<焼売酒場 つつみ 旭川本店>…(2023.11.03)

夕食を摂ろうと街へ出た。少しだけ雨が交った感であった。

↓雨に濡れた路面に、辺りの御店の灯りが跳ね返って、何か面白い様子に見えた。
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↓近付いた。振り返れば7月に立寄った経過が在った場所だ。
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↓ハイボールをゆっくり頂き、料理の登場を待った。
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↓トマトのスライスを御願いした。
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↓揚げ餃子を頂いた。
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↓焼いた餃子は何やら薄い皮が付く感じが面白い。
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以前に寄った際にも頂いて美味しいと思った焼売を再度頂くことが叶った。
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↓蒸餃子も好い。
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↓そして独特なソースを点けた水餃子も好かった。
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こういうような、好みの焼売や餃子を随意に御願いしてゆっくりと頂くような感じも、少し好いと思う。なかなかに満足して宿に引揚げたのだった。

<サキソフォン吹きと猫>…(2023.11.03)

↓少し街を歩き、旭川駅側へ進む中で眼に留めた。何時もの“セッション”は継続中だ。
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↓旭川へ立寄る都度に「どうも!また、こちらに御邪魔しました…」とでも声を掛けたくなるような、何となく親しんだ像である。
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↓何度観ても「全くの等身大の像がベンチに座っている」という様子は面白いと思う。
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落葉…:旭川(2023.11.05)

好天に恵まれた日曜日ということになった。旭川で思い付くままに歩き廻った。

夏が過ぎる程に暑かった、温い空気が少し長く続くと、紅葉または黄葉の情況が微妙だったと聞く。そしてその紅葉または黄葉の時季は、半ば過ぎようとしている。言わば「終盤」という雰囲気でもあった。

↓緑地に黄色系の葉が散らばっていた。北国では黄葉というのも目立つ。
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↓晩秋の蒼天に、灯りでも灯したように、黄葉の木が散見する。旭川ではこういう都市緑地や道路脇の木々が存外に立派だ。(逆に、日頃暮らす稚内は、諸条件によってやや貧弱になっているのかもしれない…)
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上川神社辺りから街の側へ、概ね南から北へ進むと、都市緑地のように整備された箇所が散見し、各々の呼称等を確かめるのでもないが、散見する木々の様が好かった。

↓やや厚目に黄色系の葉が散らばっていた様子を暫し見入った。
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こうした「時季ならでは」という様子は好いものだ。今般、思い付いて旭川を訪ねて過ごし、こうした様子に出遭えたというのは幸いであった。

招き猫…(2023.11.04)

旭川の街中で夕食を軽く摂り、宿へ引揚げようと歩を進めた。

↓こんなモノを眼に留めた。
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↑なかなかに凄い数の招き猫だ。

少し気になったが、如何いう意図で集められて飾られているのかは不明だ。特段に何かが掲出されているのでもなかった。或いは、近所に招き猫に因む名を冠した御店でも在るのか?

こういう少し面白いモノには訳もなく眼が向き、カメラを提げている場合には撮ってみたくなる。

「水道メータ」…(2023.11.05)

好天に恵まれていた旭川に在って、結果的に「精力的に歩いた」ということになった。少しばかり「足取りが重めに」という程度にもなってしまっていた。

眼に留まったコンビニに立寄り、飲物を求めて御店の辺りに佇んで飲みながら一息入れようとした。

↓こういうモノが眼に留まった。所謂「マンホール」よりもかなり小さい感じがした。が、仕組みとしてはマンホールのように金属の蓋で、舗装した地面に開けた何かの目的の穴を塞いでいることに違いは無いであろう。
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↑水道関係の機器が埋められているのだと思われる。蓋のデザインが旭橋であるようで面白い。

「足元に眼を留め、提げていたカメラを使う」というようなことは「歩き廻る」という中で出来ることだ。故に出先でも積極的に歩き廻る。と言って、その距離が酷く長い感じになる場合、何日間も「そう言えば歩いた…」という感覚が残存してしまう。何時迄も凄く若いというのでもないことに気付かされる。

ポークソテー…(2023.11.06)

雨交りな中に出先から戻り、雨が弱くならない中で所用を足し、何か中途半端な時間帯に帰宅した。雨に濡れた衣類の一部を替えて一息入れた。

やがて「酷く空腹…」ということに思い至った。朝、列車に乗る以前に滞在中だった宿の朝食を頂いたが、以来特段に食事を摂るというのでも、何かを摘んだということでもなかった。飲物は飲んでいたが。

