなリーフレットを見付けて、中の関係者の方に「頂いて差し支えないか?」と問えば、「勿論!」ということで「ありがとうございます」と頂いて「なるほど、こういうような…」とリーフレットを見ていると、その方が「ここの名になっているインノケンティの御紹介です」ともう一つのリーフレットも下さったという次第だった…こちらも有難く頂いた…

パグラニチナヤ通のレーニン通側からミール通側へ向けて進むと在るこの寺院の場所だが、1993年にロシア正教の活動拠点を設けようとしていて、当時在った古い建物を使用出来るということになり、建物の改修を施して1994年から利用することとなったのだという。そしてこれが<モスクワ府主教・成聖者インノケンティ記念寺院>となるのである。

地道に活動を続け、10年が経った2004年頃から「新たな寺院を建設してはどうか?」ということになり、それを支持する2500名以上の市民の署名と共にユジノサハリンスク市に請願が為され、2007年にそれは容れられた。やがて現在の建物の設計が準備され、2009年に着工し、2012年9月に現在の建物が竣工して供用されるに至り、活動を始めた頃の旧い建物は撤去したのだという。

なるほど、この建物そのものは少し新しく見えたが、2012年から供用されているということなら納得だ。しかし1990年代にロシア正教の活動が盛んになり始めた頃からの経過が、この建物の背景には在る訳だ…

「モスクワ府主教・成聖者インノケンティ」という人物(1797-1879)だが、今年が生誕220年ということになる…

イルクーツクの神学校に学び、卒業後に同地で司祭となったが、1823年にアリューシャン列島のウナラスカに赴任する。(現地に到着出来たのは、翌年のことだったという…)

アリューシャン列島では現地住民のアレウト語を学び、当時は文字が無かったというアレウト語をアルファベットで表記する方法を工夫し、後にアレウト語で福音書を出版することまで成した…

1834年にはアラスカのシトカへ移り、そこでも宣教活動を続けている。やがてサンクトペテルブルグでアレウト語の福音書を出版する仕事に奔走する期間を挟み、アラスカ主教に選任されてアラスカに戻ることになる。

1850年から1860年にはシベリアからアムール河流域に至るまで、更にカムチャッカに至るまで広範な地域で伝道活動を行っている。1867年には、永い熱心な伝道活動への評価により、ロシア正教会では最高の地位であるモスクワ府主教に選任された。

ロシアではロシア正教会の最高位であるモスクワ府主教の地位に就いたということで、それを冠されて紹介されることが多い人物だが、「アラスカのインノケンティ」としても知られている。

19世紀後半に少数民族も含めて極東の諸民族にロシア正教の信仰が拡がっていたというが、それらはこのインノケンティの伝道活動の成果という側面が在る。サハリンでは「この地域に正教を普及させた偉人」という受け止め方なのだと思える。

彼を記念し、<モスクワ府主教・成聖者インノケンティ記念寺院>と命名された場所は、ユジノサハリンスクのこの場所の他、クリル諸島のセベロクリリスクにも在るそうだ…

↓決して「大きく立派で見応えが在る」という感じではないのだが…本当に「地域に根差した、地元の皆さんが集まる教会」という雰囲気が色濃く滲む場所だ…
16-09-2017 (8)

「気になる」と思った場所には、思い切って寄ってみると、色々と学ぶことが出来るものだ…という気がした…

日没直後辺りのレーニン広場(2017.09.16)

↓ナイトブルーに染まり掛かっている空の裾だけが夕焼け色を残す感…何か舞台やスタジオの背景を思わせる空だ…照明や電飾看板の灯り、行き交う車輛の灯りが目立ち始めている…そこに佇む大きなレーニン…
16-09-2017 (17)
↑広場に向き合うユジノサハリンスク市行政府本庁舎の辺りに佇み、何となく見入ってしまった光景である…

煉瓦壁にペイント(2017.09.17)

4月に滞在した宿の近くにチェーン店のスーパーとカフェとが併設された建物が在る…

↓カフェ側の壁の感じ…
17-09-2017  (40)
↑適当に年季が入った煉瓦壁という雰囲気に設えられているのだが…<メーリニッツァ>というカフェのロゴマークが白いペイントで…

こういう「飾る」ということに関して、独特なセンスが感じられ、何となく面白い…

夜明前のパベーダ通(2017.09.17)

明るくなって行く空模様でも眺めようと、明るくなる前の時間帯、午前6時頃から戸外に出てみた…

↓パベーダ通の辺りに至った…
17-09-2017  (1)
↑この通はランプの数が多い型の街灯が並んでいて明るい感じなのだが、こうやって観ると「街灯の光が拡散する」という按配にも見える…

