通天閣:恵美須町駅側から…(2018.05.19)

大阪で宿に落ち着き…考えてみれば、朝食にユジノサハリンスクで何時ものボリュームが在るサンドイッチの後…飛行機で2回、極軽いサンドイッチに、新幹線の車中でアイスクリームと、余り食べていない一日だった…そういうことで食事に出掛けた…

新大阪から宿の在る辺りへの移動で地下鉄の“1日乗車券”を求めて在ったのだが…それを使って恵美須町駅へ向かい<新世界>へ…

↓久し振りに通天閣を見上げた!!
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↑それも夜の照明に輝く姿だ…

何度視ても、これは好いモノだ…

エレオノラ・プレイの像:夜(2018.05.04)

↓日没辺りに高台で巨大な橋梁を眺めるなどした後、スヴェトランスカヤ通に下りて…この像を眺めた…
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↓辺りが暗くなった後…少し独特な趣が漂う…
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4月にこの像を視て、少し気になって調べた経過が在ったが…結局、彼女は「旧き善きウラジオストクを深く愛していた」のだと思えるが…彼女の眼に“現在”はどのように映じるであろうか?

<復活主教座聖堂>(2018.05.18)

↓前日来の好天が続き、朝の光の感じが好かった…
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↑日本の様式を採り入れた感の庭の向こうにロシア正教の教会…何処となく「日本列島の向こうにロシアが…」というようなことを想う…そんなことをサハリンで人に話すと、「偶然にそういう配置になったに過ぎないのでは?」と笑われるのだが…

↓眺めていれば、取りの一群が辺りの上空に舞った…
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こんな風景…モノクロ画というのが酷く合う…

咲き始めたユジノサハリンスクの桜(2018.05.18)

↓近所で視掛けた!
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↓余り背が高くない木で、花の様子が少し好かったので写真を撮ってみた…
SAKURA at Yuzhno-Sakhalinsk on 18-05-2018 (4)

朝、別な背が高い木で花が咲いていたことに気付いたのだが…夕方に別な木でも少しずつ咲き始めていたことに気付いたのだった…

実は、少しの間だがユジノサハリンスクを離れる予定が在ったのだが…離れる前に何とか花が咲いた状況を視ることが叶って好かった…

桜が咲くようになると、街には急速に「花々」が加わって行く感である…

サハリン州郷土博物館(2018.05.17)

↓屋外展示の古い大砲と、現在となってはかなり個性的な外観と言い得る1937年竣工の建物…
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↑大変に気に入っている、敷地の西寄り辺りのフェンスの隙間からの眺めである…

完全に積雪が消えていて、少しずつ緑が目立ち始めている…未だ木の葉が茂っていないので、こういう画が視られる訳である…

既に、朝焼けが見受けられるような時間帯が「早過ぎ…」という感になってはいるのだが、“朝の光”でこの建物を視るのは好い…

「1:43 “ブハンカ”」(2018.05.06ウラジオストクで入手)(2018.05.17)

ウラジオストクの客船ターミナルの建物に、色々な店が入居している…

その色々な店の一軒に…“ホビーショップ”が在る…組み立てる模型も、完成品も、色々なモノが売られていて、「小ぶりな店舗の割に、少し本格的…」という感じがする店だ…

↓その店で見付けて、思わず求めてしまったモノがこれだ…
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↑ウラジオストクを発つ直前に店で求めて、バッグに入れて持ち帰った状態のままになっている…

「1:43」という、各国でポピュラーなスケールの車輛の模型…完成品で売られているモノが多い訳だが…そういう模型でソ連やロシアの車輛が幾分売られていた。「なかなか好い感じ…」とショーケースの中に在ったそれらを眺めていて…結果的に思わず求めてしまった車輛に気付いた…

店主氏と見受けられる男性に尋ねた…「これ…“ブハンカ”ですよね?」と問えば、「そう!“ブハンカ”ですよ…日本なんかでも人気の車種と聞きますね…」と応じてくれた。ソ連時代から、永くデザインが変わらない、現在となっては「非常に個性的なデザイン」なワンボックスカーである…

