煉瓦造…:小林酒造:栗山(2024.05.13)

栗山駅から歩いた。小雨が交って濡れる中、左折すべき場所を通り越してかなり歩いた。やがて左折すべき正しい場所に引き返し、更に歩を進めた。

↓在った!小林酒造である。
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↓煉瓦造の建物が使われている。
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↑「北海道のこの地に錦を飾ってやろう」という意気で、酒銘を<北の錦>としたのだという。

↓煉瓦造の他に石像の建物も見受けられた。
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冬季に氷点下の低温が続き、木造建築の蔵では発酵が巧く進まない場合も在ったということで、耐寒性の高い煉瓦造の建物にして石炭を利用した暖房を施すようにしたのだという。それがこれらの煉瓦造や石造の建物である。

小林酒造は1878(明治11)年に札幌で起こり、1900(明治33)年に栗山に移って現在に至っている。より広い用地を得て、より多く醸造をしようとした。空知地方各地の炭鉱に人が多く集まり、酒類の需要は高く、それに応えようとした経過である。

↓雨に多少苦戦もしながら、この特徴的な建物の写真を撮っていた。
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岩見沢駅にて…(2024.05.13)

雨も交じる様子の中で<岩見沢レールセンター>の建物を眺めるというようなこともしていた。やがて乗る予定の列車の発車時刻が近付いた。

↓窓口で切符を求めた。
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↑「券売機?何処?」とキョロキョロしていて、何となく窓口が眼に入ったので切符を求めたが、窓口辺りに佇めば眼の先に券売機は在った。が、こういう切符も味わいが在って好い。(ワンマン運行で乗務員に切符を渡して下車なので、切符は手元には残せなかった。有人改札の場合には、申し出てスタンプを押してもらうと持ち帰ることが出来る。)

↓岩見沢駅は「札幌の都市交通網の北東端側」という感じで、存外に多くの列車が発着していると思う。特急列車も停車する。
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↓苫小牧殿間を往来する列車だ。キハ150ディーゼルカーによる運行だ。何時の間にか、この路線の主流がこの車輛になった感じだ。
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↓車内の様子だ。H100形もこういう感じになっている。多分、このキハ150ディーゼルカー以降の車輛はこういう感じを基礎としているのであろう。
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この列車で栗山駅へ向かった。

<岩見沢レールセンター>…(2024.05.13)

岩見沢駅で北口への連絡通路に足を踏み込み、歩を進めた。

↓こういう様子が見えた。
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↑列車の窓からも見える大きな煉瓦造の建物だ。何本も敷かれた線路が在って、岩見沢駅から直ぐ近くながら近付き方がよく判らなかった。北口への通路を通れば簡単だ。

↓<岩見沢レールセンター>というJR北海道の施設だ。現役の施設で、関係者以外は建物外観を眺めるだけということになる。
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↑壁の高い辺りに「☆」のマークが在る。これは「北海道炭礦鉄道」のマークだという。

「北海道炭礦鉄道」は、北海道で最初の鉄道を手掛けた「官営幌内鉄道」から路線の譲渡を受けて各地の鉄道輸送を担い、1892(明治25)年に現在の室蘭線を始めたという会社だ。この建物は1898(明治30)年に着工で1899(明治31)年に竣工したという。「北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場」として登場し、以降は鉄道会社が変わる都度に引き継がれて、現在でもJR北海道で使用している。

↓事務所出入口も見えた建物が、明治時代の建築であるようだ。
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↓小雨の中、長く風雪に耐えて現在も現役という煉瓦造の建物の壁は、何とも名状し難い風格を漂わせていた。
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↓これは外観を眺めるだけでも興味深い。
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↓雨が滴る感じを何となく眺めた。
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↓興味深い場所を眺めてみる術をしったことになる。
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この<岩見沢レールセンター>は、道内各地のJR路線で使用されるレールの加工を一手に行っているそうだ。

連絡口<駅北広場方面>…:岩見沢駅(2024.05.13)

岩見沢駅は跨線橋から通じる改札口が2階に設えられ、辺りに窓口と駅員の積める事務所や待合所が設けられている。

↓その辺りにこういう出入口が在る。
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↑画のように扉を見て発つ場合、背中側にエスカレータが在って、大概はそれを使って下りて、1階に在るコンビニを利用するようなことをしている。言わば「未知の扉」が眼前に在る。

↓入ってみた。通路が設えられていた。
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↑駅を利用する人達、駅近隣を訪れる人達が利用する駐輪場も脇に設えられていた。

