重戦車 IS-2(2017.05.14)

↓ヴァシレフスキー元帥の像の直ぐ足下に、古い戦車等が展示されているのだが、その一つである…
14-05-2017 (21)
↑ドイツ軍が運用した<ティーガー>に対抗可能な戦車を目指してソ連軍が開発し続けた重戦車の系譜に属する車輛で、第二次大戦末期に活躍した型だ…

とにかく大きい!サハリン州郷土博物館に在る日本の<九七式>と比べれば、こちらは「軽自動車VS大型トラック」という位に大きい…IS-2は46トンもの重量だ…

大きな戦車を視ると、「何人が乗り込んだのか?」と思わないでもない…基本的にこういう戦車は、指揮を執る車長、運転を担当する操縦士、戦車砲を操る砲手が要る…大きな砲塔を動かして砲弾を装填して、号令を受けて撃つ動きに2人は要る…故に4人程度は必要な訳だが、IS-2の定員は4名になっているようだ。

↓残念ながら内部が視られるようにはなっていないのだが…なかなかに迫力が在る車輛で、見応えは十分だ…
14-05-2017 (22)

階段上に佇むヴァシレフスキー元帥(2017.05.14)

好天に恵まれた日曜日、ユジノサハリンスク市内を散策した…

↓嘗ては神社の境内だった辺りが都市緑地として整備されている。往時は「神社の石段」であったと推測される場所が、立派な階段の通路になっている。何かの映画に出て来るモノのように趣が在る階段だと思いながら立ち止まって眺めた…
14-05-2017 (13)
↑階段を上がった先…「誰かが黙って立っていないか?」という感じの人影を認めた…

↓銅像が在った…この像が、階段下から見上げると「誰かが黙って立っていないか?」という感じに視えたのだ…
14-05-2017 (14)
↑「XXXX年完成」というような、“銅像自体”に関する説明が掲出されていたのではなかったが、「何時の間にか?」という具合に登場した銅像で、視た感じも新しかった…

↓この銅像…ヴァシレフスキー元帥である…
14-05-2017 (15)

アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー(1895年 - 1977年)…第一次大戦の勃発を受けて軍人を目指す。両大戦間もソ連軍人として活動を続けていた。

第二次大戦期には、独ソ戦に深く関与する。参謀次長兼作戦局長として、ドイツ軍のモスクワ侵攻に抗う作戦を立案することに活躍した。1942年春、体調を崩してしまった前任者に代わって参謀総長代行となり、6月には参謀総長に就任した。やがて1943年2月にはかのジューコフ元帥に次ぐ速さで元帥に昇進し、僚友のジューコフと共に防衛作戦、反転攻勢を率いることとなった。

このヴァシレフスキー元帥は独ソ戦の後、1945年6月末に極東に派遣され、極東の総司令官となった…そういうことで、サハリンの地を踏んだか否かはよく判らないが、極東方面に縁が深い高級司令官である…

↓恐らく、極東の総司令官を務めたような頃の姿をイメージした像なのであろう…
14-05-2017 (16)

階段の下から視て「誰かが黙って立っていないか?」という感じだったことに多少驚いたが…その勇名が轟く司令官が街を見守っている訳だ…

ユジノサハリンスクを一望!:オフシーズンのスキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2017.05.14)

朝から好天に恵まれた日曜日に市内を散策…実に愉しい!或いは、ユジノサハリンスクという街は「気侭に徒歩でも愉しく動き回れるような感じ」なのが最大の魅力なのかもしれない…

パベーダ広場の辺りに至り、スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>のゴンドラが“オフシーズン”にも一部動いていて、山の上が「展望台」的になっていたということを不意に思い出した…そこで上ってみることにした…

↓最も高い到達点から市街を望んだ…
14-05-2017 (26)

スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>のゴンドラは、2つのゴンドラを乗り継いで、最も高い地点に至る。料金は300ルーブルだ。麓の発券窓口で求める。紅いカードでゲートを通るようになっている。

