【連載】現今事情―サハリン (11)

「街の名前を聞けば思い浮かぶ画」或いは「画を視ると街の名前が思い浮かぶ」というようなモノということで、「ユジノサハリンスクという街の名前を聞けば思い浮かぶ画」或いは「画を視るとユジノサハリンスクという街の名前が思い浮かぶ」というようなモノは「如何か?」というようなことを一寸考えていた。 「ユジノサハリンスクという街の名前を聞けば思い浮かぶ画」或いは「画を視るとユジノサハリンスクという街の名前が思い浮かぶ」というようなモノとしてレーニン像を思い出すという話題を綴っていた。が、それだけに留まらない。 ユジノサハリンスク辺りでは「日本国内の一寸した都市に在るようなサービスやモノは大概在る」という状態だが、場合によって「流行り始めが比較的新しい」ということで、日本国内で見受けられる様子と違う場合も在る。が、色々な業種の人達が「旅行で訪れた○○で見掛けたアレが好ましい…自分の携わる店でも…」と試行しているらしい例にも出くわす。 ↓こんなモノに出くわした。 08-06-2017 (10) 正しく「日本国内の一寸した都市に在る」という感だ。地域の代表的な建物の画が入った箱に菓子を入れて売っている。所謂“パン屋”な感じで、パンや菓子の製造販売すること、加えてカフェ的にそれらを飲物と合わせて店内で頂くという業態で方々にチェーン展開している店で見掛けて求めたモノであった。 ↓序なので「箱の中」の画も…箱に画が在るように、柔らかい菓子がチョコレートに包まれているモノだ。稚内に持ち帰って、土産として方々に配った記憶も在る。 08-06-2017 (11) 「地域の代表的な建物の画」という感じで箱に入っている画は<サハリン州郷土博物館>である。広大なロシアに在って、この種の建物は類例が無い。 この<サハリン州郷土博物館>であるが、広大なロシアの他地域で類例が見受けられない形状の建物で「他地域からの来客が在れば、視て頂くべきモノ」ということになっているようだ。それこそ、サハリン州政府が連邦政府の高官を迎える場面から、手近な身内が遊びに来るとか、何かで知り合った他地域の人達を迎えるという場面に至るまで、とにかくも「これが有名な…」と辺りを通って視て頂くという様子である。更に「街を代表するような場所」ということで、何かの記念撮影をこの場所でやっている人達も存外に頻繁に見掛ける。 ↓建物の前に噴水まで設えられ、地元の人達にも広く親しまれている場所だ… 24-10-2019 (45) ↓当然ながら年中視られる建物で、積雪期にも佇んでいる… 30-12-2018 morning (18) <サハリン州郷土博物館>は<樺太庁博物館>として1937年に竣工した建物である。“ソ連化”の後にも、そのまま博物館として使用され続けている。 聞けば、新たな建物を新設して<サハリン州郷土博物館>を移転するような構想もされたことが在ったらしいが、結局この建物が使われ続けている。2007年頃であったと聞くが、函館から瓦屋根の工事を手掛ける業者の職人達を招聘し、石州瓦による屋根を補修した経過も在ったようだ。竣工から間もなく85年で、老朽化も目立つようではあるが。 17-10-2018 morning (13) 1945年の終戦、そして1946年の“ソ連化”であるが、現地でそれは「サハリンの行政等の中心がアレクサンドロフスク・サハリンスキーからユジノサハリンスクへ移った」という理解になっていると見受けられる。<サハリン州郷土博物館>については、「アレクサンドロフスク・サハリンスキーからユジノサハリンスクへ移った」という理解になっていて、「博物館自体が認識する歴史」として、博物館の「起こりの年」は「アレクサンドロフスク・サハリンスキーで博物館が起こった」という出来事の「1896年」となっている。「1937年」を起点にして「建物が80年!」というようなことは博物館自体でも言っている場合が在るが、「博物館の歴史」としては「1896年の開館以来125年」というような認識のようだ。 現在の<サハリン州郷土博物館>は、そのアレクサンドロフスク・サハリンスキーから移って来た収蔵品に<樺太庁博物館>から引き継がれた収蔵品ということで活動を始めていることになる。自然、民俗、歴史というような様々な分野の展示が見受けられる<サハリン州郷土博物館>だが、或る意味では「建物そのもの」が「少し貴重な展示品」という性質を帯びているかもしれない。 この建物について、「樺太時代」に「日本の関係者」が建てたということは現地でも知られている。1937年竣工も一部に知られている。が、その「知られ方」に関して言えば、一部に「?」という事が在る。 サハリンでは、この<サハリン州郷土博物館>について「日本の伝統的な様式である“テイカン”の形」というように紹介されている。これが多分、余り正しくない。 “テイカン”は「帝冠様式」のことに他ならないが、これは「伝統的」とは少し言い難い。「1930年代の日本で流行した様式」とすべきであろう。概ね、「鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根」というような和洋折衷の建築様式ということになる。 「帝冠様式」が流行って行く契機に大阪城が在るらしい。 大阪城「激動の幕末」に色々と在った後、その広い敷地を専ら陸軍が様々な用途に利用していた。 大阪城は「大坂城」として豊臣秀吉の下で起こり、豊臣家が敗れた戦い―「大坂冬の陣」、「大坂夏の陣」―の後に殆ど焼失してしまった。そして徳川幕府の下で再建された。その徳川幕府時代の「大坂城」には天守閣が在ったが、1660年に「焔硝蔵(火薬庫)に落雷」という事件―大爆発で多くの建物が焼失し、多数の死傷者が発生した…―で天守閣は姿を消した。(1660年の出来事から時日を経て、焔硝蔵については堅牢極まりない石造のモノが建てられ、陸軍も利用したと伝えられる。) その頃以降、「大坂城」と呼ばれた時代、大阪城と呼ばれるようになっても天守閣は無いままだった。「激動の幕末」に色々と在ったという時期にも在った建物は一部が現在にまで伝わっているのだが、そんな時代には天守閣は無い状態で、色々な建物が敷地内に在って利用されていた訳だ。 元号が“大正”から“昭和”に変わろうというような頃、「大大阪」とも呼ばれて大いに発展していた大阪では、現在に受け継がれている様々なモノが登場しているのだが、専ら陸軍が利用していた大阪城に関して、一部を公園化して「街のシンボル」として天守閣を建てることになったのだった。 そして1931年に完成して登場したのが現在の建物であるが、この頃に「合わせて師団司令部庁舎も建てましょう」ということになっていた。大阪城と師団司令部庁舎とは相次いで隣接地に登場した。 