直ぐに「買います!」と求めることにした。こういうモノは、見付けて気に入って、法外に高くて求められないというような事情でも無ければ、「即買い!!」をすべきだと思う…「またの機会」は無い場合も多いのだ…

最初は、箱がビニールで半ば密封されているでもないモノが出て来て…脇にビニールで包まれて半ば密封のモノが在り…「こちらを差し上げましょう…」と私が手にしたのがこれなのである…

↓この「斜め前」の雰囲気…時々ユジノサハリンスクでも視掛ける“実車”の感じが実によく再現されている!
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↑前方の座席脇に少し突き出したバックミラーの感じ…これが凄く「らしい」感じだ…

正直…「やや高い?」とも思ったが、この種の模型で精度が或る程度高いモノは…「多分そんな感じ…」という価格帯だ…

想い出のウラジオストクで、何となく気に入っている“ブハンカ”のなかなかに出来が好い模型を入手…大事にしたい代物である…

加えて、客船ターミナルの建物に入っていた小さな店も「“ブハンカ”を買った場所」として、「想い出の店」とでも呼ぶべきリストに加わった…

土産物の“プレート”(2018.05.0 6ウラジオストクで入手)(2018.05.17)

バスの中で居眠りに陥ってしまった間に、間近に近付いたウラジオストク空港だったが、ユジノサハリンスク空港へ向かうフライトの搭乗手続を前に、土産物を売っている店の前を通り掛かった…

↓思わず求めてしまったモノ…
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↑古くから市章にも使われているアムールトラと、現代のウラジオストクの街…なかなか面白い絵柄である…

大切にユジノサハリンスクに持ち帰ってみたが…「さて…どうしようか…」という感がしないでもない…

こういうような「以上でも以下でもない完全な土産物」を求めてしまったというのも…随分と久し振りなような気がする…

ウズベキスタン料理の店:ウラジオストク アレウツカヤ通(2018.05.05)

ユジノサハリンスクからウラジオストクの機中、“機内誌”に在ったウラジオストクの飲食店の広告を視ていた…

「アレウツカヤ通17番」という住所の店が在ったことを記憶に留めたが…実際にアレウツカヤ通を歩くと、「15番」の次が「19番」で、「奇数の並び」で在れば両者の間に存在する筈な「17番」が見当たらずに戸惑った…

そうすれば、複雑な地形の上に街が築かれているウラジオストクらしく、「15番」と「19番」との間に在った階段またはスロープを上った奥に建物が在って、そこが「17番」だった…

↓これがその、多少戸惑いながら辿り着いた店だ…
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↑「ウズベキスタン料理」ということだが、それ以外と見受けられるモノも扱っていた…なかなかに落ち着いた、好い雰囲気の場所だった…

↓<ハルチョ>という適当に香辛料が効いたスープを頂いた…
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↑朝から随分と動き回った日の、「多少…早いかもしれない?」という感の夕食に、こういうのは好い…

↓そして「ウズベキスタン料理」と言えば<プロフ>!!
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↑<プロフ>はソ連時代にロシアでも定番化したようで、出先で視掛ければよく頂くのだが…この店のモノは、小さく辛い唐辛子が1本入っていて、そういうモノが食欲を強く刺激してくれて、細かく刻まれた具材や米飯も好く、酷く美味かった…

ここも、一度寄ってみたに過ぎないのだが「ウラジオストクの想い出の味」という場所になった…“次回”が在ったとして、今度は戸惑わずに辿り着くことが叶う筈だ…

↓美味しそうなモノが色々と載っていたメニュー表…
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↑ほとんどの料理に写真も入っていた…表紙は<プロフ>だ…

>>Чайхона Хлопок: ресторан узбекской кухни Владивосток

<GUM百貨店>の中庭(2017.05.06)

↓「路地が入り組んでいる古い街並みの一部」という趣きだ…
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↑ここはウラジオストクでも最もにぎやかな通の一つと言えるスヴェトランスカヤ通からほんの少しだけ入った辺りである…<GUM百貨店>の、表通に面した側の裏に相当する…