↓午後5時頃、御近所の御店で営業中であった場所の中からここを訪ねてみた。
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↓量感の在る肉…ポークソテーを頂いた。
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このポークソテーに大満足で帰宅したのだった。そして午後6時台に横になり、何やら深夜に至る迄、深く長く眠ってしまったのだった…

<辛味噌らーめん>…:<山頭火>旭川本店…(2023.11.05)

朝8時台から動き始め、ずうっと歩き廻った。途中に日帰り入浴施設を利用したということは在ったが、歩き廻る距離が自身の基準でやや長くなり、何か足取りが少々重い感じにもなった。

↓宿に向かう前に買物に寄ろうとしていた。その買物への道筋でこの御店を眼に留めた。
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↑なかなかの人気店で、御店の前に行列が出来ている場面も多い。行列の場所まで設えられている。が、午後2時頃というような中途半端な時間帯で、特段に行列も見受けられない。

↓宿の朝食を摂った程度なので、何か空腹であった。立寄ってみた。
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↓「御一人様ですか?」と直ぐにカウンターの空いていた席に通された。
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↓「辛味噌」を御願いした。「辛い」と言って、自身の感覚では「仄かに」というように思う。程好いバランスだ。
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↓この御店のラーメンは洗練されていて完成度が高いように思う。スープと麺とが巧く絡み、具材も適切である。
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時にはこういう一杯も好い…

<上川倉庫> 事務所棟等…(2023.11.05)

↓旭川の宮下通を歩くと、こういう様子が見受けられる。
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↑午後の光線で、寧ろ陰になっている感ながら、旧い建物の輪郭が光線に浮かび上がる感じだ。

<上川倉庫>は明治中期頃に起こり、物流に伴う倉庫業を手掛けて来た会社だ。煉瓦造の倉庫を多く持っていた。その煉瓦造の倉庫と事務所棟とが、建築の歴史という見地でも貴重であることから、現在は店舗や文化施設として利用されている。それが見える辺りを歩いたのだ。

こういう眺めは好きだ。

帰着…=運行日誌(2023.11.06)

雨交りな稚内に列車で着き、無事に帰宅した…

少し長く、また深く眠った中で朝を迎えた。存外にスッキリと醒めた。何やら「動けない…」というようにも思えた前夜の様子、「電池切れ?」というような様子が、少し普通に戻ったというようにも感じられた。この数日、眠っていた時間がやや短めであったかもしれない。その分をやや長く眠って取り戻したのかもしれない。睡眠で、人は身体の調子を整えているということなのであろう。そういうように思うが、年齢を重ねる中で、調子を整える機能の“力”が弱くなっている、または身体を使った後の“損耗”を感じる迄の時間を要してしまうというようになったのかもしれない。そんなことを想うことが増えたような気もする。

列車での移動を前に、宿の朝食を摂る前の時間帯に散策にでも出てみることを思い付かないでもなかった。が、移動後に細かい用事を足すというような事柄も思い出し、宿の居室で出発迄寛ぐということにした。そして「ウォーミングアップ」とでも言うのか、居室で飲むモノを仕入れに近くのコンビニへ歩いた。前日、宿に引揚げようというような頃には、些か足取りが重くなっていた。2日間連続で随分と歩いたが、前日にはその距離がなかなかのものになってしまっていたのだから、そういうことも在るであろう。コンビニへの足取りは軽かった。概ね平常のような様子で善かった。

宿の朝食は、「会場が混み合うので…」と弁当ケースのようなモノで居室へ持ち帰るのが専らという様子が多かったが、この朝は会場が混んでいなかったので、久し振りに会場でゆったりと頂くことも叶った。何か幸先が好い感じだ。他方、明るくなり始めた後は朝から曇天で、少しばかり薄暗い気がしないでもない。

やがて宿の朝食を摂り、寛いでから遅れないように駅へ向かい、やって来た列車に乗った。以降?車中では随分と長目に居眠りに陥っていた。意外に早いと感じながら稚内駅に着いた次第だ。

今般の見聞等は追って整理する。とりあえず無事に帰着し、これから細かい用事でも足すようにしたい。

<高砂酒造>…:旭川(2023.11.05)