こんなことで「昔の城を想定した和風建築」の大阪城と、「当時一般的だった洋風建築の庁舎そのもの!」であった師団司令部庁舎とが並んだのだが、これを見た建築家達が「和風の意匠を採り入れて、城と親和性が高い庁舎であったなら、もっと佳かったのでは?」という問題意識を持ったという。そして、その時点で一部の建築で実施されていた「和風な意匠を入れる」ということを前面に押し出す動きが起こった。 これが「帝冠様式」が流行った背景に在ったという話しだ。少し長くなったが、好きな話題でもあるので、敢えて綴った。「和風の意匠を入れる」というのが「伝統的」に該当するかもしれないが、それでも「帝冠様式」そのものは「1930年代の日本で流行した様式」ということになる。 ではこの「帝冠様式」は、何故「1930年代の流行」ということで、以降は流行らなくなったのか?回答は単純なことで「出来なくなってしまった」ということに尽きる。更にこれは「1940年 “幻”の東京五輪」にも少し関連が在る。 例えば1937年に竣工した建物と似たような建物を数年後に建てることは、技術的に不可能とも思い悪い。それでも「出来なくなってしまった」というのは、鉄骨を筆頭に、建設資材の使用量に厳しい制限が加えられ、華美なデザインを排するというようなことになって行ったからだ。1938年に<国家総動員法>というモノが成立しているが、中国大陸での戦争状態が長引いていて、各種資材に関する制限が拡がりつつあった中、1938年頃以降は「帝冠様式」のような建物が新たに登場しなくなったようだ。 1938年には、「1940年 東京五輪」について「開催権返上」と称して東京開催が見送られた。それは、鉄骨を大量に使う競技場建設が「進められない…」ということになったことも一因になっているのだ。五輪開催に向けて大きな競技場を建設するとすれば大量の鉄骨が要ることになるが、「それだけの鉄?軍艦がどれだけ建造出来るだろうか?」というような話しにもなっていた訳だ。 その後、「1940年 五輪」そのものは、東京が選出された時に“次点”であったヘルシンキで開催ということになった。しかし、その1940年頃にはヘルシンキのフィンランドも戦争に突入していて、前年の1939年時点で後に「第二次大戦」と呼ばれる時期に突入してしまっていて、「1940年 五輪」そのものが“幻”に終始してしまったのだった。 「帝冠様式」の<樺太庁博物館>(現在の<サハリン州郷土博物館>)は、結果的に「帝冠様式が流行った時期の最終盤」に登場した形となった。「帝冠様式」による建築は、現在も日本国内で色々と見受けられるが、台湾や満州でも見受けられたということだ。 実は<サハリン州郷土博物館>が契機で「帝冠様式」というモノに関心を寄せるようになった。名古屋市庁舎愛知県庁舎は名古屋に立ち寄った時に眺めに行ってみた。現在は観光案内所となっている旧奈良駅はかなり気に入っていて、関西方面に出る際に敢えて奈良に宿を求め、これが窓から視える部屋に滞在するようにしたことさえ在る。他、未だ視ていないモノも色々と在る。結局「サハリンが入口で様々な関心が拡がる場合も在る」ということになるのではないか? 現在のユジノサハリンスクで、中心的な市街の多くは1906年、1907年頃から建設が進められた「豊原」を基礎としている。この「豊原」に<樺太庁博物館>(現在の<サハリン州郷土博物館>)が竣工した1937年頃の様子だが、「町」が「市」というようになった。当時、樺太は他所の県等とは取り扱いが別であったが、それでも北海道で「最も北の市」であった旭川市(1922年から「市」)から随分北―旭川から稚内で250km余り…稚内からコルサコフ港を経てユジノサハリンスクへ行けば180㎞程度…併せて430㎞程度なので、東京・名古屋間より遠い…―に「最も北の市」が登場したことになる。その後、1943年には樺太の市町村も他所の県と同じ取り扱いになり、改めて「豊原市」となっている。1941年頃の資料として、豊原市は人口3万7千人余りであったそうだ。 この連載は、「或る日、如何いう経過であれ、辿り着いて街を歩くと、別段に不便や不自由という程のことが気になって仕方ないということが在るでもない普通の街」という感であるユジノサハリンスクのようなサハリンの都市なのだが、それでも「サハリンってモノが在るの?」と存外の頻度で御訊ねを頂くという状況に思い至って綴り始めた。 或る意味では日本国内の一寸した街に在る店より手が込んだモノを供してくれるようなカフェが在り、店舗、サービスノウハウ、材料等が揃わなければ供し悪いモノを供してくれるようなファストフード系の店が在り、スーパーに立ち寄ればお惣菜からミカンまで何でも売っていて、祝い事の催事に使うレンタカーから花束まで各種サービスも普通に行われているユジノサハリンスクである。街の方々に都市緑地が整備され、地域の歴史を伝えようとするモニュメントが据えられている。プロスポーツのチームが在ってシーズンには試合が催されていて、著名な劇作家の足跡が残っているに留まらず、専属の劇団が公演活動もする劇場が在り、映画館も自国内や外国の映画を普通に上映している。 ハッキリ言えば、これらの「普通」が余りにも知られていない。または「特殊な編集」のような事でも在って、黙殺されているように思う。だから「サハリンってモノが在るの?」と存外の頻度で御訊ねを頂くのだと思う。 「特殊な編集」と申し上げたが、サハリンに関しては「嘗ての樺太」ということで、関係文物を取り上げる例が在るか、「嘗ての樺太…以上!」となってしまっている場合さえ在ると思う。そういう問題意識の故に、<サハリン州郷土博物館>の建物に関しては、散々に様々な話題を出した後に廻った。 「建物そのもの」が「少し貴重な展示品」という性質を帯びるかもしれないような、建物の竣工時点から80年以上、“博物館”というモノが起こったと自認する頃から120年以上という伝統を有している<サハリン州郷土博物館>の例だが、「これだけのモノが在る場所?日本国内の何処にでも溢れているのか?!」と問うてみたくなる。そんなモノは無い場所の方が多いのではないか?そういう場所に住んでいて、それで「サハリンってモノが在るの?」と訊ねるのか?何か変だ。 <サハリン州郷土博物館>に関しては、建物の来歴というのか、様式というような事柄に話しが及べば、話題は尽きずに話しがドンドン拡がる。こういう存在は「街の豊かな文化」を体現する存在たり得ると思う。そういう「街の豊かな文化」を体現する存在まで在るユジノサハリンスクを擁するサハリンについて、「サハリンってモノが在るの?」ではなく、「馴染みが無い…知らない…」という「フラットな地点」から視て頂きたいと思うのである。 14-11-2018 (8)