↓列車から見える場合も在る、何本も線路が敷かれた広めな構内を横断する大きな通路が在った。
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↓駅の北側へ下りられるようになっている。
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今般、列車に乗り継ぐまでに少し時間が在ったので、初めてこの駅の北側への通路に入った。一つ覚えた。機会が在れば、また通ってみたい。

雨の朝:岩見沢駅到着…(2024.05.13)

早朝の旭川駅で乗込んだ737系電車の列車は、通勤・通学と見受けられる人達の乗降が多く見受けられるような様子で進み、岩見沢駅に到った。

↓所謂「ワンマン運行」だが、岩見沢駅で乗務員が交代する。
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↓未だ新しい737系電車だが、辺りの「風景」として馴染んで行くようになることであろう。
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↓折り返し運転に備えて、乗務員は運転台側へ進んでいた。
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↓跨線橋に上った。右が乗って来た737系電車で、左はキハ150ディーゼルカーの2輛連結だ。苫小牧側から到着したところであるようだ。
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↓やや間が在る乗継だ。岩見沢駅の辺りで過ごす。
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今般は「通り過ぎている経過の在る駅を利用」というような様子になっているが、岩見沢駅もそういう例に含まれるかもしれない。それにしても、小雨が少し強めになっていた。キツいという程でもなかったが。

朝の旭川駅を発つ…(2024.05.13)

↓平日だが、未だ朝が早いので旭川駅辺りも静かだ。小雨が交っている。
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↓札幌へ向かう高速バスが待機中だった。
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↓旭川駅へ入ると、この時季に見受けられる横断幕が掲げられていた。
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↓東改札口だ。流石に少し早過ぎるので、旭川駅の中で一息入れる。
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↓西改札口へ廻り込んでみた。
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↓ホームへ上って行く通路の趣が気に入っている。
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↓飲物の缶等を棄てられるようになっている。ゴミ箱も、何やら館内デザインの一環のように感じられる。
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↓6番線を目指す。
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↓エスカレータを利用する。
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↓737系電車が待機していた。
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↑最近のダイヤ改正の後、この新しい車輛が眼に留まるようになった。

↓乗り込んだ。ロングシートの内装だ。何か「大都市圏の列車」というような風情でもある。
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↓ICカード乗車券の利用に関して、外国人旅行者に向けた外国語の案内が掲出されていた。
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↑旭川駅や岩見沢駅等では、ICカード乗車券を利用して入場後、ICカードに未対応の路線の列車も発着していて、未対応の駅に到って戸惑う場合が生じているようである。前日に、旭川駅の改札口で、その旨を話している外国人旅行者を見掛けた。こういうのは、外国人旅行者に限らず、国内の旅行者にも、場合によって近在に住んで居る人達でも判り悪い場合も在るであろう。

↓上着やキャップを棚に上げ、シートに腰を下ろした。
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この岩見沢へ向かう列車は、途中から乗降が少し多くなる。平日の朝だ。

早朝に…:12階の眺望:旭川(2024.05.13)

↓宿の居室で、早朝の戸外へ出る前に窓から眺めた。
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↑雲が多目でやや薄暗かったが、道路が湿っているのが判る。小雨交りだ。

雨を気にせず、半袖Tシャツの上にデニムのジャケットを引っ掛け、キャップ着用で出た。多少濡れて、湿った中で動き回ることになった。

岩見沢駅を発つ…(2024.05.13)

結局、旭川駅に近い、勝手ながら「別宅」と呼んでみる場合も在る馴染んだ宿を「前線拠点」として動き回っていた。栗山を訪ねた日も、最後は旭川へ引揚げる。

↓旭川駅へ向かう列車を岩見沢駅で待っていれば、その姿が見えた。
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↑こうやって、現れる列車を待つ風情がなかなかに好い。

↓岩見沢に到着した列車が、折り返し運転で旭川へ向かうようだ。
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↓停車し、乗客が下り、旭川方向へ向かう乗客が乗り込む。
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沿線の様々な学校(高校、短大、大学、専門学校等)の学生が多いと見受けられたが、新しい737系電車のロングシートの感じは、「大きな都市圏の通勤・通学の電車」という風情であった。そういう様子で途中に随分と乗客も入替りながら旭川駅へ向かって列車は進んだ。

少し前迄、ICカード乗車券が利用出来たのは岩見沢迄だった。最近になって、岩見沢・旭川間のこの路線でIC乗車券が利用可能となった。そしてこの新しい737系電車である。辺りの様子も変わっている感じだ。