遠くに「建都135年 街の日」に合わせて登場したと見受けられる“135”というランプが視えている…

「夜と朝との境目」のような感で、「未だ夜の残滓が相当に色濃い」ような時間帯の雰囲気である。日曜日の早朝にも相当し、交通量も非常に少ない…

地下連絡通路(2017.09.16)

ユジノサハリンスクの鉄道駅に、“跨線橋”の代わりに地下を通って乗場に出る仕組みになっている箇所が在る。その乗場への出口の先が、駅の反対側、線路等の鉄道施設の在る側の裏に通じる連絡通路になっている…

↓乗場へ出る場所までは通ったことが在ったが、その先は行ったことが無かったのを思い出し、一寸行ってみた…
16-09-2017 (12)
↑存外にここを通る通行人は見受けられる…人影の見える辺りの乗場への出口の先は「未知の通路」だ…

↓どうということもない地下連絡通路だった…反対側に辿り着いた…
16-09-2017 (14)

出口は、駅の反対側、西寄りの辺りに延びるジェレズニェダロージナヤ通の63番から少し奥に入った辺りだった…ジェレズニェダロージナヤ通の側からは「知らなければ、多分見付けられない」ような雰囲気である…実際、何度も歩いている辺りながら、通路を実際に使ってみるまで出口だと判らずに居たのだ…

マダマダ、こういうような「知っているつもりで知らない」は多々在るもので、そういうものを発見しながら過ごすのが存外に面白い…

コルサコフ港鳥瞰(2017.09.16)

「コルサコフ港が鳥瞰出来る」という場所は2箇所知っている…

その2箇所の中の1つは、1925年の「摂政宮行啓の折に御立寄り」という歴史も在る場所で、往時は亜庭神社の後背に拡がっていた公園の一部でもあったらしい…

「上り方」を覚えたので特段に迷わず、「なかなかの好天!」と張り切って上がった…

↓こういう場所を見付けた…
Корсаков 16-09-2017 (9)
↑このコルサコフ港が鳥瞰出来る場所というのが、非常に急峻な崖の頂上部であることが判る…そして、崖の真下のような場所に道路が在って、港の域内の色々なモノが「ミニチュア?」のように地面に貼り付いている…そして今日の雲は「油絵の絵具で丁寧に描いた?」ような感じだ…

多少馴染んだ場所も、訪ねる都度に表情が変わるのが面白い…

M.S.コルサコフ胸像(2017.09.16)

休日の土曜日の日中…何となくコルサコフへ足を運んでしまった…

↓コルサコフの街の広場にこんな胸像が在る…(像に焦点が合って、背後の空がボケる感じは、「レンズの絞り開放でも速いシャッター」ということが出来る<X100F>の御蔭だ!!)
Корсаков 16-09-2017 (15)
↑ミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフ(Корсаков, Михаил Семёнович)(1826 - 1871)という人物の胸像である…

コルサコフでは、1853年のムラヴィヨフスキー哨所の開設という故事を建都と位置付けている。ムラヴィヨフスキー哨所は、クリミア戦争等の事由で運営出来なくなり、1854年に一旦は休止してしまう。そして1869年に活動を再開することとなった。その際、当時の東シベリア総督であったミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフに因んで“コルサコフスキー哨所”と改めて命名した。

この「コルサコフスキー」から「コルサコフ」という通称が起こり、辺りの地名として定着し、日露戦争後に日本領となるまでコルサコフとして知られていた…1946年以降のソ連化以降、日露戦争前のコルサコフが地域の地名として採用されている…

↓この胸像は、1993年に「建都140年」ということで登場したモノということである…
Корсаков 16-09-2017 (13)

ハッキリ言えば…このミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフ総督自身は、地域との縁が然程深いのでもないのだと思えるが…「街の名の由来になっている」ということで、立派な胸像が1993年に設けられている…以来、この胸像はそれなりに大切にされていると見受けられる…

コルサコフに立寄ると、この胸像の前を通って「来ましたよ!」と報告してみたい気分になる…

黄昏:レーニン通とプルカエフ通の交差するロータリー(2017.09.15)

ユジノサハリンスク都心部のレーニン通を南下する…コルサコフの側、空港の側から街へ向かって北上する場合に「ユジノサハリンスクの繁華な辺りへ入って行く…」という感じがする辺りへ至る…そこは、大きなオベリスクが聳え立っているロータリーが設けられたプルカエフ通との交差点である…