九五式戦車…:サハリン州郷土博物館(2019.10.24)

ユジノサハリンスクの<サハリン州郷土博物館>の敷地には、色々なモノが「屋外展示」として据えられている… ↓その中にこんなモノが在る… 24-10-2019 (46) ↑戦史を伝えるべく、修復が施されてここに展示されたという代物だが…占守島の戦いに参加した日本の九五式戦車である…遠く占守島から運び込んで修復をした訳だ… 「占守島」とは、殆どカムチャッカ半島に近いような、千島列島の北側に在る島だ。1945(昭和20)年8月、この地に在った戦車部隊である第11連隊を中心とした日本軍が、8月18日に上陸したソ連軍と交戦に及んだ経過が在った… この展示を視て、存外に小さな車輌であることに多少驚く…同時代の堂々たる大きさのソ連軍戦車と比べれば、この九五式戦車は余りにも小さいが…占守島の戦いではそういう大きな戦車を向こうに回したのでもなく、上陸した歩兵等との交戦であったという。 戦車の砲塔に「士」という文字のようなモノが見える。これは「十一」を縦に重ねるようにして書くと、「武士」、「士魂」、「士道」という言葉に出て来る「士」の字になるということで、この第11連隊で好んで用いたマーキングであるという。永年の風雪で傷んでいたであろう戦車の修復に際し、将兵が想いを込めて書き込んだ“士”のマークは判読可能な状況だったのだと見受けられるが、確り再現されている… ↓展示されている九五式戦車の脇に、ロシア語と英語で説明をしたパネルが据えられていた… 24-10-2019 (47) 平和な時代に戦史を伝えるこういう展示…存外に大切なように思う。日本軍が用いたという戦車…正直、このユジノサハリンスクの展示でしか見た記憶が無い… ↓因みに「占守島の戦い」に関することでは、下記の小説がお勧めだ… >>『終わらざる夏』

秋色…:サハリン州郷土博物館(2019.10.24)

↓色付く葉の向こうに、独特な形状の建物…なかなかに好い光景だ… 24-10-2019 (55) ↓色付いた葉に光が透ける…この日は「少しだけ冷えた好天」という風だった… 24-10-2019 (57) ↓色付く葉が美しい木が見受けられた他方、葉が殆ど落ちてしまっている木も見受けられた… 24-10-2019 (59) 秋が冬へ移ろう只中…そんな状況だった…

<サハリン州郷土博物館>…(2019.10.24)

↓天候が好かった日…少し日が高くなった頃、この辺りへ… 24-10-2019 (45) ユジノサハリンスクでは、既に早朝には「1℃…」という次元になっていて、方々の噴水は動かすのを止めてしまっていて、水も抜かれていた… ↓この場所は、未だ噴水が動いていた… 24-10-2019 (43) 1937年竣工の建物が使われ続けているが…この博物館は、「建物それ自体」が「重要な展示品」というようにさえ思える。ユジノサハリンスクに在れば、とりあえず近くを通りたいという感だ…

<ニッポノサウルス>(Nipponosaurusu):<北海道大学総合博物館>(2019.09.28)

↓体長約4mの恐竜だ… 28-09-2019 Sapporo (50) ↑<北海道大学総合博物館>に展示されている… 「北海道大学」が「北海道帝国大学」と呼ばれていた時代…大学の調査チームが、1934年に樺太で発見した化石だ。「日本人によって記載、命名される初めての恐竜」ということになること、当時の日本領の樺太での発見であったことから「サハリンの日本竜」という意味の学名が冠せられたというのだ… 因みにこれは「Nipponosaurus sachalinensis=Сахалинский Диназавр=サハリンの恐竜」としてユジノサハリンスクの<サハリン州郷土博物館>でも同じようなモノが展示されている。恐らく、<北海道大学総合博物館>から贈ったのであろうが… 随分と久し振りに<北海道大学総合博物館>に立寄り、ざぁっと展示を眺めて愉しんだのだった…

サハリン州郷土博物館(2019.02.08)

よく冷えた状態が続いている…早朝の最低気温は氷点下20℃を下回る… ↓そうした冷え切った朝…この博物館の独特な形状の建物を眺めた… 08-02-2019 morning (4) ↑今季は雪が酷く少ない…そして、低温の故に雪の質もサラサラという感じだ… ↓西寄りな側へ廻り込んだ… 08-02-2019 morning (1) 時間帯は午前8時前だ…この時季には未だ暗いが…明るめになる時間帯は少しずつ早くはなっている…他方…「寒さ」はしつこい…

サハリン州郷土博物館(2018.12.30)

↓少し積雪が増え始めたような気がしないでもない… 30-12-2018 morning (15) ↓正面側へも廻り込んでみた… 30-12-2018 morning (18) 何度となく眺めている光景で…何度も写真を撮っているが…非常に気に入っている…

サハリン州郷土博物館(2018.12.15)