↓明治時代からの建築というモノは、現在の街中では酷く目立つと思う。
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↓様々な理由は在ったのだと思うが、旭川は酒造業が栄えた経過が在り、現在でも酒造会社が立地している。この<高砂酒造>もそうした会社の一つだ。
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↓旭川駅前の宮下通を進んだ辺りで、比較的訪ね易い場所に在る酒造会社だ。
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↓酒造業者の間では伝統的な、そして御馴染の“杉玉”も在る。
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↓こういう古い時代の部屋の感じも伝えられている場所だ。
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↓明治期から昭和初期の商家の部屋という風情がよく伝わっていると思う。
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↓暫し眺め入っていた。
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↓こういう旧いロゴマークは趣深いとも思う。
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↓清酒醸造に関連する情報ということで、精米に関する展示が在って、何か興味深かった。
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↓売店で甘酒が売られていた。求めてみたが、これが美味かった。
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↓酒粕を溶いて作る甘酒という感じで、何か久し振りに頂いた。
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↓旭川に在っては「立寄り易く、同時に興味深い」という場所だと思う。
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「罪から清められた人は幸い」…(2023.11.05)

旭川の街を、朝から午後までにかなり長く歩き廻った。もっと寄ってみたい場所も在ったが、何から酷く歩き廻って、終いに「足の動きが好くない?」という具合、所謂「足取りが重い」という状況にも陥り、遅い昼食と一寸した買物という時間を経て宿へ引揚げ、早朝迄休んだ。

↓そういう日の午後にこんなモノに出くわした。
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↑「余り顧みられていない?」という風な、鉄道の脇の空地を囲う、草が酷く伸びた感じの場所を囲う古びたフェンスに掲出された看板だ。

人の“罪”なるモノは簡単に「清められる」という性質なのだろうか?誰しもが各々に“罪”とでも名付けるべきモノを負って人生を歩むのであれば、それが簡単に清算されるモノとも思い悪い。が、そういうモノが清められるのであれば、それは「幸い」とでも呼ぶ他に無いであろう。

「見過ごしそうな…否、多くの場合に見過ごしているであろう看板」だが、何か考えさせられた。

眞久寺…:旭川(2023.11.03)

旭川に着いて<ちろる>で一息入れてから更に歩いた。

↓「寺だ…」と思えば、何やら英語の看板が掲出されている。
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↑「Shingon-Buddhism Chisan-sect」というのは?「真言宗智山派」のことだ。こういう英訳になるのであろうが、「「Shingon-Buddhism」が英語話者の間で如何程に「判る」のかが不明だ。更に「Chisan-sect」の「智山派」である。そういう余計な事も思ったが、旭川の真言宗智山派の寺というのは興味深い。

「真言宗智山派」だが、これは空海が開いた真言宗の一派で、興教大師覚鑁(かくばん)(1095-1144)による「新義真言宗」に根を持つ一派だ。高野山の内部での対立が深まり、後に「新義真言宗」というように呼ばれた考え方の人達は根来寺に拠るようになった。時代が下り、根来寺は地域の一大勢力となるのだが、豊臣秀吉政権によって制圧されて荒廃した。そういう中で「新義真言宗」の活動を続けた人達は在った。徳川家康の時代になって、京都の智積院が起り、そこを本山とする活動をする人達が「真言宗智山派」というようになって行く。

その智山派は、明治期に開拓が進められる北海道での活動を企図した。1892(明治25)年に旭川村で寺が起り、1907(明治40)年に「成田山眞久寺」と号するようになった。それがこの、旭川の街に在る眞久寺が登場した経過ということになる。

↓何か「真言宗の寺」という雰囲気が濃い本堂だ。
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↓無事に旭川に着いたが、日頃の安寧に感謝しながら参拝をした。
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↓独特な趣が在る建物だ。
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↓脇の六角堂も美しかった。
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↓寺務所に立寄って御朱印も頂いた。
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↓北海道内の霊場巡りの御朱印が在る。
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↓そして大黒天で3種の御朱印が基本だ。
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↓そして限定の切り絵の不動明王が在って、現在こちらで頂ける計4種の御朱印を集めてしまった。
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眞久寺の礎が築かれたという1892(明治25)年頃と言えば、旭川辺りの開拓が本格化するような時代であったのだと思う。開拓されて行く各地では、その開拓の比較的早い時期に社寺も起こされている。そういう経過を想い起させる眞久寺だ。同時に、「成田山」の不動明王信仰の流れを色濃く汲むのが「真言宗智山派」の寺で、眞久寺もそういう流れの寺なのだと思う。

何となく辺りを歩き廻って、少し興味深い場所に出逢うことが叶った。こういう出逢いには感謝したい。

<ちろる>…:旭川(2023.11.03)

列車で旭川駅に着いた後、嵩張るモノをロッカーに預けて少し街を歩いた。

↓何となく眼に留まった様子だ。
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↑少し古い建物に入っている御店と見受けられた。

↓聞き覚えが在る<ちろる>という名。老舗の喫茶店だ。
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↑一寸立寄ってみた。初めてだった。