↓傾く西日と、流れていて複雑に様子を変えている雲が、何か独特な空気感を醸し出している…
evening 15-09-2017 (5)
↑車輛の交通量も多目な場所で、歩道で多少注意しながら様子を眺め、写真を撮った…

↓複雑に流れながら拡がる雲の形状が、こういうような縦位置の画では判り易い…
evening 15-09-2017 (8)
↑更にその複雑な形状が、刻々と変わる光に照らされる様は面白い…

手近に在る「面白い」を見出す、または確かめるのが、手軽に近所で写真を撮る愉しさであるように思う…

駆逐された「夜の残滓」:<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.09.15)

↓6時40分頃に大聖堂のライトアップが、6時50分頃に近くのパベーダ通の街灯が消える…
early morning 15-09-2017 (10)
↑少しずつ空が明るさを増すが、変化が急速だ…雲が少し鮮明な感じになって行く…

美しい朝ではあったが…気温は完全に10℃を切り、戸外を動き回っていると「手が…冷たい!」という感じになってしまう…季節は着実に進んでいる…

暁闇の空に浮かぶような…:<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.09.15)

↓「雲が少ない部分」と「雲が多い部分」とが、「暗く微妙なコントラスト」を造っている暁闇の空を背景に、巨大な大聖堂が輝いている…
early morning 15-09-2017 (3)
↑或いは、暗い色の用紙に明るい色のペイントで描き込んだかのような…そういう光景である…

夜明前の濡れた路面:<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.09.15)

「夜の残滓」が色濃く感じられる雰囲気…午前6時半頃だ…

深夜までに雨が降った気配は無いものの、散水車が登場したらしく、道路面が濡れている辺りへ…

↓何か「湖水」のようにさえ見える道路面だ…
early morning 15-09-2017 (1)
↑道路面にライトアップされた大聖堂等が映り込む…

画の左側の山上には「135」と「建都135年 街の日」に因んだと思われるランプが点っている。画の右側を視ると、少し大き目な建物の建設工事らしき様子が伺える。“温泉”のような施設が出来るらしい…

麗しき寫眞機―X100F(2017.09.14)

カメラのようなモノについて、「気に入ったモノを買い求めて、直ちに持ち帰って試用」ということをしてみたければ、地元の稚内では用事が足りない…札幌辺りへ出るのが、確度が高い…

そう思い、とりあえず旭川に宿泊先を確保し、「旭川へ普通列車で出て、札幌を往復して…」程度の方法で“買物ツアー”を思い描いた…実際には「倒木処理のため列車が発車出来ません」という話しが発生して、数少ない列車の運行が乱れてしまったので、音威子府以南は特急列車に乗って旭川に出た。そしてバスで札幌に出て、そこから特急列車で旭川に引揚げ、更に翌朝の特急列車で稚内へ引揚げた…

↓そういう経過で入手した“新機材”…<X100F>である!!
my X100F 14-09-2017 (5)
↑写真は使い慣れた<P7700>で撮影している…

この<X100F>を持っていて、知人に出くわせば「“ライカ”でも買ってしまった?!」とか「“昔のカメラ”そのもののような…」という話しも出る…何か「麗しき寫眞機」とでも呼びたくなる…

↓こういう按配に、使わない場面ではレンズの辺りにキャップが被る…
my X100F 14-09-2017 (2)

↓持ち歩きの際に都合が好いと考え、純正のケースも仕入れた…
my X100F 14-09-2017 (1)

↓右側に寄せられたダイヤル等で操作する…新鋭の電子装置が組み込まれたモノでありながら、操作時の感覚は「古くからの機械式一眼レフカメラ」に寧ろ近い…
my X100F 14-09-2017 (6)

とりあえず…現在はサハリンでこの<X100F>を使い始めている…

水浴びする鳩(2017.09.13)

「雨の一日」という感だったが、雨が上がっていた時間帯も在った。そんな時間帯に、近所の緑地を歩いた。

↓鳩が何か不思議な動きを見せていて、何となく見入ってしまった…
13-09-2017 vol01 (1)
↑水溜りで水を飲んでいたかと思えば、何やら水浴びのような動きを見せている…

雨に濡れて汚れたのか、サッパリしたかったのだろうか?何か不思議な感じだった…

“Буханка”(ブハンカ)ことУАЗ-452が行く日没後の街角(2017.09.12)