↓未だ量は然程でもないが、「積雪が在る感じ」が何時の間にか眼に馴染んだように感じる… 15DEC2018 (11) ↓所謂「石州瓦」の流れを汲む、「寒さに強い」と言われる瓦が載った屋根に白い雪…なかなかに見栄えが好いと思う… 15DEC2018 (14) ↓この場所に関しては、冬季でも通り掛かると、一寸足を停めて眺めてみたくなる… 15DEC2018 (16)

サハリン州郷土博物館:雪化粧…(2018.11.21)

「一寸降った…」と判り易い程度に雪が降って、それが少しながら積もった…ユジノサハリンスクでは今季初であったと思う… 降った雪は、朝の気温が氷点下5度以下だったので、いきなり「厳冬期クォリティー」な粉雪…日中の陽射しを受けて、積雪表面がやや融けてはいたものの、気温が「0℃を超えない」という状況… ↓こんな中、博物館の辺りを通り掛かった… 21 НОЯ 2018 (1) ↑敷地内の地面や色々な箇所に薄く雪が付着している… ↓正面側へ廻り込んだ… 21 НОЯ 2018 (5) ↓開門中の時間帯であったので、少し建物に近寄った… 21 НОЯ 2018 (10) ↓積雪の重みなどから木を護る“冬囲い”も見受けられる… 21 НОЯ 2018 (13) 「積雪期の最初期」というのは“雪化粧”という按配で、少し見栄えが艶やかな気がする…

サハリン州郷土博物館(2018.11.14)

↓午前7時40分過ぎの様子である… 14-11-2018 (6) ↑なかなか消えない灯りに浮かぶ庭と建物…微妙な藍という感の空に、染まった雲が浮かぶ… ↓多少引いた辺りからも眺めてみた… 14-11-2018 (8) 思わず足を停めるというのか…敢えて回り道をしてでも眺めに行きたくなる光景だ…

サハリン州郷土博物館:正面…(2018.10.28)

↓スタンダードな感じの、正面の門の辺りから、独特な形状の建物を視た画… 28-10-2018 morning (7) ↑この「建物そのもの」が「博物館の重要展示」という感さえする…1937年という竣工当時の姿を現在に伝えている…80年以上を経ていることになる… この80年以上を経た建物を囲んで「市民の憩いの場」という具合に庭園が設えられている…なかなかに好い場所だと思う…

サハリン州郷土博物館(2018.10.28)

↓大変に気に入っている眺めだ!敷地内の木々の葉が落ちてしまって、この眺めを愉しみ易くなったと思う… 28-10-2018 morning (2) ↑画は“24mm”の画角…<X100F>の“23mm”と大きな差が無い… ↓こちらの画は“11.5mm”の画角…通に面した側のフェンスまで、広く画の中に収まる… 28-10-2018 morning (5) 新たな機材が「愉しみ」を随分と圧し拡げてくれた感で、最近は「カメラを手にその辺…」というのが「更に多くなった」というような気がしている…

サハリン州郷土博物館(2018.10.18)

↓「過ぎる程に静かな朝の風情」が何となく好く、何度となく眺めている様子である… 18-10-2018 morning (4) ↑最近多用傾向の広角ズームの御蔭で、手前の側も少し広く画に入るようになり、過去に撮っているモノと趣きが多少変わっているのが面白い… 計算されているということでもないように思うのだが?「残っているような灯りの光と、庭園と建物」の見え方…非常に素敵だと思う…

サハリン州郷土博物館:未だ暗い早朝…(2018.10.21)

その辺を歩き回っていて「好い感じ!」という光景に出くわし、カメラを持っていれば、それを写真に撮る… 「好い感じ!」と思って撮った写真…写真を視て「更に好い!」と思う場合も時々在る… ↓これはその、現場で「好い感じ!」と思い、撮ってみた写真を後から視て「更に好い!」と思ったという例に該当する… 21-10-2018 morning (3) ↑博物館敷地内の未だ消えていない照明の灯りに、紅葉してかなり散ってしまっている木々の葉が浮かび上がり、明るくなろうとしている空を背景に佇む独特な形状の建物との組み合わせが非常に面白い感じだ… ↓広角ズームを活かし、少し広い感じの画も撮ってみた… 21-10-2018 morning (2) 何か…「精密に描いた画」に視えなくもないが…「撮った画」である…

サハリン州郷土博物館(2018.10.17)

朝、久し振りに少し歩き回ってみた… ↓「明るい感じになる時間帯」がすっかり遅くなってしまったような気がする… 17-10-2018 morning (13) ↑朝の時間帯に、博物館の庭の灯りが未だ点いていた…独特な雰囲気が醸し出されるような気がする…

サハリン州郷土博物館(2018.09.20)

↓碧空に白雲が流れ、半逆光になっている様子…暫し見入ってしまった… 20-09-2018 (21) ↓「20℃に届くか届かないか…」という、上り切らない気温の中、光ばかりが強烈な感…「時季らしい」というような空気感が漂う… 20-09-2018 (22) こういう画を撮った時…「広角ズームを入手して善かった!」と思う…

来訪者向け看板…(2018.09.12)

↓「見慣れないモノ」に気付いて足を停めた… 12-09-2018 in evening (1) ↑レーニン通と交わり、東西に延びているコムニスチ―チェスキー通が、南北に延びるミール通と交差している辺りである… この4枚の看板を組み合わせて柱に据えているモノは、西を背中、東を正面に進んで行くと視えるモノだ。 看板の右上を視れば、直進するとサハリン州郷土博物館で、右下を視れば背中側が劇場の<チェーホフセンター>であるということが示されている。 看板の左上は「←」(やじるし)に従って左側へ進んで行けばネヴェリスコイ広場―ネヴェリスコイ提督の胸像が在る―に行き当たることが示されている。そして背中側へ進んで行けば鉄道駅へ行き当たるということも示されている。 サハリンでも「観光振興」ということへの関心、期待は高いと見受けられる状況だが、こういうような「来訪者向けの情報提供」という動きが起こっているようだ。この場所以外にも何箇所か似たようなモノが据えられていたことに気付いた… 今後も、こういうモノには一寸注目したい…

サハリン州郷土博物館(2018.09.12)