オフシーズンのゴンドラだが、金曜日の12時から19時、土曜日と日曜日の10時から20時に動いている。その他、祝日等に動かす場合も在るようだ…

日曜日の昼頃…折り好く、このゴンドラが動いていたので、乗ってみた次第だった…

↓ゴンドラが到達する最高地点の真下辺り…パベーダ広場周辺…
14-05-2017 (25)
↑大聖堂と、戦史博物館(残念ながら一旦開けた後、直ぐに内装工事とやらで、現在は建物外観が視られるだけ…)とが出来て、辺りの雰囲気が随分と変わった…

↓ゴンドラを乗換える辺りの周辺も展望スペースになっている…
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↑この施設としては、1960年にスキー場を整備したことをもって「施設の起源」と考えているらしく、その旨が判る記載が<Сахалин Sakhalin>と大書した看板の隅に在る…

↓ここの高さで望むパベーダ広場周辺の感じも、少し迫力が在る感じで好い…
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こういう高い場所からの眺望は、「運」という感じで、訪ねる都度に状況が異なる。今般は非常に好かった!!!

「P」は「駐車帯」を示すマークではあるが…?(2017.05.13)

↓「駐車帯」を示す「P」マークを背景に…「馬!?」である…
13-05-2017 (17)
↑馬は「車輛扱い」ということでもないとは思うが…そういうようなことが交通規則でどういう具合に規定されているのかは知らない…或いは想定外かもしれないが…

↓落ち着き払って、何か凄く悠然と佇んでいた馬だった…
13-05-2017 (18)

↓レーニン広場の中で、馬が曳く馬車に人を乗せたり、乗馬に挑戦というようなことをしようと、馬を持ち込んでいた人達が居たのだ…
13-05-2017 (14)
↑私自身を含め、馬を珍しがって見入っている人が散見する程度で、希望者が集まって賑わっていたという具合には視えなかったが…

↓それにしても、やや不思議な光景だ…
13-05-2017 (15)

ドリンスクのT34戦車(2017.05.13)

↓「5月9日」の直後なので、“化粧直し”も施されたのかもしれないが、綺麗な感じであると同時に、マーキングが「実車!」という雰囲気を醸し出していた…
Dolinsk on 13-05-2017 (9)
↑砲の感じ、全体的なバランスで後期型である「T34-85」のようだが…

↓これを眺め始めた辺りで、天候が好転した…
Dolinsk on 13-05-2017 (14)

ドリンスクのレーニン像(2017.05.13)

↓図書館、映画館、児童の遊具等の囲まれた広場が設えられ、その辺りで静かにこの像が佇んでいた…
Dolinsk on 13-05-2017 (1)
↑何か「凄くリアル」な感じがする像だ…大きさは、実際の人間よりも「少し大きい」というように見えたが、高めな台座の上だったので大きさは判り難かった…

ドリンスクのA.P.チェーホフ像(2017.05.13)

↓古くから据えられていると見受けられる胸像だ…
Dolinsk on 13-05-2017 (23)
↑チェーホフがサハリンの地を踏んだ、御本人が30歳代の頃をイメージしたような像に…或いは少しだけ年を重ねた写真か何かを参照したかもしれないが、よく知られた「晩年の“高名な劇作家”というイメージ」とはやや違う感じが面白い…

チェーホフがサハリンを訪れたような頃?この辺りは、森と若干の畑や集落が在ったに過ぎなかったと思われるが…この像は、辺りの様子をどういう想いで眺めているのであろうか…

ユジノサハリンスク・ドリンスク間の路線バス(2017.05.13)

休日を利用してバスに乗って出掛けてみようと、ユジノサハリンスク鉄道駅辺りのバス乗場へ足を運んだ…

↓運行系統112…ドリンスク行が待機中…
bus between Yuzhno-Sakhalinsk and Dolinsk on 13-05-2017 (1)
↑これに乗車してみることにした…料金は115ルーブルだった…コルサコフ行の135ルーブルより安価である…

↓ユジノサハリンスクの市内線でも視掛ける、所謂“低床”を取り入れた型の、「正しい路線バス」という風な内装だった…
bus between Yuzhno-Sakhalinsk and Dolinsk on 13-05-2017 (2)