宵に…:12階の眺望:旭川(2024.05.13)

連日、早朝に行動開始であった。宿に入って休む前に寄道で夕食を愉しみ、宿に引揚げた後は「以後は何時でも御休み頂いて結構」ということにしようと思った。

↓居室に入り、窓を観た。
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↑朝から日中は雨が交じった。戸外を歩いて少し濡れた場面も在った。やがて夕刻辺りには雨が気にならなくなった。未だ天に些かの明るさが残る中、心地好く歩いた。そして観た様子である。

↓引揚げる前夜であるが、暫し窓からの眺望を愉しんでいた。
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夕べに…:<旭川やきとりism>(2024.05.13)

5月11日は早朝5時台に発車の列車で発ち、一日動き回って旭川に到った。5月12日は早朝6時台の列車で発って上富良野を訪ねて歩き廻った。5月13日も早朝6時台の列車で発って、岩見沢を経由して栗山を訪ねて歩き廻った。そして旭川に泊って翌朝に稚内へ引揚げるという段取りだ。

岩見沢駅を出た列車が旭川駅に着いた。直ぐに宿へ引揚げず、そのまま寄道で食事を愉しんでみようと、午後5時半前の街を歩いた。

↓看板を眼に留めた。
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↓馴染んだ御店だ。灯りが点いている。
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↓階段を下りて御店に御邪魔する。
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↓「一番乗り」という風情だった。
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↓<赤霧島>の御湯割りと、御通しを頂く。
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↓「寒い」という程でもないが、日中に雨に濡れて、多分冷えていた。「御湯割り」が凄く好かった。
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↓もやしと枝豆の御通しも好い感じだった。
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↓直ぐ横に「本日の一品料理」が掲出されていた。迷いながら何点か択んで御願いする。
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↓アスパラの「出汁浸し」という一品だ。軽く茹でたアスパラを、昆布や鰹の出汁に少々の調味料を加えたモノに浸す。
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↑アスパラと油揚げを刻んだモノを若干ということなのだが、これに出汁が滲みて凄く好い。アスパラも旭川辺りの、短い旬という感じの太いモノで素晴らしかった。

↓鳥焼売は、鶏のミンチを皮で包んで蒸上げるモノだ。これも好い。
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↓そして「じゃがバター」だ。クリームを攪拌して造るという、本当にクリームのようなバターをジャガイモに乗せるのだが、少し塩分が入った生ハムを刻んだモノも加えられ、これが非常に合う。
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↓締め括りに、少し迷いながら択んだ「鳥出汁の塩ラーメン」を頂いた。
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↓やや細い、ストレートな感じの麺が、サッパリしていながらも味わい深いスープに非常に合う。
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↓美味いスープも確り頂いた。
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確り食事を愉しみ、遠い西の天が仄かに明るい時間帯の中で宿に引揚げた。翌朝の移動に備えて休む訳である。

手短に…=運行日誌(2024.05.13)

結局、土曜日、日曜日に続いて月曜日も歩き廻った。累計で存外な距離である。

前日の午後から夜は風が強い様子だった。12階に在る宿の居室では、夜間に強風の音が少し聞こえていた。

前日は曇天で、天候は下り坂な傾向であるようだった。そういう中で深く眠った。典型的な「早寝早起き」である。早朝、雲が覆寝な戸外を窓から伺ったが、道路面が湿っている様子だった。それはそれとして、朝から動き回ることとした。

早朝、旭川駅から岩見沢駅へ列車で移動した。岩見沢駅では少し待ち時間も在った。そういう中で更に列車に乗って栗山駅へ向かった。

栗山では小林酒造を訪ねてみたかった。雨に濡れながら、道を間違えた場面も在ったが、無事に着いた。

やがて栗山の市街で喫茶店に入り、昼食を摂り、居合わせた方や御店の方と言葉を交わし、少し寛いだ。

栗山から岩見沢へ列車に乗ろうとしたが、その前に路線バスが現れたので乗ってみた。あのバスは寧ろ、岩見沢市内で賑わう感じのバスだった。列車の方が安価で速い。バスも、必ずしも本数は多くない。

岩見沢からは列車で旭川に引揚げた。旭川駅に着いて、その足で食事を摂ろうと街を歩いた。馴染んだ御店が営業していたので立寄った。ゆったりと食事を愉しんで宿に引揚げた。