↓何やら古めかしい形のバンが、電飾の美しいスーパーの前を通り過ぎて行く…
12-09-2017 (7)
↑思わず写真に収めてしまった…

УАЗ-452は最初のモノがソ連時代の1965年に登場したということで、以来「伝統的なデザイン」が継承されている車輛だ。これに関しては「パンの塊のような形の車輛」ということで、「塊」を意味する“Буханка”(ブハンカ)という通称が在るそうだ。

因みに検索サイトで“Буханка”を検索すると、車輛の画や説明がヒットする場合も在る…

「財布の中身」…(2017.09.12)

↓何気なく、財布の中身をテーブル上に出してみた…
money 12-09-2017 (4)
↑1000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルと常用する紙幣の他に、コインがかなり貯まっていた…

これらのコイン…10ルーブル、5ルーブル、2ルーブル、1ルーブルは非常に出入りが多い。最近は商店で支払いをする際に「細かいのが在りませんか?」という例が非常に多く、そういう場面でこれらのコインは出入りが多い…

他方…10コペイカ、50コペイカというのは、一部の店で釣銭として頂くのだが、支払いに使用する機会が非常に少ない…そこで、財布の中に貯まる一方だ…

これらのコインだが、コインの大きさや厚みは“記念硬貨”として登場する例外的なモノを除くと、永く変わっていない様子なのだが…デザインが多少「新しい」モノになっている場合が見受けられる。非常に判り易いのは、1990年代に採用された「冠等が省かれた<双頭の鷲>」に対し、近年は「冠も着いた、確り“ロシアの紋章”の<双頭の鷲>」が入ったモノが現れている。また1ルーブルのコインには“ルーブル”を示す「Рに横線」の記号を入れたモノが見受けられるようになった。

何となく使ってしまうコインだが、こうして時々眺めてみると面白い。

V.M.ゴロヴニーン胸像(2017.09.10)

サハリンスカヤ通に4箇所在る「胸像が据えられた緑地」の中、3箇所に関しては整備工事が行われていて、暫く立入ることが出来なかった。9月に入ってそれらが竣工し、普通に立入りも出来るようになった。

サハリンスカヤ通を東寄りから西寄りへ進み、交通量も多目なレーニン通と交差する辺りを越えると、胸像が据えられた広場に出くわす。3箇所同時に進んでいた整備工事の中では、何やら生コンを流し込む車輛が出入りしていた等「酷く大袈裟な工事?」と視えた場所だが、そこも他とほぼ同時期に竣工している…

↓こういう胸像が据えられている…
10-09-2017 (10)
↑これを視て、アニメの『銀河英雄伝説』に登場する“帝国軍”の指揮官級の劇中人物達を思い出していた…(あれは、欧州諸国の昔の海軍を意識したようなデザインの服装を敢えてしているので、こういう「帝政ロシアの海軍士官の軍服」というイメージと重なる部分が在ると思うが…)

この人物、ワシ―リー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニーン(1776-1831)である。

ゴロヴニーンは、<ディアナ>号という船で、更に後年は<カムチャッカ>号という船で世界周航を複数回成功させている指揮官としてロシアでは知られている。そして日本でも<ゴローニン事件>と呼び習わされる、箱館を拠点にしていた商人の高田屋嘉兵衛が絡まる事件の当事者として少し知られている…

この広場には、ゴロヴニーンの伝記的な情報や、彼が指揮を執った<カムチャッカ>号を紹介するパネルも据えられている。(ロシア語の説明文が在る…)そこに、<ゴローニン事件>の詳述はされていないが、日本の幕吏に捕えられてしまい、2年近く日本に抑留されてしまったことと、その時の経験や見聞を綴った『日本幽囚記』がよく知られていることは紹介されていた。

↓何度も近海を通過しているサハリンの街に据えられた胸像…目線の先には何が在るのであろう?
10-09-2017 (12)

このゴロヴニーンの胸像の在る緑地…私にとっては食事を摂る気に入った店への通り道なので、何時もこの胸像を少し離れた位置から視ている…

N.V.ルダノフスキー胸像(2017.09.09)

サハリンスカヤ通の、海事史関係の人物の胸像が据えられた広場は4箇所在るが、中の3箇所で整備工事が行われていた。9月に入って、それらの工事が竣工しており、胸像の近くに寄ることも出来るようになっていた…

↓映画館の傍に在る、ルダノフスキーの胸像だ…
on 09SEP2017 (5)
↑何か非常に渋い感じで、気に入っている…工事が終わって近寄れるようになったので、久し振りに眺めてみた…