↓こういう中は雰囲気だ。
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↓席に着いて少し寛ぐこととした。
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↓何方かが寄贈したのだと思われる<ちろる>のマッチ箱のコレクションが飾られていたのを眼に留めた。
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<ちろる>という喫茶店は1939(昭和14)年に起こったそうだ。現在の建物での経過も長い。2011年頃にこの建物の内装を改め、店名を受継いで現在の御店になっているということであった。最近読了した小説『氷点』は1964(昭和39)年に発表されていて、作中の主要な舞台が現在の旭川市内であるが、そんな時代には既に営業していて知られていた御店だった筈だ。小説『氷点』にも、作中人物が立寄る喫茶店としてさり気なく<ちろる>と出て来る。多分、作者も立寄っていたのだと思った。

↓ブレンドの珈琲は“深煎り”、“中煎り”、“浅煎り”から択ぶ。“浅煎り”を所望した。苦み以外の珈琲の味が前面に出るような感じで、こういう感じも意外に好きなのだ。
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↓未だ午前中で、所謂「モーニングセット」を御願いした。こういう具合にトーストとゆで卵が供された。
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↓ジャムが択べるようになっていた。ブルーベリーを所望した。
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↓パンにブルーベリージャムを載せた。小さな瓶の中身で適量だった。
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↓未だストーブは点いていなかった。
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↓動かなくなってしまっているというが、旧い時計が飾られていた。この御店に流れた「時間」を象徴しているような気もした。
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↓少し感じが好い場所と出逢えた感じだ。
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鴻上覚一翁像…:美瑛・白金(2023.11.04)

↓些か失礼な言い方に聞こえたら勘弁して頂きたいが、気付いた時に「誰?」と思った。
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白金温泉の地区、<白髭の滝>へ向かう辺りの駐車場の脇に在った胸像だ。

↓「政治家の胸像?」という程度に思った。
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↑この人物は元美瑛町長の鴻上覚一である。

1947年(昭和22)年から1955(昭和30)年迄の2期8年間、美瑛町長の任に在ったという人物だ。1955(昭和30)年の選挙に敗れ、1959(昭和34)年の選挙に再度出馬したが、前回と同じ相手に敗れてしまった。以降、選挙公職歴は無いようだ。

白金地区にこの元町長の胸像が在るのは、「白金」という名を付けた人物と考えられるからだ。

十勝岳の観光開発を企図した鴻上町長であったが、温泉の開発を目指した。1950(昭和25)年に温泉が発見された。「泥の中にプラチナを見出したような」とその喜びを表現したという。それに因み、辺りをプラチナを意味する「白金」という字を宛てて「しろがね」と呼ぶようになったのだという。

↓胸像はこういう具合に佇んでいる。
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実は何度も辺りを通っていながら、この胸像のことは承知していなかった。温泉発見当時の町長の言という、「白金」の命名に纏わる挿話は何度も聞いていたのだが、その故事がこういう形で伝えられていたことは知らなかった。歩き廻り、路線バスが現れるのを待つということをして、これを知った。こういうのも悪くない。

とりあえず歩いた…=運行日誌(2023.11.05)

連泊中の宿の居室で寛いで居るのだが…午後4時前に戻って、そこから出ていない。居眠りに陥り、気付けば暗くなっていた。昼食はやや遅かった。そして前日に求めた<びえいのラスク>が何となく在った。そのうちに試食する意図は在ったので、何やら「夕刻のおやつ」ということにしてしまった。そして「何時でも休んで頂いて結構です」という態勢だ。

深夜帯に起き出し、そのうちに少し休みという感じ、そしてまた起き出すを何回か繰り返した。午前6時前に窓辺を観て起き出した。朝陽が上がって行く様を眺めた。好く晴れた朝となっていた。宿の朝食を摂り、何やらのんびりと過ごした。8時20分頃から動き始めた。自身の基準では少しだけスロースタートだ。

やがて<外国樹種見本林>と同時に<三浦綾子記念文学館>が在る辺りへ歩き、想像以上に興味深いので、想定以上に長く過ごした。そこから神楽岡辺りの日帰り入浴施設を訪れてサウナを利用する等した。上川神社に立寄って参拝し、旧い鉄道関連建築を使っているという<市民活動交流センター>の辺りを通り、高砂酒造辺りを歩き廻り、やがて都心部へ出てラーメンを頂き、書店に立寄り、宿に戻る前にコンビニで飲物を少々仕入れた。

ネット上のマップで「ルート検索」を試みたが、上記に挙げたような場所を最短距離で結んで歩いただけで8㎞弱で、「周辺を歩き廻った」が加わると、何キロ歩いたのかよく判らない。前日も美瑛で相当歩いた。前々日は動物園と少々であったが。何やら「歩き続けた数日」である。正直、脚の動きが悪くなって来た…