そして「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢で居る。今日の見聞等は、後で改めて綴ることとしたい。想った以上に充実した期間を過ごしているように思う。

栗山跨道橋…(2024.05.13)

小林酒造を訪ねてみようということであれば、栗山駅前の辺りの道路を左へ進み、行き当たりのような場所で左に進めば敷地が見えるという様子が地図から判った。

その経路を進んだが、「左に進めば敷地が見える」という場所を間違え、少し先に行って左に進み、雨に濡れながら見当違いな辺りを彷徨った。「間違えた…」と思って引き返した。

↓「左へ進む道?」と探して、こういう場所に行き当たった。
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↓「栗山跨道橋」という看板が在る道だ。
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この「栗山跨道橋」を抜けると、小林酒造の敷地が見えて来る。「次回?」のためのメモとして、この写真を入れた記事を綴っておきたい。

栗山駅到着…(2024.05.13)

旭川駅から岩見沢駅へ出て、そこで苫小牧行に乗車した。

↓そして栗山駅に到った。
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↓雨が交じっている。弱めな雨でキツいということでもないが、結構濡れてしまった。動き悪いので傘は使わなかった。
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↑キハ150の2輛連結であった列車は、扉を閉めて出発した。

↓掲出されている時刻表に眺めた。1日に7往復と、列車本数はかなり少な目だ。
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↓駅前に出てみた。
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↓少し立派な建物だ。
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↓略地図という感じの図が掲出されていた。
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到着した栗山を少し歩き廻ることにした。

夕べに…(2024.05.10)

「翌日からの…」ということで気持ちが昂る感の夕べに、夕食を愉しみに出た。

↓御近所の御店で、気に入っている手羽先揚げを摘んだ。
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↓そして「うちのペペロンチーノ」と名付けられたスパゲッティを頂いた。
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↓タバスコや粉チーズを加えて頂く。
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↓愉しく寛ぐ「何時もの御店」が有難い。
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「三浦商店」の面影…:<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>(2024.05.11)

小説『塩狩峠』の「クライマックス」の御当地である塩狩の地に<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>が在る。作者の三浦綾子が御夫妻で住んで居た家を移築した部分と新築部分からなる資料館である。

↓建物にこういう往年風な看板が掲出されている。
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↓こういうモノも在る。
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嘗ては煙草や塩は「専売制」で認可を受けた小売店で扱われることになっていた。実際にこういう看板が掲出されていたか否かは判らないが、三浦綾子はこの建物の家で「三浦商店」という雑貨店を営んでいた。日中は雑貨店を営み、夜には創作活動に勤しむというような暮らしだったようだ。

↓こういう、かなり懐かしい公衆電話も「展示品」になっている。嘗ては方々に、それこそ商店の片隅等にこんな公衆電話が設置されていた。
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1999年にこの<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>が開館した時、当時は病身ながらも御存命であった三浦綾子が伴侶の三浦光世と共にここを訪れている。

↓これが三浦綾子が営んでいた「三浦商店」の雰囲気を再現した展示である。
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↑この場所に三浦綾子が入っている写真が館内の展示に在った。「これ!懐かしい…」とでも言っているような感じで、嬉しそうに想い出多い旧宅の様子を眺める御本人の写真が館内にも展示されていた。

↓一寸した文具関係も扱っていたようだ。
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<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>では、この「三浦商店」の部分迄は写真を撮って構わないようになっていたので撮った。自伝的作品である『道ありき』第2部に在るような物語の舞台となった場所だ。深い感慨と共に見学した。

こういう「作家に所縁の場所を活かした展示施設」というのも好いものだ。

キハ40:急行<花たび そうや>:旭川駅…(2024.05.12)

JR北海道は旭川・稚内間で<花たび そうや>というイベント列車を運行している。土曜日に旭川から稚内へ向かい、日曜日に稚内から旭川に戻るというように運行されている。

今般はその列車が、キハ54ディーゼルカーの2輛連結の前後にキハ40ディーゼルカーを加えた4輛編成で運行されると聞いていた。前日に稚内入りしたその編成が旭川に引揚げて来る。駅に眺めに行くことも出来る様子だったので、足を運んで入場券を求めてホームに入り込んでみた。

↓「7番ホームに列車が参ります」ということになり、走行音が聞こえて列車が姿を見せ始めた。
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↓次第に減速する。
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↓停車した。
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7番ホームは、少し後に名寄行の列車が出るので、それを待つ人たちが見受けられたが、自身を含む見物人も少し集まっていたような感じだった。