未だ敷地に出入り出来る時間帯の間に、博物館の辺りに立寄ることが出来た… ↓建物の直ぐ傍から見上げてみた… 12-09-2018 in evening (5) 1930年代に流行った帝冠様式による建物…1937年竣工ということだが、この「建物自体」が「博物館の貴重な展示」という感さえする… ↓建物前を横切って、反対側から見上げてみた… 12-09-2018 in evening (7) 新たに入手した“広角ズーム”を駆使して、これまで撮っていない画角で、この建物の画を…と思い付いて立寄ったという訳だった…こういう光加減の時間帯も温かい感じで、散策には好適だった…

サハリン州郷土博物館(2018.08.17)

↓久し振りに、少し遅めな時間帯に辺りを通り掛かった… 17-08-2018 night (5) ↑午後10時40分前後の感じだ… 建物そのものを照らし出す“ライトアップ”は消えているように見受けられたが、庭園内の灯りの御陰で、建物も少し明るく夜空に浮かび上がる感じだった…そして、「夜」の暗さの中で鮮やかな色や形が浮かぶ庭園や、街の灯りで不思議な空気感を帯びた夜空も好い感じだ… ↓未だこういう感じの眺めは「少し遅めな時間帯」というイメージだが…やがて夕方の早い時間帯からこういう雰囲気が視られるようになって行く… 17-08-2018 night (4)

サハリン州郷土博物館とチェーホフセンター:グラフィティー『サハリンの旅』から…(2018.07.29)

↓なかなかに特徴が在る建物ではあるが…シンプルな画でそれを巧みに表現している… 'Trip on Sakhalin' - 29 JUL 2018 (9) ↑サハリン州郷土博物館やチェーホフセンター…ユジノサハリンスク市内では目立つ建物だ… 長い塀を利用し、南北に長いサハリン島に点在する様々なモノを描いたグラフィティーの一部である…

サハリン州郷土博物館(2018.08.02)

「8月らしい」とでも言うのか?好く晴れて、気温は25℃程度となっていたユジノサハリンスクである… ↓「夏!」という感な空の下、独特な形状の建物がなかなかに映える… 02-08-2018 Yuzhno-Sakhalinsk (3) ↓強めな光の下で、瓦屋根の凹凸が、何か独特な印象を残す… 02-08-2018 Yuzhno-Sakhalinsk (2) この独特な建物…“時季毎”に各々の独特な印象を与えてくれる存在だ…

サハリン州郷土博物館(2018.07.18)

久し振りに「1日の殆どが晴天であった」という感の日… ↓午後6時過ぎの様子だ… 18-07-2018 (6) ↓未だ噴水も停まっていない… 18-07-2018 (2) この日は日中に22℃、23℃程度に気温が上がった…噴水が涼し気で好い…

サハリン州郷土博物館(2018.05.17)

↓屋外展示の古い大砲と、現在となってはかなり個性的な外観と言い得る1937年竣工の建物… 17-05-2018 morning (2) ↑大変に気に入っている、敷地の西寄り辺りのフェンスの隙間からの眺めである… 完全に積雪が消えていて、少しずつ緑が目立ち始めている…未だ木の葉が茂っていないので、こういう画が視られる訳である… 既に、朝焼けが見受けられるような時間帯が「早過ぎ…」という感になってはいるのだが、“朝の光”でこの建物を視るのは好い…

サハリン州郷土博物館(2018.04.12)

↓敷地内に「しつこい残雪」こそ在るものの、敷地周囲の柵の辺りから視た感じは、「積雪期が始まるような頃」を思わせる雰囲気だ… 12-04-2018 morning (12) ↑漸く「雪が去る…」というような雰囲気になっていたのだったが… ↓所謂“石州瓦”ということになる瓦を使用した屋根には、薄い積雪が妙に似合う… 12-04-2018 morning (15) ↑歩き回る分には然程気にならなかったが…雪が降り続けている様子が、画を視ると少し判り易い… ここは「各々の時季に、各々に画になる」という感である…

歩道から望む…:サハリン州郷土博物館(2018.03.31)

↓変に新鮮に感じた眺めだった… 31-03-2018 in morning (11) ↑雪が多くなって以来、この柵の辺りは半ば雪に埋まってしまっていて、こうやって「普段の感じ」に視えなかったのだ…久し振りに眺めた雰囲気だ… 未だ博物館の敷地に積雪は多い感ではあるが…“早春”な趣である…

サハリン州郷土博物館(2018.03.22)

↓夕刻に通り掛かった博物館前… 22-03-2018 (16) ↑午後6時半を少し過ぎた辺りである… ↓この時間帯の光加減も好いと思った… 22-03-2018 (11) ↓何度観ても、観る都度に発見が在るような…そんな気がする場所だ… 22-03-2018 (15)

サハリン州郷土博物館(2018.03.21)

↓敷地の柵の手前、広い歩道に雪が堆くなっている場所の上に上がって建物を眺めた… 21-03-2018 morning (4) ↑言わば「時季限定」の「ミニ展望台」のような場所からの眺めということになる… 何度観ても思うが、画になる建物だ…

サハリン州郷土博物館(2018.02.13)

↓午前8時少し前…思い付いて辺りを通って様子を視た… 13-02-2018 morning (1) ↑同じ場所で、似たような時間帯に多々写真は撮ったが…多少「明るさ」を増している… “光”という側面では、季節は着実に進んでいる…他方…朝の気温が氷点下23℃程度…マダマダ寒さは厳しい…

サハリン州郷土博物館(2018.01.25)

↓降雪が落ち着いた朝だが…何か「雪に閉ざされた…」という感だ… 25-01-2018 morning (14) ↑建物に近い塀や門の辺りに寄るのは、雪が深く「危なっかしい?」ように思えたので、少し手前の除雪されている歩道の辺りから眺めた…

サハリン州郷土博物館(2018.01.18)

↓暗い感じになる少し前の同じ場所で撮った画が気に入ったことから、朝の暗い時間に再度訪ねて撮った… 18-01-2018 morning (3) ↑気にならない程度にチラチラと雪が降っている中である…「暗い感じになる前」以上に立体的な画になったように思う…