文字どおりに「何時でも休んで頂いて結構です」という態勢で明朝をゆったりと迎えたい。

Merry Christmas…(2023.11.04)

↓旭川駅にも直結の商業施設の、宮下通側の入口である。
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↓11月の「4日」なのだが…何やらクリスマスソングも流れていた。個人的にはやや驚いた。
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今季、この種のモノを見た最初の例かもしれない…「綺麗で賑やか」というのも悪くないかもしれないが…

夕刻の<青い池>…:美瑛・白金(2023.11.04)

「11月1日から年を跨いで4月30日迄」と聞いたが、<青い池>では夜間にライトアップが催行される。現在の時季は午後5時頃に始まるようだが、それを観に行く観光協会のバスが在る。それに乗車しようと美瑛に足を運ぶことにしたのだが、何となく早朝から動いていた。そして待望の夕刻である。

↓照明に浮かび上がった<青い池>である。
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凍った、積雪したという様子でのライトアップは何度か観ている。そういう時季に入る以前のライトアップは今般が初めてであった。

↓ローテーションで光量や光の角度が変わる。
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↓数人しか居なかった早朝とは異なり、辺りには来訪者が溢れる中で、余り動き回れずに眺めていた。
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↓強引にカメラを「手持ち」で撮影した。
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↓幽玄な様子だと思った。同時に…夏季には虫が集まって、こんなにライトは使えないであろうというような、野暮なことも思わないでもなかった。
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「色」が「売り」な<青い池>を、敢えてモノクロでも撮るというのは、個人的には何やら愉しい。そこで何時も挑んでいる。

このライトアップも今季で10年目であるそうだ。知名度も上がっている。

朝の<青い池>…:美瑛・白金(2023.11.04)

早朝の列車で旭川駅から美瑛駅へ移動し、美瑛駅前停留所―同名の停留所が幾つか在る。その中の一つ、旭川信金の支店の前に在る停留所―から<青い池>まで路線バスで移動した。そうやって訪ねたのも久し振りだ。

↓実に静かだった…
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↓曇天で、時季としては温いような空気感だった。
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↓十勝岳噴火時の泥流に備えた防災工事の結果、川の水が森に流れ込んで池が形成された。辺りの木々が立ち枯れになってしまい、何か独特な様子が形成された。
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↓何度でも会いたくなる光景だ。
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この<青い池>から<白髭の滝>の辺りまで3km余りと聞いていた。なるほどその程度だ。その道程を歩き、やがて白金温泉停留所からバスに乗って美瑛駅前停留所へ引揚げた。

エゾリス…:<外国樹種見本林>:神楽:旭川(2023.11.05)

<外国樹種見本林>を訪ねる」というようにも「<三浦綾子記念文学館>を訪ねる」というようにも言い得る状況だと思う。

三浦綾子の作家デビュー作品で、大好評を博して現在も読み継がれている(因みに自身も最近読了した…)小説『氷点』の物語の舞台のモデルに
なっているのが<外国樹種見本林>である。その「所縁の場所」の際たるものである場所に<三浦綾子記念文学館>は在る訳だ。

自身はとりあえず、<外国樹種見本林>を旭川駅東口の宿から歩いて訪ね、<三浦綾子記念文学館>を興味深く見学する時間を挟んで林を散策した。好天に恵まれて快適であった。そういう中である…

↓静かな林で「何か動いた!」と些か驚いた。
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↓「速い!」と注目した。
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↓木の根元や木々の間の落葉の地面を駆けるばかりではなく、素早く木にも上り、そして撥ねる。
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↓何やらなかなかの運動量に驚く。林の住民たるエゾリスである。
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↓複数の個体が各々に動き回っている。何か「木々の間で蠢く忍者」を連想した。木の間隔が然程広くない箇所では、木から木へ飛び移るような動きまで披露していた。
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↓忙しなく動き回るエゾリスだが、時には短い時間ながら立ち止まる。
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↓晩秋の陽射しが眩しい箇所でも撥ねるように駆け回っていた。
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↓「エゾリスも生息する<外国樹種見本林>」と聞いていなかったのではないが、こんなにアッサリと出くわすとは予期していなかった。
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同じ種類、または亜種ということになるのだと思うが、サハリンのユジノサハリンスクでリスを見掛けた記憶は在る。と言って、北海道内で見た記憶は殆ど無い。こんなにアッサリと出くわしたのは驚きであるが、或いは冬季を前に積極的に活動する時季であったのかも知れない。またこの「林の忍者」のようなエゾリスにも御目に掛ってみたい。或いは「神楽地区のマスコット」というような存在感も放っているのかもしれない…