この場所は“中庭”である。古くは倉庫等として利用されていた場所らしいが、旧い建物を活かす、または一部増改築を施したように見えるが、様々な店舗等に利用するようにして、なかなかに人気が高いようである…

↓こんな具合に、少し洒落た案内図も掲出されている…
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↑カフェや様々なモノを売っている場所が、各建物に入居しているようだ…

実は前日にここを歩いて珈琲を頂くということも在ったのだが…「風情の漂う画は早朝が?」と、翌朝の散策の中で立ち寄ってみたのだった…

こういう「古いモノを活かしたトレンディーな空間の創出」というような感…意外に好きだ…そしてロシアの街で、こういうことが手掛けられるようになっている…

或いは、欧州諸国では古い建物の外観は殆どそのままにして、中を現代の普通な商業施設のようにするというやり方が多く見受けられるようなのだが、そんな手法が容れられたということなのかもしれない。或いは「古くて新しいようなウラジオストク」というモノを象徴するような空間かもしれない…興味深い!

<スパゲッティ・ボロネーゼ>(2018.05.15)

思い付いて近くのイタリア料理の店により、ビールを頂きながら食事を摂った…

↓日本国内で言う“ミートソース”に近いかもしれない“ボロネーゼ”を頂いた…
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↑ミンチの肉が入るのだが…この店はその肉が他所よりもかなり多い感じがする…

最初はフォークで具が多いソースとパスタを絡めて頂くのだが…最後の方は「スプーンでトマト味が入った“肉そぼろ”を掬って頂く」という雰囲気にもなる…

こういうモノ…好い!

<シーザーサラダ>(2018.05.15)

このところ…スーパーの総菜コーナーで何やら買い込んで夕食にするというようなことが何となく続いたので…思い付いて近くのイタリア料理の店により、ビールを頂きながら食事を摂った…

↓なかなかに盛り付けが多い感のサラダ…
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↑時にはこういうのが凄く好い…

これは所謂<シーザーサラダ>で、盛り上がったレタスの下にチキンがやや多目に入っていた…

鉄道会社による「5月9日」の飾り(2018.05.06)

↓ウラジオストク駅の傍、<РЖД>という鉄道会社のロゴも視えた建物に掲出されていた幕だ…
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↑5月に入ると、対独戦の終戦である「5月9日」に関連する飾りが方々に出る。これもそうした例の一つだ…

ロシアの鉄道関係者の中には「鉄道を担った先達は、“勝利”を運ぼうと奮闘を続けた」という想いが強いようだ。ウラジオストク駅にも往時の機関車が展示されているのだが、戦時に鉄道は人員や物資の輸送手段として大いに活躍したのだ…

この飾りの幕も、そういう鉄道関係者の想いが反映されているようで、ウラジオストク駅にも在るような型の機関車が描かれている…

機関車の上を、平和の象徴たる鳩が舞っているが…鉄道は平和な時代に人々の夢や物語を運ぶような存在である方が、当然ながら望ましいものではあると思える…が、平和をもたらそうと、戦時に必要な輸送活動を必死に担ったという歴史は忘れる訳にも行かない…

色々と考えながら、思わず足を停めて眺めたのだった…

キュリロス(キリル)とメトディオス(メフォディ)の像(2018.05.04)

↓ウラジオストクの金角湾を一望する高台に据えられている像である…
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↑2人は9世紀後半にスラブ語圏に正教を伝えたとされる宣教師だった兄弟である。

更に、彼らは正教の教えを伝えるという目的のために、スラブ語を綴るための文字を初めて考案したとされる。

当初の文字は「グラゴル文字」と呼ばれるやや煩雑な形状のモノだったが、ギリシア文字の影響も受けながらより使い易い文字が工夫されて行った。それが「キュリロスの文字」と呼び習わされ、10世紀頃には使われていたらしい。そして文字は「キリル文字」と呼ばれて行くことになる…

その後正教はロシアに伝播し、938年にキエフ大公ウラジーミル1世が正教を受容れたことが契機となって、キリル文字がロシアで広く使用されて行くこととなる…

ロシアではその後、18世紀のピョートル大帝の時代に活字が整備され、それが現在に至る文字の直接的な前身で、1917年の革命後に現在も使われるロシア語のアルファベットが定まった…