ドリンスクへ向かう場合、ユジノサハリンスクを南北に連なるレーニン通に出て、そこを北上する。行程の半分近くは、ユジノサハリンスク市の区域の北東側へ拡がっている部分の道路になっている。その「ユジノサハリンスク市内部分」の「道路の込み具合」で到着は前後するようだ。1時間程度の行程だった…或いはコルサコフより多少距離が短いのかもしれない…

何かの折に通り過ぎた覚えがあるのだが、市内を歩いたことが無かったドリンスクを少しばかり歩き、空腹を覚えたので食事を摂り、或いは店でジュースを求めて飲んで、何となくユジノサハリンスクに引揚げた…

朝は薄曇りで肌寒かったが、ドリンスクに着いて少しすると「よく来てくれた!」と歓迎でもして頂いたかのように晴れ、ユジノサハリンスクに引揚げてからも好天である…

日本風設えの庭とロシア正教の教会(2017.05.12)

ロシア正教の教会である復活主教座聖堂の直ぐ東側に<北海道センター>という、オフィスなどが入居するビルを核とする施設が在る。誰でも彼でも立寄る商業施設のような場所でもないのだが…

その<北海道センター>の脇で、西側に通じる道を歩んでいたのだが…

↓こういう様子が眼に留まった…
in evening on 12-05-2017 (25)
↑<北海道センター>側の敷地で、日本風設えの庭園を整備しているようだが、その背後に復活主教座聖堂が視えている。敢えて“借景”としたのか、または偶々なのか?

↓こういうように眺めると、「“日本”の少し向こうに“ロシア”」というようにも見える…「稚内辺りからサハリンの島影を遠望する」という位置関係か?
in evening on 12-05-2017 (27)

ユジノサハリンスクという場所は、様々な時代のモノ、様々な由来を持つモノが複雑に織り込まれて重なったような感じがする街だ…

キックボード…(2017.05.12)

↓ユジノサハリンスクでは、キックボードで遊んでいる子ども達を随分と視掛ける…
in evening on 12-05-2017 (20)
↑序でに、ローラースケートや自転車も多い…

↓子ども達が遊び廻って差し支えが無いような都市緑地的な場所が意外に多い…
in evening on 12-05-2017 (18)

↓何やら“競走”のようなことをしている場面も視る…
in evening on 12-05-2017 (21)

車輛が多く、車道が混み合っているように見える場面が多い他方、子ども達が遊び廻って差し支えが無いような都市緑地的な場所が意外に多いように見えるユジノサハリンスク…「街の個性」というような感じであろうか?

早朝のソビエツカヤ通(2017.05.08)

↓最初から「人が少ない休日の朝」なのは判っているが、何か「清々しい!」までに美しい通だ…
at Korsakov on MAY 08, 2017 (2)
↑コルサコフ地区行政府の近隣である。

↓街路が広場の一部のようにもなっていて、「歩行者ゾーン」という指定になっている。
at Korsakov on MAY 08, 2017 (6)
↑この場所は随分以前から「歩行者ゾーン」という指定で、原則的に車輛を入れないようにはしていたが、何時の間にか随分と綺麗になった。

↓屋根まで架かったベンチが随所に据えられている…
at Korsakov on MAY 08, 2017 (7)
↑「街の一部を公園・緑地化」という感じではあるが、寧ろ「公園・緑地の一部が街にまってしまっている」というようにも感じられる…

コルサコフでも「美しい都市景観の形成」というような問題意識が高まっていることが伺える感である。

文化センター<オケアン>(2017.05.08)

↓コルサコフ地区行政府庁舎の傍に文化センターが在る。<オケアン>(オーシャン=大洋)と名付けられている。
at Korsakov on MAY 08, 2017 (4)
↑傾斜が多い地形な中で、平坦な建設用地を整えて建てられていることが判る感じである。

手前左側のレーニン像は、この辺りを2013年頃に整備した当時、地区行政府庁舎の真ん前から移したものである。

<旭川通>?(2017.05.10)

↓近所に「漢字」が入った看板を見付けた…
10-05-2017 (4)
↑「ул.АСАХИКАВА」とロシア語が在る下に<旭川通>と在って、通の名を示すモノに視えるのだが…