<三浦綾子記念文学館>:<外国樹種見本林>:神楽:旭川(2023.11.05)

<外国樹種見本林>の入口辺りにこんな建物が在る。
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↓直ぐ隣にはこういう建物も在る。
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<外国樹種見本林>の入口辺りからは、こういう具合に2棟並ぶ感じにも見える。出入口を経由して、2棟の中に各々に入ることが出来る。
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↓この建物が作家の作品や人生等を紹介する<三浦綾子記念文学館>である。
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↑1998(平成10)年に開館した民営の記念館ということである。

↓<三浦綾子記念文学館>のあらましと、三浦綾子と彼女を支え続けた夫の三浦光世の概要等を綴ったリーフレットが在る。加えて三浦綾子の小説『氷点』の物語の舞台のモデルになっている場所等を詳しく紹介したリーフレットも在る。
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中の展示品では、三浦綾子が愛用した万年筆や取材旅行で使ったという小さなカメラ―「昔、こういうの在った!!」と自身では似たようなモノを触ったことは無いが、思わず見入った…―が何か記憶に残る。

また旭川に在って小説家デビューをした三浦綾子は旭川に住み続け、若い頃に病気を患った経過も在る彼女を夫の三浦光世が献身的に支えた。何時しか、2人で「綾子が後述する案を光世が原稿用紙に綴り、話し合って校正する」というような創作方式が定着したようだ。その“現場”である旭川市豊岡の御自宅に在ったという部屋を再現した展示は強く惹かれて見入った。脇に偶々読了して日が浅い小説『氷点』に纏わる解説も掲示されていて面白かった。

そして企画展は、ほぼ同年代の作家である遠藤周作に纏わる展示が在って興味深かった。

何か、凄く好い感じの場所に出逢ったような気がしている。早くも訪問の余韻に浸っているというような感じだ。

<外国樹種見本林>:神楽:旭川(2023.11.05)

↓こういう場所が在る。
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北海道の開拓が進む中、気候に適した樹木を植えて、森林資源を護り育むという問題意識も高まった。そういう中、外国由来の樹木も含めて植樹を志向する動きが在って。1898(明治31)年にヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツ、ストローブマツの苗木を初めて植栽して始まったというのが、この旭川市神楽に在る<外国樹種見本林>である。長い歴史を有していて、外国樹種を中心に本州からの移入種、北海道郷土種を含めて約50種の植栽がされている。1970(昭和45)年には国有林の制度である自然休養林に指定され、旭川での人々の憩いの場として親しまれているという。

というのが<外国樹種見本林>の説明なのだが、もう少し違う言い方をする方が通りが良いかもしれない。三浦綾子の小説『氷点』の物語の舞台のモデルになっている場所だ。旧いベストセラー小説ということになる三浦綾子の小説『氷点』だが、実は自身では偶々最近になって読了した。そういう中で「あの小説の舞台のモデルになっている<見本林>は、旭川駅から然程遠いのでもなく、旭川で時間が在れば訪ね易い筈。他方で、訪ねた経過が無かった…」と思い立ち、足を運んでみたのだ。

この<見本林>の辺りには、小説『氷点』にも因み、作家の作品や人生等を紹介する<三浦綾子記念文学館>が設けられている。その開館に概ね合わせて朝に足を運び、<三浦綾子記念文学館>を見学したが、その前後に<見本林>を少し散策した。

↓何やら木々の幹に蔦が絡まっているというような場所が在った。
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↓好天に恵まれ、光の感じが好かった。
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↓辺りは落葉が寧ろ目立つ様子だった。
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小説『氷点』にも登場している堤防の辺りだ。
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↓堤防の辺りは歩道が整っていた。
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小説『氷点』に出て来る挿話を少し想い起しながら、林の中の路を歩き廻ることが出来る。
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↓現在の時季なので、こういう足元が目立った。
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↓散見する「黄葉」の木が何やら凄く目立った。
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↓正に「人々が憩う場」という感じだと思った。
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↓見学した<三浦綾子記念文学館>も興味深かったので、何となく事前に思っていた以上に長くこの場に在った。
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晩秋にこの場所と出逢ったということになる。何れ、時季を変えて立寄ってみたいとも思いながら引揚げた。

「鮭ぶしらーめん」…:<一蔵>(2023.11.04)