この人物はネヴェリスコイ提督の麾下で、サハリン南部を踏査したことで知られる人物だ。サハリンに関してロシアで語られる際、「遺されている記録として最も古い」というモノが、このルダノフスキーの調査記録であるという事例も少なくないようだ…

↓整備工事が竣工し、広場に寛ぐ人達が戻った様子を、厳めしい顔をしたルダノフスキーの胸像が静かに見守っているような風情が、何となく好い…
on 09SEP2017 (4)

この人がサハリンを踏査した1853年から1854年頃…道路が整っていたでもない中、きっと物凄く苦労したのだと、勝手に想像してしまう…この胸像の目線の先には、車輛の通行量も多目なサハリンスカヤ通が在る…

「雲の中に聳え立つ」感の<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>と「神の宇宙」のような内部(2017.09.10)

好天に恵まれた日曜日だった…

遠くの青空に白い「大きな生物?」のような大きな雲が視え、大聖堂の独特な形状の屋根である“クーポル”が光っているのが視えた…「後刻、近くへ…」と思ったのだったが…実際に、道すがらに珈琲を求めて、それを飲みながらテクテクと歩いて大聖堂の近くへ足を運んだ…

↓こういうような具合に聳え立っていた…
The Cathedral 10-09-2017 (2)
↑“天国”と名が付くモノは「歩行者天国」位しか知らないのだが、何か「“天国”という場所はこんな感じなのか?」と想像させるものが在った…

「極東最大」を誇るというロシア正教の大聖堂の威容を暫し眺めていたが…日曜日でもあるので、存外に人々の出入も見受けられる…内部は「何やら工事中?」とも聞いたが、久し振りに入ってみた…

↓数多くのイコンに飾られた巨大な壁が眼前に…
The Cathedral 10-09-2017 (4)
↑天井の側から陽光が適度に射し込み、金色に飾られた部分が少し煌いている…

↓光に導かれるように上を仰ぎ見る…
The Cathedral 10-09-2017 (6)
↑複数の屋根を組合わせた“クーポル”の、中央に在るモノの裏側にキリストの大きな画が入っている。これを仰ぎ見ると、何か「神の宇宙」というような表現を思い浮かべてしまう…

そんなことを想っていると…ロシア正教に特有な朗唱するような、独特の調子な「祈り」の声音が大聖堂内部に木霊していた…

↓司祭が祈祷を行っているところだった…
The Cathedral 10-09-2017 (5)
↑暫し祈りの声を聴き入った…そして、最近は「何やら不穏な情勢?!」なので、何となく「平和な世界を祈ろう…」という気分になった…“拝観料”でもないが、蝋燭を1本求めて点して供えた…

↓「時には訪ねてみたい」という想いになる空間だ…
The Cathedral 10-09-2017 (7)

↓そして建物の外観も素晴らしいと思う…
The Cathedral 10-09-2017 (9)

久し振りに大聖堂を訪ねる機会が出来たのは、何か非常に善かったような気がする…平穏な日曜日は「斯く在りたい」という気もする…

夜空に輝く:ユジノサハリンスク市行政府本庁舎(2017.09.09)

『街の日』ということで色々な催事が続いていた。夕刻から夜は、何やらバンドが入ってレーニン広場や市行政府本庁舎の周辺でライブをやっていた。音が住まいの辺りでも、窓を開けていれば聞こえる状態だ…そして午後10時前位に花火が盛大に打上られ、何となく催しが落ち着いた…

そういう夜、午後11時を過ぎたような頃に一寸気になった…住まいの入口辺りに何となく佇んでみると、“サーチライト”のように、夜空に放たれた光線が、不規則に動く様子が少し離れた辺りに視えていた。「多分、市行政府本庁舎?」と思い、一寸行ってみることにした…大袈裟な話しでもない。往復しても然程時間を要しない辺りへ散歩だ…

↓「何じゃこりゃ!?」という感じだ…
on 09SEP2017 vol02 (5)
↑“ライトアップ”という感じで、庁舎の外壁を照らし出すような灯りが点くことは承知していたが…

↓やや驚きながら、様子を少し角度も変えながら眺めてしまった…
on 09SEP2017 vol02 (8)

↓「見慣れた御近所」の筈が…「全然違う?!」感じに視える…
on 09SEP2017 vol02 (6)

ユジノサハリンスクでは、「夜の灯りに映える」というようなことに関心が高まっているようにも視えるのだが…市の庁舎で率先してそういうことに取組んでいる…

この日は催事も在ったからかもしれないが…午後11時を過ぎていながら、存外に通行人は居て、車輛の往来も見受けられた…