↓看板はこういう状態で掲出されている…
10-05-2017 (1)
↑“通”というより“広場”という趣だ…

直ぐ傍に学校や集合住宅等も在って、色々な人達が集って憩う場になっていて、間違いなく日本の用語で言う都市緑地や公園で、ユジノサハリンスク辺りではсквер(スクウェル)=広場と呼ばれる空間だ…

「ул.АСАХИКАВА/旭川通」という看板の下のプレートには「СКВЕР АСАХИКАВА/旭川広場」が2014年に整備されたというようなことが書かれている…要は、この場所は「СКВЕР АСАХИКАВА/旭川広場」なのだろう…

↓好天の日の夕方…暮れて行くには相当に間が在る感じの中、少し賑わっていた…
10-05-2017 (3)

G.I.ネヴェリスコイ像(2017.05.06)

↓ネベリスクに在る大きな像だ…
Nevelsk on MAY 06, 2017 (54)
↑地区行政府、文化センター、博物館が集まるような辺りから、北側へ15分程度歩いた辺りの広場に据えられた像である…

結局、承知している限り、このネベリスク、コルサコフ、ユジノサハリンスクにネヴェリスコイ提督の像が各々在るということになる。

占守島の九七式戦車(2017.05.01)

↓サハリン州郷土博物館の屋外展示の一つ…旧帝国陸軍の九七式戦車である…
The Regional Museam of Sakhalin on MAY 01, 2017 (4)
↑「終戦70年」というようなことで、2015年頃に占守島から持って来て、修復したモノだった筈だ…

修復時に「好い仕事」をしたと思えるのは、砲塔に在る<士>のマークである。

占守島に送り込まれていたのは「第十一連隊」という戦車隊だった。「十一」を縦に並べて書くと、“武士”や“士魂”という言葉の“士”という具合になる。誇り高く戦場に臨む将兵であろうと、彼らは装備品に「部隊の目印」としてこの<士>のマークを好んで描き込んでいたのだという。当然、戦車隊の主要装備である戦車も、こうした例に漏れない…

↓同時代のソ連の戦車と比べると、余りにも小ぶりで驚くのだが…占守島で、ソ連戦車と交戦はしていない…
The Regional Museam of Sakhalin on MAY 01, 2017 (1)
↑占守島では、8月18日に濃霧の中で若干の火砲を装備したソ連兵が上陸し、それらと交戦に及んだ際にこの戦車も戦闘に参加した訳である…

↓占守島の戦いを巡っては、下記の小説が酷く興味深い…
>>『終わらざる夏』
↑作中に、学校を中退して戦車の運転資格を得た若い兵士と、その上官の整備班の老兵が出て来て、展示されているこの戦車を視ると、その挿話を思い出してしまう…

«Смирновъ» ―敢えて旧書体を用いる<スミルノフ>のウォッカ(2017.05.09)

“ウォッカ”というモノは、麦のような穀物を原料とし、蒸留して炭で濾過を行うエタノール成分を除けばほぼ無味無臭無色な酒である。“ウォッカ”という呼称自体が、スラブ語で「水」を意味する「ヴァダー」に語源を有するとされている。

↓このウォッカの数在る銘柄の中、「老舗」と呼び得るモノの一つがこれである…
09-05-2017 (3)
↑敢えて旧書体で«Смирновъ»(スミルノフ)と書かれている…(※現代の普通な表記では「Смирнов」で、末尾の文字が無い…)

1860年にピョートル・アルセニエヴィチ・スミルノフという人物がモスクワで酒造を始め、1870年には独自の濾過技術を完成させ、1886年には皇帝アレクサンドル3世が“御用達”とした。

この「帝室御用達」のウォッカを製造していたスミルノフ社だが、ロシア革命後の混乱の中、2代目社主のウラジミール・ペトロヴィチ・スミルノフはフランスに亡命した。スミルノフ社はフランスで小規模な酒造業を営んだが、1933年には米国に移っていたロシア人のルドルフ・クネットがウラジーミル・スミルノフからブランド名と製造権と販売権を買い取った。以降、米国で「カクテルベースとしてのウォッカ」が広まって行く…

その後、色々な経過が在って現在に至っている訳だが、最近は「帝室御用達のウォッカ」というイメージで、ロシアでも色々と展開が在るらしい。

↓この<№21>は、最もクラシカルなウォッカということだ…
09-05-2017 (1)
↑正しく「何も足さない…何も引かない…」という按配!