そういうロシアで主流を占めるようになった正教の伝播に関わった2人の聖人達が、ウラジオストクを見守り続けているということになる…

コルチャーク提督のプレート:ウラジオストク(2018.05.06)

↓ウラジオストクの客船ターミナルの建物の隅、外壁にプレートが在ったのを眼に留めた…
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↑未だ新しい感じがしたプレートだった…眺めてみて…「おぉ!」と驚いた…かのアレクサンドル・ワシーリエヴィチ・コルチャーク提督のプレートであった…

ロシアの街で、こういうようなプレートそのものは珍しいということもない…

よく在るのは、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等のビルに、その場所で活躍した先達の功労を伝え、敬意を表する意味で掲げられているプレートである。さもなければ、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるプレートという場合も在る…こうしたモノはユジノサハリンスクに在っても視掛けるが、ウラジオストクでも色々と視掛けた…

前者の、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等で先達の功労を伝え、敬意を表するというモノに関しては…些か申し訳ないのだが「来訪者の目線」では判り悪い場合の方が多い…対して、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるようなモノに関しては、時々気付いて「おぉ!」と驚く場合が在る。

コルチャーク提督のプレート…「日本国内の知名度」ということでは、“前者”に限りなく近いかもしれない…が、私自身は“後者”の一例と受け止め、足を停めて眺めた…

コルチャーク提督は、1917年の<十月革命>の後に生じた内戦で、革命側の「赤軍」に対して「白衛軍」と呼ばれた反革命勢力の代表を務めた人物である。1920年にイルクーツクで処刑されて最期を遂げているのだが、なかなかに興味深い人物である。

海軍軍人を輩出していた貴族の家の出で、当時のエリート士官のコースに乗って幼年学校(カデット)を経て海軍に入隊している。若き日には北極探検に参加した経過が在り、士官として水雷を用いる作戦の指揮で功績を挙げるというような場面も在ったという。日露戦争にも参加している…第1次大戦期には将官になっていて、黒海艦隊の司令官になっていたが、<2月革命>の後に解任されてしまった経過が在る。

このコルチャーク提督は、海軍軍人としてのキャリアの中でウラジオストクとも縁が深い人物である。最初の任地がウラジオストクであったというのだ…そして革命後、一旦アメリカに出た経過が在って、その後は横浜を経てウラジオストクからロシアに帰国し、内戦の<白衛軍>の指導者となって行くのだ…

このコルチャーク提督に関して…2008年にユジノサハリンスクに在った時、偶々映画館で上映中だった『アドミラル』という映画を観た。“アドミラル”は“提督”(=海軍の将官)のことであるが…この映画がコルチャーク提督の物語で、後に『提督の戦艦』という邦題で日本国内でDVDが出たそうだ…或いは、こういう作品を観るというのが、この人物を知る手っ取り早い方法かもしれない…

1990年代に入ろうとした頃の、ロシアでの「歴史との向き合い方」というようなモノが「揺れていた」という状態に関心を持っていたのだが…ソ連時代に「全面的な敵役」のように扱われていたであろう人物に関して、「所縁の街」の片隅にプレートが貼り付けられるようにまでなっている…序でに言えば、コルチャーク提督に関しては、イルクーツクで2004年に銅像も建てられたというが…

このコルチャーク提督のプレートを視て…「“時代”が通り過ぎ、交錯した港町」という印象を強くした…こんなモノに出くわしたことで、ウラジオストクに関しては「また何度でも訪ねたい…」という気分になる…

ネベリスクの“観察所”(2018.05.14)

↓一寸、不思議な様子…
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↑古い離岸堤のような場所にトドの群れだ…蠢いていて、時々海に飛び込んで泳いでいる…静かな海岸に、彼らの“雄叫び”も時々遠くから聞こえる…