↓キハ40ディーゼルカーの独特な存在感が好い。最近は数が減っている車輛だ。
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↓このキハ40ディーゼルカーは、嘗て宗谷線の急行列車として使用された車輛の外観を再現している。
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↑宗谷線ではキハ261系ディーゼルカーによる特急列車が登場する以前、キハ40を改造した「キハ400」というディーゼルカーを用いた急行列車が運行されていた。その「キハ400」の外観をした車輛が先頭になって旭川駅に入って来ると聞き、観たかったのだ。丸いヘッドマークまで掲出され、嘗ての急行列車の雰囲気が強く醸し出されている。酷く懐かしいような気分になる外観だ。

↓大勢の乗客が下車して賑わった。やがて扉が閉まり、旭川駅のやや北側に在る車庫へ引揚げる。
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↓ディーゼルカーは発進して速度を上げようとする時等に排気煙を上げる。
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↓時にはこういうような様子を眺めるのも愉しいものだ。
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<花たび そうや>は、この土日が今季最初の運行であった。何回か運行されるので、稚内で眺める機会も設けられるかもしれない。

737系電車…:早朝の旭川駅(2024.05.12)

旭川駅を発とうとしていた時だった。

↓見慣れない車輛が在るので、乗車する訳でもないのだが、一寸近くへ行ってみた。
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↑「電化区間」の旭川・岩見沢間で走る電車だ。

↓最低2輛で動くようになっているようだ。737系電車である。
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従前の721系をこの737系に置き換えている様子だ。少し見掛ける機会も増えている。興味深い。

「文学紀行」…?=運行日誌(2024.05.12)

「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢で寛いでいる。宿の居室に在る。簡単に綴っておきたい。

前日の宿の居室では、「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢で寛いだ。そして早目に休んでしまった。宿に入った後、別段に居室から出ていない。

そういう感じで深夜帯に目覚めた。少し長く眠っているので、速やかに再度眠るということも叶わず、暫く起きて居た。やがて眠気が射し、ベッドに横たわった。

そして早起きして午前6時台には既に動いていた。目指したのは上富良野だ。早朝の列車で向かい、昼に引揚げるという計画で動いた。

上富良野という場所は、明治時代後期からの入植の経過が在った後、「大正泥流」の甚大な被害が在り、そこから復興している。「開拓」を「2回」もやっているような面が在る。

そういう経過が判る資料館を訪ねたかった。上富良野駅から3km弱らしい。これを歩いて往復した。

更に上富良野神社を訪ね、古い役場の庁舎を模したという建物の郷土館を訪ねた。

郷土館では、「大正泥流」の日だった「5月24日」にその時代の物語を伝える紙芝居を上演するということで、関係者の皆さんがリハーサルをしていた。観て構わないということで、拝見した。興味深かった。関係者の皆さんも、「見知らぬ旅行中のおっちゃん」が約1名、真面目に聴いているという様子であれば「本番に向けたリハーサルとして好適」と考えて下さったようだ。

紙芝居にも話題が在った。「大正泥流」の頃、凄まじい破壊力の泥流で、鉄道の線路が「底から抉って持ち上げられた」というように破壊された。これを数百人の作業員による工事で、数日で列車が通れる程度に復旧したという。何やら凄い。この破壊された鉄路に関して、モノが郷土館にも展示されていた。郷土館の方とも言葉を交わし、なかなかに愉しかった。

結局、『泥流地帯』、『続 泥流地帯』を興味深く読み、それで覚えた興味を満たすという感じで上富良野を訪れた。或る種の「文学紀行」をしたということかもしれない。

往時、大切な輸送手段として、災害で「とんでもない状態」になったモノを懸命に復旧した歴史に触れた。少し複雑な想いが湧いた。近年は、災害で傷んだ鉄路がなかなか復旧せず、何やら廃線になっているという例が目立つような気がしたからだ。

その復旧の歴史が在る鉄路で旭川に引揚げて少しゆっくりしていた。やがて夕方、午後4時台に旭川駅へ足を運んで入場券で入った。<花たび そうや>が稚内から旭川に帰って来るのだ。今般、キハ54の2輛連結の前後にキハ40を連結ということだったのだが、旭川に向かう際に先頭になるキハ40が好い。嘗て、宗谷線にキハ261系ディーゼルカーの特急列車が登場する前に走っていた急行列車で使用されていた車輛の外観を再現したというモノである。これを観に行ったのだ。何か嬉しかった。嘗ての急行列車には、丸いヘッドマークが掲出されていたが、今般も<花たび そうや>の丸いヘッドマークが掲出されて「雰囲気満点」だった。