朝5時台から午後7時台迄外で動いていた1日ということになった。美瑛へ出て、旭川に引揚げたが、旭川駅に到着した足で街を歩いた。夕食を摂ろうとした。

↓何気なく立寄った御店で、メニュー表の表紙に何やら興味深そうなモノが紹介されていた。
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↑鰹節のノウハウが豊富な鹿児島県枕崎市の業者に、北海道の鮭を送って「鮭節」を造って頂き、それを使った出汁のスープというラーメンが在るという。枕崎市は稚内市と友好交流が在る。一度訪ねた想い出も在る。その枕崎と北海道との協働というモノが使われている訳だ。

↓北海道ではラーメンと言えば、スープが3種類在るのが何となく普通だ。この旭川の御店の「鮭節」の出汁のラーメンも、醤油、塩、味噌の3種類が用意されている。
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↑塩を所望した。

↓現れた!透き通った、出汁が利いたスープだ。
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↓色々な出汁が在るが、魚の旨味が溢れるようなスープで、麺もそのスープが巧く絡む。
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↓サイドに鶏肉を使った「やみつきギョーザ」を御願いした。
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↑辣油に塩を加えたモノ、醤油、オリーブオイルと3種の調味料を適宜点けて頂く。「こういうのも在るか…」という美味い餃子だった。

↓旭川の街中で、少しは知られた御店だ。偶々、自身は初めて立寄った。
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店内は地元の家族連れや若者が目立つ感じだった。こういう「地元で親しまれている」を愉しむのが出先では嬉しいものだ。

宵に…:<サキソフォン吹きと猫>…(2023.11.04)

朝5時台に旭川から美瑛へ向かい、1日を過ごし、旭川へ戻ったのは午後7時台だった。旭川駅を出た足で、何か夕食を摂ろうと街を歩いた。

↓「土曜日の宵の一寸した賑わい」という風情も感じられる様子だった。
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↓朝の曇天が日中から夕刻に好転し、時季としてはやや温かった空気が少し冷たくなった宵だった。何時もの“セッション”だ。
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↓毎度ながら「音が聞こえそう」という気がする。
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この<サキソフォン吹きと猫>は何時出くわしても好い感じだと思う。カメラを提げていると、一寸撮ってしまう。

ポトフ…:<おきらく亭>:美瑛(2023.11.04)

↓美瑛の本通にこういう御店が在る。
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↑この辺りは、三角屋根を採り入れたデザイン、御店等は創業年を西暦の数字で記すというような原則で街並み整備を進めた。電線等は地下に埋設したようでスッキリした眺めである。この御店もその原則で1993年という創業年が記されている。

↓昼食には好適な時間帯と思ったが、営業は始まっていた。
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↓立寄ってみた。
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↓メニュー表のトップに「ポトフ」が在る。この御店の代表的な料理ということのようである。
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↓オードブルということで、野菜が供された。これが美味い。
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↓そしてポトフだ。
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↑ポトフはフランスの家庭料理で、野菜や肉をゆっくりと煮込んだモノで、スープも美味い。

↓各種野菜と鶏肉で、柔らかく煮込まれていて凄く好い感じだった。
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↓スープのおかわりを1杯頂ける。
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↓食後に珈琲を頂いた。
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「街角の気軽に立寄れる洋食の御店」という風なのだが、手の込んだフランス風家庭料理が愉しめる。これは好かった!

「←富良野33㎞・旭川27㎞→」…:美瑛駅前(2023.11.04)

「若干、日が傾いた?」と感じられるような頃、美瑛駅の周辺に在った。

↓こんな様子を眼に留めた。
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↑「←富良野33㎞・旭川27㎞→」と在った。

33㎞と27㎞との差である6㎞を歩くと存外に時間も要するが、自動車や列車というような乗物であれば大きな差でもない。そういう意味で美瑛は「富良野と旭川との中間地点」というような感を強くした。少し大きな街である「旭川」に対して「富良野・美瑛」というような言い方をすると思う。が、美瑛は「富良野」よりも「やや旭川に近い」ということになるのかもしれない。美瑛町も広いので、駅前の看板だけで語り尽せない面は在るのであろうが。

自身は立寄り易く滞在場所の選択肢も色々と在る旭川を起点に美瑛を訪ねる機会が多い。振り返ると、2023年は何となく訪問頻度が高かったかもしれない。「だから?」という話しだが…

午前5時20分頃…(2023.11.04)

↓「“深夜”の風情」だと思いながら、提げていたカメラを使った。
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↑滞在中の宿に近い<セブンイレブン>だ。早朝である…

未だ暗い早朝、こういう「24時間営業」の御店から漏れる灯りは目立つ。そして惹かれる…

雨交りな宵に…:<サキソフォン吹きと猫>…(2023.11.03)