日本の人でも、酒好きな人の他方に酒を嗜まない人が在るが、ロシアでもそれは同様で、凄く呑む方も在れば、殆ど口にしない方も在る。またロシアと言えば“ウォッカ”のイメージが強いが、近年はビールやワイン類の方がよく売れているらしい…

それはそれとして…少し冷やした位にして、「何も足さない…何も引かない…」と「古式に則った」感じの、ムードが在る瓶から注いでウォッカを頂くというのは好い!

「5月9日」のユジノサハリンスク:パレード(2017.05.09)

随分古い話し―1990年代だった…―なのだが、サハリンの方と話しをしていて「5月9日…多分、一番大きな祝日ですよね?」という話しになったことが在った。すると「“多分”ではなく、“間違いなく”最大の祝日であろう。あの戦争では何処の人でも、大概は一族の誰かが何らかの型でなくなった経過が在ると言われている。戦時中に亡くなった人達を悼み、平和な今日に感謝し、豊かな明日を目指すということに関しては、時代や体制がどう変わろうと、変わる筈もないのだ…」というお話しを耳にした。これが何となく忘れられない…

その5月9日…独ソ戦の終結を記念し、毎年恒例のパレードが午前中に催されると聞き、一寸見に行ってみた…「外での催事」には好適な感じの日になった…

↓パベーダ(勝利)広場がスタートだというので、少し早めに…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (3)
↑色々な機関から出ている警備陣が並び、広い場所にはパレードに参加する人達等も早々と集まっている…

↓やがて、第2次大戦―ロシアでは<大祖国戦争>と呼ぶ―に従軍した経過等が在る親族の写真を掲げた人達等で辺りが埋め尽くされた…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (6)
↑パレードが視えないので、さり気なくスラーバ(栄光)広場へ続く側の道路沿いへ動いた…

↓広場でのどよめくような音が聞こえて少しした後、パレードが動き始める…高級将校が乗ったオープンカーがパレードの先頭に現れた…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (9)

↓儀仗兵という雰囲気のグループが、歩く人達の先頭に視えて来た…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (10)

↓各軍の部隊毎、或いは選抜された部隊、または各部隊の選抜されたメンバーがパレードに参加しているようだ…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (15)
↑グループ毎に、独特な掛け声や、「記念日の歌」とか「〇〇隊の歌」というような声を出しながらの行進だった…

↓女性兵士のグループは<カチューシャ>を朗々と歌いながらの行進だった…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (14)

↓やがてゆったりと車輛も出て来た…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (17)

↓大型トラックで大きな砲を牽引していた…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (21)

↓ロケット弾発射装置を載せたトラック…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (26)

↓車輛の後に、音楽隊が続いた…
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↓「街中の人達が集まっている!?」とさえ思えるような、凄い人出…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (30)

↓スラーバ(栄光)広場では、戦没者を悼み、従軍者に敬意を表するセレモニーが催行されていた…
09-05-2017 Yuzhno-Sakhalinsk (32)

とにかくも、「戦時中に亡くなった人達を悼み、平和な今日に感謝し、豊かな明日を目指す」という、ロシアの人達が「5月9日」に寄せる独特な想いのようなモノ…強く感じた日だった。

↓この他のモノクロ写真のアルバムは下記を…
>>65RUS - MAY 09, 2017 - MONOCHROME

春の陽光に輝く<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.05.08)

↓建物正面の“足場”が外され、美しい姿が輝いていた…
the Cathedral, Yuzhno-Sakhalinsk on MAY 08, 2017 (2)

↓車輛の交通を規制し、翌日の催事の準備が進められていた…
at Yuzhno-Sakhalinsk on MAY 08, 2017 (20)

↓大聖堂正面の大きなキリスト像…
at Yuzhno-Sakhalinsk on MAY 08, 2017 (16)

↓とにかく巨大だ…
at Yuzhno-Sakhalinsk on MAY 08, 2017 (11)

↓陽光に“クーポル”が一際輝いていた…
at Yuzhno-Sakhalinsk on MAY 08, 2017 (21)

何となくこの建物を眺めに出る…好い散歩コースになって来た…

「КОРСАКОВ」(コルサコフ)を手で表現?(2017.05.08)

↓コルサコフ市内の<芸術学校>の塀に描かれていた画…
at Korsakov on MAY 08, 2017 (11)
↑「何やら不思議な?」と思いながら眺め入ってしまった…

↓通の反対側に渡って、全体を眺めてみて判った!
at Korsakov on MAY 08, 2017 (10)
↑“手”で“К”、“О”、“Р”、“С”、“А”、“К”、“О”、“В”の各文字、街の名である「КОРСАКОВ」(コルサコフ)を表現していたのだ!