実は上富良野から引揚げた後、宿の居室に入った際に30分間程の居眠りに及んだ。そんな訳で、暗くなる前から宿で寛いで居る。今般の見聞等は順次綴りたい。

「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢なので、眠気が強まれば抗わずに休む。

<十勝岳爆発災害復興60周年記念 『泥流地帯』>の文学碑…(2024.05.12)

↓こういう碑が在る。
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「三重団体」と呼び習わされた三重県からの入植者達が拓いたという地区の一隅が<上富良野町開拓歴史広場>となっている。入植者達による開拓、更に「大正泥流」からの復興の努力と、上富良野は「2回の開拓」というような経過を辿っている。そうした歴史を伝えようということである。その辺りにこの文学碑が在る。

『泥流地帯』の終盤に近い辺り、泥流災害が発生してしまった辺りの描写が文学碑には刻まれている。
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↓1984(昭和59)年に碑を建立したようだ。
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小説を読んで「何時かは上富良野を訪ねる」と思っていて、物語の背景とされた時代のこと等が紹介されている辺りに、この文学碑が据えられているのは心動かされる。

水田…:上富良野の風景…(2024.05.12)

随分と広大な地域が含まれる「上川地方」というモノは旭川を核に拡がる。その「上川地方」では様々な種類の米が栽培されている。米飯として消費する米ばかりではなく、もち米や酒米も栽培しているようだ。

「上川地方」や、北海道内の他の地域では、概ね5月中に水田に水を入れて田植えを始める。水が入ったばかりのような水田は美しいと思う。

↓そういう様子を見掛けた。暫し佇んで様子を眺めた。
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↑水を入れたばかりのような水田の水面に天が映り込む。

この様子を見て小説の『続 泥流地帯』を思い出した。小学校の教員として勤める弟に対し、「あんちゃん」こと兄は水田の復興に懸命だった。やがて「復興後、初めての収穫」が得られるようになって行く。水田を見掛けたのは、この『続 泥流地帯』のモデルになった「三重団体」と呼び習わされた農地という場所なのだ。

非常に美しいと思ったが、小説を読んでいた関係で心動かされたという面も在った。

十勝岳を遠くに望む…:上富良野の風景…(2024.05.12)

『泥流地帯』『続 泥流地帯』という、実質的に「上下巻」のようになっている小説が在る。

上富良野の少し北に在る美瑛を訪ねたことが何度も在る。美瑛で人気の「青い池」だが、アレは十勝岳の噴火災害を想定した防災工事の結果として出来た池で、見た目が面白いので評判になったという場所だ。その「十勝岳の噴火災害を想定した防災工事」という中、記録されている中で最悪の被害が発生した「大正泥流」こと1926(大正15)年5月の災害という時期に題材を求めた物語として『泥流地帯』、が知られているということが話題になる。

『泥流地帯』『続 泥流地帯』について美瑛で聞いた話しが切っ掛けで知ったのだが、物語の主な舞台となるのは上富良野である。作中には主人公の兄弟の隣人として、実在の村長をモデルにした劇中人物が登場する。未だ幼い村長の娘達が主人公達に懐き、そえが契機で隣人としての交流が始まる。小学校の教員として勤める弟に対し、「あんちゃん」こと兄は災害で手放された水田の復興に必死に取組み、村の農地の復興に熱心な村長と共鳴するのであった。

この劇中人物のモデルとなった村長が建て、泥流災害の際に多少の被害を被りながらも残ったという貴重な家が、移築されて資料館になっている。上富良野に限らず、北海道内では方々の人達がグループになって入植し、開拓をして農業に従事というような例は多く在る。劇中人物のモデルとなった村長の吉田貞次郎自身も、両親の入植に伴って上富良野にやって来て育ったという人である。「三重団体」と呼び習わされ、三重県出身者のグループが開拓した地域が在る。入植者達の開拓の後、泥流災害からの復興は「第2次開拓」というような事柄な訳で、そういう経過を紹介している資料館が、「三重団体」が活動していた辺りの一隅に在る。

その資料館だが、上富良野駅から3km弱の場所だ。旭川・富良野間の道路に出て道なりに進むと在ると、地図を見て知った。朝、上富良野駅に着いてからゆっくり歩いて資料館に向かい、見学をしてから上富良野駅側へ引揚げ、更に歩き廻って昼頃の列車で旭川へ引揚げると好いと思い付いた訳だ。