サハリン州郷土博物館(2018.01.16)

↓屋外展示の大砲の向こうに建物…非常に気に入っている感じの眺めだ… 16-01-2018 (7) ↑木々が青々としていても、建物等が葉の陰になり…雪が深過ぎても、建物等が視えない…「何時でも視られそうで、意外にタイミングが大事」という感じが、何となく好い… ↓正面側に廻り込んでみた… 16-01-2018 (5) 夕刻の光加減の中に見える時間帯が、少し長くなって来たような気がする…

サハリン州郷土博物館:休館日の夕刻:降雪中(2018.01.09)

日中から降雪の時間帯が存外に長く続き、そのまま夕刻へ… ↓前日が「休日の月曜日」で開館した関係で、火曜日に休館という博物館は、降り頻る雪の中でひっそりとしていた… 09-01-2018 (6) ↑「雪が降り続けている」という場面の空の感じ…暗い時間帯に入っても、何か独特な風情だ… こういう雪の中を動き回ると、雪が湿っていて、かなり濡れる感じになる… この後…雪は夜中に至っても降り続いている…

サハリン州郷土博物館:降雪中のライトアップ(2018.01.09)

↓正面ではなく脇の側から、独特な建物が屋外展示の大砲越しに視える辺りから眺めた… 09-01-2018 (9) ↑樹木等に湿った雪が付着する他方、降っている粒子がやや粗い雪が光を反射していて、独特な空気感が漂う…そこにライトアップが施された建物が、何か「幻」のようにも見える…

サハリン州郷土博物館(2017.12.13)

雪が上がっていた夕刻に歩き回り…一夜明けてみれば…夜の間に降り続けた雪が深く積もって街を覆っていた…更に、朝から雪は降り止まない… ↓博物館の独特な建物も「埋まってしまった」かのようになっている… 13-12-2017 morning (8) 0℃程度の気温で、湿った雪が降り続いている…

サハリン州郷土博物館(2017.12.12)

↓日中の雪が上がった夕刻、一寸道草してみた… 12-12-2017 evening (10) ↑雪の中でのライトアップが美しい… ↓午後6時台には未だ門が開いていて、建物に近付いて眺めてみることも出来た… 12-12-2017 evening (12) 暗い夜空に浮かび上がる独特な建物…何か「黒い用紙に丁寧に塗料で描き込んだ画」のようである…

サハリン州郷土博物館(2017.12.10)

久し振りに…未だ門が開いている時間帯に郷土博物館の辺りを通り掛かった… ↓少し近付いて、独特な外観の建物を眺めてみた… 10-12-2017 (11) ↑建物手前の庭園部分に、暗くなって灯りが入るとカラフルな色になる枝が据えられていた… ↓一寸違う角度からも眺めてみた… 10-12-2017 (12) 未だ、積雪は然程深くはない…こういう感じの「雪と共に在る」雰囲気の建物が、なかなかに好い…

サハリン州郷土博物館(2017.12.08)

↓氷点下二桁気温の早朝… 08-12-2017 morning (2) ↑積雪は未だ然程深くはないが…空気まで凍っているかのような感じもする… 何に使用する場所かは判らないが、入口の右側、1階の辺りは早朝に視ると灯りが点いていることが多い…“早朝”とは言っても午前7時半を過ぎたような辺りだ… 暗い時間帯が長い時季である…

真冬日の早朝:サハリン州郷土博物館(2017.11.17)

一日の最低気温が氷点下という日が、何時の間にか珍しくもない感じになっているが…最高気温の方も0℃を超えていない…所謂「真冬日」ということになった一日だった… ↓早朝…と言っても、午前8時前である… 17-11-2017 (2) ↑前々日に降ってから、降雪らしい降雪も見受けられず、雪の嵩は少ないが、低温なので人が余り歩かない場所では存外に雪が綺麗に残る… 不覚にも負傷し、左腕の自由が利かない…それでも「撮りたい!」時に出来るか否かを試そうと撮った画でもある…素早く撮ることは無理であるが、ゆっくりと撮る分には…“手ブレ”の発生頻度は高くなりそうだが…何とか出来そうだ… そういう「妙な意味」も籠った画ということになるが…この景色!何か非常に気に入っている…少しの間だけ、御無沙汰してしまうことになる…

荒天の後の朝:サハリン州郷土博物館(2017.11.12)

↓前夜までの降雨や降雪の後…早朝の、湿った積雪が半ば凍て付いているような状況である… 12-11-2017 morning (7) ↑暫し見入ってしまうものが在る… ↓少し角度を変えて… 12-11-2017 morning (9) 白く雪で彩られ、飾られているように見えるが、何となく「東北地方や北陸地方の城」を想起させる雰囲気だと思う…

サハリン州郷土博物館のライトアップ(2017.11.10)

夜、一寸戸外へ出た… 極々軽い感じだが、粉雪が交じるような夜だった… ↓ライトアップが点灯中だった… 10-11-2017 (7) ↑暗い夜空にチラチラと粉雪が落ちている中、独特な形状の建物が輝くような感じだ… 10-11-2017 (6) こんな様子を時々視るのは、存外に愉しい…

サハリン州郷土博物館(2017.11.09)

↓瓦の屋根に、薄く雪が載っている… 09-11-2017 morning (8) ↑敷地内の街灯が消えてしまっていたが、それでも雪の白さが判るように視え、その視たままに画になった… この「建物自体が最重要展示?」とも思えるような様相の、博物館の建物は視る時間帯毎、時季毎に独特な味わいが在る…

サハリン州郷土博物館(2017.11.08)

↓この博物館の敷地内では、一定の時刻―と言って、日によって前後もやや大きいが…―になると、敷地内の街灯を消す… 08-11-2017 morning (7) ↑カメラを向けて、シャッターを押したのとほぼ同時に灯りが消えた… ↓灯りが消えてしまう直前はこういう具合だった… 08-11-2017 morning (6) この博物館の建物…広大なロシアの他地域では視掛けないような様式の、少し興味深い存在になっている…