これは一寸面白かった!!

ネベリスク:N.V.ルダノフスキーの碑(2017.05.06)

ニコライ・ワシーリエヴィチ・ルダノフスキー…一寸、聞き慣れない感じの名である。

↓ネベリスクにこういう記念碑が在る…
Nevelsk on MAY 06, 2017 (42)
↑ルダノフスキーが1854年に現在のネベリスク市辺りを訪れ、集落の住民に出逢ったという故事を記念するとしている。

ネベリスクは、何時の間にか「1854年のネヴェリスコイ麾下のルダノフスキーが、地図作成を主要な目的とした測量等を行う調査旅行で、現在の市域に到達」という故事を以て“建都”と位置付けるようになった…

1854年頃のこの辺り?海辺の平坦な辺りに集落が見受けられた…という感じだったのだろうか?そして、ルダノフスキー等が現在のコルサコフ市辺りからネベリスク辺りまで、基本的には沿岸部を「ぐるり!」と廻ったのだと想像するが、どういう経路を通ったにせよ、森や急勾配も越えなければならなかったであろう…その苦労を偲ぶ…

ネベリスクでは、街の名前の由来になったネヴェリスコイは多分足を踏み入れていないと見受けられる他方、ルダノフスキーに関しては「間違いなくやって来て、地図を作っている」として大切に扱われているようだ…

<ЗЁРНА>(ジョールナ)のメニュー(2017.05.06)

出口の傍で煙草を点け、住まいの玄関辺りに来るまでに、煙草が半分以上残る…そういう至近距離に在るカフェが気に入ってしまった…「お持ち帰り」で珈琲を買って、量が少ないエスプレッソでさえ、帰宅しても余り冷めない程なのだ!

↓その店に掲出されているメニュー…「綺麗なので…写真撮って構いませんか?」とお店の方に一言断って撮影した…
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on MAY 06, 2017 (2)
↑凄く洗練された感じがする…左側が各種の珈琲で、真ん中辺りや右側が珈琲以外の各種ドリンクである…

ユジノサハリンスク辺りでは「珈琲をお願いします」とでも言えば、「Какой?」(カコイ?=どれですか?)と店員さんに訊き返される、そういう感じが「何となく多数派に視える」程度だ…

そういう感じだから、サハリンの人が稚内にやって来て、何か飲めそうな店に入り、いきなり「カプチーノ!」と言い出し、店の人が「?」となる場合が無いでもない…

この「極近所の店」だが、何やら“メンバーカード”が在るので作ってしまった…早速に「御近所のお気に入り」が出来たのは好いことだ…

ネベリスクのトド(2017.05.06)

ネベリスクのトド…話しには聞くのだが、ゆったりと眺めてみたことが無かった…

少し広く砂地の海岸が拡がるような辺りで、普通に歩くことが出来る範囲で、極力沖に寄った方向へ向かい、望遠で離岸堤を伺う…

↓居た!!トドだ!!
Nevelsk on MAY 06, 2017 (34)
↑何やら群れて、各々にトドが過ごしていて、辺りを鳥も飛び回る…時々、トドの一部が海に飛び込んで飛沫が上がっている…

一寸、面白い!!

噴水(2017.05.06)

↓冬季間は水が停まる噴水…今朝、ユジノサハリンスクのレーニン広場周辺の噴水は水が入っていた…
Yuzhno-Sakhalinsk in Morning on MAY 06, 2017 (3)
↑これから温かくなって行けば、噴水の見える辺りが心地好くなる筈だ…

朝の時間帯、巨大なレーニン像の背中側から噴水を視ると、何となく逆光になる…