前置きが非常に長くなってしまった。

↓駅から資料館を目指した際に足を停めて眺めた様子だ。
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↑遠くの山並みの中で、薄く噴煙が見えるのが十勝岳であると見受けられる。

泥流災害から懸命に復興し、上富良野は「豊かな農業地域」というような様相になっている。遠くに十勝岳を望む中に種々の畑等が広がっているという様が「上富良野らしい」と思った。

↓多少、雲が多い。が、雲の感じも面白いと思った。
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旭川・富良野間の道路の端、歩道を進んでいたが、目指す資料館が間違いなく在るのか不安も覚えた。「770m」と案内看板で出ていて大いに安堵し、歩調が多少速まった。

↓資料館を訪ねた後、また上富良野駅側へ歩いた。再び「上富良野らしい」と思った様を眺めた。
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↓薄く噴煙が上がる山を望みながら、人々の営みが営々と続くのだ。
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正直、後から「足取りがやや重くなる…」という程度に歩いたのだが、御蔭で上富良野が忘れ難い場所になったように思う。馴染の薄い地域は、歩き廻ると発見も多いと思う。

上富良野駅到着…(2024.05.12)

↓静かな駅ながら、富良野方面へ出ようとする高校生位と見受けられる若者達が何人か乗車した。彼らが乗車しようと待っている中で下車した。そして彼らが乗り込んで車輛の扉が閉まった。
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↓駅の出口は跨線橋を渡った先だ。跨線橋から、乗って来たH100形が富良野方面へ去って行く様を見送った。
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↓最近の旭川・富良野間では、このH100形が主流、と言うより「専ら」というようになっていると思う。
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↓駅舎側に駅名標が掲げられている。
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↑北海道内の駅では御馴染のビール会社の広告が在るが、上富良野はビールの材料の一つであるホップを栽培していると聞く。

↓掲出された時刻表だ。やや運行間隔が広い感じだ。
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↓運賃表が掲出されている。
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↓平日の日中は窓口が開いていて係員が居るが、日曜日や祝日は居ない。そこでこの券売機が活躍である。
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↓古くは急行列車も停車する駅であったという。現在では「半ば無人駅」という様子である。他方、駅の真前にタクシーは半ば常駐していた。
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富良野や、(現在は廃線で行けないが…)新得との間を往来した際、この上富良野駅の辺りは間違いなく通過している。が、駅で列車を下りた経過は無い。「訪ねてみよう」とでも思えば、何かの序でというのでもなく、随意に動くことの出来る時に一寸計画して寄ってみる他に訪ねる機会も術も無いような場所だと思う。

今般、「想い」も在って、上富良野を訪ねてみたのだった。

朝の旭川駅を発つ…(2024.05.12)

↓日曜日の午前6時台である。旭川駅の辺りは殊更に静かな感じだ。
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↓切符を求めて改札口を潜る。
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↓ホームへ続く通路に続く辺りが、何となく豪華な感じで気に入っている。
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↓富良野行の列車に乗る。
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↓「6:41 FURANO」を待つことになる。
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↓エスカレータでホームに上る。
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↓乗務員も待機している中、列車が登場した。
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↓停車に向けて減速する。
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↓乗務員が準備をして、間もなく乗車可能になる。
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↓「一番乗り」だったので車輛の中の様子を写真に収めた。H100形は1列座席と2列座席を組合わせ、更にロングシートが在るという内装だ。そう言えばキハ150もそういうような感じだったと思い出した。
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今般は、この列車で上富良野駅を目指す。

建物…:<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>(2024.05.11)

塩狩駅の直ぐ傍に看板が在る。
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↓小高くなった辺りに建物が在る。
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↓こういう建物で、<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>ということになる。
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三浦綾子は3冊組の『道ありき』という自伝的作品を綴っている。その第2部に、眼前の建物に纏わる事柄が詳しく綴られていた。

『道ありき』の第1部、第2部は、「主人公の“綾子”が、教員の職を辞した後、考えていた結婚を病気の故に諦めるが、長い療養生活の中で伴侶に巡り合い、結婚する。そして小説家になって行く」という“小説”という風で非常に興味深い。