サハリン州郷土博物館:雨交じりの早朝(2017.11.03)

↓今朝は午前7時半前の時点で、博物館敷地内の街灯が点いていた… 03-11-2017 morning (2) ↑木の葉が落ちてしまっているので、屋外展示の大砲と独特な建物が視えて、独特な雰囲気になる… ↓多少濡れてしまい、少し苦戦しながらも、「何か好い…余り視たことが無い風情!」と写真を撮ってしまった… 03-11-2017 morning (4) 「撮りたい画を視て写真を撮る」のか、「カメラを持っているから撮ってみたい画を求めて彷徨う」のか、最近はよく判らない感じだ…

冬へ向かう感じ:サハリン州郷土博物館(2017.10.26)

↓朝早く…午前7時半になる前である… 26-10-2017 morning (7) ↑木の葉が落ちてしまい、この角度から博物館の屋外展示の大砲が据えられた向こうに在る、博物館の建物そのものが覗くようになった… ↓序でに、正面入口側からも建物を眺める… 26-10-2017 morning (9) ↓博物館の敷地内の灯りは、午前7時半頃に静かに消灯となった… 26-10-2017 morning (10)

ライトアップ:サハリン州郷土博物館(2017.10.03)

「暗くなる時間帯」が、6月頃の様子等を想えば「随分早い」感じになった昨今…不意に思い付いてサハリン州郷土博物館辺りに道草をしてみた… ↓午後7時半頃の様子である… 03-10-2017 (16) ↑暗めな空に、照明に浮かぶ博物館の建物が映える…手前の噴水は、鏡面のような小さな池という様相で、建物や空や植え込みが映り込んでいる… ↓やや角度を変えて眺めてみた… 03-10-2017 (17) 6月頃等は「遅くまで明るめでなかなかライトアップが点灯せず、点灯しても短い時間で消灯になってしまう…なかなかライトアップが視られない?」という雰囲気も在ったが、現在は午後7時半頃に近くを通ると画のような様子なので、或いは「観易くなった」とも言えるかもしれない…

晩夏の空とサハリン州郷土博物館(2017.08.25)

↓空と雲の感じが、瓦屋根の形状と妙に合うような気がする… 25-08-2017 (5) ↑空の感じが「晩夏」という風である… この日は金曜日であったが、何やら妙に人出が多かった…この博物館の建物前で結婚式の記念写真を撮ろうというような人達が「順番待ち」状態になる程度に集まっていたのだ… そんなことも在って、何となく「雲と屋根の感じ!」と少し望遠で上の方を撮るような按配に…

水面に博物館…(2017.07.15)

↓サハリン州郷土博物館の敷地内を散策していて見付けた様子… 15-07-2017 (14) ↑小さな池が幾つか在って、その一つ…敷地内のやや西寄りに相当する辺りだ… こういう画…視たことが無かった…その辺を動き回ると、こういう“発見”は在るものだ…

「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」の国章(2017.07.15)

↓サハリン州郷土博物館の敷地内に在る…屋外展示の一つだ… 15-07-2017 (11) ↑屋外展示と言っても、敷地の端に、何となく「フェンスの一部が“塀”のように?一寸、不自然?」というのが木の陰に視えるという感じで、余り目立つモノでもない感じだ… ↓概ね「直径3m弱の円形?」という雰囲気なのだが、これは1918年に設立で、1992年に「ロシア連邦」へ移行することになった「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」の国章である。 15-07-2017 (12) ↑ユジノサハリンスクで実際に建物に掲げられていた経過が在る代物で、2013年から博物館に在るのだという… 「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」は<10月革命>の後に社会主義国ということになったロシアであり、1922年に「ソ連」が成立した時点で「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」と号している。そして“連邦”であるソ連を構成する“共和国”であり続けた。「ソ連を構成する共和国」の位置付けながら、「共和国自体が“連邦”の制度」という不思議に思えるような状態も見受けられた… 15の共和国で構成されていた“ソ連”は、バルト3国が「離脱」という手続きで離れた後、残る12の共和国が各々に完全な独立国ということになった。「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」については、「ロシア連邦」となり、現在に至っている。(1990年代前半辺りと、最近の様子を比べると、本当に「隔世の感」ではあるが…) それにしても…1990年代初頭までの“ソ連”に関連するモノ…完全に「史料」という扱いである…この屋外展示自体は、何やら「不思議な存在感」というのか、「余り目立っていないので、知らない方が多い?」という気もしてしまうのだが…

噴水とサハリン州郷土博物館(2017.06.18)

↓酷く暑いでもないのだが、光線が非常に眩しい中、噴水の水飛沫が何となく好い… JUN 18, 2017 (20) ↑樺太時代の建築の屋根の端に…さり気なくロシア国旗が翻っている… ↓飛沫と建物が重なって見える感じ…何となく見入ってしまった… JUN 18, 2017 (22) この時は天候が好転していて、散策をしている人達も多くなっていた…

「土産らしい」感じの菓子(2017.06.08)

↓サハリン州郷土博物館の画が刷られて、箱がセロファンで包まれている… 08-06-2017 (10) ↑ユジノサハリンスク市内のカフェ兼パン屋兼ケーキ屋のチェーンで売られている菓子である… ↓柔らかく白い中身がチョコレートでコーティングされているという菓子だ…自身でも試食したが、悪くない!! 08-06-2017 (11) ↑一箱159ルーブルだった… 6月9日に<ペンギン33>で稚内へ引揚げる前日に求めたモノで、稚内で友人や知人にで配った…実に「土産らしい」風情の菓子である… 何やら稚内では慌ただしい感じになってしまった…とりあえずパタパタとして、よく判らない中、早くも「再度サハリンへ発つ前日」となってしまった…

狛犬…(2017.06.04)

↓サハリン州郷土博物館の建物の直ぐ前…狛犬が据えられている… 04-06-2017 (13) ↑これは樺太時代の本当の神社に在ったモノを持って来たのだという… ↓少し引いて建物を入れて狛犬が写るようにしてみた… 04-06-2017 (10) ↑一見、「最初から在るデコレーション」に思えないでもないのだが…違う! ↓それにしても…なかなかに立派な狛犬だ… 04-06-2017 (12)