↓昔の海難事故を伝える遭難慰霊碑が在る緑地の辺りにこういう“観察所”が設けられた…今年登場したという…
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↑上述の画は、この望遠鏡をカメラのレンズで覗いてみた画だ…この望遠鏡は、コインを入れるような方式でもなく、無料で視ることが出来るようになっていた…

↓こういうオブジェも直ぐ脇に…
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↑「皆さんのゴミが私達を蝕む…」という海獣達の訴えという体裁で、海岸や海でのゴミの投棄を諫めるという意味を込めている…

↓「御近付になりましょう…僕がトドです…」というような看板が掲出されている…
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ネベリスクの地区行政府庁舎が在るような辺りから、車で3分も掛からないような辺りである…「街の海岸から視える…」と親しまれてきたトド…こういう“観察所”が遂に登場だ!

トドに関しては、4月後半から5月中位の時季に数が多く、視る機会が多いようだ…

<GAZ-67B>(ГАЗ-67Б):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」には軍用車も在る…

↓「ジープ?」と視えるのだが…有名な<ジープ>とは少し違う…ソ連の自動車である…
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↑これは確か、米国から供与を受けた<ジープ>が使い易い車輛であったことから、「ああいうのを国産で…」ということになって登場したモノが在って…この<GAZ-67B>はそれの改良型だった筈だ…

この車輛は1943年に登場し、1953年まで製造されたそうだ…

DHC-8-Q400:テイクオフ!:ウラジオストク空港(2018.05.06)

ウラジオストク空港で飛行機に搭乗…ユジノサハリンスク空港を目指すこととなる…

窓側の席が当たっていて、通路側に他の乗客は無い…酷く居心地は好いのだが…

↓窓から、着陸脚と滑走路の路面しか視えなかった…
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↑飛行機は胴体の上に翼が在って、そこに機関部を提げている型で。機関部の下の着陸脚が出入りする仕掛けだ…天候が好転して光が強く、路面に機体の影がハッキリと視える…

こういう状況では…景色を愉しみ悪い…と些か不満を感じながら、ぼんやりと窓を眺めていた…

↓ゆったりと滑走路に入った機体は、離陸のために速度を上げ始めた…
'S7 4613' on 06-05-2018 (6)

↓機体が浮いた…
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↓着陸脚が機体に収められて行く…
'S7 4613' on 06-05-2018 (8)

こうして…私が乗った、S7航空とアエロフロート航空のコードシェアであり、アエロフロート航空とオーロラ航空のコードシェアでもあって、オーロラ航空の機材と乗員によって運航されているという、「些かややこしい?!」体裁の便はユジノサハリンスク空港を目指し始めた訳だ…

頭上の飛行機…暗くなり悪い感…:レーニン広場(2018.05.12)

よく晴れているような感だった土曜日…

↓午後9時辺りの状況…
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↑灯りが目立つようになっているであろう街の上空を、ユジノサハリンスク空港へ降りようとしているように視える飛行機が通過している…

何度もユジノサハリンスク空港に降りる飛行機には乗っているが…「恐らくレーニン像が在る周辺が窓から視える?」というコースでの飛行は未経験だ…

そんなことを想ったが、午後9時で「真っ暗でもない…」という感じに、何時の間にかなっている…こういう「日が長い…」という傾向が顕著になって来た昨今である…

19世紀後半から20世紀初頭と見受けられる煉瓦:<ウラジオストク要塞博物館>(2018.05.05)

現在のウラジオストクの地域に、「要塞」の遺構が方々に在るということなのだが、その一つで比較的街中から訪ね易い辺りに博物館が整備されている。

<ウラジオストク要塞博物館>ということで、色々な時代の兵器が置かれていて、それが何となく目立つ感の場所ではあるのだが…寧ろ「街の発展の経過」の一部を、少し判り易く伝えてくれているような性質も在ると思えた…

↓こういうモノが展示されていた…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (15)
↑後から彫り込む?製造時に型枠になっている?その辺はよく判らないが…色々な文字や記号の刻印が在る古い煉瓦だ…

ウラジオストクで様々な施設が建設されて行く過程の中、利用されていた煉瓦ということなのであろう…

こういうモノ…他所では視た記憶が無い…

1869年のウラジオストクの地図:<ウラジオストク要塞博物館>(2018.05.05)