夕食を愉しもうと街へ出た。多少の雨は交ったが、歩き悪いという訳でもなかった。

↓雨交りでも“セッション”は催されている…
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↓何か“音”が聞こえるような気がしないでもない…
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↓旭川の都心では、通る都度に何となく眺める像だ。
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こういう「馴染んだ様子」は好いが、雨交りな中では面白い風情になると思う。

美瑛へ…=運行日誌(2023.11.04)

勝手な言い草ながら「旭川の別宅」という気分の場所となっている宿の居室で寛いで居る。「夥しい数」ということになってしまうのかもしれない。1日に撮影した(モノクロ)写真を何とか整理していた。「動いた…」という感の日だった。

少し早めに眠気が射し、抗えずに休み、何やら「深夜…」に起き出した。再度眠るということもし悪く、暫く起きていて、やがて再度休むことにした。それでも早目に起き出してしまった。

こういう時は早朝から動くに限る。5時15分かそれ位迄に身支度を整えて出た。

早朝の列車で美瑛に出た。そして路線バスで「青い池」を目指した。そこで愉しんだ後は白金温泉まで歩き、やがてバスで美瑛駅周辺へ引揚げた。

実は「ライトアップ」ということで、「青い池」を夕刻に訪ねるという、観光協会のバスが在って、それに乗車してみようとしていた。その時間まで美瑛町内に在った。

何となく収穫であったのは、郷土資料館の企画展で、美瑛の街並みの変遷に触れる機会が在ったことだ。旧い地図と写真とで見せる展示が凄く面白かった。昭和28年頃、昭和45年頃、昭和60年頃と並べていた。昭和27年に完成したという美瑛駅の建物は、その時代から現在まで変わっていない。壁に「美瑛軟石」という石材を使用している。明治44年頃から昭和40年頃迄、美瑛町内で石材を切り出していたらしい。そういう変わっていない美瑛駅の周りは変わり続けていた。現在では「御伽噺?」という麗しい街並みが整っている辺りになるが、昭和20年代から昭和50年代の様々な建物が在った様子の写真も興味深かった。

結局、「青い池」や「白髭の滝」は朝と夜に観たというような感じで興味深かった。

旭川へは午後7時頃に引揚げ、ふらりと辺りを歩いて「鮭ぶしらーめん」というモノを夕食として頂いた。これが酷く美味かった。北海道の鮭を、(鰹節の豊かなノウハウを有する)鹿児島県枕崎市の業者に依頼して「鮭節」に加工し、それを利用した出汁を使った塩ラーメンだ。一寸好いモノを知った。

美瑛の見聞は追って纏めることとしたい。「青い池」と「白髭の滝」との間の3km余りを始め、相当に歩いた。明朝はゆっくり過ごして差支えないのだ。今夜は、眠気に抗い悪くなった時点で眠るというだけのことだ。

旭川駅到着…(2023.11.03)

↓「他所の街の駅」ではあるが、旭川駅のこういう様子は少し見慣れている。
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↑稚内駅で朝6時36分に出る特急列車に乗車し、車内での居眠りも交じった感の中、キハ261系ディーゼルカーは10時19分に旭川駅に着く。「ここまで運んでくれて有難う」と車輛を何気なく眺める。

↓隣のホームは少し見慣れないような気がした。
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↑旭川以遠、札幌迄の列車に乗換えが出来るように、直ぐ隣に789系電車が待機している。通常は<ライラック>の仕様だが、<カムイ>の仕様が停車し、先頭に<ライラック>という列車愛称を掲出していた。

構内に放送が流れていた。「運用の都合で通常とは異なる車輛を使用しています。1号車のグリーン席が在りません。ご利用を予定されていた御客様は乗務員へ御申出願います」ということだった。

<ライラック>の仕様は6輛編成で「一部がグリーン席」という車輛を連結している。<カムイ>の仕様は5輛編成で、「一部がグリーン席」という車輛は連結していない。<カムイ>の場合、4輛が自由席で、1輛が指定席だ。今般は<ライラック>としての運用なので、少し様子が変わるのであろう。

↓やや見慣れない感じの眺めになっている。
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時にはこういう様子も面白いと思いながら改札へ向かい、嵩張るモノをロッカーに預けて動き回り始めたのだった。

雨交りな夕べ…:平和通買物公園:旭川(2023.11.03)

「夕食」の後だった。午前中に喫茶店でトーストを頂いた程度で、他は飲物を摂った程度だったので、酷く空腹であったので、何か満足感が高かった。戸外へ出れば若干の雨が交じっていた。が、「気になる」という程でもなかった。

↓平和通買物公園を歩いた。
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↓濡れた路面と灯りが、独特な風情を醸し出している。
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こんな様子を眺めるのが好い…