サハリン州郷土博物館:朝の空気感(2017.05.23)

好天に誘われ、やや早く出発して市内を歩き回った… ↓開館までに相当な時間が在り、敷地内に入ることは叶わないが…塀越しで建物を眺めた… 23-05-2017 (2) ↑手前の噴水も、開館していない時間は停まっていて、単なる池のようである… ↓朝は“空気感”が何となく好い! 23-05-2017 (1)

桜… 噴水… : サハリン州郷土博物館(2017.05.20)

↓サハリン州郷土博物館の敷地でも、桜が咲いている様子が視られるようになった… 20-05-2017 (10) ↓そして館の前庭に在る噴水にも水が入った…冬季間の水を抜いた状態のままだったが、水が戻るとイメージが変わる… 20-05-2017 (16) 少しずつ、花が咲く“春”と噴水の水が似合う“初夏”が隣接、または交差しているような空気感も漂うようになった…

サハリン州郷土博物館(2017.05.14)

↓好天な朝にこの場所を通り、こういう様子を視ると、何か酷く幸運であるかのように感じてしまう… 14-05-2017 (4) ↑好い具合に光が当たり、古い建物のディーテールがハッキリと浮かび上がる…そして“屋外展示”のように入口周辺に置かれた、嘗ての神社の狛犬…これも独特な“味わい”になっている… とりあえず「見栄えが好い」建物だ…

重戦車 IS-2(2017.05.14)

↓ヴァシレフスキー元帥の像の直ぐ足下に、古い戦車等が展示されているのだが、その一つである… 14-05-2017 (21) ↑ドイツ軍が運用した<ティーガー>に対抗可能な戦車を目指してソ連軍が開発し続けた重戦車の系譜に属する車輛で、第二次大戦末期に活躍した型だ… とにかく大きい!サハリン州郷土博物館に在る日本の<九七式>と比べれば、こちらは「軽自動車VS大型トラック」という位に大きい…IS-2は46トンもの重量だ… 大きな戦車を視ると、「何人が乗り込んだのか?」と思わないでもない…基本的にこういう戦車は、指揮を執る車長、運転を担当する操縦士、戦車砲を操る砲手が要る…大きな砲塔を動かして砲弾を装填して、号令を受けて撃つ動きに2人は要る…故に4人程度は必要な訳だが、IS-2の定員は4名になっているようだ。 ↓残念ながら内部が視られるようにはなっていないのだが…なかなかに迫力が在る車輛で、見応えは十分だ… 14-05-2017 (22)

占守島の九五式戦車(2017.05.01)

↓サハリン州郷土博物館の屋外展示の一つ…旧帝国陸軍の九五式戦車である… The Regional Museam of Sakhalin on MAY 01, 2017 (4) ↑「終戦70年」というようなことで、2015年頃に占守島から持って来て、修復したモノだった筈だ… 修復時に「好い仕事」をしたと思えるのは、砲塔に在る<士>のマークである。 占守島に送り込まれていたのは「第十一連隊」という戦車隊だった。「十一」を縦に並べて書くと、“武士”や“士魂”という言葉の“士”という具合になる。誇り高く戦場に臨む将兵であろうと、彼らは装備品に「部隊の目印」としてこの<士>のマークを好んで描き込んでいたのだという。当然、戦車隊の主要装備である戦車も、こうした例に漏れない… ↓同時代のソ連の戦車と比べると、余りにも小ぶりで驚くのだが…占守島で、ソ連戦車と交戦はしていない… The Regional Museam of Sakhalin on MAY 01, 2017 (1) ↑占守島では、8月18日に濃霧の中で若干の火砲を装備したソ連兵が上陸し、それらと交戦に及んだ際にこの戦車も戦闘に参加した訳である… ↓占守島の戦いを巡っては、下記の小説が酷く興味深い… >>『終わらざる夏』 ↑作中に、学校を中退して戦車の運転資格を得た若い兵士と、その上官の整備班の老兵が出て来て、展示されているこの戦車を視ると、その挿話を思い出してしまう…

サハリン州郷土博物館(2017.04.22)

視ると「〇〇へやって来た!」と妙に納得する「個性的な建物」というモノが在る場所は多いと思うのだが… ↓ユジノサハリンスクでは「これ!」だと思う… Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (14) ↑「樺太時代」の1937年に完成した建物…サハリン州郷土博物館である。 滞在している宿から簡単に行ける場所なのだが…「季節外れな感じの雪」で歩き悪いというような状況や、色々と時間を取られたことが在って、月曜日の夜に到着後、土曜日の早朝に至って漸く眺めに行くことが叶った… ↓コンクリート造の建築に、瓦の屋根を組合わせるという、1930年代に一部で流行ったと伝えられる“帝冠様式”の建物だ… Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (19) ↓この博物館は「建物そのもの」が歴史を伝える“重要展示”のような趣だが…建物の周囲にも色々な屋外展示が見受けられる… Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (18) ↑手前の大砲は20世紀の初めの方で使用されたような様式のモノで、日露戦争でもこの種の大砲が使われている… この場所!ユジノサハリンスクの「気に入っている場所」の一つだ。そして、これを眺めて「ユジノサハリンスクへやって来た!」と納得出来た…

サハリン州郷土博物館(2015.09.07)

↓「サハリン」と聞けば…何となく登場する頻度が高い、有名な博物館の建物だ…博物館の開館前の時間帯―この日は休館の日でもあったが…―に辺りを通って眺めた際の画だ… Morning at Yuzhno-Sakhalinsk on SEP 07, 2015 (19) ↑この博物館に関して、この建物の故に「建物自体が重要な収蔵・展示品」と私は思っている。 1937年に「樺太庁博物館」として竣工し開館した訳だが、1946年以降の“ソ連化”の中でも博物館として利用され続けて現在に至っている。 1930年代の日本で、コンクリート造の建物に瓦を使った和風な屋根を埋め込むという建築様式が一部に流行った。“帝冠様式”と呼ばれるものだ。この博物館も、その“帝冠様式”の一例である。