結婚後、最初に住んで居た借家を出るということになった際、住まいを見出そうとするのだが、結局「思い切って建てよう」ということになった。それがこの建物で、三浦綾子はここで「三浦商店」という雑貨店を営み、傍らで創作活動もしていた。懸賞小説で、三浦綾子が作家デビューする契機となった『氷点』は、この家で綴られていた。懸賞小説の「12月31日消印有効」という当日、深夜2時頃に完成し、パートナーの三浦光世が街の郵便局の本局へ足を運んで送ったらしい。それが「作家三浦綾子」の登場への道を拓いたことになる。

↓聖書の言葉や教会の催事案内を貼り出したという小さな掲示板も再現されている。味わいの在る建物だと思った。
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1970年代に夫妻は別な家に移った。年月を経て、この建物が解体されることになった時、想い出多い家が完全に姿を消すことを夫妻は酷く惜しんでいたのだという。そこで有志が「あの『氷点』が綴られた家」ということで、部材が綺麗に残るように手作業で解体して部材を保管したのだという。

この家では、非常によく知られた作品である『塩狩峠』も綴られた。それを踏まえ、この塩狩に家を再建した。新築部分の展示交流コーナーと合わせて<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>ということになり、1999年4月にオープンした。

オープンの際には三浦夫妻も訪れている。三浦綾子は、当時は病身であって、その年の10月に他界してしまった。オープンの際の写真が館内に在った。想い出多い家で嬉しそうな三浦綾子の様子、傍らで見守る三浦光世の様子が凄く記憶に残る感じだ。

↓稚内から列車でここを訪れるのであれば、早朝の列車から乗り継いで塩狩に至り、昼の列車で旭川に出るというのが、開館時間の中で中を見学する最も現実的な方法だと思った。
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色々な作品に親しんだ作家に所縁の場所を訪ねてみるのは興味深いものだ。

塩狩駅到着…(2024.05.11)

↓静かな駅で下車した。
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↓早朝の稚内駅を発って名寄駅に到ると、このキハ54ディーゼルカーは名寄駅の3番線で待機する。やがて、旭川駅へ向かう快速列車となる。
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↑早朝からずっと御世話になった車輛を眺めた。

↓塩狩駅に到った。
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↑「天塩国」と「石狩国」の境界辺りということで「塩狩峠」と呼ばれる辺り、峠を上った辺りに在る駅だ。駅名は「塩狩峠」に因むモノなのであろう。信号所であった場所を駅にしているそうだ。

↓旭川方面へ進むキハ54ディーゼルカーを見送った。
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↓振り向けば駅舎が在る。無人駅だ。
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↓基本的に列車の乗降は駅舎前の1番ホームだが、一部の列車が2番ホームになる旨の案内が出ている。この場所で列車の行き違いが在るためだ。
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何度となく稚内・旭川間を列車で移動しており、その都度にこの塩狩駅の辺りは通り過ぎている。初めてこの駅で下車してみた。

旭川駅…(2024.05.11)

旭川に着いて、街を歩き廻った。旭川銀座商店街に至り、そこから9条、8条に至って西側に進み、更に駅の辺り迄、随分と歩いた。

↓いい加減に足取りが重くなった辺りで旭川駅に到った。安堵感のようなモノを覚える。
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駅のロッカーに預けた荷物を引き取り、宿へ向かった。充実した1日だった。

旭川駅到着…(2024.05.11)

↓旭川駅に到着した。
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↑名寄駅で停車している様子を見たことも在ったH100形に塩狩駅から乗車した。車内は少し混み合っていた。名寄・旭川間の移動手段として、列車は存外に人気が高いと見受けられる。このH100形で、名寄側から旭川に着いたのは初めてであるような気もする。

↓旭川駅の雰囲気に、このH100形はよく似合うような気もする。暫し眺めていた。
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↓直ぐ脇に、網走へ向かう特急列車が待機中だった。キハ283系ディーゼルカーだ。
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↓車輛に網走をイメージした画が入っていた。
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今般は、旭川を拠点にしながらゆっくりと過ごすことにした。

<第一市場>:旭川銀座商店街(2024.05.11)

↓古色蒼然という感じで少し驚き、注目した。
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↑旭川銀座商店街の一隅、車輛が行き交う道路の辺りに覗いた建物の組み合わさったモノである。

↓商店街側が正面入口のようだ。テント生地と見受けられる軒の「年季の入り方」が凄い。
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↑手前の御店は営業中のようだ。敢えて中には入らなかったが、旭川の街では古くから商店等が集まっていたという地区に重ねられた「時間」を感じた。

街を歩き廻り、こういう場所に出くわすのも少し面白い。