「要塞」というのは?「戦略上重要な地点を外敵から守る為に築かれた堅固な構築物」という程度の意味であろう…ウラジオストクというのは、その「要塞」という貌も持つ地域だ…

1860年に港と街とが拓かれて行くこととなるのだが、そうしたモノを護るべく「要塞」と呼ばれる防衛施設が整備されて行く…現在のウラジオストクの地域に、そういう「要塞」の遺構が方々に在るということなのだが、その一つで比較的街中から訪ね易い辺りに博物館が整備されている。

↓その博物館で視掛けた…旧い書体で「ウラジオストクのの図」と題が在る…その下辺りに「1869年」と小さく書き込まれている…今年、日本では「明治150年」等と言っているが、明治元年が1868年なので、1869年は明治2年ということだ…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (17)
↑この「1869年の地図」…やや地味な展示だったが、大変に興味深く眺めた!!

金角湾を囲むような陸地が描かれている。こういう図は上が北寄りというのが普通だ…図の左は西寄りに相当する筈であるが、「図に記される程度」の道路が整備され、「市街らしきモノが在った」と思われるのは「金角湾の北西側」だけである…

現在ではウラジオストク駅が在る辺り、<中央広場>になっている辺りは、この時期で市街化していたようだ。視ながら思い出したのは、1861年頃からウラジオストクに定住して「民間人として最初のウラジオストクの住民」と言われている企業家のヤコヴ・セミョーノフに関して、「1860年代から70年代に家が在ったと伝えられる場所」という小さな石碑を視たのも、<中央広場>の少し東に相当する辺りだったということだ…

こういう状態のウラジオストクが大きく発展して行ったのは、1890年代に鉄道建設が始まる後のようである…が、「街の歴史の黎明期」のようなこんな時期にも、既に「古くからの市街」とされる辺りは、現在も基礎が変わっていないと見受けられるような具合に街路が築かれていた訳だ…

<ウラジオストク要塞博物館>ということで、色々な時代の兵器が置かれていて、それが何となく目立つ感の場所ではあるのだが…寧ろ「街の発展の経過」の一部を、少し判り易く伝えてくれているような性質も在ると思えた…

こういう場所は貴重である…

アレウツカヤ通の風情(2018.05.06)

↓ウラジオストクを去る前、駅の辺りへ向かってアレウツカヤ通を歩いていて、何気なく足を停めた…朝からの曇天が俄かに好転し、何となく眩しい感じにもなっていたのだったが…
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↑上りや下りが複雑に入り乱れている坂道で構成されている街の、古くからの都心部の一隅を占めているアレウツカヤ通…やや凝った形の街灯が坂道に沿って並ぶ感じが好ましいと思った…右手に視える、少し年季が入った集合住宅らしい建物も味わいが在る…

偶々、4月も5月も駅の周辺から一寸上がった辺りの宿を利用した関係で、アレウツカヤ通は「到着直後から立ち去る直前まで」と随分多く歩く機会が在った…

確か…<アレウト>という船の乗員等が道路の整備に関わったという故事に因んで、<アレウト>が形容詞化して「アレウツカヤ通」と名付けられた…と聞いた…ソ連時代は、違う名前になっていたかもしれないが…最初に通を整備した人達は、この通が「車輛が溢れて渋滞する場面も見受けられる」ようになるとは想像もしなかったことであろう…

搭乗待合所のカフェ:ウラジオストク空港(2018.05.06)

↓カウンターでカプチーノを頼んで…各自席へ持って行く方式なので持って行ったが…その時に何気なく眼に留めたチーズケーキを後から追加…
at VVO on 06-05-2018 (6)
↑多少、ゆとりを持って空港入りし、手続や保安検査も然程混み合わなかった中、搭乗待合所もゆったりとしていた…

搭乗を待つまでの間…こうした「あづましい」感じ…何か非常に好いのだが…天候が好転していたウラジオストクを去るのが「少々惜しい…」と思いながら、極短い滞在を振り返っていた…